2023年 9月 の投稿一覧

真本音で生きる目的

花火の
ように

一瞬、
煌めく。

しかし
次の瞬間には
消えている。

そんな
瞬時の
光。

エネルギー。

そういった
ものが
ある。

一瞬だから
意味がない、
などとは
言うなかれ。

一瞬だから
こそ
そこには
永遠の
美しさがある。

ほんの僅かな
その瞬間を
逃さず、

その瞬間に
こそ、
人生における
決定打を

打ち込む。

自分の
人生の超重要
ポイントと、

花火のような
一瞬の光を、

その
タイミングを

一致させる。

それこそが
真本音で生きる
ということの
目的の
一つだ。

瞬時だが、
永遠の
光を
自らの
人生に!

つづく

場は変わる

この場では
ないな、


わかったら、

することは
二つに一つ。

一つは、
その場を
変えること。

もう一つは、
その場を
離れること。

オススメは
まずは
前者に
挑戦して
もらいたい。

場は
人を変える
よりも
楽に
変わる。

人を変えよう

するのではなく、

場を変えよう
とする。

場は、
変わる。

だから
場を変える
という
選択肢を
増やしてほしい。

場を変える
力を
養ってほしい。

でないと、
人生の選択の
幅が
どんどん
狭まってしまう。

人を
変えるよりも、
場を
変える方が、

100倍は
楽だ。

まずは
その視点から
できることを
見つけてみよう。

つづく

どうしてもダメ

どうしても
入れない
境界線がある。

まるで
厳重な壁が
そこに
あるようだ。

透明の壁が。

そのラインを
踏み越えようと
思うと、

体ごと
激しい抵抗に
遭い、

反対方向に
吹っ飛ばされる。

何度やっても
ダメ。

やる度に
もうこれで
諦めようと
思う。

でも少し
時間が経つと、

どうしても
また
挑戦したくなって
しまうのだ。

最初は、
自分自身の強い
執着かな、

思っていたのだが、

どうも
そうでもない
らしい。

撥ね飛ばされる
度に、
極度の怒りが
込み上げるのだが、

その怒りが
どうやら
真本音の怒り
のようなのだ。

であれば、

永遠に
ダメでも
永遠に
私は
立ち向かう。

こういうのを
みて、

あいつは
アホだ

と言う人は
事実、
多い。

が、
それが
どうした。

私は
誰がどう言おうが、
私自身の
真本音の意志を
大切にする。

笑うが
いいさ。

と、
言いながらも、
私自身が
自分を
笑い飛ばしているよ。

つづく

厳しくあろう

人に
やさしすぎる
というのは
罪だな、

よく思う。

特に
この仕事を
するようになって
痛いほどに。

やさしさが
人を
ダメにする。

その場面は、
厳しさが
人を
ダメにするよりも

圧倒的に
多かった。

しかも、
やさしくする側も
される側も
気づいていない
ケースが多い。

だからこそ
余計に
タチが悪い。

もっと
強く生きねば
ならない、
我々は。

特に
ここからの
時代は。

・・・

自然の
摂理。

それは
厳しいもの
だ。

厳しい世界で
我々は
生きている。

だから
他人を
蹴落としてまでも
強くあらねば、
ということでは
もちろん、ない。

自然の摂理を
これから
我々はますます
強烈に
感じることに
なるだろう。

だからこそ
我々に
必要なのは、
調和だ。

人との
調和。

自然との
調和。

世界との
調和。

調和とは
弱さによっては
生み出されない。

本質的な
強さのみが
真の調和を
生む。

形だけの
やさしさは、
調和を
殺す。

それだけの
マイナスの
効果がある。

真のやさしさは
真の厳しさに
裏打ちされた
もの。

我々は
もっと
自分自身に
対しても

厳しく
あろう。

つづく

何も成していない

聳え立つ
巨大な
未来がある。

垂直に
視界を
塞いでいる。

その
巨大さに
圧倒されながらも、

何とか
負けずに
その垂直の壁に
取りつこう
取りつこう

もがいてきた。

しかし
何をどうやっても
1cmも登れず。

という具合の
これまでの
私の人生
だったように
思うのだ。

そう。

私はまだ
何も
成していない。

たった一つ
でも、

本当に
成し遂げた!


