2018年 6月 の投稿一覧

解釈を超えてゆこう

人が変化を始める時、

その変化が大きければ

大きいほど、

その兆しは

微小です。

 

変化の最初の芽。

 

それは

あまりにも小さく、

ほとんどの人が

その芽の存在に

気づきません。

 

もちろん

一番気づかないのは

本人です。

 

そして

せっかくの芽を

知らずに

踏みつけてしまう

ケースも多いです。

 

地中から、

チョンと

ほんのわずかだけ

頭を出したその芽に

どれだけ気づけるか?

 

これが

コーチとして

最も重要な力の

一つです。

 

・・・・・・

 

人はどうしても

悪いところ、

不足しているところ、

間違っているところ

などに

目が行きがちです。

 

ですからよく

「肯定的にその人を

見ましょう」

と言われます。

 

「その人の良いところを

見つけましょう」

とも言われます。

 

もちろんそういった

視点は大事ですが、

あくまでもそれは

視点の一つとして

大事なのです。

 

実はですね。

 

私は、

人を無理に肯定的に

見ることを

あまりお勧めしていません。

 

なぜなら、

肯定も否定も

「解釈」だからです。

 

見る側の

解釈。

 

それは

良いか悪いかの違い

だけで、

次元は同じです。

 

ですから、

いくら頑張って

人を肯定的に見ても、

心の中では

否定的な印象も同居し、

ただその否定的な

自分の意見にフタをするだけ

という状態となります。

 

これまでも

申し上げてきた通り、

心にフタをすると

ろくなことにはなりません。

 

「本当はAさんのここの

部分がいやだ」

という心にフタをしながら、

「Aさんって、こういうところが

素晴らしいよね」

とAさんに伝えても、

むしろ、

フタをしている否定的な印象が

空気感となって現れ、

Aさんに伝わります。

 

すると

Aさんはこう思います。

 

「この人、口ばっかだな」

とか

「なんかこの人

嫌味ったらしいな」

と。

 

これでは

意味がありませんね。

 

・・・・・・

 

私がお勧めするのは

 

「あるがままに

その人を観る」

 

ということです。

 

こう書くと、

とても難しいように

思われるかもしれません。

 

でも実は

これが最も楽ですし、

慣れれば最も

簡単です。

 

実は、

肯定的に人を見よう

とする人ほど、

その人の本質的な魅力に

気づくことができません。

 

なぜならあくまでも

自分の解釈でしか

その人を見ていないから。

肝心な部分が

観えなくなるのです。

 

解釈を超えた

・・・というよりも

解釈を手放した見方

(つまり、「観方」)

が大切で、

それができると

その人の素敵な箇所に

どんどん気づけますし、

先ほど書きました

「変化の芽」

も観逃さなくなります。

 

そして私は、

コーチだけでなく、

すべての人が

「人をあるがままに観る」

ことができるようになると

いいなぁ、と

心底、願っています。

 

はっきり言って

それだけで

世の中は平和になるかも

しれません。

 

人と人との

ぶつかり合いとは、

解釈のぶつかり合いでしか

ないですからね。

 

今はそこを

超えていくことを

私達は求められているのでは

ないでしょうか。

 

つづく

 

あなたは自分と出会えてますか?

いつも私が申し上げること

ですが、

私達が存在している

この3次元の世界は、

すべてが分離している

世界です。

 

分離すればするほど、

次元は下がるわけですが、

分離がいけない

ということではありません。

 

分離をしているからこそ

得られるものは

多いです。

 

学べることも

多いです。

 

例えば、

私とAさんは

別人です。

お互いに分離した存在です。

 

しかし

Aさんと向かい合っていますと、

ある瞬間に

「あっ、一つになれたな」

とわかるタイミングが

きます。

 

そうなると

その時点から

Aさんとのコミュニケーションは

極めて楽になります。

 

Aさんの意図や、

言わんとしていることや、

意図を超えた願いとか、

そういった

「あらゆるものが」

まるで手に取るかのように

わかるようになります。

 

ただし、

「わかる」といっても

それは言語化されたもの

ではなく、

あくまでも「感覚」

です。

 

感覚的に

「すべてをわかり合えた」

と思えるのです。

 

その状態は

しばらく続きます。

 

するとその時間は

実に創造性に富んだ

ものとなります。

 

直観や確信は

もちろん次々に

湧いてきますし、

今後の自分達の歩みにおける

大切なヒントを

見出せたりもします。

 

以前は私は

この状態を意図的に

創り出すことが

できませんでした。

 

でも今は

ほぼ毎回、この状態に

入れます。

 

とはいえ、

相手もいることですから

あくまでもAさんの心や

体の状態によって

対応を変えます。

 

Aさんの心が

反応本音やエンティティに

まみれてしまっているときは

「一つ」になるには

かなりのエネルギーを要しますので、

そういった場合は

あまり無理はしません。

 

大切なのはやはり、

まずは自分自身の

真本音度合いが高まること、

そして、

Aさんの真本音度合いが

高まること。

 

そうなればなるほど

簡単に

「一つ」になれます。

 

・・・・・・

 

相手と一つになれる

コミュニケーション。

 

これを私は

「真本音コミュニケーション」

と呼んでいますが、

この力をつけるための

最短の道が

セルフコーチング力を高める

ということなんです。

 

セルフコーチングというのは、

自分自身の様々な

心と向き合います。

 

それをまるで

他人のように

観察したり感じたり

対話をしたりします。

 

その客観性に慣れて

きましたら、

今度は、

客観的になれた自分に対して

「一つ」になることを

するのです。

 

えっ?どういうこと?

と思われるかもしれませんね。

 

自分の心と分離し、

客観性を高めた上で

また一つになる。

 

・・・じゃあ最初から

自分の心は自分なんだから、

一つなんだから、

わざわざそんなこと

しなくてもいいんじゃないの?

 

そう思われるかも

しれないですね。

 

でも、

違うんです。

 

最初から一つである自分自身の

心のままにいることと、

あえて分離して

また、意図的に一つになるのとでは

本質的にまったく

異なる状態になるのです。

 

なぜなら実は、

私達は本当は

最初は自分の心と

「一つ」になれているわけでは

ないからです。

 

「一つ」になっていると

思い込んでいますが、

実はそれは

「ズレて」います。

 

そう。

 

「ズレている」という表現が

最も正確です。

 

自分の心なのに

自分は心と

「ズレた」関係になっている

のです。

 

そのまま私達は

毎日を生きているのです。

 

ですので、

いったん分離し、

その上でしっかりと

「一つ」になる必要があります。

 

すると、

私達は私達自身の心を

「ありあり」と

感じ取り、理解することが

できるようになります。

 

あぁ私は、

こんなことを思っていたんだ、

こんなことを願っていたんだ、

こんなことで苦しんでいたんだ、

こんなことを喜んでいたんだ、

・・・というように

自分自身のことを、

初めて理解できるのです。

 

それを、

あるクライアントさんは

「自分とやっと出会えました」

と表現されました。

 

そうです。

 

私達の多くは、

まだ

「自分と出会っていない」

のです。

 

自分なのに

自分と出会わないままで

人生を進めているのです。

 

それって、

変ですよね。

 

健康な状態とは到底

言えません。

 

・・・・・・

 

以上のように、

セルフコーチングは

自分自身と

・分離したり

・一つになったり

を自由自在に織り交ぜながら

自己理解を進めます。

 

そしてその中で、

自分の

・真本音の意思と

・反応本音の意思を

区別します。

 

そして

・真本音の意思で動く

度合いを高めていきます。

 

それをすることで、

私達はより

「本来の自分らしく」

なれますし、

「自分の本当に望む人生」

を生きることが

できるようになるのです。

 

つづく

 

不安や恐怖に苛まれたら・・・

心の中に、

未来に向かう不安や

恐怖や、

絶望感がどうしても

出てしまう時、

まずは次の二つの区別を

してみてください。

 

一つ目の区別。

 

それは、

「この心は、

私の心だろうか?

それとも

誰か他の人からもらった

心だろうか?」

 

の区別です。

 

だいぶ以前にこのブログで

「エンティティ」について

書かせていただきました。

 

エンティティとは、

ストレスの濃度がある一定の

水準を越え、

ストレスが物質化(に近い状態)

したもの。

 

日本語では

「生き霊」

と訳される怖そうなものですが、

しかしエンティティは

誰もが多かれ少なかれ

常に持っています。

 

エンティティがゼロの人は

私はこれまで

一人もお会いしたことは

ありません。

 

ですので、

それほど怖いものでは

ありませんが、

このエンティティ、

まるで風邪のウィルスのように

人から人へ

伝染します。

 

未来に対する不安や

恐怖や絶望感が

なぜ起こるのかがよく

わからない時は、

恐らく、複数人の人から

そういったエンティティを

受け取ってしまっています。

 

みんなの不安を

少しずつ合わせて

受け取ってしまい、

大きな恐怖や絶望感として

感じてしまっているのです。

 

自分の心ではないのに、

不安や恐怖があるのは

なんか、イヤですよね。

 

この場合は、

不安や恐怖が

体のどの辺りに憑いて

しまっているかを

特定してください。

 

時には、

体全体を

エンティティが覆って

しまっているかも

しれません。

 

場所を特定したら、

そこに意識を向けて

ください。

 

するとそこに

何かが観えたり、

存在を感じたりすると

思います。

 

そしてそこに、

あなたの

「愛のパワー」を

送ってください。

 

エンティティを

「よしよし」と

子供をあやすようにし、

「私の愛だよ」

とエンティティに向かって

エネルギーを照射するような

イメージをすればよいです。

 

するとそのエンティティは

浄化されます。

 

逆に言えば、

このやり方で浄化されるならば、

それはエンティティだった

ということになります。

 

・・・・・・

 

さて、

二つめの区別です。

 

もしその不安や恐怖が

エンティティではなく、

自分自身が発生させて

いるものならば、

(つまり、上記の方法で

浄化できないならば)

 

その不安や恐怖は、

①単なる反応本音か?

それとも、

②真本音と結びついた

反応本音か?

 

の区別をしましょう。

 

これのやり方は

簡単です。

 

まずは自分の真本音の場所

を特定します。

 

つまり、

お腹の奥の体の中心と

頭のてっぺんの中心を

結び、中心軸をイメージ

します。

 

そしてその中心軸の上の

どこかに

「ここが私の中心核だな」

と思える場所を

特定します。

それが、

真本音の場所です。

 

この特定がすぐにでき、

しかも真本音の存在を

強く感じるのであれば、

②である可能性が高い

です。

 

つまりは、

その不安や恐怖は

自分が真本音でわざと

自分にもたらしているもの

ということです。

 

その場合は、

この不安や恐怖そのものに

とても大切な意味が

ありますので、

そのままにします。

 

ちょっと辛いですが、

不安と恐怖を感じるままで

過ごしていきます。

すると必ずどこかで

大事な気づきやひらめきや

成長へのヒントを

得られるでしょう。

 

さて、そして、

真本音の存在を感じられない

場合は、

それは①です。

つまり、

単なる反応本音です。

 

あなた自身が

反応本音として

発生させている不安や恐怖

です。

 

この場合は普通に、

「自分は何に恐怖しているか?」

を自分に問いかけて

ください。

 

普通に頭で考えれば

よいですが、

もしどうしても答えが

わからない場合は、

エンティティの時と同じように

その反応本音の場所を

特定して、

その場所に

「何が不安なの?」

と問いかけてください。

 

そして答えが返ってくるまで

待ちます。

 

ただし、

①の場合はほとんど、

不安の原因は

あなた自身がよくわかって

いるはずです。

しっかりと考えれば。

 

原因がわかったら、

無理に反応本音を

無くそうとせず、

普通に、

「どうすればその不安を

取ることができるだろうか?」

を考えてください。

 

その発想ができない場合は、

自分の真本音に

問いかけてみてください。

 

不安や恐怖が

単なる反応本音の場合は、

自分の行動で持って

(つまりは現実への働きかけにより)

不安を取るのが一番です。

 

そこを逃げずに

立ち向かっていけば、

自然にあなたの

真本音が発動します。

 

反応本音から

逃げれば、

その反応本音は

エンティティ化し、

さらに不安や恐怖は

大きくなります。

 

反応本音と向き合い

理解できれば、

あとは行動です。

 

・・・・・・

 

以上をまとめますと、

不安や恐怖や絶望感は、

 

・エンティティ

・自分の反応本音

・自分の真本音がもたらしているもの

 

の3つに分かれます。

 

それらをきちんと区別することが

次の一歩の

大きな指針となります。

 

以上は

セルフコーチングの基本

です。

 

ご参考までに。

 

つづく

 

実はみんな自己不信です

私達の心の中には

よ〜く丁寧に意識を向けると、

実に様々な

心の声が存在しています。

 

たった一つの

事象でも、

それを見た瞬間から

様々な心の声が

発生します。

 

人にもよりますが、

最低10個の

心の声は

発生するはずです。

 

10個、

つまりは10種類。

 

それぞれの心の声は

それぞれ別人格の

自分から

発せられます。

 

私達の心の中には

いくつもの

人格が存在して

いるのです。

 

多重人格というのは、

ある特定の人を

指したり、

精神的な疾患を

表したりするものでは

ありません。

 

私達は誰もが

多重人格者。

 

たくさんの自分が

心の中に

住んでいます。

 

心とは

チームのようなもの。

 

「私の心」

というチームです。

 

そして、

チーム員のすべてが

一つの事象に対して

それぞれの心の声を

発します。

 

ですから心の中では常に

10人以上の発する

心の声が、

渦巻き

反響しています。

 

それが私達の

普通の状態です。

 

・・・・・・

 

ところが、

その10人以上の自分の

心の声を

きちんとすべて

把握している人は

ほとんどいないでしょう。

 

多くの人が、

10人の内の一人か、

二人か、

多くて3人か、

それくらいの心の声

しか聴いていません。

 

10人中、

3人くらいまでしか

自分の声を

聴いていないのです。

 

もうその時点で

私達の自己理解は

不足しています。

 

そして、

自分という人間への

誤解が始まります。

 

10人中3人は

理解してもらえる。

しかし、

残りの7人は

理解してもらえない。

 

理解してもらえない

人達の心は

どうなるでしょうか?

 

もちろん、

それは一般的な

人間関係と同じです。

 

それは

「不信」

となります。

 

つまり信頼関係が

崩れます。

 

要するに

「自己不信」

というやつですね。

 

どうでしょうか、

私の現場感覚で言えば、

9割以上の人が

「自己不信感」

を持っています。

 

もちろん人によって

程度の差はありますが。

 

自分で自分を

本当に信頼している人

には

滅多なことでは

お目にかかれません。

 

ちょっと怖い言い方を

すれば、

今のこの世の中は

自己不信者の集まり

です。

 

自己不信の人が

他者を信頼することは

当然ながらできませんね。

 

人との信頼関係を

構築しようとするならば、

まずは、

自分自身との

信頼関係が必須です。

 

そこを誤魔化しながら

人と向き合っても、

それはやはり、

誤魔化しの関係しか

生みません。

 

かなり極端な言い方を

していますが、

決して大袈裟では

ありません。

 

私がどの企業様の

サポートに入るにしても、

必ず、

自分自身と向き合うこと、

つまりは

各々のセルフコーチング力を

高めるところから

スタートするのは

このためです。

 

・・・・・・

 

セルフコーチングの

最初のステップは、

この、

自分の中にいる

10人以上の自分を

知ることです。

 

ところが、

これが怖い。

 

これまで見たことのない

自分を見るのを

人は極度に恐れます。

 

ですから私は

皆さんに

「真本音」の存在を

お伝えします。

 

自らの「真本音」の

感覚を得ていただきます。

 

すると、

「真本音」は

非常に安定していますから

私達はその安定感によって

安心します。

 

そしてようやく、

10人の自分と向き合える

ようになります。

 

10人の自分。

つまり、それらはすべて

「反応本音」

です。

 

自分の中にある

たくさんの人格、

「反応本音」。

 

そして、その中心に

位置する

「真本音」。

 

この二つの存在と

二つの区別を

つけることで、

私達の自己理解は

一気に進み、

自己不信は

一気に取り払われます。

 

これが

自分を大切にする

ということの

第一歩であると

私は強く思います。

 

つづく

 

今この瞬間の冒険をしよう

私達の人生には

「今」

しかできないことが

あります。

 

そして、

「今」

してはならないことも

あります。

 

今は、

何をするための

この瞬間なのだろうか?

 

この、極めて重要な問いを

自分に投げながら

生きることが大切ですが、

 

それをし続けるのも

疲れますね。

 

そんなことを考えるよりも

もっと

「自由」

に今を生きたい、

 

と考える人が

ほとんどではないでしょうか?

 

今の意味を

大切にしたい。

 

でも、

今を自由に生きたい。

 

この二つの想いは

相反するもの

でしょうか?

