2019年 2月 の投稿一覧

新しい世界に行こうではないか

 

新しい世界に

最初に降り立つ

というのは、

とても勇気の

要ることだ。

 

そこには

何があるのか、

さっぱり

予測ができない。

 

予測ができる

ということはもう

その時点で

新しい世界では

ない。

 

予測ができる

ということはもう

その時点で

「超えていない」。

 

完全に、

自分の範疇を

超えているので

あれば、

予測は不可能だ。

 

むしろ

予測をしない

方がいい。

 

自分の範囲よりも

大きな場所に

いるのだから、

自分の範囲で

考えることは

危険である。

 

予測し意図を持つ

ことはむしろ

死を意味するかも

しれない。

 

だから

開き直る。

 

しかない。

 

開き直って、

予測ではなく、

「創造」に

集中する。

 

つまりは、

 

私は何をここで

創り上げたいか?

 

その、

願いのみに

意識を集中し、

行動を集中させる

しかない。

 

あとは、

人智を尽くして

天命を待つ。

 

煮るなり焼くなり

好きにしてくれ。

 

と、

開き直るしかない。

 

そして

その状態に

入った時に初めて、

 

一瞬、

 

すべてがわかる。

 

という体験が

ある。

(かもしれない。)

 

理屈で

わかるのでは

ない。

 

完全に

意識化できる

わけでもない。

 

でも

たった一瞬でも、

 

すべてがわかる

 

のだ。

 

その一瞬の

確信のみで、

私達は

毅然と進む

ことができる。

 

・・・・・・

 

私達は

今、

ここにいる。

 

という

紛れもない

現実がある。

 

そもそも

その現実を

受け入れていない

人が多い。

 

そういった人は

皆、

自分の「思考」の

世界に

入り浸っている。

 

目の前の

Aさんの表情を

見ることよりも、

 

Aさんとは

こういう人だ、

 

と解釈する方を

優先する。

 

Aさんを

見つめているような

振る舞いはするが、

 

実は

Aさんではなく、

Aさんに対する

自分の解釈のみを

見つめている。

 

これでは

Aさんとの関係性に

変化は

訪れない。

 

Aさんと共に

「新しい世界」

入ることもない。

 

一生。

 

本当に、

そんな人生で

よいのか?

 

自分の狭い

解釈の世界の中に

いるだけの

人生で

よいのか?

 

それで、

人生を終える

瞬間に、

満足感は

得られるのか?

 

自分の人生の

目的を果たせたと、

魂の悦びに

震えることは

できるのか?

 

・・・・・・

 

私達は

生きている。

 

生きる

とは

進化である。

 

進化の悦びを

得る、

ために

今ここにいる、

 

というのが

私達人間の

厳然たる事実

である。

 

と、

私は

人と向き合う現場で

確信できた。

 

ありがたい

経験だった。

 

人と向き合い

ながら、

自分と

向き合うことが

できた。

 

今のこの

お仕事に

本当に感謝

している。

 

明日向き合う人

と、

私はどのような

会話をするのだろう?

 

そして

どのような

「新しい世界」への

扉を

開くのだろう?

 

いったい

何を

創造したいと、

願うのだろう?

 

つづく

 

私達には役割がある

 

世の中は、

自分一人だけでは

力及ばぬこと

ばかりである。

 

私には

「できないこと」

ばかりである。

 

「できないこと」

というのには

二つの要素がある。

 

「能力的にできない」

ということと、

「やってはならない」

ということだ。

 

そしてこの二つは

完全に

つながっている。

 

私達には

「役割」

がある。

 

それは私達自身が

真本音で

決めている。

 

自らの本当の役割を

見つけ出すことが

人生の最初の

目的だ。

 

そして

その「役割」を

全うするために

私達は皆、

先天的な能力を

持ち合わせている。

 

これをつまりは

「才能」

と呼ぶ。

 

「才能」とは

少しの努力で

ぐんぐんと伸びて行く

力を言う。

 

しかし

面白いことに、

どれだけ優れた

「才能」があっても、

 

それを

使わなければ

それは

まったく発揮されない。

 

だから

自分の「才能」に

気づかずに

人生を終えてしまう

人も多い。

 

多い、

と言うか、

びっくりしないで

いただきたいのだが、

私の現場感覚では

9割以上の人が

自らの「才能」に

気づいていない。

 

そして

「才能」以外の部分を

必死に努力して

伸ばしながら

生きているし、

仕事をしている

という現状がある。

 

だから私の

「コーチ」としての

目的の一つは、

 

その人の

「才能」を見出すこと。

 

そして

その人の真本音が

望む「役割」

を見出すことだ。

 

組織において、

(組織外でも同じだが)

その「役割」と「才能」が

合致し、発揮されれば、

 

そういった人達が

増えれば、

間違いなくその組織は

「調和」する。

 

そして

「進化」を始める。

 

それが如実に

「数字」となって

現れる。

 

・・・・・・

 

「才能」は

見つけ出さねば

発揮されないが、

 

見つけ出すだけ

ではダメだ。

 

次は、

それを伸ばす努力

が必要だ。

 

「才能」は

努力をすれば

すぐに伸びるが、

 

努力もしなければ

まったく伸びないように

できている。

 

まったく

人間というのは

面白い。

 

「才能」が伸びるように

努力するということは、

イコール、

その「才能」に見合った

「役割」に挑戦する

ということだ。

 

その「役割」を

担うのが

私達の人生の望み

であり、

真本音の望みなので、

 

要するに、

真本音に素直に

生きることで、

「役割」を見つけ、

「才能」も掘り出される。

 

その結果、

 

・自分がすべきこと

・自分がすべきではないこと

 

が自然に

明確になる。

 

組織も社会も

ここが混乱している

ので、

不調和が起きてしまう。

 

一人一人が

真本音で望む「役割」を

しっかりと担えば、

組織も社会も

自然に調和する。

 

つまり、

本当に面白いことだが、

 

「この組織を

こうするために

人をどうするか?」

 

という方向で

考えるよりも、

 

「この人を

本当に活かすために

どうするか?」

 

を出発点にする

ことで、

 

自然に組織は

進化して行く。

 

組織とは

人の集まり

だからだ。

 

この原則を

実践しているのが、

私のサポートの

真髄だと言ってもいい。

 

私は

こういった「コーチ」を

育成したいのだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

これまでは準備に過ぎない

 

進む人。

進まない人。

 

その差が

またさらに

顕著になった。

 

この一ヶ月での

ことだ。

 

進まない人は

本当に

止まってしまった。

 

恐らく、

テコでも動かない

つもりなのだろう。

 

進む人は

サポートがなくても

勝手に

進んで行く。

誰もが、

最大加速を

楽しんでいる。

 

進めば

楽し。

止まれば

苦し。

 

という

これ以上ない

くらいに

シンプルな原則が

あるのだが、

それが

あまりにも見事に

現れてきている。

 

・・・・・・

 

私自身も

またさらに

加速しようと

思っている。

 

今、

一年前の手帳を

見てみたのだが、

 

この一年で

随分と

加速を続けてきた。

 

一年前の自分が

とてものんびり

しているように

感じられる。

 

だが恐らく、

一年後の自分が

今の自分を

振り返ると、

 

「止まっていたのでは

ないか」

 

と思うくらいの

加速を、

これからしてみようかな

思っている。

 

・・・・・・

 

これまでの

自分は、

準備段階の

自分であった。

 

これからが

本番だ。

 

・・・と

毎年思っている

気がする。笑

 

が、

私はそれでいい

とも思う。

 

これまでは

準備段階に

過ぎなかったんだ、

と思えるくらいの

加速を

続ければいい。

 

そこにこそ、

人としての

本質的な悦び

がある。

 

人生、丸51年。

今日から、

52年目の日々が

始まる。

 

つづく

 

人生の本流を見出そう

 

私には

やりたいことが

山のようにある。

 

だからこそ、

一本道を

創っている。

 

たくさんのことに

エネルギーを

分散するよりも、

 

常に

「一点」を

決める。

 

というのを

基本にしている。

 

一点を決めると、

自然に

一本道が

観えてくる。

 

まるで

川の水が

流れるかのような

一本道が。

 

川には

至る所に

岩や障害があり、

 

そこでは

水はせき止められて

いたり、

濁流を生んだり

しているが、

 

そういった箇所には

できるだけ

寄らない。

 

水が最も

スムーズに流れる

「本流」を

見つける。

 

つまりは

最も楽な行き方

を見つける。

 

最も

楽だと思える

道筋で、

最も

集中すべき

ことに

集中する。

 

これを私は

「戦略」

と呼んでいる。

 

「戦いを略す」。

 

要らぬ戦いを

せずして

目的に至る

最善の道だ。

 

・・・・・・

 

人生には

戦略が必要だ。

 

人の成長(進化)

にも

戦略が必要だ。

 

最も楽な

行き方をするから

こそ、

 

最も大事な

課題に

全エネルギーを

集中できる。

 

それにより

「最速」

で進める。

 

もちろん

今の自分に出せる

「最速」

だ。

 

・・・・・・

 

最速で進む

には

「覚悟」が

必要だ。

 

その「覚悟」を

持った人には

私は

「戦略」を

オススメしている。

 

実際に、

覚悟のある人

こそ、

戦略が

生きてくる。

 

覚悟とは

気合いのことでは

ない。

 

いつも言うことだが、

覚悟のある人は

静かだ。

 

スッキリクッキリと

物事が

観えている。

 

そして

淡々と

すべきことを

している。

 

あーだこーだと

できない理由を

並べ立てることは

しないし、

 

力を鼓舞する

こともない。

 

一つを決め、

一つをやる。

 

その連続を

まるで呼吸の

ように

進めていく。

 

その行き方と

戦略が

合致すると、

 

その人は

独特の空気感を

発する人

となる。

 

その人と

一緒にいるだけで

こちらの心は

洗われ、

 

その人と

一緒にいるだけで

こちらの道も

観えてくる。

 

余分な悩みや

迷いは消散し、

自分がなぜ

あんなことで

ウダウダと止まっていたのか、

わからなくなる。

 

心も体も

楽になるが、

背中に一本の軸が

通ったような

爽快さも感じるように

なる。

 

つまり、

その人と一緒に

いるだけで、

周りの誰もが

「自律」し始める。

 

・・・・・・

 

そんな

「リーダー」

を増やすために

私はサポートを

しているし、

 

そんな

「コーチ」

を私は

たくさん育成したい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

素直に自分を見つめよう

 

変化が大事だ。

 

と、

皆が口を揃えて

言う。

 

しかし

そう言いながらも、

本気で変化しよう

と決めている

人は

いったいどれだけ

いるのだろうか?

