2022年 8月 の投稿一覧

なぜこの状況に

黙々と
一つのことに
集中する。

粛々と。

あえて、
他のことは
いっさい
手放してしまう。

一時的に
せよ。

今の私は
「これ」
しかやらない。

今は
「これ」
をやることが
私の人生であり、

「これ」
をやるのが
私という人間だ。

「私=これ」
だ。

「私の人生=これ」
だ。

・・・という
くらいに。

徹底的に
そういった生き方を
するという
ステージを

私達の真本音は
自らに用意する
ことがある。

場合によっては
「これ」に
集中するために、
自分をかなり
状況的に追い込む
ことすらある。

「これ」に
集中せねば、
もう生きていけない、
というくらいに。

もし
自分が状況的に
追い込まれている
のであれば、

自分自身に
問うてみると
いい。

今のこの状況は、

・自らの真本音によって
意味があってもたらされて
いるものか?

それとも

・自らの真本音を無視
してしまったことで
起きてしまっていることか?

このどちらか。

ここをしっかり
直観的に判別し、

もし前者であれば、
今のこの状況の
本当の意味を
考え、
向き合うといい。

そして
「これ」
に完全集中する。

無我夢中に
なる。

これによって
新たな自分、
つまりは
本来の自分が

また一つ
目を覚ます。

つづく

天と地と私の意思

私の場合、

自分の中に
中心軸がある

というよりも、

中心軸の中に
私がいる。

天と地を
結ぶ、

太い光の
柱があり、

その中に
私の全身全霊が
入っている。

中心軸に
すべてを
委ねているのだが、

しかし
私は一つ一つ

自分の意思

大切にしている。

中心軸が
いくら太くても、

いくら
畏れるほどに
大きくても、

この世で
生きているのは
私だ。

私の心であり
体だ。

中心軸に
任せるのではなく、

私は私の
意思で生きる。

すべて
自己責任だ。

だからこそ
逆に、

中心軸は
より活き活きと
光り輝く。

天と地を
結ぶその姿に

神秘性も
増す。

やはり
畏れすら抱きながら、

しかし私は
自分の意思で
そこに入り、

自分の意思で
この世を
生きる。

つづく

原点のみになる

いつも私は
自分の

原点

に戻る。

一つの仕事を
終えたら、

すぐに。

じっと
目を閉じて

自分の全意識を
原点に
戻す。

原点
そのもの
となる。

私は
なぜ生まれて
きたか?

私は
なぜここに
いるのか?

私は
どこに向かって
いるのか?

そのすべての
答えの
場所に。

そこで、

これまで
自分が培ってきた
あらゆるものを

愛し

慈しみ

抱いた
上で、

手放す。

消散させるのだ。

すると
すべてから
自由になる。

原点のみの
私になれる。

その状態で
目を開き、

次の仕事に
向かう。

すると
これまで培った
すべてのものが、

自由の世界

から、
今の私を
助けてくれる。

原点のみと
なった
私を。

つづく

もっと成長を

成長意欲、

ということに
関しては

私自身
とても高いものを
持っている
気がする。

これだけは
昔から
誰よりも高くあろうと
してきた。

人を育成する
というお仕事を
四半世紀以上
続けさせていただいて
いるが、

もし自分の
成長意欲が
クライアントさんよりも
低くなったら
この仕事を辞めよう

ずっと決めてきた。

今も
同様だ。

最近は私も
年齢を重ねたため、

20代の若い人達を
中心に
ある意味、
「指導する」
という場面が
多くなってきたが、

しかしそれでも
彼らよりも自分の
成長意欲が
低いなぁ、と感じたら、

その時点で
私は
すべてを辞める。

それくらい
私には
すべきこと
したいこと
がある。

私が現役として
最大の力を
発揮できるのは、

恐らくあと
24年。

時間が
短過ぎる。

24年で
どこまで行けるか?

実は、
まだ誰にも
話したことはないが、

新たな夢も
出てきた。

もうそれを実現すると
決めた。

でも
時間が足りない。

今の私では
到底実現不可能。

だから
もっと
成長せねば。

焦りと共に、
自分の意欲に
自分で驚いたりも
しているが、

この自分の
意欲に
誠実に応えていきたい

願っているんだ。

つづく

誠実な仕事とは

竹内さんは
いつも直観のみで
動いているように
見えますが、

段取りとか
準備とかは
されないのですか?

