セルフコーチング

日記のコツ

日記を書く時に、
一つ
大事なことがある。

それは、

「今日は
主観的に書くか、
客観的に書くか」


決めることだ。

自分自身に
問うて、
しっかり決める。

その上で
書き出せば、

とても良い
振り返りができる。

と共に、
書きながら
良い気づきが
得られる。

これもまた
セルフコーチングの
一つ。

ご参考までに。

つづく

意思の込め方

一つ一つの
自分の意思を
丁寧に
確認するといい。

日常に
おいて。

ほんの些細な
行動、振る舞いの
一つ一つに

私達は無意識に
心の声を
呟いている。

例えば、
椅子から立ち上がる
時には、

「さぁ、立とう」

というように。

無意識に
呟き、
その呟きに即して
実際の行動に
移している。

だからまず、
その一つ一つの
心の声に
意識を向けてみよう。

すると、
自分の意思が
込められている心の声

そうでない心の声
の区別が
徐々についてくる。

そうしたら、
できるだけ自分の
意思を込めた
心の声を
増やすといい。

その度合いが
高まれば、
自己コントロール力も
高まっていく。

それを通じて、
だんだんと
自分自身への
理解も深まる。

そうか、私は
こんな時に
こんな心の声を
呟いていたんだ。
しかも、
こんな時には
こんな意思が働き、
あんな時には
思ったより意思は
入ってないんだな。

・・・という具合だ。

そして
意思と言っても
様々ある。

自分の
本当に大切にしたい
意思を
増やしていく。

自分の願いに
つながる意思を
増やしていく。

そんな意思を
尊重した
心の声を
増やしていく。

これを通じて、
真本音度は
高まっていく。

願いと行動が
より深く
結びついていく。

以上のような
ことを、
日々、
日常生活の中でこそ、

ほんの些細な
行動の中でこそ

やり続けると
いい。

つづく

自覚の問い

今回もまた
重要な問いを。

・・・

あなたの中の
最も静かな部分は
どこ?

その
最も静かな部分は
今、何を
見つめている?