 

言うは易し

行うは難し

 

という言葉が

今ほど

身に沁みる時代も

ないだろう。

 

「自分の範疇」

の中における

変化は

皆、へっちゃらに

行なう。

 

しかし

それは本当は

「変化」とは

言えない。

 

変化とは

「自分の範疇」を

超えることだ。

 

しかし皆、

「自分の範疇」の境界線まで

来ると、

途端に尻込みを

する。

 

言い訳を

始める。

 

言い訳しながら、

もといた場所に

戻ろうとする。

 

人間だから

致し方ないことだと

思う。

 

人には恐怖

がある。

 

怖い

と感じることは

健康的だ。

 

尻込みだって

いいだろう。

 

でも、

尻込みしながらも、

 

「私は尻込みは

していない」

 

と、

自分で自分を

誤魔化すのは

やめにしないか。

 

・・・・・・

 

物事が

上手くいかなく

なると、

 

すぐに

自分のせいにする

人がいる。

 

「私が至らない

からだ」

と。

 

一見すると

謙虚であるが、

 

しかしそれも

「自分の範疇」に

おいてのみ

の人が多い。

 

いつもは

謙虚なのに、

本当にまずいことに

なると、

 

本当にシャレでは

済まない窮地に

なると、

 

途端に

人のせいに

し出す。

 

実は、

「私が悪いのです」

といつも口では

言っているのだが、

 

本当は

心の中では

そうは思っていないのだ。

 

心の中では

常に他人を

罵っている。

 

私は

それがいけないこと

だとは思わない。

 

人のせいにしたい

のも

私達人間の自然な

心の動きの一つだ。

 

誰だって

自分が悪い

とは思いたくない。

 

謝罪だって

したくない。

 

自分を

守りたい。

 

そんな心が

あったって

いいじゃないかと

思う。

 

実際

あるんだし。

 

でもその一方で、

「本当に

申し訳なかったな」

と、

反省する自分も

いるはずだ。

 

「反省する自分」

「人のせいに

したくなる自分」

どちらもいるのが

私達だ。

 

それで

いいじゃないか。

 

しかし、

「人のせいに

したくなる自分」

醜いと捉え、

そこにフタをする

人がいる。

 

これも

自分自身の

誤魔化しだ。

 

それは、

やめようよ。

 

・・・・・・

 

自分で

自分を

誤魔化す。

 

それだけは

やめようよ。

 

もっと

素直に

生きよう。

 

素直とは、

そこにあるものを

「そこにあるな」

あるがままに

認めること。

 

自分の心の

中の、

 

美しい部分も

醜い部分も

 

すべて

あるがままに

その存在を

認めよう。

 

それができて

やっと

「スタート」

だ。

 

自分で自分を

誤魔化す人に

 

一生、

「スタート」

は来ない。

 

素直な人

こそが

前に進めるんだ。

 

つづく

 

ちゃんと壊すから次に進める

 

私は恐らく、

とても厳しいコーチ

なんだと思う。

 

厳しいと言っても、

怒鳴ったり

けなしたり

するわけではない。

 

しかし

ある時ある瞬間に、

躊躇なく

クライアントさんの

「すべて」

壊すことがある。

 

ただし当然だが、

本当に

「すべてを壊す」

のではない。

 

その時のクライアントさん

ご本人が

「これが私の

すべてである」

と思い込んでいるもの

を壊す

のだ。

 

しかし

側から観れば

そうなのだが、

クライアントさんご本人に

してみれば、

たまったものではない。

 

すべてを

完全否定される

以上の

ショックや衝撃、

そして

痛みを感じるだろう。

 

・・・・・・

 

これを

中途半端に

相手をフォローしながら

上手くやろうとする

人がいる。

 

しかし

そのサポートは

逆に危険だ。

 

やる時は

一気にやる。

 

のが

実は一番

安全だ。

 

中途半端に

やれば、

壊れるべきものが

中途半端に

残ったままになる。

 

それはある意味

ゾンビのような

状態だ。

 

その状態で

中途半端にまた

生き返ろうと

してしまう。

 

しかし当然

生き返れない。

 

で、

その状態で

苦しみ続ける。

 

これが

一番きついことだと

私は思う。

 

壊すべき時は

一気に

完全に

壊す。

 

これが

次に進める

最善のやり方だ。

 

しかしそのためには、

それをやる側の

「コーチ」の覚悟

がいる。

 

しかもその覚悟

とは

エイヤッという

気合いや

勢いによるもので

あっては

ならない。

 

目を瞑って

我を忘れて

行なうものであっては

ならない。

 

壊すこちらも

「痛み」を一緒に

伴わねばならない。

 

これがなかなか

できない。

 

ここまでできる

「コーチ」に

残念ながら

私はまだ出会った

経験がない。

 

だから

これができる

「コーチ」を

私は育成すると

決めている。

 

・・・・・・

 

「壊す」ためには

もう一つ重要な

ことがある。

 

それは

「タイミング」

だ。

 

大雑把に言えば、

「もう壊しても

この人は大丈夫だ」

という

タイミングまで

「待つ」

のだ。

 

壊すことで

その人が本当に

壊れてしまっては

ならない。

 

その人が

「すべてだと

思い込んでいるもの」

を壊しても、

 

そのすぐ後に、

「新たなその人」

であり、かつ

「本来のその人」

浮上できる、

・・・という

その状態になるのを

待たねばならない。

 

そこまでに

結構時間が

かかってしまう。

 

しかも

その状態になれたら、

「すぐさま」

壊さねばならない。

 

その

「新たなその人」

であり

「本来のその人」

は、

すぐに引っ込んで

しまうからだ。

 

つまり、

「本来のその人」

「芽」

が出始めたところで

壊すのだ。

 

この

「タイミング」

こそが

命かもしれない。

 

・・・・・・

 

で、

以上のことを

ぶっちゃけて

一言で表現すれば

こうなる。

 

「真本音度合いを

高め、

強くなったところで、

その人を壊す」

 

・・・だ。

 

まだ弱いうちに

壊してしまうと

本当に壊れてしまう。

 

だから

強くした上で

壊す。

 

要するに

そういうことだ。

 

表現だけ見れば

とても怖い感じだ。

 

しかし私は

これこそが

「コーチング」の本質

であると

思っている。

 

人を壊す

覚悟を持っている

人は、

自分を壊す

覚悟をも常に

持ち合わせている

人だ。

 

そんな人に

私は

「コーチ」を

目指してほしい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

エネルギーに呑まれるな

 

時々、私は

自分でも怖くなる

くらいに

モチベーションが

高まる時が

ある。

 

最近は特に

その頻度が上がって

いるが、

 

実はそういう時ほど

慎重になる。

 

自分の内側から

エネルギーが

大量に溢れ続けると、

 

ある意味、

 

何も

観えなくなる。

 

エネルギー量が

凄くて、

視界が真っ白に

なる。

 

しかもそれは

とても気持ちの良い

状態であるし、

 

何でもできてしまう

感覚にもなる。

 

要するに、

「何も怖くない」

という

状態だ。

 

この状態のまま

私は

「絶対に」

人に

会わないことに

している。

 

なぜなら

自分のエネルギーに

そのままほだされて、

イケイケどんどん

のまま

突っ走ってしまう

からだ。

 

そしてそういう時ほど、

目の前の人を

置いてけぼり

にしてしまうか、

 

もしくは

知らぬ間に

傷つけてしまう。

 

イケイケどんどん

の気分になること

自体は悪くはないが、

そのまま現実を

進めるのは

大抵、

後でおかしなことに

なる。

 

だから

自分の中から

あまりにも大量な

エネルギーが湧いて

来た時は、

 

私は必ずまず、

自分の足元を

見つめる。

 

ちゃんと、

自分の足が

観えるか?

 

ちゃんと

大地に立てているか?

 

を確認する。

 

足元が観えない

場合は、

そのエネルギーの

放出を

止める。

 

と言っても

なかなか止まって

くれないのだが、

 

自分の体の

中心に、

そのエネルギーを

大事に大事に

抱くようにする。

 

そして

「我に返る」

ことにしている。

 

・・・・・・

 

エネルギーは

大事。

 

モチベーションアップ

も大事。

 

しかし、

何も観えない状態で

進むことは

本当に

やめた方がいい。

 

私が特に

企業経営者の

コーチングで

気をつけているのも

ここだ。

 

社長が単なる

イケイケどんどんで

進まないこと。

 

ちゃんと、

あらゆる現実を

見つめて、

観察して、

見極めて

進むこと。

 

エネルギーを

放出しなければ

進めない、

のであれば

それは

その人のエネルギーが

まだ少ない証拠だ。

 

エネルギーの

少ない人は

自分を鼓舞しなければ

進めないから。

 

本当に

エネルギーの高い

人は

静かだ。

 

肩の力を抜き、

静かに

微笑んでいる。

 

力を入れずとも

淡々と

自然体のまま

決めたことをすべて

やれる。

 

つまりは、

持っているエネルギーを

「落ち着いて」

発揮できる。

 

どこに

エネルギーを

集中させて、

どこで

エネルギーを

あえて分散させて、

どこで

エネルギーを

あえて鎮めるか?

ちゃんと

わかりながら

進むことができる。

 

その状態に

常に

「戻る」

ために、

私のコーチングは

あるのかもしれない。

 

人にはもともと

内包されたエネルギーが

必ずある。

 

それが発揮されるように

なるのは

当たり前。

 

ちゃんと真本音で

生きれば、

皆、そうなれる。

 

問題は

そこからだ。

 

開放された

エネルギーを

どのように

コントロールするか?

だ。

 

つづく

 

どうする?

 

あなたは

進みますか?

進みませんか?

 

と、

2月に入ってから

ほぼ毎日のように

人に問うている

気がする。

 

その

人生の大事な

選択肢の前にいる

人ばかりだ。

 

進む

には勇気が

要る。

 

進む

とは、

これまでの自分の

範疇を

超えること

だからだ。

 

自分の築いた

世界の中に

安住することは

楽だろう。

 

しかし

本当は

楽ではない。

 

安住すれば

するほど、

心は

不安定になり、

 

その不安定さを

隠すために

自分自身に

不自然な元気さを

与えようとする。

 

その連続で

どんどん心は

弱まり、

そのうちに

身体まで

弱っていく。

 

そうならない

ことを

祈りながらも、

 

私は

今日も問うた。

 

あなたは

進みますか?

