2017年 10月 の投稿一覧

すべての人が本当は、自分自身のリーダーである

チームを創るにしても、

会社を創るにしても、

「この人にはかなわない」

と思える人を、

チーム員に迎え入れることのできるリーダー(トップ)は

本当のリーダーであると私は思います。

 

「このチームでは私が一番凄い」

という枠の中でしかチームを創れないリーダーには

必然的に限界が訪れます。

 

リーダーとは、

役割にしか過ぎません。

 

そのリーダーが一番偉いわけでは

ありません。

 

そんなことは当然、頭ではわかっている人は

多いのですが、

いざ自分がリーダーになろうとすると、

なかなかそれができません。

 

リーダーである自分は一番素晴らしくなくては、と

真面目な人ほど思います。

そしてそのプレッシャーに負けそうになります。

 

そんなリーダーを数多く

拝見してきました。

 

私は思います。

 

リーダーとはもっと

自由であったほうがいい。

 

もっと

自分らしくあった方がいい、と。

 

リーダーらしい自分ではなく、

自分らしいリーダーをすればいい、と。

 

チーム(組織)とは

人の集まりです。

 

人には、心があります。

 

一人一人の心は価値観も違いますし、

これまでの人生経験も違います。

すべての人が、

「この人は完璧だ。素晴らしいリーダーだ」

と思えることは、ほぼありません。

もしあるとすれば、

それは「不自然」です。

 

人が、

その人の持っている本来の魅力を

発揮できれば、

私は、すべての人が「その人らしいリーダー」に

なれると、ある時から確信しました。

 

リーダーに向き、不向きは

ないのです。

 

大切なのは、

「本来の」その人らしさを

出せるかどうか?

 

それができれば、

すべての人がリーダーとなれます。

 

それができていない人が多いので、

現時点ではリーダーになれない人が多い、

というだけのことです。

 

本当は、

すべての人がリーダーです。

まずは、

自分自身を引っ張るリーダーです。

 

そして、

自分自身を引っ張ることができれば、

人を引っ張ることができるようになります。

 

それを一言で言えば

『自律』

となります。

 

そして、

自律した人が集まれば、

そこには

『調和』

が生まれます。

 

つまり、

本質的なリーダーが集まれば、

調和は自然に生まれるのです。

 

ですから私は、

すべての人がリーダーになればいい、

と思います。

 

エンティティは、

リーダーになれていない人にこそ

多く発生します。

 

自分の人生は自分が進むものなのに、

自分で自分をリードするものなのに、

それを放棄することで

エンティティは大量発生します。

 

エンティティが発生すれば、

まずは、その本人がとても苦しみます。

 

しかもエンティティは周りに

伝染します。

周りの人にも、苦しみを与えるのです。

 

その自覚がないままに

生きている人がいかに多いことか。

 

私は様々な組織と向き合ってきましたが、

この組織からエンティティがなくなれば

それだけですべてが解決するのに・・・、

と思える組織がとても多かったです。

 

木村さんも

エンティティに悩まされていた一人と

言えるでしょう。

(→前回記事)

 

本来の木村さんには

強い想いがあります。

それは、

真本音の想いです。

 

木村さんの想いをあえて私が表現すると、

「すべてのチーム員がリーダーとなって

活躍するチームを創りたい」

ということになると思います。

 

だから彼は、コーチング力を高めようとしましたし、

自分自身がプロのコーチになりたい、とまで

思いました。

 

その彼の想いは、

上司である平井さんの想いとも一致します。

 

平井さんからしてみれば、

木村さんがその真本音の想いを実践してくれればくれるほど、

平井さんの望む理想の組織になっていくのです。

 

だから平井さんは木村さんを

新規事業プロジェクトのリーダーに抜擢しました。

 

しかし一方で、

木村さんのこれまでの反応本音のパターンは、

「俺が一番だ!」

という状態を創り出す、というものでした。

 

その彼の反応本音のパターンを

彼自身の真本音の想いで超えていく。

 

これが、今回のプロジェクトにおける

木村さん自身の本質的テーマです。

 

しかし彼のこのテーマ達成を阻むものが

ありました。

それが、西畑さんのエンティティです。

 

果たして、木村さんは

西畑さんのエンティティを超えて、

自分のパターンを変えることができるのか?

 

それを今、突きつけられているのです。

 

ここは、

木村さんが自力で乗り越えるべきところです。

 

しかしそこにはサポートが必要です。

 

では、どのようなサポートをすればよいのか?

 

木村さんが木村さんの力で

現実を切り開くこと。

そのための、サポート。

 

ヘルプ(助ける)ではありません。

 

あくまでも、サポート。

 

サポートとして私は

何をすればよいのか?

 

そこで私が取った

「渾身の一手」

が、木村・弓江の二人同時コーチングだったのです。

 

つづく

 

この人のことは、あきらめよう

木村さんは、西畑さんのエンティティを

受けていた。

(→前回記事)

 

それがわかった私は西畑さんと面談

しました。

 

彼としっかり向き合うのは初めてでした。

 

向き合った瞬間、

「あぁこれは、ダメだ」

と思いました。

 

彼は、エンティティの塊でした。

 

しかし以前に、彼を遠くから見たときには

このような印象はありませんでした。

 

恐らく、彼自身に何かが起こり、

エンティティを大量発生させる彼に

なってしまったのでしょう。

 

彼の目は澄んでいました。

 

まっすぐに私を見てきます。

 

その姿勢は、一見、

とてもまっすぐで、素直で、前向きです。

 

しかし、エンティティいっぱいの人は

それらがすべて、どことなく、

ウソっぽい

のです。

 

残念ながら、一般の人はその区別が

なかなかつかないようです。

この区別がつくようになれば、

どんなに良いだろうか、と私は思います。

 

私は西畑さんに、

普段はどのような役割をされているのか?

何を大事にお仕事をされているのか?

などを訊きました。

 

とても前向きな返事が返ってきました。

 

木村さんのことをどう思います?

西畑さんにとっての木村さんはどういった存在です?

とも訊きました。

 

「同志だと思っています。」

 

そう言った西畑さんは、

木村さんの素晴らしさを並べ立てました。

 

しかし、私の心には

彼の言葉のたった一つも

入ってきませんでした。

 

「これは、いかん。」

 

と私は思いました。

 

と同時に、本当にすべての合点が

いきました。

 

木村さんが真本音度合いを高めつつも、

どうしてもある一線を超えられない理由は、

西畑さんでした。

 

彼が、木村さんの足を

引っ張っていたのです。

 

西畑さん自身は、

その自覚がありません。

 

彼のエンティティが

それをしていたのです。

 

実は、

こういった例が、本当に本当に

多いです。

 

とても言葉は悪いのですが、

西畑さんから私は

「進化する意欲」

を、まったく感じませんでした。

 

進化、とは人の本能の根本にあるものです。

それを彼は、

打ち消しています。

 

進化する気持ちをすべて打ち消し、

進化しているフリをする。

前向きなフリをする。

素直なフリをする。

協調するフリをする。

 

それが彼でした。

 

本当に言葉が汚くて申し訳ないのですが、

それが事実でした。

 

残念ながら、現時点では

私は西畑さんを変えることはほぼ無理である

と感じました。

 

もちろん、すべての人には可能性があります。

きちんと真本音度合いを高めれば、

進化への道を歩み始めるでしょう。

 

しかし、彼に対して無理にそれをするよりも

もっと効果的な道があるように思いました。

 

西畑さん自身を変えようとするよりも、

木村さん自身をもっと強くする。

木村さんの次元をもっと高める。

 

その結果、その影響によって

西畑さんが変わっていく。

 

それが、最も自然な順番であり、

最も楽な道であると

私は思いました。

 

コーチとは、このように

最も楽な道を見出し示す存在

だと私は思っています。

 

ですから私は、現時点では、

西畑さんのことを

「あきらめました」。

 

この、「あきらめる」ことも

とても重要です。

 

何を「あきらめて」

何にパワーを注ぐか?

 

その選択こそが命です。

 

私はすべてを木村さんと弓江さんに

お話しすることにしました。

 

二人を同時にコーチングする

道を選んだのです。

 

つづく

 

見えないところで何が起きているか?

人の意識とは、

・顕在意識が1%、

・潜在意識が99%、

と言われています。

 

つまり、

自分の見えていない(把握していない)自分の心が

99%を占めるということです。

 

私は、人と人のコミュニケーションも

同じことが言えるのではないかと

実感しています。

 

表面上に見えているコミュニケーションのやりとりは

たったの1%。

見えないところでこそ、

何が起きているか?

 

それを把握することは

とてつもなく重要であり、

その、すべて、とは言わないまでも、

見えない部分の何割かを、きちんと把握できることが

コーチの役割の一つであると思っています。

 

エンティティのやりとり、

などはその典型です。

(→前回記事)

 

信じられないことかも知れませんが、

以前に、次のようなことがありました。

 

ある会社での出来事。

 

その会社は、20数名の中小企業さんでした。

 

まるで家族のように、

ずっと社内の雰囲気の良い会社でした。

 

ところがある時を境に、急激に社内の雰囲気が

悪化しました。

 

これまでずっと一致団結してきた社員さん達が、

突然、派閥を作り、争いを始め、

同じ事務所にいるにも関わらず、

一日中、口もきかない状態となりました。

 

当然それはすぐに業績に反映されました。

 

なぜそうなってしまったのか?

その本当の原因がずっとわからない

という状態が続いていました。

 

私は、その会社の社長から

管理職社員のコーチングのご依頼を

受けました。

そのため、まずは社長と面談をしたのですが、

どうも何かがおかしい、と感じました。

 

そこで、

「社内の雰囲気が悪くなってしまう直前に

入社した人はいませんか?」

と社長に確認しました。

 

すると、3名の中途入社社員さんがいました。

 

私は、その3名と面談しました。

 

結果、そのうちの一名が

とてつもなく濃いエンティティを持っていることが

わかりました。

 

それは女性社員さんだったのですが、

そのエンティティは、その人のものでは

ありませんでした。

 

その人の旦那さんのものでした。

 

つまり、その女性社員さんが

旦那さんの非常に濃いエンティティを受け取り、

それを、毎日、社内に持ち込んでいたのです。

 

それにより、皆さんの関係が

おかしくなっていた。

 

それを確信した私は、

その女性社員さんの旦那さんともお会い

しました。

一緒にランチをする、という形で。

 

そこで旦那さんと繋がり、

彼のエンティティを浄化することを

続けました。

 

そのエンティティは、彼自身が発生させている

ものでした。

 

彼は、自分の生き方に本当はとても

こだわりのある人だったのですが、

彼自身がその生き方を裏切るような感じで、

本来、自分の望む人生とは真逆の人生を

歩んでいました。

 

私は、彼の真本音度合いを上げるコーチングをし、

結果、彼はエンティティを発生させなくなり、

結果、女性社員さんもエンティティを

社内に持ち込まなくなりました。

 

その途端に、社内の雰囲気が

元に戻りました。

 

元に戻るまでの期間は、

わずか、3ヶ月。

 

ウソのような話に思われるかも知れませんが、

本当のことです。

 

そういったことが

実は、たくさんあります。

どこにでも、あるのです。

 

さて、木村さんと弓江さんのお話に戻ります。

 

木村さんがどうしても真本音の自分に脱皮できず、

どうしても、反応本音のパターンが抜け切らない理由が

西畑さんかもらっているエンティティであることが

わかりました。

 

であれば、

西畑さんのエンティティに負けないくらいに

木村さんを強くするか?

それとも、西畑さんを何とかするか?

の対策が必要です。

 

私は、西畑さんにお会いすることに

しました。

 

つづく

 

取り憑いているものとは何か

『エンティティ』。

(→前回記事)

 

これは英語です。

直訳すると、実体、という意味の名詞です。

 

私はこの言葉を、

アメリカで、ある心理療法系のセミナーを受けた時に

初めて知りました。

 

以来、日本に帰ってから私は、このエンティティについて

2年半くらいをかけて独自に研究しました。

 

これは、一言で言えば、

「ストレスが実体化したもの」

と表現できます。

 

実体化するくらいに濃くなったストレス

ということです。

 

これを、「生き霊」と訳すことも

あるそうです。

ちょっと怖いですが、

ある意味、本質をついています。

 

このエンティティは、多かれ少なかれ

誰もが持っています。

 

そしてそれは、まるで風邪のウィルスのように

人から人へ伝染します。

 

自分自身が発生させるエンティティもありますが、

人から受け取ってしまうエンティティも

あるのです。

 

自分のエンティティと、

人のエンティティ。

それらを交換しながら私たちは生きている。

・・・ちょっと嫌な感じですが、そういうことになります。

 

エンティティは、

受け取りやすい人と、

受け取らずにすぐに流せる人が

います。

 

後者は、エンティティによるダメージは

ほとんど受けません。

しかし、前者は大変です。

 

実は私は、典型的な前者です。

恐らく、誰よりもエンティティを受け取りやすい体質です。

私以上に受け取りやすい人は

これまで出会ったことがありません。

 

ですので私は、私自身を実験体にしながら

存分に研究を重ねることができました。

2年半の間、毎日2〜4時間以上の時間を使い、

私はエンティティ処理の仕方を研究しました。

 

私が勉強したアメリカのセミナーでも

エンティティについてはまだよく解明されて

いなかったからです。

 

先ほど書きました通り、

エンティティは風邪のウィルスと同じように

実体化したものですので、

例えば、私がAさんからAさんのエンティティを受け取ると、

Aさんは元気になります。

濃〜いストレスが根こそぎなくなるわけですから

元気になるのは当然です。

 

しかし逆に私はとても苦しくなります。

 

具体的には、体が苦しみます。

ドーンと重くなり、腰とかお腹とか肩とか頭とか足とか、

その時その時で異なりますが、

何とも言えないような気持ち悪さと苦しみが

襲ってきます。

 

そしてそこに意識を向けると、

例えば、Aさんが何かにとても苛立っていた場合、

その苛立ちをそのまま感じます。

Aさんが何かに悲しんでいたとしたら、

その悲しみをそのまま感じます。

もちろん、

具体的に何に苛立っているのか、とか

具体的に何に悲しんでいるのか、などは

わかりません。

しかしどのような傾向のストレスで

Aさんは苦しんでいるのか?はわかります。

 

ですから私は、自分のこの体質のおかげで、

随分と、人のサポートの指針を立てることが

容易になりました。

 

しかし、

10人の受講生さんの研修を行えば10人分の

100人の研修を行えば100人分のエンティティが

きますので、正直言ってたまったものではありません。

 

12年ほど前に私は自律神経が少しおかしくなり、

体を壊してしまったことがありますが、

その原因がエンティティであったことを

後のそのアメリカのセミナーで知りました。

 

私は私の身を守るためにも

必死にエンティティを処理する方法を

編み出しました。

この仕事を続けたかったからです。

 

そして2年半かかり、ようやく

有効な方法を確立することができました。

 

それはともかく。

 

私は、木村さんが真本音度合いを著しく下げる要因は

エンティティではないか、と仮定していました。

 

木村さんは、それほどエンティティを受け取りやすい

体質ではありませんでした。

ですので、

彼自身がエンティティを発生させているのだと

思っていました。

 

しかしそうではないことが、

弓江さんの報告でわかったのです。

 

木村さんは、

西畑さんのエンティティを

受け取っていたのです。

しかも、

かなり強烈なものを。

 

つづく

 

取り憑かれるのは普通のこと

レベル3コミュニケーション。

(→前回記事)

 

その第一段階の実践をしていただいた弓江さんから

私は報告を受けています。

 

弓江さんは木村さんのことを

「器の大きい人だと感じた」

と報告されました。

 

しかし、その次に彼女が言われたのは、

「彼、何かに取り憑かれていませんか?」

という一言。

 

実はこれを聴いて一番びっくりしたのは

私でした。

 

えっ、そんなことまでわかったちゃったの?という

びっくりでした。

 

確かに木村さんは取り憑かれています。

 

「弓江さん、そんなことまで感じました?