・・・

ここ数ヶ月で
だいぶ整ってきた
人が多い。

自分の中の
整った部分を
自覚することと、

その場所から
何を見続けるか?を
しっかり
決めるといい。

加速できるよ。

つづく

迷いに囲まれている

迷った時ほど、
静かに
佇むといい。

あらゆる
迷いを
大切に、
一つ一つを
しっかり見つめる。

見つめる、
ということは
その時点で
客観的だ。

つまり、
迷いの中に
自分が呑まれている
のではなく、

迷いの外から
その迷いを
少し離れて
見つめている状態。

これをすると
まず気づくのは、

今、私が
捕らえられている
迷いというのは、

一つではなかったんだな
ということ。

こんなにたくさんの
迷いが
私の中には
存在していたのか、
という
事実。

一つの迷いの
中にいると、
他の迷いが
見えなくなるから。

一つの迷いから
出れば、
その他の迷いも
よく
観えるようになる。

私の周りは
迷いだらけ。

数々の迷いに
囲まれて、
私という人間は
ここに
立っている。

それが
真実。

人は迷うために
存在している
のだから。

さて。

それがわかったら
もう大丈夫だ。

数々の迷いを
しっかり見つめながら、
そのまま静かに
佇んでいよう。

すると、
スーッと自分に
近づいてくる
迷いがある。

それはまるで
蛍のようだ。

小さいが美しく
輝きながら。

それがまずは
最初に答えを
出すべき
迷いだ。

その蛍の光、
つまり
最初の迷いと
向き合う。

迷いとは
「?」
だ。

問い
だ。

その問いを
しっかりと
言語化し、

その問いと
100%向き合う。

すると、
答えはすぐに
出る。

確信的に
まるで
思い出すかの
ように。

答えが出たら
そのまま
実行すればいい。

すると、
スーッと次の
蛍が来る。

そうして
一つずつ、
迷い(問い)と
向き合い、

答えを出し、

進んでいく。

これが
セルフコーチングの
本質。

つづく

答えとの関係

大切な答え

今ここに
ある。

その答えは
最初は
言葉には
ならない。

その
存在感
のみ。

それを感じ取ると、
それを 
両掌に
大切に掬う。

胸の中心に
大切に抱く。

そして
一つになる。

ジワーッと
した
温かさ。

この答えが
もたらしてくれる
ものを

まずは
あるがままに
感じる。

その上で
ゆっくりと
言語化する。

適当な
言語化では
ない。

最も適切な
言葉を
丁寧に探しながら、

感じながら、

言語化する。

言語化された
瞬間から
その答えは
自立・自律を
始める。

それを受け取る
私自身も
その答えに対して
自立・自律
する。

どれだけ
良い答えであっても
その答えに
依存してしまえば、
それは
本末転倒だ。

答えに対して
失礼だ。

自らの答えで
あるが故に、

私達は答えに
依存しては
ならない。

真の答え
とは
真の自律関係で
関わり、

それをすることで
初めて
共に進める。

答えとは
単なる言語
ではない。

魂のある
共に進む
仲間だ。

これもまた
セルフコーチングの
基本の基本。

つづく

一つの祈り

「意図」を手放す
というのは
難しいことだと
思う。

でも、

自分の中の
すべての「意図」を
一つずつ
拾い上げ、

ただ観察する

という
状態に置くと、

すべての「意図」から
自由になる
ことができる。

人間は
「意図の生き物」
だな、と
その度に
思う。

こんなにも
数々の「意図」に
囲まれ
縛られて
生きているのか、
と。

それらの
中には、
自分自身の
生み出した「意図」
もあれば、

環境や
周りの人から
与えらえたもの
もある。

いずれにしても
意識的にも
無意識的にも
大小無数の
「意図」に
縛られてながら
生きているのが
人間だな、と。

セルフコーチングの
力が増せば、
それらから
丁寧に自分を
解放することが
できる。

すべての「意図」を
自分自身から
ちょっとだけ
離し、

すべてを観察できる
状態になると、

「自分」と「意図」
とは
まったくの別存在
なのだと
わかる。

「意図」を
なくした
自分。

ただの
「存在」だけと
なった
自分。

そんな自分にも
意志は
ある。

いや、
そんな自分には
一つの
意志だけが
残る、
と言ってもいい。

その意志こそ
自分自身そのもの
かも知れない。

私はその意志を
「願い」
と呼んでいるが、

「祈り」
と言っても
良いかも。

いずれにしても
それは
言葉には
ならないものだ。

言葉を超えた
意志、

一つの祈り。

私は
迷うといつも
そこに
戻る。

戻る場所に
戻り、

すべてを
見渡す。

これぞ
セルフコーチングの
基本であり
原則だ。

つづく

自由意志

完全に
すべての制約を
取り払い、

完全に
自由になれたら、

今の私が
本当にやりたいことは
何だろう?

