チームパフォーマンスコーチ

どこに立ってる?

足元に
意識を向けて
みよう。

今のあなたは
どこに
立っている?

実在のレベルで
それが
わかるかな?

足元に
意識を向けて
自然に浮かぶもの
があれば、

それを
大切にしよう。

ちなみに
今の私は

沼の水面の
上に
立っている。

ちょっと
浮くような
感じで。

広い沼だ。

湖と
言っても良いが、
でもやはり
沼だ。

底は
感じない。

底は
感じないのだが、
なぜか
底が
よく見える。

水は
とても
澄んでいるから。

自分の
足元の実在が
わかったら、

それについて
解釈などは
何もしないで
おこう。

意味も何も
考えない。

ただ、
常にその
足元を意識しながら

日常生活に
向かおう。

そして
足元の変化に
敏感であろう。

それを
続ければ
様々な意味での
気づきが
起こるだろう。。

実在レベル
では
私達は
いろんな場所に
立つ。

その時その時

最もふさわしい
場所に。

ちゃんと
真本音で
決めて
それをし続けて
いる。

それを
そのまま
楽しもう。

つづく

降りてくる?

まるで
宇宙の彼方から
飛来したかの
ように、

実在のレベル
では
目の前に
降りてくるものが
ある。

ただ、
私は基本、

このように
「降りてくる」
ものが
あまり好きでは
ない。

よく
「降りてくる」
という表現を
使う人がいるのだが、

これも実はあまり
好きではない。

なぜなら
真の発想とは

自分の中心から
湧き上がる
ものだからだ。

ただ、
降りてくるものが
降りてくるのは
確かだ。

ただ、
それを
そのまま受け取り
「降りてきた!」

喜んでそれを
使っているうちは

その人は
自律している
ことにはならない。

それらを
ちゃんと
自分に取り込み、

自分の
意志・意思として
ちゃんと

自分

を通して
内側から
発現すること。

それをせねば
自分自身が
まずは
納得しない。
当然、
人に納得して
もらうことも
できない。

実は、
結構、
変なものも
いっぱい
降りてくるんだよ。
この世の中は。

この世で
実際に
生きているのは、

顕在意識の
私達
なのだがら、

顕在意識で
ちゃんと
それらを選別、そして
意思決定すること。

降りてくるもの

依存するな。

私達は
ここで
生きている。

つづく

チョコチョコ走り回る

ネズミ花火の
ように、
チョコチョコと
走り回る。

火を
吹きながら。

まったく
落ち着くことが
ない。

そんな人が
いる。

好きにさせて
おこう。

その人は
今、
そうしたい
だけなのだ。

存分に
チョコチョコと
走り回れば、

ある瞬間に
気が済む
時が来る。

そうすれば
落ち着く。

それまでは
遠巻きに
見守ろう。

間違っても
自分も一緒に
チョコチョコと
走り回らない
こと。

それをすれば
ずっと
そのチョコチョコは
終わらなく
なる。

終わりのある
ことは
終わるまで

待てば
いい。

これも
基本。

つづく

救おうとするな

後ろに
突っ走ろうと
する人が
いる。

それだけで
周りの人達は

特に
前に進もうと
する人達は

迷惑を
かけられる。

タチが悪い
のは、
本人は
自分が後ろに
向かっていることを
自覚していない
ことだ。

残念ながら、

そういう人には
できるだけ
関わらない
方が良い。

後ろに向かう
人を
前に向かせよう、

などとは
思わないことだ。

そこに
どれだけエネルギーを
使っても
変わらない。

本人の意志が
変わらないからだ。

それよりも、
まずは
自分自身が
為すべきことを
為すこと。
粛々と。

我々にできる
最大のことは
これだ。

人を救おう
などとは
思ってはならない。

本当に
人を救えるのは、
自分の
為すべきことを
しっかり
為し続けている
人のみだ。

人のことより
まずは
自分のこと。

自分を
しっかり
自律させること。

それが
基本。

つづく

ついに始まった

あの人が
変わった。

この人も
変わった。

クライアントさん
達が
次々に

羽化

していく。

知ってる?

