コーチ募集

講座、始めます

落ち着いた
人だな。


思える
若い人が増えた。

私の周り
だけかも
しれないが。

ここで言う
落ち着く、
とは
もちろん良い意味だ。

勢いだけで
進むのでなく、

想いを大切に、

でも
一歩一歩を
ちゃんと踏み締めて。

一歩一歩を
ちゃんと感じて、

味わって。

そういった
進み方をしようと
決めている。

大したもんだよ、
その年で。

でも
そんな人達で
さえ、

まだまだ
自分が観えて
いない。

自分の本当の
力に
気づいていない。

だから
心から、魂から
サポートしたくなる。

だからまた
若い人向けの
講座を始めます。

これで
4期目。

今回は少しだけ
広い範囲で
募集してみよう。

試しにね。

募集ページが
できたので、
リンク貼ります。
↓↓↓
https://itsudatsu.com/kaname-academy/

つづく

やはりコーチが必要だ

 

自分自身のことを

深く憤っている人が

増えている。

 

そのストレスたるや

半端ない。

 

それはある意味、

真本音レベルの

憤りだ。

 

「なぜ私は、

私の望んでいる通りに

動かないのだ」

 

「なぜ私は、

本当はやればできるのに

やろうとしないのだ」

 

「なぜ私は、

本当の想いに目を向けず、

どうでもいいことばかりに

意識を向けるのだ」

 

「なぜ私は、

本当に向き合うべき人から

逃げ続け、

自己満足だけで人と

関わるのだ」

 

「なぜ私は

根拠のない不安ばかりに

意識を向け、

進まない理由に

し続けるのだ」

 

・・・

 

あえて言葉にすれば

そういったことに

なる。

 

一言で言えば、

 

「本来の道に

進もうとしない自分」

 

を、心の底から

憤っている。

 

そのストレスは、

「ストレス」の臨界を

越え、

「エンティティ」という

実体となっている。

 

それは「生き霊」とも

言える念の塊

だ。

 

そういった人と

向き合うと、

エンティティ達が

ワッとこちらに

襲いかかってくる。

 

あまりにひどい場合は、

それは「殺意」の

ようにも感じられる。

 

自分への憤りの

度が過ぎて、

自分自身への殺意に

すらなっているのだ。

 

しかもそのことを

本人(の顕在意識)は

知らない。

 

自覚して

いないのだ。

 

苦しみも

限界を越えると

麻痺するからだ。

 

・・・・・・

 

世の中全体の

真本音度合いは

間違いなく

高まっている。

 

特にこの1〜2年の

上昇率は

これまでになかった

ものだ。

 

だからが故

なのだろう。

 

人々の真本音が

浮上しやすくなった。

 

真本音が浮上する

ということは、

これまで決して

気づかなかった

自分の本当の願いに

気づきやすくなった

ということ。

 

これまでは

願いに向かわなくとも

自分で自分を

ごまかし続ける

ことができた。

 

しかし今はもう、

たとえ無意識で

あろうとも、

何となく皆、

わかっているのだ。

 

自分の本当の

願いを。

 

自分の人生の

願いを。

 

だからこそ、

そこに向かおうとしない

自分自身をもまた

よくわかっている。

 

だからこその

憤りの大きさ

だ。

 

・・・・・・

 

時代は

変わった。

 

私が

「真本音の時代」

と呼んでいる時代には

6年前には

入っていたのだが、

 

ようやく世の中は

その自覚を

し始めている。

 

自分の本当の

願いに向かい

生きる、

のは

人として当たり前の

ことだ。

 

自然な

ことだ。

 

しかしその

当たり前のことを

私達はしてこなかった。

 

その当たり前が

できないのが人生だ、

くらいに

思い込んで生きてきた。

 

その癖と

本当の願いとの

せめぎ合いが

今、だ。

 

ごまかしてきた

ことが

ごまかせなくなる。

 

その傾向は

今後ますます

強まっていくだろう。

 

だから

自分の癖に

執着している場合

ではない。

 

早く、

自分自身に

素直になってほしい。

 

しかしそれは

とても怖い

ことなのだろう。

 

だからこそ

そのサポートをする

人が必要だ。

 

「コーチ」が

必要な時代だ。

 

真本音で生きる

ことを

ちゃんとサポート

できる

「コーチ」が必要だが、

 

今はその数が

あまりにも

少ない。

 

でもその素養を

持った人は

確かに

たくさんいる。

 

特に

若い人達には

多い。

 

もう私も

51歳だ。

 

私が最前線でやり続ける

べきではない。

 

早く私は

多くの若い人達に、

本物の「コーチ」の力を

伝授したい。

 

「伝授」と言うと

おこがましいが、

 

でもあえて

言う。

 

ちゃんと

伝授したい。

 

丁寧に

伝授したい。

 

つづく

 

もっと素直になればいい

 

自分の中から

真本音の想いが

浮上し、

顕在化しているにも

関わらず、

 

「こんな気持ちを

現してはダメだ」

 

と、

その想いを

必死に抑えながら、

 

違った自分を

懸命に出しながら

仕事に向かっている

人がいる。

 

多い。

 

実に

もったいないねぇ。

 

その想いに

素直に動けば、

すべてが

調和を始めるのに、

 

その人は

「この想いは

混乱しか生まない」

信じてしまっている。

 

真本音の想いに

素直に動くことは

俗にいう

「わがまま」

ではない。

 

なぜなら

真本音は皆、

つながっているから。

 

自分の真本音の

想いと

自分以外の人の

真本音の想いは

つながっている。

 

一人が

その想いに素直に

動けば、

隣の人も

真本音が活性化

する。

 

その人がまた

素直に動けば、

さらに隣の人の

真本音も活性化する。

 

その連鎖が起き、

組織は

完全調和へと

向かっていく。

 

「わがまま」とは

たくさんある反応本音の中の

たった一つの想いに

執着し、

それを頑なに、強引に

押し通すこと。

 

反応本音は

残念ながら

他の人とは

つながっていない。

 

だから

「わがまま」

となる。

 

真本音と

反応本音の

区別がつくように

なると

本当にいい。

 

本当に

楽になる。

 

個人も

組織も。

 

そんな世の中に

したい。

 

そのために

今は「コーチ」が

必要なんだ。

 

真本音サポート

のできる

「コーチ」が。

 

つづく

 

やはりここが原点だな

 

嬉しいことが

あると、

 

悦びのあまり、

内側から

凄いエネルギーが

湧いてくるが、

 

最近の私の

それは、

ちょっと尋常ではなく、

 

自分を

見失いそうに

なる。

 

今日も

嬉しい日だったのだが、

少しの時間、

私の顕在意識は

私自身の

エネルギーの中に

埋没してしまった。

 

注意せねば。

 

エネルギーが

出ること自体は

良いことなのだが、

 

そのエネルギーを

自らコントロール

するのではなく、

 

エネルギーの

放流に

呑まれてしまうと、

気がつけば

単なる

イケイケどんどん

になってしまう。

 

イケイケどんどん

のまま

行動すれば、

その時は

気持ち良いのだが、

 