・・・この問いの
答えを明確に
素直に答えられる人は
残念ながら
少ない。

こんなこと
考えても無駄だ。

とか、

こんなこと
考えちゃうと逆に
現実とのギャップが
ありありとわかり
苦しくなる。

とか。

そんなことより
今目の前にある
現実に
ちゃんと向かうことだろ。

とか。

中には、
本当に素直な自分の
心を知るのが
怖い。

とか。

様々な理由で
私達はこういった問いと
向き合わなくなる。

でも私は
やはり、
とても大切な問いだと
思うのだ。

私がこの問いと
真剣に向き合ったのが
20年くらい前。

以後、ずっと
向き合い続けて
いる。

今はお陰様で、
この問いの答えと
ほぼ一致する毎日を
送ることが
できている。

真摯にこの問いと
向き合い続けた
結果だと
思っている。

年齢は
関係ない。

ちゃんと
自分を自由に
できるのは、
自分自身だけだ。

本当の意志に
生きる。

そんな日々を
創り出せるのは
自分自身だけだ。

つづく

問いすら要らない

心が澄んで
いるときは、

「問い」が
要らない時が
ある。

「問い」の前に
もう
「答え」が来る。

その気配を
感じたら、

澄んだその状態
のまま、

「定位置」で
じっと待とう。

心が澄んでいれば
「定位置」が
わかるはずだ。

心の中の
「定位置」。

そこに座って
静かに待てば、

「答え」は
静々と
目の前に
やってくる。

何も
問わない。

何も
訊かない。

何も
聴かない。

ただ
静かに
しているだけ。

すると、
言葉になる前の
「答え」が
わかる。

「答え」の
存在がわかる
という感じだ。

あとはその
存在と
一つになるだけ。

すると
「思い出す」感覚で
それは
言語化される。

もしくは時には
言語化すら
されずに
ダイレクトに
自分が勝手に
何かの行動に
移るかもしれない。

いずれにしても
「思い出した」
その答えは

私達を
突き動かす。

突き動かすと
言っても
勢いでは
動かない。

静かに
でも
エネルギッシュに、

まるでそれが
当然のこと
であるかのように

周りから見れば
凄まじいくらいの
確信に満ちた
行動を
とるようになるんだ。

つづく

最初からあったのか

「正解」

わからなくなったら、

「正解かどうか?」
という
問い自体を

少し離れたところに
置いてしまうといい。

「どっちでも
いいじゃないか」
と。

もし
「答えを早く
出さねば」
という
恐怖にも似た
感情があれば、

それも
少し離れたところに
置いてしまうといい。

心は、
そこにあるものを
失くすことは
難しいが、

横に置く
ことは
少し訓練すれば
誰でもできるようになる。

これは
セルフコーチングの
基本の一つでもある。

横に置いて

その存在は
感じつつも

もう
その中には
入らない。

すると
だいぶ静かに
なれるだろう。

それでいい。

正解かどうかは
どっちでもいい。

答えをすぐに
出すかどうかも
どっちでもいい。

そうなれた
時初めて、

もう
「ここ」にある
自分の答えに
気がつく。

なんだよ。

最初からここに
あったのかよ。

・・・と。

「ここ」にある
もの。

ずっと
在り続けた
もの。

在るものを
在るんだと
気づく。

あとはそれを
観ればいい。

あるがままの
それを。

それが
「自分の答え」
だ。

真本音の。

難しいことじゃ
ないんだ
本当は。

私達はもっと
楽に生きれるんだ。

つづく

一問

 

たった

一問。

 

次の問いを

自分に

 

純粋に

 

投げ、

 

自分自身の

心と体の反応を

 

純粋に

 

見つめよう。

 

・・・

 

今、楽しいか?

 

・・・

 

シンプルな

ものを

 

投げられた

時こそ、

 

結構

本当の状態が

 

わかるもんだ。

 

つづく

 

感覚で生きる③

 

全身、全細胞の

反応に

意識を向ける

生き方。

 

これをすることで

自分の日々の

行動の一つ一つを

 

より気持ちの良いものへ

変換することが

できる。

 

それは取りも直さず、

周りの人達にとっても

気持ちの良い変換と

なるだろう。

 

体の感覚を

侮ってはならない。

 

体の感覚とは

それを一部だけでなく

全身しっかりと

感じ取るならば、

 

周りと調和する

方向へ

導いてくれるものだ。

 

さて、

 

これらを続けると

さらに良いことが。

 

それは

「未来」への

発想だ。

 

自分の未来を

描くときに、

 

体の反応が

 

その未来を

自分が本当に

望んでいるかどうか

教えてくれる。

 

自分にとって

無理のある未来

であれば、

 

体の細胞達が

違和感という

警笛を鳴らす。

 

本当に望む

未来とは、

 

自分の心

だけでなく、

 

全身が

全細胞が

喜ぶものだ。

 

そしてその

未来に向かうために

今を生きることで、

 

今の自分の

在り方そのものが、

 

全身が

全細胞が

喜ぶものに

近づいていく。

 

今この瞬間、

全細胞が常に

喜んでいる。

 

そんな日々。

 

これを

「幸せ」と言わずして

なんと言おう。

 

つづく

 

感覚で生きる②

 

全身、全細胞の

反応に

意識を向ける

生き方。

 

これを続けると、

自分自身の様々な

生活習慣に

 

違和感

 

を覚えるように

なる。

 

違和感があることは

思いきって

やめてみよう。

 

そして

もっと体が喜ぶことを

習慣にしてみよう。

 

これをするだけで

毎日は

とてもとても

すがすがしくなる。

 

そしてさらに、

 

自分の行動の

一つ一つにも

 

違和感

 

を感じるように

なる。

 

自分のちょっとした

振る舞い。

 

ちょっとした

一言。

 

ひょっとすると

ほんのわずかな

自分の表情にも

 

違和感

 

を覚えるかも。

 

そうしたらやはり

それらも

やめてしまおう。

 

そしてできるだけ

体が喜ぶ自分の

言動に

 

少しずつでも

変えていくのだ。

 

実はこれだけで

大半のストレスが

消えるかもしれない。

 

これだけで

真本音度が

高まるかもしれない。

 

でも、さらに

良いことがあるよ。

 

次回につづく

 

感覚で生きる①

 

感覚を

研ぎ澄ますと

いい。

 

そのためには

最初は体を意識する

ところから。

 

自分の体が

今、

どのように反応しているか?