昆虫って、
サナギの時、
その中では

液体に
なってるんだって。

そう
聴いたんだ。

凄いだろ。

それまで
成長させてきた
自分の形を

一度
液体化
させてしまうんだ。

ゼロに
戻して
しまうんだよ。

その上で
まったく新たな
姿となり、

成虫として
再び
生まれる。

それが
羽化。

それを
しているんだ、
クライアントさん
達は。

もちろん
私自身も
経験はあるけど、

側から
観ていると、
口あんぐり
だよ。

人間は
凄いよねぇ、
昆虫と同様に。

世界は
凄い、と
言うべきか。

バタバタバタ
と、
同時期に
皆が
羽化している。

大変革の
始まりだ。

どれだけ
現象が
混乱を極めようと、

この流れは
もう
止まらない。

つづく

もう眩しくないよ

煌めく
太陽だと
思っていたものが、

眩しくて
目を逸して
いたものが、

実は
自分自身だった
なんて、

最初は
誰もが
思いもよらない。

眩しすぎて
どうしても
目を
開けられない
から。

でも
そのエネルギーを
持って
生まれたのが
あなただ。

そのエネルギーの
使い道も
すでに
知っている。

生まれた
時からね。

その
エネルギーに
負けない、

いや、
それを
コントロールできる
自分に
なる。

そのために
ここまで
きたんだろ?

自分を
鍛えながら。

もう
目を開ける
時だ、
眩しくても。

あなたの
目は
もう
焼きつくことは
ない。

しかと
自分を見つめ、
理解し、

わかったら
もう
準備は完了だ。

準備は
もうすぐ
完了なんだよ。

つづく

月のメッセージ

月が
昇る。

大地の
向こうから。

じっと
見つめる。

月が
私を。

私は
待っている。

彼の
メッセージを。

荒れてるな。

想像以上に。

でも
想定内だ。

当然だよ、
荒れるのは。

無理をして
でも
進むと
決めたのだから、
我々は。

誰も
傍観は
していない。

だから
安心して
後押しができる。

だから
そろそろ
合図が必要だ、
君からのね。

永遠からの
一点。

悠久の
流れの中での
たった一つの
チャンス。

行っていいぞ。

私はもう
隠れない。

つづく

世界の終わりと始まり

これまで
世界
だと思って
いたものが、

忽然と

消え始める。

みるみる
間に。

感情が
働く前に、

完全に
消えた。

その
インパクトは
激し過ぎる
のだが、

何しろ
感情が
働く前に
すべてが終わった
わけだから、

心の
動かしようも
なく、

ただそこに
呆然と
佇むのみ。

悲しみも
孤独もなく、

自分
そのものも
なく。

そこに
あるのは
永遠の空間。

本当は
空間
などとは言えない
何か
なのだろうが、

3次元の
私の頭では
空間
としか言えない
のだ。

ただしそれは
決して

ではない。

ただ、
何も
いない。

存在が
いない。

でも

ではないのだ。

私は
私という
区別すら
つけることが
できずに、

ただ
そこにいた。

いや
「いた」とは
言えない状態で
いた。

そこに
世界は
なく、

永遠が
過ぎていく。

永遠
そのものと
なればもう
時間
などという
概念もなく、

でもやはり
永遠が
過ぎていく、
としか
表現のしようが
ない。

永遠が
過ぎた後に、

ポツンと

新たな
一点が生まれた。

明らかに
その空間とは
別のもの。

その空間が
生んだのか、

それとも
どこからか
きたのか、
わからない。

が、
異物のような
その一点が、

二点に
分かれた。

そして
二つは
愛し合い、

新たな
世界と
なっていく。

気がつけば
私は
その新たな
世界で
生きている。

生きている。

つづく

また流れ出したが

止まっていた
ものが
また
流れ出した。

流れては
止まり、

止まっては
流れる。

この
遅さと
地道さ。

これが
この3次元世界の
特徴だが、

イライラ
しながらも、

やはり
流れ出すと
嬉しい。

何度も
止まり
何度も
流れ、

というのを
繰り返して
行くうちに、

徐々に
流れそのものの
純度が
増していく。

清らかに
なっていく。

今回の流れ
では
それを
とても強く感じた。

水の質が
変わった!
という
感じ。

いや、
質というよりも
成分そのもの、

分子そのもの

変わったのでは
ないか、
くらいに。

となるともう
それは
水では
ないな。

じゃあなんだ?

ある種の
楽しみが尽きない。

つづく

有り難迷惑だったのだが

私達には
背骨が
ある。

背骨が
しっかりして
いなければ

しっかり
立つことすら
できない。

ところが、
実在レベルでの
背骨を
失ってしまっている
人が多いのは、

なんと
悲しいこと
だろう。

背骨を失くした
ままに
生きる人生は

悲し過ぎる。

今のこの
世の中は
悲しみばかり。

悲しみが
満ち溢れている。

背骨を
持てば、

自分で
立たねば
ならない。

できれば
ずっと
何かに
寄りかかって
生きていきたい。

だから
私には
背骨がないんです!

ということを
アピールしながら
生きる。

・・・結局は
そうなってしまって
いる
人が多い。

本当は
それが最も
自分自身が
悲しむことなのに。

背骨を
取り戻そう!

