2024年 3月 の投稿一覧

風向きが変わる瞬間

身体が
キュウキュウに
しなるような
感覚。

これがくると
これも
実在の一つの
合図だ。

実在レベルの
風向きが
一気に
変わる時。

例えば、

これまで
右方向に
進んでいることが
追い風のもとで
進める
という状態だったのが、

急に風向きが
変わり、
右に進もうとすると
逆風に真っ向から
向かう状態に
なってしまう、
・・・とか。

だから私は
この
独特の感覚が
くると、

一旦、
その時点で
すべてを
見直す。

自分の中では
すべてを
一旦、リセット
する。

自分のここまでの
決断も、
計画も、
すべてだ。

つまり
ある意味、
ここまで培ったものを
すべて
手放す覚悟だ。

とはいえ、

これをしっかり
メリハリを持って
やれば、

実は
変更すべきは

たったの一つ

でよい、
となるケースが
ほとんどだ。

少しだけ
変える。

少しだけ
軌道修正する。

それをすれば
新たな
風に乗れる、

新たな
潮流に乗れる、

ということだ。

がしかし、
その気づきを
得るためには、

一旦、
すべてを
リセットさせる、

という
覚悟が
どうしても
必要なんだ。

そういった
意味で、
真本音で生きる
とは
覚悟の連続だ。

最初は
怖いかもしれない。
が、
慣れれば
何ともまぁ、
メリハリのある
刺激的な
面白い日々だ。

つづく

なぜスムーズにいくか

無理に事を
起こそうと
すれば

無理な展開
となり

いろんなところ

歪みが生まれる。

そしてその
歪みの
一つ一つに
対処する
進み行きとなり、

それはそれは
煩わしい。

真本音で
生きる

というのは
そういったこと
からの
解放の人生と
なる。

無理に
始める必要は
ないし、

無理に
歪みを解消する
必要もない。

一つ一つを
タンタンタンと
進めていく。

とはいえ、
こういった書き方を
すれば、

何でもかんでも
安易に進められる

勘違いされる。

そうではない。

まずは、
今この瞬間の一歩を
真本音で
決めるところから
スタートさせる
必要がある。

実はこれが
多くの人は
すんなり行かない。

自分の真本音に
素直に動く
というのは、
実は
これまでの自分の
反応本音による
パターンとは
異なる選択を
しなければならない
ことが多いから。

すると
この時点で

動けない

動くのが怖い

勇気が出ない

という
状態になる。

しかし
ここを突破する
のだ。

ここで
これまでの
パターンを破り、

本当に素直に
動いてみる。

そして
それにより
いかに物事が
スムーズに展開するか

ここで
体験する。

その体験を
一つ一つ
積み重ねていく。

すると
一歩一歩が
だんだんと
大きくなる。

あとは
その延長線上だ。

自分の真本音に
素直に
動くことに慣れれば、

本人としては
普通に
何の強張りもなく
自然に
一歩を踏み出し
続けるのだが、

他者から見れば、
よくもまぁ
あんな選択が
できるもんだな、
とか

よくあんな
捨て身なことが
できるなぁ、
とか

言われたりも
する。

が、
それはあくまで
他者の目線。

本人は
至って普通だ。

以上のような
ステップが
あるわけだ。

だからまずは
今この瞬間に
真本音で
生きる。

今ここで
真本音の一歩を
選択する。

・・・ここから。

これを
本当に一つずつ、

一つ一つの
振る舞いに
おいて

丁寧に
続けよう。

つづく

手放さないとね

これまで
何度も
書いてきたこと
であるが、

くどいようだが
もう一度。

この
3次元という
世界には
いろんな法則が
あるが、

その大きな
一つは、

一つを
手放さないと
一つは
入ってこない

という
ものだ。

手に入れ
続ける

もしくは

すべてを
抱え込む

ということは
できない。

不可能
なのだ。

つまり、
本当に
手に入れたい
ものがあるならば、

そのために
何を手放すか?