進みませんか?

 

もう

この判断は

本人しだいだ。

 

他者の

関与できる

ところではない。

 

だから

祈るしかない。

 

この人が

進む勇気を

出せますように。

 

そんな毎日が

続いている。

 

つづく

 

我に返るのが始まりだ

 

人生の選択に

迷ったら、

できるだけ

遠くを

観てみよう。

 

視野をできるだけ

大きく

取るのだ。

 

私は常に、

3年後の自分と

30年後の自分と

対話をし続けて

いる。

 

もちろんそれは

セルフコーチングの

一種であるので、

自己対話を

しているに過ぎない

のだが、

 

それでも

遠くを見つめれば、

 

そして

遠くの視点から

今を見つめれば、

 

我に返る

ことができる。

 

大事なのは、

我に返る

ことだ。

 

・・・・・・

 

常に

我に返った状態で

一歩一歩を

進めば、

 

それほど

間違えることは

ないし、

後悔もなくなる。

 

ほとんどの人は

我を忘れた状態で

がんばっている。

 

我を見失った

状態で

選択をしてしまう。

 

だから

後悔する。

 

という実に

単純明快な

理由がある。

 

いつも私は

「真本音に素直に

行こうよ」

と言うが、

 

これは

「我に返って

進もうよ」

と言うのと、

 

本質的には

同じことだ。

 

・・・・・・

 

そして、

当たり前のことだが、

 

我に返った

状態で

未来を描けば、

 

自分の本当に

望む未来を

設定することが

できる。

 

我を失った

状態で

未来を描けば、

 

それは

本当の願いとは

ズレを生じさせ、

未来に向かえば

向かうほど

ストレスが発生

する。

 

そういったビジョンを

描いている人が

多過ぎる。

 

・・・・・・

 

しかも、

常に我に返って

いれば、

その「我」は

急成長する。

 

つまりは

次元が上がって

いく。

 

最初は

単なる「我」で

あったのが、

 

しだいに、

「我」が大きく

なって行く。

 

我を大事にする

とは、

自分個人を

大事にすることでは

なく、

「すべて」を大事に

することである、

 

ということを、

努力するでもなく

当たり前のように

思えるようになる。

 

それを要するに

「器が大きくなる」

と言う。

 

「器を大きくしなきゃ」

では

器は大きくならない。

 

気合いの問題でも

真面目さの問題でも

ない。

 

我に返って

我を大事にすることで、

自然に

器は大きく

なってゆく。

 

「あいつは

人のことを考えない。

だから、

人のことを考えるように

させなきゃ」

 

では、一向に

その人は変わらない。

 

我に返り

我を大事にする人

でなければ、

本当の意味で

人を大事にすることは

無理なのだ。

 

それが

摂理であり、

 

それをよく

わかっている人が

本当のサポートが

できるのだと

私は思う。

 

「コーチ」は

誰よりも

器が大きくなければ

ならない。

 

そのためには、

誰よりも

我を大事に

していなければ

ならないのだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

本当は何をしている?

 

私のやっていること

は、

何だろうか?

 

よく考える。

 

もちろん

コーチングであるし、

育成の面では

戦略コンサルタント

であるし、

 

もっと本質的には

皆様の真本音度合いを

高めるサポート

ではあるのだが。

 

でも

私のやっていること

とは

何だろう?

 

もちろん、

世の中を活性化

させたいし、

もっと「コーチ」を

増やしたい。

 

約30年後の

ビジョンもある。

 

理念もあるし

想いもある。

 

若い人達を

応援したいし、

次世代に残せる

社会創りも

したい。

 

でも、

何だろう?

 

・・・・・・

 

本当は

私はきっと

 

「何もしたくない」

 

のだ。

 

本当は

毎日、大好きな

電車に乗り、

 

毎日、大好きな

音楽を聴き、

 

毎日、大好きな

ウイスキーを

飲みながら、

 

世の中の流れや

人々の振る舞いを

 

時代の

移り変わりを

 

楽しみながら

観ていたい

だけなのだ。

 

時には

がんばっている人達

と、

ワイワイ馬鹿話を

しながら

食事をする。

 

みんな

すげーなぁ、

と思いながら

 

やはり

いつものように

いろんなウイスキーを

ストレートで

クイッとやる。

 

そういうことが

できたなら、

それだけで私は

満ち足りるだろう。

 

しかし。

 

満ち足りた私は

きっと

何かを始めるだろう。

 

人は

どれだけ

満ち足りても、

同じ場所には

居続けない

生き物だから。

 

すべてに

満ち足りた私が

始めることは、

 

きっと

今の私が

毎日行なっていること

完全に

一致するだろう。

 

そう。

 

私の

今の毎日は、

 

「満ち足りないから

やっていること」

 

ではない。

 

「すべてが

満ち足りても

それでも全力をもって

やり続けたいこと」

 

を今、

やっているのだ。

 

それが

真本音で生きる

ということだ。

 

・・・・・・

 

何かが

満ち足りないから、

それを満たすために

がんばる。

 

・・・これは人として

とても尊い生き方

だと私は思う。

 

もちろん今の私も

満ち足りないものは

ある。

 

それを満たすために

がんばっている。

 

しかし、

 

「満ち足りたいものを

満たすために

行なうこと」

 

 

「すべてが満ち足りても

それでも全力を

尽くしたいこと」

 

 

本当は

一致するのだ。

 

それが

真本音で生きる

ということ。

 

つまり

真本音とは、

「今の状況」

には

左右されない。

 

どのような状況でも

大事にしたいものを

大事にする、

 

というのが

私達全員の

真本音の意志だ。

 

そんなことが

可能なの?

 

という疑問は

当然、

ほとんどの人から

出されるものだろう。

 

しかし

それが可能である

ということを

実証し、

 

多くの皆さんに

知っていただき、

 

そういった人達の

創り出す社会に

する。

 

というのが

私のやりたいこと

だ。

 

それが今、

私がやっていること

なのだろう。

 

たくさ〜んの

人達と

向き合いながら、

 

日々、

本当に私は実感

しているのだ。

 

人間は

みにくい部分を

たくさん持っている。

 

本当に

しょーもないなぁ

と思うことも

たくさんある。

 

しかし

人間はやはり

すごい。

 

人間は

こんなもんじゃない。

 

人間の本質が

創り出す世界は

こんなもんじゃない。

 

人間の底力は

こんなもんじゃない。

 

「こんなもんじゃない」

部分は

恐らく、

永遠に掘り起こされ

続けるだろう。

 

その凄みこそが

人間の本質だ。

 

私はそれを

実証したいのだ。

 

つづく

 

こんな人、いいよなぁ

 

私は

ひたむきな人

が好きだ。

 

私のクライアントさんや

関わる方々の中で、

 

結局どのような人が

最大スピードで

現実を創り上げて

いるか?

と言えば、

 

ひたむきな人

 

なんだな、と

ふと気がついた。

 

ちなみに

「ひたむき」を

辞書で調べてみると、

 

一つの事に熱中するさま。

一つの事に一生懸命になるさま。

一途(いちず)。

 

とあった。

 

ふむ。

 

でもなんか私の印象は

ちょっと違う

かな。

 

熱中とも違うし、

一生懸命とも

一途とも

ちょっと違う。

 

これらはちょっと

反応本音っぽい。

 

「一途」は

近い感じはするが、

 

何となく、

「こうであらねば

ならない」

という思い込みが

働いてるのが

「一途」のような

感覚がある。

 

「ひたむき」は

もっと自由だ。

 

「一途」は

「もうこの選択しか

ない」

という深刻さも

感じるが、

 

「ひたむき」は

あらゆる選択肢が

あり、

自由にどこにも

行けるが、

でも、この道を

行こう、

 

という

伸び伸びとした

意志を感じる。

 

しかも

そして、

真面目だ。

 

一つを決めたら

真面目に

まっすぐに

それに

取り組み続ける。

 

これが私の考える

「ひたむき」

だ。

 

もちろん

私の印象でしかない

ので、

一般的には間違っている

かもしれないが。

 

・・・・・・

 

どれだけ普段

おちゃらけていても、

どれだけ普段

子どもっぽくても、

 

ひたむきな人は

ひたむきだ。

 

自分で決めたことを

ちゃんと

一つずつ

コツコツと

やり続ける。

 

一歩ずつ

足元を大事に

しながら

着実に進む。

 

兎と亀で言えば、

亀っぽいかも

しれないが、

 

しかし私は

亀が

いざという時に

凄まじい瞬発力を

発揮することを

知っている。

 

ひたむきな人

は、

ひたむきに

進みながらも

ずっと

自身のエネルギーを

高め、

貯め続ける。

 

常に全力を注ぐ、

というよりは、

 

力を抜くべき

ところでは

しっかりと力を

抜き、

 

適当にすべき

ところでは

本当に適当に

こなし、

 

しかし

本来すべきことは

精魂を込めて

しっかりと

それをやり続ける。

 

成果が出るとか

出ないとか、

そういうことではなく、

 

自分が

すべきだ

と思うことは

確実に

着実に

やり続ける。

 

他のことはすべて

三日坊主に

なってしまっても、

 

それだけは

何があっても

やり続ける。

 

何があっても

ブレない。

 

何があっても

くじけない。

 

それだけは。

 

・・・という

感じかな。

 

恐らくそれは

自分自身の

人生の目的を

何となくでも

しっかりと理解

できているから

だろう。

 

何のために

自分はここにいて、

何に

自分は向かっていて、

今、

何をしなければ

ならないのか?