・・・これが
私の活動の
すべて
かもしれない。

みんな
背骨を
思い出して、
それぞれの
現実に
向かい合って
いこう。

そんな
非常にシンプルな
世の中に
したい。

それだけ
なのだが、

多くの人に
とってそれは、
有り難迷惑
のようだった。

ずっと
そうだったよ、
本当は。

それが
ようやく
変わってきたのが
この数年かな。

私の言葉が
とても
届きやすくなった
のは、
とても嬉しい。

が、
まだまだ。

ここから
さらに
私は私の
発信度合いを
開放していくことに
する。

つづく

内面より外面だ

地に足は
しっかり
ついているかな?

ちゃんと
意識は
「ここ」にあるかな?

現実を
観ているかな?

フワフワと
想像の
中だけでの
想いの強化
では
何も進まない。

実在を
感じるのと

内面を
見つめるのと

は、
ある意味
真逆の行為だ。

内面を
見つめること
自体は
大事だが、

内面を
見つめ過ぎて
現実を
観なくなるなら、

いっそのこと
内面も
見ない方がいい。

私達が
「外面」だと
思っているもの、

つまりは
あらゆる「現実」
は、

自分の内面の
反映でしかない。

本当に
自分を理解
したいなら、

外面を

つまりは
現実を

観続ける方が
いい。
何の解釈も
なく。
あるがままに。

願いを
大切に!


私は
言い続けて
きたが、

その願い
とは

内面には
ない。

外面(現実)に
向き合い続ける
ことで
初めて
見つかるものだ。

実在とは
内面には
ない。

実在とは
現実だ。

現実
そのものだ。

つづく

最大のピンチで向き合う

暗闇を
明るく
照らす。

そんな
瞬間が
ある。

人と人が
向き合う時。

初めて
向き合えた
時。

これまで
様々な淀みや
歪みが
発生し続けていた
その組織に、

突然、
灯台の光が
届くように。

方向さえ
定まれば、
そちらに
進めばいい。

皆、
方向が
わからないから
迷い続ける。

方向は
実は
ある。

でもそれは
そこにいる
人と人が
向き合わないと

決して
観えてこない。

人とは、
向き合うために
存在している
もの。

その真理を
忘れずに
在り続ける。

それだけの
ことなんだけどね。

混沌が
MAXで

もう
ダメかも


諦めかけた時
こそが、
チャンスだ。

皆、
わかってるんだ。

もう
後回しには
できないことを。

だから
そこで
向き合う。

向き合うことで
急に
道が
照らされる。

つづく

これが自分の姿だ

この世は

が、いっぱい
ある。

そこかしこ
に、

自分自身の
鏡が。

鏡が
なければ
自分の姿を
自分で理解する
ことは
できない。

だから、
鏡を観よう。

でも、
多くの場合、

鏡を見ても
それを
自分の鏡である
とは
認識しない。

それを
受け入れず
拒絶する人も
いる。

すべて
自分が
映っている
だけなのに。

その姿を
他人だ

思い込もうと
する。

望まない
姿が
あると、
それを見なかった
ことにするか、

他の誰か
何かの
せいにする。

自分のこの
心と体以外は

自分では
ない


思い込もうと
する。

本当は
知っている
くせに。

鏡は
そこかしこに
ある。

反射している
だけだ、
自分の姿を。

自分の
生き方を。

最初から
すべての鏡を
観ることは
難しいかも
しれない。

だから
まずは
自分が最も
大切にしているもの
から。

大切にしたい
誰か、

大切にしたい
物、

大切にしたい
事柄、

大切にしたい
現実、

・・・これらを
あるがままに
見つめよう。

そこに
自分の真の姿が
映っている。

何も
解釈せず。

映っている
そのままを
受け入れよう。

すると
他の鏡も
徐々に
観えてくる。

観えるのは
最初は
辛いだろうが、

ある程度
ちゃんと
観続ければ、

ある瞬間
から

急に
楽になるよ。

つづく

儚い人生を生きる

線香花火
というのは
儚いイメージだ。

小さく
燃え上がり、

光り、

そして
すぐに光は
落ちる。

消える。

儚いが、
それは
私達のこの
世の中も
同様。

線香花火の
ような
世界だな、

私はよく思う。

悪い意味

言っているのでは
ない。

私は、

その
儚さこそが
魅力だと
思うし、

好きだ。

人の心も
儚い。

人の意志も
儚いね。

でも、
そこが
好きだ。

儚いものを
紡ぎ合い、

持続させ
発展させる。

よちよち
歩きでも

なんとか
前に
進もうとする。

命も
すぐに
消えてしまう
(ように見える)。

私は、
この一瞬の
儚い人生と

自分
という人間を

満喫したい。

つづく

人間、わけがわからない

自分の
内側と

外側の

区別が
つかなくなることが
最近、
特に増えてきた。

つまり
自分の内面、

心の中

が、
どこなのか?

