2022年 11月 の投稿一覧

自覚の問い

今回もまた
重要な問いを。

・・・

あなたの中の
最も静かな部分は
どこ?

その
最も静かな部分は
今、何を
見つめている?

・・・

ここ数ヶ月で
だいぶ整ってきた
人が多い。

自分の中の
整った部分を
自覚することと、

その場所から
何を見続けるか?を
しっかり
決めるといい。

加速できるよ。

つづく

モノクロームな現実

カラフルで
わかりやすい
現実は、

楽しいかも
しれないが、

シンプルで
一見すると
何の変哲もないような、

しかしそれでいて
どこまでも深い、

そんな
現実もあるよ。

パッと見、
モノクロームに
見えるけど、

よーく目を凝らせば、
カラフルを超えた
カラフルさが

ジワリジワリと
滲み出るようだ。

しかしそれは
決して
現象化しない。

現象の
ちょっと奥くらいで、

その場所
だからこそ、

とてつもなく
芸術的とも言える
色の配置が
成されている。

見事!

叫びたくなるが、

決して
現象化はしない。

表面的には
モノクローム。

本質的には
極彩色。

そんな現実は
いかが?

色は
移り変わる。

一定に留まる
ことはない。

現象化とは
固定化
でもある。

現象化することで
その本質を
縛りつけてしまう。

だから
現象化一歩手前で

様々な色が
自由自在に
駆け巡り、紡ぎ合う。

静かだけど
激しい現実。

激しいけど
落ち着いた現実。

そういう人生は
いかが?

現実には
いろんな創り方
がある。

我々は
もっと自由に
進める。

つづく

力が怖いか?

もうすでに
研ぎ澄まされたもの

あるのだ。

誰にも。

ただ、
それを知らない。

何となく
わかってはいても
使い方が
わからない。

もしくは、

研ぎ澄まされている
その感覚を
純粋に
「怖い」
と感じてしまう。

わずかでも
それに触れれば
サクッと
指が切れてしまう
ような。

鋭すぎる
怖さ、

畏れ。

自分の人生の
ために

願いのために

それは
自分自身が
用意したもの。

2歳や3歳の
子どもが、

切れ味鋭い
包丁を
持つのは危険だ。

しかし、
料理のことを
真剣に勉強し、

技を磨いた人が
その包丁を
使えば、

自由自在に
どんな料理も

目の前の
その人のために

創り上げる
ことができる。

繊細かつ
大胆な、

そして純粋な
料理が
できる。

その人の
ために。

そこに必要な
包丁。

雑な包丁ではなく、
中途半端な
切れ味ではない、

宇宙の摂理
のような
包丁。

それを
使いこなせるのは
自分だけ。

そして
使いこなせる
準備が整った。

整ったら
使えばいい。

そのために
研ぎ澄まして
きたのだから。

そのための
道具
なのだから。

覚悟を持って
その包丁を
手にしたとき、

初めて
知るだろう。

自分の本当の
力を、ね。

KANAME Academy卒業生
インタビュー(田上さん)