を、

 

全身に

全細胞に

意識を向けることで

把握するのだ。

 

例えば、

 

これから何かを

食べようとする時に、

 

今、私はこれを

本当に食べたいか?

 

自らに問い、

頭で答えるのではなく、

体の反応を感じるのだ。

 

全身に

全細胞に

意識を向けながら。

 

そして、

食べたい!と

体が反応しているので

あれば、

美味しく味わって

楽しんで食べる。

 

食べたくない、という

ような感覚があるならば、

 

もう食べるのを

やめてしまうのだ。

 

感覚で

決める。

 

これを日常の

あらゆるところで

繰り返すと、

 

感覚〜感性が

ぐんぐん

研ぎ澄まされる。

 

それによる

メリットは

大きい。

 

どんなメリットかと

言うと・・・。

 

次回につづく

 

今、この問いを

 

大事な問いを

二つ。

 

・・・

 

今、

あなたの中の

混乱の心は、

何を叫んでいる?

 

今、

あなたの中の

静寂の心は、

何を見つめ、

 

その結果、

どんな意思を

持ち始めている?

 

・・・

 

混乱と静寂。

 

同居しているのが

私達の心。

 

でも

正確に言えば、

 

静寂という土台

があり、

 

それがあるから

こそ、

 

安心して

その上で

混乱できる。

 

静寂と混乱。

 

その二つの

自分を

そのまま感じよう。

 

共に

大事にしよう。

 

その上で、

 

静寂の自分の

意思で

 

動いてみよう。

 

つづく

 

ちょっと変な問いですが

 

今回もまた

問いを。

 

ちょっと変な

問いだが。

 

・・・

 

あなたは今、

何に

包まれている?

 

それを

しっかり感じた

上で、

 

その

包んでいるものは

あなたに今、

 

何を

与えようと

してくれている?

 

・・・

 

与えられるもの

しっかり認識し、

 

それを活用し、

 

あなたは

今日から

何をする?

 

つづく

 

この転換点に大事な問い

 

今の

5月から6月にかけての

日々が、

 

またとてつもなく

重要なんだな。

 

一つの大きな

転換点。

 

これについては

改めて

書かせていただくと

思うが、

 

今回はまた、

今だからこそ

大事な問いを。

 

・・・

 

あなたの心の

根底にある

怒り(憤り)は何だろう?

 

それを

しっかり見つめて、

 

あるがままに

感じて、

 

その声を

ちゃんと聴いて

みよう。

 

・・・

 

怒り、って

大事なんだ。

 

自分はすぐには

怒らない

大らかな人間で

いよう。

 

・・・とする人が

いるが、

 

もし本当に

そうなりたいなら、

 

より一層、

自分の怒りや

憤りを感じ、

向き合った方が

いい。

 

怒りに敏感に

なる。

 

それにより、

自分が今

本当に意識を向け

エネルギーを注ぐ

べきことは何か?

観えたりする。

 

怒りは

安易に人にぶつけては

ならないが、

 

怒りは

ちゃんと自分自身の

大切な気持ちとして

自分が

大切にすべき。

 

自分の中では

いつも

怒りを

開放させておこう。

 

さて、

 

今はとてつもなく

大事な転換点。

 

その指針を

見出すには、

 

自分の怒りに

光を当てることだ。

 

つづく

 

ふと浮かぶ映像は

 

ふと、

意味のわからない

映像が

浮かぶときは

ないかな?

 

それがかなり

明瞭な場合、

 

それは

単なるイメージ

ではなく

「実在」

かもしれない。

 

「実在」

つまりは

現象(現実)の

もとにあるもの。

 

物事の根元。

 

物事の本質。

 

何らかの物事

について

その本質を

掴めた時、

 

私達は時々、

それを映像化して

自分自身に

もたらす。

 

それは

非常に意味のある

ヒントとなる。

 

自分が単に

頭でイメージを

しているのか?

 

それとも、

 

何らかの「実在」を

掴み、

そのヒントとしての

映像を

自分自身に見せて

いるのか?