 

いえ、

違いますよね。

 

今の意味を

大切にすることと、

今を自由に

生きることとは、

 

本質は

同じです。

 

「一つ」

のことです。

 

なぜなら

この二つを同時に

大切にすることこそが、

「真本音で生きる」

ということですから。

 

・・・・・・

 

「真本音で生きる」

とは、

・今ここでしかできないこと

をして、

・今ここではしてはならないこと

をしない

ことです。

 

しかしそれを

頭で考えながら判断するのでは

ありません。

 

今を生きるとは

瞬間瞬間を生きることです。

 

0.1秒、0,01秒、0.001秒・・・

の瞬間瞬間です。

 

そのスピード感に

臨機応変に対応できるようには

私達の頭(顕在意識)は

できていません。

 

むしろ

頭で判断しようとすると

「今」を逸します。

 

頭と心は

「自由」にすることが

重要です。

 

頭と心が

「自由」になるからこそ、

私達の真本音は

発動します。

 

すると、

「今、これをしよう」

「今、これはやめよう」

という直観が

自然に湧き続ける状態と

なります。

 

その「直観」こそが

真本音の意思であり、

私達自身が

本当に望んでいる

今この瞬間の選択です。

 

セルフコーチングとは、

その状態を創り出す

ためのものです。

 

・・・・・・

 

セルフコーチングと

言いますと、

これまでも書かせて

いただきました通り、

 

自己対話

であったり、

 

自分に

「問うて、待つ」

であったり、

 

いったん止まって、

ゆっくりと自分と向き合い、

自分との

会話をする

というイメージが強いと

思います。

 

もちろんそれも

重要ですが、

それはあくまでも

セルフコーチングの一部であり、

一つのステップに

過ぎません。

 

本当の自己対話とは

今を生きている

この瞬間、この瞬間

にこそ必要なものです。

 

いったん止まらなければ

自己対話できない

ということでは、

セルフコーチングの意味は

ありません。

 

頭で意図的に

自己対話しなくとも、

常に

真本音の自分自身と

対話し続けている状態を

創る。

 

それが

セルフコーチング力を高める

最初の目標です。

 

そのためにはやはり、

訓練や練習が

必要です。

 

しかしその訓練や練習は

とても楽しいものです。

 

その楽しさと、

セルフコーチング力が

高まっていく悦びを、

私は多くの皆様に

ご体験いただきたいなと

思っています。

 

・・・・・・

 

セルフコーチング体験とは

自分探検そのもの。

 

そして自分探検とは、

心の中の探検をする

だけではなく、

 

現実世界における

自分探検こそが

重要です。

 

自分の心と向き合ったら、

こんな発想があった。

 

その発想を

行動に移したら、

こんな風に現実が変わった。

 

すると私自身が

こんな風に変化した。

 

すると皆が

変化し始めた。

 

また、現実が変わった。

 

また、私の発想が

変わった。

行動が変わった。

 

皆が変わった。

 

現実が変わった。

 

いったい、私は

どこまで

行ってしまうのだろう?

 

・・・と、

まるで冒険の旅に

出るかのような

現実体験こそが、

セルフコーチング体験です。

 

そのためのサポートが

私の役目。

 

今後、私もますます

加速します。

 

つづく

 

私のコーチングの隠れテーマ

母親の胎内から

自分がこの世に生まれる

その瞬間のことを

記憶している人は

そうそういないと思います。

 

もちろん私も

覚えていませんが、

でも、

生まれるその瞬間の

自分の

「決意」

のようなものは

明確に記憶しています。

 

と言ってもそれは

もともと覚えていたものではなく、

ある時、

セルフコーチングをしていた

最中に、ふと

思い出したのです。

 

それは、

強烈な決意

でした。

 

「覚悟」

と言ってもよいでしょうね。

 

あぁ私は

これだけの決意と

覚悟をもって

人生を始めたんだな、と

感動しました。

 

しかし当然ながら

これは私だけのことではなく、

恐らくすべての人が

同様の

決意と覚悟をもって

この世に誕生したのでしょう。

 

しかし

それを覚えている人は

ほとんどいない。

 

のみならず、

自分は生まれなければ

よかった、

と思ってしまっている人が

多いのも事実です。

 

・・・・・・

 

自分は

生まれなければ

よかった。

 

自分は、

自分であることが

いやだ。

 

自分を

なくしたい。

 

自分が

嫌いだ。

 

このような言い方で書くと

「そんなことを思っている

人は可哀想だなぁ」

という印象を持たれると

思うのですが、

 

実は、

ほぼすべての人の

心の中には

この気持ち達が

多かれ少なかれ

存在しています。

 

「いやいや、私の中には

ありませんよ」

と言う人ほど

大きかったりします。

 

ちょっと怖い言い方

ですが、

私はこの気持ちのことを

 

「殺(さつ)」

 

と呼んでいます。

 

「自分で自分を殺そう」

とする意識だからです。

 

もちろんこれは

反応本音の一種です。

 

しかし、

私達の心の奥底にある

最も大きな

反応本音であり、

反応本音の「ラスボス」

と言ってもよいものです。

 

私がコーチングなどの

サポートをさせていただく場合、

まずはこの「殺」を

いかにその人自身が

浄化できるか?が

最初のテーマとなります。

 

最初のテーマと言っても

それをクライアントさんに

お伝えするわけでは

ありません。

 

私の中にのみ留めておく

隠れテーマ

です。

 

で、コーチングなどを

続けていますと、

ある時ある瞬間に

明確に

「あっ、今この人は

自分の殺を浄化できたな」

とわかります。

 

ここからが

ある意味、

その人の本当の

真本音人生のスタート

だと言えます。

 

この状態になるまでは、

どうしても

その人の「殺」が

その人の歩みを

妨害します。

 

でもこの話は

クライアントさんには

まずしません。

だって、

怖いでしょ?

 

怖いし、

「自分を殺そうとする気持ちがある」

なんて言ったら、

そこを意識しすぎてしまい、

余計にそこに執着してしまう

可能性の方が

高いからです。

 

しかしなぜ

こういったことを今ここで

公表しているかと

言いますと、

もはやこういったことを

隠している場合ではない、

という想いの方が

強まったからです。

 

こういった少し怖いことも

すべて引き受けて、

セルフコーチングしながら

自分の真本音の道を

自ら進む術を

お伝えすることこそが、

これからの時代には

必要であると

思うようになったからです。

 

「殺」だろうが何だろうが、

反応本音は

反応本音です。

 

反応本音とは

真本音に比べれば

圧倒的に弱いものです。

 

かと言って、

真本音vs反応本音

ということでもありません。

 

真本音は

すべての反応本音を

愛します。

 

それはつまり、

自分が自分を

愛する、

ということです。

 

当然それは

自己満足でも

ナルシストでも

ありません。

 

自分の心を根底から

満たす

真実の愛です。

 

やはり、

すべての人の

真本音度合いが高まるといいな、

と思います。

 

つづく

 

迷っている心で決めてはいけない

私にだって

「迷い」はしょっちゅう

あります。

 

というよりも、

24時間、

迷い続けていると

言ってもよいでしょう。

 

しかし、

迷っているその心は

「反応本音」

です。

 

私は、それをよく

知っています。

 

ですから、

迷っている心は

そのままに

放っておきます。

 

Aか?Bか?

と迷った時に

どうしてもそのどちらかの

答えがほしくなりますが、

そこで、

答えは出しません。

 

迷いの心は

迷いの心

だからです。

 

迷いの心は

迷うために

そこに存在しているから

です。

 

迷いの心は

迷うという

その行為だけで

その存在意義を

果たしているからです。

 

迷いの心に、

「決めさせて」は

いけません。

 

迷っているだけで

完了。

 

それ以上の

役割は

ありません。

 

「迷ってくれて

ありがとう」

 

それだけです。

 

・・・・・・

 

その一方で、

「決める心」

もあります。

 

いえ、

正確に言えば、

「すでに決めている心」

です。

 

いえ、

もっと正確に言えば、

「すでに最初から

決めている魂」

と言った方が良いかな。

 

心は

迷えばいい。

 

そして、

 

魂で

決める。

 

のです。

 

魂の意志を

「真本音」

と言います。

 

基本的に、

魂に「迷い」は

ありません。

 

本当のことを言えば、

魂にも「迷い」は

あるのですが、

ちょっとこれはまた

次元の違う話ですので、

話がややこしくなるので

ここではあえて

短絡的に表現します。

 

魂に「迷い」は

ありません。

 

魂には

「願い」や「祈り」が

あります。

 

願いの一点。

 

祈りの一点。

 

原点。

 

それが魂です。

 

真本音の願いとは

魂の願いであり、

それは人生の願い

です。

 

それは

一生、揺らぐことは

ありません。

 

そしてその一点から

現実世界における

あらゆる場面においての

「答え」を

持っています。

 

その「答え」と

出会うことで

私達は

「確信」

を得ます。

 

確信とは

100%の意志であり

選択です。

 

どれだけ

反応本音が迷っていても、

その一方で

真本音の確信は

在り続けます。

 

反応本音で

迷ったら、

反応本音で無理に

答えを出すのではなく、

 

すでに存在している

真本音の答え、

確信の答えを

自分の中から

導き出せば

よいのです。

 

それをするのが、

セルフコーチング

ということですね。

 

つづく

 

みんなが真本音と語り合えればいいな

私達が人生において、

意図的にできないことは

数多くありますが、

その代表的なものの一つは、

 

「出会い」

 

ですね。

 

これだけはどうしても

意図や思惑では

実現できません。

 

そして、

意図的にできない

もう一つ代表的なものが、

 

「他者からの一言」

 

です。

 

しかし、

私達の人生において

非常に重要な転機の

きっかけとなるのが、

この

「出会い」

「他者からの一言」

ではないでしょうか。

 

あの人のあの一言が

なければ、

今の自分はない。

あの一言がなければ、

自分の人生は

まったく違った展開を

していただろう。

 

・・・そういったことが

誰にでもあるのでは

ないでしょうか。

 

もし仮に、

意図的にそれらを

得ることができたとしたら、

逆に

人生を変えるほどの

インパクトは

ないはずです。

 

私達の人生は、

意図を超えたところで

展開していきます。

 

その事実を

謙虚に受け止める

必要があるのでは

ないでしょうか。

 

・・・・・・

 

とは言え、

その「出会い」も

その「他者からの一言」も

偶然の産物では

ありません。

 

すべてが必然

です。

 

すべてが必然ですが、

その必然を

意図的に起こすことが

不可能だと言うことですね。

 

では私達はいったい

何を

意図すれば

よいのでしょうか?

 

実は、

その問いに対する

とてもシンプルな

答えを

私は持っています。

 

「私は」というよりも、

それが自然の摂理だと

思うのですけどね。

 

その答えは

簡単です。

 

「真本音に素直に

生きること」

 

これ以上でも

これ以下でも

ありません。

 

自らの真本音に

一歩一歩

素直に生きている人には

必然的なことが

本当に必然的に

起こります。

 

必要な「出会い」が

必要なタイミングで

起こります。

 

不必要なことは

起こりません。

 

そして、

必要な「他者からの一言」が

必要な瞬間に

プレゼントされます。

 

それはまさしく

プレゼントです。

 

そのプレゼントが

あった直後に、

そのプレゼントが

もしなければ

到底くぐり抜けられないような

出来事に放り込まれた、

あぁあの一言があって

本当によかった!

ということが、

皆さんにもあるはずです。

 

それが

日常茶飯事のように

普通に日々

起こるようになるのが、

真本音で生きている人の

ありがたい現実です。

 

ですから、

感謝ばかりが

湧き起こります。

 

感謝とは

無理に意図的に

するものでは

ありませんね。

本来は。

 

自然に

泣けてくるくらいの

勢いで

心の底から

湧き上がるのが

感謝の想いです。

 

誰かに対する

本気の感謝の想いは

自分自身を

本当に幸せに

してくれます。

 

感謝しなければ!

ではないですね、

本当は。

感謝は

自然に湧くものです。

 

・・・・・・

 

真本音で

生きましょう。

 

迷ったら、

自らの真本音に素直に

行けばよいのです。

 

それ以外の

「最善」は

ありません。

 

そしてそれができる

ためには、

自らの真本音と

きちんと向き合い、

語り合えることが

必須です。

 

それが

セルフコーチング

です。

 

本当は、

「セルフコーチング」

などという

なんか特別な感じのする

手法など

必要ないんですけどね。

 

人が人として

普通に健全に

生きることができれば

自らの真本音の意思は

必ずキャッチできる

ものですけどね。

 

でも、

残念ながら

それがなかなかできない

今の社会です。

 

多くの人達が、

自分自身の真本音の

意思を知らないままに

もがいています。

 

普通に生きましょう、

と言っても、

普通じゃない生き方を

してしまいます。

 

ですからあえて

「セルフコーチング」

などと、言わなければ

なりません。

 

コーチも

セルフコーチングも

必要ない世の中になれば

いいなぁと

思います。

 

でもそうなるためにも

コーチや

セルフコーチングが

必要ですね。

 

・・・・・・

 

来月か、再来月に

新しい

セルフコーチング系の

公開講座を

始めようと思っています。

 

ただ、

講座というと、

どうしても受講料も

かかりますし、

時間をとって

わざわざ出かけなければ

なりません。

 

もちろんそれが

ベストだとは思いますが、

「講座に来なければ

何もわからない」

という状態はどうかな?

と最近、

思い始めました。

 

そこで、

まずは動画を配信しようと

思っています。

 

それをご覧いただいても

特にお金はかかりません。

 

動画をご覧いただき、

自分なりに

セルフコーチングを

していただき、

それでも

「もっとしっかりと学びたい」

と思った人のみが

講座に来れるような、

そんな仕組みにしようと

思っています。

 

そういったやり方を

しないと、

なかなか「真本音」は

広まらないな、

と思っています。

 

多くの人が

どんどん

「真本音」の存在を知り、

どんどん

自分自身と向き合い、

自らの

本当に望む人生に

舵をとってほしいな

と、

心より願っています。

 

つづく

 

反応の一歩ではなく、毅然の一歩を

どんなに混沌とした

現実の中でも、

次の一歩

次の一歩

を一つずつ、

真本音で踏み出し続ければ、

必ず道は

開かれて行きます。

 

そしていつの間にか、

あれだけ混沌と混乱を

感じていた物事が

実は極めてシンプルな

原因の反映だったことが

わかるようになります。

 

シンプルな原因とは

これまた逆に

シンプルが故に

解決の難易度が

高く感じられますが、

しかし毅然とその原因に

向き合い続けることが

また大切です。

 

毅然と向き合い、

そして

次の一歩を

真本音で決める。

 

その連続で

道は開かれて

行きます。

 

そして気がつけば、

あれ?

何が問題だったっけ?

と、

知らぬ間にその問題を

くぐり抜け、

いつの間にか次の課題に

取り組んでいた

ということも少なくありません。

 

複雑な問題を

より複雑にさせてしまうのは、

目の前に現実に

揺らされてしまった

反応としての

次の一歩です。

 

要するに、

反応本音による

一歩です。

 

それは次の新たな

反応を呼び起こします。

 

反応に反応し、

また次の反応を起こし、

また反応する。

 

反応のループ。

 

それにどっぷりと

浸かってしまうと、

いつまで経っても

出てこれません。

 

下手をすると、

そのループの中に

いるままで、

人生を終えてしまうことも

あります。

 

反応のループから

抜け出ること。

 

抜け出るには

抜け道をしっかり

見つける必要はなく、

反応に踊らされない

毅然とした一歩を

踏み出すこと。

 

次の一歩が

わかればよいのです。

 

それが

真本音の一歩であり、

それを続ければ、

だんだんと

遠くを見通せるように

なります。

 

そのためには、

自らの真本音の意思を

自らが

理解できること。

 

自覚できること。

 

それが

セルフコーチングの

重要な目的の

一つです。

 

・・・・・・

 

では、

 

『セルフコーチングを使った

良い後悔の仕方』

 

の続きをいきましょう。

 

後悔の念としっかり

向き合った上で、

今度は

真本音との対話に

入りました。

 

真本音の場所を特定し、

その声を聴くという

ところです。

(→【あなたの中心核はどこだろう?】)

 

「ここまでの

私と、私の後悔の念との

対話を聴いていて、

どんなことを思った?」

 

そんな問いを

真本音に投げ、

その答えが返ってきたら、

次の問いを投げます。

 

それは、

 

「君が願っていることは

何だろう?」

 

です。

 

「君」というのはもちろん、

真本音のことです。

 

真本音とは

自分自身ですが、

やはりここでも

まるで他人のように

会話をするのがポイントです。

 

ここで言う

「願っていること」というのは、

後悔したその出来事について

願っていること、

という意味です。

 

例えば、

Aさんとのやりとりで

後悔するような一言を言い、

Aさんとの関係が

崩れてしまった、

とします。

 

その後悔の出来事について、

自分の真本音は

何を願っているか?