・・・と
時々、訊かれる。

やはり
そう見えるのか。

確かに私は
自分の直観を
大切にしているし、

思考と直観
ということで言えば、
明らかに
直観に素直に
従っている。

思考レベルでは
おいおいちょっと待てよ!
と、
心の中で自分に
投げかけながらも、

自分の思考が
恐れ慄くような
直観的な動きを
とることもある。

だがしかし、

それをできる状態に
持っていくためにも

準備と段取り

は、
とても丁寧に
行なっているのです。

例えば
コーチング。

私は次の日の
クライアントさんとの
コーチングを、
必ず前日のうちに

行なってしまう、

のだ。

つまりは
そのクライアントさんの
これまでの状況を
振り返り、

クライアントさんに
意識を向け
今の「感覚」を
読み取った上で、

目の前に
そのクライアントさんが
まるでいるかのように
して、
実際にコーチング
するのだ。

私の中で
完全に納得するまで
それを行なう。

で、
何かがカチッと
はまるまで、
それを続ける。

そして
完了感が出たら
終了だ。

その上で
次の日に実際に
クライアントさんと
向き合うので、

その時点では
あらゆる準備が
整っている。

そしてその場では
私は
自分が準備したことを
すべて
手放す。

準備ができている
安心感と、
手放した
自由さ、と。

この二つをしっかり
感じ取っているから
こそ、

目の前のクライアントさんに
全意識を
集中できる。

直観とは
その状態の中で初めて
生まれるもの。

だから私は
確信を持って
自分の直観に
素直になれる。

私はこれを
「誠実さ」
「真摯さ」
と呼んでいる。

すべての仕事に
対して、

いや、
仕事だけじゃないな、

すべての物事に
対して、

誠実であること
真摯であること。

それは
準備から
始まる。

つづく

中心軸は変化できた?

 

あなたの

「中心軸」に

意識を向けよう。

 

あなたの

「中心軸」は

また大きな変化(進化)

を遂げているはずだ。

 

おへその奥の

体の中心と

 

頭のてっぺんの

中心を

 

結ぶと、

それが中心軸と

なる。

 

あなたのその

中心軸を

見つめてみよう。

 

これまでと

どのような変化が

あるだろうか?

 

基本的に

私達の中心軸の

本質は

 

不変だ。

 

ただ、

その時その時で

その本質を大切にした

「テーマ」が

ある。

 

「テーマ」は

自分自身のステージと

共に

変化する。

 

今のあなたの

テーマは

何だろう?

 

中心軸を

じっと見つめ、

中心軸に

問いかけてみよう。

 

テーマとは

乗り越えるべき

もの。

 

それは

目標であったり、

乗り越えるべき壁で

あったり、

 

人それぞれ

だが、

 

いずれにしても

これから私達が

最も

意識を注ぎ続けるべき

もの。

 

エネルギーを

集中すべきこと。

 

それをしっかり

自覚した上で

進もう。

 

進化した

中心軸と共に。

 

つづく

 

育みたい?

 

「育む」

という言葉を

聴くと、

 

あなたは

何を思い出す

だろうか?

 

人とは

何かを「育む」

生き物だ。

 

育むことで

自分が育つ、

 

というのが

私達だ。

 

今、あなたは

何を育んでいますか?

 

問われた時に、

 

「何もない」

という答えが出る場合、

 

その人の人生は

とても空虚な

はずだ。

 

真剣に

育むものがある

幸せ。

 

それは誰もが

知っている

本能的な幸せだ。

 

さて、

 

ここからもし

新たなステージに

入るとしたら、

 

そのステージでは

あなたは

何を、

育みたい?

 

何を育むステージ

としたい?

 

これもまた

今、

とても大切な問い。

 

つづく

 

大切にしているか

 

誰にも

自分にとって

大切なものがある。

 

大切なものを

大切に

し続ける。

 

という

当たり前のことを

まずは

やろう!

という意志を持とう。

 

その上で、

 

ではそれを

大切にするとは

具体的に

どうすれば良いのか?

 

しっかりと

考えよう。

 

大抵、私達は

視野が狭い。

 

大切にする

と言っても

非常に狭い視野で

 

固定観念的に

 

狭く大切にしている

だけだ。

 

それをあえて

「独りよがり」

と表現してもいい。

 

大切なものを

独りよがりに

大切にし続けている

のが

私達の性だ。

 

本当に

大切にしたいなら、

大切な仕方を

進化させ続けることが

 

本当に大切に

している

ということ。

 

それは

固定観念化した

自分を

壊し続けることでも

ある。

 

つまり

何かを大切にする

とは、

とても大変なこと

なんだ。

 

でもそれでも

大切にし続けるから

こそ、

 

そういう生き方が

できている時こそ、

 

私達は

生きている実感

得られるんだ。

 

つづく

 

追い風は吹いているか

 

ゆっくり着実に

進む時と、

 

多少乱暴でも

全速力で進む時と、

 

人生には

二つの時期がある。

 

今は

どちらだろうか?

あなたの場合。

 

自分の背中に

意識を向けてみて、

 

今、追い風を

感じているかどうか?

 

追い風が

背に当たっているか

どうか?

