2018年 1月 の投稿一覧

人の最大の力とは、適応力かも

『自分に委ねる』

という言葉を

私は時々、使います。

 

「自分に委ねる」とは

どういうことでしょうか?

 

もし皆さんが

自分に委ねたら、

皆さんはどうなるでしょうか?

 

実は、

「委ねる」という言葉は

一種の魔物です。

 

「委ねる」という言葉は

聴き心地がよいので、

それができたら楽チンだな、

と思われるかもしれません。

 

もちろん、

本当にそれができたら

楽チンです。

 

ですが、

本当にそれをするだけの勇気が

なかなか出てこないのです。

 

もし、

「東京スカイツリーのてっぺんに

ハンモックを用意しました。

このハンモックは実験により、

決して落ちることはないし、

人を落とすこともないことが

判明しています。

そのハンモックに

東京スカイツリーのてっぺんで

1時間ほど身を委ねて

楽しんでみませんか?」

と言われて、

何の迷いもなく喜んでできる人は

どれだけいるでしょうか?

 

勇気を持って挑戦する人は

何割かいるかも知れません。

 

しかしハンモックに身を委ねている間、

本当にリラックスして

その時間を楽しめる人は

なかなかに少ないのでは、と

思います。

 

「自分に委ねる」とは、

実は、これくらいの怖さが

あります。

 

でも、

それをわかっていて、

あえて私は

「自分に委ねる」ことを

お勧めしています。

 

なぜなら、

人って

本当に凄いからです。

何が凄いって、

その適応能力です。

 

例えば、

上記のスカイツリーのハンモックの

喩えで言えば、

勇気を出して

スカイツリーのてっぺんの

ハンモックに身を委ね、

この時間を楽しもうと

全身の力を抜いたとします。

 

すべてを開き直って

力を抜いたとします。

 

すると、なんと

その状況に合わせるように、

自分自身に羽が生えるのです。

つまりは、

自分で空を飛ぶ力が

急激に発達するのです。

 

自力で空を飛べるのであれば、

東京スカイツリーのてっぺんだろうが、

どこだろうが、

安心してハンモックを楽しめます。

 

こういった適応力が

私達人間には

本質的に備わっています。

 

そしてそれこそが、

次元を上がる

ということなのです。

 

次元を上がることで、

これまで怖かったことが

怖くなくなります。

 

しかもそれは

根拠なく怖くなくなる

のではなく、

ちゃんと怖くなくなるだけの

力が発揮されるように

なるのです。

 

私はこの

本質的な成長力こそが、

恐ろしいまでの人の凄みであると

実感しています。

 

では、

「自分に委ねる」とは

実際には何をすることでしょうか?

 

単純です。

 

自分自身の真本音に

委ねる、ということです。

 

私達の真本音は、

時には突拍子もないことを

しようとします。

 

多くの人は、

それを顕在意識で止めて

しまいます。

「それは無理だよ」と、

自分の頭で解釈します。

 

その解釈を

やめるのです。

 

真本音で「こうしよう」と

思ったら、

その瞬間に行動に

移すのです。

 

それが、

「自分に委ねる」

ということ。

 

皆さんもぜひ、

やってみませんか?

 

つづく

 

今まさに次元を上がろうとしている人へ

以前にも一度、書かせていただきましたが、

次元を一つ上がる、

というのは相当に大変なことです。

 

ですが、

今はそれを成そうという人が

急増しています。

 

次元が一つ上がるというのは、

私がいつも表現している

「脱皮」

というもののの中でも

最大級のものです。

 

その直前にいる人が今、

急増しているのです。

 

次元が上がる直前まで来ますと、

人は、どんな人であっても

極度の不安定になります。

 

すると、

自分の最も弱い部分が

クローズアップされます。

 

例えば、

以前は新しいことにチャレンジしよう

という場面になると

非常に臆病になり、そこから

逃げ出そうとする、

・・・そんなパターンを持っていた人が

自分の努力によって

新たなことにも躊躇なく

チャレンジできる自分創りが

できていたとしましょう。

 

次元を上がる手前に来ると、

その人は、

まるでこれまでの努力が

まったく水の泡ではないか、と

思ってしまうくらいに

臆病になります。

 

新たなことに対するチャレンジ

どころか、

ほんの些細なことに対しても

気弱になり、

少し極端に言えば、

生きることそのものに対しても

気弱になります。

 

いったい自分は

どうしてしまったのだろう?

 

これまで自分で自分を

成長させて来たのに、

これまでのがんばりは、

いったい何だったのだろう?

 

・・・とショックを受けることに

なります。

 

しかし本当は

次元を上がるという

滅多にないような脱皮の手前の

不安定期にいるだけのこと

なのです。

 

それを教えてくれる人が

傍らにいればよいのですが、

ほとんどの人が

わけがわからないままに

もがき苦しみます。

 

私はこの時期こそ、

人が人生において

最もサポートが必要な瞬間であると

思っています。

 

もしこの文章を読んで、

ひょっとして自分は

次元が上がる直前かもしれない、

と思われた方は

以下のことをお勧めします。

 

まず、

自分自身の「中心軸」を

意識します。

 

「中心軸」とは

・おへその奥の体の中心と

・頭のてっぺんの中心を

結んだものです。

 

まずは、自分自身のその「中心軸」

を感じ取ってください。

 

そして、

どれだけ心が不安定に

揺れ動いているとしても、

その「中心軸」には

何ら影響がないことを

自覚してください。

 

「中心軸」はとてもしっかりし、

しかもしなやかで柔軟性もあり、

光り輝いているはずです。

 

まずはその安定感を

自覚してください。

 

そしてそれができたら、

常に「中心軸」に意識を向け、

そここそが自分の立ち位置であることを

自覚し続けてください。

 

すべての現象を

「中心軸」から観察するように

します。

 

特に、自分自身の心の動きを

あるがままに観察してください。

 

心は大揺れに揺れている

と思います。

 

その揺れを止めようとせず、

それをそのままに

しておきます。

そして、

ただ観察のみをします。

 

その揺れは、まるで

終わることのない大嵐のように

感じるかもしれません。

しかし

それでよいのです。

 

心の大揺れ具合を

「中心軸」から観察し続ければ、

だんだんと慣れて来ます。

 

どれだけ揺れていても、

その揺れ自体を

「おぉ、すごいなぁ・・・」

と客観的に映画を観るかのように

少しずつ楽しめるように

なります。

 

そこまでできたら

ほぼ大丈夫です。

 

その状態を日々、

維持してください。

 

次元を一つ上がるまでの時間は

人それぞれです。

 

数日で終わる人もいれば、

数ヶ月かかる人もいます。

 

大事なのは、

今のその状態に抗おうとせずに

ただ「あるがまま」を

観て、感じてください。

 

すべての自分の行動は、

「中心軸」にいる自分で

決めます。

 

それだけであとは、

自然の成り行きに

任せましょう。

 

次元を一つ上がることが

できれば、

それまでの大揺れが

嘘だったかのように、

晴れやかで安定した自分に

なれます。

 

パワーも

見違えるほどに内側から

湧き上がって来ます。

 

パワーは湧いて来ますが、

自分自身は

淡々としています。

 

極めて普通の状態。

 

でも、頭はクリアで、

目に映るすべてのものが

輝いて見えるでしょう。

 

すべてを

愛おしく感じるでしょう。

 

無理に、意図的に、

そういった状態をつくろうとは

しないでください。

 

ちゃんと時が来れば

自然にそうなれます。

 

せっかくなので、

滅多にない「今」を

楽しんでくださいね。

 

つづく

 

人は、課題に取り組みたい生き物

どれだけ意識の次元が

上がったとしても、

私達の前には

次から次へと

「課題」が現れます。

 

こう書くと、

えぇ!そうなの?

次元上がれば何の悩みもなく

過ごせるんじゃないの?

・・・と思う人も

いらっしゃるかも知れません。

 

しかし私達人間は

「課題」のない日々を、

極度に嫌がります。

 

私達は平穏無事な日々を

望んでいますが、

いざ、それが手に入ってしまうと

途端につまらなくなり、

生きる気力そのものを

失います。

 

前に進まなくなる、

からです。

 

これまでも何度も

書かせていただいてますが、

私達すべての人間の

根本欲求(本能)の中心には

「進化への意欲」

があります。

 

進化とは

「次元を上がること」

です。

 

次元を上がる実感がなくなることを

私達は皆、

極度に嫌がります。

 

自転車の運転と同じで、

前に進めている時は

安定していますが、

止まってしまうと途端に

不安定になります。

 

それが、

人間という存在の

本質です。

 

ですから

私達の真本音は

私達自身に常に

「人生の課題」

を与えます。

 

その「課題」に取り組むことで、

進化スピードは

加速します。

 

その加速感が

さらなる安定を

もたらします。

 

最近の私はどうも

不安定だ。

 

最近の私は

調子が悪い。

 

最近の私は

モヤモヤが続いている。

 

・・・そんな感覚があれば、

 

今、私の真本音は

私自身にどんな課題を

与えているだろうか?

私はその課題に、

真摯に向き合っているだろうか?

 

・・・をチェックしてみてください。

 

真本音から与えられる

課題のことを私は単純に

 

『真本音の課題』

 

もしくは

 

『真本音のテーマ』

 

と呼んでいます。

 

真本音の課題に取り組むことは

人生の悦びです。

 

その課題の解決策が

まったく見えなくても、

暗中模索だったとしても、

その課題に向かっている

というその事実だけで、

私達は悦びを覚えるのです。

 

毎日に

張りが出ます。

 

毎日に

目的意識が芽生えます。

 

内側から

エネルギーが湧き続けます。

 

そして

すべてのことに自然に

感謝の念が湧いてきます。

 

ちなみに、

私の今の真本音の課題の一つは

「後継者育成」

です。

 

私と同じような役割で

私と同じような力を持ち、

私と同じように人や組織を

サポートできる人を

世の中に増やしていくこと

です。

 

この課題に気づき

取り組み始めたのが2015年

です。

 

そこから、

様々な人と出会うことが

できました。

 

まだまだ少人数ですが、

私の人生の展開を大きく

変化させた大切な出会い

ばかりです。

 

このブログも、

出会いのきっかけとなるといいな、

との想いから

始めました。

 

昨年の8月7日にスタート

しましたが、

まだ一日たりとも、

休んでいません。

 

記事の書き溜めは

しません。

 

必ず毎日一記事ずつ

書いています。

 

その方針も自分で

決めました。

 

それが、出会いを助長してくれると

何となく思うからです。

 

実は最近、

一週間ほど39度の熱が

続いていました。

 

そうなると一記事を書くのに

4〜6時間かかります。

 

しかしどれだけ

体調がヒョロヒョロでも

その分のパワーは

必ず湧いてくるので

人間というのは

不思議なものですね。

 

真本音の課題は

私達に

根源的なパワーを

与えてくれます。

 

あなたの今の

真本音の課題とは、

何でしょうか?

 

つづく

 

もう私達は未来を知っている

一本道を歩いて来たら、

目の前に分岐が現れました。

 

道は二つに

分かれています。

 

右の道を、A

左の道を、B

とします。

 

Aを行くか?

Bを行くか?

答えを出すのに非常に

苦労したとします。

 

どうしても

決められない。

 

どうしても決められないけど、

決めなければならない。

 

自分の気持ちをしっかり

見つめると、

Aに行きたい気持ちが51%

Bに行きたい気持ちが49%

であることが

わかりました。

 

そんな場合、

あなたはどちらの道を

選びますか?

 

第3の道は

ないものとします。

AかBか、

必ずどちらか一方に

決めなければならないと

します。

 

あなたはどうしますか?

 

恐らく、

多くの人が、

51%であるAを選ぶと

思います。

 

ほんのわずかでも

気持ちが多く傾いている方に

向かうと思います。

 

ところがその場合、

Aに行ったとしても、

「本当はBの方が

よかったのではないか?」

という気持ちが

49%も残っているのです。

 

49%の気持ちが

後ろに引っ張られながら

Aの道を進むことになります。

 

するともし、Aの途上で

何か壁にぶつかった場合、

「ほらやっぱりBの方が

よかったじゃん」

と、その時点で進むことを

諦めてしまう。

・・・そんな恐れが高まるでしょう。

 

迷いながら進む、

葛藤しながら進む

というのは、そういうことです。

 

では、どうして私達は

迷ってしまうのでしょうか?

 

その最もシンプルな答えは、

「未来がわからないから」

ですね。

 

AかBか、どちらに行けば

どうなるか?

そういった未来の結果が

明確にわかるのでしたら、

私達は迷うことはありません。

 

未来がわかっていて

進むのであれば、

たとえ壁があっても、

それを乗り越えられます。

 

では、

未来がわかる方法は

ないのでしょうか?

