素直

素直かい

 

辛い辛い、

と言いながら、

 

魂が笑っている

人がいる。

 

幸せ幸せ、

と言いながら、

 

魂が苦しんでいる

人がいる。

 

私達人間は

面白い。

 

表面の自分と

奥の自分が

乖離している。

 

そんな人が

多い。

 

しかし私なぞは

もっとみんな

素直に生きれば

いいのに、

と思う。

 

魂が笑っているなら

顔も笑えばいい。

 

魂が苦しんでいるなら、

その辛さを

素直に感じればいい。

 

乖離をする必要は

ないのにな、と

思う。

 

・・・・・・

 

一貫性。

 

奥の自分と

表面の自分が

一致すること、

 

であると

私は捉えている。

 

一貫性の

取れている人は

魅力的だ。

 

その人にしか

出せない味を

出す。

 

空気感に

現れる。

 

一緒にいたいと

思う。

 

そんな人はきっと

いろんな調和を

生み出す。

 

その人にしか

創り出せない人生の

成果を

創り出すだろう。

 

そういった意味では

一貫性と素直さとは

私の中では

同じ意味だ。

 

・・・・・・

 

魂の望む生き方を

素直に

してほしい。

 

単純に私は

いつもそれを

願っている。

 

自分に対しても。

人に対しても。

 

世界に対しても。

 

一貫性のとれた

素直な世の中に

したいものだ。

 

つづく

 

ちゃんと感じた上で決めよう

 

美しいものと

醜いもの。

 

世の中には

どちらもある。

 

心の中も

同様だ。

 

両方あるのが

事実であり

真実だ。

 

それをそのまま

受け止めることが

現実と向き合う

第一歩だ。

 

とは言え、

 

醜いものを見ても

「醜い」とは

思ってはならない、

 

と言う人が

いる。

 

それも不自然だ。

 

良いではないか、

 

何を思ったって。

 

人間は

感じる生き物であり

解釈する生き物だ。

 

美しいものは

美しい。

大好きだ。

 

醜いものは

醜い。

大嫌いだ。

 

・・・それでいい。

 

素直でいい。

 

ただ、

その心の「反応」を

そのまま

行動の「反応」として

出してはならない。

 

すべてを

あるがままに受け止めて、

 

それによる

心の動きもあるがままに

受け止めて、

 

すべてを

素直に受け止めて、

 

その上で

 

次、

自分はどう動こうか、

真本音で決める。

 

それだけの

ことだ。

 

反応のままに

行動することを

「素直」とは言わない。

 

自分にとっての

真の素直さとは

「真本音で動く」

ことだ。

 

だから、

素直に受け止めて

素直に動く、とは

 

現実と向き合って

真本音で動く、

 

ということと

まったくもって

イコールなんだよ。

 

つづく

 

素直度合いチェック

 

一つの物を

じーっと見つめ、

 

100%の意識を

そこに

向け続けていると、

 

自分と

その物の

区別がつかなくなって

くる。

 

よかったら

やってみてほしい。

 

結構、

簡単にできる。

 

しかしこれをしようと

する時、

 

自分の心が

大きく荒れることが

ある。

 

まるで台風のような

心の渦が

溢れ出る。

 

それらは皆、

ストレスと捉えて

いい。

 

それだけのストレスを

自分は抱えている

ということだ。

 

そして当然、

そういった場合は

 

その物に

意識を100%向ける

こと自体が

難しい。

 

だから、

その物と自分が

区別がつかなくなる

という感覚は

わからない。

 

ということは

分離したままだ。

 

一つに

なれないのだ。

 

残念なことだが、

このように

ストレスが多く

分離したままでしか

いられない人は

 

人との関係も

同じこととなる。

 

自分自身との

関係も

同じこととなる。

 

人とも自分とも

分離したまま。

 

一つになる瞬間が

ない。

 

そうなると私達は

だんだんと

すさんでいく。

 

孤独に

陥っていく。

 

自分と何かの

区別がつかなくなる

状態、

つまりは

一つになる状態

は、実は

 

私達は毎日

自覚しないままに

無意識に

結構やり続けているものだ。

 

しかし

これができない

ということは、

 

普通ならできることが

できないのであるから、

とても

辛いことなんだ。

 

生き方を

変えた方がいい。

 

人との関わり方も

見直した方がいい。

 

そのままであれば

いつか病気に

なってしまうだろう。

 

もっと自分に

素直になることだ。

 

本当は自分は

どうしたいのか?