 

感覚的に知ろう。

 

あぁ自分には

今、

追い風が吹いている、

 

感じた場合は

 

全速力だ。

 

多少、乱暴でも

いい。

 

一気に突っ切る

ことが

今は大切だ。

 

突っ切ってから

いろいろ

振り返り反省すれば

いい。

 

こうして

全速力で進むから

こそ、

 

着実に進むべき

時期もまた

来るということだ。

 

全速力を出す

ためには、

 

顕在意識のレベル

では、

次のように

決めるといい。

 

「自分の300%を

出そう!」

 

これでちょうど

全速力くらいだ。

 

つづく

 

はっきりした答えを

 

人生には

節目がある。

 

節目の一つ一つ

において

私達は

はっきりと

決めなければならない。

 

・進むか?

・止まるか?

 

をである。

 

この言い方だと

「進む」が良くて

「止まる」のがいけない

という印象に

なってしまうかも知れない。

 

が、

そういうことでは

ない。

 

どちらも

正解。

 

どちらを選んでも

いい。

 

ただし、

心の中では

はっきりくっきりと

選ばなければ

ならない。

 

ここを

曖昧なままに

するから、

 

その後の道のりも

曖昧になり

不調和になる。

 

では、

「止まる」

とはどういうことか?

 

それは

現時点までで

得ることのできたものを

守るための人生

にする、

ということだ。

 

実は、

守る、と言っても

本当に止まってしまう

わけではない。

 

本当に止まったら

それは

「衰退」とイコールだ。

 

そうではなく、

これまでと同様の

進み方を継続する

ということだ。

 

これまで培ったものを

大切にしながら

ここまでの自分と

同様の自分として

進む、

ということ。

 

なら、最初から

そう書けよ、

と言われそうだが、

 

しかしそれをする

場合、

私達自身の「感覚」

とか「実感」としては

 

「止まる」

ということに

なるわけだ。

 

もっと言えば

「止まる」という認識に

なるくらいに

はっきりそう決めた方が

良い、ということ。

 

止まる=これまでのように進む

ということ。

 

さて、

次に「進む」について。

 

これは

「未知の領域に進む」

という意味だ。

 

これまでの進み方

をある意味

壊してでも、

さらに先の世界、先の世界

へと

突入していく、

ということ。

 

もちろんこれには

勇気が必要だ。

 

実は、私達人間に

とっては、

「未知の領域に進む」

ことこそ

「進む」

ということであり、

 

そうでない場合は

すべて

「止まる」ということ。

 

とはいえ

先ほども書いた通り、

どちらが良い悪い

ではない。

 

はっきりくっきりと

決めること。

 

今は、

そのタイミングだ。

 

あなたは

どうする?

 

私?

 

私は

「進む」と

決めている。

 

最初から。

 

死ぬまで

そうすると決めて

生まれてきた。

 

もう一度言う。

 

これが正しい

ということではない。

 

私はそう

決めているし、

その通り

素直に生きるだけ。

 

ただ、

 

今のこのタイミングで

もう一度、

はっきりくっきり

自分の中で

決め直したんだ。

 

つづく

 

ちゃんと守ろう

 

自分は何を

「守る」

のか?

 

という問いも

特に今は非常に

重要だ。

 

私達には誰にも

守るべきもの

守りたいもの

あるだろう。

 

それをしっかりと

「守っている」

実感できている時、

 

私達には

安らぎと楽しさが

湧く。

 

でもそれが

実感できないことで

不安や焦りが

来る。

 

私達は

人間だ。

 

守りたいものは

守ればいい。

 

そのためにも

まずは自分が

 

本当は

 

何を守りたいか?

 

をしっかりと

認識することでは

ないか。

 

ここを

不明確のままで

いたり、

 

自分で自分を

ごまかしたり、

 

だから

おかしくなる。

 

自分に素直で

いられなくなる。

 

ちゃんと

見つめよう。

 

自分は何を

「守る」

のか?

 

つづく

 

生まれた理由は

 

何のために

自分は

生まれてきたか?

 

という

問いは、

 

愚直に向き合えば

いい。

 

もちろん答えは

そう簡単には

わからない。

 

でも、

その問い

あるだろ?

 

いつも心の

どこかに

 

デンと

存在し続けて

いるだろ?

 

答えがわからない

からと言って

その問いと

向き合うのを

やめるのは

 

実は

辛いことだ。

 

それこそ

現実逃避の

一つだ。

 

答えがわからず

とも、

 

その問いと

向き合い続ければ、

ある出来事と

出会った

その瞬間、

 

まるで稲妻に

打たれたように

わかるんだ。

 

答えの

一端がね。

 

それは

「出来事」が

教えてくれる。

 

でも

常に問うて

いないと、

 

その「出来事」に

出会っても、

何も感じない

自分になってしまうんだ。

 

だから

問うこと。

 

問い続ける

こと。

 

その問いと

向き合い続ける

こと。

 

つづく

 

一問

 

たった

一問。

 

次の問いを

自分に

 

純粋に

 

投げ、

 

自分自身の

心と体の反応を

 

純粋に

 

見つめよう。

 

・・・

 

今、楽しいか?