思えることは
一つもないのだ。

この言い方は
大いに
誤解を招きそう
なのだが。

それでも
私の中では
そうなのだ。

この人生で
本当に
成すべきことは
まだ
一つも
成果が上がって
いない。

その準備段階
としての
成果は
あるにせよ。

という
ことだったの
だが、

ここにきて
ようやく、

メリッメリッと
ほんの僅かずつ、

垂直の壁を
登り始めた
ようなのだ。

その実感が
今は
ある。
確かに。

この、
難易度の
最も高い
登り口を
ようやく越える
ことができるか?

珍しくも、
私の
奥の方では、

もう
越えたよ

という
声すら
響いている。

いい気に
なっては
ならないが、

しかし
すでにもう
それが
成されたかの
ような、

それが
当たり前の
真実かの
ような、

そのような
根拠のない
実感。

これを
確信と呼んでも
罪には
ならないだろう。

ようやく
手に入れたよ。

この感覚。

55年以上
待ち続けた
感覚。

つづく

死ぬということ

滝は
上から下に
落ちるものだが、

なんと、

循環
しているのだ。

凄い勢いの
水流が。

その循環の
トンネルに
閉じ込められ、

巻き込まれて
行く。

激しさと
共に
どこか懐かしい
感覚。

ふと、

これが

の感覚なのだな、
と、
思い出す
かのようだった。

この瞬間には
恐らく、
人生のすべてが
ある。

人生の
あらゆる経験
あらゆる道のりの
中で
得られた
あらゆる感覚を

統合、融合
すると、
このような
感覚になるのでは
ないか。

恐ろしいような
懐かしいような。

一方で、

なるほど、
これが
死を怖がる理由か、

妙に腑に落ちる
ところもあるのだ。

激しい
水流の循環の
中の
たったの一滴が、

ふと、
私の目の前に
きた。

それは
私の顔の前で
一瞬だが、

浮かんだ。

それを私は
まるで
静止画のように
見つめていた。

そこに
ある一人の人の
顔が浮かんで
いた。

その人と
一瞬、
見つめ合ったのだが、

次の瞬間、
私は
魂の涙を
流していた。

人生の意味が
瞬時に
理解できた
感覚だった。

なぜ、
この人生
だったのか?