取り憑かれている、というのはどういうことですか?」

 

「これも何となく感じたことです。

時々、木村は、木村の心ではないところで

ものを言っている感じがしたんです。」

 

「例えば、どんな場面がありました?」

 

う〜ん、としばらく弓江さんは

考え込みました。

 

「同じプロジェクトチームに

西畑という者がいます。」

 

西畑さん。

話したことはありませんが、もちろんお顔は私も

知っています。

確か、木村さんと同じくらいの年齢、30代半ばくらいの

男性社員さんです。

 

「木村は西畑と仲がいいので、よく二人で

冗談を言いながら喋っていることが多いのですが、

西畑と喋りながら時々木村が、疲れた表情を

することがあるんです。」

 

「はい。」

 

「で、その疲れた表情のまま、他の社員と木村が話している時、

すごく違和感を覚えることがあります。」

 

「どんな違和感ですか?」

 

「さっき言いました通り、

なんか木村の心ではない心が喋っているような。

木村の言葉なんですが、木村の言葉ではないような。」

 

「そんな時、木村さんはどんな言葉を

よく発しますか?」

 

「う〜ん、具体的な言葉までは思い出せませんが、

見ている私は、とても嫌な気持ちになります。

イライラします。」

 

あぁ、なるほど。

だいぶ、見えてきました。

 

「イライラの原因はわかります?」

 

「なんか、すごく変なことにこだわったり、

どうでもいいようなことで迷ったり。

私がイライラしてしまういつもの木村が

出るのだと思います。」

 

やはり。

 

「それは、本来の木村さんの器の大きさが

まったく出なくなってしまうということですね?」

 

「はい、その通りです。

私の最も嫌いな木村が出ます。」

 

「弓江さん、それね、

本当に取り憑かれてるんですよ。」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

弓江さんはびっくりした表情になりました。

 

「弓江さんの観察はなかなか本当に

凄いですね。」

 

私は感嘆しました。

 

弓江さんの報告で、

普段の木村さんに何が起きているのかが

ようやく見えてきました。

 

彼は本当に取り憑かれているのです。

 

こんな書き方をすると、怖いかもしれませんが、

こういったことは、どこにでも起こっています。

本当にどこにでも。

 

彼に取り憑いているもの。

 

それを、

『エンティティ』

と言います。

 

つづく

 

向き合い方一つで発想が変わる

人を主にすることで輝く人がいます。

(→前回記事)

 

そういったタイプの人は

コーチに非常に向いています。

 

要するに、

『コーチタイプ』

と言えます。

 

コーチタイプの人は

どのように人と関わればよいでしょうか?

 

その基本は

実にシンプルです。

 

それは、

「その人のことをあるがままに観察する」

ということです。

 

実は、

コーチタイプではない人がこれをやろうとしても、

「あるがまま」というのが結構難しいのです。

 

「あるがまま」観察しているつもりでも、

知らぬ間に自分の解釈のフィルターをかけて

その人のことを色眼鏡で捉えてしまう傾向があります。

 

そういった人はむしろ、

自分自身の願いと向かい合って進んだ方が

周りとの調和を起こしやすいのです。

 

コーチタイプの人は、

人をあるがままに観察することで

直観が非常に多く働くようになります。

 

その直観に素直に従って、その人と関わることで

その人にパワーを与えたり、

その人にとっての必要な気づきを喚起したり、

その人自身が自らの指針を見出すサポートを

することができます。

 

相手をあるがままに観察しながらコミュニケーションを

とっている状態を、私は

『レベル3コミュニケーション』

と呼んでいます。

 

コーチタイプの人は

このレベル3コミュニケーションが得意なのです。

 

まず私は、弓江さんに

レベル3コミュニケーションのコツを

お伝えしました。

そして2週間、それを実践していただきました。

 

実践の第一段階として、

「とにかく木村さんを、あるがままに観察する」

ことのみに集中していただきました。

それ以上のことは

「あえて何もしないでください」

とお願いしておきました。

 

すると、2週間後の弓江さんからの報告は

私の予想を超えるものでした。

 

「たけうちさん、

木村という人間は、かなり器が大きいのでは

ないでしょうか。」

 

コーチングの最初に弓江さんはいきなり

そう言われたのです。

 

私は少しびっくりしました。

 

「どうしてまた、そう思われたのですか?」

 

「いえ、何となくですが、

毎日できるだけ、あるがまま、を意識して木村を

観察し続けたら、日に日に彼が大きく見えるように

なったんです。」

 

「特に木村さんのどんな振る舞いを見たときに

そう思われました?」

 

「う〜ん、何か振る舞いがあったからそう思った

というわけではないんですよね。

木村の存在自体に大きさを感じたと言いますか。」

 

「その彼の存在の大きさと、彼の言動が

一致している瞬間というのはどんな時でした?」

 

「・・・あっ、そうそう。

彼が瞬時に決断する時です。

木村はよく思考に入ってしまうのですが、

時々直観的に決断を下す時があります。

その時の木村の表情はとても晴れやかで。

しかも、その場の空気感が安定します。

なんか、守ってもらっているような安心感です。

そんな時に、彼の大きさを感じました。」

 

「いや、すごいなぁ、弓江さんは。

なかなか最初からそこまでの観察は

できないですよ。」

 

「えっ、そうですか?

あるがまま、ということだけ意識すれば

普通にできますよ。」

 

やはりこの人はコーチタイプです。

 

「それ以外に、木村さんについて

何か気づいたことはありますか?」

 

「う〜ん、上手く言えないのですが、

彼、何かに取り憑かれてませんか?」

 

つづく

 

人をサポートすることで輝く人がいる

人には2タイプあります。

 

自分を主にすることで

力を発揮するタイプ。

 

そして、

人を主にすることで

力を発揮するタイプです。

 

自分を主にすることで

輝くタイプと、

人を主にすることで

輝くタイプ、

という言い方もできます。

 

コーチに向いている人というのは

後者です。

 

実は、木村さんは完全に前者でした。

ですので、

彼が「プロのコーチになりたい」と言われた時、

あぁこれは反応本音レベルの発想だなと

わかりました。

 

反対に、弓江さんは

後者のタイプです。

 

しかし恐らく、彼女はこれまでずっと

自分を主にして生きてきたはずです。

そのため、

自分の本来持っている力を発揮せずに

ここまで来てしまいました。

 

本来持っている力、それが

『尊重力』

です。

(→前回記事)

 

尊重力とは、

すべての人をあるがままに受け止め、

その人のすべてを尊重しながら育む力です。

 

尊重力のある人と関わると、

関わった人達は、本来の自分自身を

伸び伸びと出すことができ、かつ

本来の自分の力を発揮し、伸ばすことができます。

 

一言で言えば、

尊重力のある人と毎日関わると、

そこにいる人達は、日々、進化します。

 

そういった力を天性で持っている人がいます。

そういった人は、私は

コーチになることを本当にお勧めします。

プロのコーチになるという狭い意味ではなく、

コーチ的な立ち位置でコーチ的な関わりを持つことを

お勧めする、という意味です。

 

そういった人達にこそ私は

コーチングスキルをお伝えしたいのです。

 

弓江さんはまさに

その典型のような人でした。

 

弓江さんは間違いなく、

木村さんの本来の魅力を伸ばすサポート役として

活躍してくれることでしょう。

 

しかし逆に言えば、木村さんは

そんな宝物のような存在を、自分から

遠ざけようとしていたわけです。

 

私は、さらに弓江さんに

木村さんについての印象をお伺いしました。

 

「弓江さんからご覧になって、

木村さんの気になるところは他にありますか?」

 

「・・・木村は、どうでもいいところにこだわるんです。

そんなこと、どっちでもいいじゃん、ということに。」

 

「例えば、どんなことがありましたか?」

 

「・・・例えば、お客様のクレームの時でもそうでした。

クレームが入って、すぐに対応すればいいのに、

誰がクレーム処理をすべきか、を随分と悩んでました。

もちろん、それは大事なこともありますが、

でも、そのクレームには迅速さこそが最重要でした。

私がすぐに行けるって言ってるのに、

彼はしばらく思案していたんです。

何が大事か?を見失って、必要のないところで思案する、

というところが見ていてとてもイライラします。」

 

「よくあるのですか?」

 

「はい、よくあります。

もちろん、そうでない時もありますが。

そうでない時は、すがすがしいくらいに

パンパンパン、っと決断するんですが。

でも思案に入ってしまう時は、・・・まるで別人みたいです。」

 

恐らく、木村さんが真本音の決断をしている時は

弓江さんは「すがすがしい」と感じ、

そうでない時は、「イライラする」となるのでしょう。

ある意味、

とても本質をついた感覚です。

 

「木村さんが常に、すがすがしい木村さんで

いられるように彼をサポートしたいのですが、

弓江さん、手伝っていただけますか?」

 

「私にできることがありますか?」

 

「大いにあります。

弓江さんがコーチとして接するんですよ。」

 

「えぇ? それは無理だと思いますよ。」

 

「無理ではないですよ。

むしろ、絶対楽しめますよ。」

 

「なんか、そんな風に断定されると困りますが・・・。」

 

「具体的な接し方は、私がすべてお教えしますので、

やってみませんか?

楽しいですよ。」

 

「じゃあ、そんなに言われるなら

やってみましょうか。

・・・わかりました。

やるなら徹底的にやります。」

 

さすが弓江さんです。

こういったところに真本音度合いの高さが

現れます。

 

真本音度合いは高まれば高まるほど、

人は潔くなるのです。

 

つづく

 

説得しようとしないことが、思わぬ好展開を生む

弓江さんが変化することで、

木村さんが変化する。

その順番で、二人の真本音度合いを

一気に引き上げる。

 

それが今、私にできる最善のサポートであると

確信しました。

(→前回記事)

 

そんな流れの中での

「弓江さんはコーチに向いています」

というメッセージでした。

 

ところが、弓江さんはすぐにはそれを

受け止めてはくれませんでした。

「とてもとても信じられません」

と。

それはそうでしょう。

当然、そのような返事が返ってくると思っていました。

 

さぁ、真本音コミュニケーションを続けましょう。

 

こういった時ほど、相手の真本音に委ねます。

間違っても、

説得しようとか、納得してもらおうとかは

思わないことです。

 

「どうして、信じられないのですか?」

 

「だって、たけうちさんもわかりますでしょ?

私のこのコミュニケーションを見れば。

どう見ても、コーチ向きではないでしょ。」

 

「そうですねぇ。

コーチとは真逆のコミュニケーションですね。」

 

「でしょ!

こんな私にコーチング力があるとは思えません。」

 

「ありますよ。」

 

「ですから、どこがですか!」

 

彼女はついに怒り出しました。

大変申し訳ないのですが、私は内心

クスクスと笑いが止まらなくなりました。

 

「コミュニケーションの取り方は、なかなか

最悪ですね。」

 

「わかってますよ!

だから向いてないと言ってるんです。」

 

「でも、コミュニケーションの取り方以外は

すべてコーチに向いてますよ。」

 

一瞬、弓江さんは私の言っている意味を

把握できなかったようです。

しばらく目を白黒させていました。

 

「どういうことですか?

コーチって、コミュニケーションの取り方が

重要なんですよね。」

 

「コミュニケーションの取り方なんて、

表層的なことですよ。

現に、弓江さんと同じようにはっきりくっきり

物を言う人で、コーチング力のすごい人を

私は何人も知っていますよ。」

 

「えっ? じゃあコーチング力って何ですか?」

 

「今は教えません。」

 

「えっ? なに? どうしてですか。」

 

「教える必要がありませんから。」

 

「まったく意味がわかりません。」

 

「わからなくてもいいです。」

 

「たけうちさん、

私をからかってませんか?」

 

「全然からかってませんよ。

弓江さんとのコミュニケーションを楽しんでます。」

 

「それ、からかってるってことでしょう!」

 

そう言って彼女は笑い出しました。

この明るさ。

これが、弓江さんの本質です。

 

例えば、真本音度合いの低い人に

このようなコミュニケーションを取れば、

間違いなく深刻な展開となっているでしょう。

しかし弓江さんは笑い出しました。

 

私が意図してやっていることではありません。

真本音に委ねているだけのことです。

 

「弓江さんは、私がどんなコミュニケーションを取っても

そうやってまっすぐに向き合ってくれるじゃないですか。

私の一言一言をちゃんと聴いてくれる。」

 

「えっ? 私は聴き下手ですよ。

いつも、もっと人の話を聴きなさい、って

叱られます。」

 

「じっくり聴くことはしないと思いますが、

肝心なところをちゃんと受け取っています。

そしてそれに対して、まっすぐに考え、まっすぐに

返してくれます。

それがとても心地よいです。」

 

「う〜ん、確かに、まっすぐというのは

私らしいかもしれませんが。」

 

「弓江さんは、今私が弓江さんに

何を伝えようとしているかわかるんじゃないですか?」

 

「何を伝えようとしているか?

・・・私に『変われ!』ということですか?」

 

「どこを『変われ!』と言っていると思いますか?」

 

「・・・なんか、大したことを要求されている感じは

しません。

ちょっとしたところを変えた方がいい、と

言われている気がします。」

 

「さすがですね!

そこが、コーチに向いているところなんですよ。

本質を掴む力がピカイチです。」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

「そうですよ。

例えば、木村さんの今の状況とか。

弓江さんが感じ取ることは非常に本質を

ついているんです。

最も肝心な部分を明確に言い当てています。

それができる人は、コーチに向いてるんですよ。」

 

「・・・そんなもんでしょうかね。」

 

「はい、そんなもんです。

弓江さんはちょっとだけご自分を変えれば

いいんです。」

 

「どこをですか?」

 

「コミュニケーションの取り方を、です。」

 

「えぇ? そんなこと言っても

今の私のコミュニケーションの取り方は長年ずっと

これでやってきたものです。

変えることなんてできませんよ。」

 

「そう思い込んでるだけのことです。

コミュニケーションなんて、最も簡単に変化させられる

ものなんです。

形を変化させるだけですから。

それは私が教えます。

でもこれは、本質を掴む力を持っている弓江さんだからこそ

有効なことなんです。

表面をちょっと変えるだけで、

劇的に物事の進展の仕方が変わりますよ。」

 

実はこの時点では弓江さんには伝えていなかったのですが、

弓江さんの力は、本質を掴む力、だけではなかったのです。

もう一つ、とても重要な力を持っていました。

それこそを、彼女はこれまで、恐らく一切、

使ってきませんでした。

 

それは、

相手を尊重する力

です。

 

私が、

『尊重力』

と呼んでいるものです。

 

つづく

 

自信過剰な人は、肝心なところで逃げてしまう

自分のことを小さく見る、

という人が時々います。

 

それは一見、謙虚、という姿勢とも言えますが、

私はそういった人を見ると反対に、

すごく傲慢だな、と思う時があります。

 

自分は小さい。

だから、できません。

 

と自分の小ささを理由に、

その人が真本音で望んでいることを

その人自身があきらめる。

 

・・・それは、自分自身の人生と真摯に向き合うことを

放棄してしまっている姿勢です。

 

自分は小さいと勝手に決めつけ、

結果、何もやらない。進まない。

なんと、傲慢な、・・・と思ってしまうのです。

 

もちろん、

自己過信する必要はありません。

 

自己過信する人も、その過信が故に、

本当に自分が真本音でやろうとしていることと

まったく別の方向に進んでしまうケースが

多いです。

 

そういった意味で、

自己過信する人も、自分を小さく見過ぎる人も、

本質は同じです。

 

傲慢であり、怠慢です。

 

ちょっときつい言い方かな、とも思いますが、

そういう人を見ると、本当にもったいないと

思うのです。

 

もっと淡々と、粛々と、

自分の望む道を進めばいいのに、と。

 

そうすれば、

そんなに荒れることもなく、

そんなに障害や妨害に合うこともなく、

自然に幸せな道が開くのに、と。

 

真本音の道。

 

こう書くと、何か特別な道のような

印象になってしまいますが、それは、

最も自然体で進む道、

ということです。

 

自分の胸の中にずっといつまでもあり続ける

その願いに素直に普通に進む道

ということです。

 

誰もがその道を進めば、

すべてが調和します。

 

なぜなら、私達人間の真本音は

深層心理ではすべてがつながっているからです。

 

自分の本当に望む道と、

人の本当に望む道は、

完全に調和するのです。

 

ですから私のコーチングサポートの目的は

実にシンプルです。

 

「いかにその人の真本音度合いを上げるか?」

 

この一点に尽きます。

 

このための、

あらゆる方策を行ないます。

 

逆に言えば、

そこにつながらないあらゆる方策は

一切行ないません。

 

木村さんから見えている世界。

それは、

「自分と一緒に仕事をすると、

弓江はとてもキツくなり、自分に当たってくる。

自分がいることで弓江がそうなるなら、

自分がいなくなった方がよい。

自分のためにも、弓江のためにも、

会社のためにも」

ということでした。

(→前回記事)

 

しかし真本音度合いを高めるという

視点から見れば、まったく別の世界が

見えます。

それは、

「木村さんのことを本当に好きな弓江さんは、

木村さんの真本音度合いを高めるために

彼女なりの行動をし続けた。

しかし木村さんは、それを拒絶し、

真本音度合いを高めるチャンスを

逸しようとしている」

というものです。

 

なぜ拒絶するのか?