あとで必ず

その反動が来る。

 

これは恐らく

私だけのことでは

なく、

すべての人が

そうなのだと思う。

 

気持ちが良い時

ほど、

自分のコントロールが

効かなくなる。

 

ここを

乗り越えることも

我々人間の

テーマの一つだ。

 

エネルギーが

高まれば

ガンガン進み、

 

エネルギーが

静まれば

止まってしまう。

 

その不安定さから

抜け出ることが

人生に調和を

もたらすし、

 

そこを私達の

真本音は

望んでいる。

 

・・・・・・

 

とは言え、

 

悦びは悦び

として

感じ取ろう。

 

以前にも

書いたことがあるが、

 

悦びによって

発生するエネルギー

は、

しっかりそれを

噛み締めながら、

 

自分の体の

中心に

大切に抱く

ようにしよう。

 

すると、

ずっと体の中心から

あたたかさが、

 

トツトツと

全身に

行き渡り続ける。

 

そのあたたかさは

私達を

安定させてくれる。

 

実は

この状態にするまでが

今日の私は

とても苦労したのだが、

今は

落ち着いている。

 

私の悦びの

多くは、

 

人の進化を

感じたときだ。

 

特に、

その人の進化が

具体的な形となって

現れたときだ。

 

それが今日、

あったものだから、

とても

嬉しかった。

 

・・・・・・

 

悦びのエネルギー

自分の中心に

抱いたら、

 

そんな時こそ、

自分の「願い」

について

思いを巡らせよう。

 

今、

改めて私は

「コーチ」を

増やしたいと

思う。

 

本物の

「コーチ」を。

 

ただし

私の言う「コーチ」

とは、

 

別に「コーチ」と

名乗らなくても

いい。

 

プロが増えれば

増えるだけいい、

とは思うが、

 

プロになるかどうか、

にこだわらなくても

いい。

 

ただ、

人や組織の

「人生」を

「進化」を

「道」を

本質的にしっかりと

サポートできる

「コーチ」を

発掘し、

育成したい。

 

日本にとどまらず、

世界中で。

 

エネルギーが

高まれば高まる

ほど、

 

やはりその原点に

戻るのだな、

思う。

 

つづく

 

幻影の中で生きるのか

 

心の中の現実を

私は

『実在』

と呼んでいるが、

 

心の中には

現実ではないものも

存在している。

 

それを

『幻影』

と呼ぶことにしている。

 

つまり心の中には

「実在」

「幻影」

の二つがある。

 

残念ながら

ほとんどの人は

この二つの区別が

ついていない。

 

しかし本当は

この二つはまるで

 

本物の青空

 

 

絵の具で描いた青空

 

くらいの差があり、

それくらいの

違いがわかるはずなのだ、

私達人間は。

 

本来は。

 

・・・・・・

 

私の言葉で

表現すれば、

 

実在のことを

「真本音」

 

幻影のことを

「反応本音」

 

と言う。

 

真本音とは

実在であるので、

確固たるものだ。

 

どのような状況でも

揺らぐことはない。

 

しかし

反応本音は逆に

幻影であるだけに

すぐに

揺らぐし、

消える。

 

確固たる度合いを

比喩的に表現すれば、

 

真本音は

地球。

 

反応本音は

雲。

 

くらいの違いがある。

 

雲は確かに

その瞬間は現れるし、

時には大きくなるが、

 

必ず

いつかは消えていく。

 

掴もうと思っても

掴めない。

 

乗っかろうと

思っても

乗っかれない。

 

それだけ

不確かなものだ。

 

ところが、

雲に一度巻かれて

しまうと

何も見えなくなる。

 

例えば、

怒り、という反応本音に

巻かれてしまうと

怒り以外のものが

見えなくなってしまう。

 

そしてそのまま

雲(怒り)に巻かれた状態で

私達は

次の自分の言動を

起こす。

 

本当は

地球はあるのに。

 

いつだって。

 

本当は

私達は地球に

いるのに。

 

それすら

わからなくなる。

 

地球にいることを

思い出せば、

私達は本当は

自分が何を望んでいるか

も思い出せる。

 

しかし

忘れたまま

生きていく。

 

幻影に

巻かれたまま

生きていく。

 

たとえ

一つの幻影から

抜け出ても、

次の幻影に

巻かれる。

 

幻影から幻影に

移り変わるだけ。

 

地球を思い出さずに

幻影の中のみ

を移り変わるだけ。

 

そのような状態で

生きている人が

残念ながら

ほとんとだ。

 

幻影に巻かれて

行動を決める、

ということは、

 

幻影に基づいた

心の外の現実

(これを現象という)

を創り上げることに

なる。

 

幻影に基づいた

現象を創るということは、

 

当然であるが、

 

実在の望む現象とは

別の現象を

生み出すことになる。

 

ここに、

「実在と現象の不一致」

が起こる。

 

そして

その不一致によって

さらなるストレスが

発生し、

 

それが心の中に

大量の「苦しみの幻影」

を巻き起こす。

 

そして私達は

その「苦しみ」からさらに

次の行動を

決めてしまう。

 

そのサイクルを

延々と続ける。

 

それが人生であると

思い込みながら。

 

・・・・・・

 

そのサイクルから

抜け出ていただく

のが、

私のサポートの

第一段階だ。

 

ちなみに、

第二段階は、

抜け出た後に今度は

望む現実(現象)を

創り出していく。

 

それによって

 

「実在と現象が一致」

 

する。

 

これが私のサポート

の本質であり、

 

私はこのような

サポートのできる人を

「コーチ」

と呼んでいる。

 

「実在と現象を一致させる」

ためのサポート力。

 

これを修得していただく

ための場を

春くらいを目処に

立ち上げようと

思っている。

 

それは恐らく

一つではなく、

いくつかの

バリエーションを持たせて。

 

まだ現時点では

明確ではないが、

すでに準備には

入っている。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

現実には二つある

 

「世界」とは

二つある。

 

一つは、

「心の内の世界」、

 

もう一つは、

「心の外の世界」。

 

そして

それぞれに

「現実」

がある。

 

心の内の現実

のことを

私はいつも

「実在」

と呼んでいる。

 

心の外の現実

のことを

私はいつも

「現象」

と呼んでいる。

 

一般的には

心の外で起きていること

(つまりは「現象」)

のことを

「現実」と

呼んでいるのだろうが、

 

今書いたように、

「現実」は

心の外だけで

起きていることでは

ない。

 

この視点がないから

「現実」を変えることが

極めて困難になる。

 

私が大事にしている

サポートとは、

 

心の内と外の

二つの「現実」を

 

一致させる

 

ことだ。

 

心の外の現実

(つまり、現象)

のみを

上手くいかせようと

皆、し過ぎている。

 

たまたま

上手くいくかも

しれないが、

 

しかしそれにより、

心の内と外が

不一致になる可能性が

高い。

 

この「不一致」が

あらゆる

不調和を起こす。

 

実は、

「不一致」による

ストレスが

私達人間にとって

最もキツい。

 