こうやって
死の瞬間に
私達は皆、
真の理解を
得られるのだな。

これが
人間か・・・。

これはやはり
キツいな、
ある意味。

この瞬間は
キツいよ。

怖がる
わけだ。

ごまかしようが
ない。

こんなものと
直面
させられるのか。

これは
キツいよ、
確かに。

皆、
泣くのだろうな。

当たり前だな。

で、
思うのだ。

もう一度、
やり直したい、
と。

幸いなことに
私はまだ
生きている。

やはり
ちゃんと生きようと
改めて
思ったよ。

と同時に、

やっぱ
真本音は
大事だな。

つづく

要らぬ勉強

自分の中心軸の
エネルギーを
モロに
自分自身に
照射する。

耐えられる
ものではない。

それくらいに
中心軸の
パワーは
凄いのだ。

誰もが、ね。

耐えられない
ことが
わかっているから、

中心軸の
開放を

小出しに
するんだ。

誰もが、ね。

真の成長
とは、

中心軸を
素っ裸に
していくことだ。

服を着込んで
いくことでは
ない。

だから、
要らぬ知識は
阻害要因と
なる。

知識は
大事だが、

知識に
自分が
取り込まれては
元も子もない。

必要のない
知識は
もう
忘れてしまえ。

何が必要かは、
中心軸が
教えてくれる。

だから
勉強は
走りながら
するんだよ。

まずは
走ってから。

その合間に
勉強。

素っ裸に
なるための
勉強だ。

それが
生きた勉強
だ。

死んだ勉強は
するな。

本当に
生きながらにして
死んでしまうよ。

中心軸。

誰もが
自分自身の
本当のエネルギーを
知ってほしい。

走れ。

中心軸と
共に。

つづく

最近、考えている

たった一つの
石が、

水底深くに
ゆらゆらと
沈み、

そこに
落ち着き、

徐々に
溶けていく。

溶けるに
従って、

水が
変質を始める。

小さな
石なのだが、

それがすべて
溶ける頃には、

水全体が
根本的に
変質している。

そのような
石。

そのような
意志。

それを、
その人の代わりに

その人に
ポチャンと
投げる。

あくまでも
その石は
その人のもの。

しかし
それがまるで
自分自身の
もののように、

その人に
投げる。

さりげなく、

ポチャン、
と。

他者から
受けた
石なのに、

あぁそれは
結局は
私自身のもの
だったんだ、

ずっと後で
ようやく、

しかし
自然に、

気づく。

気づくことで
今度は
その人が

同じように、

他者に
対して

その人の
石を

まるで自分の
石のように
投げるように
なる。

私はずっと
それを
したかったので、

やり続けて
きた。

私はこれまで
これを
「コーチ」

呼んできたが、

それよりも
これこそが、

「指導」

では
ないか、と

最近、
思うように
なった。

「指導者」

という
キーワード。

最近、私は
これを
ずっと
考え続けている。

つづく

人は復活できる

いったん
あきらめかけた
としても、

本当には
あきらめては
いない。

ギリギリで
踏ん張れたなら、

そこからまた
やり直せば
いい。

基本、

人生は
自分の意志で
どうとでもなる。

意志が
なくなれば、