きちんと
丁寧に

真本音で

決める必要が
ある。

この世の中
には
余分なものが
多い。

実在の自分、
真本音の自分が
望んでいない
ものが
多く溢れている。

それらを
しっかり
手放し、
シンプルに
なってこそ、

本当に必要な
もの
本当に望むもの

自らに
取り入れよう、と

自分自身が

実在の
自分が

決めている。

だから
くどいのだけどね、

言い続ける。

手放せば
入ってくる。

手放さなければ
入ってこない、
永遠に。

つづく

何だ、この数の命は

今の仕事を
していて、

私はほぼ
毎日のように、

というものに
ついて
考える。

命。

私は
命と
向かい合って
いる。

命とは
与えられた
ものかも
しれないが、

その命を
育てるのは
自分自身だ。

与えられた
ものを
与えられた
ままに
消費するだけの
人は、
残念ながら
多い。

年齢を
重ねるに従い、
エネルギーを
失っていく。

最初に
与えられた
ものを
ただ、
消費するだけ。

最初
与えられた
もの以上には
生きない。

決まったものを
決まった分だけ
消費する。

ただ
それだけ。

それがまた
人間である
と言ってしまえば
そうかもしれないが、

そうではない
生き方が
ある。

命のエネルギー
というものが
あるならば、

それを
高めていく。

それができるのは
自分自身のみ。

極端に
言えば、

生まれた当初の
命よりも
何倍もの
エネルギーを
自ら創り出し、

活用する。

何倍にも。

それも
また
人間の業ではないか。

そして
それが
生ききる
ということでは
ないか。

どうすれば
それが
できるか?

この人にとって
どうすれば?

私にとって
どうすれば?

全人類にとって
どうすれば?

・・・こんなこと
ばかりを
考え続けてきた。

今、人類は
かつてない
勢いで
人口を増やしている。

西暦1700年、
つまり
たった300年前の
全人類の人口は
6億人だ。

今は
80億だ。

なんだよ
これ?

この、
命の増え方は?

何をしよう

しているのだ、
私達は?

という
問い。

実は
ある面、
この答えを
私はよく
知っている。

が、
私が知りたいのは
そのことでは
ない。

もっと
別の次元で、

実在では
ない次元で、

問うている。

私達は、
この現象の世界で、
何を
これから
やろうと
しているのか?

自分達の
こんなにも
多くの
命を使って。

私は、
私なりの
現時点で思う
答えに向かって、

一直線に
突っ込んでいく。

そう
決めている。

つづく

私達の恐れる孤独など

私達は
誰もが
孤独を恐れるが、

その恐れに
こそ
真摯に向き合えば、

そして
孤独と共に
進めば、

実は
孤独ではない
という
真実に
気づくのさ。

周りに
みんなが
いる、
という話では
ないよ。

知らず知らず
皆から
支えられている
という
話でもない。

実在の
話さ。

実在のレベル
では、
孤独というのは
あり得ない。

孤独

人間

真逆な存在
なんだ。

だからこそ、
私達は
この現象の
世界で

孤独を
味わえるんだ。

孤独は
恐ろしい、

遊べるんだ。

そう、
遊びだ。

でも、
これは
実在を知らねば
大変、厳しい
遊びだ。

真の孤独
というものが
もし
あるならば、

それは
人間の
耐えられるもの
ではない。

真ではない
孤独だからこそ、
私達は
怖い、怖い

遊んでいられる。

だが、
大事な遊びだ。

私達の中に
ある
孤独への恐れ。

それは
遊びだが、
大事だ。

ちゃんと
向き合おう。

遊びだから
ちゃんと
向き合える。

向き合えば
わかる。

それが
遊びだと。

そして、
人と孤独は
真逆なんだと
わかれば、

そこでようやく
進めるんだ、

冒険
できるんだ。

つづく

すごい焦りだ

人々の焦りが
私を
惑わす。

みんな
みんな

焦っている。

何に
焦っているかは
よくわかるよ。

だが、

そんなに
焦らないで
くれ。

私までもが
引っ張られる。

目の前の
現実が
霞んで見えるんだ。

上滑り。

ズルズルと
足元が
滑り落ちていく。

常に
根っから
震えながら、

頼りなさげに
現実が
揺らめき続ける。

本当は
くっきりと
観えるはずの
現実が

幻のように
頼りない。

これでは
正常な判断が
できない。

深呼吸を
して、

目を閉じる。

体感覚だけでも
揺らされてしまう。

これまで
こんなに
焦ったことは
なかったろうに。

でも、
気持ちは
わかるよ。

わかるが
これでは
ダメだ。

こんな
揺れ方では
ますます
遅くなる。

無駄が
多くなり過ぎるんだ。

せめて
私だけでも・・・。

目を瞑る。

深呼吸を
する。

ズルズルと
引っ張られる
その感覚を

これは
私ではない、


私自身から
引き剥がす。

台風の雲
のような
焦りの塊が

目に映る。

これは
実在ではない。
が、
強烈な
幻影だ。

これに
やられては
ならない。

幻影が
幻影として
観れていれば
とりあえずは
大丈夫。

ようやく私は
スーッと
落ち着くことが
できた。

焦るな、

言っても
それは無理だろう。

でも、
焦るな。

いや、
その前に、

自分自身が
本当は
とてつもなく
焦っていることを

自覚して
ほしい。

まずは
そこから。

本当は
あなたは
落ち着いては
いない。

焦りまくって
いるんだよ。

それが
わかれば、

それを
受け止めれば、

落ち着ける。

つづく

今、重要な問い

ここでまた
重要な問いを
自分自身に
投げてみよう。

・・・

私はいつも
何に妥協している?