 

そこに、木村さんの反応本音のクセが

出てしまっています。

 

木村さんの反応本音のクセで大きかったものは

二つです。

 

一つは、

自信過剰で、イケイケどんどんとなる

クセ。

つまり、自分のことを大きく見過ぎるのです。

 

もう一つは、

何かあるとすぐに自信を失い、消極的になる

クセ。

つまり、自分のことを小さく見過ぎるのです。

 

この2番目のクセが

今回は出ています。

 

ちなみに、この二つのクセは

作用・反作用の関係にあります。

 

つまりこれは、木村さんだけなく、

あらゆる人に起こりうる「セットのようなクセ」です。

 

作用・反作用が起こりやすいのが

反応本音のクセの特徴です。

 

一方が引っ込めば、

もう一方が顔を覗かせます。

 

ということで、私から見た今回の現象は

次のようになります。

 

「せっかく木村さんの真本音度合いを上げようと

弓江さんという人が近づいてきたのに、

そのまっすぐさ、が怖くて、

木村さんは逃げようとしている。」

 

もちろん、本当に逃げようとしているわけでは

ありません。

コーチングの場では、逃げたい、という気持ちを

出しますが、

彼は彼なりに何とかしようとしています。

 

ですので、

私がここでとる方策は、

「木村さんの真本音度合いも、

弓江さんの真本音度合いも、

共に一気に引き上げる」

という、そのための方策です。

 

そうなるためにはまず、

弓江さんに少し変化していただくことが

ベストだと直観しました。

 

弓江さんの変化が、

木村さんの変化を

呼び起こします。

 

その順番です。

 

こういった「順番」を見つけることも

コーチとしては重要な役割の一つです。

 

そこで出てきたメッセージが、

弓江さんへの

「あなたは、コーチに向いています」

という一言だったのです。

 

つづく

 

想いをカタチにできない人がとても多い

弓江さんとの初めてのコーチング。

 

彼女の真本音度合いを高さを直観した私は、

あえて通常では考えられない問いから

スタートしました。

 

「弓江さん、

木村さんのこと、嫌いですか?」

 

「はい、嫌いです」

 

すぐさま、まっすぐな答えが返ってきて、

私は笑い出しそうになりました。

(→前回記事)

 

この人は本当に面白い。

 

どうやら初っ端から真本音コミュニケーションが

できそうです。

 

しかも次の問いが非常に重要であると

私は直観しました。

次に私がどのような問いを投げるか?で

展開は大きく変わります。

 

こんな時はすべての意図を手放して、

ただただ相手の真本音に委ねます。

 

自然に私の口は開きました。

その結果、以下のような展開となりました。

 

「弓江さん、

木村さんのこと、嫌いですか?」

 

「はい、嫌いです」

 

「でも、本当は好きなんでしょ?」

 

「・・・そう言われると困りますが、

はい、私は木村のことが好きでした。

もちろん、人間として、ですよ。」

 

「どんなところが好きだったんですか?」

 

「木村がロックバンドやっているのを

ご存知ですか?」

 

「はい、存じ上げています。」

 

「以前に私、木村のライブに行ったことが

あるんです。

感動しました。

そこから好きです。」

 

う〜む。

なるほど、そうだったのか。

 

「どんなところに感動されたのですか?」

 

「彼の自由奔放さ、です。

仕事では絶対に見せないような無邪気な

顔をしていました。」

 

「そうですね。なかなか彼は、そういった自分を

仕事では見せないですよね。」

 

「はい。でも、時折、仕事でも顔を覗かせて

いたんですよ。あの自由奔放さが。」

 

「へぇ、そうなんでか。」

 

「ほんのちょっとですけどね。」

 

どうやら弓江さんは本当に木村さんのことが

好きなようです。

もちろんそれは、異性としてではなく、

人間として、だと思いますが、

それでも、木村さんのことをよく観察しています。

 

いや、ひょっとすると、木村さんだけでなく

すべての人をよく観察しているのかも知れません。

 

「でも、いつからそんな木村さんのことを

嫌いになってしまったんですか?」

 

「新規事業プロジェクトからです。」

 

「なぜまた?」

 

「・・・なぜかとてもイライラするんです。

木村の判断、行動、振る舞いのすべてに

イライラするんです。」

 

「特に、イライラした瞬間で思い出せる

場面はありますか?」

 

しばらく弓江さんは考えて、

 

「ミーティングでよく彼は、

みんなが主役だ、俺はコーチ役だ、

みたいなことを言うんです。

その度に、とてもイライラします。」

 

なるほど。

だいぶ見えてきました。

 

「あぁそれは、私がちょっと変な影響を

与えちゃってるかなぁ。

私がコーチングスキルなどを教えてしまって

いますから。」

 

「いえ、コーチングのやり方をとること自体は

いいんですよ。

みんなの意見や想いを自由に出し合って

進めること自体は私も賛成です。

でも、なぜか木村がそれをすると、

腹が立つんです。

なんか、猿真似、というか、形だけ、というか、

中身がない、というか。」

 

「そういえば、木村さんから聴いたのですが、

お客様のクレーム処理の時に、弓江さんは

木村さんに『甘いです』という意見を

言われたそうですね。」

 

「そうなんですよ。甘いんですよ。

あのクレームのお客様の担当は私だったんです。

だから私にクレーム処理を言いつければいいのに、

自分でやろうとして。」

 

「あっ、そういうことだったんですか?」

 

「そうです。

まぁ、私に任せておくとちゃんとクレーム処理

できないんじゃないか、って不安だったのだと

思います。

でも彼は、コーチの真似をしながらも、

肝心な部分は全部自分でやろうとします。

部下やメンバーを本当には信じていないし、

信じようとしていない。

信じているフリはしてますけどね。

そこが、甘い、と思うんです。

一緒にメンバーとしてやっていこうと思うなら、

もっと私達に厳しくしなければならないし、

もっと毅然としていてほしいんです。

あのロックバンドの時のように。」

 

「要するに、今の木村さんを一言で表現すると

どうなりますか?」

 

弓江さんは、しばらくじーっと考えていました。

そして、

 

「生ぬるい、ということでしょうか。」

 

この言葉が、私にゾワーッと伝わってきました。

つまりこれは、弓江さんから木村さんへの

真本音メッセージなのです。

 

弓江さんは、木村さんのことが本当は

好きです。

木村さんの「本来の魅力」をよくわかっています。

 

しかし新規事業プロジェクトリーダーの木村さんは

その魅力を出さないどころか、

「生ぬるい」

のです。

 

本来素晴らしいものを持っているのに

それを出さない木村さんに対して、

弓江さんは怒っているのです。

 

それは、「真本音の怒り」と言ってよいでしょう。

 

私が弓江さんのことを「面白い」と直観したのは

大当たりでした。

弓江さんという存在は、木村さんの真本音度合いを

高めるための力強いサポートとなるでしょう。

 

「そんな木村さんに、本来の彼の魅力や力を

発揮してもらうために、弓江さんには何ができますか?」

 

「う〜ん・・・。

私は私なりに言いたくもない意見を伝えていますが、

それが機能しているようには思えません。

むしろ木村を萎縮させているというか。

木村の行動を妨害してしまっているというか。

あまりよい結果は出ていないように思います。

でも、どうしたらよいか、自分にできることが他には

思いつきません。」

 

やはり。

弓江さんは弓江さんなりに、

木村さんの力になろうと思って、あえてきつい意見を

伝えていたようです。

 

さて、では、

弓江さんにも単刀直入な切り込み方をしましょう。

こういった、真本音度合いが高く、想いも強い人には

単刀直入なのがよいです。

 

「弓江さんは、ご自分の魅力や能力を

まったくもって理解してませんねぇ。」

 

「えっ、そうなんですか。

私に能力なんてありますか?」

 

少し余談ですが、

真本音度合いのもともと高い人ほど、

「私に能力なんてありますか?」という類のことを

言う人が多いです。

自分を低く見ているのですね。もったいない。

 

「ありますよ、もちろん。

何だと思います?」

 

「えぇ〜、わかりませんよ。

自分に特別な力があるなんて思いもしません。」

 

「そう言わずに、ちょっと真剣に

考えてみてください。

弓江さんの、天性の力は何だと思いますか?」

 

弓江さんはしばらくじーっと考えてくださいました。

 

「・・・ダメです。わかりません。

私に天性の力なんてあるんですか?」

 

「はい。

でも、弓江さんはそれをこれまでの人生でほぼ、

使ってこなかったと思います。

でもこれからは、それを使うといいですよ。」

 

「ダメです。ギブアップです。わかりません。」

 

「コーチング力です。」

 

「へっ?」

 

「弓江さんは、プロのコーチになれますよ。

それだけの力があります。

私が保証します。」

 

つづく

 

愛というエネルギーを止めることはない

人と人は

わかり合えないものでしょうか?

 

そう問われた時、私はいつも

「そうです。わかり合えません」

と答えることにしています。

 

「この人とわかり合えたな」

と思ったとしたら、

それは「傲慢」の始まりかも知れません。

 

「自己満足」の始まりかも知れません。

 

人と人は、そんなに簡単には

わかり合えない。

だからこそ、

真摯に向き合おうとする。

だからこそ、

真剣に理解しようとする。

 

その姿勢こそが大切で、

その姿勢を取り続けているうちは、

「お互いにわかり合おう」

という関わり方ができます。

 

それが、阿吽の呼吸を生み出したり、

共振・共鳴を生み出します。

 

「わかり合おう」という姿勢は

実在レベルでは

「一つになろう」というエネルギーを

生み出します。

 

「一つになろう」というエネルギーのことを

『愛』

と言います。

 

愛とは、行動そのものではなく、

エネルギーです。

 

木村さんは、

真本音状態でいるときは、そのエネルギーが

非常に高いです。

しかし、

反応本音のクセが前面に出てしまうと、

途端にそのエネルギーが枯渇します。

 

それが非常にわかりやすく、

周りの人達との関係性に現れます。

 

これは木村さんだけに言えることではなく、

すべての人に言えます。

 

愛のエネルギーの高い人は

あらゆる物事がスムーズに進展します。

すべてが調和します。

 

愛のエネルギーの低い人は

あらゆる障害が周りから襲ってきます。

その結果、その人は上手くいかない原因を

周りのせい

にします。

 

違うのです。

 

すべては、自分の発するものの影響です。

 

良いものを発すれば

良いものが返ってくる。

 

良くないものを発すれば、

良くないものが返ってくる。

 

それは、あまりにもシンプルな

物事の原理です。

 

木村さんは、

新規事業プロジェクトリーダーを辞めたい

と言いました。

(→前回記事)

 

が、もちろんそれは本気ではありません。

ひょっとして半分は本気だったかも知れませんが、

半分は愚痴を言っただけです。

 

コーチングの場であえて愚痴を言い、

反応本音を出し切ることで、

真本音の判断をしよう、という意思も

あったようです。

 

一通り木村さんの話が終わり、

木村さんの気持ちが落ち着いたところで

私は彼に訊きました。

 

「木村さん、ここは自力で突破しますか?

それとも、私が何か側面からサポート

した方がよいですか?」

 

彼はしばらく考えましたが、

「プロジェクトも佳境に入っています。

今の流れを止めるわけには行きません。

本当は自力で何とかしたい気持ちもありますが、

ここは一つ、サポートをいただけませんか」

と返しました。

 

私はそれを「逃げ」ではなく

彼の「真本音の判断」であると認識しました。

 

私は念のために、平井さんにこの件を

お話ししました。

状況をお伝えした後で、

「木村さんの側面サポートをするために、

弓江さんと面談をしようと思いますが、

いかがですか?」

と。

 

平井さんは言われました。

「実は、たけうちさんに弓江のコーチングも

お願いしようと思っていたところです。

良い機会なので、ぜひお願いします。」

 

そこで私は弓江さんと

最初の面談をすることになりました。

 

もちろん私は弓江さんのことは

存じ上げていたのですが、

1対1でしっかりと向き合うのは

初めてでした。

 

向き合った瞬間に、

あぁこの人は、とても面白い人だ、

と直観しました。

 

まず、真本音度合いが普通の人よりも

明らかに高い。

しかし、その自分の特性を

まったく活かしきれていない。

 

そう思ったのです。

 

こういった人には、

通常のコーチングとはまったく違ったアプローチの

問いを投げると面白くなります。

 

私は内心、ワクワクしながら

弓江さんに問いました。

 

「弓江さん、

木村さんのこと、嫌いですか?」

 

「はい、嫌いです」

と、まっすぐに返ってきました。

 

思わず私は笑い出しそうになりました。

 

つづく

 

物事は、本当はシンプルなのにねぇ・・・

簡単なことを難しく言うのは

頭の悪い証拠である、

・・・とよく言われます。

 

確かにそうだなぁ、と

よく思います。

 

物事は本当に目を凝らしてよく観察すれば、

ほとんどのことが、シンプルです。

 

本質とは、シンプルです。

 

シンプルなのが、本質です。

 

私達の真本音は、

何も迷っていません。

すべての答えを

最初から知っています。

 

しかし私達は迷います。

 

わかっているのに、なぜ迷うのか?

 

そこにはシンプルな答えが

あります。

 

新規事業プロジェクトリーダーの木村さんは、

あるコーチングの冒頭で私に

次のように言われました。

 

「たけうちさん、

私、プロジェクトリーダーを辞めようと

思います。」

 

「えぇ? どうされたんですか?」

 

「なんか、もういいかなぁ・・・、と思って。」

 

そう言って彼は、ガックリと肩を落としました。

 

私は彼の話を詳しく聴きました。

要約をすると、・・・

 

プロジェクトメンバーの中に

弓江さん(仮名)という女性社員さんがいます。

20代後半の落ち着いた雰囲気の人です。

 

弓江さんはいつもはっきりと

意見を言うそうです。

その意見のほとんどは「正論」で、

確かに正しいのですが、時には正論過ぎて

他の社員さんの反発を買ってしまうことも

過去には何度かあったようです。

 

行動力はあるし、ブレないし、

仕事の能力もあるので、

木村さんとしてもかなり信頼しているのですが、

「何しろ、ちょっとキツイんです」

と、よく苦笑いされていました。

 

新規事業自体は順調に推移し、

売上も実際に立ち始めており、

このまま行けば、あと2〜3ヶ月もすれば

利益も出始めるだろう、という目処が立っていました。

 

そんな中で、あるお客様からの

クレームが入りました。

 

その対応は木村さん自身が行ないました。

 

その対応によってお客様は納得されたのですが、

弓江さんは、木村さんのその対応について

「甘い」と言われたそうです。

 

それが始まりでした。

 

それ以降、木村さんの様々な判断や言動に対して

弓江さんは意見を言うようになったそうです。

 

最初は木村さんは、できるだけ丁寧に向き合い、

弓江さんの意見を聴き、自分の意見も言い、

しっかりとコミュニケーションをとってきたのですが、

新規事業が軌道に乗り、かなり忙しくなってきた時点で、

そういったことが時間的に難しくなってきたそうです。

 

ところが、弓江さんから木村さんへの

「攻撃」は、さらに頻度と強度を増していきます。

 

「攻撃」とは、木村さんの言葉です。

木村さんはある時から、弓江さんからの意見を

「攻撃」であると感じるようになったのです。

 

そして、ある出来事が起こります。

 

会社のある飲み会で、

木村さんはプロジェクトメンバーの若手社員を

叱らなければならない状態となりました。

その飲み会では、

一緒にパートナーを組んでいる関係会社の人達も

参加されていたのですが、

その若手社員さんの関係会社の人への態度が悪く、

それを木村さんは叱ったのです。

 

「いくら飲み会の席だと言っても、礼節をわきまえろ!」

と。

 

ところが、その若手社員さんが少し反論をしました。

それに対して、木村さんはかなり強く

言葉を発したようです。

 

その場面を、弓江さんは見ていました。

 

そして、次の日に弓江さんは、

木村さんの上司である平井さんのところへ行き、

「あれはパワハラである」

と訴えたのです。

「あのような人間性のリーダーのもとで

働くことはできません」

とまで言われたそうです。

 

もちろん平井さんは直接、木村さんからも

事情を聴きましたし、

実際にお叱りを受けた若手社員さんからも

話を聴きました。

 

若手社員さん自身は、

「自分がいけなかったです」と反省していたようです。

 

話によると、

弓江さんは新規事業プロジェクトチームに入るまでは

このように強く意見や不満を言うことはなかったそうです。

しかしなぜか、

木村さんの部下になってから、彼女のそういった特性が

顕著に出始めたようです。

 

会社は、弓江さんにとても期待をしています。

次世代の経営幹部だという見方もしていました。

だから新規事業プロジェクトメンバーに抜擢されましたし、

それは木村さん自身もよくわかっていました。

 

「確かに彼女は有能です。

間違いなく私より仕事はできるでしょう。

しかも、本来は不満を言うような人ではありません。

でもなぜか私といると、彼女はキツくなります。

本来の彼女ではない反応本音の彼女が出てしまうんです。

であれば、いっそのこと、私が引いた方がいいかな、と

思いまして。」

 

この言葉を聴いた時、

私は心の中で、「あぁここで、出たか・・・」

と思いました。

 

そうです。

木村さんの、心のクセです。

 

これは、木村さんの心のクセを浮上させ、

それを超えていくチャンスであると

思いました。

 

なぜ弓江さんは、

木村さんと一緒に仕事をすると、

そんなにキツくなるのか?