 

・・・

 

シンプルな

ものを

 

投げられた

時こそ、

 

結構

本当の状態が

 

わかるもんだ。

 

つづく

 

時間が教えてくれる

 

1分1秒、

時は進む。

 

時間の流れ

そのものに

 

そのもの

だけに

 

意識を

しばらく

向けてみよう。

 

トツ、トツ、トツ、・・・

と時間は

紛れもなく

進んでいく。

 

当たり前の

ことだが、

 

止まることは

ない。

 

その歩みは

揺るがない。

 

澱みも偏りも

ない。

 

永遠に

同じペースで

進んでいく。

 

その

「時間」

という不滅の

存在に、

 

ただただ

意識を

向け続けよう。

 

何もせず、

何も考えず、

 

ただ

意識のみを

向け続けよう。

 

これは

一つの訓練でも

ある。

 

私はこれを

随分と

続けてきた。

 

すると

ある時から、

 

「時間」と

対話ができるように

なった。

 

対話と言っても

言葉のやりとりが

あるわけではない。

 

でも、

例えば、

 

今、自分が取り組んでいる

この仕事についての

重要な発想、

 

今はまだ

出てこない発想が、

 

「あと5分後には

浮かんでくるな」

 

わかるように

なったのだ。

 

つまり、

自分の直観が

いつ浮上するか?が

わかるようになった。

 

これは

「時間」が

教えてくれるのだ。

 

また、例えば、

 

Aさんには

いつ連絡を入れると

良いだろう?

 

Bさんには

いつお会いすれば

良いだろう?

 

Cさんとは

どのタイミングで

じっくり話し合えば

良いだろう?

 

などなども、

「時間」

が教えてくれるように

なった。

 

私はそれに

素直に

従っている。

 

おかげで随分と

現実が調和するように

なった。

 

一つ一つの物事の

タイミングが合い、

 

すべてがスムーズに

進ようになった。

 

「時間」

との対話。

 

「時間」

との向き合い。

 

皆さんもぜひ

やってみて。

 

つづく

 

感覚で生きる③

 

全身、全細胞の

反応に

意識を向ける

生き方。

 

これをすることで

自分の日々の

行動の一つ一つを

 

より気持ちの良いものへ

変換することが

できる。

 

それは取りも直さず、

周りの人達にとっても

気持ちの良い変換と

なるだろう。

 

体の感覚を

侮ってはならない。

 

体の感覚とは

それを一部だけでなく

全身しっかりと

感じ取るならば、

 

周りと調和する

方向へ

導いてくれるものだ。

 

さて、

 

これらを続けると

さらに良いことが。

 

それは

「未来」への

発想だ。

 

自分の未来を

描くときに、

 

体の反応が

 

その未来を

自分が本当に

望んでいるかどうか

教えてくれる。

 

自分にとって

無理のある未来

であれば、

 

体の細胞達が

違和感という

警笛を鳴らす。

 

本当に望む

未来とは、

 

自分の心

だけでなく、

 

全身が

全細胞が

喜ぶものだ。

 

そしてその

未来に向かうために

今を生きることで、

 

今の自分の

在り方そのものが、

 

全身が

全細胞が

喜ぶものに

近づいていく。

 

今この瞬間、

全細胞が常に

喜んでいる。

 

そんな日々。

 

これを

「幸せ」と言わずして

なんと言おう。

 

つづく

 

感覚で生きる②

 

全身、全細胞の

反応に

意識を向ける

生き方。

 

これを続けると、

自分自身の様々な

生活習慣に

 

違和感

 

を覚えるように

なる。

 

違和感があることは

思いきって

やめてみよう。

 

そして

もっと体が喜ぶことを

習慣にしてみよう。

 

これをするだけで

毎日は

とてもとても

すがすがしくなる。

 

そしてさらに、

 

自分の行動の

一つ一つにも

 

違和感

 

を感じるように

なる。

 

自分のちょっとした

振る舞い。

 

ちょっとした

一言。

 

ひょっとすると

ほんのわずかな

自分の表情にも

 

違和感

 

を覚えるかも。

 

そうしたらやはり

それらも

やめてしまおう。

 

そしてできるだけ

体が喜ぶ自分の

言動に

 

少しずつでも

変えていくのだ。

 

実はこれだけで

大半のストレスが

消えるかもしれない。

 

これだけで

真本音度が

高まるかもしれない。

 

でも、さらに

良いことがあるよ。

 

次回につづく

 

感覚で生きる①

 

感覚を

研ぎ澄ますと

いい。

 

そのためには

最初は体を意識する

ところから。

 

自分の体が

今、

どのように反応しているか?

を、

 

全身に

全細胞に

意識を向けることで

把握するのだ。

 

例えば、

 

これから何かを

食べようとする時に、

 

今、私はこれを

本当に食べたいか?