目の前の
現実こそが
自分の内面では
ないか?

という
感覚と共に、

本当の現実は
自分の
体の内側に
存在している

という
感覚。

この二つの
感覚が
別個に際立って
現れることも
あれば、

その二つの
感覚が
混ざり合い、
重なり
溶け合いながら
現れることも
ある。

そうなると
わけが
わからなくなる。

で、
その
わけのわからない
という状態が

楽しい。

人間という
のは、
自分のことを
理解すれば
するほど、

さらに
わからなく
なる。

どこまで
わかっても

どこまでも
わからない。

だから
人間なんだろう。

どれだけ
感性を
高めても、

どこまでも
鈍感だと
思えてしまう。

感性の
高まりは
無限大。

ここに関しては
本当に
限界はないのだな、

思える。

人間は
奥深すぎる。

でも
だからこそ
生きることが
楽しいし、

私の仕事が
楽しい。

今日のあの
クライアントさんは
なぜ
あのような
変化を
急にしたのか?

わかるの
だけど、
さっぱり
わからない。

クライアントさんの
内面と
外面も

私から観ると
混在している。

内面と
外面が
裏返っている
クライアントさんも
いる。

あんた
何者?


言いたくなるが、

お互い
人間同士。

わけの
わからない
存在同士。

そんな人間が
今、これから
社会を
大きく変えていく。

そのような認識は
あまり
ないかも
しれないが、

私には
感じる。

世の中
全体も、
内面と外面が
ごちゃ混ぜに
なってきた。

これは
混乱するよ。

破壊と
創造の
連続だ。

人間の
やることだ。

どこまで
行っても

わけが
わからない
だろう。

つづく

この世界での最も楽しい進み方

ほんの一瞬
のことで
あるが、

自分の
これからの
道が、

本当に
一瞬、

すべて
観渡せることが
ある。

一瞬なので
具体的なことは
わからない。

でも
一瞬であっても、
すべて
観渡せるのだ。

このインパクトは
あまりに
大きい。

わからない
のに
すべてが
わかった

という
状態。

実は私は
この体験を
すべてのクライアントさん達に
してもらえるといいなぁ、

いつも願いながら
サポートさせて
いただいている。

わからない
けど
わかった
状態。

わかったけど
何も
わからない
状態。

これが一番、
楽しい。

この
未来が絶対に
予測不能
という
3次元の世界での

最も楽しい
生き方、
進み方。

・・・であると
私は
思うんだな。

つづく

発想の源を見つけるには

私達には
発想の源が
ある。

その人その人
一人ひとりに。

その場所が
実在のレベルで
わかると
とても楽なのだが、

なかなか
そうはいかない。

発想の源の
場所を
見つけために
できることは
ただ一つ、

「今」
を真剣に
生きる

ことだ。

私達は
「今」
という
目の前の現実に
対して

しっかりと
向き合い

最高の「今」
にしよう

という
意志を
持ち続けることで
直観力が
一気に増す。

直観力が
高まれば、
次々に
現れる直観が

「観える」

ようになる。

観えるように
なれば、
その後、必然的に
それら直観の

つまりは
発想の

源の場所が
観えるように
なる。

発想の源の
場所が
わかるように
なれば、

今、その源
から
発想が(直観が)
現れようと
しているかどうか?
が、

手に取るように
わかるように
なる。

すると
仕事の効率は
格段に
高まってゆく。

やはり
何をするに
しても

「今」

が大事なのだ。

今を
生きる。

今に
向き合う。

これこそが
基本中の
基本だ。

つづく

場と会話しよう

昔、
馴染みだった
場所に
久しぶりに
行ってみると、

あまりの
印象の違いに
びっくりする、

ということは
よくあることだろう。

逆に、

あまりの
印象の変わらなさに
びっくりする
ということも
あるかな。

実際に、
場そのもの

変化するケースは
多い。

逆に
まったく変化しない
ことも
もちろんある。

それは
表面的なこと
だけでなく、

実在のレベルでも
言えることだ。

印象の変化
もしくは
不変化は、

根本的な原因
としては
そこにある。

もちろん
年齢を重ねた
自分自身の変化の
影響も大きい。

でも実は、
自分の変化
よりも
場の変化
というのは
実に激しく、かつ
多彩だ。

「場」は
生きている。
「人」と
同じように。

そして
「人」が人に
影響を与える
よりも
もっと大きく、

「場」は人に
影響を与え
続けている。

だから私は
企業様のサポート
などでは、

最初は
「人」よりも
「場」を確認する。

で、
「場」に問題が
あるな、とわかったら、
まずは
「人」よりも
「場」に変化を与える
ことを
最優先する。