その妥協を
なくすために、
どうすればいい?

・・・

人生には、
そして
社会においては、

妥協することが
当たり前、


思われ過ぎて
いる。

最初から
諦めるのでは
なく、

日常生活に
おける
一つ一つの
妥協を

一つ一つ
できるところから
解消していこう。

つづく

本当の夢を見つけよう

近づけば
近づくほど

洗われる。

近づけば
近づくほど

余分なもの達が
離れていく。

スッキリと
身一つ。

ただの「私」
として
ここに在る。

そんな状態に
なれる。

本来の夢
とは
そういうものだ。

夢とは、
疲れるものでは
ない。

夢とは
癒しだ。

そこに向かう
その一歩一歩が
自分自身を
癒してくれる。

だから、
たとえ夢まで
遠くても、

今この一歩が、
一瞬一瞬が
元気を
与えてくれる。

近づけば
近づくほど

鎧をまとったり、
理論武装したり
ではなく、

どんどん
素っ裸な自分に
なっていく。

そのような
夢を
誰もが
持っている。

実在の自分が
よくわかっている。

実在の自分とは
現象の自分を
夢まで
導いてくれる存在、
とも言える。

とはいえ、
最初から
現象の自分に

自分の本当の
夢とは何か?


教えてくれる
ことは
滅多にない。

ある一定以上の
準備が
できなければ
教えてくれない。

だから私達は
「準備」を
急いでいる。

かつてない
速さで。

そろそろ、
自分自身に
問いかけ始める
といい。

私の本当の
夢とは
何だろう?

・・・と。

一日のうちに
何度でも。

そして
毎日、毎日。

問いかけ
続ける。

すると
パズルのピース
のように、
少しずつ少しずつ
いろんな発想が
浮かび上がり、

ある時に、
ピースとピースが
カチッと
ハマり始めるかも。

答えが
出なくても、

問い続けよう。

何度も
何度も。

つづく

真面目が好きだ

私は基本、
真面目な人が
好きだ。

真面目で
あるが故に
固くなり過ぎたり、

余分なことに
エネルギーを
費やしたり、

あーだこーだと
結論の出ないことを
考え続けたり、

・・・しながら
歩みが遅くなる
ケースは多いのだが、

が、しかし
そういったことも
すべて含めて、

最後は
真面目な人が
勝つ。
(勝つ、という表現は
おかしいかもしれないが)

真面目な人の
真本音度合いが
高まると、

面白いことに
とても破天荒な
個性が
ニョキニョキと
発芽する。

真面目な人
ほど、

この人
変だよ!


突っ込みたくなる
くらいの
とても楽しい個性が
現れる。

真面目で
軽い。

・・・そんな状態に
なる。

気がつけば
私の周りは
そういう人達ばかりに
なった。

だから
楽しいのだな。

真面目とは
可能性。

短所も含めて
人間の可愛らしさの
一つだ。

つづく

ひん曲がっていても

ひん曲がっている
人ほど、

自分のことを
まっすぐだ!