どうにも
ならないが。

炎は
ほとんど
消えてしまった
かもしれない。

しかし、
次の火種は
まだ、
あるんだ。

あなたの
中には。

それを
見つけたから
こそ、


もう一度
頭を
上げたのだろう?

前を
向き直した
のだろう?

それが
できれば
もう
ほとんど
復活、だ。

止まろうと
した
自分を
悔いるよりも、

未来に
向かおう。

世界は
二つに
分かれたが、

ずっと
つながった
ままだ。

いつでも
こちらに
これる。

つづく

ここで重要な問いを

今回はまた
このタイミングで、
とても重要な
問いを。

・・・

誰に何と
言われようが、

ここだけは
自分は
今のままでいい、

このままの
自分でいい、


思えるところは?

そして、

その部分を
しっかり守る
として、

その上で、

ここを自分は
大きく変えよう!

大きく
変わろう!

と、
既に自分自身が
決めていること
は何だろう?

・・・

特に、
手放したいこと

あるのでは
ないかな。

しっかり
自覚しよう。

つづく

絆の始まり

今日という
日は
きっと

お互いに
とって

とても大切な
日なのだろう。

長い目で
見れば。

私はあなたに
感謝を
伝えられた。

あなたに
救ってもらえた
ということを。

無自覚の
ままで
あなたのされた

あまりに
自然な
行為では
あったのだが、

私は
確かに
救われたのだ。

私の中
だけに
静かにその
事実を

抱き続けて
いれば
それはそれで
良いのかも
しれないのだが、

どうしても
一言
お礼を
言いたかったのだ。

案の定、

あなたは
キョトンと
していたが、

それで
いい。

これで
私は
先に進めるし、

あなたは
無自覚の
ままで

自然体で

でも
節目を
感じたはずだ。

それで
いい。

人と人は
影響を
し合っている。

自分の
まったく
計り知れない
ところで、

祝福を
し合っている。

でも、

気づいた
人は
気づいた
通りに

その人に
伝えると
いい。

バチッと

小さいけれど
エネルギーの
高い

ビッグバンの
ような

弾け

が、
起こった
だろう。

それは
永遠に
お互いの中に
残り続け、

絆と
なるんだ。

つづく

未経験の覚悟

時には、
逆流を
遡らなければ
ならない
ことがある。

逆流と
わかって
いて。

流れには
乗った方が
良いのは
百も承知だ。

その方が
成果も
出やすい。

しかしそれでも
最も
難しいところを
行く。

最も厳しい
道を行く。

もし
人生を
「探検」と
喩えるならば、

「探検」には
それくらいの
ことは
必要だろう。

逆流に
立ち向かった
経験のある人の
空気感には
独特の覚悟を
感じる。

が、

たとえ
そういった経験が
なくとも、

逆流に
いつでも
立ち向かうよ、
必要があれば、

という
意気を持っている
だけでも
同じような
空気感が出る。

だから
未経験だから
ダメ、
ということでは
ない。

やはり
生き方の
問題だな。

私の周り
だけかな?

これから
経験を積もう
とする
若い人達には、

そんな覚悟を
感じるよ。

つづく

なんだこの体験は?