 

その答えは、

実にシンプルなのです。

 

つづく

 

そのこだわりは、「あなた」ではない

自分の今いる場所が、

無限に広がる世界であると感じても、

それは決して無限ではありません。

 

その世界そのものが、

一つの「枠」です。

 

そこには限界と境界があります。

 

私達が、今いる世界の中で進化を続ければ、

必ずその「枠」の存在を感じるようになります。

これまで無限だと思っていた世界なのに、

窮屈さを感じるようになるのです。

 

それは、「枠」を壊す前兆です。

 

刻一刻と私達は進化を続け、

自らは大きく大きくなっていきます。

 

そして自分自身が「枠」いっぱいに

広がります。

 

広がるけれど、すぐには「枠」は

壊れません。

ですからどんどん窮屈さが増していきます。

 

窮屈さが苦しみを生みます。

 

その苦しみを、素直に

認識することこそが大切です。

 

私達は、その苦しみに打ち勝つかのように、

内側から「枠」を壊します。

 

私達が本気で「壊そう」と決めた場合にのみ、

「枠」は壊れます。

 

見事に「枠」が壊れれば、

私達は急に「開放感」と「自由」を得ます。

そこには、

無限の世界が広がっているのです。

 

その無限の世界で、

私達はさらにさらに進化を続け、大きくなります。

 

これまで自分が入っていた「枠」は

信じられないほど小さかったことが

わかります。

 

自分が大きくなるにつれ、

その「枠」はどんどん小さくなり、

しまいには、砂粒くらいになり、やがて

見えなくなります。

 

それくらいの勢いで私達は

大きくなっていきます。

 

無限の世界の中で、

大きくなって行くのです。

 

・・・が。

 

その「無限」だと思っていた世界においても

またもや「枠」の存在を感じるようになります。

 

だんだん窮屈さが生まれ、

その新たな「枠」の中でギュウギュウ詰めと

なります。

 

そしてまたその「枠」を

私達は、内側から壊します。

 

・・・その連続です。

 

これが、私達人間の「自然」な人生です。

進化の人生です。

 

いったいそれはいつまで続くのか?

 

そんな疑問が湧きますが、

それは、それこそ無限に続きます。

 

じゃあいつになったら私達は

達成感を感じるのか?

幸福感を感じるのか?

 

その答えは、

「今この瞬間に」

です。

 

進化とは、過程(プロセス)では

ありません。

進化とは、

それ自体が目的です。

 

本当の進化を続けるならば、

毎日毎日が達成感と完了感と

幸福感に満たされます。

 

それが、

真本音で生きる、ということです。

 

一つの「枠」を壊すことを

『脱皮』と呼んでいます。

 

それは、一つ、次元を高めることでも

あります。

 

脱皮をし、次元を高めると、

私達が、これまでの「枠」の中でこだわっていたことが

本当に些細なことに感じられます。

 

AかBか?

とずっと悩んできたことが、

 

「どっちでもいいじゃん」

となります。

 

逆に言えば、

もし今、AかBか? で悩んでいたとしたら、

「どっちでもいいじゃん」

と呟いてみると、案外、面白いです。

 

これまでとは少し違う、

一つ次元の高いところからの発想が

生まれるかもしれません。

(→前回記事)

 

ところで、

ちょっと話は変わりますが、

皆さんは、「自分らしさ」って

何だと思いますか?

 

実は、ほとんどの人が

反応本音レベルの思考と行動のパターン

を「自分らしさ」であると勘違いされています。

 

それはあくまでも

「よく現れるパターン」であって、

真の「自分らしさ」ではありません。

 

自分の「こだわり」を自分らしさであると

思い込んでいる人も多いです。

 

しかし、真の「自分らしさ」とは

その「こだわり」をすべて手放した時にこそ

発現します。

 

「AではなくてBである」

・・・これが「こだわり」の一つの形です。

 

ですから、「こだわりを手放す」とは、

「AでもBでも、どっちでもいいじゃん」

となることを言います。

 

しかし、一つのこだわりを手放せば、

その奥から、次のこだわりが現れます。

例えば、

「CではなくDである」

というように。

 

これをさらに手放します。

つまり、

「CでもDでも、どっちでもいいじゃん」

と。

 

するとその奥から、

さらに次のこだわりが姿を現します。

 

そしてまたそれを手放します。

・・・・・

 

これを続けて、すべての「こだわり」を

手放したとします。

しかしそれでも最後に残るものがあります。

 

その最後の最後に残ったもの。

それこそが、真の「自分らしさ」の大本です。

 

つまり、

「どっちでもいいじゃん」を

突き詰めれば、

真の自分らしさに、行き着きます。

 

「どっちでもいいじゃん」とは、

強烈な一言なのです。

 

つづく

 

自信がないから自信をつける、という人生はもうやめよう

「自信がある」

という心の裏側には必ず、

「自信がない」

という心が存在しています。

 

二つの相反する心は

常に共存しています。

 

それは、物理学の表現を使えば、

作用・反作用の法則

と同じです。

 

自信満々な人ほど、

何か大きな挫折や失敗があることで、

一気に自己不信に陥ってしまいます。

・・・そんな場面を、本当に数多く拝見してきました。

 

それを、愚かだと言っているのではありません。

それが、私達人間です。

 

心の中にある、その作用反作用を、

あるがままに見つめることのできる人は

私は、本当に素晴らしいなぁ、と思います。

 

自信のある自分。

自信のない自分。

両方をそのまま見つめることのできる人は、

「自信がある・ない」という次元を

超えることができます。

 

自信があるか、ないか?ではなく、

その奥から、もう一つ上の次元の自分が

顔を覗かせます。

 

以前の記事でも書かせていただきましたが、

高い次元の自分が現れることを

『脱皮』

と私は呼んでいます。

 

人は『脱皮』することで、

「世界」が違って見えるようになります。

 

これまで悩んでいたことが

何でもないような些細なことに映ったり、

逆に、

これまでまったく気にもせず悩みもせずにいたことに対して

本気で悩み始めたり。

 

ある意味、

人生が変わります。

 

そして、一つ、次元を上がれば、

これまで自分のいた次元に対しては、

「もうあそこには戻りたくないなぁ」

とほとんどの人が思います。

 

これまでの次元は

とても狭く、苦しく、重く、暗く、そして不安定に

感じられるからです。

 

「自信がある・ない」という表現を使えば、

次元が高まることで、自信があっても、なくても

どっちでもよくなります。

 

自信がないからできない、

ということがなくなります。

 

自信があってもなくても、

ただ、自分が「やろう」と思うことをやるだけ

となります。

 

それをあえて一言で表せば、

『確信』

ということになります。

 

自信があるからやるのではない。

確信があるからやるのだ。

・・・という状態です。

 

当然、

確信があっても自信がない、

ということはあり得ます。

でも、

どれだけ自信がなくても、確信さえあれば

やれる状態となります。

 

自信のあるなしは、反応本音レベルのもの、

確信のあるなしは、真本音レベルのもの

だからです。

 

木村さんが

「プロのコーチになりたい」

という発想をしたのは、

「自信がついたから」です。

つまりそれは、反応本音レベルの想いでした。

 

しかし、同じ木村さんが

「本当は、私はプロのコーチになりたいわけではなかった。

それよりも、今与えられた新規事業プロジェクトに

全力で臨みたい」

と思い直したのは、「確信」からでした。

つまりそれば、真本音レベルの想いでした。

 

「自信」のある方向に行くのではなく、

「確信」のある方向に進むことにより、

人は次元を高めることができます。

 

次元を高める人生。

これこそが、私達すべての人間が

本能的に望んでいることです。

 

さて、今ご紹介しているストーリーは

木村さんについてです。

木村さんの躍進についてです。

 

木村さんの躍進のきっかけの一つ目は、

「自らを枠の中に入れた」

ということです。

(→前回記事)

 

つまりは、

「新規事業プロジェクトリーダー」

という枠(役割)に、自らドップリと入り込んだことで

彼の望んでいたコーチング力が一気に

花開きました。

 

そして、その次にご紹介したいのは、

木村さん躍進のきっかけとなった二つ目の

原理です。

それを一言で表せば、

 

「どっちでもいいじゃん」

 

となります。

 

後にこれは、彼の口癖となります。

この口癖が、彼の次元を一気に高めました。

 

それにより彼は、

自信ではなく確信に基づいて動く彼、に

変貌していったのです。

 

つづく

 

的確な枠こそが、心を自由にさせる

「なぜ木村さんがコーチに向いていないか、

わかります?」

 

「はい、だって私は、

自分が主役でいたいからです。

だから、ロックバンドやってますしね。」

(→前回記事)

 

木村さんがこう答えた時、

私は実在レベルで、

木村さんの雲が完全に取り払われたのを

感じました。

 

そして、雲が取り払われたことによって

姿を見せたものがありました。

それは、

小さな一輪の花でした。

 

紫色で、とても小さく可愛らしい花ですが、

スッと一直線に茎を伸ばし、

凛として立っています。

 

イメージとして表現するとそんな感じですが、

「実在」ですので、

それは脳を使わずに感知したものです。

 

あぁ木村さんはやっと

木村さんの本来の花を咲かせ始めたんだな、

と思いました。

 

今後はその花を

大切に育てていくことです。

 

「やっと本来の木村さんらしさが

出て来ましたね。

どうですか木村さん、

自分が主役でいたい、と改めて認識されて、

今の木村さんの心は自由ですか?」

 

「はい、自由です。

なんか、急に肩の荷が降りた感じがします。

とても楽になりました。」

 

「じゃあ木村さん、

木村さんはこれからご自分のエネルギーを

何に向けたいですか?」

 

彼はニッコリ笑いながら言いました。

 

「もちろん、新規事業プロジェクトの成功です。

なんか、自分がなぜプロのコーチになりたい、と

言ったのか、まったくわからなくなって来ました。

そんなことはどうでもいい。

私はプロジェクトリーダーとして全力を尽くしたい。

そしてそれを成功させて、

平井を喜ばせたい。

あっ、たけうちさん、私は平井のためにやるんじゃないですよ。

自分のためにやりたいんです。」

 

「笑。わかってますよ。

自分のため=平井さんのため、でしょ。

平井さんを喜ばせたい、というのも木村さんの真本音です。

自分の喜び=平井さんの喜び、になってますよね。」

 

「そうなんです。

私は本当に平井のことが好きなんですねぇ。」

 

このブログをお読みの皆さんは覚えて

いらっしゃるでしょうか?

 

この木村さんとのやりとりをご紹介しているのは、もともと

「私達人間は、的確な枠(もしくは、限度・限界)を与えることで

可能性を伸ばす」

という原理をご理解いただくためでした。

(→【自分の可能性は無限? それはハッタリです】)

 

この場合の木村さんにとっての「的確な枠」とは、

新規事業プロジェクト

に他ありません。

 

つまり、今の彼は、彼自身に与えられた

新規事業プロジェクトのリーダーという役割を全うすること

によって、彼自身の最大の進化を引き起こせる

ということです。

 

しかし彼は、イケイケのパターン(クセ)を出し、

その枠を外れた発想(=プロコーチになる)を始め、

エネルギーが完全に分散してしまいました。

 

実は「コーチング力を伸ばしたい」という想い自体は

彼の真本音だったのですが、

その真本音の想いを実現するためには

「新規事業プロジェクトリーダーという役割の中で

コーチング力を伸ばす」

というのがベストだったわけです。

 

そしてもうお気づきのように、

こういった「的確な枠」とは、本人にとっては

「枠である」

という認識がありません。

 

「ここでこそ、全力を注ぎたい」

とか

「今はここに集中したい」

といったように、エネルギーの焦点化を起こすような

モチベーションのもと、になります。

 

つまり、「的確な枠」をはめることで

モチベーションが高まるのです。

 

逆に言えば、

人には、最もモチベーションの高まる「枠」が

存在するということです。

 

それを見つけることも

コーチとしての大事な役割の一つです。

 

つづく

 

本当に自由な人ほど、周りとうまくいく

真本音で生きる、

ということは

自由を得る、ということです。

 

自由とは、

現実レベル(現象レベル)における自分の環境のことを

言うのではありません。

 

ここはあえて断言しますが、

現象レベルにおける環境的な自由を

どれだけ実現しても、私達は決して

「自由」を感じません。

 

それにより満たされることはないのです。

 

私達人間が本当の意味で自由を感じられるのは

心が自由

である時です。

 

ですから、

自分の不自由さを自分以外の何かのせいにしている人は

決して自由になれません。

 

真本音で生きるということは、

一般的に言われる「人格者になる」ということでは

ありません。

 

「私は、こうあらねばならない」

「人の成長は、こうでなければならない」

という意識で自分を律するようになると

その人はどんどん不自由になっていきます。

 

ですから、

人格者を目指している人ほど、

真本音度合いが低い、という事実を

これまで私は本当にたくさん目の当たりにしてきました。

 

「自由になろう」としても

自由にはなれません。

むしろ、

どんどん不自由になります。

 

なぜなら、

「自由になろう」という縛りを自分自身に

与え続けることになるからです。

 

自由を目指している人は、

自由という縛りを自分に与えていて、

とてつもなく不自由です。

 

やはり、真本音度合いは

低いです。

 

真本音で生きる、とは

自分の中の揺るがない心に素直に生きること。

私達の中には

どのような環境に置かれても決して

揺るがない強烈な願いがあります。

 

その願いは、

「この願いを持って生きよう」という意図を

持つことで発生するものではありません。

 

最初から、ここ、にあるものです。

 

自分=その願い、と言ってもよいです。

 

その願いこそが、本来の自分自身

なのです。

 

真本音度合いを高めるとは、

その願いに向かう度合いを高める、ということ。

つまり、

本来の自分に戻る度合いを高めること。

 

それをすることで

人は初めて、自由を感じ始めます。

 

ですから、

真本音で生きることによって

その人の顔からは「険しさ」や「苦しみ」や「困惑」や「悔恨」が

どんどん抜けていきます。

 

一言で言えば、

憑き物が落ちた

という、非常に晴れやかな表情になっていきます。

 

それは、自由、だからです。

 

そして真本音度合いを高めれば高めるほど、

周りとの調和性も増していきます。

 

つまり人は、

自由になればなるほど、

周りと調和する

・・・ようにできているのです。

 

自由を目指せば目指すほど周りと不調和を起こす、

のであれば、それは

本当の自由ではない、ということです。

むしろ、不自由な方向に向かっているということです。

 

もしくは、

その自由さがまだまだ中途半端である

ということです。

 

人は、

完全に自由になれば

完全に世界と調和します。

 

そのようにできています。

 

私はまず、コーチングにおいては

そのような完全調和の状態を創ります。

 

このような書き方をすれば

とてつもなく凄いことのように思われるかも

しれませんが、

「そうではないのです!」

ということをお伝えするために

このブログを書かせていただいているのかもしれません。

 

これまでも何度か書かせていただいたように

私が行なっているコーチング、・・・というよりも

「真本音コミュニケーション」は

私だけが行なえるものではありません。

 

すべての人が

普通にできるコミュニケーションです。

 

むしろ、

人間が本来持っている最も自然な

コミュニケーションである、

と言ってもよいでしょう。

 

それを私は、一人でも多くの人が

思い出せるといいな、と願います。

 

真本音度合いが高まれば、

誰もが「真本音コミュニケーション」ができるように

なります。

 

真本音で生きる、ことは

伝播するのです。

 

つまり、

「自由」は伝播します。

 

だから私はこのお仕事を

させていただいています。

 

さて。

 

木村さんのお話に戻ります。

 

木村さんと私の間には、

完全調和の状態が出来上がりました。

だから私は彼に、

「あなたは、コーチに向いていません」

と伝えることができました。

(→前回記事)

 

通常であれば、

その人が必死に取り組んでいることに対して

真っ向から否定をしているわけですから、

その私の一言を受け入れることはできません。

 

しかし、木村さんと私は完全調和してます。

 

私は、木村さんが最も「欲しい一言」を

彼に伝えている、という状態になっています。

 

ですので、その一言は

効きました。

 

その一言を聴いて、

彼は大笑いされたのです。

 

「あっははは!