 

この区別が

つくようになると

 

人生はとても

面白くなる。

 

そうなるためには

まずは、

 

ふと浮かぶ

一見すると

わけのわからない

映像があった場合、

 

それは

ほんの一瞬

よぎるだけの場合が

多いのだが、

 

それを

逃さずに、

 

来た!

 

その映像に意識を

向けること。

 

頭で解釈する

のではなく、

 

ただただ

その映像に

意識を向け続ける

こと。

 

・・・ということを

続けるといい。

 

意味がわからない

ならば、

意味がわからない

ままで良いので、

 

これを続けていると、

ふと

突然に何らかの

気づきが

来るかもしれない。

 

来ないかも

しれないが。

 

来ないなら

来ないで

それでいい。

 

これも一つの

セルフコーチングの

訓練だ。

 

一つ一つの

映像を

大切に。

 

つづく

 

もう考えるな

 

必要なことが

必要なタイミングで

 

必然的に

起こる。

 

そういった

調和した人生を

創り出すためには、

 

時間との調和

必須だ。

 

自分と時間

との調和。

 

そのための

第一歩は、

 

無駄なことを

やめる

 

・・・だ。

 

さらに

そのための

第一歩は、

 

無駄なことを

考えない

 

・・・ことだ。

 

みんな、

 

無駄なことを

考え過ぎだ。

 

考える必要の

ないことを

あーだこーだ

考え続ける。

 

自分の意識が

全部そっちに

持っていかれる

ので、

 

目の前の

肝心な現実が

観えなくなる。

 

それが

調和度を

極度に下げる。

 

じゃあ、

 

無駄なことを

考えないように

するには?

 

無駄なこと

なのか、

必要なこと

なのか、

その判断は?

 

という質問が

来そうだ。

 

でも残念ながら、

今すぐに

判断がつくように

なる方法は

ない。

 

大事なのは

日々の

習慣づけだ。

 

どんな

習慣かと

言うと、

 

単純だ。

 

自問自答

だ。

 

自分に

丁寧に問うのだ。

 

今、自分にとって

最も大切な

問いは(=考えるべきことは)

何だろうか?

 

と。

 

そして、

 

今、私が

考え続けていることは

本当に必要なのだろうか?

 

と。

 

う〜ん、

わからない。

 

必要かどうか

わからない。

 

・・・と

迷う場合は、

 

必要ない

 

ということだ。

 

本当に必要なことで

あれば、

上記の問いを

自分に真剣に投げれば、

 

すぐさま

「これは必要なことだ」

答えられるはず。

 

・・・と、

あえて決めつけて

しまう。

 

つまり、

必要かどうかわからない

ことはもう

考えない。

 

考えない代わりに

意識を外に

向け続ける。

 

自分の周りの

現実を

 

あらゆる現実を

 

観察し続ける。

 

散歩にでも

出ればいい。

 

外の景色を

眺めながら。

 

自分の心の内側に

意識が

向かわないように。

 

最初は

無理矢理にでも。

 

強引にでも。

 

そして、

 

本当に必要な

ことのみ、

 

「よーし、今からこれを

徹底的に考えるぞ」

 

と決めて、

 

真剣に集中して

考える。

 

考え尽くす。

 

以上のような

メリハリ。

 

これをつけながら

一日一日を

過ごしていく。

 

そうすると自ずと、

無駄なことは

考えない

 

必要なことのみ

考える

 

自分となれる。

 

すると途端に

時間との調和が

始まり、

 

人生の調和が

始まるんだ。

 

つづく

 

あなたは中心だ

 

私達は

 

“環”(わ)

 

の中心にいる。

 

誰もが

そうだ。

 

自分の環がある、

表現することも

できる。

 

あなたの環は

今、

どれくらいの

大きさだろう?

 

昔、

南アルプスの

少しだけマイナーな

地域を

一人で歩きまわった。

 

ある山の

ピークに立ったとき、

 

そこは3,000mくらいの

高度だけあって、

 

人は一人も

見えないのに、

 

世界が

青空のもと、

360度

見渡せた。

 

地平線なのか

水平線なのか

区別のつかない

彼方にのみ

雲は存在し、

 

あとは

濃い青空。

 

その時、私は

確かに

 

“環の中心にいる”

 

と感じた。

 

あの感覚が

33年経った今も

ずっと

残っている。

 

それは一つの

真実なのだと

思う。

 

私達は

誰もが

“環の中心にいる”。

 

そして

“環”を意識することで、

 

“自分”がわかる。

 

それは

自我ではなく、

 

“世界の中の自分”

 

である。

 

その目をずっと

持ち続けること

でしか、

私達は自分の

本当の道を

見出すことはできない

のではないか、

 

今日、ふと

思ったのだ。

 

変な表現だが、

 

きっとみんな

無意識に

自分の環を

意識している。

 

それをもっと

意識的に

意識するといい。

 

今、

あなたの環は

どれくらいの

大きさだろう?