 

自らに問い、

頭で答えるのではなく、

体の反応を感じるのだ。

 

全身に

全細胞に

意識を向けながら。

 

そして、

食べたい!と

体が反応しているので

あれば、

美味しく味わって

楽しんで食べる。

 

食べたくない、という

ような感覚があるならば、

 

もう食べるのを

やめてしまうのだ。

 

感覚で

決める。

 

これを日常の

あらゆるところで

繰り返すと、

 

感覚〜感性が

ぐんぐん

研ぎ澄まされる。

 

それによる

メリットは

大きい。

 

どんなメリットかと

言うと・・・。

 

次回につづく

 

息子から学ぶ

 

ごはんの時に、

一口一口

美味しいな

美味しいな

味わって食べる。

 

しっかり

噛み締めながら。

 

一口一口に

集中する。

 

食べることのみに

集中する。

 

これをすると

自分の中に

とても良いエネルギーが

満ちる。

 

同じものを

食べる時に、

 

よそ事を

考えていたり、

 

なんだよ

こんなもん

食べたくないわ、

 

と思いながら

食べたり。

 

これをすると

同じものなのに

とても雑なエネルギーと

なる。

 

むしろ

自分のエネルギーを

奪われることも。

 

まったく同じ

行為なのに、

 

その時の自分の

生きる姿勢で

 

私達の中に満ちる

エネルギーは

まったく異質のもの

となる。

 

雑なエネルギーに

満ちる人は

ますますその後の

行動も

 

雑になる。

 

それは不調和に

つながり、

雑な現実が

次々に押し寄せる。

 

今の現実を

創り出しているのは

すべて自分だ。

 

自分の

生きる姿勢

だ。

 

・・・

 

ということを

私は自分の二人の

息子に

丁寧に教え続けた。

 

長男は8歳。

次男は3歳。

 

丁寧に生きる

ことで、

こんなにも幸せな

人生になるのか、

 

最近は特に

感嘆している。

 

二人とも

「自律」しているのだ。

 

「自律」とは

年齢は関係ない。

 

もちろん二人とも

それぞれの年齢っぽい

普通の子どもだ。

 

泣くときは泣くし

笑うときは笑う。

 

わがままを

言うし、

親をいつも

困らせる。

 

でも、

「自律」している。

 

だから

毎日、自分のすべき

ことを

しっかりと

やっている。

 

それぞれ

「社会」に出ている。

 

小学校と

子ども園と。

 

そこで様々な

現実が起こるのだが、

 

そこではちゃんと

起こるべきことが

起きている。

 

特別なこと

ではない。

 

「今」に生きている

のだ。

 

「今」を愛しながら。

 

「今」を

存分に楽しんでいる。

 

それが

自分も周りも

幸せな「世界」を

創り出す。

 

子ども達の

生き様は

とても勉強になる。

 

生きる原理を

教えてくれる。

 

私達はまだまだ

学ばねばならない。

 

つづく

 

風に乗ろう

 

自分の人生は

自分が

創り上げるしか

ないのだ。

 

・・・と

本当の意味で

覚悟を決めたならば、

 

そんな人は

 

「風」

を感じとることが

できるようになる。

 

そういった

感性が

開花するからだ。

 

「風」を

感じれば、

 

どの「風」に

乗るか?

 

自分で

選べるようになる。

 

「自由」

とは

 

自分で「風」を

選べる

ことだ。

 

「風」は

常に吹いている。

 

吹き続けている。

 

いろんな

「風」が。

 

この世は

「風」の世界。

 

すべての「風」に

乗ることは

できない。

 

ちゃんと

選ぶことが

大切。

 

いくつもの「風」に

同時に乗ろうと

するから、

 

おかしくなる。

 

ちゃんと、

一つ

選ぶ。

 

「自分の風」

として。

 

この「風」こそが

「私」だと

思えるくらいに。

 

それもまた

覚悟。

 

自分の人生を

生きる覚悟を

持てた人は、

 

「風」を選ぶ

覚悟をも

持つことができるんだ。

 

人生とは

「風」と共に

開かれるもの。

 

つづく

 

自分を決めつけず

 

夢と現実のギャップを

感じるということは、

 

自分の本来の

器の大きさが、

 

この現実世界に

まだ現れていない

証拠だ。

 

器の大きさを

自ら決める

必要はない。

 

それは、

人生の終わりに

振り返って初めて

わかるもの。

 

自分は

こうだから、

 

・・・と

人生の途中で決める

必要はどこにもない。

 

現実が

思うように動いて

いないのなら、

 

思うように動かせる

自分が

まだ

現れていない

だけのことだ。

 

そう考えて、

「次の一歩」

逞しく踏み出せば

いい。

 

今の自分が

出せる

最大、最善の一歩を

 

ここで

 

踏み出す。

 

これ以外、

本来の自分の器を

現す方法は

ない。

 

今の最大

 

を大切にしよう。

 

今の最善

 

を大切にしよう。

 

何が最大か?