https://itsudatsu.com/customer/tagami/

つづく

一刀両断の剣

もはや
「剣」

手に入れている
人がいる。

自分自身の
「剣」。

目の前に
殻がある。

それは
自分を覆っている
殻だ。

今の自分は
その中にいる。

でも
それを見つめる
自分が
外にいる。

その外にいる
自分が
使うのが「剣」。

一刀両断。

一瞬で
殻を真っ二つに
する。

それでは
中の自分すら
切ってしまうのでは
ないか、と
心配になるが、

それでもいい、

いや、

その方が
むしろいい、

とすら
本人は思っている。

それくらいの
思い切りと
覚悟。

自分が
壊れてしまっても
いいので、
殻なんて次々に
破ってしまえ。

一見、乱雑だが
実は
とても真摯な
その姿勢。

だからこそ
「剣」が
手に入ったんだ。

手に入ったなら
存分に
使うといい。

つづく

迷いに囲まれている

迷った時ほど、
静かに
佇むといい。

あらゆる
迷いを
大切に、
一つ一つを
しっかり見つめる。

見つめる、
ということは
その時点で
客観的だ。

つまり、
迷いの中に
自分が呑まれている
のではなく、

迷いの外から
その迷いを
少し離れて
見つめている状態。

これをすると
まず気づくのは、

今、私が
捕らえられている
迷いというのは、

一つではなかったんだな
ということ。

こんなにたくさんの
迷いが
私の中には
存在していたのか、
という
事実。

一つの迷いの
中にいると、
他の迷いが
見えなくなるから。

一つの迷いから
出れば、
その他の迷いも
よく
観えるようになる。

私の周りは
迷いだらけ。

数々の迷いに
囲まれて、
私という人間は
ここに
立っている。

それが
真実。

人は迷うために
存在している
のだから。

さて。

それがわかったら
もう大丈夫だ。

数々の迷いを
しっかり見つめながら、
そのまま静かに
佇んでいよう。

すると、
スーッと自分に
近づいてくる
迷いがある。

それはまるで
蛍のようだ。

小さいが美しく
輝きながら。

それがまずは
最初に答えを
出すべき
迷いだ。

その蛍の光、
つまり
最初の迷いと
向き合う。

迷いとは
「?」
だ。

問い
だ。

その問いを
しっかりと
言語化し、

その問いと
100%向き合う。

すると、
答えはすぐに
出る。

確信的に
まるで
思い出すかの
ように。

答えが出たら
そのまま
実行すればいい。

すると、
スーッと次の
蛍が来る。

そうして
一つずつ、
迷い(問い)と
向き合い、

答えを出し、

進んでいく。

これが
セルフコーチングの
本質。

つづく

近づくか離れるか

物事を
進展させようと
した場合、

とても重要な
ことがある。

それは
人との関わり方
だ。

もっと言えば、

「人との距離」

だ。

人との連携とは、
距離で
決まる。

近過ぎても
遠過ぎても
本来の調和(=進化)
は起こらない。

最も適切な
距離で関わることで、

新たな展開が
スタートする。

私はここから

「誰ともっと近づくか?」

「誰からもっと離れるか?」


真剣に考えよう。

適切な距離
こそ、

シナジーの源
だ。

つづく

亀裂が入った

亀裂が
入ったら、

すぐさま
割ることに
している。

最近の
傾向だ。

皆、
・・・私の周りだけかも
しれないが、

皆、
それを望んでいる。

割れるものなら
すぐに割りたい。

自分の殻は
早く壊したい。

自己開放し、
ぐんぐん
進みたい。

時間がない!
のだ。

・・・と。

人生で、
やりたことが
たくさんあり過ぎる
人達。

人生で、
どうしても
成し遂げたいことの
ある人達。

たとえ10代20代
だとしても、

人生の時間が
足りない!

と、
焦っている。

しかし
焦っていては
逆に殻は割れない。

殻は
たった「一点」
からしか
割れないのだ。

その「一点」を
見つけ出すためには

落ち着いた
目、

あるがままを捉える
目、

が必須だ。

焦るのは
人間らしさ。

しかし
一歩一歩は
落ち着いていこう。

地に足を
つけて。

それができれば、
私は
サポートできる。

亀裂が入ったら、
すぐに割る
ことができるんだよ。

つづく

素直になれよ

辞めたい!

