2021年 5月 の投稿一覧

それは空虚ではない

 

大きな悩みや

迷いの後に、

心に

 

空っぽ状態

 

が訪れたら、

それは

 

絶望でも空虚でも

ない。

 

それは

 

希望の空っぽ

だ。

 

あらゆる

不必要なものを

心の中から

手放した状態だ。

 

この状態に

ならねば、

開かない扉がある。

 

今、

その扉が

開こうとしている。

 

だからあとは

 

待てばいい。

 

もう考えることは

やめにして、

 

悩むことも迷うことも

終わりにして、

 

待てばいい。

 

その状態を

恐れる必要はない。

 

ただ、

待てばいい。

 

つづく

 

どう流れてる?

 

自分自身の

エネルギーの流れを

意識することは

できるかな?

 

人は誰しもが

エネルギーを循環

させている。

 

外からエネルギーを

取り入れ、

 

自分自身も

エネルギーを発し、

 

それらのエネルギーを

様々な方向や角度で

流し続けている。

 

いや、

 

健康であれば

流し続ける状態が

持続するのだが、

 

不健康になれば

一部や全体が

滞ったり、

流れが途切れたりする。

 

私はコーチングを

させていただく時、

必ず

その人のエネルギーの

流れを感じ取る。

 

流れが良くない場合は

流れが良くなるための

やりとりをする。

 

当然と言えば

当然だが、

 

その人が

自らの真本音を思い出したり、

発見することで、

流れは急激に良くなる。

 

さて。

 

皆さんのエネルギーの

流れは今、

どんな感じだろう?

 

例えば私の場合、

 

今の私は

とてつもなく大きな

循環を創り出している

ようだ。

 

一見すると、

「循環」とはわからないほど

の巨大さなので、

 

地面から空に向かって

垂直に

エネルギーが昇り続けている

ように観える。

 

巨大な滝が

下から上に

昇り続けているようだ。

 

私の場合、面白いことに

このように

エネルギーが下から上に

流れることもあるし、

逆に、上から下に

流れることもある。

 

下から上に流れている

時には、

心は高揚するだろうと

思いきや、そうでもなく、

 

むしろ、

通常よりもさらに

心は鎮まってくる。

 

そして

観察力が高まる

ようだ。

 

何かを待っている時に

こうなることが多い。

 

そう。

 

私は今、

待っている。

 

タイミングを

計っている。

 

絶妙のタイミングを

見極めることで、

その後の展開が

大きく変わる「何か」を

始めようと

している。

 

ヒリヒリするような

緊張感がある。

 

その緊張を

エネルギーを下から上に

流しながら、

大きな大きな循環を

描くことで、

 

自らを鎮めて

いるのだ。

 

私はこの時を

待っていた。

 

と言えるような

何かが

始まるのだな。

 

つづく

 

たくさんの種を

 

芽が出る。

 

思わぬところから

思わぬ芽が

生える。

 

これこそが

人生の醍醐味だと

私はいつも思う。

 

ところが私達は

ついつい

芽を意図的に

出そうとする。

 

もちろん

それは大事な

ことだが、

 

その「意図」を

持ち過ぎのように

思う。

 

人生の醍醐味は

 

「種蒔き」

 

にあり。

 

・・・だと思うのだ。

 

自分の願いを

大切に抱きながら、

 

一つ一つ

丁寧に種を蒔く。

 

その種は

芽が出るかどうか

わからない。

 

だから、

芽が出ますように

祈りながら蒔く。

 

丁寧に

だが

 

たくさんたくさん

蒔く。

 

意図的に

芽を「出させる」

のではなく、

 

祈りながら

たくさん「蒔き続ける」

のだ。

 

たくさんの

種を蒔けば蒔くほど、

 

思わぬところから

芽が出るもの。

 

それが

とても感動的で

 

とても嬉しい。

 

人の育成も

そうだし、

 

ビジネス構築も

そう。

 

人生のあらゆる

ことが

そうではないか。

 

人事を尽くして

天命を待つ、

 

と言うと

硬くなってしまうが、

 

今日、私は

どんな種を蒔こうか?