と言い張る。

困ったもんだ。

しかしあえて
そこには
反論しない。

あなた、本当は
ひん曲がってますよ、

伝えたところで、

反発がくるか、
去っていくか、

どちらかにしか
ならない。

でも少なくとも
本人は
まっすぐであることを
望んでいる。

その気持ちだけで
まずは
いい。

そこが
スタートだ。

私がさせていただく
サポートは、

その人が
自身の真本音に
基づいて
生きること。

やはり
やることは
それだけだ。

その人の
真本音度合いが
高まれば、

自然に
わかる瞬間が
くる。

そうか、俺、
めっちゃ
ひん曲がっていたな、

と。

人から言われる
よりも、
自分で気づく方が
1000倍もいい。

自分で気づけば
その人は
その瞬間から
変わる。

一瞬だ。

そう、
人は
一瞬で
変わる可能性を
持っている。

でも
他者が意図的に
そう仕向ける
ことはできない。

だから
私がするのは、
その人の
真本音(=実在)に
刺激を入れ続ける
こと。

眠っていた
真本音が
目を覚ます。

そこまでだ。

そこから先は
本人が
自分自身を
導いていける。

つづく

未来志向は古い

実在のことが
わかるといっても、

私は
未来を予測する
ということは
一切しない。

むしろ、
実在のことが
わかれば、
そんなことには
何の意味もない
ことが
よくわかってくる。

しかも、
この世の中は、
未来がわからない
からこそ
意味がある。

ということも
実在がわかれば
わかるほど
実感できる。

なので、たまに
まるで占い師に
尋ねるように
私に
未来の展開を
質問してくる人が
いるが、

一切、
答えないように
している。
たとえ、
何となくそれが
わかったとしても。

未来を
予測するのでは
なく、

今に集中する
のがいい。

「今ここ」
にすべてが
凝縮されている。

実在とは、
過去も未来も今も
すべて一つだから。

その実在と共に
「今ここに」
現実として
私達は在る
のだから。

「今ここ」

自分が本当に
しようと
決めていることを
する。

それだけの
ことだ。

未来を予測して、
だから
今、これをやる、

・・・という
進み方は
古い。

これは
これまでの時代の
進み方だ。

未来志向
は大事だが、

これまでのような
形の
未来志向では、
今後の時代では
通用しない。

未来から
今を見るのでは
なく、

「今ここ」
に完全集中する。

それをしていると、
まるで
過去を思い出す
ような感覚で、

未来が
観えてくる。

その未来こそ、
あなたの本来の
未来だ。

つづく

企業でも話すんだ

組織というのは
面白いもので、

一人が
劇的な成長を
遂げると、

同じ組織内の
他の人達にも
かなり大きな
影響が及ぶ。

一つの
波紋が、
ぐんぐん広がる。

だから、
どのような
波紋を創り出し、
どう広げるか?

組織活性化の
ための
「戦略」の基本だ。

ちなみに
「戦略」とは、
戦いを略すことなので、

最も楽な道を
見出すことだ。

誰が
どのように成長し、
その成長を
誰に波及させるか?

というような
ことばかりを
私はいつも
クライアント企業の
社長さんや
幹部さん達と

考え合い、
語り合っている。

それがまた
楽しくて
しょうがない。

最近は、
そういった場でも

もし先方が
受け取ってくれる
人なら、
という前提だが、

実在と現象の
話を
意図的にするように
している。

その方が
話が早いからだ。

しかも
そういった話を
「普通に」
受け止めてくださる
人は
ここ数年で
かなり増えた。

例えば、
10年ぶりくらいに
再会した社長さんで、
以前は
そのような話など
とてもできなかった人が、

再会して
話してみると、
とてもすんなり
受け止めてくださる
どころか、

実は
そういったことに
本当に興味が
出てきまして!

という
反応をいただいたり
する。

そういうことが
あると、
時代は本当に
変わってきたんだな、

思う。

実在と現象の
話は、
空想でも夢物語でも
ない。

むしろ
「現実」の話だ。

実在の視点を
入れることで、
今、目の前で
起きていることに
対して、

なぜ
こんなことが
起こるのか?

理由や意味が、

非常にくっきりと
理解できるようになる。

なぜならそれは、
もう
その人達が
無意識的にでは
あるが、
既に充分に
感じ続けていたこと
だから。

だから私は
企業さんでも
今後はできるだけ
実在の視点の話を
盛り込むつもりだ。

みんなが
この視点を
持ちながら、
共にこの視点から
語り合えるように
なると、

世の中はもっと
調和するのに、

思うよ、本当に。

つづく

恐怖に打ち震える

どれだけこれまで
成長を続けて
きた人でも、

自分の枠や
殻を壊す

・・・それはある意味
これまでの自分自身を
壊すくらいの
インパクトのある
成長=進化・深化

・・・を前にすると
恐怖で体が硬直
してしまう。

面白いことに
それを
顕在意識レベルでは
自覚していない
人もいる。

が、
潜在意識では
確かに
恐怖で固まっている。

それを
ほぐす方法は
残念ながら、
ない。

「ない」
というよりも
「してはならない」
といった方が
正確だ。

自分の枠や殻を
破るには
どうしても
恐怖を乗り越える
という
ステップが必要だ。

しかも
殻破りのその瞬間は、
自力
で行くしかない。

一切の
サポートは
してはならない。

だから私は
祈るだけ。

そういった
場面が
この1〜2年で
随分と増えた。

これまでは
どれだけ頻度が高くても
何年かに一度くらいの
ものだった。

しかし今は、
一年のうちに
何度もそれを
成そうとする人が
増えている。

私のクライアントさん
など、
そんな人達ばかりだ。

お会いする度に
殻破りをしている
人もいる。

よく体が
持つなぁ、と
思う。

殻破りは
「慣れる」
ことはない。

どれだけ
経験を積んでも、
その経験値や
自分の容量を
超えるものが
襲いかかってくるから。

それでも
凄い頻度で
それをしようとする
のは、
人として
驚嘆と共に
尊敬するよ、私は。

とはいえ、
私自身も
同様だ。

良いクライアントさん
達に囲まれながら、
私自身も
次々に殻破りが
できている。

1ヶ月前の自分

今の自分は、
10年分くらい異なる
印象がある。

あくまでも
主観的な
印象だけどね。

さて、
これから
殻破りの恐怖に
打ち震えている
ある社長さんと
お会いする。

私に
何ができるかな?

いや、
何もできないの
だけど、

何もできないし
やってはならない
前提で、

何が
できるかな?