 

その

真本音の答えを

その人は

知っているのだろう。

 

もちろん

明確でなくても

いい。

 

ひたむきな人は

「明確じゃないから

進めません」

などとは

決して言わない。

 

明確であろうと

なかろうと、

 

これをするんだ

直観的にでも

そう思えることには

その人は

ひたむきに

進んでいく。

 

やっぱり私は

そういった人が

好きだなぁ。

 

つづく

 

情に流されるな

 

私はかつて、

情にもろい

人間だった。

 

情に揺らされ、

情に流された。

 

私達は人間なので、

もちろん

情はある。

 

それは

大切にすべきもの

だし、

自然に大切にしようと

している人も

多いだろう。

 

しかし、

情を大切にする

ことと

情に流される

ことは

根本的に違う。

 

昔の私は

情に流されることで

随分と

人生の遠回りを

してしまった。

 

恐らく

「コーチ」をする

ということに関して、

ここが

最大の難関の一つ

かもしれない。

 

「コーチ」が

情に流されると、

コーチングそのものが

「根本的に」

おかしくなる。

 

コーチングを

すればするほど、

クライアントさんの

真本音度合いが

激減していく

結果となるのだ。

 

・・・・・・

 

私は

よく泣く。

 

年齢を重ねるごとに

その傾向が

高くなっている。

 

とはいえ、

人前で泣くことは

ほとんどない。

 

でも

一人になった時に

クライアントさんの

苦しみや感情と

「一つ」となってしまい、

さめざめと

泣き続ける。

 

なんて

可哀想なんだろう、

と泣くこともあれば、

 

なんでこの人はこんなに

苦しい目に遭わねば

ならないんだろう、

と泣くこともある。

 

もちろん

嬉しくて泣くことも

多いが、

苦しみはさらに

多い。

 

私は夜中に

一人で

いつも泣き、

 

そして、

その上で

毅然と

クライアントさん達と

向かい合う。

 

そして私は

一切、

情には流されない。

 

一切、

である。

 

・・・・・・

 

私が人として

願うのは、

 

(「祈るのは」

と言った方が

よいかもしれないが)

 

一人ひとりが

真本音で生きる

ことである。

 

情に流される

ということは、

反応本音に流される

ということと

イコールの場合が

多い。

 

だから言葉を

換えれば、

 

私は一切、

その人の反応本音

には

流されない。

 

恐らく、

死んでも

流されないだろう。

 

それは

コーチングの場

だけではない。

 

プライベートでも

すべて同じ。

 

両親だろうが、

妻でだろうが、

子供にだろうが、

 

その人が

真本音で生きる

ことを阻害するもので

あれば、

一切そこには

流されない。

 

例えば、

その人が

苦しみの状況を

「自力で」

乗り越えようと

真本音で決めている

のであれば、

 

私はその

真本音を尊重し、

一切の

援助もヘルプも

しない。

 

だから

私のことを

とてつもなく

冷たい人間だと

思っている人は

多いのではないか。

 

しかしどう思われようが、

私がこの部分で

揺らぐことは

死ぬまでないだろう。

 

・・・・・・

 

以上を

私が本当に覚悟

してからである。

 

私自身の

人生も、

 

私のする

コーチングも、

 

すべてが

調和を始めたのは。

 

特に

コーチングにおいての

クライアントさん達の

道を開く度合いは

次元を変えた。

 

だから私は

「コーチ」になろうと

している人に

 

これを求める。

 

情に流されるな。

 

情に流された

サポートを

するな、

と。

 

情に流される

ことと、

 

愛を注ぐ、

 

ということは

根本的に異なる

どころか、

真逆の行為に

なることが多い。

 

「コーチ」に

なろうとする人は

 

ここに逃げずに

立ち向かってほしい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

ちゃんと全部、観てる?

 

人の可能性を

信じる。

 

人の光を

感じる。

 

その人の良いところ

を見る。

 

・・・それらはとても

大事なことだと

思うけど、

 

でも、

 

そこしか見ないのは

私には

どうしても現実逃避に

思えてしまう。

 

人には

いろんな部分が

ある。

 

真本音もあれば

反応本音もある。

 

反応本音だって

とても良いものも

あるし、

とても醜いものも

ある。

 

それらすべてを

観て、

理解して、

 

その上で、

 

その人の

可能性を信じ、

 

その人の

光を感じ、

 

その人の良いところに

焦点を当てる

のであれば、

 

それはとても

素晴らしいことだ。

 

人を愛する

とは、

その人の

光の部分のみを

愛すること

ではない。

 

それでは

愛したことに

ならない。

 

その人のすべてを

観ること。

受け止めること。

 

それが

愛の出発点だと

私は思う。

 

そしてそれは

自分自身に対しても

同じことだ。

 

・・・・・・

 

「受け止める」

とは

ただ、受け止める

だけのことだ。

 

「理解する」

とは

ただ、「知る」だけの

ことだ。

 

無理に

「イエスマン」

になる必要はないし、

 

「私はすべてを

許します」

なんて

やる必要はない。

 

私達は

人間だ。

 

自分の等身大

以上のことを

する必要はない。

 

もちろん

成長や進化は

目指せばいい。

 

でも、

今できる最大を

すればいい。

 

好き・嫌い

があったっていい。

 

その自分の気持ちを

また、

受け止めればいい。

 

評価判断

したり、

すべてを大らかに

包み込もう

としたり、

 

そこまでのことは

無理にせず、

 

ただただ

「受け止める」

「知る」

だけで、

愛は始まる。

 

愛とは

エネルギーだ。

 

愛という

エネルギーを

発する人は、

 

すべてを

(自分も他人も)

あるがままに

受け止める

人だ。

 

・・・・・・

 

「コーチ」は

人間だ。

 

人間にしか

できない。

 

人間は

常に未熟だ。

 

常に

成長と進化を

続ける存在だ。

 

今の自分の

未熟さを

評価判断するのでは

なく、

ただそのまま

あるがままを

受け止め、

 

そこから

最大・最善の一歩を

踏み出そうと

し続ける。

 

そういった生き方

をし続ける。

 

その見本と

なるのが

「コーチ」だと

私は思っている。

 

つまりは

「あるがままに生きる」

見本だ。

 

・・・・・・

 

しかし

「あるがままに生きる」

と言うと、

 

「そうか。

今のままの自分で

いいんだ」

 

とよく

誤解される。

 

そういうことでは

ない。

 

自分の

「あるがまま」

を本当に感じ取れば、

 

「今のままの

自分ではなく、

もっともっと私は

前に進みたい」

 

という

人間としての

実に自然な欲求にも

気づくはずだ。

 

そして、

「同じ場所」にずっと

い続けることに

気持ち悪さを感じ、

 

前に進みたくて

いてもたっても

いられなくなるはずだ。

 

だから

「あるがままに生きる」

人ほど、

自然に前に進む。

 

最大速で

進もうとするのだ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

若者を応援したい

 

私は

若い人達を

応援したい。

 

若いから、

という

理由ではない。

 

今の若者は、

「最大速で進もう」

という強い意志を

持っている人が

多いからだ。

 

もちろん、

人によっては

その意志は

まだ眠っている。

 

しかし、

何らかのきっかけで

すぐに

目を覚ましそうだ。

 

そんな

空気感を

放っている人が

多い。

 

本当は

年齢には関係なく、

私はそういった

人達を

応援したいのだが、

 

結果として

若者に目が行くのが

最近の傾向だ。

 

それだけ彼らは

目覚めようと

している。

 

・・・・・・

 

ところが、

今の世の中の

仕組みや、

 

もしくは

会社の状態は、

 

決して

意志を持った若者

にとっては

優しくない。

 

彼らが

活躍しづらいのだ。

 

我々の世代

以上の人達は、

今の社会を

創ってきたが、

 

その社会とは、

「反応本音の

強い人が成功

できる社会」

だった。

 

真本音度合いの

高さよりも、

「執着の強さ」

がものを言う

社会を創ってしまった。

 

その結果、

社会貢献意識

よりも

我欲の強い人が

成功するように

なった。

 

まぁ、

短絡的な表現を

あえてしているが。

 

今の若者は

真本音度合いの

高い人が多い。

 

彼らは

感受性が高い。

 

しかし、

その結果

今の社会に対して

拒絶感や虚無感を

抱いてしまっている

人も多い。

 

その結果が、

登校拒否や

引きこもりとして

現れてしまっている。

 

もちろん

すべてがそう、

ということでは

ないだろう。

 

しかし私は

そういった若者を

何人も見てきた。

 

真本音度合いが

もともと高く、

感受性も

高い人達が

 

本来の魅力と

能力を

発揮できる場所が

増えるといい、

 

と心底

願っている。

 

今の私が

すぐにできることは、

そういった

企業を増やすことだ。

 

そのために、

企業様のサポートを

させていただいている。

 

今後、

伸びる企業かどうか、

のパラメーターは、

 

若者が

伸びる会社かどうか?

 

のように

思う。

 

若者は経験が

ないから、

 

などと

言っている場合

ではない。

 

もう時代は

変わったのだ。

 

これからは

真本音の時代

だ。

 

若者が引っ張る

時代でもある。

 

新たな時代に

適合した

組織を創っていこう。

 

私は強く

そう思う。

 

と同時に、

そういった組織創りを

サポートできる

「コーチ」を

本当に

増やしていきたい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

その道ではないよ

 

無理矢理に

進むことは

良くない。

 

川が

川上から川下へ

流れていくように、

 

自然の摂理に

沿って

流れて行けば

いい。

 

普通に

流れればいいのに、

私達はついつい

余分なことをする。

 

時には

川下から川上へ

上ろうとしてしまう。

 

当然、

それには困難が

伴う。

 

その困難を

越えることが

成長である、

と考える向きも

あるが、

 

どうしても

私にはそれは

自己満足に

見えてしまう。

 

ちゃんと自然に

流れて行けば、

その流れに

乗ることで

発生する

「進むための課題」

が来る。

 

自然に流れる

からこそ、

 

進むからこそ、

 

目の前に

立ちはだかる

課題が来る。

 

どうも

その課題から

逃げるために、

あえて

川下から川上へ

向かい、

 

「俺は

すごいだろ」

 

「俺は

頑張っているだろ」

 

「俺は

挑戦しているだろ」

 

とやっている

人が多いのが

現実ではないだろうか。

 

あなたのその

悩みや課題は、

あなたが今、

本当に取り組む

ものなのか?

 

それが

あなたの人生

であり、

 

あなたの

真本音の願い

なのか?