現実(この場合は、現象)が

上手くいっているのに、

本人はそれほど

幸せでなかったり、

 

物事が上手く

進んでいるのに、

疲労感・疲弊感ばかりが

高まっていくのは

そこに原因がある。

 

心の内の状態が

悪ければ、

心の外の状態も

悪くなる。

 

心の内の状態が

良ければ、

心の外の状態も

良くなる。

 

これが

「健康」

ということだ。

 

心の内の状態が

良くないのに、

心の外の状態のみが

良くなっていく。

 

この状態に

なっている人や組織

を、

私は最も

「危険」

とみる。

 

そのため、

私が行なっている

サポートには

大まかには

次の二つの段階が

ある。

 

①心の内を良い状態にする。

 

②心の外を良い状態にする。

 

つまり、

心の内の状態を

整えた上で、

それが心の外に

反映するように

する。

 

これを

一言で表現すれば、

 

『実在を現象化する』

 

となる。

 

これさえできれば、

もう私のサポートは

要らないのではないか、

 

とすら

私は思っている。

 

・・・・・・

 

以上の話に

「真本音」

という言葉を絡めると、

次のようになる。

 

①心の内の

真本音度合いを

高めた上で、

 

②心の外の

真本音度合いを

高める。

 

ということだ。

 

つまり、

「真本音度合い」

という尺度には

2種類ある

ということだ。

 

①を

「潜在的真本音度合い」

 

②を

「顕在的真本音度合い」

 

私は呼んでいる。

 

心の内の真本音度合いを

高める、とは

どういうことか?

の詳細については

また改めて

書かせていただくとして、

 

人は、

まずは心の内が整えば、

かなり元気になる。

 

しかし

本当の元気さとは、

それがちゃんと

心の外に反映する

ことだ。

 

つまりは、

心の内にある

本当の想いに基づき、

 

それを

行動に移し、

結果を出す。

 

それが

できるように

なってこそ、

本当の元気さ、

永続的な元気さ、

つながっていく。

 

ところが、

②は

勇気が要る。

 

①までは

できたのに、

②で止まってしまう

人がいる。

 

私が最近

「進め!」

と言っているのは、

 

②をせよ!

 

ということだ。

 

要するに、

「行動せい!」

ということだ。

 

①だけで

気持ちよくなって

満足するな、

と。

 

そして当然であるが、

②までをサポート

できる「コーチ」が

必要だ。

 

そしてさらに

当然であるが、

 

そのためには

コーチ自らが、

自身の人生において、

②までが

できていなければ

ならない。

 

①しか

できていないのに、

 

もしくは、

①すら

できていないのに、

 

「私は人のサポートを

します」

 

と言っている人が

多過ぎはしないか。

 

そういった

コーチによるサポート

を受けた人は、

 

①すらどんどん

ひどくなっていく

のだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

私達には役割がある

 

世の中は、

自分一人だけでは

力及ばぬこと

ばかりである。

 

私には

「できないこと」

ばかりである。

 

「できないこと」

というのには

二つの要素がある。

 

「能力的にできない」

ということと、

「やってはならない」

ということだ。

 

そしてこの二つは

完全に

つながっている。

 

私達には

「役割」

がある。

 

それは私達自身が

真本音で

決めている。

 

自らの本当の役割を

見つけ出すことが

人生の最初の

目的だ。

 

そして

その「役割」を

全うするために

私達は皆、

先天的な能力を

持ち合わせている。

 

これをつまりは

「才能」

と呼ぶ。

 

「才能」とは

少しの努力で

ぐんぐんと伸びて行く

力を言う。

 

しかし

面白いことに、

どれだけ優れた

「才能」があっても、

 

それを

使わなければ

それは

まったく発揮されない。

 

だから

自分の「才能」に

気づかずに

人生を終えてしまう

人も多い。

 

多い、

と言うか、

びっくりしないで

いただきたいのだが、

私の現場感覚では

9割以上の人が

自らの「才能」に

気づいていない。

 

そして

「才能」以外の部分を

必死に努力して

伸ばしながら

生きているし、

仕事をしている

という現状がある。

 

だから私の

「コーチ」としての

目的の一つは、

 

その人の

「才能」を見出すこと。

 

そして

その人の真本音が

望む「役割」

を見出すことだ。

 

組織において、

(組織外でも同じだが)

その「役割」と「才能」が

合致し、発揮されれば、

 

そういった人達が

増えれば、

間違いなくその組織は

「調和」する。

 

そして

「進化」を始める。

 

それが如実に

「数字」となって

現れる。

 

・・・・・・

 

「才能」は

見つけ出さねば

発揮されないが、

 

見つけ出すだけ

ではダメだ。

 

次は、

それを伸ばす努力

が必要だ。

 

「才能」は

努力をすれば

すぐに伸びるが、

 

努力もしなければ

まったく伸びないように

できている。

 

まったく

人間というのは

面白い。

 

「才能」が伸びるように

努力するということは、

イコール、

その「才能」に見合った

「役割」に挑戦する

ということだ。

 

その「役割」を

担うのが

私達の人生の望み

であり、

真本音の望みなので、

 

要するに、

真本音に素直に

生きることで、

「役割」を見つけ、

「才能」も掘り出される。

 

その結果、

 

・自分がすべきこと

・自分がすべきではないこと

 

が自然に

明確になる。

 

組織も社会も

ここが混乱している

ので、

不調和が起きてしまう。

 

一人一人が

真本音で望む「役割」を

しっかりと担えば、

組織も社会も

自然に調和する。

 

つまり、

本当に面白いことだが、

 

「この組織を

こうするために

人をどうするか?」

 

という方向で

考えるよりも、

 

「この人を

本当に活かすために

どうするか?」

 

を出発点にする

ことで、

 

自然に組織は

進化して行く。

 

組織とは

人の集まり

だからだ。

 

この原則を

実践しているのが、

私のサポートの

真髄だと言ってもいい。

 

私は

こういった「コーチ」を

育成したいのだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

人生の本流を見出そう

 

私には

やりたいことが

山のようにある。

 

だからこそ、

一本道を

創っている。

 

たくさんのことに

エネルギーを

分散するよりも、

 

常に

「一点」を

決める。

 

というのを

基本にしている。

 

一点を決めると、

自然に

一本道が

観えてくる。

 

まるで

川の水が

流れるかのような

一本道が。

 

川には

至る所に

岩や障害があり、

 

そこでは

水はせき止められて

いたり、

濁流を生んだり

しているが、

 

そういった箇所には

できるだけ

寄らない。

 

水が最も

スムーズに流れる

「本流」を

見つける。

 

つまりは

最も楽な行き方

を見つける。

 

最も

楽だと思える

道筋で、

最も

集中すべき

ことに

集中する。

 

これを私は

「戦略」

と呼んでいる。

 

「戦いを略す」。

 

要らぬ戦いを

せずして

目的に至る

最善の道だ。

 

・・・・・・

 

人生には

戦略が必要だ。

 

人の成長(進化)

にも

戦略が必要だ。

 