 

行動に移せなくても

良いから、

自分自身の気持ちに

光を当てることだ。

 

私の好きなある作家の

ある本の中に、

こんな一文があった。

 

「きっと人間は、

自分のなかに

淀んでいるものを

さらけだしてしまわないと、

他人の言葉を

受け容れることが

できないのであろう。」

 

その通りだな。

 

つづく

 

真実はたくさんある

 

誠実で素直な

人ほど

 

人の話に耳を

傾ける。

 

それ自体はとても

素晴らしいことだが、

 

耳を傾ける

ことと

鵜呑みにする

ことは

 

まったく別物だ。

 

私はこう見えて、

人の話を

鵜呑みにすることは

 

ほぼ、ない。

 

ようにしている。

 

・・・・・・

 

しかし、

素直に聴くようには

している。

 

素直に

インプットするのだ。

自分に。

 

でも、

鵜呑みには

しない。

 

よく、

「人の数だけ

真実がある」

と言われる。

 

私も

企業様でのサポート現場

では、

本当にいつもそう思う。

 

Aさんの見方、

Bさんの見方、

Cさんの見方、

・・・。

 

それぞれの人の

視点に立てば、

 

なるほど、

本当にその通りだな、

思うことは多い。

 

しかしそれは

「その視点に立てば」

での

ことである。

あくまでも。

 

・その視点に立てば、

・こういう風に見える、と

・Aさんは思っている

 

という3つを私は

そのまま

あるがままに

自分にインプットする。

 

Bさんも、Cさんも

それぞれが

それぞれの視点で

どう見ているか、を

そのまま自分に

インプットする。

 

そしてその上で、

自分なりの解釈を、

 

・・・何もしない。

 

つまりは

インプットしたままの

その状態で

ずっといる。

 

すると、

ある時ある瞬間に、

ふと

わかるのだ。

 

「彼らはいったい

何をしているか?」

 

が。

 

数々の真実の

さらにその奥にある

「根源」のようなものが

ふと

観えるのだ。

 

それは

言葉や説明に

ならないこともある。

 

しかし

それを一瞬でも

感じ取れば、

 

彼らは

次に何をすれば良いか?

 

私は

そんな彼らに

どんなサポートをすれば

良いか?

 

ありありと

浮かんで来る。

 

これが私の

企業サポートの

本質だ。

 

・・・・・・

 

こうして文章に

すると、

 

何かとてつもなく

凄いことを

やっているように感じる

かもしれないが、

 

私がやっているのは、

「素直にインプットする」

ことだけだ。

 

それをすれば

あとは何となく

勝手に観えて来る。

 

これは

やろうと思えば

誰もができること。

 

しかしそのためには

自分自身の

真本音度合いが

高くなければならない。

 

真本音度合いが

高まれば高まるほど

 

・素直なインプット

・素直なアウトプット

 

両方ができるように

なる。

 

それができる人を

それぞれの企業の中に

増やしていく。

 

これも私の

企業サポートの

本質だ。

 

つづく

 

福田さんコーチング その3

 

たけうちさん、

これだけ私の話、

聴いてるんだから

もう

わかってるでしょ?

私が

自分を全然

信じていないってこと。

 

あれ?

何ですか、

自覚あったんですね〜。

 

またそうやって

軽く言う。

こんな話、

誰にもしませんよ。

 

そうですね。

ありがとうございます。

正直にお話し

くださって。

でも何で急に

そんなお話を?

 

なんかねぇ。

もう、嫌なんですよ。

こんな自分が。

 

あっそうなんですか。

「このままの自分でいい」

って

ずっと言われていたのに。

 

いや、

たけうちさんのせいに

するわけじゃないですけどね、

なんだかんだと

こうやって自分と

向かい合ってると、

やっぱやだなぁ、俺、

って

思いますよ、やっぱり。

 

ご自分を信じられない、

というのは、

ご自分の何を

信じられないんですか?

 

いやぁ、

何もかも、ですよ。

 

何もかも?

 

そう。

何もかも。

なんか自分なんか

いなくなればいい、

って

思うことが本当は

あるんですよ。

定期的にそんな波が

襲ってきます。

 

ひょっとして今が

まさに?

 

そうそう。

その時です。

 

何かありました?

 

いやいや、

何もないですよ。

その、何もないことが

嫌なんですよ。

 

以前は、

何もないままの人生

でいい、

って断言してたのに?