 

・・・・・・

 

自然に流れる

というのは

楽なことであるが、

 

しかし

楽なことでは

ない。

 

「進む」

という意味では

楽に進めるので

あるが、

 

いつも言うように、

人間とは

「進化を望む」

生き物だ。

 

進化のために

乗り越える壁を

私達は

自ら自分に

課す。

 

それが

楽ではない。

 

楽だったら

課題とは

言えないから。

 

しかし。

 

楽ではないが、

それとしっかりと

真正面から

向き合えば、

 

それに

真正面から

取り組めば、

 

その一歩一歩

魂に満ちるような

充実感が

生まれる。

 

それを感じながら

日々、進むことは

とても

楽である。

 

楽では

ないけど、

とても

楽。

 

という状態に

入る。

 

「進む」

とは

「安定」

である。

 

自転車が

前に進んでこそ

安定するように、

 

前に進むことで

感じることのできる

安定こそを

私達は皆、

求めている。

 

・・・・・・

 

進めば進むほど、

不安定さを

感じる

その方向に、

 

本来の

道はない。

 

それは

あなたの進む

道ではない。

 

もっと

安定を

求めればいい。

 

ただしその

安定は、

止まることによる

安定ではない。

 

進もうと

決意することだけで

安定感を得る、

その道だ。

 

川下から

川上へ進もうと

している人は、

自分を

偽っている。

 

本当は

その道は違う、

とわかっているのに

自分を偽り

その道に進もうと

する。

 

もう一度

言おう。

 

あなたの

その道は

あなたの

道ではない。

 

もっと

あなたには

安定の道が

あるはずだ。

 

もっと

ぐんぐんと

進める道が

あるはずだ。

 

もう、

自己満足の

進み方をするには

もったいない

時代に入った。

 

これからは

川の流れが

とことん速くなる。

 

早くその流れに

乗ることだ。

 

あなたの

人生の流れ

だ。

 

それを

つかむことだ。

 

そのためには、

本当は

あなた自身が

よくわかっている

あなた自身の

真の課題に、

 

勇気を持って

向き合うことだ。

 

つづく

 

あなたは変態か?

 

究極の人生、

というのは

どのような人生

だろうか?

 

問われたら、

 

究極の人生

とは

「自分にとっての

究極の人生」

各々の人に

あるのだ、

 

というのが

真実だろう。

 

ちなみに、

「究極」を辞書で

調べると、

 

「物事を押し詰めて行って

最後に達する所」

 

とある。

 

最後に達する

所まで、

自分の人生を

進めてみる。

 

これからは

これができる

時代である。

 

・・・・・・

 

皆さんは

どうだろうか?

 

「究極の自分」

を見てみたい

思うだろうか?

 

私は

とてつもなく

強く思う。

 

こういう人間は

単なる

変態だろうか?

 

ただ、

私の周りには

面白いことに、

そういった

変態さん達が

集っている。

 

最近は

そんな人とばかり

出会っている

気がする。

 

本当の変態は

「変態」

を繰り返す。

 

「変態」

つまりは、

「形態を変えること」

である。

 

脱皮どころか、

形態そのものが

変わってしまう。

 

そこまでして、

究極の自分に

近づきたいのか?

という

驚きと共に、

私は彼らを眺める

のだが、

 

かく言う私も

恐らく

同じである。

 

・・・・・・

 

恐らくこれからは、

そういった

変態さん達が

世の中を

引っ張っていく。

 

そして

変態さん達は

若者に多い。

 

しかし

彼らは自分が

変態にも関わらず、

普通の生き方を

しようとしている。

 

普通と言っても、

今の世の中に、

これまでの常識に、

合わせてしまっている

だけだ。

 

私からしてみれば、

「変態」こそが

「普通」であると

思うだが、

 

「普通」である

「変態」が、

普通でない

普通に

合わせてしまい

おかしくなっている。

 

何やら

わけがわからなく

なってきたが、

これが

世の中の現状

である。

 

・・・・・・

 

当然、

変態をコーチング

できるのは

「変態」のコーチ

しかいない。

 

次々に

「変態」を続けるコーチ

こそが、

変態の「変態」を

サポートできる。

 

またわけが

わからなくなって

きたが、

 

ぶっちゃけて

言えば、

 

今の世の中を

一気に正常化

させていくためには、

 

普通のサポート

では

無理である。

 

だから私は

「変態コーチ」

となれる人を

探す。

 

こういった

わけのわからない

文章を読んで、

 

「コーチって

面白いかも」

 

と思った人は、

その素質が

あるかもしれないね。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

人生を謳歌するには

 

人生、

思い通りにいかない

ことなど

山ほどある。

 

いやいや、

そう思い込むのは

良くないですよ。

そう思い込む

ことで

本当に思い通りに

いかなくなって

しまうのですよ。

 

・・・と言われる

かもしれない。

 

もちろん

そういった要素も

あるにはあるが、

 

しかしやはり

私は断言する。

 

人生、

思い通りには

いかない。

 

それを完全に

受け止めることが、

人生を謳歌する

ための

最低条件であると

私は思うのだ。

 

思い通りに

いかないこと

そのものを

楽しむ。

 

これが

人生を楽しむこと

だと

私は思うのだ。

 

本当に辛いことを

経験し、

それを乗り越えて

きた人ほど、

そう思っているの

のではないか。

 

・・・・・・

 

だいたい、

私達の真本音が

人生を

思い通りには

いかせない。

 

もし、

何でも思い通りに

いっている人が

いるとしたら、

 

その人は

まず間違いなく、

「挑戦」を

していない。

 

「今の自分の範疇」

でしか

生きていないし、

そこから出ようと

していない。

 

それでは

人生の90%以上を

謳歌していない、

と私は思う。

 

しかも

少し長期的に

見れば、

その人は必ず

後々に

大変な目に遭う。

 

「挑戦しない」

ということは、

真本音の意志を

無視している

ということだから、

 

その「無視」に

ある時

限界が来るのだ。

 

自分の範疇を

出ない自分を

私達の真本音は

「壊そう」とする。

 

真本音の意志を

無視することは

ある程度はできるが、

しかし

真本音とは

自分自身の

「本当の想い」

だ。

 

「本当の想い」

「本当ではない想い」

いつか必ず

凌駕する。

 

凌駕されたとき、

その人は

勝手に自分壊し

に取り掛かる。

 

結果として、

「ひどい目」

に遭う。

 

別に神様とかが

罰を与えている

わけではない。

 

自分で自分を

壊そうと

しているのだ。

 

「壊す」というのは

怖い表現だが、

そうではなく、

 

本来の自分に

自分を戻し、

真っ当な生き方に

なろうと

しているのだ。

 

真っ当な生き方、

それこそが

「挑戦する生き方」

であるし、

次々に自分を

「脱皮させる生き方」

であるし、

それはつまり

「進化する生き方」

である。

 

進化する生き方

に入ることで、

私達は

人生の本当の

面白さを

体験することになる。

 

それが

人生を謳歌する

ことになる。

 

・・・・・・

 

だから私は

毎日、

 

「さぁ今日は、

どんな想定外が

起こるのだろうか」

 

とワクワク

している。

 

もちろん、

思わず口を

アングリと

開けてしまうような

物事も多い。

 

というか、

そうでなければ

「想定外」とは

言えないのであるが。

 

そのアングリ度合いが

大きければ

大きいほど、

その後の展開が

とても刺激的で

充実したものに

なる。

 

ただし

とても刺激的で

充実したものに

なるためには、

自分自身が

真本音に素直に

生きていることが

必須である。

 

真本音で

生きれば生きるほど、

想定外は増え、

 

想定外が

増えれば増えるほど、

真本音に素直に

生きる。

 

このサイクルに

よって、

真本音度合いは

劇的に高まって

いく。

 

真本音度合いが

高まれば

高まるほど、

「人生の謳歌」度合いも

高まり

深まる。

 

私は実は、

クライアントさんに

こういった状態に

なっていただくために

コーチングを

している。

 

だから

私が「コーチ」を

させていただくと、

想定外のことが

どんどん

増えていく。

 

申し訳ないけど。笑

 

・・・・・・

 

そしてやはり、

私は

そういったサポート

のできる

「コーチ」を

増やしたい。

 

このブログに

コメントいただいて

いる方、

ありがとうございます。

 

基本的には

皆さんにご返信を

差し上げています。

 

ただ、

まだ何日経っても

ご返信していない

人もいます。

 

それは

無視しているのでは

なく、

「最善のタイミングを

待っている」

思ってください。

 

これも

「想定外」の中で

判断していること

です。

 

よろしく

ご理解くださいませ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

足取りが変わったな

 

やはり

思った通りだ。

 

皆の足取りが

明らかに

これまでとは

違う。

 

すべての人に

ずっと存在していた

足枷が、

ようやく

取れたのだな、

とわかる。

 

その足枷には

深い意味があり、

これまでは

その足枷が

あったが故に

我々は

道を間違わずに

来れた。

 

しかしそれは

逆に言えば、

 

足枷がなければ

いられない

我々であった、

 

ということだ。

 

しかし

それが外れた。

 

我々は

自由になったのか?

 

・・・・・・

 

世界では

様々なことが

起きている。

 

いろんなところで

二極化も

進んでいる。

 

ある一面からだけで

物事の判断を

することは

かなり危険な社会

となっている。

 

今、自分がいる

この場所から

のみ

世界を見ては

ならない。

 

世界は

複雑化し

わかりづらく

なっている。

 

しかし

その反面、

 

あまりに

シンプルな本質が

時々、

とてもわかりやすく

露呈する。

 

そして、

シンプルに生きる

人ほど、

多面性を

柔軟性を

持ち発揮しやすい

世の中にも

なれている。

 

こんな時は

恐れずに

いろんなことを

やればいい。

 

一見、

意味のないような

関係のないような

様々な物事が、

 

様々な選択が、

 

すべて

本質では

一つに

つながっているから。

 

・・・・・・

 

勇気のないことを

恐れる必要は

ない。

 

勇気を

待っている

必要もない。

 

ただあるのは、

次の一歩

だけだ。

 

自分の中では

すでにわかっている

次の一歩を

 

そのまま

素直に

踏み出すだけだ。

 

今日、

それをすれば、

明日も、

それをすれば

いい。

 

ただそれだけの

ことだ。

 

・・・・・・

 

行く手に

何が待ち受けるか?