 

と、

楽しみながら軽やかに

しかし真剣に、

 

人生を進めたい

ものだ。

 

つづく

 

次元で変わる

 

やはり

次元だな、

つくづく思った。

 

同じメンバーでも

その時その時の

次元が異なる。

 

次元の高い状態での

話し合いと、

次元の低い状態での

話し合いでは、

 

まったく同じテーマ

だとしても

 

話の展開が

根本から変化する。

 

私はコーチの仕事を

続けることで、

 

その場の次元

 

が、

ある瞬間にグッと

高まるという経験を

日常的に

させていただいている。

 

その瞬間は、

本当に空気が

変わる。

 

私の目に映る

その瞬間は、

その場全体が

一瞬、蜃気楼のように

観える。

 

グググッと

場全体が

透明なまま光り輝くのが

観える。

 

その瞬間から私は

私が場を引っ張るのを

やめてしまう。

 

その場の人達に

完全に委ねてしまう。

 

すると、

想定を超える面白い

展開となる。

 

創造的な展開と

なる。

 

次元が高まる

ということは、

その場の一人ひとりが

 

「私は何者か」

 

を思い出している

状態だ。

本質的には。

 

たとえそれを

顕在化していないと

しても、

 

その人は

本来のその人

 

となっている。

 

で、後ほど私は

そのお一人お一人に

対して、

 

あなたは側から

観ていたら、

まるで◯◯でしたよ、

 

フィードバックする。

 

それをすることで

さらに次元が高まる

頻度を上げていく。

 

次元の高い自分。

次元の低い自分。

 

人はあらゆる次元の

自分を最初から

持ち合わせている。

 

それこそが

人という存在の

魅力だ。

 

人生の魅力と

言ってもいい。

 

その魅力を

もっともっと味わう

ためにも、

 

もっとみんな

高い次元の自分を

知れるといいね。

 

つづく

 

今、問うてみよう

 

今回は一つ、

とてもシンプルな問いを

ここに投げよう。

 

自分自身に

問うてみて、

 

もし何か発想が

浮かんできたら、

それを

大切にしてください。

 

問いは

これです。

 

『私は今、

何を待っている?』

 

 

もし答えが

浮かんだら、

 

その浮かんだものを

大切にし、

 

ちゃんと

待ってください。

 

そして

待っているものが

成されることで、

 

その後に

 

進んでください。

 

それまでは、

しっかりと

待つこと。

 

そのメリハリが

大事です。

 

つづく

 

器を決めている

 

自分の未熟さを

愛せば、

 

きっと

人の未熟さも

愛することができるだろう。

 

本当の意味で

自分に厳しく

できる人は、

 

人にも厳しく

できるだろう。

 

自分を大らかに

笑いながら

許せる人は、

 

人にも

大らかに接することが

できるだろう。

 

自分への

対し方。

 

人への

対し方。

 

詰まるところ

これは

イコールだ。

 

よく、

器が大きい小さい

という話を

私も仕事柄、するのだが、

 

実は

よく思うのは、

 

器って、

その人に最初から

備わっているもの

というよりも、

 

器って、

その人自身が

選んでいる。

 

「私はこれくらいの

器で生きよう」

 

と。

 

しかしその

選び方が、

 

真本音で選んで

いる人と、

 

反応本音で選んで

いる人と、

 

に分かれる。

 

真本音で選んで

いる人は、

良い意味で

本質的に「等身大」で、

 

人生もビジネスも

調和し続ける。

 

第一、

本人が自然体で

一緒にいて清々しい。

 

みんながこういう

生き方ができれば

いいのに、

側から観ていて

よく思う。

 

無理をするのが

人生だと、

皆、ちょっと思い過ぎだ。

 

自分を変えなきゃ

ならないと、

皆、ちょっと思い過ぎだ。

 

等身大のまま

進むからこそ、

本質的な成長が

できるのだと思うよ。

 

つづく

 

体を労る

 

真本音度合いが

高まることで、

どんな変化があったか?

 

という問いを

いただいて、

一つ、ふと気づいたこと

がある。

 

それは

自分自身の体

とても大事にするように

なったということだ。

 

とは言え、

無意識に自然に

そうなった

と言った方が正確だ。

 

思えば、昔は

自分の体をずっと

酷使し続けた。

 

恐らく、自分の体の

ことは

優先順位として

最も低かったのでは

ないか、とさえ思う。

 

それが今は、

常に

自分の体と対話

をしている。

 

朝、起きる時も

何か食べる時も、

 

仕事をする時も

休憩する時も、

 

一日のうちに何度も、

私は

体と対話する。

 

もう起きて

大丈夫か?

 

今、食べたい?

 

食べたいものは

何?

 

ちょっと歩こうか?

 

このまま

集中し続けて大丈夫?

 

何か私に

リクエストは?