実在レベルでは、
「人」よりも先に
「場」と
会話することも
多い。

「場」がいろいろ
教えてくれる。

誰がこの組織の
要になるか?
も、

実は
「場」から教えてもらう
方が多い。

人はもっと
「場」を
愛するといい。

私達は
「場」
に生きているの
だから。

実際の言葉の
やり取りではなく、

でも
純粋な
意識の交換として、

「場」ともっと
対話をすると
いい。

「場」と
コミュニケーションを
とろうと
するのだ。

それだけで
いろいろなことが
面白くなるよ。

つづく

電車が好きだ

私はいつも
電車と
一体化する。

・・・という話を
最近、なぜか
初対面の人に
するケースが
多くなった。

すると
やたらと
受けるのだ。

なぜだか
初対面なのに、
急に
心が近くなる。

このように
して
コーチングが
始まることも
何度かあった。

意図している
のでは
ないけどね。

私は電車が
大好きであるが、

もともとは
息子の
影響だった。

が、
今は息子よりも
圧倒的に
好きなようだ。

電車に乗る
時は
いつも、その車両の
「空間」

一体化する。

すると、
その電車の
「実在」
を感じるのだ。

電車の種類に
よって
その「実在」は
全部異なる。

それぞれに
個性があり、

しかも
「進化」もする。

それぞれの
列車の
「理念」も
あるのだ。

真本音度合いも
次元も
みんな異なる。

そういった
諸々を
移動しながら
感じ取ることが
私は本当に
好きで、

だから
移動はすべて
電車
と決めている。

福岡への
日帰り出張も
必ず
新幹線で往復する。

先日は
新幹線の駅の
事故のために、

博多から東京
まで
普通は5時間で
行けるところが
7時間かかった。

私にとっては
7時間の
至福の時だ。

7時間、
新幹線と
一体化できていた。

そして、
こういう時は
仕事が
強烈に捗るのだ。

セルフコーチングも
いつも以上に
充実する。

いつか
電車セルフコーチング
という分野を
確立させようか
くらいに
思っている。

実は、
私が人生において
初めて
強烈な実在体験を
したのも
新幹線の中だった。

実在を
感じ取る練習
という意味でも
電車はきっと
とても適切だ。

電車は
人生そのものも
現している。

電車は
人の生きることの
本質を
現している。

電車は・・・

と、
止めどなく
話が続くので
この辺りでやめておく。

つづく

脳髄を貫いた

正面、遠くから、
光の矢のような
ものが

一直線に
私に向かって
きた。

凄いスピード
で。

で、
私の額を
貫いた。

一瞬の
ことだ。

貫かれた
私は
一瞬、とても
びっくりしたが、

それだけ
だった。

何もない。

しかし
私の額には
実在レベルでは
焼け跡が
残っている。

いてぇ。

恐らく
頭を貫通したので、
脳髄にも
何か影響が
いっているかも。

初めての
経験だったが、

でも
やはり
なんとなく
わかるのだ。

それは
私の
脳の中心を
貫かねば
ならなかった。

脳の中心に
強い刺激と
影響を
与えねば

これからの
私が
持たないのだ。

まぁ
手っ取り早く
言えば、

脳の中心に
鍼治療を施した
という感じか。

私自身は
今のところ
何の自覚症状も
ない。

変化は
感じない。

でも
わかるんだ。

ちょっと
ホッとしている
私がいる。

これで
しばらく
大丈夫だなぁ、と。

恐らく、
この後の
コーチングで、

その最中に

私自身の
変化を
感じるのだろう。

まぁ、
こういうこと
ばかりだ。

つづく

要領のいい優等生か

本当は
大雨が
降っているはず
なんだ。

もっと
ザーザーと。

それこそもう
立っていられない
くらいに。

でも実際には
ポツポツとした
小雨にもならない
雨粒が

申し訳なさげに
落ちている。

誤魔化すなよ、
空よ。


思わず
叫びたくなる。

本当は
ザーザーと
激しく
降りたいんだろ?

だったら
素直に
そうすればいいのに。

でもこれが
今の世の中の
反映か。

ダメージが
あるのに
ないふりを
する。

そのうちに
誤魔化し続けている
自分自身が

本当に
ダメージは
なかったんだ、

思い込み始める。

そういったことの
小さな
連続で
大きな
歪みがいっぱい
溢れている。

そこかしこに。

まるで
要領のいい
優等生のような
世の中だ。

優等生が
悪いわけじゃ
ない。

要領だけで
誤魔化し誤魔化し
進んでいる

つもりに
なっている

のが
悪いんだ。

徹底的に
悪いんだ。

痛いものは
痛い。

後悔するなら
徹底的に
後悔せねば、

先には
進めないだろうよ。

実在では
泣いている。

でも
現象では
笑っている。

・・・そんな
ひねくれた
世の中、

私達、

から
本当にそろそろ
脱け出さないか?