ということです。

 

例えば、

 

「Aさんとの関係を

何としてでも改善したい」

 

とか、

 

「Aさんとの関係が改善するか

どうかは別として、

あの一言については

きちんと謝罪したい」

 

とか。

 

そういった、

今後の自分の行動に関する

方向性や

具体的な行動が

答えとして返ってくることが

多いと思います。

 

それは、

本当に会話をしているかの

ように、

「声」として返ってくることも

ありますし、

答えが自然に心の中心核から

浮上してくることも

あります。

 

私の場合、

時と場合で両方あるのですが、

答えが浮上してくる時の感覚は

何とも言えない

いい感覚です。

 

その感覚を表現すれば、

一番近い言葉は

 

「思い出す」

 

でしょうか。

 

まるで忘れていたことを

思い出すかのような感覚で

答えが浮かび上がってきます。

 

あぁそうか、

確かにそうだった、と

合点がいくかのような

感覚で、

その答えに一切の

迷いはありません。

 

それを私は

「直観」

とも呼んでいます。

 

直観とは要するに

真本音からの答え

なのです。

 

しかし慣れないうちは、

すぐに真本音の答えを

キャッチできないかも

しれません。

 

その場合は、

何度も問いを自分に投げ、

答えを待つ、

ということが基本ですが、

もう一つお勧めの方法を

お伝えします。

 

それは、

あえてもっと根本的な問いを

真本音に投げてみる、

ということです。

 

先程の

「君が願っていることは

何だろう?」

という問いは、

後悔した出来事に関する

願いを訊いていました。

 

しかしもっと

根本的な問いに

変えてみるのです。

 

例えば、

 

「君が人生において

いつも願っていることは

何だろう?」

 

などのように。

 

根本的な問いにする方が

答えは難しそうな印象ですが、

根本的な問いは

答えが抽象的になりやすく、

真本音の場合は

そういった抽象的な答えを

掘り起こす方が

難易度が低くなるのです。

 

根本的な問いを投げ、

たった一つのキーワードで

よいですから

キャッチしようとします。

 

「君が人生において

いつも願っていることは

何だろう?」

 

すると例えば、

 

「楽しさ」

 

というような

キーワードが浮かんだり

します。

 

すると、それを使い、

 

「では今回も、

楽しさを大事にすると、

君は、今回の出来事について

何を願う?」

 

というように問います。

 

すると

「楽しさ」という言葉が

アンテナの役割を果たし、

真本音からの答えを

キャッチしやすくなるのです。

 

この特性を活かし、

私は初めて真本音と対話を

する人については、

「真本音の人生理念出し」

というセッションを

行ないます。

 

「自分はどんな時も

どんな生き方を大事に

したいか?」

 

を真本音に問い、

キーワード化します。

 

それを「人生理念」と

呼ぶのですが、

この人生理念をアンテナにして

常に真本音と

対話をしてもらうように

するのです。

 

真本音との対話で

気をつけていただきたいのは、

真本音と対話をしているつもりで、

実は単に頭の中で

解釈を繰り返しているだけ、

という人がいます。

 

頭の中の思考や解釈と

真本音との対話は

根本的に異なる行為です。

 

この区別がつくように

なることが、

セルフコーチング力を高める

最初の関門です。

 

つづく

 

人は内側から変わってゆく

かつての伝説的な

ボクシングの世界王者

モハメド・アリの

ファイトスタイルは、

 

「蝶のように舞い、

蜂のように刺す」

 

と形容されていました。

 

最近、よく思うのです。

私も似たような

スタイルかな、と。

 

もちろん私は

人と闘っているわけでは

ありません。

 

でも、

日常茶飯事に

思うことがあります。

 

「この人は

難攻不落だな」

と。

 

つまり、

「この人はもう

絶対に変わらないのでは

ないかな」

という印象です。

 

ここで言う

「変わらない」

というのはもちろん、

「本来のその人には

戻れそうもないなぁ」

という意味です。

 

無理に別人格に

変えようとしているのではなく、

その人が

自らの真本音に素直に

生きる状態に戻す

ということが

ほぼ不可能に近いなぁ

と思ってしまう、

という意味です。

 

でも先程も

書きました通り、

そういった「難攻不落さ」を

感じるのは

日常茶飯事です。

 

じゃあその

難攻不落な人を

どう変えるのか?

 

その人を変えるのが

私の仕事ですし、

そういった成果を

出さねば、

私はプロとして

評価されないわけですから

何としてでもそれを

成さねばなりません。

 

もちろん

私が評価されるために

ということよりも、

その人が変わらないと

その会社そのものが

ダメになってしまう、

という切実な理由の方が

圧倒的に大きく、

 

「彼が変わってくれれば、

我社は本当に

素晴らしくなるのに」

 

という

切実な想いは、

どこの会社にも

必ずあります。

 

しかしご承知の通り、

「人が人を変える」

なんてことは

傲慢の極みです。

 

それができている

と勘違いしている人も

いますが、

それは本当に

勘違いです。

 

人は、

自らが変わろうと

本気で思わない限り

決して

変わりません。

 

もちろん、

表面的に変わった

ふりをしていたり、

変わったつもりに

なっているケースは

ありますけどね。

 

人は、

自らを

変えていく。

 

自らを

変えようとしなければ、

変わらない。

 

つまり、

人は

外側から変えることは

不可能で、

内側から

変わることしか

できません。

 

その

「内側から変える」

のが

私の役割です。

 

その視点で

みたときに、

「あぁこの人は難攻不落だ」

と思うのです。

 

そういう人が

いっぱいいます。

 

で、

結果として私が

やっている最も有効な

手段が、

「蝶のように舞い、

蜂のように刺す」

ではないか、と。

 

つまり、

ここぞ!という瞬間に

ジャブを打つのです。

 

もちろん

闘っているわけでは

ありませんので、

表現を変えれば、

「刺激を入れる」

のです。

 

「刺激」とはもちろん、

パンチを放つわけでは

ありません。

 

その人にとっての

「刺激」となる

「一言」

をお伝えするのです。

 

それは、

「問い」であったり

「メッセージ」であったり

します。

 

しかもそれを

「ここぞ!」という

絶妙のタイミングで

しなければなりません。

 

一瞬でも

タイミングを外すと

まったく効果がないどころか、

逆に反撃をくらいます。

 

では、

そのタイミングや

「一言」は

どうすれば見出せるのか?

 

それは、

その人の「真本音」が

すべてを教えてくれます。

 

その人の「真本音」を

キャッチすることが

できれば、

ある意味、簡単に

わかります。

 

あとは、

その人の真本音が

望むタイミングで

望む一言を

お伝えするだけです。

 

ですから

よく私がするのは、

「たった一言を伝える」

ためだけに、

その人に会いに行く

ということです。

 

しかもそのタイミングが

例えば

「一週間後の何時くらい」

というように

わかることもあります。

 

するとそこにアポを入れ、

会いに行き、

実際に向き合い、

本当に今のこのタイミングと

その「一言」で良いのか?を

その場で確認し、

「OK」であれば

それを伝える、

ということをします。

 

そしてすぐに

去って行きます。笑

 

一つの刺激を入れたら、

すぐに去る。

 

こんな

ファイトスタイルです。

 

ファイトしているわけでは

ありませんが。

 

そうすると、

その「刺激」は

その人の真本音が

望んでいたものですから、

その人は

その「刺激」がきっかけで

真本音度合いが高まり、

「内側からの変化」

が始まります。

 

これを繰り返すことで、

難攻不落だと思っていた人が

思わぬ変化を

見せたりします。

 

で、私はこういう時に

いつもとてつもなく

感動します。

 

私がやっていることは

単に、

「刺激」を入れるだけ

なのです。

 

あとは勝手に

その人が自らの力で

進めます。

 

たったあれだけの刺激で

この人は

こんなにもがんばる人

だったんだ!

という感動です。

 

やっぱ、

人って大したもんだな、

という感動ですね。

 

・・・・・・

 

私のこういったサポート力は

いつも言うことですが、

私特有の力では

ありません。

 

私達人間が

本来持っている

コミュニケーションの力を

ただ「普通に」

活用しているだけのこと

です。

 

本当はすべての人が

こういった力を

活用できるようになると

いいな、と

思いますが、

まずは、

こういったことのできる

コーチが増えるといいなと

思っています。

 

そのために、

そろそろ来月辺りから

新たな動きを

取ろうかと準備しています。

 

昨日の記事の続きは

明日書こうかな。

 

つづく

 

あなたの中心核はどこだろう?

後悔の念が生まれたら、

まずはその後悔の念と

しっかり向き合うこと。

 

それにより、

後悔の念をしっかりと

理解すること。

 

これが、

「後悔」を「未来」につなげて

いくための必須のことです。

 

後悔から逃げてしまうと

せっかくの「未来」が

開けなくなります。

 

後悔とは、

チャンスです。

(→前回記事)

 

後悔の念を

しっかり理解することで、

その「念」は

それだけで随分と

浄化されて軽くなります。

 

その状態になれたら

次に私達がすべきは、

自分自身の

「真本音との対話」

です。

 

言ってみれば、

ここまでは

自分の中に湧き上がった

「反応本音との対話」

をしてきたわけです。

 

反応本音をしっかりと

理解したら、

次に行なうのが

「真本音との対話」

なのです。

 

これも、

単に「思考する」とか

「発想する」というのとは

異なる行為をします。

 

自分自身の真本音と

まるで他人のように

向き合い、

真本音からの声を

キャッチするのです。

 

・・・・・・

 

まずは、

真本音の場所を

特定する必要があります。

 

私のセミナーや研修や

コーチングを

受けていただいた方は

その場所がすでに

ある程度わかると思います。

 

まだ受けていただいて

いない方の場合は、

次のことをするとよいでしょう。

 

まずは

自分の体の中心軸を

感じます。

 

「中心軸」というのは、

おへその奥の体の中心と

頭のてっぺんの中心を

結んだ線です。

 

その「中心軸」を

まずはしっかりと

感じ取ってください。

 

人によっては

それだけでもう

真本音発想の始まる

ケースもあります。

 

「中心軸」を意識する

だけで、

シャンとした

「本来の自分」に

戻れる感覚が

あるかもしれません。

 

もしここで、

「中心軸」を感じ取ること

自体が難しい場合は、

まだまだ「後悔の念」との

対話が不足している

ということです。

 

その場合は、

今一度、「後悔の念」を

理解しようとするための

対話を続けてください。

 

反応本音をある程度

浄化することができて

初めて、

私達は自らの真本音を

感じ取る感性を

取り戻せるのです。

 

さて。

 

「中心軸」を

感じ取ることができたら、

次に、

その中心軸上のどこかに

自分の

「中心核」

となる場所があります。

 

「中心核」とは、

「ここが自分の中心だ」

と思える場所のことです。

 

中心軸上のどこか

にあるはずです。

 

その場所を

特定してください。

 

なかなかわからない場合は

「ここに私の中心核が

あってほしいな」

と思うところで結構です。

 

・・・・・・

 

「中心核」の場所が

わかりましたか?

 

そこが、

あなたの真本音の

場所です。

 

ここが特定できましたら、

今度はその

真本音の場所に

意識を向けます。

 

すると、そこに

何かが観えてくると

思います。

もしくは、

人によっては何かを

感じるだけ、

というケースもあります。

 

できれば、

「何か」がしっかりと

観えるまで

意識を集中していただけると

よいですね。

 

例えば、

そこに意識を向けると、

 

「とてもまばゆい光

があります。

それは緑色に輝いて

います」

 

とか、

 

「大樹の根っこのような

ガッシリとしたものが

あります」

 

とか、

 

「すごく柔和な笑顔

が浮かんでいます」

 

とか。

 

人によって様々な

ものが観えます。

 

ここで大切なのは、

それは

無理にイメージした

ものではない

ということです。

 

自然に浮かぶものが

よいです。

 

自然に浮かぶものは

「実在」

です。

 

単なるイメージとは

「幻影」

です。

 

「実在」と「幻影」は

本質的に異なるものです。

 

「幻影」は単なる

イメージですので、

次々に変化します。

儚く消えたりします。

 

「実在」とは

そこに本当に実在する

ものであり、

この現実世界における

「現象」を生み出す

大本のようなものですから、

そこに意識を向ければ、

いつでもそれがそこに

在ります。

 

それは

絶対的な存在感

です。

 

その「実在」を

特定できたら、

いよいよ真本音との

対話です。

 

・・・・・・

 

まずは、

その「実在」である真本音に

次のように問いかけます。

 

「ここまでの

私と、私の後悔の念との

対話を聴いていて、

どんなことを思った?」

 

と。

 

そう問いかけたら、

「答え」を

待ってください。

 

その「答え」は

まるで本当に会話を

しているかのように、

言葉として

返ってくると思います。

 

もしくは、

そうでない場合は、

自然に意識の塊のような

ものが、

浮かんでくるかも

しれません。

 

いずれにしても、

「答え」を

待っていてください。

 

もし何も返ってこない

場合は、

返ってくるまで

待ちます。

 

今はまだ全然、

返ってくる気配がないなぁ、

と思ったら、

問いだけをそこに残して

セルフコーチングそのものを

中断します。

 

そして、思い出した瞬間に

何度かその問いを

自分の真本音に投げてください。

 

それを続けていると、

ある瞬間にふと、

「答え」が浮上してくる

ことがあります。

 

そうなるまで、

何日もかかるかも

しれません。

 

しかしそれは単に

慣れていない

というだけのことです。

 

慣れるまでは

時間がかかるかも

しれませんが、

原則は同じです。

 

つまり、

「問うて、待つ」

のです。

 

つづく

 

後悔とは、チャンスである

人はなぜ

後悔するのでしょうか?

 

後悔にも

様々なものがあります。

 

次元の低い後悔も

あれば、

次元の高い後悔も

あります。

 

次元が低いからダメ

という話では

ありません。

 

高くても低くても

後悔ときちんと

向き合いながら進むことは、

間違いなく私達に

進化をもたらします。

 

ただ・・・。

 

一つ、しっかりと

お伝えしなければ

ならないことがあります。

 

それは、

後悔には

「真本音の後悔」

もある、という

ことです。

 

・・・・・・

 

「真本音の後悔」

とは、

正確に表現すれば、

「真本音が

もたらしている後悔」

と言えば

よいでしょうか。

 

どういうことかと

言いますと、

一言で言えば、

 

「後悔のその奥に

願いあり」

 

ということです。

 

つまり、

真本音レベルの非常に

強い願いがあり、

その願いに気づくための

後悔の経験であった、

と。

 

その後悔が

あったからこそ、

自らの真本音の願いに

気づくことが

できた、

と。

 

願いに気づくための

重要な経験としての

後悔。

 

ということです。

 

しかも、

そういったもので

あればあるほど、

後悔の念は

深く、強く

なります。

 

ある意味、

立ち直れなくなるくらいの

魂が慟哭するかのような

後悔。

 

それが、

真本音のもたらす

後悔です。

 

ところが、

そういった強い後悔からは

どうしても私達は

逃げたくなります。

 

その後悔と

向き合うことは

非常に辛いことです。

 

そこでその後悔から

逃げ続ける一生を

続ける人も多いです。

 

でもそれは、

自らの真本音の願い

に気づくチャンスを

逸していることになります。

 

何のために

自分の人生が

あるのか?

 

自分は

何に向かって

生きていけばよいのか?

 

その大事な大事な

答え、

人としての

幸せをもたらしてくれる

答えに

気づくチャンスを

逸していることになります。

 

・・・・・・

 

では。

 

後悔との向き合い方。

後悔についての

セルフコーチング法の続き

をいきましょう。

(→【後悔する自分を責めてはならない】)

 

後悔の出来事の中でも

自分が特に

どのポイントにおいて

深く後悔しているか?

を特定するところまで

きました。

 

それが特定できたら、

次にまた

とても大事な質問を

「後悔の念」に対して

投げます。

 

それは、

 

「君は私に

何を伝えたいの?」

 

もしくは、

 

「君は私に

何をわかってもらいたいの?」

 

という問いです。

 

これも、

自分自身の「後悔の念」を

理解しようとする

質問です。

 

理解しようとすることで

自分自身との

信頼関係を深めていきます。

 

この問いに対しての

答えとは、

多くの場合

反応本音レベルのもの

です。

 

例えば、

 

「もう俺は嫌なんだよ。

逃げたいんだよ!」

 

とか、

 

「俺がこんなに苦しんで

いることを

知ってもらいたいんだよ!」

 

とか、

 

「俺はもう、

あいつとは一緒に

やっていけないんだよ!」

 

とか。

 

そしてここから先は、

まるでカウンセラーになった

気持ちで、

自分の後悔の念と

向かい合ってください。

 

「それは

どういうことなの?」

 

「もう少し

詳しく教えてくれる?」

 

「どんな理由から

そう思うの?」

 

「そう言いながらも、

本当は私に

何を伝えたいの?」

 

「本当に、一番

解消してもらいたい

苦しみは何?」

 

「私に直してもらいたい

ことはある?」

 

「私にしてもらいたい

ことはある?」

 

「君はどうすれば、

もっと楽になれる?」

 

「君は本当は

何を望んでいるのだろう?」

 

「君は何のために、

私の両肩に乗っかっている

と思う?」

 

「君の切実な

願いとは何だろう?」

 

・・・などなど。

 

すべてが

「理解しよう」

とするための質問

です。

 

大切なのは、

返ってくる答えに対して

いっさいの

評価・判断をしないこと。

 

つまりそれは

否定をしないことは

もちろんですが、

肯定もしないこと

です。

 

否定も

肯定も

なし。

 

「知ろう」と

するだけです。

 

「あなたのことを

もっとよく知りたいんだ」

という意志を

その後悔の念に

向けていきます。

 

「愛」

という言葉がありますが、

愛のファーストステップは

「理解しよう」

という意志です。

 

私は、「愛」というのは

「エネルギー」だと

思っていますが、

「理解しよう」という

意識を向けることで、

そのエネルギーは

発生し、相手に

伝わります。

 

これは、

他者との人間関係でも

まったく同じですね。

 

・・・・・・

 

「理解しよう」という

愛のエネルギーを

受けることで、

後悔の念はさらに

浄化されるでしょう。

 

ポイントは、

その「後悔の念」が

最も伝えようとしていること、

わかってもらいたいと

思っていることを

ピンポイントで

特定・理解することです。

 

そこが特定できれば、

後悔の念は

ほぼほぼ浄化されます。

 

両肩がかなり

軽くなるのを

感じるでしょう。

 

そうなったところで

初めて、

いよいよ

「真本音」の

登場です。

 

つづく

 

自分自身との信頼関係を結んでいますか?

