それは本当の素直さだろうか

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「素直な自分であろう」

とすることと、

「本当の素直」

は、

実は根本的に似て非なるもの、

まったくの別ものです。

 

私達人間が、「本当の素直」を手に入れれば、

すべてが楽になります。

自由になります。

何の気負いも無理もなくなります。

 

しかし、「素直な自分であろう」とすると、

私達は疲れます。

「あろう」とすればするほど、

心の奥にストレスが生じ続けます。

 

一見、表面的には両者は

似ているかも知れません。

しかし、

見る人が見れば、

真逆であることが、感じ取れるはずです。

 

残念ながら、前芝さんは、

「素直な自分であろう」タイプのようです。

(→前回記事)

 

「弓江さんは前芝さんに

どんな風に成長してもらいたいですか?」

 

「そうですね・・・。

私は彼はムードメイカーだと思っています。

彼がいると場が明るくなります。

そういった部分はそのままで、

でも、もっと強くなって欲しいですね。」

 

「それは、どのような強さですか?」

 

「揺るがない大木のような

強さです。

何が起きてもビクともしないような。」

 

「今はその要素はあまり

ないのですね?」

 

「そうですね。

今日この場で初めて気づいたのですが、

いつも彼はビクビクしているのかも

知れません。

そういった雰囲気は出しませんが。」

 

「なぜ彼はビクビクしているか

わかりますか?」

 

すると木村さんが言われました。

 

「これはちょっと以前の私に

似ているのかも知れません。

自分を演じている、というか。

仕事の中での自分を形作っている

というか。

それを良かれと思ってやっていると

思うのですが、それは実は

とても辛いことです。

自分を演じる、って

どこかにいつも後ろめたさを伴うものですから。

私はそれを身をもって知ったわけですが。

彼も同じかも知れません。」

 

「なるほど。

彼は何か趣味はあるのかな?」

 

「そういえば、そういった話をしたことが

ないですね。

彼のプライベートなどはよくわからないです。

一緒に飲みに行って、馬鹿騒ぎをすることは

ありますが、よく考えたら、

馬鹿騒ぎするだけで、私は彼のことを

何も知りませんね。」

 

恐らく前芝さんは、

意図的に仕事とプライベートを区別して

いるのでしょう。

それはそれで悪いことではありませんが、

区別し過ぎて、自分自身が苦しくなるのは

勿体無い話です。

 

人は、どんな時も

本来の自分を発揮しながら活躍できることが

自然な喜びとなる生き物です。

 

「弓江さん、

ここまでの話以外で、彼の長所は他に

ありませんか?」

 

「う〜ん・・・。

彼は、敵をつくらない、というところでしょうか。」

 

「誰とでも連係できる?」

 

「はい。

でもそれは一方から見れば、

短所にもなってしまいますね。

ただの八方美人になる場合もありますから。」

 

弓江さんは最初、

前芝さんのことを「要になり得る」と

言われていましたが、少し

自信がなくなってきたようです。

 

ただ、ここではそういった結論は

あえて出しません。

 

ここで私は直観的に

一つの質問を口に出しました。

 

「前芝さんって、

人のことが好きなのでしょうか?」

 

二人は、

えっ?という顔をされました。

 

つづく

 

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