つづく

八方塞がりのチャンス

圧倒的に
どうにもならない
現実
というものが
ある。

もう、
人間の力では
何もできんだろ、
という。

そこまででは
なかったとしても、

八方塞がり

という状態に
陥ることは
人生でよくある。

今の仕事を通じて、
私自身だけでなく、
多くの人達の
そういった場面に
遭遇してきた。

その中で、
本当に
どうにもできなかった
こともあるし、
逆に
何とかなったことも
ある。

その違いは
何か?
と言えば、

やはり
八方塞がりの
時こそ、

一歩一歩を
真本音で

ということに
なる。

もうこれしか
ないな、

断言しても
良いのではないか。

本当は、
最初から真本音で
生きていれば、

八方塞がり
という状態には
ならない。

しかし
なかなかそうは
いかず、
反応的な人生を
進めるうちに、
自分を
追い詰めてしまう。

でも、
遅くはない。

八方塞がりだ、

本人が
絶望した時こそ、

その人の
真本音は、
かつてなかった
ほどに
輝き出す。

人間、
追い詰められた
時ほど
力を発揮する。

火事場の馬鹿力
という言葉が
あるが、

いざという時に
真本音は
一気に開花する。

ただ、
それを本人は
自覚できないことが
多い。

そして
これまでと同じ
生き方、
同じパターンで
その状況を
くぐり抜けようと
してしまう。

そこを
ちょっと待った!

やるのが
私の役目だ。

この
ある意味の
絶好の機会に
正しく
真本音を開花
させる。

ちょっと
おこがましい
書き方に
なっているが、
実際そうなんだ。

私が
その人を
導くのではない。

その人の
真本音が、

つまりは、
実在のその人が

その人自身を
導けるように
するのが

私の
することだ。

つづく

気づく瞬間がわかる

発想の塊が、

まずは
光の球のような
形で
観える。

それが
スーッと
近づいてくると、

もうそろそろ
気づきが
くるな、と
わかる。

直観が
くるな、と
わかる。

仕事などで
何か発想を
しようとする時、

私の周りに
その
気づきの塊が
ない場合は、

その発想は
後回しに
する。

そして
気づきの塊が
近くにきた時に
のみ、

今だ!

ということで、
その仕事の
発想を始める。

すると、
だいたい
5分か10分で
欲しかった答えは
すべて
手に入る。

これが
私の推奨している
セルフコーチングの
基本。

実在をキャッチする
力を養うことで
可能となる。

人生は、
タイミングだ。

発想すべき
タイミングで
発想する。

発想しても
しょうがない時は
発想しない。

その連続。

私はこのやり方の
おかげで
私自身の仕事の
生産性を
10倍以上に
高めることができた。

その
訓練の仕方や
実際のやり方などを
私はできるだけ
多くの人達に
お伝えしたいし、

そのサポートを
したい。

もう、
これまでのやり方
では、
ここからの時代は
切り拓いていけないと
思うから。

つづく

実在の鏡となる

クライアントさんが
強引に物事を
進めようとするのを
私はよく
止めるが、

時には、

ここは
強引に行くべきです!