最も楽な

行き方をするから

こそ、

 

最も大事な

課題に

全エネルギーを

集中できる。

 

それにより

「最速」

で進める。

 

もちろん

今の自分に出せる

「最速」

だ。

 

・・・・・・

 

最速で進む

には

「覚悟」が

必要だ。

 

その「覚悟」を

持った人には

私は

「戦略」を

オススメしている。

 

実際に、

覚悟のある人

こそ、

戦略が

生きてくる。

 

覚悟とは

気合いのことでは

ない。

 

いつも言うことだが、

覚悟のある人は

静かだ。

 

スッキリクッキリと

物事が

観えている。

 

そして

淡々と

すべきことを

している。

 

あーだこーだと

できない理由を

並べ立てることは

しないし、

 

力を鼓舞する

こともない。

 

一つを決め、

一つをやる。

 

その連続を

まるで呼吸の

ように

進めていく。

 

その行き方と

戦略が

合致すると、

 

その人は

独特の空気感を

発する人

となる。

 

その人と

一緒にいるだけで

こちらの心は

洗われ、

 

その人と

一緒にいるだけで

こちらの道も

観えてくる。

 

余分な悩みや

迷いは消散し、

自分がなぜ

あんなことで

ウダウダと止まっていたのか、

わからなくなる。

 

心も体も

楽になるが、

背中に一本の軸が

通ったような

爽快さも感じるように

なる。

 

つまり、

その人と一緒に

いるだけで、

周りの誰もが

「自律」し始める。

 

・・・・・・

 

そんな

「リーダー」

を増やすために

私はサポートを

しているし、

 

そんな

「コーチ」

を私は

たくさん育成したい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

ちゃんと壊すから次に進める

 

私は恐らく、

とても厳しいコーチ

なんだと思う。

 

厳しいと言っても、

怒鳴ったり

けなしたり

するわけではない。

 

しかし

ある時ある瞬間に、

躊躇なく

クライアントさんの

「すべて」

壊すことがある。

 

ただし当然だが、

本当に

「すべてを壊す」

のではない。

 

その時のクライアントさん

ご本人が

「これが私の

すべてである」

と思い込んでいるもの

を壊す

のだ。

 

しかし

側から観れば

そうなのだが、

クライアントさんご本人に

してみれば、

たまったものではない。

 

すべてを

完全否定される

以上の

ショックや衝撃、

そして

痛みを感じるだろう。

 

・・・・・・

 

これを

中途半端に

相手をフォローしながら

上手くやろうとする

人がいる。

 

しかし

そのサポートは

逆に危険だ。

 

やる時は

一気にやる。

 

のが

実は一番

安全だ。

 

中途半端に

やれば、

壊れるべきものが

中途半端に

残ったままになる。

 

それはある意味

ゾンビのような

状態だ。

 

その状態で

中途半端にまた

生き返ろうと

してしまう。

 

しかし当然

生き返れない。

 

で、

その状態で

苦しみ続ける。

 

これが

一番きついことだと

私は思う。

 

壊すべき時は

一気に

完全に

壊す。

 

これが

次に進める

最善のやり方だ。

 

しかしそのためには、

それをやる側の

「コーチ」の覚悟

がいる。

 

しかもその覚悟

とは

エイヤッという

気合いや

勢いによるもので

あっては

ならない。

 

目を瞑って

我を忘れて

行なうものであっては

ならない。

 

壊すこちらも

「痛み」を一緒に

伴わねばならない。

 

これがなかなか

できない。

 

ここまでできる

「コーチ」に

残念ながら

私はまだ出会った

経験がない。

 

だから

これができる

「コーチ」を

私は育成すると

決めている。

 

・・・・・・

 

「壊す」ためには

もう一つ重要な

ことがある。

 

それは

「タイミング」

だ。

 

大雑把に言えば、

「もう壊しても

この人は大丈夫だ」

という

タイミングまで

「待つ」

のだ。

 

壊すことで

その人が本当に

壊れてしまっては

ならない。

 

その人が

「すべてだと

思い込んでいるもの」

を壊しても、

 

そのすぐ後に、

「新たなその人」

であり、かつ

「本来のその人」

浮上できる、

・・・という

その状態になるのを

待たねばならない。

 

そこまでに

結構時間が

かかってしまう。

 

しかも

その状態になれたら、

「すぐさま」

壊さねばならない。

 

その

「新たなその人」

であり

「本来のその人」

は、

すぐに引っ込んで

しまうからだ。

 

つまり、

「本来のその人」

「芽」

が出始めたところで

壊すのだ。

 

この

「タイミング」

こそが

命かもしれない。

 

・・・・・・

 

で、

以上のことを

ぶっちゃけて

一言で表現すれば

こうなる。

 

「真本音度合いを

高め、

強くなったところで、

その人を壊す」

 

・・・だ。

 

まだ弱いうちに

壊してしまうと

本当に壊れてしまう。

 

だから

強くした上で

壊す。

 

要するに

そういうことだ。

 

表現だけ見れば

とても怖い感じだ。

 

しかし私は

これこそが

「コーチング」の本質

であると

思っている。

 

人を壊す

覚悟を持っている

人は、

自分を壊す

覚悟をも常に

持ち合わせている

人だ。

 

そんな人に

私は

「コーチ」を

目指してほしい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

我に返るのが始まりだ

 

人生の選択に

迷ったら、

できるだけ

遠くを

観てみよう。

 

視野をできるだけ

大きく

取るのだ。

 

私は常に、

3年後の自分と

30年後の自分と

対話をし続けて

いる。

 

もちろんそれは

セルフコーチングの

一種であるので、

自己対話を

しているに過ぎない

のだが、

 

それでも

遠くを見つめれば、

 

そして

遠くの視点から

今を見つめれば、

 

我に返る

ことができる。

 

大事なのは、

我に返る

ことだ。

 

・・・・・・

 

常に

我に返った状態で

一歩一歩を

進めば、

 

それほど

間違えることは

ないし、

後悔もなくなる。

 

ほとんどの人は

我を忘れた状態で

がんばっている。

 

我を見失った

状態で

選択をしてしまう。

 

だから

後悔する。

 

という実に

単純明快な

理由がある。

 

いつも私は

「真本音に素直に

行こうよ」

と言うが、

 

これは

「我に返って

進もうよ」

と言うのと、

 

本質的には

同じことだ。

 

・・・・・・

 

そして、

当たり前のことだが、

 

我に返った

状態で

未来を描けば、

 

自分の本当に

望む未来を

設定することが

できる。

 

我を失った

状態で

未来を描けば、

 

それは

本当の願いとは

ズレを生じさせ、

未来に向かえば

向かうほど

ストレスが発生

する。

 

そういったビジョンを

描いている人が

多過ぎる。

 

・・・・・・

 

しかも、

常に我に返って

いれば、

その「我」は

急成長する。

 

つまりは

次元が上がって

いく。

 

最初は

単なる「我」で

あったのが、

 

しだいに、

「我」が大きく

なって行く。

 