 

自分が

その環そのものに

なると、

自分のことが

どう観える?

 

自分が

その環そのものに

なると、

自分に何を

メッセージしたい?

 

今、

環は、

何を語りかけている?

 

あなたは

今、

何をすべきだろう?

 

つづく

 

ヒントは目の前に

 

人生にヒントは

たくさん

ある。

 

それはまるで

蜘蛛の糸

のような感じで、

 

天から

垂れ下がっている

イメージだ。

 

蜘蛛の糸

なので

一見、何もないように

見える。

 

しかし

本当にたくさんの

糸は存在し、

 

それを見つけられる

自分であるかどうか、

ポイントだと

わかる。

 

心が

ある一定以上に

スッキリしていないと

その糸は

観えない。

 

真本音で生きる

意味の一つは

ここにある。

 

クリアな生き方

は、

たくさんの

蜘蛛の糸

との出会いを

意味する。

 

糸は

こんなに

たくさん

あるんだ!

 

びっくりする

ことだろう。

 

ただし、

 

糸が観えた

としても

 

その糸の彼方、

つまりは天

を見上げても

何も見えない。

 

この糸が

どんな源から

どのように

垂れ下がっているのか

は、わからない。

 

ただ、

その糸が

とても大事である

ということのみ

わかる。

 

だから私は

糸をじっと

見つめる。

 

そして

必要ならば、

その場ですぐに

セルフコーチングする。

 

糸との対話

だ。

 

私はこういう時の

ために

常に手帳を

携帯している。

 

手書きですぐに

書けるヤツ。

 

どこに行く

時でも、

 

仕事でも

プライベートでも。

 

糸との対話は

ほぼほぼ

メモに残して

おく。

 

その時には

まったく意味が

わからなくても、

 

それでも

メモに残し

それを蓄積する。

 

そして時々、

その手帳を

眺めたり

読み返したりする。

 

すると

ある時ある瞬間に

圧倒的な

気づきや

ひらめきが

来る。

 

人生にヒントは

たくさん

垂れ下がっている。

 

ヒントは

常に目の前に。

 

それを掴める

自分でいよう。

 

つづく

 

ここでまた大切な問い

 

今回もまた、

「今だからこそ」

大切な問いを。

 

大きくは

二つ。

 

・・・

「今のあなた」が

「今だからこそ」

やりたいことを列挙してください。

 

たくさん出し切った後で、

その中で最もやりたいことを

6つ選んでください。

 

今、本当にやりたいこと

を6つに特定するわけです。

 

・・・

上記、①の答え6つを

横に置いてでも、

「今だからこそ」

やるべきことを列挙してください。

 

本当にやりたいこと6つ

よりもさらに

優先度の高い

やるべきことです。

 

列挙したらやはり

そのトップ6を

選んでください。

 

本当にやりたいこと6つ

よりも先に

やるべきこと6つ

を特定するわけです。

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

②で選んだ6つ。

 

今、すぐに

やりなさい。

 

ぐずぐずせんと

はよやらんかい!

 

という

やつです。

 

私達は

すべきことを

ちゃんとしなければ

これ以上前には

進まない。

 

と、

真本音で決めている

ケースが多いのです。

 

自分が

やるべき、と

決めていることは

今すぐ、

やろう。

 

つづく

 

それは必要ない

 

お湯が沸騰

した時の

気泡のように、

 

次々に

浮かび上がる

ものがある。

 

その一つ一つ

には、

きっと面白い

ひらめきが

詰まっているのだろう。

 

だが、

 

それらの

泡を

 

私は無視する。

 

勝手に

浮かび上がり、

消えていけ、

と。

 

実は、

 

ひらめきの

99%は

必要のない

ものだ。

 

必要がない

どころか、

 

それらに

捕われると、

 

本当に必要な

ひらめきが

観えなくなる。

 

本当に必要な

ひらめきから

遠ざかる。

 

捨てるべき

ひらめき。

 

それが

99%。

 

残念ながら、

それが今の私達の

心だ。

 

情報過多。

 

歪曲。

 

解釈。

 

ひねくれ。

 

悪意。

 

・・・まぁ、

いろんな原因が

ある。

 

つまりは、

インプット段階で

ひらめきの質が

大きく

低下している。

 

質の悪い

インプットの

反射として

発生するひらめきが

 

ほとんど

ということだ。

 

ただの

反射のひらめきか?