何が最善か?

 

自分が決めれば

いい。

 

正しい答えなんか

ないではないか。

 

自分にとっての

答えは

自分が示せば

いい。

 

それくらい

堂々と

晴れやかに

行こう。

 

つづく

 

どんな心があっても

 

夢と現実の

ギャップを感じながら

生きる時に、

 

そのギャップの

あまりの大きさから

諦めの気持ちや

虚無感に襲われてしまう

ことがある。

 

それ自体が

人間として

健康的な心の

動きだ。

 

諦めの気持ちや

虚無感は、

それ自体がダメ

なわけではない。

 

そういった

心の動きをすべて

あるがままに

感じることこそ

大事。

 

その上で、

 

では、私は

本当は

どうしたいか?

 

これらの現実の

中で、

私は

どうするか?

 

これを

しっかりと

真本音で決める。

 

この姿勢こそが

重要だ。

 

心の動きに

蓋をするのではなく、

 

自分の心は

すべてそのままを

愛し、

 

(それが自分を

愛するということ)

 

すべて承知した

上で、

進もう。

 

その生き方が

人として

最も自然な

行き方だから。

 

つづく

 

ご報告 個人向け新サービス

 

昨日、ご紹介した

「KANAME」サーベイ

ですが、

 

もともと

対法人向けサービス

として開発しました。

 

しかし

モニタリングを続ける

中で、

 

「こういったサービス

であれば、

私個人が受けたい」

 

というお声を

いただくようになりました。

 

そこで

個人向けサーベイ

ということで

 

「KANAME Personal」

 

というものを

開発しました。

 

これは

 

・現時点での自分の

真本音度がわかり、

 

・真本音度が高まることで

開花する自分の「素質」

がわかり、

 

・真本音度を高めるための

自分の最重要課題や

ステップがわかる

 

というものに

なっています。

 

さらに、

今後、就職活動をされる方々

からのお声によって

 

・自分がどのような傾向の

企業に入ることで、

自分の「素質」を開花できるか

 

も、分析できるように

なりました。

 

現時点ではこちらも

私がお一人お一人

魂を込めて、

分析&レポート作成

しております。

 

商品展開はすべて

株式会社ITSUDATSUの

黒澤さんにお任せしています。

 

ご興味あれば、

こちらをご覧ください。

リリース記事

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000013.000054057.html

サービスサイト

https://itsudatsu.com/kaname-personal/

 

このサービスも

私の発想の原点は

同じです。

 

私が直接

お会いせずとも、

その人の真本音度が

高まるサポート方法は

ないだろうか?

 

これを探究した

結果です。

 

もちろんまだ

発展途上。

 

仕組み創りは

まだまだこれからです。

 

つづく

 

ご報告 入賞しました

 

日本の人事部 「HRアワード」

という

表彰制度があります。

https://hr-award.jp

 

この度、

「HRアワード2022」

(プロフェッショナル「人材開発・育成」部門)

に入賞することが

できました。

 

合計388点のエントリーの

中の

5点に選んでいただいた

ようです。

 

株式会社ITSUDATSU

の代表である

黒澤さんと共に

開発した

新商品・新サービス

です。

 

以前から

チラチラこのブログでも

話題に出させていただいた

サーベイです。

 

これが

入賞しました。

 

このサーベイは

2017年に

構想スタートしてます

ので、

 

もう5年になります。

 

この間、

試行錯誤を繰り返し、

様々な企業様に

モニターにもなって

いただき、

 

昨年の8月に

プレスリリース。

 

そして今回の

入賞となりました。

 

ご興味あれば

ご覧いただくと

良いですね。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000014.000054057.html

 

私共が開発した

サーベイは

「KANAME」

と言います。

 

以前から私は

組織のサポートに

おいては、

 

いかに

「要」となる人を

発掘するか?

 

最重要ポイントとして

まいりました。

 

このサーベイは

まさしくその「要」を

(潜在的な「要」を)

発見するための

ものです。

 

私がその企業様に

直接関わらなくても

 

「要」を発見する

方法はないか?

 

そして、

 

私がその企業様に

直接関わらなくても

 

その組織の

真本音度を高める

方法はないか?

 

・・・これらを

探究し続けて、

現時点での最適解が

このサーベイに

なります。

https://itsudatsu.com/kaname/

 

まだまだこれから

世の中に

広げていくサービス

ですが、

 

この時点で

ご評価いただけた

ことは

素直に嬉しい!