 

実は、

あるのです。

 

ただし、正確に言えば、

未来がわかるわけではありません。

ですが、

未来がわかっているのと同様の

選択をすることが

できるのです。

 

それが、

高い次元の自分の意識で

物事を進める

・・・ということです。

 

この3次元の世界では、

時間は過去から未来へと

一方向に同じスピードで

流れ続けています。

ですから、未来を見ることが

できません。

 

しかし、高い次元においては、

過去・今・未来という分離そのものが

もともとありません。

 

過去も今も未来もすべて

ここにあるのです。

すべてが、「一つ」なのです。

 

その自分自身からの

判断や選択に素直になれば、

上手く行くだろうか?

上手く行かないだろうか?

という葛藤や不安をすべて超えたところでの

確信的な決断をすることが

できるようになります。

 

「なんかそれ、

答えを教えてもらって進むみたいで

つまらないじゃないか」

そう思われる人もいるかも

知れませんね。

 

でもご安心ください。

 

たとえ高次元の自分で

進んだとしても、

壁や課題はいっぱいいっぱい

現れます。

 

実は、

私達の真本音は、

どの道を選ぶか?については

何もこだわっていません。

 

大事なのは、

どの道を選んだとしても

一歩一歩をどのように進むか?

です。

 

高次元の迷いのない自分で

進めば進むほど、

そのレベルに見合った

壁や課題は降って来ます。

 

それらを一つずつ乗り越えることに

私達は人生の生き甲斐を感じます。

 

高次元の道であればあるほど、

難易度は高まりますが、

それが楽しくてしょうがなく

なります。

 

なぜならそれはまさしく、

進化への道のり

だからです。

 

つづく

 

座標軸が一本増えれば世界が変わる

一般的に言われている

ことですが、

物理的な視点から言えば、

「1次元」とは

直線を意味します。

 

そして、

「2次元」とは

平面(縦×横)を意味します。

 

さらに、

「3次元」とは

立体(縦×横×高さ)を意味します。

 

このように、

次元が増えるごとに

座標軸が増えます。

 

座標軸が増えるということは

自由度が上がるということです。

 

そして、

もし1次元の世界で生きている人間が

いるとしたら、

1次元の人は2次元の世界を

決して見ることはできません。

 

2次元の人は3次元の世界を

決して見ることはできません。

 

しかし逆はできます。

 

3次元の人は

2次元や1次元世界を見ることが

できますし、

2次元の人は

1次元世界を見ることができます。

 

直線世界の人の前に

もし壁があったとします。

 

どうしてもそれを

乗り越えることができません。

 

しかし平面の世界の人から見れば、

壁の横を通り過ぎれば

良いだけのことがわかります。

しかし、

直線の世界の人にはそもそも

「横を通り過ぎる」

ということ自体を理解できません。

 

今度は、

平面世界の人に大きな壁が

立ち塞がっていたとします。

その壁は、

横にも無限に続いていて、

どうしても乗り越えることが

できません。

 

しかし、

立体世界の人から見れば、

横に行くのではなく、

ピョンっと上にジャンプすれば

乗り越えられることが

わかったりします。

 

ところがやはり、

平面世界においては

「上にジャンプする」

ということ自体が

理解不可能です。

 

さて、

3次元世界に住む私達に

壁があったとしましょう。

上を乗り越えることも、

横を通り過ぎることも

できなかったとします。

 

私達には

八方塞がりに見える状態

です。

 

しかしもし

4次元世界の人がいたとしたら、

私達には想像をし得ないような

解決策が

わかるのかも知れません。

 

以上は、

物理的な視点からの

お話ですが、

人の意識ということにおいても

本質は同じです。

 

つまり、

次元が高まれば高まるほど、

心の座標軸が増えていきます。

心の自由度も

視野の広さも

視点の多さも

増えていきます。

 

ですから、

高い次元の自分の意識で

いればいるほど、

壁が壁でなくなります。

 

どうしても解決でなかった

問題も、

高い次元から見ることで

簡単に道が見えたりするのです。

 

真本音度合いが増すことで

道が開きやすくなる

というのは、

こういうことでもあるのです。

 

以前にも書きましたが、

高い次元といっても、

それは特別なものではなく、

誰の中にもすでに

存在しています。

(→【人間である以上、誰もにもともとあるもの】)

 

ただ、それを

忘れているだけ。

使わなくなってしまっただけ。

 

それは実にもったいない

ことです。

 

同様に、

組織の次元とは

そこにいる人達の意識の次元で

決まってきます。

 

壁を乗り越えられる

組織であるのかどうか?の

本質的な要因が、

ここにあるのです。

 

つづく

 

せっかく自由になれたのに、自分が自由に動けない

10年間、家の中で

一人で閉じこもっていたとします。

 

雨戸も閉め、

外の光がほとんど入らない中で

10年間一人でした。

 

しかし、

電気は使えるし、テレビもインターネットも

見ることはできました。

読みたい本があれば

読むこともできたし、

着るものや食事にも困りませんでした。

つまりは、生活には支障がなかった、

とします。

 

そんなあなたが、ついに

外に出る日がきました。

 

玄関の扉を開けた途端、

まず真っ先に目に飛び込んで

きたのは、

真っ青な雲一つない空でした。

 

太陽の光でした。

 

あなたは、一瞬

クラクラと佇みます。

 

空気を吸い込んでみると、

明らかに家の中とは違う

生きている空気、

流れている空気

でした。

 

世界はなんて

気持ちがいいんだ!

 

あなたは素直にそう感じ、

喜びました。

 

なぜ私はこれまで

家から出なかったのだろうか?

 

これならもっと

早く出ていればよかった。

 

そう思いながら、

あなたは走り出しました。

 

ところが・・・。

 

ドタッと

足がもつれて転んでしまいました。

 

あなたは起き上がり、

今度は歩いてみました。

 

もちろん家の中でも

歩くことはできました。

だから体は普通に動くものと

思っていました。

 

とは言え、

ずっと家の中でしたから、

体は鈍りに鈍っていました。

 

少し歩いただけで

もう、疲れを感じました。

 

あなたは

座り込んでしまいました。

 

こんなに気持ちがいいのに、

体が思うように動かない・・・。

 

あなたは落胆しました。

 

なら、こんな気持ちよさ、

体験しなければよかった。

 

あなたは

家の中に戻り、

また雨戸を閉めました。

 

私はもう、

家の中で楽しむ人生で

いいんだ。

 

あなたはそう決めましたが、

しかしどうしても、

先ほどの外の世界の気持ちよさ

を忘れることができません。

 

しかも今度は逆に、

これまで家の中で楽しいと

思ってきたあらゆることに

魅力を感じなくなっている自分に

気づきました。

 

家の中にいても

楽しくないどころか、

ストレスばかりが積もっていく。

 

しかし、外に出ても

まったく思うように動けない。

 

あなたは、

自分の人生を

放棄したくなりました。

 

・・・・・・

 

家の中を、「これまでの次元」、

外を、「もう一つ上の次元」

と置き換えてみてください。

 

今、

上記のお話のような状態の人が

急速に増えています。

 

上記の喩え話で言えば、

いざ、家の外に出たときに、

自由に動ける自分であるために、

家の中にいるうちから、

自分自身の準備を整えておく。

 

・・・それが、

真本音で生きる、ということです。

 

家の中で真本音で生きていれば、

外に出た自分は

自由に走り回ることができます。

 

なぜなら、

真本音で生きていると、

現在の最高次元の自分よりも

さらに一つ上の次元の自分からの

メッセージが届くことも

あるからです。

 

「今のうちに

こういうことをしとけよ」

という、

準備のためのメッセージです。

 

それを、

家の中にいるうちに、

着実に実行していれば、

私達は、外の世界をすぐに

満喫できるようになるのです。

 

せっかく次の次元に

上がれるのに、

その境目で、

人生を放棄したくなる。

 

・・・実にもったいないことです。

 

そして、

以上は、個人だけの話ではなく

組織についてもまったく同様です。

 

この、実にもったいないことに

ならないようにサポートするのが

私の役割であると

日々認識しております。

 

つづく

 

本当に言葉を大切にすると、言葉は少なくなる

言葉とは

カタチです。

 

一つの記号とも

言えます。

 

ですから、

「山」

という一言をつぶやいたとしても、

この一言から想像される山のイメージは

人それぞれです。

 

しかし、

「山」

という言葉を聴くことによって

「海」ではないことはわかりますし、

思考や発想の方向性を

合わせることもできます。

 

「今週末、一緒に

山にキャンプに行かないか?」

と言われて、

「じゃあどんな水着で行こうかな」

と考える人はほぼ

いないでしょう。

 

しかしやはり方向性は

定まるものの、

詳細なイメージは

きちんと共有しなければ

誤解を生むことにもなります。

 

「山に行こう」と言われて、

すぐ近くの裏山をイメージする人も

いれば、

富士山に行くイメージをする人も

いるでしょう。

 

私達は、

言葉という「記号」を活用しながら

お互いの想いやイメージを

一致させようとします。

それが私達の普段の

コミュニケーションです。

 

ところが。

 

以上はあくまでも

3次元という限定された部分に

限って言えることです。

 

高い次元の私達の意識は

すべて

つながっています。

 

いえ、というよりも

「一つ」です。

 

「一つ」である我々は

本当はもともと最初から

すべてを共有している

とも言えます。

 

もちろん

人生経験も違いますし、

実際に頭の中で展開される

イメージも、

人それぞれ異なるでしょう。

 

しかし、

そういった表層的ではない部分で、

私達はまったく同じことを感じ、

まったく同じ想いを

抱いています。

 

ですから、

高い次元の意識を

発動している人達同士が会えば、

コミュニケーションにおける

「説明としての言葉」

は、ほぼ必要なくなります。

 

「山に行こうよ」

と言われれば、

「あっそうだよね。

私もそうしようと思ってた」

となりますし、

どんな山に行きたいか?も

ほぼ説明なしで

お互いに理解・共有できて

います。

 

これが仕事上で起こると、

なかなかに凄いです。

 

まず、

とてつもなく打合せ時間は

短くなります。

 

齟齬も誤解もなくなります。

 

ほんの一言二言

言葉を交わすだけで、

お互いにすべてを納得し、

自分のすべきことが

明確になります。

 

そしてその通りに動けば、

きちんと成果が

出ます。

 

とてつもなく

仕事が楽になります。

 

ここまで来ると逆に、

私は「言葉」の有り難みを

より強く感じます。

 

たった一言の

言葉という記号があることで、

各々がここまで感じ取ってきたことの

確認と今後の方向性が

一瞬で明確に、シンプルに

なるからです。

 

言葉っていうのは

ありがたいなぁ、と

いつもつくづく思います。

 

ですから私は

言葉をとても大切にします。

 

余分な一言は

決して言いません。

 

思ってもいないことを

口にしたり、

迎合のためのやりとりは

絶対にしないことに

決めています。

 

そうすると、

言い合いや自己主張ばかりの

コミュニケーションになってしまう

イメージがあるかもしれませんが、

高い次元の自分で動けば、

すべては

淡々と調和します。

 

こちらの想いと相手の想いが

「一つ」なのですから

当たり前と言えば当たり前です。

 

例えば上司と部下の関係で言えば、

上司が部下を何かの件で叱らなければ、

と思った場合、

そのお叱りの言葉を口に出す前に、

部下が自分で自分の過ちに気づき、

自主的にそれを直そうとします。

 

なんだ、結局叱る必要なかったな、

ということが、私の場合は

毎日のように起きています。

 

決して大袈裟な表現では

ありません。

高い次元のコミュニケーションとは

そういうものです。

 

高い次元の自分で生きることは

決して特別なことではない、

というお話を

以前いたしました。

(→人間である以上、誰もにもともとあるもの)

 

高い次元の自分として生きるのは

もちろん、

苦しいことでもありません。

疲れることでもありません。

 

まったく逆。

 

だからこそ

私達の中には

エネルギーが満ちてきます。

 

そのエネルギーを使って

自分が本当に望む現実を

創り上げることができます。

 

どうせ同じ人生を

生きるのであれば、

常にエネルギー満タンの自分で

いたくありませんか?

 

つづく

 

すべては私である感覚を探そう

海に沈む夕日を眺めた時、

美しいなぁ、

と思う人は多いと思います。

 

しかし、

あの美しさは

私の中にもあるものだ、

という感じ取り方をする人は

どれだけいるでしょうか?

 

こんな書き方をすれば、

「いやそれは気持ち悪いでしょ」

とか

「そんな感じ方する人って

傲慢じゃないの?」

とか

「自己陶酔だ〜」

とか、

そんな声が聴こえてきそうです。

 

確かにそれを

頭(思考レベル)で思っていたら

そうかもしれません。

 

しかし

いかがでしょうか?

 

ほんのわずかでも

皆さんの中には

その「感覚」が

存在していないでしょうか?

 

あくまで

「感覚」

です。

 

世界は美しい。

だから私も美しい。

・・・という

「感覚」

です。

 

ほんのわずかでも

確かにそれ、

あるかもしれない、

と思えたのでしたら、

今度はその感覚を

体のどこで感じ取っているのか?

を特定してみて

ください。

 

すぐにはわからない人は、

美しいものを観察しながら、

身体中に意識を向け、

その美しさを最も敏感に

感じ取っている部分を

探します。

 

体の部分が特定できたら、

そこが皆さんの

高次元の自分の意識を

最も感じ取りやすい場所

です。

 

とても単純に言えば、

その、体の部分が

・気持ち良いという感覚にあるか?