我を大事にする

とは、

自分個人を

大事にすることでは

なく、

「すべて」を大事に

することである、

 

ということを、

努力するでもなく

当たり前のように

思えるようになる。

 

それを要するに

「器が大きくなる」

と言う。

 

「器を大きくしなきゃ」

では

器は大きくならない。

 

気合いの問題でも

真面目さの問題でも

ない。

 

我に返って

我を大事にすることで、

自然に

器は大きく

なってゆく。

 

「あいつは

人のことを考えない。

だから、

人のことを考えるように

させなきゃ」

 

では、一向に

その人は変わらない。

 

我に返り

我を大事にする人

でなければ、

本当の意味で

人を大事にすることは

無理なのだ。

 

それが

摂理であり、

 

それをよく

わかっている人が

本当のサポートが

できるのだと

私は思う。

 

「コーチ」は

誰よりも

器が大きくなければ

ならない。

 

そのためには、

誰よりも

我を大事に

していなければ

ならないのだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

情に流されるな

 

私はかつて、

情にもろい

人間だった。

 

情に揺らされ、

情に流された。

 

私達は人間なので、

もちろん

情はある。

 

それは

大切にすべきもの

だし、

自然に大切にしようと

している人も

多いだろう。

 

しかし、

情を大切にする

ことと

情に流される

ことは

根本的に違う。

 

昔の私は

情に流されることで

随分と

人生の遠回りを

してしまった。

 

恐らく

「コーチ」をする

ということに関して、

ここが

最大の難関の一つ

かもしれない。

 

「コーチ」が

情に流されると、

コーチングそのものが

「根本的に」

おかしくなる。

 

コーチングを

すればするほど、

クライアントさんの

真本音度合いが

激減していく

結果となるのだ。

 

・・・・・・

 

私は

よく泣く。

 

年齢を重ねるごとに

その傾向が

高くなっている。

 

とはいえ、

人前で泣くことは

ほとんどない。

 

でも

一人になった時に

クライアントさんの

苦しみや感情と

「一つ」となってしまい、

さめざめと

泣き続ける。

 

なんて

可哀想なんだろう、

と泣くこともあれば、

 

なんでこの人はこんなに

苦しい目に遭わねば

ならないんだろう、

と泣くこともある。

 

もちろん

嬉しくて泣くことも

多いが、

苦しみはさらに

多い。

 

私は夜中に

一人で

いつも泣き、

 

そして、

その上で

毅然と

クライアントさん達と

向かい合う。

 

そして私は

一切、

情には流されない。

 

一切、

である。

 

・・・・・・

 

私が人として

願うのは、

 

(「祈るのは」

と言った方が

よいかもしれないが)

 

一人ひとりが

真本音で生きる

ことである。

 

情に流される

ということは、

反応本音に流される

ということと

イコールの場合が

多い。

 

だから言葉を

換えれば、

 

私は一切、

その人の反応本音

には

流されない。

 

恐らく、

死んでも

流されないだろう。

 

それは

コーチングの場

だけではない。

 

プライベートでも

すべて同じ。

 

両親だろうが、

妻でだろうが、

子供にだろうが、

 

その人が

真本音で生きる

ことを阻害するもので

あれば、

一切そこには

流されない。

 

例えば、

その人が

苦しみの状況を

「自力で」

乗り越えようと

真本音で決めている

のであれば、

 

私はその

真本音を尊重し、

一切の

援助もヘルプも

しない。

 

だから

私のことを

とてつもなく

冷たい人間だと

思っている人は

多いのではないか。

 

しかしどう思われようが、

私がこの部分で

揺らぐことは

死ぬまでないだろう。

 

・・・・・・

 

以上を

私が本当に覚悟

してからである。

 

私自身の

人生も、

 

私のする

コーチングも、

 

すべてが

調和を始めたのは。

 

特に

コーチングにおいての

クライアントさん達の

道を開く度合いは

次元を変えた。

 

だから私は

「コーチ」になろうと

している人に

 

これを求める。

 

情に流されるな。

 

情に流された

サポートを

するな、

と。

 

情に流される

ことと、

 

愛を注ぐ、

 

ということは

根本的に異なる

どころか、

真逆の行為に

なることが多い。

 

「コーチ」に

なろうとする人は

 

ここに逃げずに

立ち向かってほしい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

ちゃんと全部、観てる?

 

人の可能性を

信じる。

 

人の光を

感じる。

 

その人の良いところ

を見る。

 

・・・それらはとても

大事なことだと

思うけど、

 

でも、

 

そこしか見ないのは

私には

どうしても現実逃避に

思えてしまう。

 

人には

いろんな部分が

ある。

 

真本音もあれば

反応本音もある。

 

反応本音だって

とても良いものも

あるし、

とても醜いものも

ある。

 

それらすべてを

観て、

理解して、

 

その上で、

 

その人の

可能性を信じ、

 

その人の

光を感じ、

 

その人の良いところに

焦点を当てる

のであれば、

 

それはとても

素晴らしいことだ。

 

人を愛する

とは、

その人の

光の部分のみを

愛すること

ではない。

 

それでは

愛したことに

ならない。

 

その人のすべてを

観ること。

受け止めること。

 

それが

愛の出発点だと

私は思う。

 

そしてそれは

自分自身に対しても

同じことだ。

 

・・・・・・

 

「受け止める」

とは

ただ、受け止める

だけのことだ。

 

「理解する」

とは

ただ、「知る」だけの

ことだ。

 

無理に

「イエスマン」

になる必要はないし、

 

「私はすべてを

許します」

なんて

やる必要はない。

 

私達は

人間だ。

 

自分の等身大

以上のことを

する必要はない。

 

もちろん

成長や進化は

目指せばいい。

 

でも、

今できる最大を

すればいい。

 

好き・嫌い

があったっていい。

 

その自分の気持ちを

また、

受け止めればいい。

 

評価判断

したり、

すべてを大らかに

包み込もう

としたり、

 

そこまでのことは

無理にせず、

 

ただただ

「受け止める」

「知る」

だけで、

愛は始まる。

 

愛とは

エネルギーだ。

 

愛という

エネルギーを

発する人は、

 

すべてを

(自分も他人も)

あるがままに

受け止める

人だ。

 

・・・・・・

 

「コーチ」は

人間だ。

 

人間にしか

できない。

 

人間は

常に未熟だ。

 

常に

成長と進化を

続ける存在だ。

 

今の自分の

未熟さを

評価判断するのでは

なく、

ただそのまま

あるがままを

受け止め、

 

そこから

最大・最善の一歩を

踏み出そうと

し続ける。

 

そういった生き方

をし続ける。

 

その見本と

なるのが

「コーチ」だと

私は思っている。

 

つまりは

「あるがままに生きる」

見本だ。

 

・・・・・・

 

しかし

「あるがままに生きる」

と言うと、

 

「そうか。

今のままの自分で

いいんだ」

 

とよく

誤解される。

 

そういうことでは

ない。

 

自分の

「あるがまま」

を本当に感じ取れば、

 

「今のままの

自分ではなく、

もっともっと私は

前に進みたい」

 