 

と視点を

広げれば、

 

観えることと

観えないこと

がある。

 

たとえ

観えなくても

止まる必要は

ない。

 

観える景色を

観ればよいし、

 

観えない景色も

その存在を

信じればいい。

 

ビジョンが

わからないことを

進まない理由に

してはならない。

 

かといって、

ビジョンを見つける

ことを

あきらめても

ならない。

 

過去を悔やむ

ことを

進めない理由に

してはならない。

 

かといって、

過去はきちんと

悔やむこと。

 

悔やみ続ける

こと。

 

それが、必ず

未来のビジョンに

つながるから。

 

・・・・・・

 

要するに、

一言で

言えば、

 

『進め』

 

というだけの

ことなんだけど。

 

もう、

進め。

 

もう、

足枷は

ないはずだ。

 

何もね。

 

もし

足枷を感じる

なら、

 

それは

幻だ。

 

もう

理由は

いらない。

 

やるか

やらぬか

 

それだけ

だね。

 

つづく

 

思いつきと直観は違うんだ

 

人生は

やみくもに進む

よりも

しっかりと

見極めて進んだ方が

よい。

 

・・・という

言い方をすると、

 

いつも

「直観、直観・・・」

と言っている

私の言葉とは

矛盾しているように

聞こえるだろうか?

 

実は

矛盾しているようで

まったくそうでは

ないのであるが、

 

その理由は

後で書くとして、

 

人生に

「戦略」は

とても大事である。

 

いや、

人生だけではない。

 

あらゆることに

「戦略」は

必要だ。

 

例えば、

私は今後、

 

「人材育成戦略コンサルタント」

 

という肩書きも

自分につけようかな、

と考えている。

 

人材育成にも

組織開発にも

すべてに

「戦略」は必要だからだ。

 

しかし、

「戦略」を考えない

どころか、

その視点すらない

人や組織が

圧倒的に多い。

 

一般的に

言われることだが、

 

「戦略」とは、

戦いを略す

こと。

 

つまりは、

最も楽な道を

見出すこと

である。

 

それをしっかりと

考えることは

あらゆる物事において

必須のことだと

私は思うのだ。

 

・・・・・・

 

コーチングにおいても

まったく同じことが

言える。

 

私はいつも

徹底的に

クライアントさんの

コーチングの戦略を

練る。

 

どの道に

進むことが、

そのクライアントさんの

道が

最も開きやすいか?

 

そのためには

どのようなコーチングを

すればよいか?

 

を考える。

 

これはコーチとして

当たり前のことだと

思う。

 

組織コーチング

(チームコーチング)

の場合も

同様である。

 

ただし、

戦略を

練って練って練って、

その上で

クライアントさんの

前に実際に出て、

コーチングを始めた

瞬間に、

 

私はすべてを

白紙にする。

 

白紙、というよりも

頭の中から

外して、

横に置くことに

している。

 

その状態で

ただ「あるがまま」に

クライアントさんと

向き合えば、

 

そこで

最善の「直観」が

湧くのである。

 

充分に

戦略を練って

準備をしたからこそ、

直観が

働くのである。

 

つまりは、

 

戦略とは

充分に練るもの。

 

と同時に、

 

その上で

横に置き、

直観を促すもの。

 

である。

 

というのが

私が現場で身につけた

感覚だ。

 

・・・・・・

 

どうすれば

直観力を

養えますか?

 

というご質問を

よくいただく。

 

もちろん

その土台となるのは、

 

「日々、

真本音で生きること」

 

だ。

 

それは

最低条件。

 

その上で、

 

「しっかり考えること」

 

が大事だ。

 

直観というと、

考えることとは

対極にあるイメージ

だが、

そうではない。

 

よ〜く物事を

考える人ほど、

良い直観が生まれる。

 

ただし、

自分の考えに

固執していては

ダメ。

 

よ〜く考えた上で、

それに

囚われないこと。

 

その考えを

横に置いたり、

手放したりする

柔軟性、

 

もしくは

遊び心、

 

が必要だ。

 

・・・・・・

 

私は直観型の

人間ですから、

物事をあまり

つべこべ考えないように

しているんです。

 

という人と

時々出会うが、

 

それは

違う。

 

それは

自己満足だ。

 

本当の直観とは、

自分も

人も

すべてを

幸せに導いてくれる

ものだ。

 

自己満足の

わがままな

直観は、

 

直観ではなく、

 

単なる

思いつきに過ぎない。

 

思いつきの

人生は

やめよう。

 

思いつきで

進むくらいなら、

 

しっかり考えて

悩み続けた方が

まだマシな

人生になる。

 

つづく

 

想像のつかない世界へ

 

海の中を

自由に泳ぐ力と

 

空を

自由に飛べる力の

 

どちらかを

あげる、

 

と言われたら、

あなたは

どちらを選ぶかな?

 

私は

山とか自然が

大好きなので、

たくさんの自然を見るために

空飛ぶ力が

手に入るといいなぁ、

思うが、

 

その一方で、

 

まったく未知の世界

である

海を自由に泳ぐ力

もほしいなぁ、

とも

思うね。

 

で、結局

「未知」

の方を選ぶと

思う。

 

だって

想像がつかない

から。

 

若い頃、私は

海外を

1年半ほどかけて

ゆっくり旅した

ことがある。

 

ヒマラヤにも行き、

エベレストを

この目で

見てきた。

 

標高5〜6000mの

空気が

どんなものか、を

体験することも

できた。

 

もちろんすべての

世界や自然を

見たわけではない。

 

すべての国を

見たわけでも

ない。

 

でも、

何となくであるが、

想像は

できる。

 

この地球の

地表世界が

どんなものか、は。

 

そして、

宇宙にももちろん

行ったことは

ないが、

写真やテレビでは

知っているので

 

やはり

想像はできる。

 

しかし、

海の世界は

謎である。

 

実際、

現時点では人類は、

海の世界はまだ

ほとんど何も

知らないらしい。

 

その

「想像できない」

というのは

魅力である。

 

自分の範疇を

超えた世界。

 

想像の範疇

すら超えた

世界。

 

私はそういった

ものに

憧れる。

 

あなたは

どうだろうか?

 

・・・・・・

 

未知なものに

憧れる

というのは

私達人間の本能

の一つである。

 

深い谷間に

生まれた人が、

 

谷を挟んでいる

山の尾根の

その向こうには

何があるのだろうか?

 

見てみたくなる、

その気持ちは

誰にも湧いてくる。

 

健康であれば。

 

なぜなら

私達は

「進化」の反映

だから。

 

「進化したい」

という願いや

祈りが

カタチとなって

現れたものが

 

私達人間だ。

 

・・・・・・

 

いや、

私は進化など

したくない。

それよりも、

毎日、

安定していたい。

平穏な日々が

同じ日々が

毎日永遠に

続いてほしい。

 

・・・と

言う人もいるだろう。

 

もちろん

私の中にも

それはある。

 

未知の領域

ではなく、

安心の領域に

留まりたいという

欲求がある。

 

しかし

私は思うのだ。

 

この

安心欲求というのは、

 

あくまでも、

 

進化欲求を

助長するために

存在しているのでは

ないか、と。

 

どういうことかと

言えば、

 

もし私達に

進化欲求しか

なければ、

 

未知の領域への

欲求しか

なければ、

 

私達は

危険極まりない

行動・選択ばかりを

するだろう。

 

それでは

生き延びることは

できない。

 

結果として、

進化もない。

 

進化とは

持続性が

必須である。

 

持続して初めて

進化は

自然に成されていく。

 

私達の進化は

私達だけで

終わるわけでは

ない。

 

私達の次の世代

に引き継ぎながら、

 

命を

つなぎながら、

 

永遠に続いて

いくものが

進化である。

 

そのためにも、

安心欲求は

必須である。

 

そして

それがあるからこそ、

進化は

着実に

成されていく。

 

安心が

あるからこその

進化。

 

進化を望む

からこそ必要な

安心。

 

人間とは

まったくもって

よくできている。

 

・・・・・・

 

人と向き合う

ことは

人間探究の旅

である。

 

しかしそれは

自己満足では

まったく

意味がない。

 

探究して

見つけたことは

その次の瞬間に

すぐに

活かす。

 

気づき、

活かす。

 

そしてまた

気づき、

活かす。

 

その連続。

 

それが

「コーチ」という

仕事である。

 

「コーチ」という仕事は

常に自分を

未知の領域へと

いざなってくれる。

 

昨日もまた、

コメント

いただきました。

 

ありがとうございます。

 

まだ返信

できていない人も

います。

 

最善のタイミングで

返信させて

いただきます。

 

コメントは

いつでも

お待ちしております。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

あなたは本当に生きている?

 

この人は

誰だろう?

 

目の前にいる

今ここで

しゃべっている

この人は

いったい

誰だろう?

 

さっきから

ずっと、

口を開き

何かを懸命に

私に伝えようと

しているみたいだ。

 

でも、

何も私の

耳には届かない。

 

いや、

耳には届いているし、

声も聞こえるのだが、

 

何も私の心に

入ってこないのだ。

 

その瞬間その瞬間に

聞こえる

言葉の意味は

確かにわかる。

 

でも

それだけ。

 

あとは

何も理解できない。

 

つまりは、

何も聴いていない

のと同じ。

 

いや、

むしろ

何も聴かない方が、

 

この人が

口を開かない方が、

 

この人のことを

理解できるのではないか。

 

そうだ、

これは

幻影だ。

 

きっと

今、喋っているこの人の

この姿は

幻影なのだ。

 

本当は

この人は

何も喋っていない

のだ。

 

口も開いて

いないし、

声も出して

いないのだ。

 

私の目には

今、

幻影が映っている

だけなんだ。

 

そうに

違いない。

 

・・・・・・

 

その人の

懸命さは

さらに度を増して

きた。

 

さらに必死に何かを

私に伝えようと

している。

 

でも、

さらにさらに

何も聴こえなく

なってしまった。

 

この人の

顔の表面は

紅潮している。

 

きっと、

情熱というものを

出しているのだと

思う。

 

本人は

そのつもり

なのだろう。

 

でも私が

その幻影を

私の目から

取り払うと、

 

その人は

まるで、

死人のように

観える。

 

何も動いて

いないし、

何も発して

いない。

 

青い顔をした

人形みたいな

存在が、

ただじっと

こちらを見ている。

 

いや、

見てもいない。

 

生きて

いないのだ。

 

・・・・・・

 

この人は、

自分が

死んでしまっている

ことに

気づいていないのだ。

 

死んでしまっている、

・・・じゃないな。

 

自分で自分を

死なせてしまっている、

・・・が正確だ。

 

その事実に

この人は

気づいていないのだ。

 

きっと本人は

自分は生命力に溢れている

思い込んでいる

のだろう。

 