・気持ち悪いという感覚にあるか?

にいつも意識を向けておいて

ください。

 

気持ち良い時は、

高次元の自分の意識が

出やすくなっている瞬間です。

 

気持ち悪ければ、

低次元の自分で

考えたり動いたりしています。

 

そして、

自分が

・どのような想いに基づいて、

・どのように物事を発想し、

・どのように行動している時が

気持ち良い時なのか?

を理解できるようになると

とてもよいです。

 

そういった自分の傾向を

大切にしながら

日々を過ごせば、

高次元の自分の意識が

出やすくなり、

真本音度合いも高まります。

 

大切なのは

すべて「感覚」で

行なうことです。

 

「感覚なんてわからない」

と言われる人も

いるかも知れませんが、

感覚というのは

養うことができます。

 

自慢ではありませんが、

昔の私は

こういうことが誰よりも

からっきしダメな人間でした。

 

でもやり続ければ、

ある時から途端に

わかるようになりました。

 

ほとんどの力は

継続によって

身につけることができます。

 

こういうことは

継続することを

お勧めしますよ。

 

つづく

 

人間である以上、誰もにもともとあるもの

現在このブログでは、

今年に入ってから

「意識の次元」ということについて

様々な視点から

書かせていただいています。

 

その中でよく、

高い次元の意識

という表現を使いますが、

こういった書き方をすると

それは何か特別なものであり、

特別な人のみが持っているものであり、

自分には馴染みのないもの、

という印象を持ってしまう方も

いらっしゃるかもしれません。

 

私にはそんな

高い次元の意識なんて

ありませんから・・・、

と。

 

まっ、面白いことに

高い次元の意識で動いている人ほど

そう言われる傾向が

あるのですが。

 

・・・それは置いておいて、

高い次元の意識はもともと

誰にでも存在しています。

ただそれを

使っているか、使っていないか、の

違いだけなのです。

 

例えば、海岸から

海を眺めているイメージを

してみてください。

 

海は広大ですね。

広くて深くて、

本質的にとても安心できますが、

でも一方で、

海は荒れると怖いです。

 

私達人間の心を

私はよく、海に喩えます。

 

人の心の中は

海のように広くて深いものです。

何が潜んでいるか

まったく未知数でもあります。

 

時々、すごく怖いものも

出てきたりしますよね。

 

しかし、海はなぜ、

海としてそこに存在できて

いるのでしょうか?

 

答えは簡単です。

 

地球があるからです。

地球という大地の塊が

あるからです。

 

海は液体ですので、

大地がなければ存在し得ません。

 

もし地球がなくなれば

海もなくなります。

 

海は、

広大で深遠で神秘的です。

 

しかし海は、

地球に支えられています。

 

高い次元の意識とは、

地球のようなものです。

 

そして海は

低い次元の意識と

ここでは喩えるとしましょう。

 

高い次元の意識

という存在があるからこそ、

低い次元の意識

が存在し得るのです。

 

ですから私達が

今ここに存在しているのであれば、

私達には

高い次元の意識という大地が

間違いなく存在しているのです。

 

そしてその大地は、

地球は、

一つです。

 

高い次元の私達も

もともとは一つなのです。

 

私が、

真本音と呼んでいるものは、

高い次元の意識、

つまりは地球から発せられる

あらゆる想いです。

 

ただしその想いは、

私達それぞれの

「個性」

も大事にします。

 

すべてが一つだから、

個性なんてなくていい、

ということではありません。

 

私達人間の素晴らしいところは、

高い次元から低い次元まで

あらゆる次元の意識が

混在しているところです。

 

「一つ」である部分と

「分離」している部分。

 

その絶妙のハーモニーが

「人間」です。

 

ですので、

「人間」としての私達の真本音は

高い次元も低い次元も

すべての意識を尊重した

次の一歩を示してくれます。

 

つまり、真本音とは

反応本音を活用しながら

生きていくのです。

 

反応本音は

100人いれば、100通りです。

 

真本音と反応本音が結びつけば、

そこに、

『真の個性』

が発現します。

 

真の個性に基づいて生きている人は

周りとの調和度が

凄いです。

 

自分自身は自由だし、

自分らしさを存分に発揮しているのに、

周りとは調和するのです。

 

(本当は、

自分の個性を発揮せずに

周りと調和することは

調和とは言いませんが。

それは、迎合と言います。)

 

真の個性、

真の自分らしさを

際立たせながら、

周りと調和する。

 

そんな組織になれたら、

素晴らしいと思いませんか?

 

つづく

 

溢れ出るエネルギーほど大切にしよう

最近、増えているのですが、

急激なエネルギー上昇をする人が

います。

 

真本音の度合いが高まり、

常に高い次元の自分の意識に

基づいて

物事の決断と行動を続けることで

そうなるのですが、

その上昇度合いが

あまりに急激なのです。

 

どんな傾向の人が

そうなりやすいかと言いますと、

「これまで自分を抑え続けてきた人」

です。

 

これは、

現象レベルというよりも

実在レベル(心の中)において

ということです。

 

本当は

エネルギーが高まってきているのに、

心の中で自分を抑え続けてきた人。

 

しかし、ついには何かの拍子に

その押さえつけていた枠のようなものが

一気に取れてしまう。

それにより

エネルギーが一気に溢れ出ます。

 

それはもちろん

良いことなのですが、

あまりに急激な場合、

溢れ出るエネルギーに

その人本人が呑み込まれてしまう

ことがあります。

 

パワーが強過ぎて

制御が効かなくなるのです。

 

その結果、

そのエネルギーを何かに

ぶつけなくてはいられない状態に

なったりします。

 

それが、

喜びなどのエネルギーに変換されれば

まだ良いのですが、

人によっては、

怒り系の気持ちに結びつくことが

あります。

 

何か知らないけど、

いろんなことに腹が立つ。

・・・という状態になります。

 

真本音度合いが高まることで

発せられるエネルギーは

強大です。

 

発すれば発するほど

どんどんさらに

溢れてきます。

 

それに対して、

反応本音によって生まれる

エネルギーは

それほど強いものでは

ありません。

 

エネルギーそのものを

存在承認し、

あるがままに感じることで

すぐに消えていきます。

 

あぁこれは、

真本音レベルのエネルギーだな

と思われた場合は、

そのエネルギーを

体の中心部分に抱くように

大切にしまってください。

 

最初は

溢れるエネルギーを抑えるのは

大変かもしれませんが、

体の中心部分であれば、

そのエネルギーはすべて

収まります。

 

そして、必要な時に必要なエネルギーが

外に向かって発現されるように

なります。

 

では、

体の中心とはどこか? ですが、

単純です。

 

おへその奥のちょうど中心部分

です。

(人によって少しズレるケースも

あります。)

 

そこは

無尽蔵にエネルギーを

蓄えることができるのです。

 

そうすることで、

落ち着くことができるでしょう。

 

体の中心に

エネルギーのすべてを集約したら、

少しそこに意識を

向けてみてください。

 

何とも言えない明るさと

深さと

安堵感を

感じると思います。

 

このエネルギーこそが

私達人間が誰もが持ち合わせている

真のエネルギーです。

 

意識の次元が高まれば

高まるほど、

そのエネルギーの度合いは

2次曲線的に高まります。

 

そういったエネルギーを

常に感じることで、

自分自身が常に満たされ、

そして周りの人達を満たすことが

できるようになります。

 

一人一人がそうなれると、

すごい組織になると

思いませんか?

 

つづく

 

なぜあの人はそんなにゆとりがあるのか

どうすればもっと

ゆとりを持って生きることが

できるのでしょうか?

 

そんなご質問を

本当によくいただきます。

 

ゆとり、というと、

まず第一に思い浮かべるのは

時間です。

 

時間的なゆとりが

あるかどうか?

 

いつも仕事が溢れていて、

大忙しになればなるほど、

ゆとりはなくなります。

 

・・・と一般的には

考えられています。

 

しかし私はこれまで

本当に仕事量の凄い人で

あればあるほど、

ゆとりを持っている

という現実を

多く見てきました。

 

一番、ゆとりがないのは

中途半端に忙しい人

のような気がします。

 

中途半端に忙しい人は、

仕事をこなそうとします。

 

仕事をこなす

というのは、反応本音レベルの

行為です。

 

すると、ちょっと忙しくなると

すぐにゆとりがなくなります。

 

ゆとりがなくなれば、

視野が狭くなり、

いろんな仕事のミスが起き、

さらにゆとりがなくなります。

 

私は、ゆとりとは

時間があるかないか?

ではないと思っています。

 

ゆとりとは、

心の(もしくは魂の)エネルギーの

大小で決まると

思っています。

 

心の中にいつも

エネルギーが満ちている人は

どんな状況でも

ゆとりがあります。

 

実際に、

恐らく私は20年前の私の仕事に

比べれば、

今の仕事量は10倍くらい

多いかもしれません。

 

でも明らかに

20年前よりも今の方が

ゆとりがあります。

 

心が常に

エネルギーに満ちているから

です。

 

現実世界では

想定外のことがたくさん

起こります。

 

想定外がない、

という方が不自然でしょう。

 

例えば、想定外の

仕事が割り込んできた

とか。

 

「私の仕事は、想定外の仕事が

どんどん割り込んでくるので

ゆとりを持てないんです」

 

と言われる人が

本当に多いのですが、

それは、想定外がいけないのではなく

仕事をこなそうとしているから

ゆとりがなくなるのです。

 

しかも仕事をこなす人ほど

想定外が多くなります。

 

真本音で生きるということは

想定外が想定外では

なくなる、ということです。

 

高い次元の私達は

すべてをわかっているから

です。

 

3次元にいる私達の

顕在意識が

「うわっ、想定外だ!

まいった〜〜!」

とやっていても、

どこか根底では、

すべてを楽しんでいる自分が

います。

 

ここでこんな想定外を

私は私にもたらしたんだ、と

どこか客観的な目で

自分と現実を見つめています。

 

そこに、

その現実の意味を解釈として

考える必要はありません。

ただそれを

楽しめばよいのです。

 

高い次元の私達の意識は

それができます。

 

低い次元の自分は

オロオロとうろたえている。

でもその一方で

高い次元の自分は

そのオロオロも含めて

すべてを楽しんでいる。

 

そんな状態で生きていくのは

人間として生きることの

醍醐味の一つかも

しれません。

 

つづく

 

自信の持てる自分になろう、などと思わなくていい

自分に自信がないのです。

 

・・・そう言い続けるクライアントさんが

時々います。

 

どれだけ真本音度合いが上がっても

そう言い続けるのです。

 

そんな場合、

いつも私はお伝えします。

 

自信など、

ない方がいいですよ。

 

自信など、

余分なものです。

 

・・・と。

 

実際に、

高い次元の私達の意識からすると、

自信のある・なしは、

どちらでもよいことです。

 

自信があるからできる。

自信がないからできない。

ということは

一切ありません。

 

自信のある・なしは

自分の行動に関与しないのです。

 

もし、関与しているのであれば、

それは、

真本音度合いが高まっていない

からです。

低い次元の自分のみで

物事を捉えているからです。

 

ある人は言います。

 

「自信をつけるために

経験を積もう」

と。

 

もちろん経験は大切なことですが、

経験を積んで自信を得なければ

先に進めない、

というのは、現実逃避の

一種です。

 

先に進まない言い訳に

過ぎません。

 

ですから私は

「私には経験がないから進めません」

とか

「私には自信がないからできません」

と言っている人を見ると、

いつも

傲慢だなぁ、と思います。

 

もちろん、

自信満々な人を見ても

傲慢だなぁ、と感じることは

多いですが。

 

いずれにしても

自信のある・なしによって

物事の判断や選択を変えることを

私は「傲慢」と感じます。

 

今日、コーチングさせていただいた

あるクライアントさんは、

「いやぁ、私、本当に

自信ないんですよねぇ。

困ったもんですね」

と笑いながらも、

自分の決めたことをすべて

やり遂げていました。

 

やり遂げたと言っても

それが自信につながるわけでは

ありません。

相変わらず、ずっと

「自信ないんですよね」のままです。

 

そのクライアントさんに関して言えば、

自信がないが故に

すべての物事に謙虚に真摯に

対することができています。

 

その「自信のなさ」は

その人の真本音が

選んでいることだからです。

 

真本音と反応本音は

敵対するものではありません。

 

反応本音とは、もともと

現実世界で生きやすいように

という目的で

真本音が生み出したものです。

 

私達の心の中には

様々な反応本音が存在していますが、

私達の真本音は

それら反応本音を活用しながら

生きていこうとします。

 

そのクライアントさんの真本音は

「自信がない」という

自分自身の反応本音を

活用しているのです。

 

わざと「自信がない」という

心の状態をつくりながら、

すべての物事と真摯に向き合おう

とされているのです。

 

もちろん、人によっては

「自信がある」という反応本音を

真本音が活用するケースもあります。

 

大事なのはこのように、

真本音と反応本音が

つながっていることです。

 

どの反応本音を活用するか?は

真本音の自由です。

 

どれを活用するとしても

真本音が選ぶ反応本音であれば

すべて、物事は調和の方向に

進みます。

 

ですから反応本音だけを見て、

これは良い、これは悪い、

これを直さなければ、・・・

などと考えるのは、

まったく意味がないということですね。

 

ですから、

面白いです。

真本音度合いが高まれば高まるほど、

自信をなくすクライアントさんが

よくいるのです。

 

その人にとっては

自信のない状態こそが、

調和を生むのですね。

 

これまでの自分の

反応本音のパターンのみを

評価判断し、

そのパターンを変えよう、とすることは

まったく意味がありませんし、

そこにエネルギーを費やす必要は

ありません。

 

それよりも、

自分の真本音を理解することです。

 

自分の本当の想い

本当の願いを

自分自身が理解することです。

 

つまりは、

真本音度合いを自ら上げる

ことです。

 

私達の真本音は、

・・・つまりは、現時点で最も高い次元の

私達の意識は、

低い次元の意識達を

活用します。

 

高い次元から低い次元まで

様々な意識に溢れるのが

私達人間です。

それこそが、

人間の面白さです。

 

低い次元を否定するのではなく、

そこにあるすべてを活用することが、

人として生きることを

楽しむことではないでしょうか。

 

人間を味わう、

ということではないでしょうか。

 

つづく

 

本当はエネルギーは枯渇しない

真本音度合いが高まると、

モチベーションが高まるのですか?