強い後押しを
することもある。

その判断に
理屈はない。

ただ、
実在レベルの
その人自身が

今、
どう進めたいか?
という

その一点のみに
従っている。

コーチングとは
すべて
クライアントさんが
自ら選択と
決断をしていく。

表面的に見れば、
私の場合、

私自身が
断定的にものを
言ったり、
決断を促したり、

時には
その人の考えを
否定することも
あるが、

実はそれは
すべて
私の意見では
ない。

私の考えも
判断も解釈も
一切、そこには
入れず、

ただ、
実在のその人の
意見に
従っている。

とはいえ、
物事のすべてが
実在の通りに
進むわけでは
ない。

私は
実在のその人の
鏡。

実在のその人の
意見を
できるだけ
そのまま
お伝えする。

その上で、
その人自身が
顕在意識レベル
(つまりは現象レベル)
の発想もし、

実在と現象の
両方を
大切にしながら
決定する。

これが
私の普段
行なっている
コーチング。

それ以上でも
それ以下でも
ない。

つづく

目覚めて変えるもの

ゆっくり
頭をもたげる
何ものかの存在を
感じた時、

私は、
あぁまた
誰かが目を覚ましたな
と受け取る。

目覚め。

それは
脱皮という言い方も
できるが、

人によっては
この
目覚め
という表現こそが
ふさわしい場合が
ある。

これまで
ずっと

この人生で
ずっと

眠ったまま
だった
その人が、

ようやく
目を覚ます。

それによって
大きく
環境を変えるかどうか、


人によりけり。

何も環境は
変えずに
ただ、
生き方を根本的に
変える、

という人は
多い。

すると
現実の展開の仕方が
大きく変わり、

環境を変えずとも
人生が変わる。

人生を変える
ためには
環境を変えなければ
ならない
わけではない。

基本、
私達の真本音は
どの環境でも
やっていける。

この環境で
なければダメ、
などということは
基本的には、
ない。

生き方の
問題なのだ。

そういった
基本の上で、
あえて
目覚めと共に
環境を大きく変えよう
とする
人もいる。

その場合、
大変、勇気が要る
場合が多い。

そこをまた
私は
応援したいのだ。

一歩一歩
真本音で進めば、
あらゆることが
調和しながら
環境を変えることが
できるんだ。

つづく

中心に立とう

円には
中心がある。

環には
中心がある。

その
中心に
立とう。

中心でなければ
観えない
ものがある。

中心でなければ
理解できない
ものも多い。

まずは
中心に
立とう。

その上で、
すべてをよく
観察しよう。

現象(現実)を
あるがままに
観察すれば、

自然に
実在(本質)も
掴めるはずだ。

ただしそれが
できるのは
中心にいて
こそだ。

中心に立つ、
とは
心の問題だ。

意志の
問題だ。

自分の
姿勢、在り方
だ。

だから、
本気になれば
今すぐここで
それはできる。

世界を
人生を
変えたければ

中心に
立とう。

まずは
そこからだ。

つづく

急がなければ

これまで
悠長に
やっていたわけでは
ない。

これまでだって、
やれる
最大のことは
やり続けてきたよ。

だから何とか
ここまで来れた、
とも
言える。

だが、
もう本当に

悠長なことは
言っておれなく
なった。

これまで
30年スパンで
考えていたことを、

最低でも
10年スパン、

本当は
もっと現実的に
言えば、

この2〜3年スパン

考えなければ
ならなくなった。

それくらいに
現象レベルでの
混乱は
広まり
深まっている。
その傷は
深い。

傷を癒しながら
進む、
という時間は
もうない。

血をダラダラと
流しながら
でも、
何でもいいから、

進まねば。

今日やるべき
ことは
本当に
今日やろう。

もう少し
準備が整ってから
とか、

あと
1〜2年は
このままでいいかな、
とか、

もう決して
そんなことは
言っていられない。

これまでの
人類の歴史では
考えられない
くらいの

スピード感で
すべてが
動き、
揺らいでいる。

その揺れに
身を任せる
必要はない。

むしろ
それらを
手放し、

ちゃんと
大地に足を
踏みしめて
進む生き方が
必要だ。

その一歩一歩が
力に
なるが、

その第一歩が
遅くなれば
なるほど、

もう間に合わなく
なる。

本当は
焦らずに行く
方がいい。

だかもう
そのゆとりはない。

急げ。

急ごう。

焦っても
いいから。

これまでの
「最大」を
超えるんだ。

つづく

真の自由だ

本来は
もっと
自由でいい。

もっと
委ねてしまえば
いい。

どうせ
この3次元の
世界は、

コントロールは
効かない。

反応本音
だらけの
コミュニケーションで
成り立っている
から。

反応と
反応に
より
生じる混乱は、

誰にだって
制御しきれない。

予測も
できない。

できると
すれば、

今この瞬間に
自分の
真の意思で

一つ一つ
丁寧に
対応することだ。

こちらは
反応しない。

対応
するのだ。

とはいえ、
この
「対応」の意味を
しっかりと
掴めている
人には
あえて、こう伝える
ことにしている。

真の反応
をしよう!

と。

真の反応
とは、
本当に委ねきる
ことで
実現する。

それは
反応と反応に
よるものではなく、

反応に
対して、
自分の真の意思
によって
瞬間的に対応している
という
状態だ。

それをする
ためには
ただ一つ、

完全に
委ねきる

だけの
ことだ。
それ以外は
ない。

だがそれが
できない。

どうしても
委ねきれない。

委ねきる
自分になるには、
自分自身の
真本音度合いを
高めるしかない。

つまり、

一つ一つ
真本音の意思で
丁寧に
生きる人は
いずれ、
完全に委ねきる
ことが
できるようになる。

この
メカニズムを
理解するといい。

そして
完全に委ねきる
とは

それこそが
イコール、

真の自由だ。

つづく

実在レベルの鍼治療

突然、
背中を
千本の釘で
打たれた。

痛い。

背中だけで
なく、
脚の裏、
膝からふくらはぎ
まで。

動けなく
なった。

硬直化。

喋る気力も
失せる。

だから
じっと
していた。

耐えられない
痛さでは
ない。

ただ、
何もする気力が
出なくなった。

で、
それが
よかった。

私が硬直化
することで、
目の前の
Aさんが
口を開いた。

私はただ
曖昧に
頷くだけ。

そのうちに、
刺さっている
釘の一つ一つの
先端が、

輝き
始めた。

すると
キューッと
鍼治療を受けて
いるような

不思議だが
エネルギーが
満ちてくる
感覚が。

ブツブツブツ

何か、絡まっていた
たくさんの糸が
一気に
弾け飛ぶ感覚。

ジワーッと
急に楽になった。

いつの間にか
釘たちは
消えている。

私の重さも
消えた。

というより、
実は先ほどまで
私はとても
重かったのだ
と、
この時点で
わかった。

見ると、
Aさんは
すこぶる晴れやか
な表情。

ひょっとすると
今の体験は、
Aさんの中で
起きた
実在の体験?