 

もちろん

そう思いますよ。

でも、一方で

それを嫌がっている

自分がいる。

自分が分裂しそうです。

わけがわからなくなる。

 

あぁ、それは

いい兆候ですね。

 

なに?

そうなの?

嫌だよ、こんなの。

 

気持ち悪いですしね。

 

気持ち悪いよ。

たけうちさん、

早く治してよ。

 

笑笑。

治しませんよ。

 

なんでよ〜。

クライアントが

困ってるんだぜ。

 

だって、

せっかく気持ち悪い

状態なんだから。

こんなチャンス

たまにしかないでしょ。

 

なにがチャンスだよ。

他人事だと思ってる

でしょ。

 

もちろん他人事ですよ。

当たり前じゃないですか。

福田さんは

あなたなんですから。

あなたに起こることは

あなた自身が

起こしてるんですから。

福田さんがご自分を

癒してあげないと。

 

えぇ〜、嫌だよ。

俺、自分が嫌いだもん。

自分を癒すなんて。

 

ご自分のどこが

嫌いなんですか?

 

全部だよ。

 

でも、その中で

特にどこが?

 

こういうところ。

 

へっ?

 

こういう

素直じゃないところ。

 

笑笑笑!

なんだ、それも

自覚してんだ。

 

笑わないでよ。

わかってるよ。

俺はこういう

斜に構えたところが

大嫌いで。

 

じゃあさ、福田さん。

10秒だけ、

素直になりませんか?

 

なにそれ?

 

10秒だけ、

私の目をじっと

見つめませんか?

 

えぇ〜?

気持ち悪いよ。

 

いいじゃないですか。

10秒だけ無言で、

まっすぐ私の目を

見つめてみてください。

 

催眠術?

 

いやいや、

そんな力、私にはないし。

人をまっすぐに

見つめると、

自分もまっすぐに

見つめられるんですよ。

まぁ、遊び感覚で。

 

わかったよ。

じゃあやるよ。

 

<10秒、見つめる>

 

どうですか?

 

そんなに悪い

もんじゃないな。

 

おぉ。

じゃあ大丈夫ですね。

 

なにが?

 

まぁまぁそれは

ともかくとして。

福田さん、ご自分の

何を一番、

信じたいですか?

 

夢、

ですかね。

 

何言ってんですか?

 

何言ってんですか、って

何言ってんの!

大真面目だよ。

 

だって、福田さん。

主体的に生きるのも

望みを持つのも

嫌だって

あれだけ言ってたじゃ

ないですか。

 

いや、だからさぁ、

そんな風に考える

自分が嫌なのよ。

そんな自分を

好きになれると思う?

 

思いませんよ。笑

 

だろっ!?

だから、そんな自分を

信じられるわけが

ないじゃないか。

 

って、

なんで私が福田さんから

説教されないと

いけないの。笑

じゃあ福田さん、

本当は夢があるんですね?

 

ないよ。

ないから困ってる。

自分を信じられないから

夢がないのか、

夢がないから、

自分を信じられないのか。

それが

よくわからんけど。

でも俺だって本当は

夢を持ちたいよ。

 

なんだ福田さん、

かなり健康的じゃないですか。

やっぱり。

そこまでご自分の気持ちを

素直に見つめられるなら、

もう大丈夫ですね。

今日のコーチング、

終わりにしましょう。

 

なんでだよ〜。

 

つづく

 

私は私を知らない

 

私自身も含めて、

 

人は

自分のことを

誰よりも

よくわからないように

 

できているのでは

ないか。

 

鏡がない限り、

自分の姿は

自分では見れない。

 

ナマの自分を

離れたところから

見ることは

一生、

できないのだ。

 

自分が

どのような表情を

して、

どのような空気感を

出して、

 

無意識のうちに

どのような振る舞いを

しているのか?