言葉にすると、
あえて

「現実」

としか
言いようのない
ものが、

凄い情報量で
一気に
押し寄せてくる。

まるで
火山が噴火
したかのように、

その
マグマ達が
一気に
自分に向かって
くる。

避けようにも
避けられない。

自分は
その凄まじい
噴出に
呑み込まれる。

そして
自分が
わからなくなる。

まるで
毎回、
「死」というものの
瞬間を
体験しているかの
ように。

・・・今、
このような体験を
している人が
増えている。

日常生活の
ある場面で
突如として
そうなる。

いったい私は
どうしてしまったのか?

極度の不安に
なる。

こういった体験に
よって
まるで
気を失うかのように
なるのだが、

でも実際は
何も起きていない。

何も起きずに
平穏そのもの。

でも
自分自身には
そのような
爆発的な何物かが、

つまりは
それは
「現実」としか
表現できないものが、

押し寄せ
自分を
包み込む。

いったい私は
どうしたのか?


不安になるのも
当然だろう。

しかし
これこそが

「実在」


体験する最初の
ステップだ。

「実在」
というのものが、
いかに凄い
情報量か、
わかるだろう。

「実在」
というものが、
いかに
凄い存在感か、
わかるだろう。

それを
目の当たりに
すれば、

私達がこれまで
「現実」であると
認識していた
この世の数々の
「現象」が

単なる
「映像」でしかない
ということを、

しかもそれは
かなり淡く
儚いものである
ということを、

理屈ではなく
瞬時で
理解できるだろう。

私達は、
「現象」の世界を
生きているが、

その根っこには
すべて
「実在」がある。

これまでは
「実在」と「現象」は
断絶していた
のだが、

この数年をかけて、
いや、
特にこの数ヶ月で、

それらは
急激に
「一致」してきた。

とはいえ
まだまだ一致度合いは
低いのだが、

繋がってきた
のは
確かだ。

そのため、
日々をしっかり
真本音で生きる
人ほど、

上記のような
体験をする可能性が
高い。

上記のような
体験をしなければ
ならない、
ということでは
もちろん、ない。

しかし
もしそのような
体験が
あるとするなら、

それは
健康な体験の
一つだ。

決して
不安になる
必要はない。

むしろ
その爆発的な
情報量の「現実」は、

直観の
大本となる。

むしろ
自分の身を
完全に
委ねてみるといい。

そのうちに
この体験すらも
自分で
コントロールできるように
なるから。

つづく

愛する、について

愛する

という
向き合い方に
よって

物事が一気に
打開する

という進み行きを
この仕事を通じて、
私は無数に
体験してきた。

誰もが
人を
愛することが
できる。

しかし、
なぜか、
普段、
それを
していない。

まぁ、
私も昔は
そうだったのかな。

本来、
愛とはエネルギー
であり、

愛する

とは、
そのエネルギーを
伴った行動の
ことだ。

形だけの
愛、
というのも
多いね。
そういう意味では。

それに、

愛という
エネルギーを
伴っているにも
関わらず、

そのエネルギーの
照射の方向が
ずれてしまっている

という例も
多い。

相手に
ちゃんと
愛が
向かっていない。

愛は
あるのに。

だからいつも
思う。

向き合わず
して
愛は
相手には
伝わらない。

どれだけ
深い愛が
あっても。

そして、

人を
愛さない人は
人から
愛されることも
ない。
決して。

愛し合う、
とは
愛というエネルギーの
循環だ。

どちらかが
どちらかへ
一方通行で
エネルギーを
照射するのでは
なく、

そこに
エネルギーの循環
が起こり、
それがどんどん
増幅されていく。

循環とは
力のあるもの。

良い循環は
進化を生む。

愛は
循環によって
進化していく。

これはもちろん
恋愛に限った
ことではなく、

ビジネスでも
同じだ。

愛の循環を
生み出す
ビジネスが
増えてほしい。

つづく

自由になれる訳

大海原を
自由に
泳ぎまくる

イルカの
ようだ。

時々、
海面から
ジャンプし、

空をも
飛ぶ。

跳ぶ
というよリも
飛ぶ、
だ。

枠なんか
意識して
いない。

自分は
海に生きる
生き物だなんて
意識していない。

自由に
行く。

自由に
飛ぶ。

仲間達も
いる。

彼と出会うと
みんな
自由になる。

海面から
飛び上がる。

彼は実は
命の尽きる日を
知っている。

そこのみは
自由では
ないのだ。

いやむしろ、
その日を
ちゃんと決めて
おり、

それを
全面的に
受け入れている
からこそ、

あとは
すべてが
自由なのだ。

無限

進化を
生まない。

有限
だからこそ
進化は
始まる。

それを
彼はよく
知っている。

だから
自ら
体現している。

私は
自由の象徴だ。

宿命を
飲み込む
からこそ、

私は
自由だ。

と。

つづく

好きな方へ

渦中に
飛び込む。

自らの
意志で。

傍観する
くらいなら、

生きている
意味はない。

私には
関係ない、

という
一言を
言うくらいなら、

私という
存在の
意味すらない。

この人生は
私のもの
だから。

ここにある
渦中は
私のものだ。

であれば
堂々と
中心へ行く。

たとえ
そこで人生が
終わっても

それなら
それで
本望だ。

・・・そういった
肚の据わった
人と
向き合うのは
実に
気持ちがいい。

心も魂も
軽快になる。

あなたは
自覚して
いないだろうが。

その真剣さが
あなたの
魅力なんだ。

だから
心から
奨めるんだ。

好きな方に
行けばいいよ、
と。

つづく

壊さねばならない時

守るべきもの

何か?

それだけを
とにかく

明確
にしよう。

これだけは
ちゃんと守る!


決めよう。

その上で、

あとは
すべて
ぶった斬れ!

ぶち壊せ!