そこまではっきり言われると

気持ちいいですねぇ」

と。

 

その瞬間に、

彼を覆っていた雲が一瞬にして

ほとんど取れてしまったのがわかりました。

 

私は木村さんに問いました。

 

「なぜ木村さんがコーチに向いていないか、

わかります?」

 

木村さんはにこやかに

答えました。

 

「はい、だって私は、

自分が主役でいたいからです。

だから、ロックバンドやってますしね。」

 

つづく

 

たった一言によって、人の人生は変わるのかもしれない

コーチングをしていますと、

コーチとしての次の自分の一言が

今後の展開を大きく左右するだろう、という

「分岐点」を

強く実感する瞬間が訪れます。

 

それはかなり明確にわかります。

 

クライアントさん(の真本音)は、その一言を

全身全霊をもって待ち望んでいます。

 

どれだけ心を閉ざしている人であっても、

その時その瞬間は、ほんの一瞬だとしても

コーチである私に、100%のオープンマインド状態と

なります。

たとえ0.1秒だとしても。

 

その「分岐点」をつかめるようになることこそ、

プロのコーチとして必須の力であると

私は思っています。

 

木村さんへのコーチングにおいて、

その瞬間が来ました。

(→前回記事)

 

私は自然に浮かんだ一言を

彼に伝えました。

 

「木村さんは、コーチに向いていますか?」

 

その瞬間に、何の迷いもなく

彼からの返答がありました。

 

「向いていません。」

 

・・・と咄嗟に答えてから、

彼自身が、自分の言葉に驚いていました。

 

そして、しばらく茫然とした後に頭を抱えて、

「・・・向いてないのか、オレは」

と呟きました。

 

私は何も言わずに、

ただ黙って彼を見守ることにしました。

 

彼は心の中でいろいろと

自問自答をしていたようです。

 

実際にどのような自問自答をしていたのかは

私にはわかりません。

ただ、

彼の『実在』の変化ははっきりと

わかりました。

 

彼を覆っていた黒い雲から漏れていた

一点の光が、どんどん大きくなっていました。

 

雲が晴れ始めていたのです。

 

そうなるともう、

容易に「真本音コミュニケーション」ができるように

なります。

 

頃合いを見計らって、

私は彼に問いました。

 

「木村さん、いかがですか?

咄嗟にご自分のことを、コーチに向いていないと

言われましたが、

そう言われた理由はわかりますか?」

 

「いや、私には想いがないからです。

私は、プロのコーチとしてやっていこうという

気持ちがありません。

ずっとその気持ちは真本音だと思って来ましたが、

今、それが反応本音だとはっきりわかりました。」

 

「それでも木村さんは100人コーチングを目指して

2週間はコーチングをされましたね。

その2週間のコーチングでのご自分を振り返ると

今はどう感じますか?」

 

「・・・正直言って、全く心が込められていませんでした。

・・・心というよりも、魂が込められてないというか。

100人コーチングをやらなきゃ、という気持ちばかり。

・・・いえ、それよりも、

必ず100人を短期間でやり遂げて、たけうちさんを

ギャフンと言わせよう。

そんなことばかりを考えていたように思います。」

 

彼は正直です。

こういうところが、私は大好きです。

 

「この2週間で、コーチングをした方々の真本音を

感じ取ることはできましたか?」

 

「いえ、今振り返ると、真本音とか反応本音とか、

そんなことはお構いなしでした。

もちろんコーチングをしている時は、真本音を大事に

とは思っていました。

しかし、私はコーチングをこなすこと、

・・・いや、正確に言えば、

俺は素晴らしいコーチングができるんだ!と喜ぶために

コーチングしてました。

相手のことは眼中になかったです。」

 

「木村さんは正直ですねぇ。

でも、ちょっと自分を責め過ぎですね。

そこまでひどいものではなかったと思いますよ。

その時その瞬間は、懸命に向き合って来たのでしょ?」

 

「はい、自分なりにはやって来たつもりでした。」

 

「でも、それは真本音ではなかったと?」

 

「そうです。

私は私のためだけに、コーチングをして来たような、

そんな印象が今振り返るとあります。」

 

それから少し間を置いて、

木村さんは私に問いました。

 

「たけうちさん、

私は本当にコーチに向いていないのですか?」

 

私は即座に、はっきりと答えました。

 

「はい、向いていません。」

 

つづく

 

脳みそを使う五感だけが、すべてではないのです

心、って何でしょうね?

 

心は目には見えないものです。

でもよくよく考えると、

「見る」という行為は、私達の脳みそが感知する行為

でしかありません。

 

私達は、脳で感知できるもののみを

「そこにある」

と判断しています。

 

が、脳で感知できる周波数はほんのわずかです。

 

「見る」ということだけでなく、

「聞く」ことも「体で感じる」ことも、

つまり私達の五感はすべてが、脳によるものです。

 

脳という機関を通じないと

私達は、私達の世界や現実を感じることは

できません。

・・・と一般的には言われています。

 

が、本当にそうでしょうか?

 

脳を使わずに、

そこにあるものを

感知することは

本当にできないのでしょうか?

 

これに対しては

私は明確な答えを持っています。

 

もちろん答えは、

「できます」

です。

 

というよりも、

「できますよ。それが当たり前のことです」

という言葉になるかな。

 

第六感という言葉がありますが、

第六感どころか、第七感も第八感も第九感も、

もっともっと私達にはあります。

 

脳を使わなければ何もわからない、

という私達の固定観念が

それらを使わなくしているだけのことです。

 

私はコーチングというお仕事を通じて

たくさんの方々の「心」と向き合いました。

 

ある時から、

脳みそを使わなくても、

皆さんの心を感知することができるように

なりました。

 

それは、「超能力」と表現するような

特別なものではありません。

 

あぁなんだ、私達人間には最初から

こういった能力が備わってるんだな、

ただ使ってないだけなんだな、みんな、

とわかりました。

 

脳の五感を使わずに感知できるものを

いつからか私は

『実在』

と表現するようになりました。

 

そこに確かに「実在」しているもの、

という意味です。

 

それに対して、脳レベルで感知するものを

『現象』

と呼ぶようにしました。

 

『実在』と『現象』。

 

すべての物事は、この二つによって

成り立っています。

 

『実在』があるからこそ

『現象』が起こります。

 

しかし、

『実在』があったとしても、それがまだ

「現象化」していないものもあります。

 

この話については、

今後、少しずつこのブログでも

明らかにしていきます。

 

さて、

木村さんの話に戻りますが、

私はコーチングをしながらも、木村さんの『実在』を

感知し続けていました。

 

木村さんの『実在』をあえて

わかりやすく表現すれば、次のようなイメージに

なります。

 

木村さんという、もの凄く強いエネルギー体が

真っ黒な雲に覆われてしまっている。

 

・・・こんなイメージです。

 

もちろん、『実在』ですので、

脳で見るわけではありませんので、

本当にそのように見えるわけではありません。

 

でも、脳を使わずに感知したことを

まるで脳を使ったように表現すると、

こうなるのです。

 

ですから、

こんなにエネルギーの高い人なのに、

あんな雲で覆われてしまって

本当にもったいない人だなぁ、

というのが、私の木村さんへの印象でした。

 

なんとかあの黒い雲を

取り払うことはできないかな、

というのが、私のコーチとしての木村さんに対する

テーマでした。

 

木村さんが

「プロのコーチになりたい」

と言い出した時、

私は、彼の黒い雲がますます黒く重くなり、

ますます彼のエネルギーが閉ざされていくのを

感じました。

 

しかし、

彼のコーチングを続けることで、

彼は自らの「真本音の言葉」を語りました。

 

それが、

「平井にもっと伸び伸びとしてもらいたい」

という願いでした。

(→前回記事)

 

彼がその一言を口にした途端に、

木村さんの実在に変化が現れたのが

わかりました。

 

イメージで言えば、

黒い雲に一箇所だけ穴が空き、

そこから彼本来のエネルギー(光)が

洩れ始めた、

・・・そんな感じです。

 

この光を大きくすればいいんだ!と

私はとっさに思いました。

 

そのためには、

私の次の一言がすべてを決めます。

 

ここがコーチとしての

最も重要な瞬間だとわかりました。

 

私は、彼の目を

見据えました。

 

そしてその時その瞬間、

自然に浮かんだ言葉をそのまま

彼に投げたのです。

 

その言葉は、

木村さんの真本音が

「今、私に投げてください!」と望んだ

一言でした。

 

つづく

 

素直な想いは、たった一つだけだったりする

決めたことを実行できない。

 

・・・そんなケースは、どこにでもあります。

 

決めたことを実行できない理由は

二つです。

 

一つは、

決めたつもりになっていたが、

本当は決めていなかった、

という理由。

 

つまりは、

真本音で決めたのではなく、

反応本音でのみ決めた、ということです。

反応本音での決断は、

その後、必ず葛藤や迷いが生じます。

 

もう一つは、

真本音では決めることはできたが、

それを阻害する強烈な反応本音パターン(クセ)があり、

そのクセに負けてしまう

という理由。

 

この場合は、そのクセを特定して、

クセを意識することで、乗り越えることができます。

 

今回の木村さんのケースは、

この二つの理由が複合しています。

 

決断そのものも反応本音レベルですし、

その上に、彼の強烈なクセが

表面化していました。

 

逆に言えば、

これを機にしっかりと自分と向き合うことができれば、

木村さん自身に大きな気づきと変化を

生じさせることができるチャンスです。

 

これは私の解釈ではなく、

これこそが木村さん自身の真本音の意図

でした。

 

私は彼のその意図に

委ねました。

 

その結果、彼に投げた問いが、

「木村さんは、

どんな人のコーチングをされたいのですか?」

でした。

(→前回記事)

 

木村さんはしばらく

考え続けました。

 

そして言いました。

 

「私はリーダーを応援したいです。」

 

「リーダー?」

 

「はい。

組織やチームを引っ張っていくリーダーです。

私のような人間です。」

 

「組織を引っ張るということは、

経営者も含まれますか?」

 

「はい。経営者も含め、リーダーという役割を

担っている人のコーチングをしたいです。」

 

「そう思う理由はわかります?」

 

「はい。

やはり、すべてはリーダーで決まると思うのです。

ところが、リーダーが自分の解釈だけで、

自分の度量の範囲でメンバーを引っ張ろうとすると、

チームが小さくまとまってしまいます。

私は今回のプロジェクトチームで、

チームコーチングの手法を使うことで、

メンバー一人一人がとても活き活きとして、

リーダーである私の範疇を超えるチームになっていく、

という経験ができました。

その素晴らしさを伝えたいのです。」

 

以前の記事でも書きましたが、

木村さんが言っていることそのものは

素晴らしいことだと思います。

しかしこれが彼の反応本音レベルの想いである以上、

やはりこちらの胸には響きません。

 

言葉のみが、

上滑りをしている感覚です。

 

「たけうちさん、

ここも、私に寄り添ってください。」

・・・と、木村さんの真本音からのメッセージが

私の心の中に浮かび上がってきました。

 

私はその声に委ねます。

 

「では、そういったコーチングができるようになるために、

今の木村さんにはどんな体験・経験が必要ですか?」

 

「うーん、

やはり、たくさんのリーダーである方々とお会いして

コーチングさせていただくことでしょうか。」

 

「具体的に、この人をコーチングしたい!

という人はいますか?

有名人でも結構です。」

 

「それを言ったら、平井です。」

 

「えっ? 平井さん?」

 

「はい。」

 

「理由はわかります?」

 

「・・・そうですねぇ。

やっぱり私は平井を尊敬してます。

尊敬するリーダーに、私はさらに伸び伸びと

してほしいです。」

 

なんとここで、木村さんの真本音が出ました。

この一言を聴いたとき、

私の体の芯がゾワゾワを痺れました。

真本音からの言葉を聴いた瞬間のいつもの感覚です。

 

「今のそのお気持ち、凄く強いですねぇ。」

 

「そうですね。自分でも言いながら

強い気持ちだな、と思いました。」

 

「では、平井さんのコーチングをしてみては

いかがですか?」

 

「いやいやいや、そんな滅相もない。」

 

「でも、平井さんを応援したいんでしょ?」

 

「いや、そうですけど。

今の私が平井のコーチングなどできませんよ。」

 

「どうして?」

 

「だって、全然レベルが違うじゃないですか。

平井だって、わざわざ私のコーチングなど

受けたいと思わないと思いますよ。」

 

「でも、コーチングするなら平井さんが

いいんでしょ?」

 

「はい。でも、それは理想です。

今の私には無理です。」

 

「そうなんですか。

じゃあどうしたいですか?」

 

「平井以外の人をコーチングします。

で、経験を積んだら、平井をコーチングします。」

 

「じゃあ、平井さん以外で、

この人コーチングしたいなぁ、と思う人はいます?」

 

ここで木村さんは止まりました。

 

しばらくじーっと考えていましたが、ポツリと

呟きました。

 

「・・・いないです。」

 

「いない?」

 

「はい、平井以外にいないです。」

 

私は彼の目を見据えました。

次の一言が、非常に重要だとわかったからです。

 

つづく

 

どこまで寄り添うか、それがコーチングの肝です

「プロのコーチになるために、

私はまずは何をすればよいでしょうか?」

・・・という木村さんからの問いに、私は

 

「まずは、100人にコーチングをしてください。」

・・・とお答えしました。

 

「木村さん、お忙しいとは思いますが、

まずは、平日のお仕事が終わってから毎日二人ずつ、

そして土日に一日6人ずつ。

つまり、一週間に22名のコーチングを行なってください。

すると、5週間で100人できると思います。

まずはここからですね。」

と。

(→前回記事)

 

もし木村さんの「プロのコーチになりたい」という想いが

真本音から出されたものであれば、

彼は何の躊躇もなく、私のアドバイスを

受け入れたでしょう。

 

しかし残念ながら彼のその想いは

反応本音レベルです。

恐らく内心は、「そこまでのことをしなければならないのか」

と感じていたと思います。

 

でも、100人コーチングというのは

本当に特別なことでもありませんし、

私は100人コーチングして初めて、

「私、コーチとしての活動を始めました」

と言えるのではないかと思っています。

 

木村さんはしばらく黙っていましたが、

意を決したように言いました。

 

「わかりました。では、それをします。

相手は、誰でも良いのですか?」

 

「はい。

社内の人でも知り合いでも初めてお会いする人でも

誰でも良いです。

ただし、プロのコーチを目指すのであれば、

初対面の人の割合を多くした方が良いですね。」

 

その日から彼は、

100人コーチングを始めました。

 