 

・・・こんなご質問も

よくいただきます。

 

もちろん、モチベーションは高まりますが、

それは一般的に言われる

モチベーションとは

少し異なるかもしれません。

 

モチベーションとは直訳すると

動機付け

となりますが、要するに

やる気とか熱意とか

そういった捉え方をすれば

わかりやすいですね。

 

一般的にはモチベーションとは、

何かの現象(現実)が起こる

結果として

高まります。

 

例えば、

何か嬉しいことがあった。

だからモチベーションが高まった。

とか。

 

自分のやりたい仕事に巡り会えた。

だからモチベーションが高まった。

とか。

 

自分の夢を見つけることができた。

だからモチベーションが高まった。

とか。

 

私の年代では、

給料が上がることで

モチベーションが高まるという

傾向がありましたが、

今の若い人達は

給料よりも、やりがいや使命感や

社会的意義などで

モチベーションが高まる、というのは

最近よく聴く話です。

 

いずれにせよ、

一般的にはモチベーションとは

何かの事象の結果として

高まるもの、

と言えます。

 

が、真本音度合いが高まることで

引き起こされるモチベーション

というのは、

そういったものとは少し異なります。

 

真本音度合いが高まることで、

ただそれだけのことで、

私達は心の中心部分から

エネルギーが湧き続けるように

なるのです。

 

心の中心部分から、

ということはつまり

魂から、

という表現でも良いです。

 

どちらかと言えば、

真本音度合いが低い場合は、

自動車と同じように、

ガソリンを入れなければ、

エネルギーは高まりません。

 

自動車はガソリンが切れれば

動けなくなります。

 

同様に私達も真本音度合いが低ければ、

何かモチベーションを高めるような

事象が起こらなければ

エネルギーは湧き起こらないのです。

 

しかし真本音度合いが高まれば、

現実的に何が起ころうが、

または、何も起こらなくても、

もっと言えば、

たとえ毎日、望まない結果が続いたとしても

私達の中心から湧き起こるエネルギーは

絶えることがありません。

 

常に内側から

まるで泉のように

エネルギーが湧き続けるのです。

 

要するに、エネルギーを

自家発電できるようになるのです。

 

ということはつまり、

今自分が置かれている環境は関係なくなる

ということです。

 

どのような環境においても

充分なエネルギーを

私達は得ることができる、

ということです。

 

実際に私達の真本音は

「環境」を選びません。

 

「環境」や「状況」には

ほとんど関知しません。

 

それよりも、

今この瞬間における自分自身の

「生き方」

を大事にします。

 

つまり、

自分が本当に望む生き方を

今、ここでできているかどうか?

を大事にします。

 

ですから極端に言えば、

夢がなくとも、

望む仕事に就いていなくとも、

好きな人と一緒にいなくとも、

私達は真本音の望む「生き方」を

実践し続けているうちは、

ずっと、心の中心から(魂から)

エネルギーが湧き続けるのです。

 

その結果として、

今ここにおける「環境」や「状況」を

自分の望むものに

変えていくことができます。

 

「環境がこうだから自分はこうなる」

のではなく、

「自分はこうだから、環境をこうすることができる」

というように、

人生のハンドルを自分自身で

握ることができるようになります。

 

「良い環境にないから、

私の人生はひどいことになった」

というのは

真本音度合いの低い人の

セリフです。

 

周りや環境のせいにしているのは

真本音度合いの低い証拠です。

 

そして、

以前にも書かせていただきましたが、

真本音度合いが高いということは

イコール、

その時点における最も高い次元の

自分の意識に基づいて生きる

ということです。

 

ということはつまり、

高い次元になればなるほど、

私達は、

「環境」や「状況」に関わらず、

自分の人生を生きることができる

ということなんですね。

 

つづく

 

自分の想いを数値化しよう

「数字」

というのは

3次元の象徴かもしれません。

 

つまりは、

分離の象徴です。

 

「すべてが一つ」であれば、

数字そのものが

存在し得ません。

 

分離しているからこそ

生まれるもの。

それが「数字」。

 

これは決して悪いものでは

ありません。

 

3次元世界においては

「数字」があるからこそ、

様々なことが明確になります。

 

よく、

「数字」を大切にしない人が

います。

 

例えば、

目標設定において

「数値化したくない」

という人がいます。

 

「目標を数値化することで、

自分が縛られる感じがします」

とか

「自分が追い詰められる

気がします」

とか。

 

しかし、

「数字」を決めずして、

何も明確にすることは

できません。

 

「数字」とは

カタチの一つです。

 

「数字」があることで

カタチが、ありありと

明確になります。

 

高い次元では

「数字」はありませんが、

高い次元の「意志」を

3次元化すれば、

(つまりは、3次元意識で表現すれば)

そこには自ずと

「数字」が入ってきます。

 

つまりは、

私達の真本音は、

高い次元であるがゆえに、

この3次元世界においては

「数字」を大事にしているのです。

 

ですから

私達の真本音は、

明確に

期限を決めています。

 

何年何月何日までに

それを達成するか?

を決めています。

 

そして、

達成する規模も

数値として

明確に決めています。

 

ですから、

目標設定においては、

真本音を素直に表現すればするほど、

「数値化」できるのです。

 

「数値化」することで

縛られる感覚がする

追い詰められる感覚がする

というのは多くの場合、

それが

反応本音レベルで設定された数値

だからです。

 

ただその一方で、

真本音の意志として

決めた数値でも、

それに戸惑う人がいます。

 

それがあまりにも

高い数値であることも

可能性としてはあるからです。

 

「えっ、こんなことは

無理だよ。」

 

と一瞬、思います。

 

しかしそう思っているのは、

私達の反応本音です。

 

真本音で決めた数値は

どれだけそれに戸惑っても、

真剣にそれを

目指すことです。

 

目指せば目指すほど、

だんだんと自分が

開放されていくのが

わかります。

 

もしわからないのであれば、

まだまだ

「スピード」が足らないのです。

 

真本音で決めた数値であれば、

それを意識すればするほど、

私達はスピードアップし、

ある一定以上のスピードになれば、

途端に、

私達は開放感を得ます。

 

その数値を浮かべるだけで

安定感と

安心感を

得るようになります。

 

ですから私達は、

私達の中ですでに設定している

「数字」を

恐れずに

見つめましょう。

 

その「数字」を大切にすればするほど、

私達は

自らの次元を高めることが

できるのですから。

 

つづく

 

真の成長とは、これまでの自分を壊すこと

私達は、

「これまでの自分の範疇」

であれば、

誰もが

存分に成長し続けることができます。

 

しかし、

ぐんぐんと成長をし続けると、

ある時、

一つの「境界」がきます。

 

その「境界」の先に進めば、

新しい世界、新しい自分が

待っています。

 

とは言え、それは自分とは

別物の自分

ということではなく、

本来の自分に一気に近づく

ということです。

 

その「境界」を越えれば、

とてつもない開放感と

自由を

手に入れることもできます。

 

ところが。

 

その「境界」を越えるためには、

「これまでの自分」を

手放さなければなりません。

 

もう少し激しい表現を使えば、

「これまでの自分」を

破壊する必要が

あるのです。

 

・・・これが、なかなか

できません。

 

「境界」まではぐんぐん進めますが、

「境界」の先へ

行けないのです。

 

「境界」の前で立ち止まり、

もといた世界に

戻っていってしまう人も

多いです。

 

しかし、

一度「境界」を見てしまった人が

もとに戻っても、

元通りの自分になれるわけでは

ありません。

 

だって、「境界」を

見てしまったのです。

 

その先の世界を

何となく感じ取ってしまったのです。

 

もとの世界に戻っても、

「なんで先に進まなかったんだよ!」

と、

自分で自分を責め続けることに

なります。

 

それが結構

きつい。

 

もとに戻っても、

以前よりも苦しみは

大幅に増してしまいます。

 

じゃあいっそのこと、

「境界」まで行くことすら

やめればいいじゃないか。

 

そう考える人も

いるかもしれません。

 

しかしながら、

それもできないのです。

 

なぜなら、

私達人間は

進化のために存在しているから

です。

 

私達の本能の中心には

進化欲求

があります。

 

それがある以上、

つまりは、人間である以上、

遅かれ早かれ

必ず「境界」の前まで

行ってしまいます。

 

しかも今は、

「早く境界まで行きたい!」

「早く境界を突破したい!」

と真本音レベルで望んでいる人が

本当に増えています。

 

その欲求が

世の中全体に新たな潮流をも

生み出しています。

 

まるで川の水が

川上から川下へ流れるように、

私達は止まっているつもりでも、

どんどん「境界」に向かって

進み続けてしまうのです。

 

ですから本当は

私達に選択肢は

ないのです。

 

「境界を突破する」

という選択肢しか

ないのです。

 

その事実を

受け止めること。

 

他には選択肢はないのだ、

と、ある意味

あきらめること。

 

それを

『覚悟』

と言います。

 

あきらめた方が

楽です。

 

思い切って「境界」を越えて、

その先の世界へ

行きましょう。

 

その先の自分、

つまりは、

もう一つ上の次元の自分に

なりましょう。

 

その方が

幸せです。

 

・・・というよりも、

それこそが、私達人間の

真の幸せです、

と言った方ががよいですね。

 

一度、「境界」を突破できた人は

「境界を突破」するとは

突破する直前は大変だけども、

突破した瞬間から

いかに気持ちがよくなるか、

を知ることができます。

 

その喜びを知った人は

次々に「境界」を突破し続けます。

 

つまりは、

どんどん次元の壁を

乗り越えて行くのです。

 

次元とは、

無限に高まります。

 

突破しても突破しても

次々に「境界」は

現れます。

 

そのうちに、

「境界」があるからこそ

幸せだ、

と思えるようになります。

 

そんな人が

今、急速に増えています。

 

もっともっと

増えるといいなぁ、と

私は強く思います。

 

つづく

 

未来は予測できないが、未来のことはすべてわかっている

私達のいるこの3次元の世界は

すべてが分離している世界です。

 

「私」と「あなた」は別物ですし、

私が今使っているパソコンも

携帯電話も

机も椅子も本棚もプリンターも

そして私のいる部屋や建物も

すべてそれぞれが別個の存在として

ここにあります。

 

それがこの世界の特徴です。

 

すべての物が分離しているのと同様に

時間も分離しています。

 

本来、高い次元においては、

過去も

今も

未来も

すべては「一つ」です。

 

こういった書き方をすると

3次元世界の私達には

わけがわからなくなります。

理解不能になります。

 

それは当たり前のことで、

低い次元からは

高い次元のことを

決して理解できないように

なっています。

 

ですが、

あえて無理矢理に

3次元の我々にもある程度

想像できそうな表現で

書き続けますね。

 

この世界では

「時間」

は分離しています。

 

つまりは、

過去と今と未来が

別個のものとして

存在しています。

 

私達の「現実」としては

「今この瞬間」

しかありません。

 

1秒前の過去も

1秒後の未来も

「現実」にはありません。

私達の

頭の中や心の中にしか

ありません。

 

「今この瞬間」

という唯一の「現実」が

分離して、

それが連続的に

流れています。

 

例えば、

今、私がこの文章を書いているのは

2018年1月16日午前2時18分

のことです。

で、

2018年1月16日午前2時18分27秒

2018年1月16日午前2時18分28秒

の「現実」は

別物です。

それぞれが分離しています。

 

その分離しているものが

連続しているわけです。

 

もっと言えば、ちょっと変な表現ですが、

2018年1月16日午前2時18分27.0001秒

2018年1月16日午前2時18分27.0002秒

というように

「今この瞬間」をもっと細かく区切っても

同じように分離しています。

 