ちょいと
怖い表現に
なったが、

現実を
進めるためには
必要なこと。

守るべきものを
守ることで

壊すべきものを
壊せるんだ。

つづく

この人生の意味

初めて
この世に生まれた
瞬間を

我々は
覚えていない。

母親から
切り離される
その瞬間を。

一人の個

として
分離される
その瞬間を。

赤ん坊は
自分と他人の
区別が
ついていない。

自分と
自分以外との
区別が
ついていない。

しかし
個として
すべてから
分離された、

という
事実は
確かにあるのだ。

そして
その
「誕生」の瞬間、

我々は
すべての記憶を
失くす。

いったん
すべてが
リセットされる。

なぜなら
それが
人生の意味
だから。

分離の区別が
わからずに、

しかし
それでも
日々を重ねる
ことで

徐々に
分離の区別を
知っていく。

自分と
自分以外が
別物であることを
知っていく。

分別が
ついてくる。

それを一般には
「成長」
と言うが、

それは
本質的には
この世の次元に
合わせて

自分の次元を
落としている

ということ
だ。

すべてが
分離している
世界に入り、

その次元に
自分を
合わせながら、

いったん
すべてを
リセットする。

実はこれは
人にとって
最も過酷なことでは
ないか。

その「過酷さ」を
我々は
全員
体験してきた。

最大の
過酷さから
始まるのが
この世の
人生だ。

だから
我々には
それをくぐり抜けた
逞しさが

根底に
備わっている。

逆に言えば
その逞しさを
備えることが
できなければ、

この3次元の
世界の
過酷な人生は
生き続けられない
のだ。

これほど
調和のない
世界は他になく、

しかし
その中で
我々は
調和を生み出して
いく。

言わば、
戦士
のようなものだ。

一人ひとりが
戦い続けて
いる。

人生とは
戦いである。

その事実と
対峙せずして

我々は
自身の道を
開くことは
できない。

「逃げ」
からは
残念ながら
何も生まれない。

我々の
真本音は
それをよく
わかっている。

だから、

真本音で生きる
とは

やりたいこと
だけを
やればいい、

という
生き方とは
対極にある。

どのような
現実に対しても
真に
自分らしく
向き合い、
道を開く。

・・・それが
真本音で生きる
ということだ。

この過酷な
人生に
あえて
立ち向かう
理由が
我々にはあるんだ。

理由、
つまりは
願い、

あるんだよ。

どれだけ
記憶を
失くしてもね。

つづく

人が孵化するとき

卵が孵化
するように、

人も
孵化する。

そんな時、
よくあるのが、

熱が出る

という
現象。

体が非常に
不安定に
なるので、

タイミングが
合えば、
ウィルスに
感染してしまうことも
ある。

しかし、

孵化を原因
とした
高熱(もしくは病気)
であれば、

あまり心配
することはない。

それは
じっくりと
休息すべき時、

という
真本音からの
合図。

実際に、
全く体が
動かなくなるし、

気力も
ほぼほぼ
ゼロになる。

それでいい。

孵化をする
時は、

全エネルギーを
そこに
注がねば
ならない。

集中せねば
ならない。

そういった
意味で
本当は、
「休息」では
ないのだが、

顕在意識レベル
では
「休息をしっかり
とろう」

決めた方がよい。

中途半端に
活動しないこと。

つづく

まっすぐ行こうとしても

まっすぐ進もう
とする
あまりに

無理をして
いないかい?

いついかなる
時も、

無理をしている
感覚があれば、

それは
「まっすぐ」
のように見えて、

実在は
「まっすぐ」では
ないのだよ。

「まっすぐ」

表層的に
捉え過ぎては
ならない。

表面上は
クネクネと
曲がりくねっている
ようでも、

その実在では
「まっすぐ」
ということは
多々あるんだよ。

なぜなら
この現実世界
こそが
「まっすぐ」では
ないから。

曲がり
くねっているから。

曲がりくねった
世界で
まっすぐ進む。

本来は
とても難易度の
高いことを
しているのが
我々だ。

だから
「まっすぐ」に
こだわり過ぎると
逆に
曲がってしまう。

だから
あえて
今のあなたには
こうアドバイスしよう。

もっと
適当でいいよ。

つづく

なんだよこの場は

一つ、
石を投げて
みる。

すると、

たった一つの
石なのに、

同時多発的に
3つの波紋が
広がった。

なぜだ?


思うよりも、

なんだ
ここは?

という疑問が
湧いた。

面白いので
もう一つ
別の石を
投げてみた。

しかし今度は、
何も
起こらない。

ポチャンと
確かに石は
落ちたのに、

水面に
波紋が
浮かばない。

なんだ
ここは?


そりゃ
なるわね。

ならば、

同時に
3つの石を
投げてみた。

かなり
インパクトの
あるヤツだ。

すると
波紋、
というよりも

水面全体が
揺れた。

幾千もの
波紋が
交差する。

そして
それらの揺らぎが
まるで
生み出したかの
ような

新たな光が
生まれ、

それが
空に
飛んで行った。

なんという
場だ。

これだから
“企業”
は面白い。

“組織”
は面白い。

“人”を
理解したと
しても、

“企業”を
“組織”を
理解できた
ことには
ならないね。

つづく

素晴らしいアイデアなのに

ここに
アイデアが
ある。

とても
素晴らしい
ものだ。

なのに、

それが
何かが
わからない。

目の前に
あるのだ。

しかしそれは
卵のように
殻に
閉ざされており、

中身が
わからない。

素晴らしい
アイデアが
あるのだという、

その存在は
わかるのに、

肝心の
中身が
わからない。

・・・こんな
時ほど
面白いことは
ない。


思わないかい?

こういう時
こそ、
私は
人生の醍醐味
だなぁ、

思うし、

その今の
「在るのに
わからない」
という
状態を
満喫する。

卵のまま
であるなら、

その卵を
いつも大事に
大事に
抱き続けよう。

いつどの
瞬間に
卵は
割れるのか?

中から
何が
飛び出すのか?

それを
待つ。

待ちながら
日々を
過ごす。

ワクワク
するねぇ。

まさしく
今の私が
その状態
なのだが、

同じ状態の
人、

多いんじゃない?