私はよく

『自律』

という言葉を使います。

 

「自分を律する」という

言葉を見ると、

自分を縛るようなイメージ

があるかもしれません。

 

が、

私はまったく逆の意味

として捉えています。

 

自分を律することが

できるということは、

自分を完全に

コントロールできる

ということです。

 

言葉を換えれば、

自由自在に自分を

操ることができる

ということです。

 

つまりそれこそが

本当の

「自由」

ではないか、と

私は思います。

 

自由自在に

自分を操ることの

できる人というのは

世の中にいったい

どれだけいるでしょうか?

 

まず、

自分の心を

自分で操ることは

できますか?

 

できませんよね。

 

自分が本当に望む

行動を

望むままに

し続けることが

できますか?

 

できませんよね。

 

自分のちょっとした

振る舞い、

しぐさ、

表情など、

自由自在に

できますか?

 

できませんよね。

 

私達は

思っている以上に

自分を

自由自在に

できていないという

事実があります。

 

しかも、

人に依存している人は

どうでしょう?

 

あの人がなければ

私は立っていられない。

 

もしくは、

あの組織がなければ

あの仕事がなければ

あの人間関係がなければ

私は立っていられない。

 

・・・つまり、

何かに寄りかかりながら

生きていることを

依存と言いますが、

 

もちろん人は、

誰もが何かに

必ず依存していますが、

 

しかしその依存度が

高い人は、

依存している対象が

なくなってしまったり、

なくなってしまう可能性が

見えたりすると、

途端に

我を失ってしまいます。

 

そういった人が、

自分を自由自在に

コントロールできている

とは

到底言えないですよね。

 

「自分」

であるのにも関わらず、

私達は

その「自分」を

きちんとコントロール

できていないのです。

 

その原因の

最も大きなものが、

「自分の心を

コントロールできない」

からです。

 

・・・・・・

 

例えば、

誰かに対して

とても深い憎しみを

抱いてしまった場合、

その憎しみを

自ら解消することが

できるでしょうか?

 

何かに対して

とても深い後悔を

抱いてしまった場合、

その後悔の念を

自ら解消することが

できるでしょうか?

 

実は、

私達の心とは

「自分でコントロール

しようと思えば思うほど、

コントロールできない」

ものなのです。

 

これは、

他人に対しても

同じですね。

 

他人をコントロールしようと

思うと、

逆に反発が返って

きます。

 

コントロールされるのは

誰だって

嫌ですから。

 

自分自身も

同じです。

 

私達の心も

コントロールされることを

とても嫌います。

 

たとえ

コントロールしようと

しているのが

自分自身で

あったとしても。

 

私が、

「自分」と「私」を

区別して捉えた方が良い

と思っている理由が

ここにあります。

 

自分のことは

自分が何とでも

できる。

 

自分の心は

自分が何とでも

操ることができる。

 

・・・と思うのは

傲慢なんです。

 

もしそれが本当に

できていると

思っている人がいると

したら、

それこそ、

思い違いです。

 

恥ずかしながら、

昔の私が

そうだったんですが。

 

だから

私は自分が体を壊し、

それが心の問題で

あると知ったとき、

衝撃を受けたんです。

 

自分が自分の心を

まったく

コントロールできていない

どころか、

理解すらできていない

という事実を

目の当たりに

したからです。

 

傲慢に

なっちゃいけないですね。

 

傲慢は必ず、

足元をすくわれます。

 

・・・・・・

 

私達の心は、

コントロールしようと

思えば思うほど、

コントロール不能と

なります。

 

しかし、

理解・尊重しよう

とすればするほど、

結果的に

コントロールが

効くようになります。

 

いえ、

それはコントロールと

言うよりも、

「私」が「自分」と

調和している、

とか

協業している、

と言った方が

正確ですね。

 

私達は

自分自身と

信頼関係を

結ばねば

ならないのです。

 

なんか

変な表現だと

お思いでしょうが、

これこそが

最も大切なことです。

 

そして、

自分自身との

信頼関係を深めて

いくことこそが、

セルフコーチングの

真髄なのです。

 

つづく

 

後悔する自分を責めてはならない

後悔の念とは、

私達の頭の中ではなく、

体のどこかに

溜まります。

 

それが

「念」

というものです。

(→【体が感じているものとは?】)

 

セルフコーチングとは、

体のどこかにある

その「念」と

ダイレクトに対話を

します。

 

まるでそれが

他人であるかのように

向き合いながら、

対話をします。

 

対話の基本は

「問うて、待つ」

こと。

 

そして

自然に浮かんだメッセージを

「素直に伝える」

ことです。

 

例えば、

後悔の念が

両肩に溜まっていたと

します。

 

両肩に意識を向けると、

まるで黒い大きな岩が

乗っかっているような

重みと苦しさを

感じたとします。

 

その「岩」の重みを

しっかりと

あるがままに

感じ取ることが

スタートです。

 

感じながら

実況中継をすると

良いでしょう。

 

「この重みは

かなりキツイですねぇ。」

 

「重いだけでなく、

首の根元辺りに

痛みも来ていますねぇ。

まるで鋭利な刃物で

えぐられるような

痛みが時々、

ググッと来ますねぇ。」

 

「それからこれは

何でしょうか?

時折、何とも言えぬ

気持ち悪さも

ありますねぇ。

これは何でしょうか?

まるでナメクジがまとわり

つくような、

ヌメヌメとした

何とも言えない気持ち悪さ、

これはなかなかですねぇ。」

 

「あぁ、この黒い岩は

悪意のような気もしますね。

人の悪意の塊の

ようでもあります。

これはどんな悪意

なのでしょうか?」

 

・・・などなど。

実況中継を始めると、

単なる「重み」を

さらに観察し、

さらに詳細に感じ取ることが

できるようになります。

 

ここが

ポイントなのです。

 

詳細に感じることが

できればできるほど、

それは

「客観性」

となります。

 

この「客観性」が

大事です。

 

まるで他人のように

自分と

向き合うためにも。

 

・・・・・・

 

さて、このような

「重み」を両肩に感じたと

します。

 

両肩に乗っかっている

黒く大きな「岩」。

それが、

あなたの「後悔の念」

です。

 

この「念」に対して、

あなたは

何を問いかけてみたい

ですか?

 

ここで大事なのは、

その「念」に対して

評価判断をし、

説得を試みようとか、

その「念」を

取り除こうとか、

消去しようとか、

しないことです。

 

これは

通常の人間関係と

同じです。

 

それをネガティブに捉え、

それを除去しようと

すればするほど、

「反発」が大きくなります。

つまり、

そういったことをすれば、

その「岩」はさらに

大きく重いものに

成長してしまいます。

 

では、

あなたはその「岩」に

対して、

どのようなコミュニケーションを

取りたいですか?

 

・・・・・・

 

まず大事なポイントは

「理解しよう」

とすることです。

 

「理解しよう」

とはつまり、

「知ろう」

とすることです。

 

通常の人間関係でも

「理解しよう」

という向き合い方は、

信頼の芽を

育みます。

 

ですから最初は

次のような「問い」に

なるはずです。

 

「あなたはなぜ、

そこにいるの?」

 

もちろんこれは

責めるような口調で

伝えてはいけません。

 

あくまで、

「理解しよう」

「知ろう」

とするつもりで

尋ねます。

 

すると、

人によって様々な

返答があると思います。

 

例えば、

 

「後悔しているからに

決まってるだろ!」

 

という責め口調で

返ってくることもあるでしょう。

 

もしくは、

 

「助けてほしいんだよ」

とか

「悲しいんだよ」

とか

「寂しいんだよ」

とか。

 

すがってくるような

返答の場合もあるでしょう。

 

そこをさらに

「理解しよう」とする

会話を続けます。

 

「何をそんなに

後悔しているの?」

とか、

「何がそんなに

悲しいの?」

など。

 

より具体的に

その「念」の中身を

知ろうとします。

 

ここを

評価判断せずに

行なうことがポイント

です。

 

ただ「あるがまま」を

知ろうとしてください。

 

その問いの結果、

例えば、

 

「Aさんからの信頼を

完全に失っちゃっただろ。

それを後悔してるんだよ」

 

と返って来たら、

 

「Aさんの信頼を失ってしまった

私自身の行動や振る舞いで

最も後悔していることは何?」

 

などのように、

さらに具体的に

後悔ポイントを特定

していきます。

 

「どの瞬間に、

一番悲しみを感じたの?」

とか

「その悲しみを誘発した

私自身の行動や振る舞いは

何だっただろう?」

とか。

 

問いかけ方は

様々です。

 

まるで他人と会話を

しているかのように

臨機応変でよいですから、

あまり固く考えずに、

「理解しよう」

「知ろう」

とするコミュニケーションを

続けます。

 

すると、

「あぁ、なるほど、

私はここで一番、

後悔をしていたのか!」

 

と合点のいく

ピンポイントを特定

できるはずです。

 

「ここが一番、

嫌だったんだ」

という

最大の後悔ポイントです。

 

これを

自分自身が理解

できたその瞬間に、

後悔の念は

大きく浄化されるはず

です。

 

その時点で、

両肩の重みが随分と

軽減されるのを

感じるでしょう。

 

さて、

会話はまだまだ

続きます。

 

つづく

 

今しか出ない答えがある

セルフコーチング法とは

つまるところ

「自分との向き合い方」

です。

 

「自分と向き合う」

という言葉を

私はよく使いますが、

よくよく考えたら、

「自分と向き合う」

って、

わかるようで

わからないですよね。

 

学校の授業では

そんなことは

教えてくれなかったし、

社会に出てからも

もちろん

誰も教えてくれません。

 

でも私達は全員、

一生涯、

「自分」という人間と

共に歩まねば

なりません。

 

「自分」とはつまり

自分自身なので、

ここにいる自分が

自分で、

他人ではない存在で、

自分とは私のことで、

・・・ん?

 

本当に

「自分」とは私の

ことなのかな?

 

「自分」だと思っている

この存在は、

本当の本当に

私なのかな?

 

そう思い込んでいる

だけではないのかな?

 

「自分」を観ている

この私は

いったい、誰?

 

自分の心を

見つめているこの私は

いったい、誰?

 

「自分」と「他人」を

区別しているこの私は

いったい、誰?

 

「自分」を励ましている

この私は?

 

「自分」を蔑んでいる

この私は?

 

ここでこうやって

考えている私は

「自分」と一致しているのか?

 

・・・というように

わけがわからなく

なりませんか?

 

「心」って

物質なの?

物質じゃないの?

 

物質ではないのなら、

ここに存在している

この私の「心」って

いったい何?

 

私のこの

人格って何?

 

私という存在は

何?

 

そもそも

本当に私はここに

存在しているの?

 

体は確かに

ここにあるけど、

心は

本当に存在しているもの?

 

昨日の心と

今日の心は

変化しているけど、

これはいったい何?

 

なぜ変化するの?

 

変化するということは

別物になるの?

 

昨日の心は

幻?

 

昨日の心と

今日の心は

どっちが本物?

 

もしくは、

そもそも本物なんて

ないの?

 

そもそも、

なんで私は

こんなに悲しむの?

 

なんで私は

こんなに寂しいの?

 

なんで私は

こんなに人を

羨むの?

 

人の幸せを見たときに

生まれるこの

嫉妬心は何?

 

どうして、

こんなに私は

他人と自分を

比べるの?

 

そもそも

他人とは何?

 

自分とは何?

 

比べることで

発生するこの

疲れは何?

 

私はいったい

何がしたいの?

 

あの人はいったい

何がしたいの?

 

何のために

ここにいるの?

 

何のために

関わっているの?

 

何のための

人生なの?

 

何のための

私なの?

 

・・・次々と生まれる

問い。

 

これらの問いに

あなたは

真摯に向き合おうと

思いますか?

 

それとも

面倒ですか?

 

どうして私達の中には

このような

問いが発生

するのでしょうか?

 

・・・・・・

 

私は一つの問いと

出会った時、

その問いに対する答えが

すぐに浮かぶ場合、

その答えを

捨てることにしています。

 

すぐに浮かぶ答えとは、

これまでの自分が

出す答えです。

 

問いに対して、

これまでの自分が

出す答えは

意味がありません。

 

「今の自分」が

出す答えこそが、

今、必要な答えです。

 

答えは

一つではありません。

 

正解も

不正解も

ありません。

 

今この瞬間に

発生する

「最善の答え」が

あるだけです。

 

その

「最善の答え」を

見出すことが

人生においては

とてつもなく

大事です。

 

それは、

これまでの自分、

過去の自分に

こだわっていたり

執着していては

出ないものです。

 

今の自分だからこそ

出せる答えが

必ずあります。

 

それを見つけるのが

セルフコーチングの

本質です。

 

・・・・・・

 

私はあの出来事の

どこに後悔を

しているのだろうか?

 

その問いに対して、

今日出す答えと

明日出す答えは

異なるかもしれません。

 

それで

良いのです。

 

今日しか

出せない答え。

 

今しか

出せない答え。

 

・・・があります。

 

それこそが

重要です。

 

今しか出せない答えは

今しか出せません。

 

それはまるで

人と人の縁と

同じです。

 

赤い糸で

結ばれたような

ご縁のある答え。

 

そんな答えと

スムーズに出会うには、

的確な問いを

的確なタイミングで

投げることです。

 

セルフコーチング力とは

それができる力を

言います。

 

・・・・・・

 

「私」と「自分」は

別物です。

 

そう捉えると

セルフコーチングは

とても面白く

なります。

 

「私」が「自分」と

向き合い、

「私」が「自分」を

より自分らしく

育て上げていく。

 

こんな感覚が

とても大事なのです。

 

つづく

 

自分の答えに素直に生きよう

結局、

誰も私のことなど、

わかってはくれない。

 

私のことを

唯一わかっているのは

私だけだ。

 

私の理解者など

一人もいない。

 

どうせ私は

孤独だ。

 

・・・本当に

そうでしょうか?

 

本当に人は

孤独でしょうか?

 

本当に自分を

理解してくれる人は

いないのでしょうか?

 

自分のことを

実は

一番わかっていないのは

自分自身である、

ということは

ないでしょうか?

 

自慢にも何も

なりませんが、

以前の私は

本当に孤独でした。

 

家族といても

孤独でした。

 

誰もわかってくれないなら、

もういいや。

わかってもらう

必要はない。

 

そのようにいつも

絶望し、

その絶望を

隠しながら

生きていた気がします。

 

ところが。

 

今はどうでしょうか。

 

今日ふと

思ったのです。

 

今、私の周りにいる

人達は、

私以上に

私のことをわかって

くれている人ばかりでは

ないか、と。

 

私の中から

孤独感は、

きれいさっぱりに

消えてしまっています。

 

いったい、

いつからこんな状態に

なったんだろう?

 

なんでこんなに

満たされいるのだろう?

 

と不思議に

思います。

 

毎日お会いする

人達の顔を

思い出すだけで、

胸がキュキューッと

幸せになります。

 

まるで

恋愛をしているかのような

感覚。

 

なんで

こんなに私は

幸せなのだろうか?

 

そう思ったのです。

 

でも

そう言いながらも、

理由は

私自身が一番よく

わかっています。

 

私自身が

真本音で生きている

からです。

 

真本音で生きる

とは、

このような現実を

創り出すものなのだ、

という驚嘆を

実は一番感じているのは

私自身なのかも

しれません。

 

・・・・・・

 

こんな風に書くと、

いいなぁ、たけうちさんは、

思うかもしれません。

 

でも

真本音で生きる、

なんてことは

誰でもできるんです。

人間であるならば。

 

というか、

人としての最も

自然な生き方であり、

最も楽な生き方が

真本音で生きる

ということなのです。

 

いまだに本当に

思うのです。

 

私ほど、

反応本音のひどかった人間は

いないなぁ、と。

 

お仕事上、

本当にありとあらゆる人達と

出会います。

 

面倒な人も

いっぱいいます。

 

でも、

どんな人と向き合っても

いつも思うのです。

 

あぁこの人は

以前の私よりは

よっぽどましだ、と。

 

だからこの人も、

必ず真本音で生きることが

できるはずだ、と。

 

その私の確信が、

クライアントさんに伝わる

からかもしれませんが、

私のクライアントさんは皆、

真本音度合いを

高めていきます。

 

ただし、

それは私が

高めているのは

ありません。

 

私が行なっているのは、

つまるところ、

その人に合った

セルフコーチングの手法を

お伝えしているだけのこと

のように

思えるのです。

 

極端に言うと。

 

・・・・・・

 

セルフコーチング。

 

結局、

自分を変えることが

できるのは、

自分だけです。

 

孤独でしかなかった私が

なぜ今、

こんなに満たされているのか?