 

・・・などなど

常に語りかけているかも

しれない。

 

おかげで

若い時よりも今の方が

数十倍も健康な

気がする。

 

体にちょっとした

異変を感じたり、

 

ちょっとした

不具合を感じたり、

 

そんな時は

特に注意しながら

体との対話を繰り返す。

 

だから今は

 

変な言い方だが

 

自分の体との

ラポール(本質的信頼関係)が

できている気がする。

 

思えば、

 

私が「真本音」という

概念と出会えたのも、

最初は

体の不調からが

きっかけだった。

 

体は、

私自身、というよりも

どちらかと言えば、

私のパートナーという

捉え方をしている。

 

とは言え、

今でも物理的に

酷使し続けていることは

変わらないので、

 

特に

多くの方々からの

ストレスやエンティティを

受け取るのは

私の体なので、

 

年齢も重ねたし、

 

これからは

さらに労ってあげたいな、

と思う。

 

体に

感謝だ。

 

つづく

 

ストレートに

 

「場と一つになる」

というのが

私にとっては

人生の醍醐味の

最大の一つかも

しれない。

 

私の場合、

なのだが

 

人と向き合っていると、

その人と一つになる

というよりも、

 

その場と

一つになる

のだ。

 

そしてその時間は

恐らく

「自分」をなくしている。

 

これは

悪い意味ではなく。

 

イメージで言えば、

その場の空気感

そのものになり、

 

一つ一つの

そこにあるすべての存在に

分子原子レベルで

溶け込んでしまっている

ような感じだ。

 

だから

無我夢中

に近くなる。

 

よく記憶をなくす

くらいになる。

 

気がつくと

1時間とか2時間が

あっという間に

過ぎている。

 

1〜2秒の

感じだ。

 

無我夢中と言っても

力が入っている

わけではない。

 

ただ、きっと

集中力はもの凄い

のだろうな。

 

そして最近は

以上のような感覚の

度合いが

急速に高まっている

気がする。

 

この一年半くらい

ほとんど飲まなくなったが、

以前は毎日のように

ウイスキーを飲んでいた。

 

それも必ず

ストレートで。

 

いろんなウイスキーを

舌や喉だけでなく、

全身で味わい

楽しんでいた。

 

今は、その時の

感覚に近い。

 

その人との

その場を

ストレートで

味わっているような。

 

年齢を重ねた

からかな・・・、

 

その一秒、

その一瞬を

本当に味わっている

気がする。

 

つまりは

人生をストレートに

味わっている

というか、

ね。

 

そう言えば先日、

ある初対面の若い人

から、

 

真本音度合いが

高まると

どうなりますか?

 

問われた。

 

その時、とっさに

出てきた言葉が

 

人生の一瞬一瞬が

本当に愛おしくなり、

幸せになるかな、

 

だった。

 

あんまり普段

そういう言い方を

私はしてこなかったので、

 

ちょっと

意外だったな。

 

つづく

 

渦だ

 

人と向き合う

ことで、

世界の状態を

感じ取れることが

よくある。

 

今日もコーチングの

最中に、

 

世界のうねり

 

を感じた。

 

超巨大な渦の

ようなうねりが

 

ゆっくりだが

激しく

続いている。

 

その流れは

一定ではない。

 

瞬間的に

とても速くなったり、

 

止まっているのと

同じくらいに

スピードを落としたり。

 

しかし

激しさは

変わらない。

 

エネルギーが

ほとばしっている。

 

人は、

 

こういったうねりを

感じ取ると、

 

たとえそれが

無意識だとしても、

 

次の二つの

どちらかの選択を

する。

 

一つは、

 

「うねりに委ねる」

 

という選択。

 

もう一つは、

 

「うねりに抗う」

 

という選択。

 

後者のほとんどは

恐怖によって

為される。

 

ここでやはり、

普段の

真本音の度合いが

モロに影響する。

 

真本音度合いの

高い人は

苦もなく委ねることが

できる。

 

しかし低い人は

怖くてそれができない。

 

結果として

抗うのだが、

 

抗えるわけが

ない。

 

そして渦に

呑み込まれ、

溺れる。

 

これまで以上に

自分を失っていく。

 

渦に委ねることの

できる人は、

 

その流れに乗る

ことで、

その渦は、

 

新たなステージへと

導いてくれる。

 

そう。

 

渦とは、

「引き上げ」だ。

 

準備のできた人を

次のステージへと

一気に引き上げて

くれる、

エスカレーターの

ようなものだ。

 

恐らく

この2ヶ月ほどの

うちに、

 

多くの人が

次のステージに

進むだろう。

 

さらに

「自由」に生きる

ステージへ。

 

それは、

今の世の中の

現象における混乱とは

無関係の

 

あくまで

実在レベルの話だ。

 

つづく