もちろん
顕在意識のAさんに
その自覚はない。

実在レベルの
鍼治療。
それが今ここで
Aさんに
為されたのか。

Aさんの
言葉の一つ一つ
が、
とても軽くなる。

ポンポンと
真本音の言葉
たちが、
Aさんの口から
飛び出す。

Aさん、
今ここで
脱皮したんだな。

じゃあ
ここから一気に
このコーチング、

次の段階に
ステージアップ
しようかな。

つづく

落ちるところまで

時々、
実在レベルの
滝が観える。

それも
意外な
場所に。

例えば、
今は
私の足元に
滝が観えている。

凄い勢い
だ。

エネルギーの
宝庫だ。

この滝は
何だ?


滝にダイレクトに
訊いてみる。

「私は
落ちるものです」


返ってくる。

どういうこと?

落ちる?

「落ちなければ
なりません」

なぜ?

「落ちて、
滝壺までちゃんと
落ちて、
そこで初めて
真のエネルギーは
発生するのですから」

なぜそれを
私に?


問うた瞬間、
これからお会いする
クライアントさんの
顔が浮かんだ。

あぁなるほど、
あの人は
ちゃんと、
落ちたな。

落ちる
ところまで。

ということは、

「はい、
凄いエネルギー
ですよ、今は。
ここからのテーマは
そのエネルギーを
どのように
コントロールするか、
です」

なるほど、

今からの
コーチングの方針を
急遽、
変えねばなるまい。

つづく

逆向きだったと

前向きに
走っていた
つもりが、

実はずっと
後ろ向き
だった、

つまり、

本来進もうと
していたのとは
逆の方向に
走り続けていた、

ということが
ある。

そんな
バカな、

思うなかれ。

そういう人は
多い。

しかし
何となくみんな、

何となく

わかっている。
自分が
逆走している
ことを。

しかしその
事実を
認めたくないのだ。

だから
本来の方向に
向かっていない
人ほど、

目を瞑り
たがる.。

そして余計に
道を外す。

早く
認めると
いい。

自分は
逆向きだった
と。

早ければ
早いほど
挽回が効く。

人生は
基本的に
いくらでも
挽回は効く。

気づいて
認めれば、
その瞬間から。

ただ、
今は本当に
急がねば
ならないよ。

目を瞑っている
間に
流されてしまう
距離は、

2〜3年前に
比べても
10倍以上に
速まっている。

ちゃんと
目を開けよう。

ちゃんと
認めて、

すぐに
再スタートだ。

つづく

一致した!

あぁこれが、
この人の
本来の姿か・・・。

ある場面で
ほんの
一瞬だけ、

実在の
その人と

現象の
その人が

一致する時が
ある。

ほんの
一瞬だけ。

私は
その瞬間を
絶対に
逃さない。

私自身の
目に
焼きつける。

そして
その焼きついた
ものこそが、

その人への
サポートや
育成の
根本指針となる。

そう、

私のサポート
とは、

現象(今の現実)
のその人を

実在(本来の姿)
のその人に

近づける
こと。

これだけは
外さない。

ここを
外さねば
ならないサポート
であれば、

私は
やらない。

つづく

あの時の自分だ

昔、
とても大切に
していた
考え方が、

ふと

蘇ることが
ある。

そして
まるでその当時の
自分に
戻ってしまったような

行動、振る舞いを
気がつくと
している。

なんだよ
これ、


自分自身を
訝しがることに
なるが、

これは
その当時の
自分と
今の自分が

実在レベルで
繋がっている

もしくは、

今ここで
一体化している

という状態の
現れだ。

実在レベル
では、
過去も今も
未来も
「一つ」
だ。

すべては
ここにある。

だから、
過去のいずれか
の自分と

強い
引き合い
が起こり、

過去の自分

今の自分の
コラボが
起こることは
ある。

決して
過去の自分に
戻ってしまった
わけではない。

必要があって
そういった
作用を
創り出している。

これも皆、
自分自身の
真本音による
判断だ。

つづく

出会えば良いわけではない

人と人の
ご縁は
とても大切だが、

今ここでは

大切にしては
ならない
という縁も
ある。

本当は
ここで
出会っては
ならなかった、

このタイミンング
では
なかった、

という
もの。

それは
独特の空気感で
よくわかる。

そういった
場合は、

あえて
離れた方が
いい。

そして、
本来の時期が
来た時に、

ご縁の
結び直し

をする。

ここが
本当の
我々の
出会いだね、
と。

こういった
軌道修正の
必要な
出会いが

極度に
増えている。

私達は
出会えれば
良い
というものでは
ないのだ。

出会うまでに
せねばならぬこと、

完了させる
べきことが

あるんだ。

つづく

やり直す覚悟

もし
人生をもう一度、
やり直せると
したら、

あなたは
それを
望む?