彼の偉いところはこういうところです。

自分の真本音の想いだと思ったことは、

とにもかくにもそれを実行してみる、というところです。

 

こういう人は必ず、

何らかの気づきがありますし、

たとえそれが回り道だったとしても、

必ず「次」につながります。

 

彼は、平日は、社内の人達のコーチング、

土日は、社外の人達のコーチング、

というように分けて活動をしたようです。

 

もちろん、そのような活動をすることを

彼は、上司である平井さんに報告しました。

 

実は、彼の報告の前に、私は平井さんにこの件を

お伝えし、了承を得ていました。

これが彼の反応本音レベルの想いだということも

含めてお伝えし、

「この体験で得られることは、間違いなく

彼の新規事業プロジェクトリーダーとしての

成長につながります。

ですのでここは、ご理解をお願いします」と。

 

平井さんはニコニコしながら、

「木村がこれでどのように変化するか、

楽しみですねぇ」

と言われました。

 

こういった度量の大きな上司がいることは

本当に人の成長を左右するなぁ、と

私は感嘆しました。

 

さて、木村さんですが、

私の予想よりも少し早めに彼は

「挫折」しました。

 

2週間後のコーチングで彼はこう

言われたのです。

 

「たけうちさん、

社内の人達のコーチングは順調に進むのですが、

土日の社外の人へのコーチングが難しいです。

なかなかアポが入りませんし、

知り合いのコーチングをするのですが、

コーチングというよりも、ただの雑談になるというか。

どうしたら良いでしょうか?」

 

「どうしたら良いでしょうか?」

この問いが出た瞬間に私はいつも、

それは一つの挫折である

と思います。

 

それは、依存している人のセリフだからです。

 

真本音の想いで進んでいる人は、

決してその一言は口にしません。

 

本当に真本音でプロのコーチを目指している人であれば、

必ず自分なりの方法を自力で見つけ出します。

 

これまでの受講生さんの例で言えば、

知り合いのコーチングが難しいと感じたならば、

異業種交流会に出まくるとか、

いつも顔を合わす、近所のコンビニの店員さんに声をかけて

コーチングをさせてもらうとか、

道行く人に自ら声をかけてコーチングさせてもらう

という人すらいました。

 

真本音の想いであれば、自然にそういったことを

人はします。

しかし、反応本音レベルの想いであれば、

行き詰まるとすぐに、人に答えを求めます。

 

もちろん、とことんやってどうしてもわからなければ、

人に訊くのも良いでしょう。

大事なのは、とことんやったかどうか、です。

 

それは、空気感ですぐにわかります。

 

木村さんは安易に私に答えを訊いてきました。

 

さて。

ここでどうするか?

 

コーチとして取るべき対応は様々です。

 

私はここでまた、彼の真本音に訊きました。

口には出さずに、心の中で問いかけたのです。

 

「木村さん、

今ここで、私にどんな言葉を返してもらいたいですか?」

 

すぐさま答えが返ってきました。

心の奥底から自然に浮かび上がってくるのです。

 

「たけうちさん、申し訳ありませんが、

ここはもう少し、相談に乗ってあげてください。

私にとって本当に必要な気づきを得るためには、

もう少し、私に寄り添ってください。」

 

「わかりました。

では、寄り添うためには、

今は何を伝えればいいですか?」

 

「私に、問いをください。」

 

と同時に一つの問いが自然に浮かんできました。

 

私はそれをそのまま、現実の木村さんに

投げかけました。

 

「木村さんは、

どんな人のコーチングをされたいのですか?」

 

つづく

 

失敗と怠慢は、根本的に違います

私のクライアントさんは、比較的

不器用な人が多いです。

 

不器用というのは、私は「魅力」だと

思っています。

 

不器用な人は、

よく壁にぶつかります。

 

何度も間違いをします。

 

まっすぐに進めばよいものを、

本人はまっすぐなつもりでも、右に傾いてしまったり、

左に傾いてしまったり。

 

その都度、

ガツンガツンと、壁や障害にぶち当たります。

上手にかわせばよいものを、

まともにぶち当たり、ダメージを受けます。

 

時には、壁にぶち当たるよりも前に

勝手につまずいて転んでしまうことさえあります。

 

それでも、前に進もうとします。

 

上手く物事を進めよう、とか、

壁をいかに避けながら進もうか、とか、

転ばないようにソロリソロリと進もう、とか。

そういった

「失敗することが嫌」、「失敗することを恐れる」

という人は、どちらかと言うと

私を避ける傾向にあります。

 

私は、失敗こそが財産である、と思っています。

 

ただしその失敗は、

「本当の失敗」であることが重要です。

 

本当の失敗とは、

「これが私の真本音だ!」と自分で信じて、

その通りに、その時出せるすべての力を使って

突き進む中での「失敗」です。

 

そういった「失敗」は、その時その瞬間は

「失敗」かも知れませんが、

後から長い目で見れば、

それは、「必要なステップ」であり、

「自分の望む成果を生み出すための大切な試行錯誤」であり、

「自分の進化のためになくてはならないプロセス」です。

 

失敗を恐れて、ソロリソロリと進んでも

何も得るものはありません。

 

ソロリソロリと進むことで結果を出すことができず、

「失敗しました」と言う人がいますが、

それは「失敗」ではなく、単なる「怠慢」です。

 

正しくても間違っていてもお構いなしに、

真本音だと信じた方向に進んでみる。

・・・そういった人を私はサポートしたいですし、

そういった人こそが、

「真本音で生きる」

ということを、理屈ではなく、体得します。

 

木村さんには確かに様々な反応本音のパターンが

ありました。

でも彼の素晴らしいところは、

何度失敗しても、自分の信じた通りに進もうと

したところです。

 

何度失敗しても、

「たけうちさん、これが私の真本音だと思うのです」

と堂々と私に語り、それを行動に移したことです。

 

その「真剣さ」に私は何度も

心を打たれました。

 

そして思いました。

「とことん、この人をサポートさせていただこう」

と。

 

ですから、

「プロのコーチになりたい」と

木村さんが言われた時、

それがたとえ反応本音レベルの想いだとわかっていても、

後で、その想い自体を「否定」することになるだろうと

わかっていても、

それでも私は本気で木村さんに伝えました。

 

「木村さんがプロのコーチになるために、

私は、どんなサポートをさせていただければよろしいですか?」

(→前回記事)

 

その瞬間、私は本気でそうしようと思って

言ったのです。

 

その迫力が恐らく、

木村さんに伝わったのでしょう。

彼は、しばらく

うろたえました。

 

しかし気持ちを整え直し、

私にこう言いました。

 

「プロのコーチになるために、

私はまずは何をすればよいでしょうか?」

 

私は即座に答えました。

 

「まずは、100人にコーチングをしてください。」

 

これは、私の主催するプロコーチ養成のための

講座の受講生さんに、いつもお伝えしていることです。

 

とにかく、まずは100人をコーチングする。

それができて初めて、

プロへのスタートラインに立てる、と。

 

「木村さん、お忙しいとは思いますが、

まずは、平日のお仕事が終わってから毎日二人ずつ、

そして土日に一日6人ずつ。

つまり、一週間に22名のコーチングを行なってください。

すると、5週間で100人できると思います。

まずはここからですね。」

 

つづく

 

まったく胸に響かない想いに、どう対処する?

それは、新規事業プロジェクトが動き出し、

計画の実行段階に入った頃のことでした。

 

木村さんが突然、私に

「たけうちさん、私はプロのコーチになろうかと

思います」

と言われました。

(→前回記事)

 

私は内心、

うわぁ、そう来たかぁ、

と思いました。

 

もちろんそれは、

反応本音レベルの彼の発想です。

ですから私には、

ただの言葉遊び、言葉の上滑り、

としか感じ取れませんでした。

 

通常の私のコーチングの場合、

反応本音レベルの発想がクライアントさんから出たとしても、

特にそれに対して、こちらが「反応」することはありません。

かと言って、無視もしません。

ただ普通にその発想を受け取るだけで、

肯定も否定もしません。

 

すると、コーチングセッション中は、

普段よりも真本音度合いが高まっていますから、

そのクライアントさんの反応本音レベルの発想は

自然に、消えていきます。

途中から、どうでもよくなってくるのです。

 

そして、真本音レベルの発想に

移っていきます。

 

私はそこには何の操作もしません。

 

しかし時折、クライアントさんが

自分の発想は真本音からの発想である、と

思い込む場合があります。

 

つまりそれは、自分自身の

真本音と反応本音の区別がついていない

という状態です。

 

しかし私から見れば、

明らかに反応本音レベルの発想です。

 

そういった場合は、

そこに、かなり強烈な「反応本音のパターン」が

存在していることになります。

クライアントさんからして見れば、

自分の真本音であると思い込むくらいに強い

反応本音のパターンが

そこにある、ということです。

 

その場合は、ある意味、チャンスです。

強烈な反応本音のパターンを浮き彫りにし、

それを自ら「壊す」ことにつながるからです。

それができれば、

そのクライアントさんは、より真本音度合いを高めることが

できます。

 

木村さんの中には、

強烈な反応本音のパターンが、たくさんありました。

 

特に顕著だったのが、

自信家になった時の彼の「イケイケ」のパターン。

もう一つが、

自信を喪失した時の彼の「ウジウジ」のパターン。

 

この時は、

その「イケイケ」のパターンが出たのでした。

 

ただしそれが出たとしても、

私は基本的には、すぐに否定することはしません。

 

私は木村さんに、プロコーチになろうと思った

その理由を訊きました。

 

想像通りの答えが返って来ました。

 

「今回、私は新規事業プロジェクトをさせていただいて

強く思ったんです。

プロジェクトメンバーを主役にしたチーム創りというのが

いかに素晴らしいか、ということをです。」

 

ちなみに、

「メンバーを主役にする」

「社員を主役にする」

というのは、木村さんの尊敬する上司である平井さんの

理念の一つです。

 

「それに、たけうちさんからチームコーチングのやり方を

教わって、それをやってみて、

これは本当に素晴らしいな、と思ったんです。」

 

「どこが素晴らしいと思われたんですか?」

 

「何と言いますか、

これまでの私は自分の枠に人をはめる、ということばかりを

して来たと思います。

しかし、人を尊重して、人の発想を促して、それらを形にする、

という方が、自分の想像を超えた展開を生み出す、

ということが、身をもってわかったんです。

これこそが、本当のリーダーシップではないかと思いました。」

 

言っている言葉の一つ一つは一見、素晴らしいですし、

彼の感情も想いもそこには込められていました。

 

しかし、

まったくこちらには響いて来ません。

 

それは、反応本音レベルだからです。

 

しかし残念ながら、このレベルの想いに基づいて

動いてしまっている「人」や「組織」がいかに多いことか。

 

真本音と反応本音の区別をつけないことが

いかにその後の展開に大きな違いを生み出すか?

ということを、こういった場面で私はいつも

実感します。

 

木村さんはさらに続けました。

 

「それに私は気づいたんです。

私が伸ばすべき強みは、コーチング力ではないかと。

チームコーチングの手法を使いながら、

私は、コーチとしての自分、がいかに楽しいか、を知りました。

しかも、楽しいだけでなく、みんなが実際に発想を広げ、

主体的になり、新規事業も一気に軌道に乗ろうとしています。

私は、こういった素晴らしい展開を、自社だけでなく

他社でも起こしたい。

プロのコーチとして、いろんな企業でチームコーチングをしたい、

と思ったんです。

これって、私のビジョンではないか?と。

真本音の願いではないか?と思ったんです。」

 

私はこの時、

少し心の中で迷いました。

 

かなり、かなり、短絡的な表現で書きますと、

次の二つの選択肢による迷いでした。

 

一つは、

今この場で、きちんと「否定」するか?

もう一つは、

「少し、泳がせてみる」か?

です。

 

前者の場合、

「木村さん、残念ですが今の木村さんの言葉は、

まったく私には響いて来ませんよ。

つまりそれは反応本音レベルの発想です」

と、そのままお伝えします。

 

恐らくそれをすれば木村さんは、

すぐに自分が反応本音だったということに気づき、

恐縮するでしょう。

反省するでしょう。

 

しかし、それを今の木村さんは本当に望んでいるでしょうか?

 

私は心の中で、木村さんの真本音に向かって

語りかけました。

 

「木村さん、今、私にどうしてほしい?」

 

言葉には出していません。

心の中で、彼の真本音に向かってそう問うたのです。

 

すぐに「返答」がありました。

 

「ここは私が自分のパターンを壊すために

とても重要なチャンスです。

今すぐの否定はやめてください。

最も、良いタイミングでの否定を私は望みます」

と。

 

言葉で表現すると、

このような返答がありました。

 

と言っても、実際に木村さんがそう言われたわけでは

ありません。

 

私の心の中からその返答が

「浮かび上がって来た」のです。

 

しかしそれは、私の「イメージ」でも「解釈」でも

ありません。

 

木村さんの真本音の意思を

私はダイレクトにキャッチしただけのことです。

 

これも「真本音コミュニケーション」の一つです。

 

そしてこれも、

私にだけできる特別な能力ではなく、

本来、私達人間すべてに備わっている

コミュニケーション能力の一つです。

 

私は心の中で、

「わかりました。

では、あなたの言う通りにしますね」と

お伝えし、その上で現実の木村さんにお伝えしました。

 

「木村さん、わかりました。

では、木村さんがプロのコーチになるために、

私は、どんなサポートをさせていただければよろしいですか?」

 

つづく

 

自信家になったら、危険信号

私達人間の真本音は、

自分自身に「的確な枠」をはめることを

大切にしています。

(→前回記事)

 

「無限の可能性」を発揮できないように、

わざと仕向けます。

 

自分に制限をかけます。

ストッパーをかけます。

 

その制限とストッパーに縛られる中で、

私達は、もがきます。

しかしその「もがき」は

非常に重要な「もがき」であり「試行錯誤」となります。

 

そしてその「もがき」の結果、

自ら「枠」を壊す瞬間がやってきます。

 

私はそれを

『脱皮』

と呼んでいます。

 

人は『脱皮』をすると、

ステージが一つ上がります。

次元が一つ上がります。

通常の成長(進化)とはレベルの違う

変化が起きます。

そして、まるで生まれ変わったかのように

新たな自分となります。

 

しかしその新たな自分とは、

これまでとは別人になるのではなく、

本来の自分に「一気に近づく」ということです。

 

人の成長(進化)とは

比例直線のように上がっていくわけではありません。

「階段状」に上がっていきます。

 

緩やかな進化の段階と、

一気にステップアップする段階と。

 

そのステップアップこそが、『脱皮』の瞬間です。

 

無限のステップアップをするために、

私達の真本音は、

今のステップに必要な「枠」を

自分自身に与えるのです。

 

ところが・・・。

 

この「枠」のはめ方を間違えると、

『脱皮』の瞬間は永遠にやってきません。

 

「枠」は

大き過ぎても、小さ過ぎても

ダメなのです。

 

自分にとって的確な枠をはめることこそが

重要であり、

それができているかどうか?を客観的に

観察するのがコーチの役割の一つです。

 

木村さんは、これが下手でした。

 

彼はもともと、自信家でした。

しかしその自信は、不安の裏返しでもありました。

 

俺が一番だ。

 

ということを証明するために、

常に自信のある自分を「演出」する必要が

ありました。

 

俺が一番、

・・・でなきゃ立っていられなかった、

のです。

 

そういった自信は、非常に不安定で、

何か一つのきっかけがあるとすぐに木村さんは

自信喪失状態に入りました。

 

すると今度は、

引きこもりに近い精神状態となり、

非常にウジウジとしながら

必要な行動を何もしなくなってしまいます。

 

物事が上手く行き出すと、自信家になり、

物事が頓挫すると、引きこもる。

これを繰り返していました。

 

このように、

「自信家」と「引きこもり」は表裏の関係にあり、

この二つを行ったり来たりするパターンの人は

かなり多いです。

 

そしてこういったパターンを持った人は一様に

自分自身への「枠のはめ方」が

下手です。

 

つまりは、

自信家の時は、枠を大きくし過ぎて、

引きこもりの時は、枠を小さくし過ぎるのです。

 

木村さんのその「下手さ」によって、

彼は、脱皮のチャンスを何度も逃しました。

 

しかしそれでも、彼は脱皮し続ける彼に

なっていくのですが。

最初の頃は大変でした。

 

彼はある日突然、私に向かって

「私はプロのコーチになります」

と宣言されたのです。

 

つづく

 

自分の可能性は無限? それはハッタリです

このブログをお読みいただいている皆さんは、

自分自身の可能性について

考えたことがあるでしょうか?