 

それを

正確にわかる人は

世の中に

一人もいないのでは

ないか。

 

だからこそ

人は、

 

自分以外の人との

関わりの中で

生きていく。

 

他人を通じて

自分を知る。

 

自分の影響は

他人の反応で

知るしかない。

 

人は、

他の人と関わる

という前提で

創られた存在

なのだと

私は思う。

 

だからこそ、

素直な人は

強い。

 

周りからの意見や

反応を

まっすぐに

受け止める人は

 

どんどん

成長・進化する。

 

その

まっすぐさ

は、

年齢は関係ない。

 

まっすぐな人は

いつまで経っても

若々しい。

 

目が、

輝いている。

 

人は

人と関わるからこそ、

の存在だから、

 

人を尊重し

人から学び

人との関わりに対して

どこまでも

真剣になる。

 

そんな人が

増えてほしいし、

 

増やしていかねば

ならない。

 

だから私は

今日も明日も

明後日も、

 

お一人お一人と

丁寧に

向かい合い

続けよう。

 

つづく

 

もっと素直になればいい

 

自分の中から

真本音の想いが

浮上し、

顕在化しているにも

関わらず、

 

「こんな気持ちを

現してはダメだ」

 

と、

その想いを

必死に抑えながら、

 

違った自分を

懸命に出しながら

仕事に向かっている

人がいる。

 

多い。

 

実に

もったいないねぇ。

 

その想いに

素直に動けば、

すべてが

調和を始めるのに、

 

その人は

「この想いは

混乱しか生まない」

信じてしまっている。

 

真本音の想いに

素直に動くことは

俗にいう

「わがまま」

ではない。

 

なぜなら

真本音は皆、

つながっているから。

 

自分の真本音の

想いと

自分以外の人の

真本音の想いは

つながっている。

 

一人が

その想いに素直に

動けば、

隣の人も

真本音が活性化

する。

 

その人がまた

素直に動けば、

さらに隣の人の

真本音も活性化する。

 

その連鎖が起き、

組織は

完全調和へと

向かっていく。

 

「わがまま」とは

たくさんある反応本音の中の

たった一つの想いに

執着し、

それを頑なに、強引に

押し通すこと。

 

反応本音は

残念ながら

他の人とは

つながっていない。

 

だから

「わがまま」

となる。

 

真本音と

反応本音の

区別がつくように

なると

本当にいい。

 

本当に

楽になる。

 

個人も

組織も。

 

そんな世の中に

したい。

 

そのために

今は「コーチ」が

必要なんだ。

 

真本音サポート

のできる

「コーチ」が。

 

つづく

 

素直に自分を見つめよう

 

変化が大事だ。

 

と、

皆が口を揃えて

言う。

 

しかし

そう言いながらも、

本気で変化しよう

と決めている

人は

いったいどれだけ

いるのだろうか?

 

言うは易し

行うは難し

 

という言葉が

今ほど

身に沁みる時代も

ないだろう。

 

「自分の範疇」

の中における

変化は

皆、へっちゃらに

行なう。

 

しかし

それは本当は

「変化」とは

言えない。

 

変化とは

「自分の範疇」を

超えることだ。

 

しかし皆、

「自分の範疇」の境界線まで

来ると、

途端に尻込みを

する。

 

言い訳を

始める。

 

言い訳しながら、

もといた場所に

戻ろうとする。

 

人間だから

致し方ないことだと

思う。

 

人には恐怖

がある。

 

怖い

と感じることは

健康的だ。

 

尻込みだって

いいだろう。

 

でも、

尻込みしながらも、

 

「私は尻込みは

していない」

 

と、

自分で自分を

誤魔化すのは

やめにしないか。

 

・・・・・・

 

物事が

上手くいかなく

なると、

 

すぐに

自分のせいにする

人がいる。

 

「私が至らない

からだ」

と。

 

一見すると

謙虚であるが、

 

しかしそれも

「自分の範疇」に

おいてのみ

の人が多い。

 

いつもは

謙虚なのに、

本当にまずいことに

なると、

 

本当にシャレでは

済まない窮地に

なると、

 

途端に

人のせいに

し出す。

 

実は、

「私が悪いのです」

といつも口では

言っているのだが、

 

本当は

心の中では

そうは思っていないのだ。

 

心の中では

常に他人を

罵っている。

 

私は

それがいけないこと

だとは思わない。

 

人のせいにしたい

のも

私達人間の自然な

心の動きの一つだ。

 

誰だって

自分が悪い

とは思いたくない。

 

謝罪だって

したくない。

 

自分を

守りたい。

 

そんな心が

あったって

いいじゃないかと

思う。

 

実際

あるんだし。

 

でもその一方で、

「本当に

申し訳なかったな」

と、

反省する自分も

いるはずだ。

 

「反省する自分」

「人のせいに

したくなる自分」

どちらもいるのが

私達だ。

 

それで

いいじゃないか。

 