 

それとも

本当の

ひらめきか?

 

この区別を

つけることが

最も重要だったり

する。

 

セルフコーチング力

を高める意味は、

 

ここにある。

 

・・・

 

まずは

自分の中に

どれだけ多くの

ひらめきが

存在しているか?

知った方がいい。

 

沸騰した

お湯のように、

 

気泡が常に

沸き続ける。

 

それを

見つめられる

自分になるといい。

 

それもできない

のに、

ひらめきの区別は

つくはずがない。

 

現代は、

 

現在は、

 

生きづらい

社会だ。

 

余分なものが

多過ぎる。

 

外面も、

 

内面も。

 

だからこそ、

 

区別し

選び出す

 

という力が

必須。

 

それが

生きる力だ。

 

つづく

 

海からもらう

 

海中

深くに潜り、

 

じっと

しよう。

 

光の届かない、

 

まるで

宇宙のような、

 

その場所で。

 

完全に

閉じ籠ろう。

 

完全に

一個の

点になる。

 

微動だに

しない。

 

心も

動かさない。

 

ただの

として

音もない

そこに。

 

時間の経過

感覚として

なくなるだろう。

 

それでいい。

 

自分とか

他人とか

 

もう

どうでもいい。

 

ただの

点。

 

一点。

 

そうして

いて、

 

測り知れない

時間が

経って、

 

体が

ブルっと

震えたら、

 

それが

合図だ。

 

一つの

誕生。

 

あなたの中に

何かが

生まれただろう。

 

あとは

それが

ひらめきとして

 

浮上するのを

 

待ち続ける

だけだ。

 

つづく

 

天からもらう

 

心を

上に向かって

 

開放

してみよう。

 

天に向かって

大きく

広く。

 

宇宙を

丸ごと

感じるくらいに。

 

面白いことに、

 

地に足が

ついている

感覚が、

 

確かであれば

あるほど、

 

天に向かって

より

オープンになれる

ものだ。

 

天と地は

結ばれる

 

ものだ。

 

天と地は

結ばれる

 

ために

ある。

 

それを

成せるのは、

 

私達

「人」

だ。

 

地に立つ

我々

だからこそ、

 

地を

離れられない

我々

だからこそ。

 

天に

全てを晒す

というのは

怖いかもしれない。

 

怖かったら

やっては

ならない。

 

怖くなくなったら

堂々と

やろう。

 

地を

感じながら。

 

これを

する人には、

 

初めの

ひらめき

 

来るんだ。

 

それだけで

命の運び方

 

変わるかもよ。

 

つづく

 

ひらめきへの対し方

 

そこにある

ひらめき

の正体を

見つけよう。

 

ひらめき

ひらめき

のまま

終わらない

ように。

 

ひらめき

対峙し、

 

君は

なぜここに

現れたのか?

 

誠実に

問うてみよう。

 

全てのひらめき

には

目的がある。

 

目的のために

使ってあげねば、

 

そのひらめきが

生まれた意味が

なくなる。

 

ひらめきの

中身を

知る前に、

 

何のための

君なのか?

 

しっかり

問い、

深く理解しよう。

 

変な表現だが、

 

ひらめき

信頼関係を

結ぶのだ。

 

それをすれば、

そのひらめき

は、

 

次のひらめき

連れて来てくれる。

 

誠実に

向かい合えば、

 

ひらめきの

連鎖が

始まるんだ。

 

人間関係と

同じだね。

 

つづく

 

一致点を逃すな

 

この人の

流れ。

 

私の

流れ。

 

あーここだ!