言っている
社員さんの心の中心に

祈りのような
ものがある。

そこに意識を
向けると、

次のような
メッセージが
伝わってくる。

「私はここで
成し遂げたいことが
あるのです。
どうしても!」

ならば私は
必死で
止めよう。

辞めるな!
と。

エネルギーが
高いが故に、
顕在意識と
潜在意識が
断絶してしまっている人は

今はとても
多い。

真逆の方向に
向いていることも
日常茶飯事。

本当は
好きなのに
「嫌い!」
と言う。

本当は
ここに居たいのに
「離れたい!」
と言う。

まったくもって
素直じゃない。

自分の真の心

自分がちゃんと
感じ取ることこそ、

素直の原点

だと
思うのだがね。

素直に
生きよう。

怖くても。

素直は恐怖を
超えていける。

つづく

言葉で人生は決まる

言葉、
というのは
本当に大事だな、

改めて思う。

言葉を大事にする、
ということと

生き方を大事にする、
というのは

同義語ではないか、
というくらいに。

よくよく
振り返ってみると、

自分の生き方の
一歩一歩を
大切にしている
私のクライアントさんは皆、

一言一句を
とても丁寧に
決めている。

そして
そういう人ほど、
いざ、というときの
直観的言葉が

とても
すがすがしく、

かつ、
相手にスーッと
伝わっていく。

今、
私はこの人に
本当は
何を伝えたいのだろう?

最も的確な
一言で表すとしたら
どうなるだろう?

・・・そういう視点は
大切にすれば
するほど
良い、
と思う。

今、
私はこの人に
本当は
何を問いかけたいのだろう?

ここで、
共に考え合うための
最善の問いは、
最も的確な言葉を用いれば、
どうなるだろう?

・・・これらは
人に対してもそうであるが、
自分自身に
対しても、ね。

良い言葉を
選べる自分になる
ためには、

自分自身の
言葉のバリエーションを
豊かにしておくことが
肝要だ。

そのために私は
読書をお奨めする。

しかもそれは
一流の文学作品が
いい。

人の気持ちを
表すために
一流の作家の皆さんは

渾身の力を
込めて

一つ一つの言葉を
選んでいる。

そういった
「言葉達」
と向き合うだけでも
良い刺激が入る。

心を豊かにする
とは
言葉を豊かにする
ことでも
あると

強く思うね。

つづく

いつの間にこんな場に

真剣に生きる
人同士が
同じ場に集まると、

それだけで
人と人の
エネルギーは
循環を始める。

循環しながら
高まり続ける。

流れる
心地良さ。

発しながら
入ってくる。

入りながら
放出する。

私の中を
多彩なものが

深くて
まるで慈悲のような

輝くものが

ずっと流れ
続け
高まり
続く。

人の幸福
とは、
本質的には
これではないか、

とさえ
思える。

高め合う
者達。

自らの意志で
想い想いの方向を
向きながら、

でも、

たった一つの
ものを

同じものを

見つめている。

バラバラで
個性的なのに、

一つでも
ある。

その中を
エネルギーが
駆け巡る。

いつの間に
こんな場に
私は居れるの
だろう?

いつの間に
私の人生は
これほどの
幸福になったの
だろう?

真剣な
者達。

似て非なるもの

選り分け、

自らの道を
見出そうと
全力を尽くす。

私もその中で
道を
模索する。

魂が
笑ってるな。

つづく

激しい苦痛を伴った

理由もなく
慌てふためく
自分が
可笑しかった。

私は
私なりに
やってきた。

全力は
尽くしただろう。

なのになぜ、

言い訳をする
子どものような
気持ちに
なるのだろう?

私は
私の中に
まだ認識できていない
心があることを、

この時初めて
知った。

それは
私自身が
認めたくない心達。

見たくない
心達。

しかしもう
遅かった。

蓋はもう
半分以上は
開けられてしまった。

全身が
強張りながら
震えるのを
私は
恐怖と共に感じた。

パンドラの箱
という
言葉が浮かんだ。

もう
後戻りできない
のだと
思った。

すごい
拒絶感。

でももう
本当に
遅かった。

・・・

自己開放。

それは
多くの場合、

恐怖と拒絶から
始まる。

目の前の
クライアントさんが
こうなっている時、

私は
20年前の私を
思い出す。

あの時、
最後まで
目を開け続ける
ことができたのは、

なぜ
だったろう?

開放するときに
浮上する、
とてつもなく
醜い自分。

数々の
醜い心達。

あれは
拷問だった。

私は
私自身を
辱めた。

それでも最後に
立てたのは、

やはり
人生の願いが
あったからか?

それが何か

当時は
わからなかったが、

でも
願いのような
何かを

その時確かに
感じたからか?