という

人間としての

実に自然な欲求にも

気づくはずだ。

 

そして、

「同じ場所」にずっと

い続けることに

気持ち悪さを感じ、

 

前に進みたくて

いてもたっても

いられなくなるはずだ。

 

だから

「あるがままに生きる」

人ほど、

自然に前に進む。

 

最大速で

進もうとするのだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

若者を応援したい

 

私は

若い人達を

応援したい。

 

若いから、

という

理由ではない。

 

今の若者は、

「最大速で進もう」

という強い意志を

持っている人が

多いからだ。

 

もちろん、

人によっては

その意志は

まだ眠っている。

 

しかし、

何らかのきっかけで

すぐに

目を覚ましそうだ。

 

そんな

空気感を

放っている人が

多い。

 

本当は

年齢には関係なく、

私はそういった

人達を

応援したいのだが、

 

結果として

若者に目が行くのが

最近の傾向だ。

 

それだけ彼らは

目覚めようと

している。

 

・・・・・・

 

ところが、

今の世の中の

仕組みや、

 

もしくは

会社の状態は、

 

決して

意志を持った若者

にとっては

優しくない。

 

彼らが

活躍しづらいのだ。

 

我々の世代

以上の人達は、

今の社会を

創ってきたが、

 

その社会とは、

「反応本音の

強い人が成功

できる社会」

だった。

 

真本音度合いの

高さよりも、

「執着の強さ」

がものを言う

社会を創ってしまった。

 

その結果、

社会貢献意識

よりも

我欲の強い人が

成功するように

なった。

 

まぁ、

短絡的な表現を

あえてしているが。

 

今の若者は

真本音度合いの

高い人が多い。

 

彼らは

感受性が高い。

 

しかし、

その結果

今の社会に対して

拒絶感や虚無感を

抱いてしまっている

人も多い。

 

その結果が、

登校拒否や

引きこもりとして

現れてしまっている。

 

もちろん

すべてがそう、

ということでは

ないだろう。

 

しかし私は

そういった若者を

何人も見てきた。

 

真本音度合いが

もともと高く、

感受性も

高い人達が

 

本来の魅力と

能力を

発揮できる場所が

増えるといい、

 

と心底

願っている。

 

今の私が

すぐにできることは、

そういった

企業を増やすことだ。

 

そのために、

企業様のサポートを

させていただいている。

 

今後、

伸びる企業かどうか、

のパラメーターは、

 

若者が

伸びる会社かどうか?

 

のように

思う。

 

若者は経験が

ないから、

 

などと

言っている場合

ではない。

 

もう時代は

変わったのだ。

 

これからは

真本音の時代

だ。

 

若者が引っ張る

時代でもある。

 

新たな時代に

適合した

組織を創っていこう。

 

私は強く

そう思う。

 

と同時に、

そういった組織創りを

サポートできる

「コーチ」を

本当に

増やしていきたい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

あなたは変態か?

 

究極の人生、

というのは

どのような人生

だろうか?

 

問われたら、

 

究極の人生

とは

「自分にとっての

究極の人生」

各々の人に

あるのだ、

 

というのが

真実だろう。

 

ちなみに、

「究極」を辞書で

調べると、

 

「物事を押し詰めて行って

最後に達する所」

 

とある。

 

最後に達する

所まで、

自分の人生を

進めてみる。

 

これからは

これができる

時代である。

 

・・・・・・

 

皆さんは

どうだろうか?

 

「究極の自分」

を見てみたい

思うだろうか?

 

私は

とてつもなく

強く思う。

 

こういう人間は

単なる

変態だろうか?

 

ただ、

私の周りには

面白いことに、

そういった

変態さん達が

集っている。

 

最近は

そんな人とばかり

出会っている

気がする。

 

本当の変態は

「変態」

を繰り返す。

 

「変態」

つまりは、

「形態を変えること」

である。

 

脱皮どころか、

形態そのものが

変わってしまう。

 

そこまでして、

究極の自分に

近づきたいのか?

という

驚きと共に、

私は彼らを眺める

のだが、

 

かく言う私も

恐らく

同じである。

 

・・・・・・

 

恐らくこれからは、

そういった

変態さん達が

世の中を

引っ張っていく。

 

そして

変態さん達は

若者に多い。

 

しかし

彼らは自分が

変態にも関わらず、

普通の生き方を

しようとしている。

 

普通と言っても、

今の世の中に、

これまでの常識に、

合わせてしまっている

だけだ。

 

私からしてみれば、

「変態」こそが

「普通」であると

思うだが、

 

「普通」である

「変態」が、

普通でない

普通に

合わせてしまい

おかしくなっている。

 

何やら

わけがわからなく

なってきたが、

これが

世の中の現状

である。

 

・・・・・・

 

当然、

変態をコーチング

できるのは

「変態」のコーチ

しかいない。

 

次々に

「変態」を続けるコーチ

こそが、

変態の「変態」を

サポートできる。

 

またわけが

わからなくなって

きたが、

 

ぶっちゃけて

言えば、

 

今の世の中を

一気に正常化

させていくためには、

 

普通のサポート

では

無理である。

 

だから私は

「変態コーチ」

となれる人を

探す。

 

こういった

わけのわからない

文章を読んで、

 

「コーチって

面白いかも」

 

と思った人は、

その素質が

あるかもしれないね。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

人生を謳歌するには

 

人生、

思い通りにいかない

ことなど

山ほどある。

 

いやいや、

そう思い込むのは

良くないですよ。

そう思い込む

ことで

本当に思い通りに

いかなくなって

しまうのですよ。

 

・・・と言われる

かもしれない。

 

もちろん

そういった要素も

あるにはあるが、

 

しかしやはり

私は断言する。

 

人生、

思い通りには

いかない。

 

それを完全に

受け止めることが、

人生を謳歌する

ための

最低条件であると

私は思うのだ。

 

思い通りに

いかないこと

そのものを

楽しむ。

 

これが

人生を楽しむこと

だと

私は思うのだ。

 

本当に辛いことを

経験し、

それを乗り越えて

きた人ほど、

そう思っているの

のではないか。

 

・・・・・・

 

だいたい、

私達の真本音が

人生を

思い通りには

いかせない。

 

もし、

何でも思い通りに

いっている人が

いるとしたら、

 

その人は

まず間違いなく、

「挑戦」を

していない。

 

「今の自分の範疇」

でしか

生きていないし、

そこから出ようと

していない。

 

それでは

人生の90%以上を

謳歌していない、

と私は思う。

 

しかも

少し長期的に

見れば、

その人は必ず

後々に

大変な目に遭う。

 

「挑戦しない」

ということは、

真本音の意志を

無視している

ということだから、

 

その「無視」に

ある時

限界が来るのだ。

 

自分の範疇を

出ない自分を

私達の真本音は

「壊そう」とする。

 

真本音の意志を

無視することは

ある程度はできるが、

しかし

真本音とは

自分自身の

「本当の想い」

だ。

 

「本当の想い」

「本当ではない想い」

いつか必ず

凌駕する。

 