です。

 

マーケティングや

サービス展開に

ついては、

黒澤さんに全部

お任せしています。

 

私はもっぱら

企業様からいただいた

データの

分析活動に

勤しんでいます。

 

現時点では

レポートはすべて

私が手打ちで

心を込めて、

 

魂を込めて、

 

作成しています。

 

さて、

 

これはあくまで

企業様向けの

サービスなのですが、

 

KANAMEサーベイも

この一年で

様々なバリエーションが

広がりました。

 

その中で、

個人向けサーベイも

開発できました。

 

こちらも

様々な人達に

モニタリングさせて

いただき、

 

ご好評を

いただきましたので、

つい最近、

正式にプレスリリース

しました。

 

こちらに関しては、

また明日

詳しくご報告します。

 

つづく

 

ぶつかり合う

 

異なる方向から

来た波が

ぶつかり合い、

 

激しく

水飛沫が

上がる。

 

その

ぶつかり合い

だからこそ

生まれる水飛沫。

 

それが

遠くまで飛び、

次の波への

影響を与える。

 

徹底的に

ぶつかり合う

ことでしか

成し得ないもの。

 

そういったものは

確かに

ある。

 

ただしこれは

表面上の

ぶつかり合い

ではない。

 

本当に激しい

ぶつかり合い

とは、

 

表面上は

穏やかで

平和な

ものだ。

 

最近の私の

コーチングは

 

きっと

 

この

ぶつかり合いこそを

大事にしている

のだと思う。

 

クライアントさんと

私との

ぶつかり合いだ。

 

しかしもう

この時点で

私のしているサポートは

「コーチング」

とは言えないのかも

しれない。

 

しかし一方で、

 

これこそが

本来の「コーチング」では

ないか、とも

最近は特に思う。

 

ぶつかり合わねば

ならない時、

は必ずくる。

 

大事な

ご縁であれば

あるほど。

 

それは

その人達同士でしか

生み出せない

創造のためだ。

 

ぶつかり合いの

ない

創造は

ない。

 

何度も言うが、

表面的なこと

ではない。

 

本質的な

ぶつかり合いだ。

 

それは

表面的には

とてつもなく

楽しく、かつ

刺激的な時間と

なるだろう。

 

本質的ぶつかり合い

によってしか、

 

真の調和は

生み出せないの

だろう。

 

本質的に

ぶつかるためには、

 

 

が必要。

 

自分自身の

確固たる波

がね。

 

つづく

 

響く時代だ

 

自分の

本当の想いは、

 

もはや

 

自分だけの

ものではない。

 

本当の想い、

つまり

真本音の想いは、

 

間違いなく

「皆」

と繋がっている。

 

であれば、

堂々と

発信すればいい。

 

・・・と、

 

ようやく躊躇なく

言える

状態に入った。

 

響くべきものが

ちゃんと

響く時代。

 

社会の根底が、

そうなった。

 

表面上は

まだまだ社会は

混乱を続ける。

 

しかし

根底は、

日々、静謐に

近づいている。

 

「そのまま」が

響く静謐に。

 

真本音度の

高い人達が増え、

 

その人達が

素直に

生きている。

 

これが一番の

原因だ。

 

そう、

世の中全体の

真本音度は

間違いなく

高まっている。

 

しかし

表面上現れる

現実は、

どうしてもそのように

見えないだろう。

 

表面に

惑わされては

ならない。

 

本質を

きちんと

感じ取ることだ。

 

今こそ、

本当に自分の

すべきことに

向かおう。

 

真本音の想いは

ちゃんと

響く。

 

響き渡る。

 

それを

自らの意志で

世に現そう。

 

つづく

 

今、この問いを

 

大事な問いを

二つ。

 

・・・

 

今、

あなたの中の

混乱の心は、

何を叫んでいる?

 

今、

あなたの中の

静寂の心は、

何を見つめ、

 

その結果、

どんな意思を

持ち始めている?

 

・・・

 

混乱と静寂。

 

同居しているのが

私達の心。

 

でも

正確に言えば、

 

静寂という土台

があり、

 

それがあるから

こそ、

 

安心して

その上で

混乱できる。

 

静寂と混乱。

 

その二つの

自分を

そのまま感じよう。

 

共に

大事にしよう。

 

その上で、

 

静寂の自分の

意思で

 

動いてみよう。

 

つづく

 

星がみえるか?

 

最近、

昼も夜も、

 

屋外でも

屋内でも、

 

見上げれば

そこに

青く光る

星が観える。

 

また変なことを

言ってるな、

と思うかもしれないが、

 

それは紛れもなく

実在の星

だ。

 

それだけ

世の空気が澄んで

きたということだ。

 

それだけ

世の中が

健康体に近づいた

ということだ。

 

もちろん

表面上、現実は

混乱をきたしている。

 

混乱具合は

今後ますます

増加の一途を

たどるだろう。

 

しかしそれは

健康体に

近づくからこその

もの。

 

いわゆる

好転反応に近いが、

 

しかし

好転反応ほど

優しくはない。

 

私達がこれまでの

歴史を通じて

ずっと

創り続けてきた

社会。

 

その結果が

今、

そして、これから

 

健康的に

返ってくる

わけだから。

 

それはそれは

厳しい結果も

返ってくるだろう。

 

ただそこで

 

自らも混乱して

しまうのか、

 

それとも

 

それらの現実を

静かに

あるがままに

真摯に

受け止めるのか。

 

その、

 

「自分自身の」

 

生き方によって

その後の展開が

180度変わってくる。

 

あの

青い星が

観えるか?