と言えば、

私は私を本気で変えよう

としたからだと思います。

 

そのために

真本音で生きることに

躊躇はありませんでした。

 

まるで他人のように

自分と向き合い、

自分に問い、

答えを待ち、

答えが浮かび上がった時に、

時にはその答えに

衝撃を受けたりも

しました。

 

これが私の

答えか・・・、と。

 

その答えの通りに

動くことに

かなりの勇気を

要することも

ありました。

 

でも私は恐らく、

ほぼ100%、

自分の答えを

実践してきたと思います。

 

その結果が

今です。

 

そして今は、

どんな答えが出ても

へっちゃらで

その答えに素直に

行きます。

 

それがどれだけ

刺激的で面白いことかを

身をもって

実感しているからです。

 

今の私の生き方に

難しいことは

一つもありません。

 

自分の真本音に

素直に次の一歩を

決める。

 

・・・それだけのことです。

 

セルフコーチングとは

要するに、

それだけのことをする

ためだけのもの。

 

あまりに

シンプルなゴール。

 

でも

シンプルであるが故に

難しいのかも

しれませんね。

 

昨日までの記事の

続きを書こうと思って

いたのですが、

ちょっと脱線してしまいました。

 

明日は昨日の

続きを書こうかな、と

今は思っています。笑

 

つづく

 

苦しみの三重苦の中にいませんか?

苦しみのない人生は

あり得ませんが、

自らわざと

苦しみをつくる必要も

ありません。

 

しかし

そういった人が

とても多いのも

事実です。

 

特に多いのが、

本当の苦しみから

目をそらすために、

別の苦しみを

自ら創り出す、

というパターン。

 

「ここで私は

これだけ苦しんで

いるのだから、

勘弁してください」

と、

その人は

無意識に訴えて

います。

 

誰に訴えているかと

言いますと、

自分自身に対してです。

 

しかし、

本当の自分自身は

それを

許しません。

 

「お前の苦しみは

そんなところには

ないだろう。

本当はお前は

ここで苦しんでいるのに。

本当の苦しみは

ここにあるのに。

その苦しみと

向き合ってこそ、

お前の人生は

先に進むのに。」

 

と、

本当の自分が

自分自身に

語りかけ続けます。

 

「本当の自分」とは

つまり、

その人の

「真本音」

です。

 

真本音が自らに

語りかけ続けているのに、

本人がそれを

無視し続ける。

 

しかし、

自らの真本音を

無視すること自体が

人として

最も苦しいことの

一つです。

 

本当の苦しみから

目をそらすために、

別の苦しみを

創り出し、

しかし、その別の苦しみに

向かう自分を

自分の真本音が

戒め続け、

しかしその真本音の

語りかけを無視することで

さらに苦しみが

増す。

 

・・・つまり、

「本当の苦しみ」

プラス

「別の苦しみ」

プラス

「真本音を無視する苦しみ」

という

苦しみの三重苦に

見舞われる状態。

 

この状態に

陥っている人が

とても多いのです。

 

ですから私は

いつも

お伝えすることに

なります。

 

人生はもっと

楽に

進むことができますよ、

と。

 

・・・・・・

 

「本当の苦しみ」

から

逃げないこと。

 

それが、

人生を楽に進める

最も重要な原則の

一つです。

 

「苦しみ」の中でも

代表的なものが

「後悔」です。

 

ですから

言い換えると、

「本当の後悔から

逃げないこと」

こそが、

人生を楽に進める

原則です。

 

そのためには

まずは

「後悔と向き合う」

ことです。

 

「向き合う」

とはどういうことか?

を昨日の記事で

書かせていただきました。

(→前回記事)

 

そして、

自分の本当の

後悔の念は、

自分の頭(思考)の中に

あるのではなく、

自分の体の中に

溜まっているのだ

ということを

一昨日の記事に

書かせていただきました。

(→前々回記事)

 

自分の体に溜まっている

後悔の念と

しっかりと向き合うこと。

 

まずはそれをすることで、

後悔の念の

浄化が始まります。

 

つまり、

その時点から

楽になり始めます。

 

「向き合う」

とは、

楽になること。

 

「逃げる」

「目をそらす」

とは

苦しみを増すこと。

 

という、

原理をまずは

しっかりと

理解してください。

 

これは

人間関係でも

同じことですね。

 

・・・・・・

 

さて。

 

セルフコーチングの基本とは

しっかりと向き合った上で

「問うて、待つ」

ことであると

お伝えしました。

 

自分に対して、

まるで他人のように

問いかけをして、

その答えを待つ。

 

この行為と共に、

もう一つ重要な

行為があります。

 

それは、

 

「自分自身に

語りかける」

 

ということです。

 

やはり、

自分とまるで

他人のように向き合い、

自分自身に

自ら

メッセージを

語りかけるのです。

 

それがもし

真本音からのメッセージ

であれば、

それは

あなたの全身に

ジワリと

沁み渡るでしょう。

 

・後悔の念が、体のどこに

あるかを特定し、

・その念と向き合い、

・その出来事のどこに

本当に後悔しているか?を

理解したら、

今度は、その後悔の念に

対して、

・自らメッセージする

のです。

 

そのメッセージとは、

頭で考えて創り出すもの

ではなく、

後悔の念を理解したことで

自然に自分の中から

浮かび上がってくる

メッセージが

良いですね。

 

ですから、

もし何もメッセージが

浮かんでこない場合は、

無理に

これをする必要は

ありません。

 

自然に浮かぶメッセージ

を、

そのままダイレクトに

自分の後悔の念に

伝えるのです。

 

多くの場合、

これにより、

その後悔の念は

一気に浄化されていきます。

 

ただし、

「浄化しよう」という

意図は持たないことです。

 

意図を持てば、

淀みます。

 

淀んだセルフコーチングは

効果を半減させます。

 

淀んだ言葉が

相手に伝わらないのと

同じです。

 

自分自身に対して、

本当に純粋に

思うところを

伝えるとよいですね。

 

さて。

 

ここまでの流れについて

さらに具体的に

どのように進めればよいか?

解説することにします。

 

それは、

明日以降の

記事にて。

 

つづく

 

自分と向き合う力を養うために

「問うて、待つ」

 

これがセルフコーチングの

基本です。

(→前回記事)

 

それは、

単に「思考する」のとは

本質的に異なる

行為です。

 

「思考する」とは

自分事です。

 

「問うて、待つ」とは

ある意味、

他人に対するコミュニケーション

です。

 

他人に対して

向き合っている

ようなもの。

 

この

「向き合う」

というのが

とても大事です。

 

よく私は

「自分と向き合う」

という表現を使います。

 

これはつまり、

自分をまるで

他人のようにして

客観的に

向かい合うということです。

 

それは、

自分から離れる

ということにもなります。

 

自分からいったん離れ、

離れた場所から

自分を見つめる、

自分の声を聴く、

自分の空気感を

味わう、

ということになります。

 

そこで

ポイントとなるのが、

「意識を完全に向ける」

ということです。

 

・・・・・・

 

「意識を完全に向ける」

 

とは、

どういうことでしょうか?

 

例えば、

目の前にペットボトルが

あるとします。

 

それを見て、

「あぁ、ペットボトルが

ここにあるなぁ」

と思うことは、

意識を完全に向けていることには

なりません。

 

それは単に、

「ペットボトルがあるなぁ」

と解釈している

もしくは、思考している

だけのことです。

 

意識を完全に向けるとは、

そのペットボトルを

よく観察する

ということです。

 

よく観察すると、

細かい部分が

リアルに見えてきます。

 

例えば、

ペットボトルの

ラベル。

どのような色を使い、

どのような文字を使い、

どのような文言が

そこに書かれているか?

 

例えば、

ペットボトルの

形状。

どんな形をしていて、

どこがどのように

でこぼこしていて、

どんな直線があり、

どんな曲線があり・・・。

 

などなど、

ペットボトルの

「あるがまま」が

「事実」として

見えてきます。

 

これを

「観える」

と言います。

 

対して、

「見える」

とは、

自分の解釈の入った

みえ方です。

もしくは、

自分のフィルターのかかった

みえ方です。

 

私達は常に、

あらゆる物事を

自分の解釈や思考や

自分なりの思い込み

(これをフィルターと言います)

を通して

みています。

 

それを普通に

「見る」とか

「見える」

と表現します。

 

「観察」とは

あるがままをみること、

それを

「観る」とか

「観える」

と表現します。

 

「意識を完全に向ける」

とはつまり、

それを「観る」

ということです。

 

・・・・・・

 

そして

「向き合う」とは、

相手を「観る」

ということに

他ありません。

 

何の思考も

解釈も

思い込みも

なく、

何のフィルターも

なく、

ただ、あるがままを

観る。

 

そして、

あるがままを

聴く。

 

そして、

あるがままを

感じる。

 

これが

「向き合う」

ということです。

 

そのため、

「自分と向き合う」

とは、

いったん自分から

離れて、

その上で

あるがままを

観察したり

聴いたり

感じることを

言います。

 

それをするのが

セルフコーチング

です。

 

・・・・・・

 

ですから、

セルフコーチング力を

高めるためには、

「完全に意識を向ける」

練習をすることを

お勧めします。

 

つまりは、

あらゆるものを

観察する練習を

するのです。

 

例えば、

電車に乗ったら、

一緒の車両にいる人達を

観察します。

 

人を観るのが

ちょっと恥ずかしい場合は、

物でもよいです。

 

天井を観たり、

広告を観たり、

吊り革を観たり、

いろんなものを

あるがままに

観察します。

 

私はよく

研修やコーチングの合間に

散歩をします。

 

その時、必ずしているのが

歩きながら

様々なもの、

もっと言えば

「世界」そのものを

観察しています。

 

意識を完全に

「世界」に向けながら

歩くのです。

 

それが非常に良い

ウォーミングアップになり、

研修中も

人に完全に意識を向ける

ことがしやすくなります。

 

あるがままに

向き合うことが

できれば、

そこから得られる情報は

「凄まじい」ものがあります。

 

よく私は

クライアントさんから

言っていただきます。

「たけうちさん、

どうしてそんなことまで

わかるのですか?」

 

その答えは

実に単純です。

 

「あるがままに観ている」

からです。

 

「あるがままに聴き」

「あるがままに感じている」

からです。

 

この

「あるがまま」を

自分自身に対して

できるようになれば、

「自己理解」は

一気に深まります。

 

・・・・・・

 

セルフコーチングの基本は

「問うて、待つ」

です。

 

これをもっと

正確に表現すれば、

「問うて、向き合って、待つ」

ということになります。

 

ここでどれだけ

向き合えるか?

つまり、

あるがままを

観たり、聴いたり、

感じ取れるか?

が、

セルフコーチングの質を

決めます。

 

ただ、

このように書くと

非常に難しく

感じられるかもしれません。

 

でもやはりこれも

「慣れ」

です。

 

コツさえわかれば、

一気に

セルフコーチング力は

増していきます。

 

自転車に乗るのと

同じ。

 

自転車も最初は

上手に乗れませんが、

慣れればすぐに

片手運転も

できるようになります。

 

慣れるかどうか?

やるかどうか?

だけのことです。

 

つづく

 

頭で解釈せず、体に問う

後悔した出来事があると、

私達はできれば後悔の念を

「なかったことにしたい」

と思います。

 

その結果、

その出来事に後から

様々な「解釈」を

つけたりします。

 

「あれは

しょうがなかったんだ」

 

「不可避な流れで

自分にはどうしようも

なかった」

 

「別の選択もあったとは

思うが、

あれはあれでいいのだ」

 

などなど。

 

時には、

 

「あの出来事には

これこれこのような意味が

あったのだ。

だからそれでいいでは

ないか」

 

「あの出来事によって

自分はこんな成長が

できた。

だから良いではないか」

 

などのように、

自分の「解釈」によって

その出来事を

肯定的に捉えようと

する場合もあります。

 

「解釈による肯定化」

 

・・・は、ダメです。

 

最も

やってはいけません。

 

これを

クセのようにいつもいつも

し続けている人がいますが、

そういった人ほど、

心の奥にストレスが

溜まり続け、

気がついた時には

体を壊す寸前、という人も

私はこれまで数多く

出会ってきました。

 

「解釈」とは

顕在意識レベルで

頭の中での無理な

変換をしているだけの

行為です。

 

物事の捉え方を

変えてみたり、

別の角度から

物事を見つめること

自体は

大事です。

 

しかし、

自分を説得するかのように

顕在意識のみで

強引な解釈をし、

それを「答え」とするのは

本当に

やめた方がよいです。

 

顕在意識のみを

解釈によって

捻じ曲げても、

それ以外の私達の

意識は

納得していません。

 

しかも

体は正直です。

 

頭の解釈を

どれだけ変えても

苦しいものは

苦しいのです。

 

むしろ、

頭の解釈を

強引に変えることで

その苦しみは

倍増します。

 

「前向きに生きる」

とは、

解釈を変えることでは

ありません。

 

・・・・・・

 

『セルフコーチングを使った

良い後悔の仕方』

 

の続きを行きます。

(→前回記事)

 

私達が

私達自身の最も素直な

気持ちを知るためには

体の反応を観るのが

最も簡単です。

 

後悔した出来事を

ありありと思い出した時、

体のどの部分に

どのような反応が出るか?

をまずは

特定しました。

 

そしてその反応の出た

場所に

じーっとただただ

意識を向け続けます。

 

例えば、

両肩が重い、

という反応があった場合、

その両肩にのみ

意識を向けます。

 

これを続けると、

その両肩に

さらに

何かを観たり、

何かを感じたり

するようになります。

 

例えば、

両肩に黒い大きな

岩のようなものが

乗っかっているイメージが

自然に観えたりします。

 

もしくは、

何もイメージは観えなくとも、

両肩に何かが

乗っかっている感覚のみが

ありありと

感じられるかもしれません。

 

そこまでできたら、

その「イメージ」

もしくは

「感覚」に、

問いかけてみてください。

 

「君は

何にそんなに

後悔しているの?」

と。

 

すると、

人によっては

その「答え」が

言葉となって自然に

浮上してくるかも

しれません。

 

例えば、ですが。

「あの時、私は

あんなことを言うんじゃ

なかった」

というように、

まるで会話をしているかのように

答えが返ってきます。

 

もし答えが返ってきたら、

さらにその答えを

理解しようとします。

 

例えば、

「あんなこと、というのは

具体的に

どんなことを

言うんじゃなかったと

思ってるの?」

というように。

 

その会話は

自分自身と会話をする

というよりも、

誰かそこに別の人がいて

その人の話を

聴いている

という感じで進めると

やりやすいでしょう。

 

誰かの相談を

聴いているイメージ

です。

 

これをすることで、

自分自身が

何に最も後悔しているのか?

を特定することが

できます。

 

この

「特定」が

ポイントです。

 

実は、

ここがずれている人が

かなり多いです。

 

「私はあの出来事を

すごく後悔しているんです」

と言いながら、

その後悔のポイントが

ずれているのです。

 

本当の後悔を

見つめることを

無意識に拒絶するために

このようにポイントを

ずらしてしまっているケースが

多いようです。

 

ずれたポイントに対して

どれだけ向き合っても

それでその後悔が

解消されたり浄化される

ことはありません。

 

一つの出来事の中でも、

本当はどのポイントで

私は何を後悔をしているのか?

絞り込むことが必須です。

 

それを頭の解釈で

しようと思っても

無理です。

 

このように、

体の感覚に

問うことで

初めて観えてくるのです。

 

しかし

セルフコーチングに

慣れない内は、

すぐにこのような会話には

ならないかもしれません。

 

その場合は、

問いかけだけを行ない、

あとはただじっと

待つことをします。

 

待っていると

言葉にはならないけれど、

でも何となく

答えが「わかった」

という感覚になることが

あります。

 

何となく「わかった」ら、

それを自分なりに

言語化します。

ここは

頭の解釈でも結構です。

 

大事なのは、

最初から頭で

解釈しないことです。

 

自分の体や

体の感覚そのものに

まずは

「問う」こと。

 

そして、答えを

「待つ」こと

です。

 

つまり、

「問うて、待つ」

というのが、

セルフコーチングの

基本的姿勢です。

 

たとえ

答えがまったく

わからなくても、

それでも

「問うて、待つ」

ことをしてください。

 

これを繰り返していると、

だんだんと

答えがわかるように

なります。

 

今日はここまで

とします。

 

つづく

 

体が感じているものとは?