凌駕されたとき、

その人は

勝手に自分壊し

に取り掛かる。

 

結果として、

「ひどい目」

に遭う。

 

別に神様とかが

罰を与えている

わけではない。

 

自分で自分を

壊そうと

しているのだ。

 

「壊す」というのは

怖い表現だが、

そうではなく、

 

本来の自分に

自分を戻し、

真っ当な生き方に

なろうと

しているのだ。

 

真っ当な生き方、

それこそが

「挑戦する生き方」

であるし、

次々に自分を

「脱皮させる生き方」

であるし、

それはつまり

「進化する生き方」

である。

 

進化する生き方

に入ることで、

私達は

人生の本当の

面白さを

体験することになる。

 

それが

人生を謳歌する

ことになる。

 

・・・・・・

 

だから私は

毎日、

 

「さぁ今日は、

どんな想定外が

起こるのだろうか」

 

とワクワク

している。

 

もちろん、

思わず口を

アングリと

開けてしまうような

物事も多い。

 

というか、

そうでなければ

「想定外」とは

言えないのであるが。

 

そのアングリ度合いが

大きければ

大きいほど、

その後の展開が

とても刺激的で

充実したものに

なる。

 

ただし

とても刺激的で

充実したものに

なるためには、

自分自身が

真本音に素直に

生きていることが

必須である。

 

真本音で

生きれば生きるほど、

想定外は増え、

 

想定外が

増えれば増えるほど、

真本音に素直に

生きる。

 

このサイクルに

よって、

真本音度合いは

劇的に高まって

いく。

 

真本音度合いが

高まれば

高まるほど、

「人生の謳歌」度合いも

高まり

深まる。

 

私は実は、

クライアントさんに

こういった状態に

なっていただくために

コーチングを

している。

 

だから

私が「コーチ」を

させていただくと、

想定外のことが

どんどん

増えていく。

 

申し訳ないけど。笑

 

・・・・・・

 

そしてやはり、

私は

そういったサポート

のできる

「コーチ」を

増やしたい。

 

このブログに

コメントいただいて

いる方、

ありがとうございます。

 

基本的には

皆さんにご返信を

差し上げています。

 

ただ、

まだ何日経っても

ご返信していない

人もいます。

 

それは

無視しているのでは

なく、

「最善のタイミングを

待っている」

思ってください。

 

これも

「想定外」の中で

判断していること

です。

 

よろしく

ご理解くださいませ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

想像のつかない世界へ

 

海の中を

自由に泳ぐ力と

 

空を

自由に飛べる力の

 

どちらかを

あげる、

 

と言われたら、

あなたは

どちらを選ぶかな?

 

私は

山とか自然が

大好きなので、

たくさんの自然を見るために

空飛ぶ力が

手に入るといいなぁ、

思うが、

 

その一方で、

 

まったく未知の世界

である

海を自由に泳ぐ力

もほしいなぁ、

とも

思うね。

 

で、結局

「未知」

の方を選ぶと

思う。

 

だって

想像がつかない

から。

 

若い頃、私は

海外を

1年半ほどかけて

ゆっくり旅した

ことがある。

 

ヒマラヤにも行き、

エベレストを

この目で

見てきた。

 

標高5〜6000mの

空気が

どんなものか、を

体験することも

できた。

 

もちろんすべての

世界や自然を

見たわけではない。

 

すべての国を

見たわけでも

ない。

 

でも、

何となくであるが、

想像は

できる。

 

この地球の

地表世界が

どんなものか、は。

 

そして、

宇宙にももちろん

行ったことは

ないが、

写真やテレビでは

知っているので

 

やはり

想像はできる。

 

しかし、

海の世界は

謎である。

 

実際、

現時点では人類は、

海の世界はまだ

ほとんど何も

知らないらしい。

 

その

「想像できない」

というのは

魅力である。

 

自分の範疇を

超えた世界。

 

想像の範疇

すら超えた

世界。

 

私はそういった

ものに

憧れる。

 

あなたは

どうだろうか?

 

・・・・・・

 

未知なものに

憧れる

というのは

私達人間の本能

の一つである。

 

深い谷間に

生まれた人が、

 

谷を挟んでいる

山の尾根の

その向こうには

何があるのだろうか?

 

見てみたくなる、

その気持ちは

誰にも湧いてくる。

 

健康であれば。

 

なぜなら

私達は

「進化」の反映

だから。

 

「進化したい」

という願いや

祈りが

カタチとなって

現れたものが

 

私達人間だ。

 

・・・・・・

 

いや、

私は進化など

したくない。

それよりも、

毎日、

安定していたい。

平穏な日々が

同じ日々が

毎日永遠に

続いてほしい。

 

・・・と

言う人もいるだろう。

 

もちろん

私の中にも

それはある。

 

未知の領域

ではなく、

安心の領域に

留まりたいという

欲求がある。

 

しかし

私は思うのだ。

 

この

安心欲求というのは、

 

あくまでも、

 

進化欲求を

助長するために

存在しているのでは

ないか、と。

 

どういうことかと

言えば、

 

もし私達に

進化欲求しか

なければ、

 

未知の領域への

欲求しか

なければ、

 

私達は

危険極まりない

行動・選択ばかりを

するだろう。

 

それでは

生き延びることは

できない。

 

結果として、

進化もない。

 

進化とは

持続性が

必須である。

 

持続して初めて

進化は

自然に成されていく。

 

私達の進化は

私達だけで

終わるわけでは

ない。

 

私達の次の世代

に引き継ぎながら、

 

命を

つなぎながら、

 

永遠に続いて

いくものが

進化である。

 

そのためにも、

安心欲求は

必須である。

 

そして

それがあるからこそ、

進化は

着実に

成されていく。

 

安心が

あるからこその

進化。

 

進化を望む

からこそ必要な

安心。

 

人間とは

まったくもって

よくできている。

 

・・・・・・

 

人と向き合う

ことは

人間探究の旅

である。

 

しかしそれは

自己満足では

まったく

意味がない。

 

探究して

見つけたことは

その次の瞬間に

すぐに

活かす。

 

気づき、

活かす。

 

そしてまた

気づき、

活かす。

 

その連続。

 

それが

「コーチ」という

仕事である。

 

「コーチ」という仕事は

常に自分を

未知の領域へと

いざなってくれる。

 

昨日もまた、

コメント

いただきました。

 

ありがとうございます。

 

まだ返信

できていない人も

います。

 

最善のタイミングで

返信させて

いただきます。

 

コメントは

いつでも

お待ちしております。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

あなたは本当に生きている?

 

この人は

誰だろう?

 

目の前にいる

今ここで

しゃべっている

この人は

いったい

誰だろう?