ギリギリ
だったな。

みんなも
やっぱり
ギリギリ
なんだろうか。

自己開放。

他者が決して
サポートできない
その瞬間。

人生の
分かれ道。

今、
その手前にいる
人達は多い。

私にできるのは
覚悟の持ち方

教えること。

それだけ。

覚悟をもって
それに
向き合うかどうかは、

本人しだい。

孤独。

祈るしか
ないな。

つづく

私がいると混乱する

私が関わると、
混乱
が起こるようだ。

少しでもサポートを
始めると、

これまで何とか
微妙なバランスで
上手くやっていたこと

途端に立ち行かなくなる。

ごまかしが
効かなくなる。

崩れ始める。

だから
大概の人から
見れば、
私など
いい迷惑だろう。

蓋をしていた
もの達が
露呈し始める。

見ないように
していたことが、

せっかくの努力が

泡と化す。

怖い存在
なのだと思う。

最近は特に
そう思うようになった。

その代わり、

その混乱と
ちゃんと向き合い
越えていくことで、

一気に
本来の自分(もしくは組織)
へと
近づいていく。

余分なものが
一気に取り払われ、
本質的に
楽に進めるようになる。

でもそのように
混乱に立ち向かう
勇気と覚悟が
必要だ。

そういった
勇気と覚悟のない
人からすれば、

嫌な存在
なんだろうな、
私は。

だから、

そういった
勇気と覚悟のある
人のみを
サポートしようと
決めたんだ。
数年前に。

そうして
気づいたら、

私の周りには
若い人達が
一気に増えた。

私は基本、

若さとは
年齢とは関係ない

思っている。

どれだけ年齢を
重ねても
若い人はいる。

逆に、
それほど年齢を
重ねていないのに
若さを失っている
人も。

実年齢とは
別の次元で
私は「若さ」というものを
感じるのだが、

それでも気づけば
20代とか
30代前半の人達が
増えている。

私の周りの
その人達は、
果敢だ。

しかし
みんな怖がりだ。

健康的に怖がり、
そして
果敢に前に進もうと
する。

「現実」に
向かっていく。

だから
自己成長と
現実レベルでの成果が
一致してくる。

そうなると
本当の意味での
自信がつく。

そういった人が
年齢関係なく
増えるといいなと
私はいつも
願っている。

KANAME Academy卒業生
インタビュー(駒井さん)

https://itsudatsu.com/customer/mikito/

つづく

今こそこの問い

ここでまた
一つ
問いを投げよう。

このタイミング
だからこそ
効果のある
問いだ。

・・・

できるかどうか、

横に置いておいて、

純粋に
挑戦してみたい
ことは何?

・・・

純粋に思うなら、
今こそ
やってみることを
お奨めするよ。

つづく

一粒メッセージ

雨粒が
一つ、

天から
落ちてきた。

慌ててそれを
受け取る。

両掌に。

たった一滴の
小さな存在。

でもそれは
遥か彼方から
私のもとに
やってきた。

ここまで
くるのに
どんな道のり
だったのか。

小さな存在の
中の
大きな世界。

それを感じると、
強烈な
メッセージを
受け取った。

「準備完了!」

と。

なるほど。

じゃあ
始めよう。

つづく

痛いだろ

痛みには
敏感であれ。

敏感だからこそ
きめ細やかに
対応できる。

まずは

自分自身の
痛みを知ること。

私は今、
何が痛いのか?

を。

この痛みの
源は何か?

この痛みを
根本解決するために
必要なことは?