つづく

えっ、自分が3分割?

先日、
まるで自分が

3枚に下ろされた
ように
なった。

もちろん
実在レベルの
話だ。

まるで
バナナの皮が
向けるように
自分が
3分の1ずつ
になって、

真ん中を
残して
左右の自分が
ベロンと裂けた。

な、なんだ!

びっくりしたが、

どうも
悪いことでは
ないらしい。

仕方ないので
その状態で
仕事を続けた。

なんか
とてつもなく
変な気分だ。

3分割
されているのだ、
ずっと。

自分が
3つに分離
しているのだ、
ずっと。

その状態で
お客様と
会話する。

本当に
変な感覚。

3つの自分が
それぞれの
目線から
同じものを
見ている。

ベロン
という感覚は
ずっとあり、

裂けたところ
からは
ずっと
実在の血液が
流れ続けているのも
わかった。

が、
そのままに
しておいた。

すると、
仕事が終わり
夜になると、

帰宅途中、
歩いている時に、

3分割のうちの
左右の自分が
急に腐って
萎れて、

そして
消えた。

急に、だ。

で、
真ん中の自分
だけが
残された。

で、
その残された
自分が、
急に巨大化した。

巨大化
というよりも、
鋭く縦に伸びる
感じだ。

鋭く、
鋭く・・・。

で、実は
その次の日に
とてつもなく
重要な仕事が
あった。

いや、
仕事はすべてが
重要だが、

その仕事は
私にとって
初めてのもので、

どうなるか
予測がつかない
ものだった。

それが
上手くいくか
どうかで、
今後の数十年が
決まってしまう
ような、
そんな仕事。

でも
わかったのだ。

なるほど、
だから私は
こんなことを
したのか、と。

3分割した、
という
印象だったが、

実はこれは
脱皮の一つの
形のようだ。

ただし、
脱皮のように
皮を脱ぎ捨てる
レベルではない。

肉も内臓も
骨もすべて、
余分なものを
削ぎ落として
しまったのだ。

なるほど
そういうことね。

しばらく
変な感覚だったが、
何となく
とてもスッキリ。

より
力が抜け、
シャープに
いけそうだ。

しかし
人間というのは
いろんなことを
するもんだ。

つづく

自己犠牲しちゃったが

本当に
よくがんばった
後は、

まるで
慈雨のような
実在の雨が
降る。

金色に
輝く雨。

あたたかく
やさしく
包まれるような。

そんな
光の雨に
全身を晒す。

身体の内外に
溜まった
たくさんのストレスや
力み、淀み
の類が、

徐々に
洗われていく。

そういう時に
初めて、

よくやったな
俺、


自分を褒める
ことができる。

私の
圧倒的な
短所は、

自己犠牲
だ。

自己犠牲では
何も
生まれない

クライアントさん達に
いつも私は
アドバイスするのだが、

これだけは
私自身が
直らない。

もちろん
それでも
要らぬヘルプは
しない。

必要なこと
のみを
するのだが、
それでも
その必要なことを
一気にたくさん
やり過ぎて
死にそうになる。

やった後は
いつも自分を
責めたり、
深い反省に
入るのだが、

しかし
その後に
たまに
慈雨がくる。
いつもでは
ない、
たま〜にだ。

で、
その時だけは
自分を
労われる。

今日は
慈雨の日。

反省も
ちゃんとするが、

今日だけは
自分を
癒してあげよう。

つづく

人生の調和の秘訣

何かとても
大切な発想が
自分の中から
浮上しようと
している時、

しかし
その予兆は
感じるのだが、
どうしても
それが
出そうで出ない
時、

発想の存在は
感じるのに
霞がかかった
ように
その中身が
何も見えない
時、

そのような
時は
焦らずに、

わからない

ということを
楽しむくらいが
いい。

まだ、
何らかの
インプットが
足りていない
のだ。

あと少し、
現象レベルの
具体的な何かを

見たり
聴いたり

場合によっては
一瞬でも良いので
何かを
感じ取ったり、

その最後の
ひと押しの
インプットが
足りていない
のだ。

かといって
そのインプットを
意図的に
行なうことは
不可能だ。

であれば
ただ
待つしかない。

であれば
楽しみながら
待つのがいい。

どうせ
待つんだから。

よくよく
考えると、

人生というのは
この
「待つ」
ことも大切な
力の一つだ。

待つべき
時に
ちゃんと最後まで
待てるか?