いや。

 

あなたは、

生きていないよ。

 

まったく。

 

早くそれに

気づいてほしいな。

 

そしてできれば、

一刻も早く

生き返って

ほしいな。

 

と私は

心の中で

願った。

 

・・・・・・

 

自分を

生きていない。

 

自分を

死なせてしまって

いる。

 

そんな人と

向き合うと、

いつも私は

上記のような感覚

となる。

 

そして

その人からの言葉が

まったく記憶に

残らない。

 

というか

やはり、

入ってこないのだ。

 

どれだけ

努力しても

入ってこない。

 

入ってこない言葉

どうでもいい言葉達

なんだ、

何年か前に私は

あきらめた。

 

すると、

そこからより良い

コーチングが

できるようになった。

 

入ってくる

言葉のみを

しっかりと受け取り、

 

入ってこない

言葉は

流してしまう。

 

そのメリハリが

良いコーチングを

創り上げるように

なった。

 

ということで

言えば、

 

今の世の中には

 

いかに

「無駄な」

コミュニケーションが

多いことか。

 

無駄なコミュニケーション

が、

様々な不調和を

生み出している。

 

もちろん

無駄が必要な

時もある。

 

しかし

変な言い方だが、

 

・必要な無駄

・本当に不必要な無駄

 

があるのだ。

 

本当に不必要な

無駄なコミュニケーション

は、

混乱と混沌しか

起こさない。

 

それが、

あらゆる組織で

飛び交い続けて

いる。

 

それを

なくしていくのが、

「コーチ」の

役割の一つだ。

 

そして

一人一人が

自らを

「生き返らせる」

サポートこそが

コーチングの本質だ。

 

一昨日の記事、

(→【コーチ探し、始めます】)

思ったよりも多くの

皆様から

コメントを

いただきました。

 

ありがとうございます。

 

「コーチ」という

役割になりたい人。

 

興味がある人。

 

なろうかどうかを

真剣に迷っている人。

 

そんな人は

ぜひ一度、

コメントください。

 

コメントは

公開されないように

設定されています。

 

私にしか

届きませんので

ご安心を。

 

つづく

 

その人であり、私であり

 

人と向かい合って

いると、

 

その人と

自分との

区別がつかなく

なる時がある。

 

特に

1on1のコーチングを

しているときは

そうだ。

 

決して

その状態を

オススメするわけでは

ない。

 

むしろ

「調和」という

意味においては、

 

その人

自分

 

は、

きちんと分離

していて、

区別ができている

方が望ましい。

 

・・・のだが、

それでも

区別がつかなく

なる時がある。

 

そういった時は

そうなることに

意味があるのだと

 

ある意味

諦めて、

 

私はその状態に

委ねるように

している。

 

すると

当然であるが、

その状態だからこそ

言葉が

私の中から

浮かび上がって

くる。

 

その言葉の

数々は

決して多くはないが、

 

しかし

私の印象としては、

 

「言葉の放流」

 

に感じられる。

 

その言葉達は

私の中から

出るものであり、

 

かつ、

 

その人の

真本音が、

自分自身に対して

向けた

メッセージでも

ある。

 

そのメッセージは

時には

非常に厳しい

ものであるケースも

多い。

 

人と人の

コミュニケーション

というのは

実に奥深い

ものだ。

 

こんなに

区別がつかなく

なるのであれば、

いっそのこと

最初から

「一つ」であれば

いいのに、

 

と思うことも

あるのだが、

 

しかし私達は

「分離」していることに

また

大いなる意味がある。

 

高い次元では

「一つ」

でも

 

低い次元では

「分離」

している。

 

それが

「人間」という

とてつもなく

面白い存在。

 

そんな存在

だからこそ

できることが

あるのだろう。

 

やはりそれは

「進化」。

 

進化とは、

一つのものが

分離し、

また一つに

戻り、

また分離し、

また一つに・・・

 

という繰り返しに

よって

成されて行く。

 

分離している

ものが

一つになろうと

する

エネルギーを

「愛」

と言う。

 

分離していなければ、

愛は

生まれない。

 

愛を生み出すのが

私達「人間」

という存在だ。

 

ということを

区別のつかない

状態のまま

私は実感するのだ。

 

「一つ」を

感じるからこそ、

「分離」している

私のことを

その人のことを

愛おしく思う。

 

この

言いようもない

独特の感覚を

 

私は「コーチ」として

人として

これからも

大事にしていきたい。

 

つづく

 

コーチ探し、始めます

 

「コーチ」とは

人をサポートする

役割であるが、

 

まずもって

自らが

その見本とならねば

ならない。

 

「自分の人生を生きる」

見本である。

 

「真本音で生きる」

見本である。

 

「一つ一つに魂を込める」

見本である。

 

ただし、

完璧でなくても

いい。

 

第一、

私達人間に

「完璧」

はない。

 

なぜなら私達は

進化する存在

だからだ。

 

進化に

完成はなく、

完璧もない。

 

だから「見本」

とは、

「誰よりも

進化スピードが

速い」

という

見本である。

 

クライアントさん

よりも、

自分自身の

成長・進化度合いが

高いからこそ、

 

良いコーチングが

できる。

 

最大速で走る人

のみが放つ

空気感と

エネルギーが

ある。

 

それが、

人に本質的な

影響を与える。

 

それが

本来の「コーチ」

である。

 

・・・・・・

 

・・・と、

私は信じて

ずっとやってきた。

 

もちろん

私自身、

とても不甲斐ない

人間であるし、

 

誰よりも

弱っちいところや

ヘナチョコのところを

たくさん

持ち合わせている。

 

以前は

そんな自分に

ダメ出しをしたり、

そんな自分を

責め続けていたが、

 

今はそんな

無駄なことに

時間は費やさない。

 

あるがまま

でいい。

 

でも、

最大速で日々、

進もうとする。

 

それを

一日一日

真本音で、

真剣に

やり続ける。

 

理想通りに

物事は進まないし、

 

理想的な

自分でもない。

 

でも、

誰もが

最善を尽くす

ことはできる。

 

私はそれを

やり続けた。

 

もちろん最初は

ずっとずっと

肩に力が

入り過ぎていたが、

 

幸いなことに

私は

不器用だった。

 

だから、

上手く事を進める

術を知らず、

 

たくさん

ぶつかり、

たくさん

悩み、

たくさん

挫けた。

 

で、ある時に

フッと

力が抜けて、

 

自然体が

どういうことか?

感覚として

知ることができた。

 

もちろん今も

私は

発展途上である。

 

数年後の私から

今の私を見れば、

 

何たる未熟者か、

 

と思うだろう。

 

でも

それでいい。

 

今の私だからこそ

できることがあるし、

 

今の私だからこそ

出せる最善が

ある。

 

最善を尽くすのは

疲れることでは

ない。

 

最善を尽くすこと

こそが、

自然体で

楽で

肩の力を抜ける

状態だ。

 

ということを

多くの人に

経験してもらいたい。

 

そして、

不器用でも

弱っちくても

いいから、

 

とにかく

前に前に

進み続ける。

 

最大速で

進み続けようとする。

 

出せる

最善を尽くす。

 

そんな人に

「コーチ」に

なってもらいたい。

 

そんな

気概のある人、

 

私に

ご連絡ください。

 

このブログの

コメント欄に

コメントをいただければ、

返信いたします。

 

これまでは

あえてそれを

してきませんでした。

 

でもここからは

少し変えます。

 

ただし、

真剣さの感じられない

ものについては

返信しないかも

しれませんので、

ご了承ください。

 

コメントいただいた

方の中で、

直観的に

「会わねば」

と感じた方とは、

 

直接お会いさせて

いただくかも

しれません。

 

つづく

 

本当に決めているかい?

 

結局は、

 

・決めているか

・決めていないか

 

の違いだけ

なのだろう。

 

人生が

進むかどうか?

は。

 

決めていれば

その方向に

進み、

 

決めていなければ、

たとえどれだけ

意気込んで

いようが、

そちらの方向には

進まない。

 

それは、

声を張り上げれば

よい、

というものでは

ない。

 

気合いを入れれば

よい、

というものでも

ない。

 

第一、

本当に決めている

人は

 

静かだ。

 

気合いを入れる

必要も

情熱を昂ぶらせる

必要も

ないからだ。

 

なぜなら

決めているから。

 

それを

する。

 

ただ、

それだけの

ことだから。

 

・・・・・・

 

「決めるぞーーっ!」

 

と、

決めること自体に

気合いを入れる

人もいるが、

 

まぁ、

難しいね。

 

決めるとは

そういった

ことではない。

 

気合いを入れなければ

決められない

ということは、

 

決めていない

証拠だ。

 

そこに

波風は

必要ない。

 

状況の好転も、

潮流も、

 

実際のところは

必要ない。

 

まずは

決めること。

 

本当に

決めれば、

 

そこから

潮流は

起こるし、

 

状況は

好転を始める。

 

・・・・・・

 

決める人と

決められない人の

違いは

 

あまりにも

単純だ。

 

普段の、

 

一日一日の、

 

生き方

で決まるのだ。

 

いざ、

人生を左右する

大事なことを

決断しようと思っても、

 

普段の生き方が

自ら決める

生き方をして

いなければ、

それは土台

無理な話だ。

 

私の表現で

言えば、

 

普段、

 

一日一日を、

 

真本音で

自ら決めて

生きているか?

だ。

 

ほんの些細な

ことでもいい。

 

例えば、

今日はどこで

ランチしようか、

ということでも

いい。

 

ちゃんと、

「真本音で決める」

こと。

 

一つ一つの

仕事に

真本音で

向かうこと。

 

そうすれば

「魂」が

活性化する。

 

人生の大きな

決断とは、

心でするものでは

なく、

 

魂で

するものだから

だ。

 

いざという時に

魂が

発動するかどうか?

 

これが、

決めるか

決められないか

の境界線だ。

 

そして、

魂を込めて

決めることができた

人は

 

静かだ。

 

・・・・・・

 

魂で、

 

「コーチ」という

仕事をしよう、

 

と決める人を

これから

私は探す。

 

仕事でなくても

いい。

 

組織の中で

自分は

「コーチ」という

役割を担っていこう、

 

と決める人を

私は探す。

 

そろそろ

動き出そうと

思う。

 

つづく

 

一体全体、何をするんだ?