などなど。

痛みを治すことが
できるのは
自分だけ。

治すためには
気づかねば
ならない。

自分の痛みに
気づける人は、

人の痛みにも
気づくことが
できる。

だから、
本当の繋がりが
生まれる。

痛みに目を
瞑ったままの繋がりは、

信頼関係とは
到底言えない。

痛いことは
怖くない。

痛みに蓋をすること
こそ、

本当に怖いこと。

つづく

講座、始めます

落ち着いた
人だな。


思える
若い人が増えた。

私の周り
だけかも
しれないが。

ここで言う
落ち着く、
とは
もちろん良い意味だ。

勢いだけで
進むのでなく、

想いを大切に、

でも
一歩一歩を
ちゃんと踏み締めて。

一歩一歩を
ちゃんと感じて、

味わって。

そういった
進み方をしようと
決めている。

大したもんだよ、
その年で。

でも
そんな人達で
さえ、

まだまだ
自分が観えて
いない。

自分の本当の
力に
気づいていない。

だから
心から、魂から
サポートしたくなる。

だからまた
若い人向けの
講座を始めます。

これで
4期目。

今回は少しだけ
広い範囲で
募集してみよう。

試しにね。

募集ページが
できたので、
リンク貼ります。
↓↓↓
https://itsudatsu.com/kaname-academy/

つづく

立ち位置に迷ったら

もし
自分の立ち位置が
わからなくなったら、

自分のため

だけに
動いてみよう。

他はいっさい
考えない。

自分の素直な
想いのみに
従う。

思いきって
それをし続けることで
初めて
気づけることがある。

人によっては
これ
結構な勇気が
必要かもしれない。

でもね、

そういう人ほど
あえて
オススメするよ。

徹底的に
自分のために。

自分だけの
ために。

後先考えず。

結果的には
道を開き、
真の自分の立ち位置を
見つける、

最短の方法
かもしれない。

つづく

ここにいて大丈夫?

もっと
高い場所から
物事を
観てみよう。

まるで
人生全体を
俯瞰するように。

今、あなたは
人生における
旅路の、

どの場所にいて、

そこで
何をしている?

今、
本当にそこで
それを
していて大丈夫?

迷っている
ことは何?

状況に
惑わされず、

人生全体から
観て、
ここから本当に
進むべき道は
どれ?

今のままの
進み方で、
間に合う?

自分の人生を
生ききることは
できそう?

本当にやりたい
ことを
やりきることは
できそう?

人生の終わりに
後悔のない

完了感

を得られそう?

今のあなたは、
そのままの
あなたで
大丈夫?

つづく

それはメッセージだ

心の中に
点滅する何か

観えたら、

それは
合図だ。

その「何か」に
しっかり
意識を向けよう。

解釈を
せず、

ただ、
純粋なる意識を
向けよう。

点滅から
伝わってくる
メッセージ。

それは
自分自身の
真の声だ。

本当は
どうしたいか?

本当は
どちらに進みたいか?

本当は
何から離れたいか?

それらの
ダイレクトな
メッセージ。

それを受け取るのは
怖いかも
しれない。

しかし、
点滅している内
だ。

点滅が
消えてしまったら
もう遅い。

今ならまだ
間に合う。

しっかり
自分自身からの
メッセージを
受け取ろう。

つづく

また最初から

やっとのことで
山頂に立ったとしても、

そこまで行って
それが自分の目指していた
山ではなかったと
わかる。

そんなことは
良くあることだけど。

結局、意味がなかった

思われがちだが、

そんなことは
ない。

どのような山だと
しても、
山頂まで行くこと
自体が
素晴らしい。

たとえ
本来の山とは
異なっていても、

そこまでの
プロセスと
達成したことで得られる
数々のもの、

次の歩みに
間違いなく貢献して
くれる。

やりきる、
ことだ。

やりきって
初めて
わかることがある。

だから
やりきった自分を
まずは
褒めてあげよう。

さぁ、そして
しっかり褒めた
上で、

次だ。

もう一度、
山を下り、
スタート地点に
戻るのだ。

ここを中途半端に
するから
いけない。

ちゃんと
下りきって

初めの一歩

から
やり直しだ。

その潔さを
持つからこそ、

ここまでの経験が
活かされる。

初めの一歩

戻ることは、

後戻りでは
ない。

次のステージに
進むことだ。

やりきった
からこそ、
次に進める自分に
なれたんだ。

つづく

洞穴から出れない

洞穴の中に
入り込んで、
出てこれなくなっている
人がいる。

自ら
入ったのに、
出口を忘れて
しまったのだ。

外に出よう
という
意志はある。

しかし
そう焦れば焦るほど
どんどん
深みにはまっていく。

本当は、

この洞穴は
自分が創り出したものだ

自覚をするだけでも
良いのだ。

それだけで、
目の前に
出口は現れるだろう。

もっと言えば、
それは
洞穴のように
見えているだけの、

ただの
幻影だ。

自分自身が
創り出した幻影に
自分が
惑わされている。

何が幻影で、
何が実在か?