「深刻にならずに

気楽に行けばいいさ」

 

という人生の進み方は

とても大切なことです。

 

しかし、

深刻にならずに

いるためには、

自分の中に存在している

深刻なものと

向き合うことが

必須です。

 

深刻なものから

逃げれば、

ますます心の中の

深刻さは増幅します。

(→前回記事)

 

向き合うことで

それを浄化し、

結果として

自然に軽やかに進む。

 

それが最も

自然な進み方であり、

セルフコーチングの

極意でもあります。

 

「後悔」というのは、

深刻なものの

代表的な一つです。

 

今回から

「後悔」を題材にして

セルフコーチングのやり方を

じっくりと

ご紹介していきます。

 

題して、

 

『セルフコーチングを使った

良い後悔の仕方』

 

です。

 

・・・・・・

 

まずは、

後悔した出来事を

一つ思い出してください。

 

それは最近のことでも

昔のことでも

構いません。

 

その出来事を

ありありと

思い出します。

 

可能であれば、

その出来事が

今ここで起きているかのように、

ありありと

イメージします。

 

それを思い出した時の

あなたの体の反応に

意識を向けてください。

 

例えば、

胸の中心が

ググッと苦しくなる、

とか。

 

後頭部が

ドーンと重くなる、

とか。

 

両肩にずっしりと

岩が乗っている

感覚がある、

とか。

 

お腹が痛くなる

感覚。

 

両足が

地面に沈んでいく

感覚。

 

吐き気。

 

頭の中心が

痛い。

 

両腕の

力が入らない。

 

みぞおちが

ギュギュッと

痛くなる。

 

などなど。

 

ちょっとした変化でも

よいです。

 

まず、

セルフコーチングの一歩目は

こういった

「体感覚」

に敏感になるところ

からです。

 

ところが、

これは特に男性に

多いですが、

体感覚がよくわからない

という人がいます。

 

実は、

昔の私が

そうでした。

 

しかしこれは

「慣れ」です。

 

誰もが

意識を向け続けることで

慣れていくことができます。

 

最初は、わずかでも

よいですから、

体の中で

気持ち悪さのある箇所や

違和感のある箇所を

探してみてください。

 

・・・・・・

 

体の中の

反応した部分。

 

ここに

あなたのモヤモヤが

あります。

 

つまり、

後悔の念が

そこに溜まっている

可能性が高いです。

 

今度はそこに

意識を向けて

みましょう。

 

深呼吸をして、

できるだけ心を

落ち着かせ、

目をつぶり、

体のその箇所に

意識の矢印を

向け続けます。

 

じーっとただただ

向け続けます。

 

例えば、

両肩が重い、

という場合は

両肩のみを

意識するようにします。

 

その時には

できるだけ

思考は止めてください。

 

解釈をしたり

評価をしたり

するのもやめます。

 

ただ単に

両肩を観察する

イメージです。

 

もしくは、

感覚のみを

「楽しもう」

とします。

 

後悔の出来事を思い出し

「感覚を楽しもう」というのは

さすがに無理だろう、

と思われるかも

しれません。

 

しかしあえて、

「そういった感覚を

楽しもう」

「そういった感覚を

味わおう」

としてみてください。

 

言ってみれば

「人間体験」

みたいなものです。

 

あなたが宇宙人だとして、

「へぇ、人間って

こんな感覚の中で

生きてるんだ」

というのを

体験しているイメージです。

 

それくらいに

客観的に

自分の体の反応を

体験します。

 

・・・・・・

 

まずは、

ここまで。

 

ここまではまだ

セルフコーチングの

準備段階ですが、

もしここで

あまりに辛くてしょうがない、

という場合は、

練習として、

もう少し軽めの出来事

で行なってみると

よいでしょう。

 

ここまでで

重要なのは、

「感覚を掴む力」

です。

 

もしもそれが足りないな、

と思われたら、

ぜひ練習してみてください。

体感覚は

普段の日常生活の中でも

いつでも

養うことができます。

 

一つ一つの自分の

行動や体験、

例えば

目に見えるものや

聞こえるものに対して、

体の感覚に

都度、意識を向ければ

よいのです。

 

例えば、

道端で綺麗なお花を

見つけた時、

「あぁ可愛らしいな」

と思うだけでなく、

その時自分の体の

どこがどのように

反応しているか?

を確認するのです。

 

そういったことを

続けるだけで、

たったの数日で

体感覚がよくわかるように

なる人も多いです。

 

私達は

この3次元の世界では

体を使って生きています。

 

体は日々、

いろんなことを

感じ取っています。

 

感じていることを

把握する。

 

それだけのことです。

 

まずはここから

始めましょう。

 

『セルフコーチングを使った

良い後悔の仕方』

は、

明日以降も続けます。

 

つづく

 

きちんと後悔と向き合ってますか?

後悔のない人生が

いい。

 

誰だって

そう思いますよね。

 

私だって

そう思います。

顕在意識では。

 

でも、

人生に後悔は

付きものです。

 

なぜなら

人生の意味とは

「進化」だからです。

(→前回記事)

 

思惑通り行かずに

後悔をする。

 

そして後悔するからこそ、

次の展開が起こる。

 

その展開により

感動と共に

進化が起こる。

 

それにより

次のステージに

進む。

 

・・・というのが

人生の普通の進み方

です。

 

かと言ってもちろん

わざと後悔する必要は

ありません。

 

大切なのは、

今、自分の中にある

「後悔」に

きちんと

光と当てることです。

 

・・・・・・

 

後悔の仕方には、

・悪い後悔の仕方と

・良い後悔の仕方が

あります。

 

悪い後悔の仕方とは、

一言で言えば、

「後悔」を後悔のままに

しておくことです。

 

「あぁ、なんで私は

あんなことをしてしまった

のだろう・・・。」

 

と思うその気持ちを

その気持ちのままに

持ち続けることです。

 

何かに後悔し、

「あぁ、なんで私は

あんなことをしてしまった

のだろう・・・。」

と思う。

 

その次の日も

まったく同じように

「あぁ、なんで私は

あんなことをしてしまった

のだろう・・・。」

と思う。

 

さらにその次の日も

まったく同じように

「あぁ、なんで私は

あんなことをしてしまった

のだろう・・・。」

と思う。

 

さらにさらに

その次の日も・・・。

 

というように、

延々と同じ後悔の気持ちを

そのまま抱えている場合が

あります。

 

これでは逆に

「後悔」の意味が

ありません。

 

この場合は、

後悔し続けることで、

人生が止まって

しまいます。

 

「後悔」とは

「進化」のきっかけとなる

宝物です。

 

ですからそれは

宝の持ち腐れ

となります。

 

・・・・・・

 

もしくは、

もっと悪い後悔の仕方

があります。

 

それは、

後悔を誤魔化す

ことです。

 

つまりは、

「私は後悔など

していない」

と思い込んだり、

もしくは

「私は後悔など

してはいけない」

と、無理な前向きさを

創り出すことです。

 

これは

最も良くないです。

 

よく

言われますね。

 

「過去など

振り返らないで

未来のみに進もう」

と。

 

これは実は

最も良くないです。

 

これは

「現実逃避」の

典型的なパターン。

 

もちろん、

未来に向かうことは

大事です。

 

未来に意識を

向けることも

大事。

 

しかし、

過去の自分の後悔に

フタをしたまま

未来に向かえば、

それは

「現実逃避としての

未来」

にしかなり得ません。

 

これは

私達の真本音が

最もイヤがることです。

 

・・・・・・

 

良い後悔の仕方とは、

まずは

自分の心の中に湧く

その後悔の念に

「光を当てる」

ことです。

 

つまりは、

その気持ちを

しっかりと見つめる

こと。

観察すること。

 

そして、

100%、

感じ取ること

です。

 

それは辛そうだなぁ、

と思われる人も

多いかもしれません。

 

しかし、

これが最も

楽な方法です。

 

なぜ、後悔が

辛くなるか?

 

それはその後悔から

逃げようとする

からです。

 

逃げれば逃げるほど、

後悔は

追いかけてきます。

 

逃げれば逃げるほど、

後悔は

それに反発するかのように

巨大化します。

 

「後悔」とは

反応本音です。

 

反応本音とは、

逃げたり打ち消そうとすることで

反発的に

増大します。

 

逆に、

そこにしっかりと

光を当てて、

しっかりと向き合うことで

それは

開放され、浄化されて

いきます。

 

心を開放するの

です。

 

もしそれにより、

泣きたくなれば

そのまま

泣けばよいのです。

 

涙は

健康の証です。

 

子供はよく

泣きます。

 

心が健康

だからです。

 

しかし大人は

泣くことを

忘れます。

 

心が不健康な

証拠です。

 

私は

真本音度合いが高まることで

すぐに涙を流せるように

なりました。

 

心が健康になったな

と思います。

 

さて。

 

良い後悔の仕方については

さらに

詳しくご説明していきます。

 

つづく

 

思惑通りに進む人生は、人生ではない

人生とは、

思惑通り・意図通りに

いかないように

できています。

 

なぜなら、

思惑通り・意図通りに

すべての物事が

進んでしまうと、

人生の意味そのものが

なくなるからです。

 

人生の意味とは?

 

様々な視点からの

答えがありますが、

最も根本的な視点から

言えば、

それは

 

「進化」

 

です。

 

私達自身の「進化」のために

人生はあります。

 

そのことを

最もよくわかっているのが

私達自身の「真本音」

です。

 

人生というステージにおいて

私達の真本音は

「進化のための一歩」

を踏み出し続けようと

します。

 

真本音度合いが高まる

ということは、

進化へのスピードが

高まるということです。

 

真本音度合いが低い

ということは、

進化へのスピードが

遅い、

もしくは

進化をまったくしていない

ということです。

 

そして人は、

進化を続けている時は

楽で

安定して

安心できます。

 

進化が止まっている時は

苦しく

不安で

不安定になります。

 

ですので、

人生が思惑通りに

進むようになると、

実は

私達は苦しくなるのです。

 

不安になり

不安定になるのです。

 

面白いでしょ?

 

・・・・・・

 

真本音度合いが上がると

自分の思惑は

ほぼ、すべて

外れるようになります。

 

思惑とはもちろん、

顕在意識レベルの思惑を

指しています。

 

私も、

真本音度合いが

高まれば高まるほど

自分の思惑が

外れるようになりました。

 

思わぬ展開、

というのが多く

なりました。

 

しかしその代わり、

自分の「願い」や「祈り」は

必ず実現するように

なりました。

 

思惑通りにいかないのに、

「願い」「祈り」は

必ず実現する。

 

これが

真本音度合いの高まった人の

人生展開の

特色です。

 

だから、

面白くって

しょうがない。

 

本当に

面白い。

 

へぇ、

こう来たか!

 

まさかこんな展開に

なるとは!

 

へっ?

こんな道があったの?

 

・・・みたいな

あまりに楽しく

劇的な展開が

多くなります。

 

ひょっとすると

以前の自分が

「これは奇跡だ!」

と思っていたことが

今は日常茶飯事で

起きているのかも

しれません。

 

思惑通りに

いかないということは、

自分の顕在意識の

範疇の発想では

到底収まりきれないような

展開がある

ということです。

 

それは多くの場合、

「想像以上に

面白い展開だ!」

ということです。

 

「想定以上に

楽しかった!」

ということです。

 

それこそ

「冒険」

です。

 

冒険とは

その途上においては

上手くいかないこと

ばかりです。

つまりは、

思惑通りにいかないこと

ばかりです。

 

しかしだからこそ、

その後の展開と

結果が

感動的になります。

 

そう。

 

人生に

感動が多くなる

のです。

 

それが

真本音で生きる

ということであり、

真本音度合いが高まる

ということです。

 

・・・・・・

 

セルフコーチング法とは

真本音度合いを高める

ためのものです。

 

真本音度合いの高まらない

セルフコーチング法が

もしあるとすれば、

それはもう

セルフコーチング法では

ありません。

 

そして

セルフコーチングを

すればするほど、

思惑通りに

進まなくなる

ということになります。

 

自分と向き合えば

向き合うほど、

思惑通りに進まなくなる

のです。

 

面白いでしょ?

 

でもそれこそが

「人生」の

本当の意味なのです。

 

セルフコーチング法とは

人生の本当の意味を

実感するためのもの、

人生の醍醐味を

より強く深く

感じ取るためのもの

とも言えますね。

 

・・・・・・

 

思惑通りにいかない、

ということは

それだけ

後悔が多くなる

ということになります。

 

人は、

後悔することを

嫌がります。

 

でも、

私達の真本音は

わざと後悔を

呼び起こすような展開を

自分にもたらすことが

あります。

 

それはやはり

「冒険」の

ためです。

 

それを通じた

「進化」のためです。

 

私にも

「後悔」は

いくらでもあります。

 

日々、

「後悔」を

量産し続けています。

 

しかし

「後悔」が来た時が

私にとっては

喜びの瞬間でもあります。

 

なぜならそれが

「冒険」の始まり

であり

「感動」の始まり

だからです。

 

ただし、

「後悔」にも、

良い後悔の仕方と

悪い後悔の仕方が

あります。

 

セルフコーチングとは

良い後悔をするためのもの

とも言えます。

 

後悔が起きた時の

セルフコーチングのやり方。

 

それを

次回から

ご紹介しますね。

 

つづく

 

圧倒的な答えを見つけよう

心の中にモヤモヤが

現れると私はいつも

チャンスだ!

と思います。

 

そしてそのモヤモヤが

最大化したその瞬間に

モヤモヤと

向かい合います。

 

それは時には

かなりの「苦しみ」を

伴っていることも

あります。

 

しかし

「苦しみ」が大きければ

大きいほど、

より強く

チャンスだ!

と思えます。

 

心の中の

苦しみ。

 

それは

逃げれば逃げるほど

辛いものとなります。

 

向き合えば

向き合うほど

それは開放され

楽になります。

 

楽になりながらも

その「苦しみ」や

「モヤモヤ」の中身が

観えて来ます。

もしくは、

聴こえて来ます。

 

私の場合、

それらは実は

私自身のものでは

なかった

というケースが

ほとんどです。

 

つまりは、

今日向かい合った

クライアントさんや

お客様から

受け取った「苦しみ」や

「モヤモヤ」である

場合が多いのです。

 

もちろんその「苦しみ」の

具体的な中身までは

わかりません。

 

しかし、

その人がどのような傾向の

「苦しみ」や「モヤモヤ」を

今、現在

抱えているのかを

理解することはできます。

 

そして

私はそれらと

100%向かい合い、

全身で感じ続けます。

 

100%それができると、

それらの「苦しみ」や

「モヤモヤ」は

きれいに浄化されます。

 

浄化の後に

残るのは

「答え」

です。

 

その「答え」とは

多くの場合、

その次の一歩として

その人が

何をすれば良いか?

もしくは、

私自身がその人に

どのようなサポートの

一手を行なえばよいか?

の答えです。

 

「苦しみ」と「モヤモヤ」が

大きければ大きいほど、

その「答え」も

圧倒的なものと

なります。

 

それを私は

『直観』

と呼んでいます。

 

心の中に

「モヤモヤ」を見つけた時、

そこには必ず、

「直観」が

潜んでいます。

 

ですから私は

チャンスだ!

と思うのです。

 

・・・・・・

 

「直観」とは

圧倒的な発想

であり、

圧倒的な答え

です。

 

それを私達が

得たとき、

私達は

突き動かされます。

 

理由づけや

理屈や理論は

そこには

ありません。

 

必要

ありません。

 

ただただ、

その答えの通りに

動きたくなります。

 

いえ、

考える間もなく

勝手に体が

動いてしまいます。

 

そこには

一切の迷いが

ないからです。

 

100%の答え

だからです。

 

私は、

「直観」と「直感」を

いつも区別して

表現しています。

 

一般的に書かれる

「直感」

とは、幅広いひらめきや

気づきを

表しています。

 

もちろんそれらは

宝物のように

大事なものです。

 

が、

100%でない答えも

含まれています。

 

ですから、

「直感」がどれだけ

働いても、

その通りに動くかどうか?