もっともっと無限大に細かく区切っても

同様に分離しています。

 

「今この瞬間」は

「今この瞬間」でしかありません。

 

すべての分離された「今この瞬間」が

連続して起きているので、

時間がつながっているように

感じるだけなのです。

 

2018年1月16日午前2時18分27.0001秒

の現実と

2018年1月16日午前2時18分27.0002秒

の現実は

まったく別個のものなのです。

 

これが3次元世界の

特徴です。

 

しかもこの世界では、

時間は

過去から未来へと

一方向にしか流れません。

 

過去に戻ることはできませんし、

未来に一気に飛ぶことも

できないようになっています。

 

分離された「今この瞬間」が

一方向に一定のスピードで

流れ続ける、

というのがこの世界であり、

高い次元から見ると、

とてつもなく縛られた世界です。

 

例えば、

3次元世界よりも少しだけ上の次元では、

時間は分離されていますが、

過去から今、そして未来へと

一方向に流れなければならない

という制約はありません。

 

自由に過去にも未来にも

行けるのです。

 

そしてさらにもっと上の次元では、

そういった

過去・今・未来

という分離そのものがなくなります。

 

「すべてが一つ」

です。

 

ここまで来るともう

私達の想像では

理解ができません。

 

ただ一つ言えるのは、

未来とは決して

未知のものではない、

ということです。

 

高い次元では

未来も「ここ」にあるのです。

 

ここまで書きますと、

何割かの人は

私が何を書きたいか

ご理解いただけているかも

しれません。

 

高い次元の自分で生きる、

とは、

「今この瞬間だけを生きる」

のとはまったく別の生き方が

できる、

ということです。

 

高い次元では

過去も今も未来も

一つです。

 

ということは、

3次元世界の我々でも理解できる

表現を使えば、

未来を完全にわかった上での

今の行動を決めることができる

ということです。

 

ということは、

望む未来を実現するための

今の行動を決めることができる

ということなのです。

 

真本音で生きる、

ということは

自分自身の現時点での最高次元での

自分として生きる

ということです。

 

ということは、

真本音で生きれば生きるほど、

私達は

自分自身の望む未来を

実現しやすい

ということになります。

 

しかも、高い次元においては

時間の分離もありませんが、

「私」と「あなた」の分離も

ありません。

 

ということは、

高い次元での「私」の望む行動は

高い次元での「あなた」の望む行動と

完全に一致します。

 

つまり、

自分も周りも望む行動、

自分も周りもより幸せになれる行動を

今この瞬間に選択する

ことができるということなのです。

 

真本音で生きれば生きるほど、

周りとの調和が

高まっていく理由が

そこにあります。

 

そして、

真本音で生きれば生きるほど

すべての物事が

自然にスムーズに進んでいく理由も

そこにあります。

 

真本音のレベル、

つまりは、高い次元の意識のレベルで言えば、

私達は自分の未来を

完全に決めています。

だって、

過去も今も未来も

「一つ」だから。

 

その決めている通りのことを

粛々と

今この瞬間に実践すれば

よいだけのことなんです。

 

ですから、

真本音で生きるとは

とてつもなく

楽なことなのです。

 

つづく

 

前向きとか後ろ向きとか、気にするな

「誰の真本音も

前向きなのですか?」

 

よく、そうご質問いただきます。

 

確かに皆さんの真本音出しをすると、

言葉としては前向きなものが

出ます。

 

しかし実は真本音とは、

前向きとか後ろ向きとか、

そういった次元にはないものです。

 

前向き・後ろ向き、

プラス指向・マイナス指向

といったものは、

私達の反応本音レベルの「解釈」に

過ぎません。

 

ですから、

「前向きに生きています!」

ということを強く語る人ほど、

その前向きな心の裏側に

(その人曰くの)後ろ向きな気持ち達が

潜んでいます。

 

前向きな心と、後ろ向きな心が

せめぎ合っています。

 

その結果、

前向きな心がわずかでも勝てば、

その人は前向きな行動を

とります。

 

逆に、

後ろ向きな心がわずかでも勝てば、

その人は後ろ向きな行動を

とります。

 

どちらにしても

勝った・負けた

の世界です。

 

どちらが勝っても負けても、

正直言いまして、

大差はありません。

 

前向きと後ろ向きの「葛藤」が

存在し続けていますので、

その葛藤によって

パワーが大量に奪われ続けてしまいます。

 

葛藤とは引っ張り合い、

綱引きと同じだからです。

 

ですので、その人は

疲弊し続けています。

 

疲弊した状態で

どれだけ前向きに生きようとしても

その前向きさは

たかが知れているのです。

 

私達の真本音は

そのような疲れる生き方は

望んでいません。

 

真本音で生きるとは、

自己統合へと続く道です。

 

つまりは、

自分の心と魂のすべてのパワーが

一つの方向に

結集されます。

そこに、

葛藤も引っ張り合いも

ありません。

 

常にエネルギーが満ち足りた

状態となるのです。

 

そういった状態になると

私達人間は、

前向きとか後ろ向きとか

そんなことはどうでもよくなります。

 

そんなことを気にするよりも、

自分の人生の願い、

自分の人生の目的、

自分の人生のミッション

などに楽しく向かっていこうと

自然に思います。

その結果、

自分も周りも幸せ度合いが

必然的に高まります。

 

「いやぁ、今日は俺、

全然やる気出ないなぁ。

サボりたくてしょうがないよ」

と言いながら、笑える人。

 

そう笑いながらも、

自分が決めている行動を

いつもの通りにしっかりと

実践する人。

 

意識の次元が高まれば、

誰もがそうなります。

 

心の状態がどうのこうの、

ということは

関係なくなるのです。

 

そうなるともう

自由です。

 

そしてそうなると逆に、

心の動きの一つ一つを

楽しめるようになります。

 

どのような心があっても、

すべての心を

愛せるようになります。

 

それが本当の

自己承認です。

 

次元が高まったとしても、

低い次元の心が

消えるわけではありません。

 

高い次元から低い次元まで、

あらゆる意識が存在するのが、

私達人間です。

 

私はそこに

人間の神秘と尊厳を

感じます。

 

高くても低くても

すべての自分を愛せる。

それこそが、

高い次元の意識です。

 

そしてそういった意識は

心配しなくても

すべての人の中に

すでに存在しています。

ただそれが

眠ったままの人が多い

というだけのこと。

 

何度も同じことを

書いてしまいますが、

そういった眠ったままの次元の自分を

呼び覚ます一番の近道が、

自らの真本音に素直に生きる、

ということなのです。

 

つづく

 

言葉が素晴らしいだけでは、害にしかならない

区別をつける

というのは、

大切なことです。

 

この世の中には

似て非なるもの

が非常に多いです。

 

つまりは、

表面上は一見、ほとんど同じに

見えるけれども、

本質はまったく異なるもの

というものが多いです。

 

本質がまったく異なる

と言った場合、

それは要するに

次元が異なる、

ということになります。

 

例えば、

ある人がある一言を言ったとして、

その一言が

どの次元から出た言葉か?

によって、

本質は大きく異なります。

 

「我社はお客様の満足のために

存在します」

・・・と言ったとして、

この言葉がどの次元から

出ているかによって、

まったく同じ言葉でも

まったく本質は異なる

ということですね。

 

こういった

似て非なるもの

の区別がつくようになると、

生きることは

とても楽になります。

 

そして私は、

すべての人が、

こういった区別がつくように

なるといいなぁ、と思っております。

私のコーチングサポートは

クライアントさんが

こういった区別をつけられるようになる、

というのも重要な目的の一つです。

 

区別がつくようになれば、

例えばビジネスで言えば、

誰と協業すれば良いか?

とか、

組織で言えば、

誰を「要」(かなめ)として

育てれば良いか?

など、

重要な方向性が瞬時に

判断できるようになります。

 

以前にも書かせていただきましたが、

組織というのは

100人いたとしたら、100人全員を

変えようとしても

変わりません。

それには

膨大なエネルギーと時間が

かかります。

お金もかかってしまうでしょう。

 

しかし、

100人の中の「要」となる人を

見つけ、

その人達を集中的に育てれば、

その人達を中心に

組織はどんどん活性化します。

 

その方が

時間もお金も労力も

圧倒的に少なくて済みます。

 

ですので私は

組織活性化戦略としては

まずは、

「要」となる人を抽出する

ことを重要視しています。

 

では、

どんな人を「要」とするのか?

と言いますと、実は

組織上の立場とか

仕事の能力が高いかどうか、

というよりも

次元で決めることが

多いのです。

 

つまりは、

意識の次元の高い人を

「要」とするのです。

 

意識の次元の高い人は、

次元の高いエネルギーを

注げば、

すぐに変化を始めます。

 

次元の高いエネルギーを注ぐ

というのはつまり、

真本音のメッセージや

真本音による指示を

与える、ということです。

 

例えば、社長が、

会社の理念やビジョンを

真本音で語ったとします。

 

「こんな会社にしたい」というお話を

真本音で語ったとします。

 

するとそれに真っ先に共鳴

するのが、

意識の次元の高い人達です。

 

しかもそれは、

共鳴だけでなく、

行動の変化としても

現れます。

 

真本音で語ったり、

真本音で行動したときに、

そこに真っ先に敏感に反応するのは

意識の次元の高い人です。

 

そういった人達は

たとえ現時点では仕事の能力が

低くても、

すぐに自ら主体的に

能力を高めるようになります。

 

社長の真本音の想いに

共感し、

自らも「そうしたい!」と

強く思うからです。

 

これまでも申した通り、

次元が高いということは、

「すべてが一つ」ということですので、

次元の高い人達は

次元の高い社長の言葉を

「社長の想い」ではなく

「自分の想い」として

受け止めることができるのです。

 

残念ながら現時点においては、

「会社の理念やビジョンの浸透」

という視点で言えば、

真本音ではない理念やビジョンを

創り、

・・・つまりは、次元の低い

理念やビジョンを創り、

それを無理矢理に

次元の高低に関わらずに

すべての社員さん達に

強引に浸透させる、

というやり方を取っている会社が

多いです。

 

それでは理念は浸透

するかもしれませんが、

その理念は社員さん達を

縛るだけのもの

になってしまいます。

 

我社はこういうことを大事に

しているから、

しょうがないから

そうするか。

・・・みたいに、

自分を縛るもの、

自分を制御するもの

として理念を認識するように

なります。

 

よく私は企業研修などで

皆さんにお訊きします。

 

「皆さんにとって

理念は居心地のよいものですか?

自分をどんどん開放できる

ものですか?

それとも、自分を縛るものですか?」

・・・と。

 

私の研修は

皆さんが本音で喋れる場を

創りますので、

皆さん、結構本音を教えて

くださいます。

 

ほとんどの人が、

「我社の理念は、

言葉としては素晴らしいなと

思いますし、共感もできますが、

実は居心地のよいものでは

ありません」

と答えます。

 

これが、

理念の浸透

の実態です。

 

しかし私は、

これでは何の意味もない

と思っています。

いや、むしろ

このような浸透の仕方をするくらいなら

理念などない方がよい

とすら思います。

 

理念やビジョンは

自分事になってこそ

価値のあるものです。

 

自分事になることで、

「この理念があるからこそ

私は自分らしさを発揮できる」

という状態になります。

 

理念があるからこそ、

発想が広がり、

理念があるからこそ、

伸び伸びと行動ができる。

・・・という状態になるのが

理念の本来の存在意義です。

 

そうなるためには、

言葉だけ素晴らしい理念を

創るのではなく、

真本音の理念を

創ることです。

 

そして、それをまずは

意識の次元の高い人達に向けて

発信することです。

 

高い次元では、

すべてが自分事になります。

そこに

「浸透」は必要ありません。

 

それは

「自分のもの」

なのです。

 

ですから、

次元の高い理念を発信すれば、

次元の高い人は

すぐに自分事として

自らの発想と行動を変えます。

 

そういった人を

集中的にサポートすることで

その人達は

大きく成長(進化)します。

 

人の成長(進化)には

高いエネルギーが発生します。

そのエネルギーは

周りに伝播します。

 

それにより、

周りの人達も成長(進化)を

始めます。

 

これが、

組織活性化の原則です。

 

つづく

 

個人も組織も、内側からなら変わっていける

この3次元の世界では、

3次元の現実を生きている

私達の顕在意識が

自分の選択と行動を

牛耳っています。

 

もちろん、

無意識に動いてしまうことも

ありますし、

顕在意識レベルの判断を

潜在意識が大きく左右するという

事実もあります。

 

しかし多くの場合、

最後は

顕在意識の自分、

つまり今ここにいる自分自身の心が

自分の選択と行動を決めています。

 

ですから、

次のようなケースが

起こり得ます。

 

せっかく真本音度合いが高まり

自分の真本音の発想や想いが

わかるようになっても、

その通りに行動することができない、

というケースです。

 

なぜなら真本音による発想は

顕在意識の私達からすると

一見、突拍子もない場合が

あるからです。

 