それを区別
できるように
なるには、

すべては
自分が行なっていること、

すべては
自分が創り出したもの、

という
真理、・・・というよりも事実
を、

素直に受け入れる
ことだ。

つづく

このタイミングだ

人生には
いろんな岐路
がある。

どの選択を
するか?

・・・はもちろん
大切だが、

いつ決めるか?

・・・は
もっと大切では
ないか、

いつも思う。

決断の
タイミング。

同じ選択でも
タイミングが
ズレれば、
必ず
不調和が起こる。

真本音度が
高まる
ということは、

そのタイミングが
掴めるようになる
ということだ。

ちょっとあえて
極端な言い方を
すれば、

真本音は
環境は選ばない
(こだわらない)
が、

タイミングは
とても精密に
選ぶ。

1秒も
ズラさないように
する、
というのが、

真本音の
特徴だ。

タイムマネジメント
の本質は、

タイミングマネジメント
だ。

つづく

暴れる自分

心の中で
暴れるものが
あるならば、

それを
しっかり
直視しよう。

「暴れる」
ということは
自分を見てほしい
のだ。

見つめて
ほしいのだ。

自分の心が
自分自身に
求める存在承認だ。

暴れている
自分の心を

もし可能なら、

大らかに
見つめよう。

もし難しければ、

震えながらでも
良いので、

向き合おう
という
姿勢を示すだけでも。

暴れる心は
怖いものだ。

もともと
怖くて見れない
からこそ
暴れているのだから。

しかし
あくまでもそれは
自分自身の心
だ。

他人ではない。

だからちゃんと
向き合おう。

自分を
大切にしたい
なら。

自分自身と
向き合わずして、

自分の望む人生など
創り出せるわけが
ないのだから。

つづく

落ちていく

自分は今、
落ちていっている

思うなら、

その感覚を
消してはならない。

落ちる感覚。

それに
素直であろう。

人間、
落ちるときも
あるさ。

落ちるのは
人の宿命、
とも言える。

一度、
落ちなければ
理解できないことも
ある。

落ちることが
必須とは
言わない。

でも、
もし自分が
落ちているなら、

それを
誤魔化すのだけは
やめよう。

誤魔化しは
一番、キツい。

そのキツさに
どれだけ蓋をしても、
後々、結局は
その蓋は取れてしまう。

そうすると
ツラさも
数十倍だ。

素直で
いよう。

どうせ
落ちるなら、
ちゃんと
底まで。

大丈夫。

人には
「底」
がある。

「底」まで
落ちれば、
あとは
浮上するしかない。

つづく

期待しちゃうだろ

自分の期待値が
高過ぎると、

期待通りに
いかない

という現実の
前で
失望をしてしまう。

だからそもそも
期待はするな、

というのが
本来だと
私も思う。

期待するよりも
粛々と
自分のすべきことを
やり続ける。

それが
本質。

それを重々、
わかった上で、

しかしそれでも
期待したくなる
ことがあるだろう。

どうしても
止めても止めても
期待してしまう。

であれば、
徹底的に
期待してしまおう。

中途半端
でなく、

とことん
「こうなるといい」
「こうなるだろう」
「こうなると最高だ」
と。

そしてもう
そうなることが
当然である
とばかりに

その気になって
一直線に
進んでみれば
いい。

それで
上手く行くかどうかは
わからない。

しかし、

たとえ上手くいかなく
ても、

ガックリと
心の根底から
失望しても、

そこまでの徹底した失望は
むしろ
すがすがしい。

そのすがすがしさ、
潔さ。

それを何よりも
自分自身が
一番よくわかっている
ので、

そういう人は実は
立ち直りも
早い。

やりきった
感。

それがあるか
どうか、だ。

だから
「期待する」