しかし、

「人のせいに

したくなる自分」

醜いと捉え、

そこにフタをする

人がいる。

 

これも

自分自身の

誤魔化しだ。

 

それは、

やめようよ。

 

・・・・・・

 

自分で

自分を

誤魔化す。

 

それだけは

やめようよ。

 

もっと

素直に

生きよう。

 

素直とは、

そこにあるものを

「そこにあるな」

あるがままに

認めること。

 

自分の心の

中の、

 

美しい部分も

醜い部分も

 

すべて

あるがままに

その存在を

認めよう。

 

それができて

やっと

「スタート」

だ。

 

自分で自分を

誤魔化す人に

 

一生、

「スタート」

は来ない。

 

素直な人

こそが

前に進めるんだ。

 

つづく

 

セルフコーチング 基礎の基礎

自分の真本音に

本当に素直になって

生きる人と、

 

もう一人別の

自分の真本音に

本当に素直になって

生きる人が、

 

出会うと、

 

そこには

完全なる調和

が生まれます。

 

本当の素直さ、

つまり、

真本音レベルの素直さ

は、

完全なる調和

を生み出します。

 

そしてもし、

反応本音レベルの

素直さで生きる人と

 

もう一人別の

反応本音レベルの

素直さで生きる人が

 

出会うと、

 

そこには、

反応の嵐が

起こります。

 

それは多くの場合、

混乱や戦いや障害や

妨害のし合いとなって

現れます。

 

同じ素直さでも

それが

反応本音レベルのものか、

真本音レベルのものか。

 

それにより、

現実は

真逆の展開になります。

 

そしてもちろん、

本当の素直さとは

真本音レベルの

ものであり、

本当に自分に素直に

生きる人とは、

自分も

周りも

楽に、そして幸せに

できる人なのです。

 

・・・・・・

 

セルフコーチング

とは、

自分の真の素直さを

喚起するものです。

 

自分に素直に

なるために

行なうのが

セルフコーチング

です。

 

そしてその素直さは、

先ほども書きました通り、

周りとの調和を

生み出します。

 

では、

セルフコーチングの

基本とは

何だと思いますか?

 

例えば、

自分自身に

良い問いかけを

することだと

思いますか?

 

もちろん

それも大事です。

 

でも、

もっと大事なことが

あります。

 

それは、

 

『何もしない時間を

過ごすこと』

 

です。

 

それは

「空白」

の時間です。

 

「スペース」

とも言います。

 

まずはたった

5分でも良いですから、

何もしない時間を

作ってみてください。

 

5分間、

ただ、ボーッと

してみてください。

 

できますか?

 

ここで

ボーッとできる人は

かなり

素直に生きている

人です。

 

でも多くの人は、

これ自体が

難しいのでは

ないでしょうか。

 

ボーッとしようとしても、

いろんな心が

渦巻いてしまう。

 

ついつい

仕事のことを

考えてしまう。

 

あれやこれや

心がざわめいて

落ち着かなく

なってしまう。

 

今、悩んでいることを

思い出し、

モヤモヤしてしまう。

 

・・・そんな人が

多いのではないでしょうか。

 

それは、

素直に生きていない

証拠です。

残念ながら。

 

いつも

真に素直に生きている人は

ボーッとしようと

思ったら、

すぐにその場で

ボーッとできます。

 

なぜなら、

心が、・・・というよりも

魂が

静かだからです。

 

魂が静かな人は、

すぐに

「スペース」を

創り出すことが

できるのです。

 

人は、

どれだけ強い悩みを

抱えていても、

それが

真本音で進む道ならば、

魂は静か

なのです。

 

もし

魂が静かでないのであれば、

自分自身が

何らかの変化を

せねばなりません。

 

今の自分のままでは

ダメなんだよ、

という魂からの

メッセージです。

 

それが、

ボーッとできない

ということです。

 

ボーッとできないのは

魂からの

メッセージです。

 

魂は、

今の自分の生き方

在り方を

嫌っているのです。

 

・・・・・・

 

セルフコーチングの

基本は、

スペースを作ること。

 

それができて

初めて、

良い問いかけが

機能します。

 

きちんとした

スペースもない状態で

自分に

何を問いかけても

真本音の答えは

決して

浮かび上がっては

きません。

 

まずは

何もしない時間を

作ってください。

 

どれだけ心や魂が

ざわめいたとしても、

それでも

何もしない時間を

作ってください。

 