 

実在の

青い星が。

 

静かな自分で

いることが、

 

真っ当な生き方を

続けることが、

 

星を

見せてくれる。

 

星が観えれば

道がわかる。

 

どの方向に

どう進めばよいか?

 

確信をもって

わかるんだ。

 

つづく

 

変化の火花

 

自分の中の

ほんのわずかな

変化の兆しを

 

自ら

捕らえられるかどうか?

 

その力をつけるのも

セルフコーチングの

重要な目的だ。

 

変化とは

最初は

線香花火の小さな

小さな

火花のようなもの。

 

ほんのわずか

輝き、

 

一瞬で

消えてしまう。

 

そのため

ほとんどの人が

気づかない。

 

だからこそ

コーチが必要

とも言えるが、

 

日々の変化を

自分で

キャッチできれば

それほど強い

ものはない。

 

なぜなら

あらゆる変化には

意味があるからだ。

 

ただしその意味は

頭で考えるものでは

ない。

 

自らの微かな

変化と

あるがままに向き合う

ことで

 

人生における

重要な指針が

突然

わかったりする。

 

つまり

「変化」こそ

 

自分自身の

指南役。

 

自分自身の

道しるべ。

 

「変化」ほど

自己理解を深めて

くれる

存在はない。

 

パチッとくる

わずかな火花を

逃すな。

 

真の変化には

火花がセットで

ついている。

 

火花に

敏感であろう。

 

つづく

 

期限に間に合った?

 

私達は誰もが、

無意識に

真本音で

何らかの「期限」を

決めている。

 

つまり、

 

いつまでに

これを成そう、

 

いつまでに

こんな自分になろう、

 

いつまでに

こんな力をつけよう、

 

いつまでに

こんな準備を整えよう、

 

などなど。

 

期限というのは

仕事だけのことでは

ない。

 

私達は全員、

自分の人生展開に

期限を決めている。

 

期限に間に合えば

次のステージに

進み、

 

間に合わなければ、

もう一度、

今のステージを

最初から

やり直す。

 

そうやって

自分の人生を

創り上げている。

 

数日前の

7月31日を

人生の大事な期限に

設定している人は

多いのではないか。

 

期限に間に合った

人は、

 

今、とても

スッキリしている

はずだ。

 

未来に対して

明るさと

開放を

感じているはずだ。

 

その逆で

モヤモヤが溢れて

いたり、

 

未来への希望が

見出せない人は、

 

残念ながら

間に合わなかった

ということかな。

 

その場合は

ちゃんと

「反省」をしよう。

 

期限に間に合わなった

こと自体が

悪い、というよりも、

 

間に合わないことは

誰にでもあるので、

 

そこでちゃんと

反省するかどうか?

 

これで

人生は決まる。

 

自分は毎日

ちゃんと

自分の意思で

進んだか?

 

自分が本当に

やりたいことに

真摯に

向かい続けたか?

 

一日一日の

完了感を

大切にできたか?

 

などなど、

しっかり反省し、

 

もう一度

やり直しだ。

 

人生は

やり直しが効く。

 

期限に間に合った感

のある人は、

 

さらに自由に

軽やかに

 

自分に素直に

進もう。

 

ここからまた

新たなステージだ。

 

つづく

 

揺れる軸

 

中心軸が

あるのに、

 

それが

ブレブレに

揺れる。

 

だから

揺れないように

必死になって

それを抑える。

 

必死になって

抑えているのに、

 

「それは違うのじゃ

ないか」

 

周りから助言が

くる。

 

こっちは

必死なのに。

 

だから

腹が立つ。

 

「大きなお世話だ、

放っておいてくれ!」

 

返してしまう。

 

ついつい。

 

でも、

落ち着いて

よく

考えてほしい。

 

必死になって

抑えなければ

揺れてしまうなら、

 

もうその時点で、

 

それは

中心軸とは

言えないのだよ。

 

本当は

誰もに

 

最初から揺れない、

 

決して

揺らぐことのない、

 

始めから

安定している

軸が、

 

中心に、

本当の中心に、

 

存在している

のだよ。

 

必死になって

創るのでは

ない。

 

必死になって

守るのでも

ない。

 

最初から

そこにあるもの。

 

自分の中に

確かにあるもの。

 

それを

見つけ、

 

見つめる

だけだ。

 

中心軸は

見つめるだけで

いい。

 

他は

何もいらない。

 

見つめるだけで、

シャンと

するもんなんだ。

 

つづく