これまでの自分の行動パターンからすると

信じられないような選択を

しようとする時があるのです。

 

そういった場合、

それでも素直に真本音通りに

行動する人と、

そこで、行動を躊躇し

止めてしまう人に分かれます。

 

真本音で望む選択を

行動する直前で止めてしまうのは

紛れもなく

私達の顕在意識です。

 

つまり、

真本音 対 顕在意識

という構図となります。

 

その場合、

私は思い切って真本音の通りに

動いてみることを

いつもお勧めしています。

 

それは一見、怖いことかも

知れません。

しかしその行動は

自分自身の真本音の望むもの。

ですから、その行動をとることで

私達は、明らかに何かから開放された

清々しさを感じます。

 

なぜ清々しいかと言いますと、

それがその時点での

自分自身の最高次元の選択

だからです。

 

最高次元の自分の選択を

大切にするということは、

自分の進化への最短の道を行く

ということです。

 

私達人間の本能の中心にあるのは

進化への欲求

ですので、それに即した選択は

私達の魂と心を著しく

元気にしてくれます。

 

しかしその元気というのは

気合いを入れるような元気ではなく、

あくまで自然体で

あくまで淡々と

あくまで力の抜けた

元気であり、

しかし確かに内側から

深いエネルギーが湧き続ける

元気です。

 

それを私達は

清々しさとして

自覚します。

 

そういった瞬間を

いかに毎日の中で

増やして行くか、です。

 

そして、

次元が高まれば高まるほど

すべては一つ、

ということになっていきますので、

(→前回記事参照)

高い次元の私達の選択は

私達の周りの人達の幸せにも

直結します。

 

自分も周りも

清々しくなる、

という状態が起きやすく

なるのです。

 

私のコーチングサポートの基本は

ここにあります。

 

・まずはその人の真本音度合いを高め、

・真本音の想いと実際の行動を結ぶ

ということです。

 

これをまずは個人個人で行ない、

そして最善のタイミングで

チーム(組織)全体に広げます。

 

そうすることで

チーム(組織)は

内側から変化を始めます。

 

それは、そこにいる人達自身にとっては

あまりに自然な変化の場合が

多いです。

しかし、側から見ていますと、

かなり劇的な変化に見えます。

 

チーム(組織)というのは本来、

そこにいる人達が

より魅力を増し元気になり、

結果として一人では成し得ない成果を

上げるものです。

 

チーム(組織)となることで、

そこにいる人達が疲弊するのであれば、

何かが不自然なはずです。

 

その不自然さを解消していくのは、

外部からの圧力では

到底不可能です。

 

自らが内側から

変えていく。

 

それが最も自然であり、

そのためのきっかけ創りこそが

私が最も大切にしているものです。

 

つづく

 

出会うのも必然、出会わないのも必然

真剣に生きる人であればあるほど、

出会いというものを

大切にしています。

 

ご縁というものを

大切にしています。

 

奇跡の出会い、

という言葉も時々聴きます。

 

私も本当にこれまで

素敵な出会いがありました。

 

多くの人に救われましたし、

多くの人に力をいただきましたし、

多くの人に支えられました。

 

あの出会いがなければ、

今の展開はないだろうな、と

言える出会いばかりです。

 

出会いとは

人生の宝物ですね。

 

しかしその出会いとは

偶然でしょうか?

 

いえ、

そうではないですね。

 

真剣に生きる人ほど、

出会いはすべて必然であることを

どこかでよくわかっています。

 

自分にとって

本当に必要な人と出会うかどうか?

は、高い次元の私達の意識が

決めています。

 

次元が高まれば高まるほど、

「すべては一つ」

となります。

 

次元が低くなるほど、

すべては分離します。

つまり、「私とあなたは別の存在」

と認識します。

 

私達のいるこの現実世界は

「3次元世界」です。

人の存在という視点で言えば

最も低い次元です。

 

ここでは、すべてが

分離しています。

 

ですから、出会いとか

自分に降りかかる物事の多くは

「偶然である」と認識します。

 

分離しているのですから、

たくさんの分離した存在の内の

ほんの一部と出会うのであれば、

確かにそれは偶然と言えるでしょう。

 

しかし高い次元から見れば、

すべては一つであり

つながっています。

 

誰と誰がどう出会うかは、

必然的に決めることができます。

 

実際に、

私達の真本音は、

自分自身の準備が整うことで

「では、そろそろあの人と出会おうか」

と決めます。

 

決めることで、

出会います。

 

出会うことで、

物事が大きく進展します。

 

しかし逆に、

まだ自分の準備が整っていないな、

と思っている内は、

決してその出会いを実現させません。

 

出会いとは、

自分だけでなく、相手もいることですから、

自分と相手と、

両方の準備が整うことが

条件となります。

 

一方の準備が整っても

もう一方が整っていなければ、

その出会いは実現しません。

 

そういったコントロールを

高い次元の私達は

し続けています。

 

高い次元においては、

「私」も「あなた」も

ありません。

「すべてが私」です。

 

こういった話を書くと、どうしても

スピリチュアル的な表現に

なってしまうのですが、

事実はやはりそうなのです。

 

例えば、今日私は、

嬉しいことに5人の方と出会いました。

すべて、ある一人の人からのご紹介だったのですが、

私は昨日からもう、

自分が喜びで溢れていることを

感じていました。

 

なぜならこの5人は、

私にとっても、その5人の皆さんにとっても

人生に多大なる影響を与え合う関係である

ということが明確にわかっていたからです。

 

あぁやっと準備が整ったな、

だから出会うことができるんだな、

ということがわかったからです。

 

ですから今日の私のテーマは、

喜び過ぎないこと

でした。

 

あまりに喜び過ぎると、

エネルギーが溢れ過ぎてしまいます。

 

エネルギーが溢れ過ぎると、

私達の心がそのエネルギーに

呑まれてしまうのです。

 

そうならないように、

今日は一日、ずっと私は私を抑えていました。

 

しかしそれでも実際にお会いすると

嬉しくてしょうがありませんでした。

 

お会いした瞬間から

私達は一つであるという

実感ばかりが湧き上がってきて、

いかんいかん、

この世界では私達は分離しているんだから、

と何度も自分に言い聞かせました。

 

出会いはすべて

必然です。

 

それはすべて

高い次元の自分が

コントロールしています。

 

そして高い次元の自分とは、

すべてが一つ

である自分です。

 

これを、

理屈でなく

当たり前の「感覚」として

実感できるようになると、

世の中はもっと

健康的に進めると思うのです。

 

出会いを大切にするのは

当然です。

だって、

目の前のその人は

自分自身なのですから。

 

これも理屈ではありません。

 

そう考えなさい、

ということでもありません。

 

あぁそうなんだ、と

当たり前の感覚として

実感することなのです。

 

つづく

 

事実をありのままに書くと、嘘っぽくなる

想像を絶する展開、

という書き方をすると

なんと大袈裟な、

という印象になるでしょうね。

 

このような文章を書いている時

私はいつも思うのです。

 

事実をなかなかその通りには

書けないなぁ、と。

 

なぜなら、事実をその通りに書けば、

なんか嘘っぽくなるんです。笑

 

本当にそんなことあるの?

という疑問符が、

初めての人にはついてしまうでしょう。

 

でも、

事実は小説よりも奇なり

という言葉があるように、

本当は

私達人間が頭の中で想像するよりも

遥かに凄いことが

実際には起こります。

 

で、私はそういうことを

日々、当たり前のように

体験しています。

 

すげーなぁ。

こんな展開になるんだなぁ・・・。

と感嘆することが

毎日の日課のようなものです。

 

人間とは本来、

想像を絶するものです。

 

ですから私は、

想像することを、ある時から

やめてしまいました。

 

どれだけ想像しても、

それ以上のことが起こるからです。

 

想像するだけ損だな、

と、ある時から思うようになりました。

 

そして

想像するだけ、自分を枠にはめてしまうな

とも気づいたのです。

 

私達は私達自身を

あらゆる方法によって

枠にはめています。

 

枠とは限界です。

 

限界にはめることで、

想像を絶する展開を

起こらないようにしています。

 

しかも

想像を絶する展開を起こそう!

と意図すればするほど

それは、自己満足になります。

 

自己満足の想像を絶する展開は

想像内の展開に過ぎません。

 

しかも自己満足は、

自分の次元を著しく下げることにも

なります。

 

すべての意図を手放した時、

初めて想像を絶する展開は起こりますし、

それが起きているその瞬間は

想像を絶する展開、とは

認識しません。

 

その時その瞬間には

当たり前のこと

当たり前の展開が

起きているように思います。

 

普通に

物事が進んでいる。

 

そう思えるのです。

 

でも、ちょっと時間が経った後で

振り返ると、

すげーなぁ、なんでこんなことになったんだ?

とびっくりします。

 

しかもそれはもう

起きてしまったことなので、

後には引けません。

 

先に進むしかなくなるのです。

 

で、ある意味あきらめて

先に進みます。

 

するとそこにはまたもや

凄い展開が待っています。

 

真本音で生きるということは

そういうことになります。

 

そして、

真本音とは

その時の自分自身の最高次元の意識

と言うこともできます。

 

私はすべての人が

真本音度合いが100%になれればいいなぁ

と思っています。

 

そうすれば、

すべての人が

その時その瞬間の最高次元の自分として

物事の判断と決断が

できるからです。

 

すると、

その人にとっての

想像を絶する展開が起こります。

 

しかし、想像を絶してはいても、

その人の心が壊れてしまうほどのものでは

ありません。

 

あくまでも、

その人の範疇です。

 

ちょっと変な言い方になりますが、

その人の魂での範疇

になります。

でも、

その人の心では

想像を絶しています。

 

魂では範疇であり、

しかし心では想像を絶する。

 

その絶妙さ。

 

それを味わえるのが、

その時その瞬間の最高次元の自分で生きる

と言うことです。

 

真本音で生きる

と言うことです。

 

そうなると人は

人生をとてつもなく面白く

感じます。

 

一般的によく言われることですが、

人は、

安定を求めます。

その一方で、

安定を手に入れると逆に

冒険を求めます。

 

例えば、

毎日安定した日々を送ることが

できるようになった人は、

ジェットコースターに乗るような

刺激が欲しくなる、

と言うことですね。

 

これはよく言われることですが、

しかし本当は

安定と冒険は反対のことを言っているのではなく、

安定と冒険は一致するのです。

 

なぜなら人は

自分に出せる最速で前に進んでいる時

こそが

最も安定を感じるからです。

 

魂では範疇にあり、

しかし心では想像を絶する展開を

生きる。

 

これは、

安定と冒険を同時に実感できる

私達人間にとって

最も幸せな人生です。

 

そしてその人生は、

誰もが、

そう、人類全員が

手に入れることが可能なのです。

 

つづく

 

1歳児が100kgのバーベルを持ち上げるよりも・・

一つの「次元」を上がるということは

とてつもなく大変なことです。

 

どれくらい大変か?

という喩えがまたかなり

難しいのですが、

あえて喩えてみましょう。

 

例えば、

まだヨチヨチ歩きの1歳の子に、

100kgのバーベルを持ち上げなさい、

という方が、

100倍も楽なのです。

 

なぜなら少なくとも、

その1歳の子には

持ち上げるべきバーベルが

見えているからです。

 

例えばさらに難易度を上げて、

1歳の子に

バーベルというものをまったく見せずに、

バーペルの説明をして、

100kgという重さの説明をして、

さらに、

そこにバーベルが存在しないにも関わらず、

さぁ今、100kgのバーベルを持ち上げなさい、

と今ここで

強要したとします。

 

その状態でそこに存在しない

バーベルを持ち上げることよりも、

次元を上がるということは

さらに何倍も難しいことでしょう。

 

なぜなら、

今の次元でない一つ上の次元については

まったく何もわからないからです。

 

その存在があることすら

わかりません。

 

無、

と同じです。

 

無を理解したり、

無を実践しようと思っても、

それは無理な話です。

 

しかし確かに「次のワンランク上の次元」は

そこに存在し、

そこを登ることができて初めて、

次元を上がれたことを

私達は認識します。

 

そしてこれまでの自分が

一つ下の次元にいたことを

知るのです。

 

上の次元に行けば、

下の次元は見えるようになります。

 

しかし、

下から上は

無、と同じ。

 

まったくわかりません。

 

まったくわからないので、

努力のしようもありません。

 

逆に言えば、

次元を高めようと努力すると、

ただの「膨張」が始まってしまいます。

 

「次元を高めるために頑張るのだ」

とやれば、

それらはすべて自己満足となり、

次元はむしろ下がっていくのです。

 

しかし私達人間は

誰もが皆、

自らの次元を高めることを

本能的に望んでいます。

それが、

進化だからです。

 

次元を高めようとすればするほど

次元が高まらないのであれば、

じゃあ一体、私達はどうすればよいのか?