そして、

その、ざわめく自分を

ただただ

あるがままに

観察してください。

 

まずは、

すべてを

観察することです。

 

もしどうしてもそれも

難しい場合は、

鏡を使います。

 

鏡に自分の顔を

映し、

自分の目を

見続けてください。

 

それすらも

難しい人がいますが、

ここはちょっと

がんばりましょう。

 

実は、

私も昔は、

鏡に映る自分の目を

見続けることが

できませんでした。

 

それだけ自分と

向かい合うことが

できていなかった

のですね。

 

でもこれは

慣れるしか

ありません。

 

鏡の中の自分の目を

見つめ続けることで、

スペースを

築きましょう。

 

もし、

たくさんの心の

ざわめきや

心の声や

心の叫びが

浮かんでも、

それもそのまま

観察します。

 

鏡の中の自分の目を

見つめながら

それをすれば

比較的短時間で

心や魂は

静まっていくと

思います。

 

どうしても

静まらなくても、

ここは頑張って

続けてみてください。

 

これが最も

簡単な方法ですから。

 

自分の人生に、

自分の毎日に、

まずは

スペースを

設けましょう。

 

それが

セルフコーチング、

つまり

自分と向き合う

基礎の基礎です。

 

つづく

 

それは本当の素直さだろうか

「素直な自分であろう」

とすることと、

「本当の素直」

は、

実は根本的に似て非なるもの、

まったくの別ものです。

 

私達人間が、「本当の素直」を手に入れれば、

すべてが楽になります。

自由になります。

何の気負いも無理もなくなります。

 

しかし、「素直な自分であろう」とすると、

私達は疲れます。

「あろう」とすればするほど、

心の奥にストレスが生じ続けます。

 

一見、表面的には両者は

似ているかも知れません。

しかし、

見る人が見れば、

真逆であることが、感じ取れるはずです。

 

残念ながら、前芝さんは、

「素直な自分であろう」タイプのようです。

(→前回記事)

 

「弓江さんは前芝さんに

どんな風に成長してもらいたいですか?」

 

「そうですね・・・。

私は彼はムードメイカーだと思っています。

彼がいると場が明るくなります。

そういった部分はそのままで、

でも、もっと強くなって欲しいですね。」

 

「それは、どのような強さですか?」

 

「揺るがない大木のような

強さです。

何が起きてもビクともしないような。」

 

「今はその要素はあまり

ないのですね?」

 

「そうですね。

今日この場で初めて気づいたのですが、

いつも彼はビクビクしているのかも

知れません。

そういった雰囲気は出しませんが。」

 

「なぜ彼はビクビクしているか

わかりますか?」

 

すると木村さんが言われました。

 

「これはちょっと以前の私に

似ているのかも知れません。

自分を演じている、というか。

仕事の中での自分を形作っている

というか。

それを良かれと思ってやっていると

思うのですが、それは実は

とても辛いことです。

自分を演じる、って

どこかにいつも後ろめたさを伴うものですから。

私はそれを身をもって知ったわけですが。

彼も同じかも知れません。」

 

「なるほど。

彼は何か趣味はあるのかな?」

 

「そういえば、そういった話をしたことが

ないですね。

彼のプライベートなどはよくわからないです。

一緒に飲みに行って、馬鹿騒ぎをすることは

ありますが、よく考えたら、

馬鹿騒ぎするだけで、私は彼のことを

何も知りませんね。」

 

恐らく前芝さんは、

意図的に仕事とプライベートを区別して

いるのでしょう。

それはそれで悪いことではありませんが、

区別し過ぎて、自分自身が苦しくなるのは

勿体無い話です。

 

人は、どんな時も

本来の自分を発揮しながら活躍できることが

自然な喜びとなる生き物です。

 

「弓江さん、

ここまでの話以外で、彼の長所は他に

ありませんか?」

 

「う〜ん・・・。

彼は、敵をつくらない、というところでしょうか。」

 

「誰とでも連係できる?」

 

「はい。

でもそれは一方から見れば、

短所にもなってしまいますね。

ただの八方美人になる場合もありますから。」

 

弓江さんは最初、

前芝さんのことを「要になり得る」と

言われていましたが、少し

自信がなくなってきたようです。

 

ただ、ここではそういった結論は

あえて出しません。

 

ここで私は直観的に

一つの質問を口に出しました。

 

「前芝さんって、

人のことが好きなのでしょうか?」

 