という行為も、

やりきった感
が出るくらいまで、

徹底的に。

つづく

順序ですべて変わる

物事には
順序がある。

その順序を
本人が
真本音で決める。

結局、私がずっと続けている
サポートとは
そういうことではないか、

最近はよく思う。

同じことを
やるにしても、

順序が変わる
ことで、
展開の仕方が本質的に
変わる。

本来は
スムーズに行くはずなのに、
順序を少しだけ

・・・ほんの一部分だけ

変えるだけで
それが頓挫すること
さえある。

私達の真本音は
最善の選択
をし続ける。

どんな進み方が
あらゆる調和を
起こし、高めるかを

現実を
あるがままに
観ながら

判断する。

順序と言っても
「答え」があり、
その通りに行けば良い
ということではない。

現実と理想の
狭間で
都度、変更を加えなければ
ならない。

そういったことも
含めて、

順序をしっかり
決める。

真本音で。

これで人生の
進み方は
根本的に変わる。

つづく

急ぐな&急げ

ゆっくりゆっくり
進まなければ
ならない時が
ある。

「とにかく急げ」
という気持ちを
ゼロにすべき
時が。

丁寧に
一歩一歩。

着実に
土台の上に
土台を重ねる
ように。

ここを怠ると、
後々に
大変な目に遭う。

やはり、
土台は
大事だ。

自分のビジョンに
向かおうと
するならば。

大事なビジョンで
あればあるほど。

ただし、

土台が既に
できているのに
スピードアップ
しない人もいる。

土台があるのに
進まないのならば、
その土台は
あっという間に
腐っていく。

丁寧に
進む時か。

まっしぐらに
進む時か。

そのメリハリ
だな、
人生は。

つづく

教えなきゃいかん

人には、
丁寧に教えなければ
ならない時が
ある。

あまりに
知らなさすぎる
から。

知らないことを、
「そんなことも
知らないのか」

済ましてしまうと

何も進まない。

例えば、
2歳の子に
自分の人生を
自由に生きなさい、
と言っても
何もわからない。

極端に言えば
そのようなことを
やってしまうことが
ある。

こちらが
思っている以上に
わかっていない、

という状態に
ある人は多い。

ちゃんと
教えなければ
ならない。

丁寧に丁寧に。

その段階を
超えて
初めて、

コーチング的
コミュニケーションは
機能するようになる。

つづく

悲しみの道

自分の悲しみに
素直な人は
いいね。

ちゃんと
悲しみ、

それを
引き受け、

そして
次に進む。

どれだけ
悲しんでも、

私達の前には
私達の道が
ある。

そこを
進まなければ
ならない。

宿命。

人の宿命。

私達は
人だから。

人は
悲しむもの。

例外は
ない。

悲しみは
苦しいもの。

それも
例外はない。

だから皆、
向き合わなく
なる。

そして
自分の知らない
ところで、
悲しみの湖が
溜まっていく。

私のクライアントさんは
深い悲しみを
心の奥に湛えている
人が多い。

まずはそれらと
向き合うところから
いつもスタートする。

悲しみを
苦しみとして
きちんと感じきる。

それは
辛いことだが、
それをする人が

真本音の道と
出会えるんだな。

これもまた
宿命。

つづく

真の怒り

真本音の怒り
というのが
ある。

許しては
ならないことが
ある。

そこで許せば、
それにより、
あらゆる不調和が
発生する。

当然、
怒られないことで、
その張本人の人生も
不調和が
より一層、濃くなる。

反応本音のみによる
感情は、
だいたい、意味のない
確執を生む。

しかし
真本音の怒りは、
ちゃんと
丁寧に
誠実に
ぶつけること。

相手に
ダイレクトに
向かい合って。

これが
愛だ。

愛の一つの
カタチだ。

つづく