つづく

呆れているよ

頼みます。


言われても、

それに
応えられる
時と
応えられない
時が
ある。

基本、

その人自身が
真本音で
望んでいないことを
頼まれたら、

応えることは
できない。

どれだけ
強く
お願いされようとも。

頑なになっている
わけではない。

体が
動かないのだ。

「わかりました」

「わ」の字も、

「いいですよ」

「い」の字も、

決して私の
口からは
出てこない。

時には
まったくの
無表情になることも
ある。

だからそんな時は
怖いだろう。

時々、私は
私自身でさえも
私のことが
怖くなる。

人には
人情というものが
ある。

だから
ちょっとくらい
妥協して、

真本音だー
反応本音だー
なんてことは
言わずに
対応しても良いだろう、

顕在意識では
思うのだよ。

だけど
ダメ。

やはり
ダメ。

私は
人をサポートさせて
いただくことを
生業としている。

たとえそれが
仕事で
なかったとしても、

それを使命として
生きている。

そう
決め切っている
私が、

その人の
真本音が
望んでいないことに
手を貸すことは
ない。

その代わり、

真本音で
進む、
特に
未知の領域に
進もうとする
人には、

その人の
真本音が
望むだけ、
私は
それにお応えしたい。

たとえ
命が尽きる
ことになっても。

・・・と
言うと、
大袈裟に
聞こえるかい?

実はそうでも
ないんだな。

それだけ
とことん
やってしまう。

極端な人間だな

私自身が
呆れているよ。

つづく

今、必須の問い

よく言う
ことだが、

一日の
始まりは

新たな人生の
始まり
でもある。

今日
という人生。

これまでとは
異なる
理念で

一日、
生きてみないか?

・・・

今日一日を
生きる、
私にとっての
初めての
理念は何だろう?

・・・

今の私達に
必須の
問いだ。

つづく

愛の場面

分離している
二つの存在が

一つに
なろうとする。

その際に
発生するエネルギーを
私は
“愛”
と呼んでいる。

この仕事を
長年やっていると、
どうしても
このエネルギーとしての
“愛”を
感じ取ってしまう。

ある同じ人でも
“愛”が
大量に発生する
瞬間と
そうでない時が
ある。

あぁこの人は
こんな場面で
“愛”が湧き出るのだな、

という気づきは
その人への
サポートの大きな
指針となる。

どんな瞬間に
“愛”が大量発生
するか?

そこにこそ
その人の個性や
役割や能力が

さらには
使命が

凝縮されている
から。

“愛”のない
人はいない。

しかし
日常生活で
“愛”が
発生されていない人は

残念ながら
多い。

ないのでは
ない。

あるのに
発生させられない
のだ。

つまりは
そういった場面を
自らの人生で
創り出すことが
できていないのだ。

反応本音のみで
生きる、とは
そう言うことである。

それは自らの
“愛”を
減退させる、

・・・というよりも、

“愛”の場面を
減少させる。

自分の輝ける
場面は
自分で
創り上げる。

これが本来の
人生だ。

これが
自律ということ
でもある。

“愛”のない
人はいない。

自分を活かす
とは、

自分ならでは

“愛”の場面を
増やす
ということだ。

つづく

場のエネルギー

この場の
エネルギーは
凄いな。

溜息が
出る。

下から上へ
突き上げるような
エネルギーの
流れ。

身体が
浮き上がるような
感覚。

心地が
良い。

時々
そういう場が
あると、

私はふと
立ち止まり、
そのエネルギーを
しばらく
満喫する。

普通の街中でも
それをするので、

突然立ち止まる
私を
変なヤツだと
見ている人は
多いかもしれない。

人も
一期一会だが、

場も
一期一会
なんだよ。

人も変化する
のと同様、
場も変化する
からね。

同じ場所を
再び訪れたと
しても、

まったく同じような
エネルギーとは
限らないのだ。

だから私は
良い場と出会ったら
すかさず
満喫する。

時には
場と
対話する。

新しい土地に
行く場合は
特に楽しみだね。

そこに
どんな人達が
いるか?


同様に、

そこに
どんな場が
あるか?

・・・がね。

近々また
初めての場所に
行くのだが、

今から
少しワクワク。

つづく

もう一度

扉は常に
開かれている
ことを

信じると
いい。

人生は
やり直しが
効く。

もう一度!


本気で
思えたところが

スタートライン
だ。

年齢は
関係ない。

これまでの
道のりも
関係ない。

後悔?