二人は、

えっ?という顔をされました。

 

つづく

 

心は込めているのに、魂が込められない

新規事業プロジェクトメンバー一人一人について

私は、木村さんと弓江さんと

語り合っています。

 

まずは、日下部さんについて

充分な語り合いができたと、

私達の中で、完了感が生まれました。

(→前回記事)

 

「たけうちさん、

次は、前芝(まえしば)について

考えたいのですが。」

 

「じゃあそうしましょう。

どんな方ですか?」

 

「まだ若いです。25歳の男性社員です。

しかし私は、彼がどう頑張るか?で

新規事業プロジェクトだけでなく、

全社に与える影響が大きい気がしています。」

 

「ということは、弓江さんからしてみれば、

彼こそが、要となる社員だと思うんですね?」

 

「そうです。」

 

「どんなところで、

そう思われるのですか?」

 

「彼はとにかく、素直なんです。」

 

「へぇ。」

 

「若い、ということもあるでしょうが。

でも、根っからの素直さがあるように

思うんです。」

 

「なるほど。

具体的にはこれまで、どんな場面やどんな瞬間に、

彼の素直さを感じましたか?」

 

「例えば彼は、お客様からの受けが

とても良いのです。

みんなが彼のファンになります。

彼の力になりたい、と思うようです。」

 

「おぉ、それは凄いですね。

彼のどんな振る舞いが、そうさせていると

思いますか?」

 

「たけうちさんの言葉を借りて言えば、

彼は、向き合う、ということが

できるのだと思います。

いつも堂々とお客様と向き合って、

しかも、相手の話を親身になって聴いて、

しかも、言われた期待には必ず答えようとします。

自分が言ったことも、必ず実行します。」

 

「それは、なかなか期待できる人ですね。」

 

「ただ・・・。」

 

「ただ?」

 

「はい、ただ・・・、私はなんかちょっと彼が

無理をしているようにも思うんです。」

 

「どんな風に?」

 

「ちょっと、従順過ぎると言いますか・・・。」

 

この辺りで私は、

前芝さんの「実在」を感じ始めました。

 

まるで、本人が目の前にいるかのような、

感覚があります。

 

私は、その「実在」に意識を

向けました。

 

そして私も感じました。

あぁ彼は、相当に無理をしている、と。

 

「なるほど。

私も直観的に、彼はかなり無理をしている

気がしますね。」

 

「はい。

彼の素直さは、本当に素晴らしいと

思うのですが、実はかなりストレスを

得ているのではないかと、

少し心配になります。

いつも前向きだし、笑顔も絶やさないし、

ムードメイカーなんですけどね。」

 

「では、

直観的にお答えいただきたいのですが。」

 

「はい。」

 

「彼の真本音と、今の行動は、

ズレがありますか?」

 

一瞬、弓江さんは目を閉じました。

 

そして明確に答えました。

 

「ズレズレです。

・・・そうか。

ズレズレなんだ。

あれだけ頑張ってるのに・・・。」

 

「木村さんは、どう思われます?」

 

「そうですね。

彼はある意味、とても器用なんだと

思います。

時々、世渡りが上手いなぁ、若いくせに、

と思うことがあります。

でも、かと言って、不快に思うことは

ほとんどないのですよ。

彼の素直さの方が強調されている

気がします。」

 

恐らく、前芝さんという人は、

軽薄な人ではないのでしょう。

一つ一つの物事に、心を込めて

取り組むことは間違いないと思います。

 

しかしそこには、

魂が入っていない・・・。

 

心は込められているのに、

魂は、入っていないのです。

 

実は、こういったタイプの人を

私は随分と多く見てきました。

 

実は、こういった人ほど、

若いうちはまだ良いですが、

年齢を重ねるに従い、

かなりの強烈なストレスに

苛まれるようになるのです。

 

つづく

 

素直になるだけで、物事はどんどん進みます

木村さんと弓江さんの二人コーチングを

しています。

(→前回記事)

 

私が木村さんに、

最近の新規事業プロジェクトの様子を訊くと、

彼は

「実績が上がって来たのは順調だと思いますが、

本当に真剣な人とそうでない人の差が

出始めていますね」

と答えました。

 

これは非常に面白い視点です。

 

私はさらに木村さんに問いました。

「例えば、真剣な人はどなたですか?」

 

すぐさま彼が答えました。

「弓江です。」

 