 

恐らく、「ある」と答えられる人が

ほとんどだと思います。

 

では、「可能性」とは何でしょうか?

 

可能性とは、無限でしょうか?

それとも、有限でしょうか?

 

今回は、

可能性とは「有限」です、

というお話です。

 

現在このブログでは、

木村さんストーリーをご紹介しています。

(→前回記事)

 

彼はこの後、すごい活躍をすることに

なるのですが、

その彼の活躍の「本質」をお伝えするためには、

その前提として、

どうしても明らかにしておかねばならないことが

いくつかあります。

 

その第1回目が今回である、

という位置付けです。

 

それが、

「可能性とは有限である」

ということなのですが、

ただ、その「有限」の意味が重要です。

 

「有限」という言葉を辞書で調べますと、

「限度・限界のあること」

とあります。

 

私達人間は、自分自身に対して

限度と限界を設ける

という特性を持っています。

 

必ず、自分自身を「枠」にはめるのです。

常に、

今の自分に見合った限度と限界を設定

するのです。

 

これは、私達の真本音の意図です。

 

ですので、よく

「私の可能性は無限です!」

といった言葉を使う人がいますが、

その言葉を放つその人自身の空気感には必ず

不自然・無理

が伴います。

 

つまりは、

ハッタリでそう言っている

ように感じ取れます。

実際に

ハッタリに過ぎません。

 

私達の真本音は、

自分自身に限度と限界を設けることを

非常に大事にしているからです。

 

なぜ限度と限界を設けることを大事にするか?

と言いますと、それは、

自分自身の無限の可能性を発現するため

なんです。

 

なんか、変な言い方になってますが、

これが本質です。

 

つまり、私達人間は、

その時その時の自分に対して的確な限度と限界を

設定することで、結果的に

自分自身を無限に進化させることができる

・・・ということになります。

 

ですから、

今の自分は、自分自身にどのような限度と限界を

設定しているか?

を理解することが、「超」がつくほど重要です。

 

ここを誤ると、

物事の進展が、極めて遅くなります。

 

私達は、自分自身が設定している限度と限界に

即した生き方や、目標設定の仕方をする

ことが大切なのです。

 

つまり、「限度と限界」とは

私達人間にとって、無限の進化を持続するためには

なくてはならないもの

なのです。

 

ですから、次の問いがとても重要であり、かつ

必要です。

 

「私は今、どのような限度と限界を

自分自身に設定しているだろうか?」

 

そして、

 

「私は今、どういった限度と限界の枠の中で

物事の発想をすることが必要だろうか?」

 

という問いです。

 

わかりやすく喩えるならば、

例えば、2歳の幼児がいたとして、

その子に、

「君には無限の可能性があるから

自由に自分のやりたいことを発想して

行動しなさい」

と言っても、危険極まりないし、第一、

本人には意味がわからない

ということです。

 

ですから私達はその2歳の子に枠をはめます。

例えば、公園にその子を連れて行き、

「この公園の中は安全だから、

好きなことをしてもいいよ」

と伝えます。

 

その子は、公園という守られた枠の中で、

自由に遊び、その遊びを通じて、

自分の意志を育てて行きます。

 

要するに、そういうことです。

 

私達の真本音とは、喩えて言えば、

自分自身の「親」であり、「師匠」と言ってもいいかな、

と思うことがあります。

もちろん、真本音とは「本来の自分自身」であるのですが、

「本来の自分」と「今の自分」が

あまりにもかけ離れている場合は、

それは「親」であり「師匠」である、と捉えた方が

受け取りやすくなるケースが多いのです。

 

真本音という「親」「師匠」は、

私達自身を最速で、しかも、一歩一歩着実に

育てようとしています。

 

そのためには、

最初からいきなり、「無限」を提示し、

何の枠もない中で、「自由にしてごらん」とは

決してしないものです。

 

きちんと的確な「枠」を設定し、

その「枠」の中で自分を育て上げ、

その「枠」での「自由」を手に入れたら、

その「枠」を壊し、

さらに大きな「枠」を設定し、その中での

「自由」を学ばせる。

 

・・・そんなことをするのです。

 

ですから、

私達人間に必要なのは、

「的確な枠」

であり、それを最もよくわかっているのが、

私達自身の真本音

だということになります。

 

逆に言えば、

その人は今、的確な枠の中にいるだろうか?

という視点でその人を観察し、

枠が小さ過ぎれば、その枠を外し、もっと大きな枠を設定する、

枠が大き過ぎれば、もっと小さな枠の中にあえて入れる、

というサポートが必要です。

 

そういった的確なサポートができる人こそが、

「コーチ」だと思うのです。

 

特に私は、木村さんにはその視点を

大事にしていました。

 

なぜなら、彼は

「枠設定」

が非常に苦手だったからです。

 

つづく

 

要(かなめ)を見出さずに、組織活性化はあり得ない

『調和力』を持った人が

たった一人でもチームにいるかどうか?

 

それにより、チームの発想力も行動力も

成果も生産性も、すべてが変わって来ます。

(→前回記事)

 

たった一人が加わっただけで

チームの雰囲気がガラリと変わってしまう、という経験は

どこの組織にもあるのではないでしょうか。

 

多くの場合、『調和力』とは

先天的なものです。

 

しかし、その力があったとしても、

それを自覚し活用している人は、大変に稀です。

 

ですから、調和力を持ち合わせている人を

組織の中から見出し、活用する、というのが

組織開発をサポートするコーチとしての

重要な役割の一つです。

 

調和力のお話を解説したとき、

木村さんは当初、「買いかぶり過ぎです」と

言われていましたが、

しかし明らかに彼の心は喜び、

パワーが溢れ出始めたのがわかりました。

 

本来持ち合わせている力とは、

そこに意識を向けるだけで発現し始めるのです。

 

それ以降、木村さんは、ご自分の調和力を存分に

活用することになりました。

 

まず木村さんは、

新規事業プロジェクトチームのミーティング時は

できるだけ自分が皆の中心位置に座るようにしました。

 

そして、自分の思考に意識を向けるよりも、

常に、そこにいるプロジェクトメンバー全員、

その場全体に、

意識を向け続けました。

 

つまりこれは、自分の意識を内側には向けず、

外側に開放し続けるということです。

 

これを、

「オープンマインドの状態」

と、私は呼んでいます。

 

プロジェクトメンバーのお顔や表情が

ありありと観察できていれば、

オープンマインドになれている証拠です。

 

要するに、

「場の中心で、オープンマインドでいること」

・・・これが、調和力を最も発揮しやすい状態です。

 

木村さんは言われました。

「その体勢でいると、面白いことに、

私自身の直観力も明らかに増すのです」

と。

 

メンバーと共に、自分自身からも

アイデアが次々と生まれ、

その場は非常に活性化するそうです。

 

そのメンバーとのミーティングが

いつも「楽しみ」となり、

メンバーが集まるだけでモチベーションが上がる、

という関係性になっていきます。

 

チームの力を決めるのは、

そのチームを構成する人達です。

もちろん、一人一人の能力がどうか?も影響は大きいですが、

一人一人の能力が相乗効果でさらにアップする関係性かどうか?

という視点は極めて重要です。

 

そしてその関係性を決めているのは、

メンバーのうちのたった一人の影響

かも知れないのです。

 

そのたった一人を私は、

『要(かなめ)』

と呼んでいます。

 

平井さんは、

木村さんという『要』を見出し、

その『要』を上手に活用した

ということになります。

 

・誰が『要』で、

・どう活かすか?

 

この実にシンプルな問いこそが、

組織活性化戦略、そして

組織コーチングの基本です。

 

つづく

 

勢いに任せた前向きさから脱することこそ重要

葛藤を伴った前向きさ。

 

それは非常に不安定なものです。

(→前回記事)

 

常に前向きであろうと頑張り過ぎる人ほど、

私は注意をします。

その前向きさに合わせて物事を進めれば、

多くの場合、どこかで無理と不調和が生じるからです。

 

これを、

反応本音レベルの前向きさ、

と言います。

 

それに対して、

真本音レベルの前向きさ、

というものがあるのですが、しかし実はこれは

あまり的確な表現ではありません。

 

なぜなら真本音に素直に生きている人は、

自分が前向きかどうか、

なんてことは眼中にないからです。

 

前向きだろうが、後ろ向きだろうが、

今自分のすることは、今する。

ただそれだけのことだからです。

 

その姿を周りの人達が見ると、

「あの人はなんであんなにいつも前向きなんだ?」

という印象になるだけのことです。

 

真本音で生きるとは、

本人にとってはとてつもなく自然な状態です。

 

私のコーチングは、まずはクライアントさんが

そのような状態になる(・・・というよりも「戻る」)ことを

大切にしています。

 

単に勢いに任せて目標設定やコミットメントをして

勢いに任せて突き進む、ということを

私は、極力止めます。

 

勢い任せの前進ではなく、

本当に真本音に根ざした前進であれば、

そのクライアントさんの天然の魅力や個性や力が

発現し始めます。

 

木村さんの天然の力は

『創造力』

です。

(→前々回記事)

 

そしてその創造力とは、

『調和力』

を伴ったものです。

(→前回記事)

 

調和力という言葉は聞き慣れないと思います。

これも私の造語になるのでしょうか。

いつ間にか企業現場で自然に使うように

なっていました。

 

調和力を持った人は凄いです。

 

その人は特に何もしなくても、

その人がその場にいると明らかに

そこにいる人達の調和度合い(調和性)が高まるのです。

 

単純に言えば、例えば、

その人がいなければ言い争いになりそうな議題でも

穏やかにコミュニケーションが進んでいきます。

それだけでなく、

一人一人が個別で考えても決して出てこないような

斬新で本質的なアイデアが、

その場で生み出されるようになります。

 

調和力を持った人が、

そこにいるかいないか?

その違いだけ、でです。

 

ですので、私は組織コーチングをする場合、

その組織の中で調和力を持ち合わせている人を

いつも探します。

そしてその人の調和力を引き出すコーチングを

します。

そしてその人を、要(かなめ)として活用しながら

組織活性化を推進します。

 

その方が何倍も効果が違ってくるからです。

 

つまり調和力とは、

その人の存在そのものが発揮する

独特の力です。

 

木村さんにはそれがあったのです。

 

しかも木村さんの場合は、

その調和力という土台の上で、

新たな道を創り出していく逞しさ(創造力)も

ありました。

 

彼はもともと自信家の個性を前面に出していましたが、

実はその「自信家ぶり」自体は決して悪いことではないのです。

彼のその自信の根元にあったのは、

自分は新たな道を切り開いていける、という確信から

来るものだったのです。

 

しかし反応本音のみで生きていた彼は、

自己保身のために、その自信家ぶりを発揮して

いました。

それにより周りからの信頼を減らしていたのですから、

非常に勿体ない個性の使い方をしていたわけです。

 

要するに、

真本音で生きれば、自分の個性は

良い発揮の仕方をするわけです。

しかし真本音度合いを下げることで、

自分の個性を、自分を下げる方向に使ってしまう。

・・・そういった場面をこれまで私は

本当に数え切れないくらいに見てきました。

 

つくづく「勿体ない」の一言なんですよね。

 

木村さんの上司である平井さんは

こういった彼の特性を何となく掴んでいました。

だから、

「木村が真本音度合いを高めれば

必ず凄いことになる」という確信を持ち、

私に木村さんのコーチングを依頼されました。

 

そして、彼の天然の力が発揮され始めたのを見て、

すかさず、木村さんに「環境」を与えたのです。

それが、新規事業プロジェクトのリーダーという

立場です。

 

平井さんのマネジメントは「見事!」と

言うほかありません。

 

さて、話をもとに戻しますが、

新規事業プロジェクトのリーダーという役割を

平井さんから指示された時の木村さんは、

なぜ自分が?と疑問に思い、それを断ろうとしました。

 

そのタイミングで私のコーチングがありました。

 

私は木村さんに、なぜ平井さんが

木村さんをリーダーにしようとしたか?の理由を

詳細に説明しました。

 

調和力と創造力のお話も当然しました。

 

木村さんは、非常に恐縮されました。

「私のことを買いかぶり過ぎだと思うんです。

平井も、たけうちさんも」

と彼は言いました。

 

真本音度合いを高めることで

妙に謙虚になる人は、結構います。

恐らく、

これまでの自分の「芯のなさ」を知ってしまった故だと

思います。

 

ですから、謙虚になること自体は悪いことでは

ありません。

しかしだからと言って、

行動まで謙虚になる必要はありません。

 

本質的な謙虚になった人ほど、

大胆な行動をとっていただくことが

成果に結びつきます。

 

その環境を与えられる、という「現実」を

私は待っていました。

 

謙虚になった木村さんが、

目の前の「現実」に対して大胆に向かっていく。

 

これが、私のコーチングサポートの

次のステップでした。

 

つづく

 

前向き、と言うけれど、本当は後ろ向きの反動でしょ?

私達の心の中には、「作用・反作用の法則」が

成り立っています。

 

例えば、

自信満々な自分が心の中に存在している場合、

そのもう一歩奥には、自信のない自分が

必ずいます。

 

自分の自信のなさや不安を搔き消すために、

あえて自信のある自分を創り出している、

という人が非常に多くいます。

 

一般的に言われる「過信」状態ですが、

過信しやすいのは、自信のなさの現れとも

言えるのです。

 

これが反応本音の特徴です。

 

反応本音とは多くの場合、

相反する心がセットで存在し、

その相反する心同士が常に「引っ張り合っている」

という状態になっています。

 

例えば、

前向きな心の裏側には、ほぼ必ず

後ろ向きな心が隠れています。

人の意見に迎合しようとする心の裏側には、ほぼ必ず

その人に対する不満感が隠れています。

 

それらの相反する心は引っ張り合っているので、

疲れます。

 

引っ張り合いとは、綱引きです。

 

運動会で行われる綱引きを

もし一日中行なっているとしたら、

相当な体力を消耗します。

しかし、

心の中では常にそれをしている人が

多いのです。

 

ですから私は、

ただやみくもに「前向きに生きよう」

と言われる人を注意深く観察します。

そういった人ほど、

後ろ向きな心にフタをして見ないようにし、

しかし本人の知らないところで

前向きな心と後ろ向きな心が綱引きをしている

可能性が高いからです。

 

このような綱引きのことを一般的には

「葛藤」

と言います。

 

葛藤の多さによって

心の疲労度合いが決まります。

 

葛藤の多い人は

常に心が疲れ、

その疲れている状態がその人にとっての

「普通の状態」

となります。

 

疲れているのが「当たり前」の状態と

なってしまうのです。

 

私達が、反応本音のみで生きていると、

以上のような、葛藤と疲労を非常に起こしやすくなります。

 

木村さんの場合、

常に彼は、「自分の方が凄いんだ」ということを

皆にアピールするパターンを無意識に行なっていました。

そのため、自分以上の素晴らしい意見を持った人に対して、

自分の経験を傘に着て、それらを潰しにかかっていました。

 

その一方で、

そんなことをして自分はなんて愚かな人間なんだ

という罪悪感も常にその裏側で発生させていたのです。

 

人の意見を自分が潰せば潰すほど、

自分を責める自分が増殖する。

 

そういったことを続けるうちに、

彼の心はどんどん疲弊していきました。

 

人は、心が疲弊すると「深刻」になります。

ドヨ〜ンとした重い空気感を発するようになります。

それがまた、周りの人達に

「この人は居心地が悪い」

という印象を与えます。

 

その印象によって、彼に対して反発心を持つ人が

増えてしまう。

そんな悪循環が起きていました。

 

しかし木村さんが人生理念を見つけ、

真本音に素直に生きるようになり、

それらのパターンは瞬く間に減少しました。

 

もちろん木村さんには上記以外にも

反応本音のパターンがいくつかありましたから、

完全に真本音で生きる、という状態には程遠かったのですが、

それでも、一つ、また一つ、とパターンを改善することで

木村さんは彼の放つ空気感を大きく変えたのです。

(→前回記事)

 