あと少し
待てば
手に入ったのに、

あと少し

耐えることができず、
中途半端な
行動を起こし、

すべてが
淀んだり
不調和したり
崩れ去ることは
多い。

あと少し、
という
モヤモヤが
大きい時ほど

待つこと。

人生の調和の
秘訣の一つ。

つづく

また出会おう

コツコツと
進む。

本当に
小さな
一歩一歩を、

粛々と。

人の進化の
歩みというのは
地道なものだ。

しかも
その人の
ペースがある。

本当は
もうちょっと
速く進めるはず
なんだけどな・・・、

よく思うのだが、

でも
ほとんどの場合は、
そこで
じっくり
伴走する。

時々は
転ぶ。

人によって
その頻度も、
転ぶ度合いも
違う。

やはり
その人なりの
行き方が
ある。

本当は
もうちょっと
冒険しても
良いのだけどな・・・、
と思っても、

ほとんどの
場合、
じっくり伴走
する。

途中で
止まってしまう
人。

道を
放棄する人。

逆走を
始める人。

様々な人がいるが、

何がどうあっても
真面目に
コツコツと
進み続ける人は

ついには
必ず
ある境界線を
前にする。

さぁここが
最大の
難関だ。

その境界を
越えるかどうか?

すべて
本人に懸かって
いる。

サポートは
できない。

ここで
本当に
何事もなく、

止まる
こともなく、

そのまま
変わらずに

真摯に

誠実に

自力で

その境界を
スッと
越える人が
いる。

私は
そういう人を
とても
尊敬する。

私の場合、
さんざん
ギャーギャー
泣き喚いたり
してきたから。

また
あるクライアントさんが
今日
その境界を
越えた。

超えた。

真摯に、
誠実に、
すんなりと。

素晴らしいなぁ。

もう
卒業だな。

あなたの
その
誠実さに
私も
応えなきゃ。

あなたとは
一旦、
お別れだ。

また
異なる立ち位置
の私達として、

再び
出会おう。

つづく

願いがどうでもよくなったら

ずっと
これまでの人生で
願い続けて
きたことが、

ある日
突然、

どうでも
よくなる。

本当に
本当に

どうでも
よくなって、

興味関心すら
持てなく
なる。

もし
それくらいに
劇的な変化が
あるとしたら、

それは
とても健康的な
ことだ。

次元が
変わったのだ。

自分の
意識の基点
としての。

次元が
変われば、
価値観は
変わる。

好みも
変わる。

願いだって
もちろん
変わる。

無理に変える
という
ことではない。

自然に
興味を持てなく
なるのだ。

そういう場合は
これまでの
その願いに

自分を
育ててくれた
その願いに

感謝の気持ちを
持って、

感謝の思いを
伝え、

その上で
きれいさっぱり
手放そう。

そうしてしまう
自分を
否定する必要は
全くない。

むしろ
自分を
褒めてあげよう。

ちゃんと
ステージを
登ったのだ。

新たな
人生のステージ
へと。

おめでとう!

自分自身に
伝えてあげよう。

そして
何よりも、

そこから
新たな願いが
湧き起こって
くる。

それを
楽しむのと
同時に、

これまで以上に
その願いと
対峙しよう。

つづく

中心核さえ目覚めれば

真っ白に
輝く
球体が

その人の
中に
発見された
時、

ふぅ・・・、

私はようやく
安堵の気持ちを
得られる。

人をサポートさせて
いただく場合の
私にとって
必須の
最初の目標。

それは、
その人自身の
中心核に
目覚めてもらう
こと。

これが
できないと
何も
始まらない。

中心核は本当は
最初から
輝いている。

輝き方は
その人その人の
個性が出るが、

誰の中心核も
まばゆいばかり

輝き続けている。

ただ
多くの人の中心核は
まるで
地中に埋まっている
ような
状態だ。

なかなか
輝きが
表に現れない。

それを
掘り起こすのが
私の
まずはやることだ。

中心核、
これを
真本音と
言い換えてもいい。

いずれに
しても
この世の中は
本当に
淀み・混乱ばかりなので、

ほとんどの
人が
本来の輝きが
埋もれたままに
生きるしか
なくなる。

こんな
辛いことが
あるか?

いつも思うのだが、

かくいう私も
以前は
同じだった。

自分の
中心核が
埋もれているうちは、

自分の中心核が
埋もれている
なんて自覚は
もちろん、ない。

それが
目を覚まして
から
そこで初めて、

あぁ自分は
ずっと
眠っていたんだ

気づくわけだ。

だから、
あなたはまだ
眠っているよ!