あるのが
当然だろう。

人間
なのだから。

後悔が
あるなら、

後悔の念に
思いっきり
まみれること。

ごまかさない
こと。

人間は
後悔するように
できている。

次の
スタートの
ために。

ごまかしの
スタートなら
しない方がいい。

存分に
後悔して、

存分に
自分自身に
謝って、

自分自身と
和解して、

もう一度。

こっから
スタートだ。

つづく

美味しそうだよ

熟れた実が
生っている。

充分に
食べ頃の
果実達。

美味しそう。

これまでの
努力が
実っている。

あとはそれを
思う存分
食べて

堪能すれば
いい。

という状態
であるにも
関わらず、

自分に果実が
生っていることを
知らない、

信じない、

食べない、

という
人が
かなり多いことが
私はとても
残念だ。

その果実を
実らせるための
これまでの
人生だったのに。

一つのゴールは
すでに
手に入っている
のに。

果実を食べて、
自分の
素晴らしさを
堪能して、

次のステージへ
向かえるのに。

果実を食べたら、
ここからは
「邁進」
できるのに。

果実が生る
までの
人生のステージ、

それを私は
「準備ステージ」
と呼んでいる。

果実が生ってから
さらに先に進む
ステージを
「邁進ステージ」
と呼んでいる。

皆、
邁進ステージに
早く入りたい。

なぜなら、
邁進ステージは
楽しくでしょうがない
から。

人生の本来の
醍醐味とも
言える。

それは
本能的に皆、
知っている。

だけど
邁進ステージとは
未知の領域に
入ることでもある。

未知の領域は
怖い。

それもまた
本能的に
知っている。

だから
邁進ステージの
前で
止まってしまう人が
多い。

そちらに
行きたくないが
ために、

果実が生っている
にも関わらず、

それを
知らないふりを
する。

無意識に。

本当は
知っているのに。

もったいない
なぁ。

でもまぁ、
どれだけ
知らないふりを
していても、

その現実を
受け入れて、

果実を
受け入れて、

堪能して、

邁進ステージに
進むことは
いつでもできる。

ただ、

あまりに遅いと
せっかくの
果実が

腐ってしまう。

腐る前に、
気づいてくれると
いいなぁ。

つづく

追い詰めるコーチ

人間、
面白いもので、

本当に
追い詰められた
時に初めて

その人の
「本来」
が開花を始める。

すべての人が
そうだとは
限らないが、

そういった人は
やはり今でも
多い。

だから、
私としていつも
大事にしているのは、

「ちゃんとその人が
追い詰められること」

だ。

せっかく
追い詰められそうに
なっているのに、
そこで中途半端な
サポートをしては、

すべてが
無駄になって
しまう。

せっかくの
開花のチャンスを
逃してしまう。

当然、
本人も
中途半端に
逃げよう逃げようと
する。

それを
逃げられない
ように、
しっかり
追い詰められるように

・・・と、
そちらの方面への
サポートをする。

表面的に
見れば、
かなりひどい話かも
しれない。

でも
そのひどいことを
コーチとして
私は、やる。

その人が
真本音で
望んでいることで
あるならば。

だから、

特に最近は
私のコーチングや
研修を受けると、

以前より
苦しくなった、

という声が
増えた気がする。

以前は、

わかりやすかった!
とか
スッキリしました!
とか

そういった声が
ほとんどだったのだが。

ようやく私も
真のコーチに
近づいてこれたのかな。

つづく

未知の人間

視界の全くない
道を
歩いている。

いや、
これは道と
言えるのか?

もちろん
自分が今
どこにいて、

どこに向かって
いるのかは
わからない。

しかし、
導かれる
ように
歩いていく。

先に何が
待っているのか?

という
恐れによって
足がすくむことは

もう既に
なくなった。

人間とは
慣れるもの。

凄いものだ。

先に
待っているものが
天国か
地獄か。

そんなことにも
頓着しない
自分が
もう既にここに
いる。

だから
導かれる感覚に
素直に
従うのみ。

何が
導くのか?

誰が
導くのか?


もちろん
わからないままに。

先の方に
何らかの気配が
強まってきているの
ことは
少し前から
感じていた。

この気配は
これまで
経験したことのない
ものだ。

きっと私は
もう
未知の領域に
入っているのだろう。

私の長い
旅路の
記憶にはない
こと。

そこに
分け入ることは
それ自体が
悦びのようだ。

一言で言えば
ウキウキ
している。

やはり、

道は
見えない方が
いい。

見えることで
何かが大きく
失われる。

逆に
見えないことで
得られるものは
多い。

そのように
人間は
創られている。

人とは個。

人間とは場。

私はもう
新たな人間
となっている。

つづく