私はこれまで多くの企業で、

「あの人はもう変わらない」

という諦めの声を、非常にたくさん聴いてきました。

 

人間、諦めると、何もしなくなります。

みんなが諦めてしまった人でも

「もしその人が変わったら、組織は素晴らしく良くなるだろう」

と思える人がいたら、私はその人に真っ先に

向き合うようにしました。

 

その人が変わらないのには、

その人なりの理由があります。

その人なりの強い信念があるのです。

それを尊重しながらも、その人と向き合い続け、

その人の真本音度合いを高めることで、

「えっ? なんであの人、こんなに変わったの?」

とびっくりされることが数え切れないほどありました。

 

人が変わることに対して

人は敏感です。

 

「あの人は嫌い」と一度思ってしまった人は

一生嫌いなままだ、と思われがちですが、

私が企業現場で実感したことは、

それとはまったく逆の現実でした。

 

変な言い方ですが、

「出来の悪い人ほど、もしその人が本当に変われば、

皆は賞賛したり、感動する」

という結果の方を、私は多く見てきました。

 

以前のブログにも書きましたが、

「進化」とは、人の本能です。

「進化」そのものを、人は望んでいます。

表面上だけの進化ではなく、本当の進化を目の当たりにすれば、

人は自然に感動するものである、

というのは、私の実感です。

 

ですから、

木村さんが変わり始めた時も、

その影響は極めて大きかったのです。

 

何度も言いますが、

表面上の変化だけではダメです。

例えば、行動が変わった、というレベルではダメです。

しかし、

空気感とか、その人の在り方そのものからの変化を感じることで

人は、感動を覚えるのです。

 

木村さんと一緒に仕事をしていた人達の声を集めると、

木村さんが変わったところで最も大きかったのは、

「一緒にいると、楽しく発想できるようになったんです」

ということでした。

 

これを私は、

『調和力』

と呼んでいます。

 

 

つづく

 

本当の成長は、必ず結果に結びつく

自分自身の真本音に素直に生きることにより、

人は心に「自由」を感じるようになります。

 

それにより、自然に「自分らしさ」が

滲み出るようになります。

 

それにより、その人独自の「生まれ持った味」や

「先天的な魅力」や「天性の強み」が

本人の知らないところで発揮されるようになります。

 

本当に面白いことなのですが、

その人にとっての、それらの「天然の力」が

伸びている時は、

あまりに自然過ぎて、本人が気がつかないのです。

 

周りから見れば、明らかにその人は変化しているのに、

当の本人がまったく気づかないのです。

 

それはまるで、

子供が自分の身長が日々伸びていることに

気づかないのと同じです。

 

「大きくなったねぇ」と親は感嘆するのですが、

当の本人は、そんなことは知ったこっちゃない、

という感じです。

 

私はよく、それでいいかな、と

思います。

 

本人が意識していないのに勝手に

醸し出される魅力こそが、

本当の魅力ではないか、と。

だから、あえてそれをフィードバックしないままで

おいた方がいいかな、と。

 

私の経験則ですと、

6割くらいの人が、そのパターンです。

本人には何もお伝えせずに放っておくのです。

その方が、その「天然の力」はますます伸びていきます。

 

ところが、4割くらいは

どこかのタイミングでそれをフィードバックした方が

よい、という人がいます。

 

木村さんも、その部類でした。

(→前回記事)

 

ただしその場合、フィードバックのタイミングが

大切です。

 

ただやみくもに、

「あなたは、こういった力が出るようになりましたよ」

と伝えても、本人が納得しない場合があります。

実感がないからです。

 

実感を得るために最も良いタイミングは、

その人の「天然の力」によって

わかりやすい現実(結果)が引き起こされた瞬間

です。

 

その瞬間にフィードバックすれば、

本人も実感を持って納得できます。

 

私は、木村さんにとってのその「現実」を

待ちました。

それは、恐らくすぐに現れるだろう、と思ったからです。

 

そして実際にそうなりました。

 

平井チームが、ある新規事業を

立ち上げることになりました。

 

そのためのプロジェクトチームの発足が

計画されたのですが、

そのリーダーとして、木村さんが選出されたのです。

 

これは、平井さんからの指名でした。

 

面白かったです。

 

その指名の直後に、木村さんのコーチングが

ありました。

 

彼は悩んでいたのです。

 

「たけうちさん、

実は、新規事業を行なうことになったのですが、

そのリーダーに私が選ばれました。

平井からの指名なのですが、

私なんかでよいのでしょうか?」

 

私は笑いました。

 

「あれだけ自信満々だった木村さんが

何を言われるのです。笑」

 

「いやぁ、自信満々と言っても、それは

自己保身のために無理にそうしていただけで。

あれは本物の自信ではないですよ。

たけうちさんが一番よくわかってるじゃないですか。」

 

「あっははは。

木村さん、本当に謙虚になりましたよねぇ。

謙虚になり過ぎじゃなですか?」

 

「いやいや、茶化さないでください。

ホントに、なんで私なんかが選ばれたのかわからないですよ。

私は、平井に取り消してもらおうと直談判しようと

思ってます。」

 

「何言ってるんですか。

どのようにして木村さんが選ばれたか

聴いていませんか?」

 

「いや何も。

平井が突然私を指名しました。」

 

実は平井さんは、木村さんが真本音度合いを上げ、

彼の「天然の力」が発揮されるのを見て、

本当に心の底から、「リーダーは彼しかいない」と

判断されたのです。

 

まずはそれを私に相談されました。

私も、一押し、でした。

 

さらに平井さんは、平井チームのメンバー全員の

意見を聴いたのです。

「新規事業チームのリーダーを木村にするのは

どう思う?」と。

 

すると全メンバーが、

「新しいことをするなら、木村さんしかいないでしょ」

というような反応だったそうです。

 

平井さんはそれを聴いて、

感動のあまり、涙が出そうになったそうです。

 

木村さんは、

自分がどのような「天然の力」を出しているのか

まったく気づいていなかったのです。

 

木村さんの「天然の力」とは

『創造力』

でした。

つまりは、新たな何かを生み出す力。

 

しかしそれは、

木村さん自身の発想によって生み出されるものでは

ありませんでした。

 

木村さんと共にいるメンバー達から

発想されるもの。

 

だから木村さんは純粋に、

「みんななんて、凄いんだ」

と思っていました。

ですからコーチングの場では、

「最近、みんなの成長が凄いんですよ。

本当に私は、追い抜かれそうです」

と木村さんは言われていました。

 

しかし、そのみんなの「凄さ」は

その場に木村さんがいるからこそのもの

だったのです。

 

つづく

 

あなたは進んでいますか? 止まっていますか?

進む人は心地がいい。

 

私はいつもそう感じます。

 

どれだけ未熟であってもいい。

どれだけ能力がなくてもいい。

どれだけ弱くてもいい。

どれだけバランスが悪くてもいい。

どれだけ尖っていても、どれだけ凹んでいても、

どんな状態でもいいのです。

 

どのような人でもあっても

進む意志さえあれば、

私は、その人と向き合いたい。

 

その人と共に進みたい。

 

そう思います。

 

「進む」とは、「進化」ということです。

 

私はあえて、「進化」と「成長」という二つの言葉を

区別しています。

「成長」という言葉には、様々な意味が

含まれてしまうからです。

 

例えば企業で言えば、

売上や利益や事業規模が年々増加していくことが

「成長」と表現されますが、

私は、その中身をいつも大切にしています。

 

そこに「進化」はあるのだろうか?と。

 

どれだけ事業規模が大きくなっても

そこに「進化」がなければ、私はただの

「膨張」

であると思っています。

 

個人であれば、

どれだけその人の能力が高まったとしても、

そこに「進化」がなれば、ただの「能力の膨張」に

過ぎません。

 

「膨張」することを私は

「進化」だとは思いませんし、

それを「進んでいること」だとも思いません。

 

むしろ「膨張」だけで満足している人を私は

「止まっている人」と見ます。

「止まっている組織」と見ます。

 

「進化」とは、

次元を上げていくことを言います。

 

次元については、改めて詳細に書かせていただくことに

なると思いますが、

次元を上げるために最も直接的な影響を持つのが

「真本音度合いを上げる」ことです。

 

つまりは、

自らの真本音を大切に生きる

ことは、「進化」への最短の道です。

 

私は、

能力を高めるだけのコーチングはしません。

「進化」を拒絶している人のサポートは

しません。

そう決めて、これまでやってまいりました。

 

何のために、「進化」するのだろうか?

「進化」の先に何があるのだろうか?

 

そんな疑問も浮かんだことがありました。

 

もちろん「進化の先」はあります。

そこで手に入れられる「現実」はあります。

 

しかしそれよりも、

「進化」とは、それ自体が「目的」なのです。

 

つまり、私達人間は

「進化を目的として生きている存在」なのです。

 

「進化そのものに喜びを感じる存在」

それが、人間です。

 

人間としての自然な姿は

「進化すること」です。

 

その自然な目的に素直になっている人は

一緒にいて、とても癒されます。

一緒にいて、心地よいのです。

 

進む人は心地がいい。

 

・・・それは、私だけでなく、すべて人が心の根底で

本能的に感じることです。

人は、そういう人と「共に進みたい」と思います。

 

進化への欲求。

進化という本能。

 

そういった、私達すべての人間が持ち合わせている

大切なものに、

素直に、敏感に、そして大胆に

立ち向かっていく人を増やす。

 

それが、私がコーチをさせていただいている

重要な目的(願い)の一つです。

 

コーチングをしていれば、もちろん

クライアントさんが、立ち止まってしまうことはあります。

 

挫折もあります。

 

立ち直れなくなることもあります。

 

それでも「進もう」という根本的な意志を

その人が持ち続けているうちは、

何とでもなりますし、

とことんまでサポートすることは可能です。

 

「私は、私がこんなにもダメダメな人間だとは

思ってもいませんでした。

こんな私でも、何とかなるのでしょうか?」

 

コーチングをしていますと、

そんな問いを受けることがあります。

 

これまでフタをしていた自分と向き合ったり、

進化しようと思っても、どうしてもその行動が取れなかったり、

いろんな場面で、その言葉を聴いてきました。

 

木村さんもその一人でした。

(→前回記事)

 

実は、木村さんは平井さん以上に大変な

クライアントさんでした。

 

自分の真本音を意識して行動を変えようとしても

どうしても、自分の許容量を超える現実が来ると、

以前の「心と行動のクセ」が出てしまいます。

 

その「クセ」を直したとしても、

さらに別の「クセ」が顔を出す。

 

その繰り返しをしました。

 

そしてついにある時に、

「たけうちさん、

せっかくずっとコーチングしていただいているのに、

自分はずっとダメな自分が出てしまいます。

本当に申し訳ない。

私がこんなにダメダメ人間だとは思いませんでした。

私はこのようにコーチングを受けるだけの価値が

あるのでしょうか?」

と言われたのです。

 

私は逆に問いました。

 

「木村さんは、進化したいですか?」

 

即座に答えが返ってきました。

 

「したいです。」

 

「木村さんは、どんな時も自分の本当の願いを大事にした

行動の取れる木村さんになりたいですか?」

 

「なりたいです。」

 

「でしょ?

その木村さんの想いは、ずっと伝わってきていますよ。

それがあるうちは、大丈夫です。

今は、心の中に余分なものがいっぱいあり、

それが木村さんの生き方を阻害していますが、

木村さんのその想いがあれば、

それらを一つ一つ乗り越えていけますから。」

 

木村さんは、気づいていないのです。

どれだけ自分が変わったか、ということを。

 

どれだけ彼を見る周りの目線が

変わってきているか、ということを。

 

あえてそこには触れず、

私はただ、木村さんに、ある一つの「現実」が

訪れるのを待ちました。

 

そしてそれは、必然的に訪れたのです。

 

つづく

 

いつまで不安解消のためだけの人生を続けるの?

私達人間の心は

二つに分けることができます。

 

一つは、揺るがない心。

もう一つは、揺らぐ心。

 

揺るがない心を、『真本音』。

揺らぐ心を、『反応本音』。

私はそう名づけました。

 

どちらが良い・悪い、ということではありません。

 

どちらにもそれぞれの存在意義があります。

 

揺らぐ心など、最初からなけりゃいい、と

思われるかもしれませんが、

揺らぐ心があるからこそ、私達は

人間としての幸せを感じることもできます。

 

揺らぐ心があるからこそ、私達は

状況に応じて生き方を対応させることができます。

 

ところが、揺らぐ心(反応本音)は

本質的には弱いです。

 

反応本音で生きる、とは

あえて短絡的に言えば、

「不安や恐怖に基づいて生きる」ということになります。

 

不安を解消するためにどうすればよいか?

恐怖から逃れるためにどうすればよいか?

 

その視点からの発想に基づき、

私達は動くことになります。

 

それを「自己保身」と表現していますが、

自己保身を第一に考えてしまうと

本来の自分をいつの間にか見失ってしまいます。

 

それに対して、真本音で生きる、とは、

「自分の揺るがぬ願いに基づいて生きる」

ことになります。

 

しかしそれは決して理想論ではありません。

 

「自分の願いと、今の現実を観察しながら

今この瞬間における最善の一歩一歩を進む」

 

ということを、私達の真本音は大切にしています。

 

「今を生きる」とは

「今できる最善を尽くす」ことです。

 

最善とは、妥協ではありません。

理想でもありません。

 

自分の理想を大切にしながらも、

「今はこの一歩が最も良いな」と自分自身が納得できる

そんな一歩が「最善」です。

 

「妥協」とは自分自身が納得できていない状態を

言います。

 

反応本音で生きる場合は、

そういった最善かどうか?は考えず、

とにかく、不安や恐怖を解消するために、

妥協だろうが何だろうが、最も楽だと思える道を

とります。

 

しかしそれは極めて刹那的な判断となりますので、

後悔することが多いのです。

 

木村さんは、後悔しました。

(→前回記事)

 

村瀬さんとのやりとり。

本当は、木村さんには心の底から発したい言葉が

ありました。

それが、

「お前、すげーな!」

という村瀬さんを賞賛する一言です。

 

しかしそれを発することで、

「自分は村瀬に追い抜かれるかもしれない」

という恐怖を彼は抱きました。

その恐怖を消すために、後輩である村瀬さんの考えを

自分の経験則を前面に出しながら潰しにかかりました。

 

上司である平井さんからも、

そしてその他の社員さんからも

木村さんは「評価」を得たいのです。

 

ところが自分への評価を守るために行なった言動が、

結果的に、皆からの評価を著しく下げることになりました。

 

これが、反応本音で生きる人の

典型的なパターンです。

 

真本音で生きる人は、

評価どうこう、という視点がありません。

いえ、

正確に言えば、そういった視点や心は誰にでもありますが、

それに捕らわれずに、

本来自分が望んでいる生き方や、

自分の目指したい人生への願いに基づいて

今この瞬間の言動を決めます。

 

そこから出される一つ一つの言葉や行動は、

人々の心に響きます。

その結果として、

「あの人はいいなぁ」という印象につながります。

評価が上がります。

 

評価に捕らわれないことで

評価が上がります。

 

皮肉な感じがしますが、それが世の常ですね。

 

評価云々はともかくとして、

何よりも、木村さん本人が

「後悔する」

というところが問題です。

 

自分が後悔する行動を自分がとり続ける。

それは私達人間の心のパワーを著しく

減退させます。

それにより、パワーを失った私達は、

さらに不安や恐怖を覚え、

その解消のための言動につながる、

という悪循環に入ります。

 

その悪循環から抜け出せない人は多いです。

 

抜け出すためには、

①本来自分が望む生き方を言語化して常に思い出すこと

②自己保身のための自分のクセが現れそうになれば、

その瞬間に止めること

そして

③本来自分が望む生き方に基づいて行動してみること

 

この3つを行ない続けることです。

日常の中で行ない続けることです。

 

自己保身に基づいた行動のクセを、

願いに基づいた行動のクセに

変換していくのです。

 

それができればできるほど、

誰もが、心の根底から「楽」になってきます。

 

心に「自由」を感じるようになります。

 

本質的な「楽・自由」を手に入れるための

「クセ直し」ですね。

 

私はこれを木村さんには徹底的に

行なっていただきました。

 

すると、何が起こるか?

 

木村さんのさらに深いところに存在していた

新たな「クセ」が浮上してくるのです。

 

つづく