目の前の弓江さんが

びっくりしたような表情をされました。

 

この素直さ。

 

ここまでの段階で結構、

弓江さんから責められていた木村さんでしたが、

素直に彼の答えが、ポンっと出ました。

 

間違っても、これは彼のその場しのぎの答え

ではありません。

本当に素直に出たのです。

これが、

真本音度合いの高まった人同士の会話の

特徴です。

 

「弓江さんの、どんなところが真剣ですか?」

 

「目的を忘れないところです。

何のために今、これをしているのか?をいつも

大事にしています。

そしてそのための意見を私に言ってくれます。」

 

どうやらこれは、弓江さん自身が本当に

大事にされていたことのようです。

彼女の表情が一気に柔らかくなったのが

わかりました。

 

何度も言いますが、

もしこの言葉を木村さんが建前で言っていたとしたら、

それはすぐに感覚としてわかってしまいます。

二人コーチングの場は、

「向き合っている場」だからです。

 

木村さんの素直な言葉であるからこそ、

弓江さんの表情は柔らかくなりました。

 

「では、木村さんの言われる真剣さ、というのを

別の言葉で表現するとどうなりますか?」

 

「主体的であることです。

自分で考え、自分で行動する、ということです。」

 

「弓江さんは主体的なんだ。」

 

「そうです。ですから、ありがたいです。

弓江の存在は。」

 

これも本当に心の底からのつぶやきでした。

 

もともと、私が弓江さんのコーチングを行なうきっかけと

なったのは、木村さんが弓江さんの存在を

「疎ましい」と思い、いっそのこと自分がリーダーを辞めよう

とまで思ったのがきっかけでした。

 

そんな木村さんだったのに、真本音状態になれば

まったく別の顔を覗かせます。

 

実はこれもよくあることです。

 

「弓江さん以外の人は、

その点、どうですか?」

 

「はい。人によって主体性は異なります。

主体性の高い人はいます。

でも残念ながら、そうでない人も出てきました。

私は、悩みました。

主体性のない人に主体性を取り戻してもらうために

どうすればいいか?と。」

 

「もともとは主体性のある人達だったんですよね?」

 

「はい。そういったメンバーが集まってますから。

でも恐らく、プロジェクトが発想段階から実行段階に

移ることで、未経験なことに向かうことに対して

恐怖感が出てしまっているのでしょうね。」

 

「なるほど。」

 

「そこで私が私なりに出した答えが、

まずは、皆が自信を持てるようにすることでした。

そのために、自分が指示を出し、実践してもらい、

何らかの成果を上げる。

そういった経験が彼らに必要だと思いました。」

 

「あぁそれで、木村さんがすべてを決めて

皆を動かしているわけですね。」

 

「実はそうなんです。」

 

ここで、弓江さんに振ります。

 

「弓江さん、

この木村さんのお話を聴いていかがですか?」

 

「本当に失礼な言い方になってしまいますが、

あぁそこまで考えていらしたんだ、と思い

ちょっと嬉しくなりました。」

 

この言葉は、言葉だけを見ると

かなり上から目線の失礼な言い回しなのですが、

これを口にしている弓江さんは

本当に嬉しそうな表情でしたので、

思わず場はホッコリとしました。

 

しかし弓江さんは続けます。

 

「木村リーダーの意図はわかりました。

ある意味、私もそれが大事かな、とも思います。

でも本当に、それだけで良いでしょうか?

私は、一度受け身になってしまった人は

そのクセが抜けなくなってしまうと思うんです。」

 

「なるほど。

では、どうでしょう?

弓江さんには、何か良いアイデアはありますか?」

 

「う〜ん。

それがわかればいいんですが。

私は木村にはいつも文句を言うのですが、

だからと言って対策を提案できるわけではないんです。

ただの評論家になっています。

それが、もどかしいんです。」

 

今度は、弓江さんが少し素直になってきました。

 

木村さんの表情が柔らかくなりました。

 

場が良くなってきました。

二人ともがオープンマインド状態です。

真本音度合いが高い人同士ですと、

この状態になるまでが早いのです。

 

ですから私は、まずは

一人一人の真本音度合いを高めることを

大切にしています。

あくまでもその上での

チームコーチングです。

 

さて、ここからが本番です。

 

場が良くなってきたところで、

私は、少し強めの刺激を二人に与えることにました。

 

ここからが

本当のコーチの腕の見せ所です。

 

つづく