 

人類にとって

今からの30年というのは、

その後の歴史を

決定づけるだろう、

私は見ている。

 

どのような歴史を

創っていくかは

すべて

私達人類の

「自業自得」

である。

 

どうせ世の中は

自分の力の

及ばないところで

勝手に

進んでいくから。

 

という人が

多ければ多いほど、

歴史は

混乱と混沌の方向に

進むだろうし、

 

自分の人生を

真剣に生きることが、

人類そのものの

歴史に大きな影響を

与えるだろう。

 

という実感を得る人

が増えれば増えるほど、

調和と進化の方向に

歴史は進むだろう。

 

この30年間で、

私達はどれだけ

それを自覚できるか?

 

ここに

懸かっている。

 

・・・・・・

 

「一体全体」

という言葉が

あるが、

 

「一体」が

「全体」を

決める。

 

「一体」が

「全体」を

決定づける。

 

・・・ということだ。

 

「全体」が

「一体」に

影響を与えることも

もちろん多いが、

「全体」とは

たったの「一体」から

大きく揺らされ

変わっていく。

 

組織サポートを

させていただいて

いると、

そのことはとても

よくわかる。

 

たったの一人が

本当に

この組織を良くしたい!

決意することで、

それが一気に

「全体」に影響を与える

という場面を

私は数知れず見てきた。

 

それは

組織上における

立場の上下は

関係ない。

 

新入社員さんの

たったの一言で、

その会社の命運を

左右する

新規事業や新会社が

立ち上がったことも

あった。

 

しかしまた、

逆もある。

 

例えば、

どれだけ組織のトップである

社長が

組織を変えたいと

願い行動をしても

つゆとも変わらず、

という場面も

たくさん見てきた。

 

「全体」に

影響を与えられる

「一体」と、

そうではない

「一体」。

 

この違いとは

何だろうか?

 

・・・・・・

 

その答えは、

私の言葉で表現すれば、

単純である。

 

「真本音かどうか?」

 

である。

 

つまり、

その「一体」が

発しているその言葉が、

行動が、

真本音と結びついて

いるかどうか?

だ。

 

と同時に、

次のようにも

言える。

 

「次元が高いかどうか?」

 

もちろんこれまでの

人類の歴史では、

次元の低い意識が

世の中を

動かしてきたことも

多かった。

 

しかしこれからは

少々、様相が

異なってくる。

 

実在(心の中の現実)

現象(心の外の現実)

結びつきが、

この数年で

格段に強くなっている

からだ。

 

今後もこの傾向は

ますます高まる。

 

次元の高い

発想ほど、

現実化しやすい

という傾向が

日々、高まっている

のだ。

 

意識の次元が

高まれば高まるほど、

私達はすべてを

「一つ」

と捉える。

 

「捉える」という

よりも、

真実はそうなのだが、

その真実を

自然に思い出せるように

なるのが、

「次元が高まる」

ということだ。

 

つまり高い次元では、

「自分の幸せ=周りの幸せ」

という発想が

当たり前のように

生まれ、

 

自分のために

がんばっていることが、

すべての人のためにも

なる、

という状態になる。

 

ここに真剣に

なれる人が

一人でも現れれば、

その組織(全体)を

大きく揺るがす。

 

社会(全体)を

大きく揺るがす。

 

という真実を

皆が思い出していけば、

私達の歴史は

調和と進化の方向に

向かうだろう。

 

・・・・・・

 

人類は

生き延びることが

できるか?

 

混乱と混沌に

よって

疲弊する歴史ではなく、

 

本当に人々が

幸せを追求できる

歴史を

創り出せるか?

 

そのために、

「私」は

今日、何をするか?

 

ちょっと大きなことを

言っているようだが、

実は決して

そうではなく、

 

私達が

日々の日常に対して

自分のすべきことを

しっかりとし続ける

ことが、

「一体」が「全体」に

影響を与える

最も近道だ。

 

自分自身が

かけがえのない

「一体」

であるという自覚。

 

自分の今日の

生き方が

(特に実在のレベルでは)

「全体」に影響を

与え続けている

という自覚。

 

今こそ

それを持ちつつ、

進もうではないか。

 

つづく

 

覚悟の日

 

青空は

すがすがしい。

 

晴れ渡った空を

見上げると、

私達は

すべてから解放された

爽快さを感じる。

 

そこに

無限さを感じたり、

自然の偉大さを

感じることもある。

 

空は

大きい。

 

私達は思う。

 

ところが、

別の視点から見れば、

 

空は

私達の限界を

示してしまっている、

 

とも言える。

 

空の下で

生きるのが、

人間。

 

と、

私達は

思い込んでいる。

 

青空があることで

その向こうの

世界が

見えなくなっている。

 

私達の世界は

青空に囲まれた

中だけである、

 

と、

私達はみんな

どこかで

そう思い込んで

生きている。

 

「無限」

を思わすと同時に、

それが

「限界」

をも表している。

 

「空」

とは不思議な

存在だ。

 

・・・・・・

 

「無限」

だと思っているのに、

実はそれこそ

自体が

「限界」

を表している。

 

というが、

私達人間の

「心」

の特徴でもある。

 

「空」

「心」

とてもよく似ている。

 

というよりも、

私達の

「心」

の一つの反映が

「空」

とも言える。

 

そんな

私達の「心」に

 

2月2日、

一つの大きな

「扉」

が開いた、

 

という実感を

私は強く

抱いた。

 

これまで

「空」

だと思っていたものに

大きな穴があき、

もっとその先の

広く深い世界、

つまりは「宇宙」を

身近に

感じ取るようになった、

 

・・・みたいな

感じ。

 

もしくは、

 

これまで

「空」だと思っていた

ものが、

いったん崩れ去り、

もっともっと

大きな世界が

広がった、

 

・・・とも

言えるか。

 

そう感じ取れた

原因も

よくわかる。

 

「覚悟」

 

をしたのだ。

 

多くの人達

が。

 

「進む覚悟」

だ。

 

心の中の現実

である

「実在」

に意識を向けると、

 

とても多くの人達が

2月1日を境に

自分の人生を

大きく前進させようと

「覚悟」

しようとした。

 

それは

これまでの「前進」

とは

次元が異なり、

 

まるで

それまでの自分達の

限界であった「空」を

超えていくような

「覚悟」

だ。

 

「実在」のレベルでは

そういった

「覚悟」

を完了させた人が、

この2月2日は

とても多かったのでは

ないか。

 

・・・・・・

 

私の5歳の息子は

とても珍しく、

最近はずっと

体調がすぐれなかった。

 

そして

ついには

インフルエンザに

かかった。

 

そして

2月2日、

体調が復活した。

 

復活した彼は

立ち上がり、

 

私と妻の前に

立ち、

 

静かに、

しかし

とても深く、

 

力強く、

 

一言

語った。

 

「僕は

進む。」

 

一つの

象徴だな、と

思った。

 

つづく

 

俯瞰しながらここにいる

 

どれだけ山々が

大きく高く

猛々しくても、

 

宇宙から見降ろせば

それは

単なるヒダにしか

見えない。

 

しかし、

宇宙から見れば

単なるヒダでも、

 

近くまで寄って

見れば、

山々は一つ一つが

個性的で

実に美しい。

 

宇宙から

俯瞰する視点

と、

 

現地現場で

一つ一つの存在を

実感する視点。

 

私達は

両方の視点を

持ちながら

生きることが

できる。

 

それが

人間の一つの

特徴。

 

毎日、

一日一日、

目の前の「現実」と

向かい合い、

 

一歩一歩

必死に進んでいく

のも人生。

 

でも

人生全体から

その「一日」を

俯瞰すれば、

 

それはちょっとした

ヒダにしか

見えないかも

しれない。

 

10年前の自分が

全力で悩んでいた

ことも、

今では

「いい思い出だ」

とか

「あの経験が

あったからこそだな」

とか、

 

ゆとりを持って

客観的に、

まるで他人事のように

眺めることも

できる。

 

・・・・・・

 

視野を大きく

持つことは、

 

小さな視野を

失くすこと

 

・・・ではない。

 

むしろ、

大きな視野を

持つ人ほど、

 

目の前の

ほんの小さな

一つ一つを

 

大事にして

ほしい。

 

なぜなら、

 

「全体」

「一つ一つ」

 

同じものだから。

 

「全体を大事にする」

とは

「一つ一つを大事にする」

ことと

同じことだから。

 

器が大きい、

とは

粗野になること

ではない。

 

私の知っている

本当に器の

大きな人は、

 

目の前の

たった一つの事象や

たった一人の人を

 

真剣に見つめ、

 

そしてそれらと

真剣に

向き合う。

 

・・・・・・

 

人生を

大事にする

 

とは、

 

今日を

大事にする

 

ことであり、

 

今を

大事にする

 

ことだ。

 

と同時に、

 

人生全体の

視野を

常に持ち、

 

今の自分が見通せる

最も遠くの

ビジョンを

描き続け、

 

未来も過去も

すべてを含めた

全体の視点から

 

今を

見つめる。

 

今、

すべきことを

決める。

 

真本音で

生きる、

ということを

あえてもう少し

詳しく表現すると、

そのようなことに

なるだろうか。

 

そんな生き方の

できる人が

増えると、

いいな。

 

そのためには

今の世の中には

「コーチ」

が必要だ。

 

2月を迎え、

そろそろ

「コーチ育成」の

本格的な段取りに

入ろうと

思う。

 

「コーチ」募集と

「コーチ」探しを

始めようかな。

 

つづく

 

おっ? この音は

 

カチッと

 

オフから

オンへ

 

スイッチの

入る

音がした。

 

それは

私の中の

スイッチか?

 

それとも

目の前にいる

クライアントさんの

スイッチか?

 

それとも

世の中全体の

スイッチか?

 

なんか、

 

「すべて」

 

のような

気がする。

 

恐らく

これまでも、

何度も

何度も

こうやって

我々は

新たなスイッチを

入れ続けて

 

ここまで

やってきた。

 

その度に

何かが

本質的に

変化した。

 

もしくは

何かが

始まった。

 

しかし、

今回のは

 

なんか

とても大きな

スイッチの

ような

気がする。

 

あなたも

感じているかな?

 

あなたの

何が

始まるのだろう。

 

私の

何が

始まるのだろう。

 

世の中の

何が

始まるのだろう。

 

さぁ、

今日は大事な

スタート

日だ。

 

あなたは

何をする?

 

つづく