は、

時と場合ですし、

特にビジネスの世界では

「直感」に対して

その理由づけをしっかりと

した上で、

実行に移していく

というケースがほとんどです。

 

しかし

「直観」は

それとはちょっと

次元が異なります。

 

もう、

理由づけも根拠も

必要ないのです。

 

「答え」を得た瞬間に

動いてしまう。

 

その動きに

迷いは一切

ありません。

 

つまり一言で言えば、

「確信」。

 

根拠のない確信。

 

いえ。

 

本来、確信とは

根拠の必要ないもの

なのだと思います。

 

そういった

圧倒的かつ確信の

答え。

 

これを私は

『直観』

と呼んでいます。

 

・・・・・・

 

大きなモヤモヤの

その向こうには

「直観」

が待っています。

 

ということは

その「モヤモヤ」や

「苦しみ」に

向かい合わないことが

いかに

もったいないことか。

 

ところが実際には

そこに真正面から

向かい合おうとする人は

ごくわずかです。

 

どうしても人は

「モヤモヤ」から

逃げようとしてしまいます。

 

もしくは、

「モヤモヤ」を

上手く解消しようと

します。

 

その場合、

解消と言ってもそれは

本当の解消ではなく、

モヤモヤに

フタをしたり

麻痺をさせたりする

類のものです。

 

本当の意味で

向かい合い、

本当の意味で

浄化・解消し、

本当の意味での

直観の答えを

導き出す。

 

それができれば、

人はもっと

自由になれます。

 

自分らしく

なれます。

 

そして

望む人生を

自ら拓くことが

できます。

 

私はそれを

セルフコーチング力と

呼んでおり、

今、まさにこれが

世の中に必要な力であると、

それこそ確信に

至りました。

 

直観の答えを

見つけ出す

セルフコーチング法。

 

それをこれから

徐々にご紹介して

行きますし、

 

セルフコーチング法を

指導できるコーチを

育成したい、

とも思っています。

 

そのためのアクションを

今月から

始めます。

 

つづく

 

恐怖は消してはならない

怖い。

 

恐怖。

 

この気持ちは、

「分離」によって

もたらされます。

 

「自分」と「周り」との

分離です。

 

「周り」を

「世界」と表現しても

よいです。

 

「自分」と「世界」の

分離。

 

「自分」は

自分だけでしか

ない。

 

周りとも世界とも

別物である。

 

「自分」は

自分。

 

これを

分離感と言います。

 

もちろん、

ほとんどの人が

この分離感と共に

生きています。

 

それにより、

人とは、

怖さや恐怖を抱くことが

当たり前であり、

それが

人というものである、

と、

みんな思っています。

 

私達がいるこの

3次元の世界は、

分離感によって

成り立っています。

 

・・・・・・

 

分離感は

私達人間にとって

極めて辛いものです。

 

しかし、

この3次元世界に

生まれた瞬間から

私達は

その分離感の

真っ只中に入ります。

 

赤ん坊が

生まれた瞬間に

大泣きするのは、

その分離感に

びっくりしているのだと

私は思います。

 

今まで、

お母さんと

一つだったのに、

いきなりそこから

分離した。

 

その

驚くべき感覚が

私達の人生の

第一歩です。

 

そして

その分離感と

私達は常に

闘いながら

生きてきました。

 

分離感の中でも

しっかり歩ける自分に

なろうと、

努力してきました。

 

分離感に

惑わされない自分。

 

分離感に

負けない自分。

 

そんな自分になることが

人としての

成長であると

信じて、

ここまで来ました。

 

しかし残念ながら、

分離感とは

克服するものでは

ありません。

 

どれだけがんばっても、

分離感は

分離感です。

 

克服できたと

思っていても、

それは単に

麻痺しているだけ。

 

人は、

分離感には

勝てないのです。

 

辛いものは

辛い。

 

怖いものは

怖い。

 

そう

あるがままに感じる

自分を

そのままに

受け止めることができて、

初めて人は

分離感から

自由になれます。

 

それは決して

分離感がなくなるわけでも

弱まるわけでも

ありません。

 

分離感は

そのまま。

 

怖いのも

そのまま。

 

でも、

そこから

解放されるのです。

 

それが、

真本音で生きる

ということであり、

 

高い次元の自分を

思い出すという

ことです。

 

・・・・・・

 

皆さんは、

場と

時と

一つになれた、

というご経験は

ありませんか?

 

最近は

若い人達にこういった

表現を使うと、

「あぁ、わかります、わかります」

と返ってくることが

実に多くなりました。

 

最近の若い人達の感性は

本当に凄いなぁと

思います。

 

「一つになる」

という瞬間が、

私達の人生には

必ずあります。

 

しかもその瞬間は

ここ数年で

一気に増えているはずです。

 

場と、時と、

一つになれている時、

私達は

その瞬間は、

分離感や恐怖から

解放されます。

 

何度も言いますが、

分離感や恐怖が

なくなるわけでは

ありません。

 

それがここにあっても、

どうでもいいことだと

思えるのです。

 

それくらいに

「一つになる」

という体験は

インパクトがあります。

 

しかしそれは

何も特別なことではなく、

私達がもともといた場所は

「すべてが一つ」

という世界ですから、

それを「思い出す」

ということで、

インパクトがあるのです。

 

私達の魂に刻まれた

記憶を呼び起こすからこその

インパクトです。

 

・・・・・・

 

船に乗って

航海をしている時、

船と海は

分離しています。

 

ですからもし

嵐が来た場合は、

転覆するのではないか、

という恐れが来ます。

 

しかし、

海も船も自分自身だとしたら

どうでしょうか?

 

しかも海は、

表面上は

嵐によって荒れていますが、

深海に潜れば、

そこは常に安定しています。

 

しかも、

さらに潜れば、

大地があります。

その大地とは

地球そのもの。

 

その地球とも

一つであるとしたら。

 

すべてが私

であるとしたら。

 

もちろんそれでも

恐怖が消えることは

ありませんが、

それでもその恐怖よりも

もっと大きな安定感を

私達は得られるのでは

ないでしょうか。

 

地球とも海とも

一つである自分。

 

それを思い出しながらも、

船として生きる人生を

楽しむ。

 

・・・これが

真本音で生きる感覚です。

 

高い次元を

思い出している

感覚です。

 

私達人間の実に

面白いところは、

どれだけ高い次元を

思い出しても、

低い次元が

なくなることはない、

すべての次元が

共存している

というところです。

 

これこそが

人間の魅力。

 

人間の

面白さ。

 

人生の

面白さ、です。

 

地球も海も

すべては自分ではないか、

という安定感と、

荒海に揺れる船としての

心細さの

共存。

 

これが

私達人間です。

 

この両方を感じながら

生きるのが

人としての

楽しさの本質です。

 

この本質を

存分に感じ取るために

私達が身につける

最も重要なスキルが

セルフコーチング法であると

私は思っています。

 

セルフコーチングとは

・自分と

・現実と

あるがままに向き合う

手法です。

 

これができることで、

高次元も低次元も

すべての自分と

共に生きることが

できるのです。

 

つづく

 

生まれたばかりの自分を取り戻そう

以前、私の母親から

聴いたのですが、

私は生まれたばかりの

赤ん坊の頃、

ほとんど

泣かなかったそうです。

 

ただ大仏のように

ジーッとしていたそうです。

 

あんまり泣かないものだから、

心配になって

産婦人科の先生に

相談に行ったそうです。

 

産婦人科の先生は

「どれどれ・・・」

と言いながら、

私のお尻を思いっきり

つねったそうです。

 

すると

私は大泣き。

 

「あっ大丈夫ですね。

これだけ泣けば

健康です」

 

・・・だって。

 

「大丈夫ですね」

じゃねーだろうよ。

こっちは落ち着いて

この世に生まれたことを

しみじみと

味わっていたのによぉ。

 

・・・と私は

思っています。笑

 

実は、

当時の私は

この世に生まれた悦びを

一人静かに

噛み締めていたのでした。

 

その記憶が

あります。

 

というよりも、

いつでもその時点の自分に

戻れるのです。

 

人生の最初の頃の

自分。

 

私はたまたま

「実在」をあるがままに

感じ取れるので

それが顕在意識レベルで

できますが、

本当はすべての人が

(当たり前のことですが)

生まれたばかりの頃の

自分をちゃんと

覚えています。

 

その時の

自分の想い、願い、

そして

強い意志。

 

この世には、

強い意志がなければ

生まれてくることは

できません。

 

この世に

生まれてきたということは

もうそれだけで

大変なことですし、

私達は

自分の人生を引き受ける

覚悟が

できているのです。

 

最初から。

 

それが、

今ここにいる

すべての

私達です。

 

・・・・・・

 

3歳の頃。

 

私はふと、

青空を見上げ、

自分の体が健康であることを

とてつもなく深く

感謝しました。

 

健康とは

なんて素敵な

ことなんだ!

 

と、

とてつもなく深い

悦びを感じました。

 

6歳の頃。

 

あれは確か、

小学校の入学式の

直後です。

 

田んぼに咲く

満開の蓮花の花々を

見ながら、

「あぁここから、

私の人生は本当に

始まるのだな」

と、

感慨にふけっていました。

 

これから何度も、

春のこの始まりの気持ちを

感じるだろうが、

今この目の前にある

満開の蓮花の花々を

私は一生忘れずにいよう

と思いました。

 

そして、10歳の頃。

 

私は、

私の人生の終わりに

想いを馳せました。

 

死を迎えるというのは

なんと、

恐怖を伴うものだろうか、

ある意味びっくり

しながら。

 

しかし、

私はどのように人生を

終えるのだろうか。

 

私はその時、

どのような自分に

なれているのだろうか、

と、

何十年も先の自分に

想いを馳せました。

 

そして

その想いを

「ラストページ」

という名の

詩にしました。

 

どこでどうなったのかは

まったく覚えていませんが、

その詩が

朝日新聞に掲載される

ことになりました。

 

それは、

人生の最期が

迫っている人が

人生の最期に

書くような内容の

詩でした。

 

ませたガキだと

お思いでしょう。

 

確かに

そうですね。

 

でも、恐らくそういった

ませた自分が出る

その瞬間の私は

「実在」を

感じ取っていたのだと

思います。

 

ませているのは

本当にその瞬間だけで

あとは普通の

子供でした。

・・・だったと思います。

 

「実在」を感じ取る

とは、

過去も未来もすべてを

「今ここ」に

感じ取れるという

ことです。

 

過去の自分にも

なれますし、

未来の自分にも

なれます。

 

それは

イメージでも想像でもなく、

本当の

「実在」です。

 

私はたまたま

それを顕在化できますが、

顕在化できるかどうかは

別として、

すべての人が

本当はそういったことが

できます。

 

つまり、

過去も未来もすべて

自分の人生を

引き受けて、

「今ここ」における

判断や決断を

下すことができる

ということです。

 

・・・・・・

 

私達は、

自分の人生を

自分で

引き受けています。

 

最初から。

 

生まれた

その瞬間から。

 

だから

ここに存在

できています。

 

にも関わらず、

自分の人生から

逃げる方向の

発想や決断や行動を

し続けてしまう人が

います。

 

それもまた人間

なのですが、

でも、

なんか、

もったいないですね。

 

せっかく

人生を引き受けたのですから、

そんな自分を

思い出せるといいなぁ、と

よく思います。

 

そんな自分を

思い出した方が

よっぽど人生は

楽なんですけどね。

 

逃げれば逃げるほど

辛くなる。

・・・それが人生。

 

楽になるために

逃げようとしますが、

それをすればするほど、

苦しみは

増してしまいます。

 

開き直って、

私の人生は

私のものだ。

私の人生は

私が決める。

となった方が

よほど、

身が軽くなります。

 

あなたは

あなたです。

 

他のどこにも

あなたは

いません。

 

あなたが

あなたなのです。

 

そして

あなたの人生は

あなたのものです。

 

その人生を

良くするも

悪くするも

それは

あなたしだいです。

 

もちろん、

何が良くて

何か悪いのかも

あなたが

決めるのです。

 

・・・こう言われて

辛さを感じる人は、

もう少し

自分の想いや願いや

意志を

大切にした方が

よいですね。

 

つづく

 

本当のコーチを育成したい

私は、コーチとは

クライアントさんの鏡である

と思っています。

 

クライアントさんの

真本音を映し出す鏡

です。

 

真本音は時に、

自分自身に対して

非常に厳しくなることが

あります。

 

特にクライアントさんが

ご自分の人生から

逃げようとしている時は

かなり厳しいです。

 

そういったクライアントさんと

向き合っていますと、

私の中に自然と

とてつもなく厳しい言葉が

浮かんで来ます。

 

それはもちろん

私の気持ちでは

ありませんし、

ましてや

私の解釈でも

ありません。

 

クライアントさんの

真本音からの

ダイレクトメッセージ

です。

 

特に厳しいメッセージを

受け取った場合、

私は心の中で

そのクライアントさんの

真本音に問います。

 

「この言葉、

今、あなたに伝えた方が

良いですか?」

と。

 

「はい、今すぐに

ここで私に伝えてください」

との

返答があった場合、

私は躊躇なくそれを

お伝えします。

 

それにより

多くの場合、

そのクライアントさんは

崩れます。

 

場合によっては

立ち直れなくなるくらいに

崩れ落ちます。

 

それはそうです。

 

その人自身の

真本音メッセージ

なのですから。

 

自分にとって

最も痛いところを

真本音はよく

わかっています。

 

その、痛いところを

私は躊躇なく

突いてしまいます。

 

いえ、

本当は、私の心は

躊躇でいっぱいです。

苦しみも

あります。

 

でも、

そのクライアントさんの

真本音が望むならば

私はやはり、

その「鏡」となります。

 

私は

こういったことを

100%できる人のことを

「コーチ」と

呼んでいます。

 

100%できない場合は、

その人はまだ

「コーチ」ではない、と

私は思っています。

 

・・・・・・

 

こういったことを

書くと、

厳しいなぁ、

とか

怖いなぁ、

とか

思いますよね、きっと。

 

人間であれば

それは当然です。

 

時には私も

私自身に対して

厳しすぎるのではないか?

と思うことがあります。

 

でもやはり

私は、その人の

真本音の鏡であり続けよう

とします。

 

当たり前のことですが、

人生とは

机上の空論では

ありません。

 

生身の人間が

生身のままで

体験を続けるのが

人生です。

 

思う通りにいかないことなど

無限にあります。

 

躓くことも、

ひっくり返ることも、

立てなくなることも

あるのが

当たり前。

 

それが

人生です。

 

人間は

それほど強いものでは

ありません。

 

すぐに

逃げたくなるし、

すぐに

誤魔化したく

なります。

 

それが

人間です。

 

そういったことを

全部、

受け止めて

引き受けて、

全部わかった上で

それでも燦然と

心の中心で

輝き続けるのが

その人自身の

真本音

です。

 

何があろうが、

ボロボロになろうが、

クタクタになろうが、

真本音は

ただただ

そこにあります。

 

すべての現実を

受け止め、

すべての自分を

受け止め、

その上で、

自分にとっての最善の一歩を

踏み出そうとするのが

すべての人の真本音の

意志であり

願いです。

 

人生には

意味があります。

 

意義があります。

 

すべての人は

使命を持って

います。

 

すべきこと、

やり遂げること、

行き着きたい場所を

すべての人は

心の中心に

抱いています。

 

その「願い」も

「祈り」もすべて

真本音はよく

わかっています。

 

「理想」をよくわかり、

しかし

「現実」もよくわかり、

その上で、

「理想」と「現実」の

狭間における

「最善」の選択を

しようとする。

 

それが私達の

真本音です。

 

真本音メッセージとは

そんな真本音から

自分自身への

メッセージです。

 

「コーチ」とは、

そのメッセージを

100%届けることが

役割です。

 

残念ながら

現時点は、

それを本当にきちんと

やり遂げられる人が

実に

少ない。

 

本当に

少ない。

 

もっと増えれば

いいな、と

切に願います。

 

だから私は

「コーチ」を

育成し続けています。

 

そして、

私自身が

「コーチ」であろうと

し続けています。

 

・・・・・・

 

そういった意味で、

「コーチ」とは

誰よりも自分自身の

真本音と

しっかり語り合える人

でなければなりません。

 

自分の真本音が

わからない人が

人の真本音の鏡に

なれるわけがありません。

 

ですから、

「コーチ」とは

誰よりも

セルフコーチング力が

なければならないのです。

 

「コーチ」という

立ち位置に立つ、と

真本音で決めている人は

世の中に

たくさんいます。

 

しかし、

その自分の意志に

気づいていない人が

ほとんどです。

 

ですから私は

「コーチ」の素養を持った人を

発掘します。

 

そして

その人達に

「セルフコーチング法」を

まずはお伝えしたいと

思っています。

 

つづく

 

私は私のできることを始めます

十数年前、

私が自分自身の真本音と

出会ってから、

私は私の中にある

「ある一点」

をずっと観続けている

気がします。

 

その「一点」とは、

言葉にはなかなか

表現できないものですが、

今もって

そこから目を離すことが

できません。

 

見つめても見つめても

その「一点」は

あまりにも魅力的で、

見つめれば見つめるほどに

私は自分自身を

取り戻していく感覚が

あります。

 

例えば、

誰かと雑談している時も、

お風呂に入っている時も、

お客様にセッションを

させていただいている時も、

研修で前に立って

お話ししている時も、

私はどんな時もずっと

その「一点」を

観続けている気がします。

 

そして

それをし続けているうちは、

私は本来の自分、

真実の自分に

戻り続けている。

 

その戻り続けている自分

だからこそ、

私は人と

向き合い続けることが

できる。

 

そんな

気がしています。

 

その「一点」とは

まるで、

漆黒の宇宙の中に

たった一つ浮かぶ

星のようです。

 

それはとても

小さなものですが、

とてつもなく

明るく、

深い深いエネルギーに

満ちています。

 

恐らくこれが

観えているうちは、

私は自分を見失うことは

ないでしょう。

 

・・・・・・

 

私の中にそういった

「一点」があるということは、

すべの人の中にも

同様にして

それがある、ということです。

 

思えば、

私の「願い」とは、

すべての人が

その「一点」を

自らの力で、

つまりは、「自力」で

見つけられますように。

・・・ということかも

知れません。

 

それは「願い」というより

「祈り」ですね。

 

私はその「祈り」に基づき

自分のあらゆる行動や

振る舞いを

決めているのだと

思います。

 

そしてその「祈り」は

その「一点」から

来てますね、きっと。

 

今、こうやって改めて

「一点」を見つめながら

この文章を

書いていまして、

一つわかったことが

あります。

 

それは、

その「一点」とは、

私がとてもよく知っている

「世界」

である、ということです。

 

恐らく私は

その「一点」の中に

自由に出入りが

できる。

 

そして、

そこにある

あらゆるものと

常に

対話をしている。

 

そんなことが

よくわかります。

 

・・・・・・

 

人は、

この「一点」と

対話ができている

のでしょうか?