 

次元を高める最善最速の方法は

自らの真本音で生きることです。

 

真本音度合いを高める

ことです。

 

私が普段、

次元の話を一切せずに、

真本音の話ばかりをしている理由は

そこにあります。

 

じゃあこのブログでも

次元の話は必要ないではないか、

ということになりますが、

実は、そうもいかないのです。

 

「次元」という存在と意味を

顕在意識レベルで知ることをしなければ、

私達が今望む進化スピードは

出せないということが

わかったからです。

 

一つの次元を上がるのは

本当に大変です。

 

一つ一つの次元のギャップは

それこそ宇宙と同じくらいに無限に

あるのかも知れません。

 

しかしこの次元という

一種の「仕組み」を

私達は知識として知らねばなりません。

 

そのためにも、

この3次元世界の表現で

高い次元のことを表現しなければ

なりません。

 

恐らく次回から私は

あらゆる角度から、

「次元」について語ることになると思います。

 

しかも、

あまりにも当たり前の表現を使って、

まるで次元を高めることが

普通の成長であるかの言い回しで

語ることになると思います。

そうしないと、

顕在意識レベルでの理解が

できないからです。

 

ですが、

どのような私の説明をご覧いただいても、

ぜひ、次のことは

覚えておいていただきたいのです。

 

今、自分がいる場所よりも高い次元のことを

本当の意味で私達が理解することは

不可能である、と。

 

そして、

たった一つの次元を上がること自体も

まるで別宇宙に行くかのような

難易度の高いことである、と。

 

それをおわかりいただいた上で、

短絡的表現としての

次元のお話を、

あくまでも知識として

インプットしてください。

 

つづく

 

今の世の中の多くの成長には終わりがある

真本音で生きる、とは

「進化」の速度を最大にする

ということになりますが、

では、「進化」とはどういうことでしょうか。

 

以前に、「成長」には

2種類あるというお話をしました。

 

一つは、

単なる「膨張」。

もう一つが、

「進化」です。

 

まず、「膨張」とは。・・・

 

これは、規模や能力などが

ただ高まっていくだけの状態です。

 

現時点でのこの世の中では、

「成長」と言われるものの多くが

「膨張しているだけ」です。

 

「膨張」には必ず

終わりがきます。

 

「膨張し切る」ことで

それは破裂するからです。

 

例えば、昔よく言われた

企業の30年説など、

企業が終わりを迎えるのは、

それは「膨張」の結果です。

 

長期的にせよ、短期的にせよ、

必ず終わりが来るのが

「膨張」の特徴です。

 

それに対して

「進化」には終わりがありません。

 

もちろん、

「形」は変わっていく可能性は

あります。

 

「形」とは、

この世における「現象」です。

 

「現象」は変われども、

「実在」は受け継がれます。

 

「形」は変われども、

「命」は受け継がれるのです。

 

そして「進化」とは

シンプルに言えば、

「次元を高めること」

です。

 

少しずつでも

次元が高まり続けているのであれば、

それは「進化」です。

 

それに対して、

何がどれだけ変化しても

「次元が変わらない」のであれば、

それは単なる「膨張」です。

 

では、

「次元」とは何でしょうか?

 

「あの人、次元が変わったね」

とか

「この組織は明らかに

以前とは違う次元になった」

とか、

本当に時々ですが、

そのような表現を聴くことがあります。

 

普段、何気なく

さりげなく、

私達は「次元」という言葉を使いますが、

そもそもそれは

何でしょうか?

 

この説明は実は、

かなり難易度が高いのですが、

ちょっとそれに挑戦してみようかなと

思っています。

 

なぜなら

私のさせていただいている

人や組織のサポートは、

「次元を高める」ことだからです。

 

単なる「膨張」のためのサポートは

一切行なっていません。

絶対に、

したくありません。

 

「次元が高まる」ことで、

自然に成果が高まる、という状態創りが

私のミッションです。

 

ですので本当は、

私のサポートの本質を表現するためには

「次元」のお話を抜きにすることは

できないのです。

 

ちょっとドキドキしますが、

「次元」について、

ゆっくりじっくりと

語っていくことにします。

 

今、

平井さん、木村さん、弓江さんのお話も

止まってしまっていますが、

どうしても、「次元」という概念を

取り入れなければ、

先に進めないのです。

 

「先に進む」のが

2018年のテーマです。

 

明日から挑戦してみます。

 

つづく

 

徹底的に人と向き合い続けて実感すること

前回、前々回と、

「若者を妨げてはならない」

というお話を書かせていただきました。

(→前回記事)

 

が、ここからは、

ただし、・・・・

というお話をしなければなりません。

 

ただし、

条件があるのです。

 

すべての若者を妨げてはならない、

ということではなく、

一つ重要な条件があるのです。

 

それは、

真剣な若者、

もしくは、

真剣になろうとしている若者

に限る、

ということです。

 

言葉を換えるならば、

自律している若者、

もしくは、

自律しようとしている若者

に限る、

ということです。

 

「自律」については、

また改めてじっくり書かせていただく

ことになると思います。

が、ここでは深追いしないままに

書き進めたいのですが、

実は、

すでに自律している若者は

結構いるのです。

 

ただし本人は

「これが自律である」

とは認識していません。

むしろ、

大人達、先人達を見ながら、

自律している自分を

「ダメな生き方だ」と認識してしまい、

せっかくの自律の芽を

自ら踏み潰してしまっている、

という状況にあります。

 

人生の先輩の生き方・行き方を

学ぶことで、

自律から依存の生き方に

自ら修正してしまっているのです。

 

これを私は

社会の損失だと

強く思います。

 

「それこそが自律で、

それこそが重要なんだ」

ということを教える大人が

必要です。

 

少し強烈な表現を使いますが、

私達の世代は、

「依存し合うことで成り立つ社会」

を創ってしまったのでは

ないでしょうか。

 

そして残念ながら、

多くの若者達は、その依存社会に

染まってしまっています。

 

しかし、そこに染まらずに

経験が少ないにも関わらずに

毅然と進もうとしている若者も

いるのです。

それが、

・自律している若者

・自律しようとしている若者

です。

 

私は、そういった彼らを

妨げたくない、かつ、

後ろから後押しができるとよいなぁ、

と思っています。

 

彼らを導くのは

彼ら自身。

 

私が、他者が

導くのではありません。

 

彼らが自らを

存分に導けるような

後押しこそが、

今の世の中には必要です。

 

さて、もう一度ここで

ただし、・・・です。

 

自律している、もしくは

自律しようとしている若者の比率は、

私の実感値だけで申せば、

恐らく2割くらいです。

(結構、多いでしょ?)

 

あとの8割は

鍛えなければなりません。

 

しかし8割の内の半分以上は、

きちんとした刺激を与えれば、

自律、もしくは、自律しよう

とし始める可能性が高いです。

 

しかし適切な刺激がなければ、

依存的人生へまっしぐら

でしょう。

 

依存ではなく自律の道へ

大きく転換するための

適切な刺激を与えるのも、

私達世代の役割であり、

私のやりたいことでもあります。

 

私はこれまで、

本当に多くの人と

向き合ってきました。

 

もちろん、

自分自身とも

徹底的に向き合い続けました。

 

その中で一番実感するのは、

人の持つ

神秘さ

です。

 

人は、

神秘です。

 

人というのは、

向き合えば向き合うほど、

理解すれば理解するほど、

神秘のベールに包まれている“何か”を

より強く実感します。

 

私はその神秘さを、

この世の中でもっともっと

発現させたい。

 

先日出会った

ある20代半ばの社長が、

言われていました。

 

「私は、

シンギュラリティの先の世界を

見届けたい。

そこに責任を持ちたい」

と。

 

この想いは

私も同じです。

 

人が為すことに対して

人として責任を持つ。

 

そのために自分には何ができるか?を

真剣に試行錯誤する。

 

この当たり前の感覚と行動力を

持つ人を

私は増やしたい。

 

これが今の私の

重要なミッションの

一つです。

 

つづく

 

経験がなければできない、は古い

「心を込める」というのと

「魂を込める」というのでは

本質的にまったく異なるものがあると

私は思っています。

 

かなり短絡的な表現になるのですが、

・心の意志とは、反応本音

・魂の意志とは、真本音

という区別の仕方をするのも

ある意味、わかりやすいかもしれません。

(本当はちょっと違いますが・・・。)

 

真本音で生きる、

とは

魂を込めて生きるということに

なりますが、

魂を込める、というと

かなり力の入ったイメージや、

精も根も尽き果てる

という印象がありませんか?

 

実際にはまったく

逆なのです。

 

魂を込めることで

私達の心はとても自由になります。

力が抜けます。

 

魂が込められているので、

心の次元で力を入れる必要が

なくなるのです。

 

ですから、

魂を込めて生きている人、

つまりは、真本音で生きている人

の多くは、

とても自然体です。

 

人の個性にもよりますが、

どこか飄々としており、

取っつきやすく、

いい意味で、いい加減で

一緒にいてまったく疲れません。

(立場上、あえて疲れる雰囲気を

出している人もいますが。

それはあくまで、立場上です。)

 

しかしそういった人と向き合うと、

私はその人から

とてつもないパワーが伝わってくるのを

感じます。

 

そのパワーは表面上のことではないので、

お腹の底からジンジンと

伝わってくる感覚です。

 

表面上で気合いを入れまくっている人とか、

言葉レベルで

「魂を込めろ!」とか「命を込めろ!」

と言っている人の多くからは

私はまったくパワーを感じません。

むしろ、

無理に表面上だけ取り繕っている感じで

パワーを奪われます。

 

魂を込めて生きている人は

一見、力が抜けていますが、

一緒にいるだけで、

内側からこちらもパワーが湧いてくるのが

わかります。

そういった人と一緒にビジネスができると

とても幸せです。

皆がどんどん

元気になるからです。

 

ビジネスとは「結果」が大事ですが、

「結果」だけが大事なわけでは

ありません。

 

パワーがどんどん高まりながら

「結果」が出ているのか、

反対に、

疲弊をしながら「結果」が出ているのか、

を私はいつも重要視します。

 

いくら結果が出ていても、

疲弊度が日々増しているようなら、

何かを抜本的に変えなければ

なりません。

 

ある意味、私は

「結果は出ているけど日々、疲弊度が増している」

という状態を最も問題視します。

 

「人のパワーが日々高まり続けることで

自然に結果が出続ける」

という状態創りが、

本来のビジネスだと思うのです。

 

こういったことを言うと、

「いやいや、ビジネスとは

そんな甘いものではないのですよ」

という声を、

私はこれまでさんざん聴いてきましたが、

私はそれこそが、

「反応本音時代のビジネス」

であると思っています。

 

時代は変わったのだと言うことを

まずは私達自身が

認識しなければなりません。

 

私達はもっと「幸せ」に

物事を進めることができるのです。

 

そしてそれを「若者」達は

本能的によくわかっています。

 

結局、何が言いたいのかと言いますと、

そういった「若者」達を

妨げてはならない、ということです。

 

「若いから甘い」

「若いから何もわかっちゃいない」

という認識こそが、

これからの時代では、古いです。

 

「経験がなければ、できない」

という時代も

終わったのです。

 

むしろ、私達の世代の「経験」とは

「反応本音の時代を生き延びるための経験」

です。

 

時代が変わった今、

その経験に捕らわれることこそが

命取りです。

 

時代は、

変わったのです。

 

「反応本音の時代」は

とうに終わり、

「真本音の時代」に

入っているのです。

(→前回記事)

 

人の働き方。

ビジネスの仕方。

組織の在り方。

それらを、

これまでの経験則を超えて、

抜本的に変革するのが、

今の私達のテーマでしょう。

 

そしてそれは今は、

まだまったく進んでいません。

 

世界の最先端と言われる

企業や組織においても、

それはまだまったく

進んでいないのです。

 

・・・という現実と

まずはしっかりと向き合わねばならないと

私は今、

日々、痛感しています。

 

つづく

 

若者達を妨げてはならない

世の中には「潮流」というものが

あります。

 

一人一人の個人が集まることで

組織が成り立つのと同様、

社会も一人一人によって

成り立っています。

 

ですから、

個人の心の状態の集積が

社会全体の潮流を生み出すことが

とても多いです。

 

社会全体の「潮流」が

根本的に変化したことがこれまでに

一度、ありました。

 

それは、約4年半前です。

 

2013年7月から8月にかけて。

「潮流」は大きく変化しました。

 

2013年7月以前を私は、

「反応本音の時代」

と呼んでいます。

そして、

2013年8月以降を

「真本音の時代」

と呼んでいます。

 

反応本音の時代とは

「現象のみの時代」と

言い換えることもできます。

 

現象とはつまり、

現実です。

 

一方、真本音の時代を

「実在→現象の時代」

と言い換えることもできます。

 

実在とは、

心の中の世界を言います。

 

つまりどういうことかと言いますと、

真本音の時代に入ってからは、

心の中の想いと現実が

結びつきやすくなったということです。

 

実在→現象化が

起こりやすくなったのです。

 

それ以前の時代は、

心の中を無視してもいいから

とにかく現象(現実)を創り出す力のある人が

成果を生み出しやすい時代でした。

 

私の言葉を使えば、

たとえ真本音の想いがあったとしても、

それを現実化するのが

非常に難しかったのが、

反応本音の時代です。

 

そこでは、自分の想いが

本当か、それとも刹那的か、

ということには関係なく進んでも

成果にはさほどの違いが見られない

時代だったとも言えます。

 

しかし、

真本音の時代に入ってからは、

今、ここにおけるこの行動は、

本当の想いから生まれたものなのか否か?