人生に
基本、
やり直しは
効かない。

でももし、
効くとしたら・・・。

実は、
本当のことを
言えば、

私が
実在に敏感に
なって
わかったことの
一つは、

人生は
やり直しが
効く
ということだった。

ただしそれは
過去に戻る
ということでは
ない。

今ここ
から、

だ。

私達は
一瞬にして
生まれ変わる
ことができる。

生まれ変われば
これまでとは
全く別の
人生が始まる。

目の前に
ある
現実達が、

短期間で
急展開する。

これは
私自身の
体験でもあり、

他に何人も
そういう人は
いる。

人生は
やり直しが
効く。

あまりに
八方塞がりの
現実が
目の前に
あれば、

とてもとても
そうは
思えないだろう。

しかし
それは
思い込みだ。

それは
幻影だ。

ただ、
どれだけ
幻影を変えても
現実は
変わらない。

実在を
変えることで、

現象は
変わる。

必要なのは
実在を変える
覚悟
だけだ。

そういった
覚悟を
持つことは
なかなかできないが、

そういった
覚悟を持ちたい!

真剣に願う人
をこそ、

私は
サポート
したいのだ。

つづく

実在からのSOS

縛りつける
感覚が
ある。

わずかでも
その感覚に
見舞われたら、

私はすぐに
すべてを一旦
ストップして、

その感覚に
のみ
集中する。

多くの場合、
それは
緊急の
メッセージだ。

先日も
そういったことが
あった。

感覚に
集中すると、
ある
クライアントさんの
顔が浮かんだ。

彼が
私を
縛りつけている
わけではない。

むしろ
彼は
縛りつけられて
いる。

が、
その始まりは
彼が別の人を
縛りつけている
からだ。

縛りつけ、
縛られ、

関係。

それがもうすぐ
限界を
迎えようと
している。

今のまま
放置すれば、

その会社の
脱皮が
ストップして
しまう。

限界とは
多くの場合、

とても
わかりやすい
現象(現実)
として
現れる。

現象なので
要するにそれは
事件とか
事故として。

それはそれで
しょうがない場合も
多いのだが、

強い感覚
として
私に作用する
ということは、

彼らの実在が、
その現象化を
望んでいない
ということだ。

いわゆる
SOSだ。

そういった
場合は、
私は
すぐに手を打つ。

間に合うか
どうかは
わからない。

でも
できることは
やる。

感覚が
来ているの
だから。

それは
実在からの
メッセージ
だから。

現象レベルでは
その私の動きは
単なる
おせっかいに
映ることもあるだろう。

それでも
いい。

実在(=真本音)

望むならば

私は
その通りに
動くと
決めている。

つづく

おめでとう

ヒョイっと
起き上がる。

ムクッと
頭を
もたげる。

突然
地中から
脱け出た
ように。

実在の
殻が
破れるとき。

開放感も
何も
感じないかも
しれない。

自分が変化した
という実感は
何も
ないかもしれない。

そんなことは
どうでもいい。

あなたは
過去最大の
殻を
破った。

ぶ厚過ぎて
わからない
のだよ。

おめでとう


言わせてくれ。

何も
自覚がない
にせよ。

つづく

私達の繋がりは・・・

実在のレベル
での
ファミリー
というのがある。

現象のレベル
とは別に。

そういった
人達と
出会うと、

心の中では
何かの波長が
変わる。

明らかに
心の奥のどこか
が、
豊かになる。

潤いと言うか、
満ち足りる
というか。

その人達と
一緒にいない
時間も、

自分の中の
何かが
変わり続ける。

この人は
実在レベルでの
ファミリーだな

私の場合は
かなり早い段階で
わかる。

わかるが
もちろん
そんなことは
言わない。

しかし
現象のレベルで
だんだんと
ファミリーの繋がりに
近くなる。

そして
ある時ある瞬間に
実在と現象の
一致が起こる。

つまり、
現象(現実)の
レベルでも、

私達、みんな
家族みたいだね!


実感できる時が
くる。

その瞬間こそが、
私が
私の
人生を必死に
進める
理由の一つだ。

私ほど
実在の感覚に
敏感では
なかったとしても、

誰もが
この感覚、
わかるのでは
ないかな。

体験
あるんじゃ
ないかな。

それは
感覚だけじゃ
ない。

本当に
ファミリーなんだ。

つづく