 

ここが

ちょうど

結び目だ。

 

二つの流れが

交わる

わずかな

一致点だ。

 

今、

ここだ。

 

・・・そう

わかった時、

 

私は必ず

その人と

真正面から

向き合う。

 

そして

その人に

完全に委ねる。

 

二つの流れの

一致点では、

 

どちらかが

どちらかに

完全に委ねなければ

 

ただの

交差で

終わってしまう。

 

その瞬間

委ねることで、

 

二つの流れは

一つとなり、

共に

流れ始める。

 

この感覚。

 

この感覚を

掴めるように

なってほしい。

 

そうすれば

私達は、

 

出会うべき人と

出会うべき

タイミングで

出会い、

 

人生の

シナジーを、

 

この人と

でしか

創り出せない

流れを

 

創り出せる

ように

なるんだ。

 

これが、

セルフコーチング力

を高める

最も重要な目的の

一つなんだ。

 

つづく

 

問い二つ

 

今回はまた

今だからこそ

大切な問いを

二つ。

 

・・・

 

これまでの自分と

ここからの自分が

継続して

大切にしたい価値観は?

 

これまでの自分

にはなく、

今から

新たに大切にすべき

価値観は?

 

・・・

 

この二つの問いを

私自身に

投げてみた。

 

最初の問いの

答えは、

 

「常に進化のための

最善を尽くす」

 

そして

次の問いの答えが

結構、面白かった。

 

「直近の3日間のこと

のみを考える」

 

・・・ちょっとこの発想は

これまでの私には

なかった。

 

面白そうなので、

しばらく

試してよう。

 

つづく

 

実在する高原

 

心の中に

実在する

「高原」

を見つけよう。

 

それは

誰にでも

ある。

 

非常に気持ち良い

風の吹く

広々とした

高原だ。

 

青空が

広がり、

暑くも寒くも

ない

暖かな日差し。

 

静かに揺れる

お花達。

 

ところどころ、

木々もある。

 

遠くまで

見渡すことが

でき、

 

自分自身も

心身ともに

広々と

開放される。

 

そんな

高原。

 

心の中に

それを見つけたら、

その中に

どっぷりと

入り、

 

その大地に

大の字になって

休もう。

 

日差しに

全身を包まれ、

 

そして

大地からは

地熱を感じさせる

ような

パワーが

やさしく伝わってくる。

 

私の場合、

椅子に座ったままで

それをするが、

 

そのまま数分

ウトウトと

眠ってしまうことも

ある。

 

それでいい。

 

慣れれば、

立っていても

外を歩いていても

これができる。

 

これをすれば、

「自分」

が戻ってくる。

 

地に足のついた

自分が。

 

何かが

とても落ち着き、

何かが

シャンとする。

 

その状態で

物事の発想を

する。

 

「高原」は

イメージで

創り出すのでは

ない。

 

もう最初から

自分の中に

存在するもの。

 

実在するもの。

 

それを

「見つけ出そう」。

 

つづく

 

二つの問い

 

今日はまた

重要な問いを。

 

次の二つ。

 

直観的な

答えを

見つけよう。

 

・・・

今のあなたの

視野を

30倍に広げると、

 

今のあなたの

やろうとしていることは

どう見える?

 

そして、

 

あなたは自分の

何を変えたい?

・・・

 

理屈じゃなく

直観でね。

 

浮かんだ発想は

大事にしよう。

 

つづく

 

今、向き合うべき問い

今回は二つの問いを

投げよう。

 

今、このタイミングで

しっかり考えよう。

 

・・・

これまでの私の

最大の悔しさとは?

 

それは、

何をもたらす

ためのもの?

・・・

 

実はこの問いは、

あまり頭で

考えない方がいい。

 

思考で答えを

出すことで

ズレた答えを導き出し、

 

せっかくの「悔恨」が

本来の意味を

成さなくなる可能性の

方が

圧倒的に大きいから。

 

私達人間は

自分に都合の良い

思考をするのよ。

 

悔しさから

自分を

救い出すために。

 

だから通常は、

私は

悔恨は悔恨のまま

あるがまま

しっかりとそれを

感じ続けることを

お勧めするのだが、

 

しかし、

今は特別。

 

今は、一気に

次のステージに

進もうとしている人が

多い。

 

上記の問いを

しっかり考えた上で、

その後、

本質的答えが

直観として浮かび上がる

可能性は高い。

 

そう。

 

しっかり考えながらも

本当の答えは

直観を待とう。

 

その前提のもとで、

上記の問いと

しっかり

向かい合ってみよう。

 

つづく