謙虚という言葉が

ありますが、

本当に謙虚な人とは、

自分の不甲斐なさや

自分の無力さを

本当の意味で

実感できている人であると

私は思います。

 

ここで言う

不甲斐なさや無力さとは

思い込みレベル

のものではありません。

 

自己卑下からくる

ものではありません。

 

事実です。

 

事実としての

自分の不甲斐なさや

自分の無力さを

知る者は

自然に謙虚になります。

 

「謙虚」という言葉を

辞書で引きますと、

 

「自分の能力や地位に

おごることなく、

素直な態度で

人に接するさま」

とあります。

 

謙虚さとは

素直さ。

 

素直さとは、

自分の解釈の世界から

自由になっている状態

です。

 

この状態になるためには

私達は

「挑戦」をしなければ

なりません。

 

本当の意味での

挑戦の人生を進んでいる人は

事実として

自分の不甲斐なさや

無力さを

知ることになるからです。

 

つまり謙虚な人とは、

自分の人生を

素直に進んでいる人

です。

 

・・・・・・

 

人が

まぶしく観えますか?

 

誰と会っても

人が

まぶしく観えますか?

 

すべての人には

その人独自の

光や輝きがあります。

 

その光や輝きを

実感できるのは

謙虚な人だけです。

 

例えば、

劣等感という言葉が

あります。

 

この言葉は

謙虚さと同義語のように

見られやすいですが、

劣等感とは

傲慢の象徴です。

 

劣等感とは

優越感と裏表の関係に

あります。

 

優越感を持ちたいからこそ

劣等感が発生します。

 

それは、

真の謙虚さとは

まったく関係のないもの

です。

 

ただし、

毎度申し上げることですが、

劣等感があるからそれを

消しなさい、

ということではありません。

 

劣等感も優越感も

あるのが人間です。

 

私も劣等感の塊でしたし。

それは、

傲慢さの塊であった

ということですけどね。

 

そういった心はすべて

4次元の意識

ですが、

これも何度も申し上げる通り、

4次元の意識があるのが

人間です。

 

4次元、つまりは

我欲。

 

我欲があるのが

人間で、

それを失ったら

人間としての存在意義も

失います。

 

ただし、我欲も

劣等感も優越感も

反応本音です。

 

反応本音とは

弱く、儚いものです。

 

状況が変われば、

その状況に反応し

揺らぐ弱い心です。

 

その心に基づいて

人生を推進させると

弱々で揺れ揺れの

不安定な人生と

なってしまいます。

 

そこは注意を

したいですね。

 

・・・・・・

 

自分の我欲に捕らわれて、

人を見るのではなく、

人とあるがままに

ありのままに

向き合うことこそが

大事です。

 

そのためには、

自分の内側にいないこと。

 

意識を

オープンにすることです。

 

常に外の世界に

意識を向け続けること。

外の世界を

観察し続ける眼差しが

大事です。

 

「自分が答えを

出せるはずがない」

という劣等感。

 

「すべての答えは

自分が出すべきだ」

という優越感。

 

そのどちらも

脆弱なものです。

 

「共に向き合うからこそ、

今ここで

共に最善の答えを

創造できる」

 

「だから、

この人との時間を

本当に大切にしよう」

 

・・・これが

謙虚さです。

 

私達は

唯一無二の存在。

 

その私達が、

もう一つの唯一無二の存在と

向き合っています。

 

唯一無二の存在が

共にここにいる。

 

・・・これが

人と人がコミュニケーションを

とるということです。

 

唯一無二同士の

相乗効果。

 

それは本来であれば、

とてつもないエネルギーを

発生させます。

 

その事実を知り、

その事実に素直に従う。

 

これこそが

謙虚さということでは

ないでしょうか。

 

つづく