によって、成果の出方に大きな影響が及ぶ

ようになりました。

 

想いが現実(カタチ)に影響を与える

度合いが、

圧倒的に大きくなってきています。

 

実は、それこそが

本来の世の中の在り方で、

それ以前の反応本音の時代は、

想いと関係なく現実が創られてきましたので、

ある意味、とても不自然な時代

でした。

 

不自然な時代から

自然な時代へと

「潮流」が変化したのです。

 

ところが、

2013年8月から真本音の時代に入ったこと自体は

よかったのですが、

それはあまりに根本的な変化であったために、

私達自身がその変化に

ついていけない状態が続いていました。

 

一言で言えば、

「戸惑い」の状態にありました。

 

「潮流」が変わったことは

誰もが、心の奥底では感じ取っていたのですが、

では具体的に何をどう変えれば良いのか、

自分がどう変われば良いのか、を

誰もがわからずに、試行錯誤を

続けました。

 

その試行錯誤は

かなり激しい試行錯誤でした。

 

真本音の時代に入れたことを

感じ取った当時の私は、

これで世の中は安定する、と

喜んだのですが、

そこからの4年半は、安定どころが、

混乱と混沌ばかりが起きました。

今もそれが

続いています。

 

これからも

続くでしょう。

 

私達はまだ、「戸惑い」の中に

います。

 

しかし、私は今、

とても強く感じています。

 

真本音の時代という

自然な時代に適応し始めている人が

確かに増え始めていることを、です。

 

特にそれは

20代前後の若い人達を中心に

増え始めています。

 

これは、

希望です。

 

真本音の時代において、

自らの本当の想いをカタチにしていく

若者達。

 

昨年末から、私はそういった人達との

出会いを重ねてきています。

 

私は願います。

 

真本音の時代を

誰よりも躊躇なく生きることのできる

彼らを

妨げないようにしたい、と。

 

彼らが、もっともっと自由に

自然に、

想いをカタチにできる場を

世の中に提供したい、と。

 

そのためにできることは

何だろうか?

 

それを今、私は

真剣に考えています。

 

つづく

 

もう妥協の自由から抜けませんか

私達はなぜそこまでして

『超加速』を望むのか?

(→前回記事)

 

そのもう一つの答えは、

私達は「自由」になりたいからです。

 

真の「自由」を手に入れたいのです。

 

しかし、

真の「自由」とは何か?

をわかるようでわかっていないのが

現在の私達かも知れません。

 

「自由」とは何か?

これも私の30年来の探究テーマですが、

でもよくよく考えると、

このテーマは、人類共通かも知れません。

 

「自由」を実現しよう、とすることが

人類の根本欲求の一つであり、

そしてそれは「進化」を望むことと

恐らくイコールです。

 

「自由」については、

様々な視点からいろんな議論ができると

思いますが、

ただ、ここで私が確信を持って

お伝えできることが一つあります。

 

それは、

真の「自由」とは

進む者しか手に入れることはできない

ということです。

 

しかもその進むスピードとは、

私達の真本音が望むスピードです。

 

つまり、

真本音の望むスピードで進むことにより、

私達は真の「自由」を実感できる、

ということです。

 

私達は、

どれだけ現象レベル(現実レベル)で

「自由」を得ても、

本当の意味で満足することは

ありません。

 

環境的な自由を手に入れても、

必ず私達の心は何かによって

縛られるのです。

 

現象レベル(現実レベル)では、

どれだけ「自由」を求めても、

求めれば求めるだけ、

「自由」は遠のきます。

 

しかしその中で、

妥協してしまう人がいます。

「まぁこれだけ自由だからいいじゃないか」

と自分を納得させます。

 

それは、「妥協の自由」です。

 

真の「自由」とは、

私達の魂も心も満たされるものです。

 

そしてそこには、「スピード」が

必須要因なのです。

 

「スピード」とは、

人生を進めるスピードであり、

進化するスピードです。

 

真本音で

「今、こうしよう」と思ったことは、

今、行動に移すのです。

 

それを一瞬でも後回しにしたら、

その時点で、真の「自由」からは遠のきます。

 

しかし本当に

決めたことを決めた通りに

決めたタイミングで行なうことができれば、

その瞬間、私達は真の「自由」を得ます。

 

その連続が、

「自由な人生」となります。

 

それをし続ける人は、

本人が意図せずとも自然に

「超加速」をしているでしょう。

 

つまり「超加速」とは、

しなければならないもの、ではなく、

自然にしているもの、であり、

それができている状態が「自由」です。

 

本人は極めて「幸せ」であり

「自由」なのです。

 

そしてそれは私達人間が最も

「安定」を感じている時でもあります。

 

「超加速」とは

それをする前の私達にとってみれば

とても怖いことかも知れません。

 

しかし、いざ「超加速」してみれば、

それが最も安定であり安心なのです。

 

私達の真本音は

そういった、最も安定で安心の道を

行こうとしているのです。

 

つづく

 

その空虚感はどこから来るのか

『超加速』

・・・それは、新たな自分との出会いです。

 

しかし「新たな自分」と言っても

別物の自分になるわけではありません。

 

「本来の自分」を取り戻す、

ということです。

(→前回記事)

 

ではなぜ私達は、

そこまでして、「超加速」をしようと

するのか?

 

なぜそこまでして

「本来の自分」を取り戻そうと

するのか?

 

まず最も単純な答えは、

それこそが、幸せだからです。

 

私達は、「本来の自分」を取り戻すために

生まれてきた、と言っても過言ではありません。

 

そのためにわざわざ、

「本来ではない自分」として

ここにいます。

 

わざと「本来ではない自分」として現れ、

「本来の自分」に戻っていく。

それをすることで、

「本来の自分」を進化させることが

できるのです。

 

その「進化」こそが、

私達の根本的な欲求であり、

本能の中心に位置するものです。

 

「人間は進化のために存在する」

と言い切っても良いのではないか、と

私は多くの方々と徹底的に向き合う中で、

そして自分自身と徹底的に向き合うことで

知ることができました。

 

「進化の過程にいる」という実感を得ることで、

私達は「根本的な幸せ」を

感じることができます。

 

何かが足りない。

どうしても空虚感が拭えない。

どれだけ現実が幸せな状態になっても

満たされない。

・・・それらはすべて

「進化」の実感がないからです。

 

「進化」の実感がないことで、

私達は生きる意味を見失いなす。

虚脱感や虚しさに

苛まれるのです。

 

単純なことなのです。

 

ですから、2018年以降は、

皆が一気に「本来の自分」を取り戻し、

進化を遂げ、

進化した自分としてさらに先に進もう、

・・・そう考えています。

そしてそのために、

今、何をすれば良いか?

の答えが、私達の真本音の意思です。

 

『私は今、

本当は、

何をしたがっているのだろうか?』

 

その問いを常に、

自分自身に投げ続けることです。

 

「思考する」のではなく、

「自問自答する」のです。

 

つまり、

頭の中で理論的な答えを無理に

見つけるのではなく、

・自分に問いを投げ続け、

・自然に浮かぶ答えに

・素直に動く

のです。

 

さて、

私達はなぜ、「超加速」しようと

しているのか?

その答えは、

他にもあります。

 

つづく

 

これまでの延長線上から逸脱しよう

『超加速』についてのお話を

書かせていただいています。

(→前回記事)

 

「超加速」を

少し別の視点から表現しますと、

私達は、これまで自身が現してきた

「最高の自分」を

大きく超えようとしている

という言い方もできます。

 

これまで自分自身が

発することのできた最高の輝き。

最高の魅力。

最高の力。

 

それらを大きく

逸脱しようとしています。

 

これまでとは次元の異なる

自分自身を

この世に発現しようとしています。

 

ですので「超加速」とは、

これまでの延長線上のお話では

ありません。

 

喩えて言うならば、

これまで地上を走り回っていた私達が

「超加速」をすることで、

空を飛べるようになる、とか。

 

これまで地球上を飛び回っていた私達が

「超加速」をすることで、

大気圏を突破し、ついには宇宙に

出てしまう、とか。

 

これまでの「世界」を完全に

逸脱するのが「超加速」です。

 

そのため、加速の仕方は、

過去の私達の経験則の中には

存在しません。

 

「これまではこのようにやってきたから」

という過去のやり方を参考にしているようでは、

「超加速」は決してできません。

 

「これが私だから」という

これまでの自分に固執しているようでは、

「超加速」はできません。

 

まったく新しいやり方、

まったく新しい在り方、

まったく新しい行き方、

それらを実践する者こそが

「超加速」をします。

 

そのためには、

私達は私達自身の真本音に

委ねるしかありません。

 

すべての答えは、

私達の真本音がわかっていますから。

 

とはいえ、

真本音というのは、もちろん

「私以外の何か」ではありません。

例えば神様のような存在が

私達を導いてくれるわけではありません。

 

真本音とは、

本来の私、です。

 

本来の自分自身の意思に

耳を傾けるということです。

 

つまりは、

「超加速」とは

本来の自分自身の望む生き方を実践する

ことにより成されます。

 

そのための最も基本的な問いが

あります。

 

それは単純です。

 

『私は今、

本当は、

何をしたがっているのだろうか?』

 

・・・です。

 

本当の自分の意思をキャッチしてください。

そして今この瞬間、

その意思に素直に動いてください。

 

動かなければ、

何の意味もありません。

 

想いだけをどれだけ持っていても

行動に移さなければ

何もないのと同じです。

 

その、行動に移せるかどうか、こそが

「超加速」できるかどうか、の

境目です。

 

あぁ今、私はこれをしようと思っている、

とわかったその瞬間に

行動に移すことです。

 

ほんのわずか、遅れるだけで

もうそれは「超加速」とは

言えません。

瞬発力が

大事なのです。

 

ではなぜ、

そこまでして「超加速」を

しなければならないのか?

 

その答えは

明確です。

 

つづく

 

加速を超えた『超加速』をしようとする人がいる

焦りは禁物。

・・・こんな言葉があります。

 

確かにそうです。

 

焦ることで逆に、

物事の進展は著しく遅くなります。

 

しかしその一方で、

私達は「加速」をしなければ

なりません。

 

「しなければなりません」と書くと、

しなければならない義務という

受け取り方になるかも知れませんが、

そうではなく、

今、多くの人達の真本音が

「加速」を強く望んでいます。

 

真本音の望みを叶えるためにも、

真本音の望み通りに進まなければ

ならないのです。

 

「加速」と言うと、

ちょっと怖い気がしますか?

 

実際にその多くは、

怖さが伴います。

 

今は、自分自身が経験したことのないような

激しい「加速」を望む人が多いですから、

それは、挑戦です。

 

まるで未開の大地に入るようです。

 

あまりに凄い加速なので、あえて

『超加速』

と呼んでもよいでしょう。

 

実は、2017年は、

その「超加速」に挑戦しながらも、

あまりの怖さのために反対に

止まってしまった人が多かったのです。

 

止まった人達は皆、一様に

激しく後悔しています。

 

一度、止まってしまうと、

再び進み始めるのには相当の

時間とエネルギーが必要だからです。

 

もう一度始めからやり直しのような

事態になり、

止まってしまった自分を責めながらも

しょうがないので、

本当にゆっくりゆっくりと進み始めています。

 

私達はこれまでの人生を辿りながら、

今、私達の真本音の望む「超加速」を

するための準備をしてきました。

 

2017年は、

何割かの人達が「超加速」に

挑戦しましたが、

それはまだ全体で言えば、

ほんのわずかな人数です。

 

2018年は、

一気に多くの人達が

「超加速」に挑戦します。

 

それをサポートするのが、

私の役割であり、2018年のテーマでも

あります。

 

この文章をお読みいただき、

あぁその「超加速」をする人というのは、

私のことかも知れないな、

と、

ほんのわずかでも思ったとしたら、

ほぼそれは、間違いありません。

 

そういう方々に

私はまずは、お伝えします。

 

焦りは禁物です。

 

「超加速」をするからこそ、

リラックスをしましょう。

 

顕在意識のレベルで、

気負ったり、変な気合いを入れてしまうと、

逆に心も体も固くなります。

 

大切なのは、

自分自身に委ねるように

することです。

 

私達の発想と行動は、

私達自身の真本音が

導いてくれます。

それに

委ねるのです。

 

そして、

えっ? なんで私はそんな行動を

とろうとしているのだろうか?

と、

これまでの自分のパターンとは

まったく異なる選択を

自分がしようとしているときは、

それを客観的に楽しんでください。

 

心はリラックスしながら、

一つ一つを楽しむ。

 

それをし続ける人こそが、

「超加速」に乗れる人です。

 

そうなんです。

「超加速」とは、

とてつもなく、楽しいものなのです。

 

つづく