 

こう問いかけると

その瞬間に

とてつもない

「空虚感」が

来ます。

 

ということは、

対話ができている人は

極めて少ないのだな、

と実感します。

 

と同時に

当たり前のことですが、

もったいないなぁ、と

思います。

 

「一点」と

対話しながら進めば

もっと楽なのに。

 

「一点」と

対話しながら進めば、

もっと自分らしく

あれるのに。

 

「一点」と

対話しながら進めば、

人生の意味も意義も

すぐに

実感できるのに。

 

人としての

最も根源的な幸せ感を

常に

感じ続けられるのに。

 

今のこの世の中は

残念ながら

「分離感」に

溢れています。

つまり、

多くの人達が

「孤独」です。

 

心の奥底に

必ず皆、

「孤独」を抱え、

「孤独」への恐怖と

抵抗を抱きながら

生きています。

 

もしそこから私達が

解放されるならば、

一人ひとりの

一歩一歩の行動と

振る舞いは、

根底から変化を

始めるでしょう。

 

それは世の中全体が、

「人間」が本当に

望んでいる方向に

進み始める、という

ことに他なりません。

 

「孤独」から逃れる

ために、

私達は「味方」を

創り、

「味方」を得るために

「敵」を

創ります。

 

「正しいもの」と

「正しくないもの」を

創り上げるのも

まったく同じことです。

 

もうそろそろ

この、辛い循環から

抜け出したいですね。

 

・・・・・・

 

「セルフコーチング」

という言葉が

最近、本当に

よく浮かびます。

 

というよりも、

この言葉を

実際の会話の中で

出すたびに、

会話の次元が一つ

上がる感覚が

最近はずっと

しています。

 

私はずっとこれまで

恐らく

十数年、

ずっとずっと

セルフコーチング法というものを

お伝えし続けようと

して来ました。

 

ところが、

それをしようとすればするほど、

「逃げられている」感覚

がありました。

 

ですので、

本当はお伝えしたいのに

それができない、

というジレンマに

あり、

私自身にも

それをお伝えすることへの

躊躇が

ありました。

 

しかし、

なんか最近は

その躊躇が

取れつつあります。

 

世の中がどうやら

本気で

セルフコーチング法を

求めて来ている

ようです。

 

であれば、

私はずっと自分が

やりたかったことを

するのみです。

 

つまりは、

セルフコーチングの

各種手法を

ご提供するのです。

 

ただ、

私がセルフコーチング法と

呼んでいるものは、

一般的なものと

同じであるのか違うのか、が

私にはわかりません。

 

私はいつも

「現場」の中におり、

その「現場」で見つけ、

「現場」で有効に働くものしか、

・・・つまりは、

自分がそれを使い

自分が納得し、

人にそれをお勧めして、

人が納得したもの

しか信じないように

しています。

 

「現場」とは

人生の現場です。

 

私の言う

セルフコーチング法とは、

そういった人生の現場の

真っ只中で

発見したもの、

のみです。

 

それはあくまで

私が

私の関わる人達と共に

発見したものですので、

一般的に広まっている

セルフコーチング法と

同じなのか、違うのか、は

わかりません。

 

でも、

私は

私のできることを

する。

 

それは、

私が、現場で発見できた

ことを

できるだけわかりやすく

ご紹介する

ということです。

 

この6月からは、

そこに、これまで以上に

注力していくことに

しましょう。

 

つづく

 

冒険の旅に出ませんか?

私は

「たけうちなおと」

という一人の人間ですが、

私自身が

「たけうちなおと」

と思っているものと

真実の

「たけうちなおと」

異なるものです。

 

私は

私自身のことを

恐らくまだ

これっぽっちも

理解できていないでしょう。

 

ちなみに私は

特にこの16年間は

自分と

向き合って

向き合って

向き合い続けて

まいりました。

 

自分のことを

理解しよう

理解しよう

理解しようと

し続けてまいりました。

 

その中で

「真本音」という

確固たる存在と

出会うこともできましたし、

私自身の中の

無限とも言える

多くの「反応本音」とも

出会って来ました。

 

毎日休みなく

24時間

私は自分自身と

向き合い続けようと

して来ました。

 

それが私の使命であるし、

世の中における

役割であると

ずっと思って来ましたし、

今ももちろん

思っています。

 

そして、

その現場と現実の中で

得ることのできた

自分自身との向き合い方を

「セルフコーチング法」

として

体系化もしています。

 

その体系化されたものは

日々、

進化を続けています。

 

それは

机上の空論的な

ものではなく、

あくまでも

現場と現実の中で

発見された

「生」のものです。

 

それを

16年、ずっと続けて来た

私が断言します。

 

私は

今もって

私自身のことを

これっぽっちも

理解できていない、

と。

 

そして、

私が認識している

「たけうちなおと」

と、

真実の

「たけうちなおと」

異なるものである、

と。

 

それほど

私達人間とは

奥の深いものです。

 

というよりも、

自分で自分のことを

理解し切れないように

できているのが

私達人間であると

言ってもよいでしょう。

 

自分のことが

わからないのが

「人間」

なのです。

 

・・・・・・

 

しかしだからと言って、

自分のことを

理解しよう

とすることを

あきらめましょう

という話では

ありません。

 

むしろ、

逆です。

 

わからないからこそ、

永遠に

理解しようと

し続けるところに

私達が存在する意味が

あるのではないでしょうか。

 

理解できるかどうか?

ではなく、

理解しようと

し続けるかどうか?

 

それができている人は

それをしているという

そのプロセスそのものが

魂や心を

満たしてくれるのです。

 

逆に言えば、

私達人間は

永遠に

「わからない自分を

わかろうとする」

「理解できない自分を

理解しようとする」

ように

できているとも

言えます。

 

つまり、

「わからない」こと

「理解できない」こと

そのものに

価値があるという

ことです。

 

これが、

私は

人間の本質の一つ

であると

思います。

 

だから今日も私は、

自分のことを

理解しようと

し続けましたし、

明日も

そうするでしょう。

 

そして

その生き方が

私の魂と心を

満たし続けて

くれるでしょう。

 

さらに、

魂や心が満たされた私が

向き合うことで

私と向き合った方々の

魂や心も

満たされ始めるでしょう。

 

もちろんこれは

私だけに限られた

ことではなく、

自分を理解しようと

真剣に生きる人は

すべて、

周りの人達の

魂や心を満たすきっかけを

与えることができるでしょう。

 

・・・・・・

 

わからないものを

わかろうとするのは

人の本能の一つです。

 

その、

わからないものの

筆頭が

自分自身です。

 

ですから、

「私のことを一番

わかっているのは

私だから」

と思うこと自体が

もったいない。

 

あなたは

そんなもんじゃないよ!

と私は

お伝えしたい。

 

いや、

そうお伝えし続けているのが

私のサポートの

本質かも知れませんね。

 

そう。

 

あなたは

そんなもんじゃない。

 

あなたが

あなた自身だと

思っているその「あなた」は

単なる

幻想です。

 

思い込みです。

 

ちょっと言い方が

きつければ、

それはあくまでも

「あなたのほんの一部」

に過ぎない、

ということです。

 

その

「ほんの一部の自分」

に執着し、

その

「ほんの一部の自分」

を守るためだけに

人生の貴重な時間を

使ってしまうのは

もう

やめてしまいましょう。

 

それよりも、

未開発の

未発見の

あなた自身を

見つける旅を

しませんか?

 

それはそれは

楽しい

冒険の旅ですよ。

 

「冒険」は

今この瞬間から

もう、すぐに

始めることが

できますよ。

 

つづく

 

場に支配されてませんか?

『場』・・・。

 

私達の生きる

様々なシチュエーションで

「場」

はあります。

 

例えば、

家族との場。

 

友達との場。

 

職場。

 

私達はそれらの

「場」に入ると、

その「場」からの

影響を受けます。

 

「場」とは、

人が集まる場所。

 

人が集まれば、

「場」

そのものに

力が宿ります。

 

そこに

どのような人達が

集まっているかによって

「場」のエネルギーは

変わります。

 

そして、

「場」のエネルギーは

そこに在り続け、

「場」のエネルギーと

そこに集う

「人」のエネルギーとの

相乗効果によって

また

その「場」が

形成されます。

 

「人」が「場」を

創りますが、

「場」そのものが

まるで生き物の

ようです。

 

・・・・・・

 

様々な企業様を

初めて訪問させて

いただくとき、

私はまずは

必ず、「場」を

観ます。

 

そして

感じます。

 

ここにいらっしゃる

社員の皆さんは

どのような「場」を

形成しているか?

 

そして、

社員の皆さんは

「場」から

どのような影響を

受けているか?

 

そこは、

「人」が「場」を

左右する場なのか?

 

それとも、

「場」が「人」を

支配する場なのか?

 

つまりは、

「人」と「場」の

力関係を観て、

感じます。

 

その力関係によって、

私のサポートの仕方は

根本的に

変わります。

 

私は

「人」と向き合うのと

同時に、

「場」とも

向き合うのです。

 

・・・・・・

 

これは

職場だけでななく、

あらゆる場所においても

共通することです。

 

例えば、

電車の駅。

 

例えば、

レストランや

カフェ。

 

例えば、

公園やレジャー施設。

 

例えば、

神社やお寺。

 

街全体。

 

ちょっとした

道端。

 

あらゆるところに

「場」があり、

それぞれの

エネルギーが

あります。

 

そしてやはり

あらゆる「場」で

「人」と「場」の

力関係は

変わります。

 

・・・・・・

 

「場」が

プラスのエネルギーを

持っていれば

問題はありません。

 

しかし

マイナスのエネルギーを

持っている場合は、

気をつける

必要があります。

 

真本音度合いの

高い人は

どこの「場」に行っても

支配されることは

ありません。

 

その人自身が

「場」に影響を

与えます。

 

よく、

パワースポット

という言い方がありますが、

真本音度合いの

高い人は、

その人自身が

パワースポットと

なります。

 

歩くパワースポット

と言ってもよいです。

 

そういった人は

どこに言っても

「場」のエネルギーを

プラスに変換します。

 

時々、

真本音度合いの高い

人が、

「パワースポット巡りを

して、自分を元気に

しています」

と言われるのですが、

いつも私は

笑ってしまいます。

 

「いやいやいや、

あなた自身が

パワースポット

なんですよ」

とお伝えすることも

あります。

 

真本音度合いが高い人は

どこの「場」よりも

エネルギーが

高いのです。

 

そして逆に、

真本音度合いの

低い人は、

どこに行っても

「場」の影響を

受けやすくなります。

 

「場」に

パワー負けして

しまうのです。

 

プラスのエネルギーの

「場」に行けば、

元気になりますし、

マイナスエネルギーの

「場」に行けば、

元気を失います。

 

真本音度合いが

低いということは、

外部環境によって

右往左往しながら

生きることになり、

とても疲れます。

 

・・・・・・

 

私が企業様に

入らせていただき、

「人」と「場」の

関係を拝見し、

もし

「場」の方が

影響力の強い場合は、

まず、

「場」を変えます。

 

「場」そのものの

エネルギーを

プラスに変えて

しまいます。

 

そんなことが

できるの?

と言われそうですが、

簡単にできます。

 

しかもそれは、

私特有の力ではなく、

人は誰もが

できることです。

ただし、

真本音度合いが高いことが

必須です。

 

そのやり方も

そのうちにこのブログで

ご紹介してもよいかな

とも思っています。

 

例えば、

初めて研修を

させていただく場合などは、

まずは研修を行なう

「場」に行き、

そこのエネルギーを

プラスに変えてしまいます。

 

そして

そこに「人」が入って

来ますと、

入ったその瞬間に

もう

皆さんにプラスの作用が

始まります。

 

すると研修そのものも

非常にやりやすく

なります。

 

そのように

「場」を整えた上で、

今度は皆さん、

つまりは「人」を

整えることをします。

 

ただしそれは

私が皆さんを整える

のではなく、

皆さんが皆さん自身を

整える術を

私がお伝えする

ということです。

 

その術のことを

「セルフコーチング法」

と、私は

呼んでいます。

 

セルフコーチング法を

知っている人は、

自分自身の

真本音度合いを高め、

さらには

「場」に影響を与える

こともできるように

なります。

 

「自分と場を整える」

のが

セルフコーチング法の

基本です。

 

そしてその上で、

「望む現実を創り出す」

ための

セルフコーチング法も

あります。

 

端的に言えば、

・整えるためのセルフコーチング法

・創り出すためのセルフコーチング法

がある

ということですね。

 

今後は、この

二つのタイプの

セルフコーチング法を

様々な方法で

ご紹介していくことに

します。

 

多くの方々に

「場に影響を与えられる自分」

になっていただけると

よいなぁと

思います。

 

つづく

 

今は休養してください

人生には

休養が必要です。

 

・・・なんて、

私が言えた義理では

ないのですが、

それでもやはり

人生には休養が

必要です。

 

私達の真本音は

「今は休養するとき」

完全に決めることが

あります。

 

そんな時は

何をしようとしても

力が入りません。

 

どれだけ自分を

叱咤激励しても、

力が入らないのです。

 

エネルギーが

枯渇します。

 

それはそうです。

 

真本音が意図的に

そのように

しているのですから。

 

そんな時は

止まることこそが

結果的には

最速で進むことに

つながります。

 

いえ、

もっと正確に言えば、

止まることで

進むことができます。

 

現実レベルで

止まることで、

実在レベルで

一気に進む

ということが

できるのです。

 

つまり、

実在レベルで

一気に進むために、

そこに

エネルギーを

集中させるために、

現実レベルの自分の

エネルギーを

枯渇させる、

ということをしている

のです。

 

ということで言えば、

止まることは

決して悪いことでは

ありません。

 

しっかりと

完全に

止まることこそが

最も重要なのです。

 

・・・・・・

 

では、

止まっているときは

具体的に何をすれば

よいでしょうか?

 

私達には

現実レベルで

どうしてもやらなければ

ならないことが

ありますね。

 

まずはそれは

こなしてください。

 

「こなす」

のです。

 

必要以上に

真剣になっては

いけません。

 

適当に「こなす」

ことだけを

考えて、

極力エネルギーを

使わないようにします。

 

それだけをしたら

あとは

理想は、

「何もしない」

ことです。

 

ダラダラと

していてください。

 

「何もしない」

というのは、

本当に何もしないのです。

 

できれば

テレビなども

見ないでください。

 

テレビは、

番組にもよりますが、

見ているだけで

エネルギーを奪われるものが

結構あります。

 

見ているだけで、

自分の次元が下がって

しまうものもあります。

 

そういった疲労は

特に今は

与えない方がよいです。

 

音楽を聴いたり、

読書をしたりするのも、

できれば

極力やめた方が

よいです。

 

音楽も読書も、

エネルギーを奪われる

ものが結構あるから

です。

 

本当に居心地よく

心と魂が

やすらぐようなもので

あれば

よいですけどね。

 

・・・・・・

 

やはり理想は、

ボーッとしている

ことです。

 

ボーッとしていると

心の中に

様々なものが去来

すると思います。

 

その場合も、

ある一つのことを

考え過ぎないで

ください。

 

できるだけ、

心の中に

現れるものと

消えていくものを

ただそのままに

観察し続けてください。

 

観察を続ければ、

ある瞬間、ある瞬間に

ふと

何も考えなくなる

「空白」の時が

訪れると思います。

 

それがほんの一瞬でも

その「空白」が

とても私達を

癒してくれます。

 

私は自分を癒すとき、

よく

深海の底に

横たわっている自分を

イメージします。

 

まるでここが

深海の底で、

周りは真っ暗で

何も見えない状態。

もちろん、

あらゆる音も聴こえない。

 

そんな状態で

寝そべっていると

自分の心も

空っぽになります。

 

そうすると私の場合は

様々な「実在」を

感じ取れるようになります。

 

おぉ、

実在の自分、

今がんばってるなぁ、

とか。

 

誰々さんは今

こんな状態なのだな、

とか。

 

今の世の中って

こんな風に

流れてるんだな、

とか。

 

それは理論とか理屈

ではありません。

イメージでも想像でも

ありません。

 

ただ単に

それがそこに「在る」

ものとして、

そのまま感じ取れるのです。

 

もちろん

そういったことを

意図して行なう必要は

ありません。

 

大切なのは、

自分の心と魂を

休ませてあげることです。

 

もし

ほんの少しでも

「実在」を感じ取れたなら、

それはかなり大きな

やすらぎを

もたらしてくれますけどね。

 

・・・・・・

 

今、

休養を必要としている

人が増えています。

 

そういった人達の多くは

人生の分岐点に

います。

 

これから新たなステージに

入っていくその

転換点にいます。

 

そこでは

「実在」のレベルでは

急速に自分を

前に進めなければ

なりません。

そして、その分

「現実」のレベルでは

自分をしっかりと

休めなければ

なりません。

 

ですが、

エネルギーの湧かない

自分に対して

焦りを感じている人も

多いです。

 

焦る必要は

ありませんよ。

今、

あなたは

とても大事なことを

していますから。

 

ということを

私は

お伝えしたいですね。

 

つづく