どれだけ
口を酸っぱくして
伝えても、

そのような
言葉だけでは
まったく
理解してもらえない。

だから
どうしても
コーチングが
必要なんだ。

ただし
私の言うコーチング
とは、
このように
その人の
中心核に
アプローチするものだ。

そして、
中心核さえ
目覚めれば、

そこからは
むしろ
もう
コーチングではない。

そこからは
厳しくいく
ケースが
最近は増えている。

コーチング
ではなく、
「指導」
だ。

中心核さえ
目覚めれば、
いろんな
サポートが
機能するんだ。

つづく

風向きが変わる瞬間

身体が
キュウキュウに
しなるような
感覚。

これがくると
これも
実在の一つの
合図だ。

実在レベルの
風向きが
一気に
変わる時。

例えば、

これまで
右方向に
進んでいることが
追い風のもとで
進める
という状態だったのが、

急に風向きが
変わり、
右に進もうとすると
逆風に真っ向から
向かう状態に
なってしまう、
・・・とか。

だから私は
この
独特の感覚が
くると、

一旦、
その時点で
すべてを
見直す。

自分の中では
すべてを
一旦、リセット
する。

自分のここまでの
決断も、
計画も、
すべてだ。

つまり
ある意味、
ここまで培ったものを
すべて
手放す覚悟だ。

とはいえ、

これをしっかり
メリハリを持って
やれば、

実は
変更すべきは

たったの一つ

でよい、
となるケースが
ほとんどだ。

少しだけ
変える。

少しだけ
軌道修正する。

それをすれば
新たな
風に乗れる、

新たな
潮流に乗れる、

ということだ。

がしかし、
その気づきを
得るためには、

一旦、
すべてを
リセットさせる、

という
覚悟が
どうしても
必要なんだ。

そういった
意味で、
真本音で生きる
とは
覚悟の連続だ。

最初は
怖いかもしれない。
が、
慣れれば
何ともまぁ、
メリハリのある
刺激的な
面白い日々だ。

つづく

なぜスムーズにいくか

無理に事を
起こそうと
すれば

無理な展開
となり

いろんなところ

歪みが生まれる。

そしてその
歪みの
一つ一つに
対処する
進み行きとなり、

それはそれは
煩わしい。

真本音で
生きる

というのは
そういったこと
からの
解放の人生と
なる。

無理に
始める必要は
ないし、

無理に
歪みを解消する
必要もない。

一つ一つを
タンタンタンと
進めていく。

とはいえ、
こういった書き方を
すれば、

何でもかんでも
安易に進められる

勘違いされる。

そうではない。

まずは、
今この瞬間の一歩を
真本音で
決めるところから
スタートさせる
必要がある。

実はこれが
多くの人は
すんなり行かない。

自分の真本音に
素直に動く
というのは、
実は
これまでの自分の
反応本音による
パターンとは
異なる選択を
しなければならない
ことが多いから。

すると
この時点で

動けない

動くのが怖い

勇気が出ない

という
状態になる。

しかし
ここを突破する
のだ。

ここで
これまでの
パターンを破り、

本当に素直に
動いてみる。

そして
それにより
いかに物事が
スムーズに展開するか

ここで
体験する。

その体験を
一つ一つ
積み重ねていく。

すると
一歩一歩が
だんだんと
大きくなる。

あとは
その延長線上だ。

自分の真本音に
素直に
動くことに慣れれば、

本人としては
普通に
何の強張りもなく
自然に
一歩を踏み出し
続けるのだが、

他者から見れば、
よくもまぁ
あんな選択が
できるもんだな、
とか

よくあんな
捨て身なことが
できるなぁ、
とか

言われたりも
する。

が、
それはあくまで
他者の目線。

本人は
至って普通だ。

以上のような
ステップが
あるわけだ。

だからまずは
今この瞬間に
真本音で
生きる。

今ここで
真本音の一歩を
選択する。

・・・ここから。

これを
本当に一つずつ、

一つ一つの
振る舞いに
おいて

丁寧に
続けよう。

つづく

手放さないとね

これまで
何度も
書いてきたこと
であるが、

くどいようだが
もう一度。

この
3次元という
世界には
いろんな法則が
あるが、

その大きな
一つは、

一つを
手放さないと
一つは
入ってこない

という
ものだ。

手に入れ
続ける

もしくは

すべてを
抱え込む

ということは
できない。

不可能
なのだ。

つまり、
本当に
手に入れたい
ものがあるならば、

そのために
何を手放すか?


きちんと
丁寧に

真本音で

決める必要が
ある。

この世の中
には
余分なものが
多い。

実在の自分、
真本音の自分が
望んでいない
ものが
多く溢れている。

それらを
しっかり
手放し、
シンプルに
なってこそ、

本当に必要な
もの
本当に望むもの

自らに
取り入れよう、と

自分自身が

実在の
自分が

決めている。

だから
くどいのだけどね、

言い続ける。

手放せば
入ってくる。

手放さなければ
入ってこない、
永遠に。

つづく