 

さっきから

ずっと、

口を開き

何かを懸命に

私に伝えようと

しているみたいだ。

 

でも、

何も私の

耳には届かない。

 

いや、

耳には届いているし、

声も聞こえるのだが、

 

何も私の心に

入ってこないのだ。

 

その瞬間その瞬間に

聞こえる

言葉の意味は

確かにわかる。

 

でも

それだけ。

 

あとは

何も理解できない。

 

つまりは、

何も聴いていない

のと同じ。

 

いや、

むしろ

何も聴かない方が、

 

この人が

口を開かない方が、

 

この人のことを

理解できるのではないか。

 

そうだ、

これは

幻影だ。

 

きっと

今、喋っているこの人の

この姿は

幻影なのだ。

 

本当は

この人は

何も喋っていない

のだ。

 

口も開いて

いないし、

声も出して

いないのだ。

 

私の目には

今、

幻影が映っている

だけなんだ。

 

そうに

違いない。

 

・・・・・・

 

その人の

懸命さは

さらに度を増して

きた。

 

さらに必死に何かを

私に伝えようと

している。

 

でも、

さらにさらに

何も聴こえなく

なってしまった。

 

この人の

顔の表面は

紅潮している。

 

きっと、

情熱というものを

出しているのだと

思う。

 

本人は

そのつもり

なのだろう。

 

でも私が

その幻影を

私の目から

取り払うと、

 

その人は

まるで、

死人のように

観える。

 

何も動いて

いないし、

何も発して

いない。

 

青い顔をした

人形みたいな

存在が、

ただじっと

こちらを見ている。

 

いや、

見てもいない。

 

生きて

いないのだ。

 

・・・・・・

 

この人は、

自分が

死んでしまっている

ことに

気づいていないのだ。

 

死んでしまっている、

・・・じゃないな。

 

自分で自分を

死なせてしまっている、

・・・が正確だ。

 

その事実に

この人は

気づいていないのだ。

 

きっと本人は

自分は生命力に溢れている

思い込んでいる

のだろう。

 

いや。

 

あなたは、

生きていないよ。

 

まったく。

 

早くそれに

気づいてほしいな。

 

そしてできれば、

一刻も早く

生き返って

ほしいな。

 

と私は

心の中で

願った。

 

・・・・・・

 

自分を

生きていない。

 

自分を

死なせてしまって

いる。

 

そんな人と

向き合うと、

いつも私は

上記のような感覚

となる。

 

そして

その人からの言葉が

まったく記憶に

残らない。

 

というか

やはり、

入ってこないのだ。

 

どれだけ

努力しても

入ってこない。

 

入ってこない言葉

どうでもいい言葉達

なんだ、

何年か前に私は

あきらめた。

 

すると、

そこからより良い

コーチングが

できるようになった。

 

入ってくる

言葉のみを

しっかりと受け取り、

 

入ってこない

言葉は

流してしまう。

 

そのメリハリが

良いコーチングを

創り上げるように

なった。

 

ということで

言えば、

 

今の世の中には

 

いかに

「無駄な」

コミュニケーションが

多いことか。

 

無駄なコミュニケーション

が、

様々な不調和を

生み出している。

 

もちろん

無駄が必要な

時もある。

 

しかし

変な言い方だが、

 

・必要な無駄

・本当に不必要な無駄

 

があるのだ。

 

本当に不必要な

無駄なコミュニケーション

は、

混乱と混沌しか

起こさない。

 

それが、

あらゆる組織で

飛び交い続けて

いる。

 

それを

なくしていくのが、

「コーチ」の

役割の一つだ。

 

そして

一人一人が

自らを

「生き返らせる」

サポートこそが

コーチングの本質だ。

 

一昨日の記事、

(→【コーチ探し、始めます】)

思ったよりも多くの

皆様から

コメントを

いただきました。

 

ありがとうございます。

 

「コーチ」という

役割になりたい人。

 

興味がある人。

 

なろうかどうかを

真剣に迷っている人。

 

そんな人は

ぜひ一度、

コメントください。

 

コメントは

公開されないように

設定されています。

 

私にしか

届きませんので

ご安心を。

 

つづく

 

コーチ探し、始めます

 

「コーチ」とは

人をサポートする

役割であるが、

 

まずもって

自らが

その見本とならねば

ならない。

 

「自分の人生を生きる」

見本である。

 

「真本音で生きる」

見本である。

 

「一つ一つに魂を込める」

見本である。

 

ただし、

完璧でなくても

いい。

 

第一、

私達人間に

「完璧」

はない。

 

なぜなら私達は

進化する存在

だからだ。

 

進化に

完成はなく、

完璧もない。

 

だから「見本」

とは、

「誰よりも

進化スピードが

速い」

という

見本である。

 

クライアントさん

よりも、

自分自身の

成長・進化度合いが

高いからこそ、

 

良いコーチングが

できる。

 

最大速で走る人

のみが放つ

空気感と

エネルギーが

ある。

 

それが、

人に本質的な

影響を与える。

 

それが

本来の「コーチ」

である。

 

・・・・・・

 

・・・と、

私は信じて

ずっとやってきた。

 

もちろん

私自身、

とても不甲斐ない

人間であるし、

 

誰よりも

弱っちいところや

ヘナチョコのところを

たくさん

持ち合わせている。

 

以前は

そんな自分に

ダメ出しをしたり、

そんな自分を

責め続けていたが、

 

今はそんな

無駄なことに

時間は費やさない。

 

あるがまま

でいい。

 

でも、

最大速で日々、

進もうとする。

 

それを

一日一日

真本音で、

真剣に

やり続ける。

 

理想通りに

物事は進まないし、

 

理想的な

自分でもない。

 

でも、

誰もが

最善を尽くす

ことはできる。

 

私はそれを

やり続けた。

 

もちろん最初は

ずっとずっと

肩に力が

入り過ぎていたが、

 

幸いなことに

私は

不器用だった。

 

だから、

上手く事を進める

術を知らず、

 

たくさん

ぶつかり、

たくさん

悩み、

たくさん

挫けた。

 

で、ある時に

フッと

力が抜けて、

 

自然体が

どういうことか?

感覚として

知ることができた。

 

もちろん今も

私は

発展途上である。

 

数年後の私から

今の私を見れば、

 

何たる未熟者か、

 

と思うだろう。

 

でも

それでいい。

 

今の私だからこそ

できることがあるし、

 

今の私だからこそ

出せる最善が

ある。

 

最善を尽くすのは

疲れることでは

ない。

 

最善を尽くすこと

こそが、

自然体で

楽で

肩の力を抜ける

状態だ。

 

ということを

多くの人に

経験してもらいたい。

 

そして、

不器用でも

弱っちくても

いいから、

 

とにかく

前に前に

進み続ける。

 

最大速で

進み続けようとする。

 

出せる

最善を尽くす。

 

そんな人に

「コーチ」に

なってもらいたい。

 

そんな

気概のある人、

 

私に

ご連絡ください。

 

このブログの

コメント欄に

コメントをいただければ、

返信いたします。

 

これまでは

あえてそれを

してきませんでした。

 

でもここからは

少し変えます。

 

ただし、

真剣さの感じられない

ものについては

返信しないかも

しれませんので、

ご了承ください。

 

コメントいただいた

方の中で、

直観的に

「会わねば」

と感じた方とは、

 

直接お会いさせて

いただくかも

しれません。

 

つづく