2024年 9月 の投稿一覧

超高速の問い

まるで
止まっているような
感覚だが、

これが
超高速で
進んでいる証拠だ。

この
静謐さ。

明鏡止水
という
言葉が浮かぶ。

鏡のような
湖面。

物音の
一つもしない。

風もなく、
すべてが
静止しているように
見えて、

実は、
すべてが
とてつもなく
躍動し続けている。

伝わってくる
エネルギーの
高さ、深さ。

超高速の
世界。

この状態
だからこそ
静かに
浮かぶ問いがある。

・・・

今、見えている
すべての
奥に

たった一つ

何がある?

・・・

なるほど、
それが
最適解だ。

突破口だ。

つづく

直前にみたもの

巨大な剣

下を向いて

空中に
浮いている。

何かを
突き刺そうと
しているのか。

剣そのものに
意志があるように
みえるが、

目に見えない
何者かが
その剣を持ち

今まさに
打ち込もうと
している
感じもある。

いずれに
せよ、

尋常ではない
殺気のような
気配が

じんじんと
伝わってくる。

なぜ、
下を
向いている?

下に
何がある?


私は
問いかけた。

この殺気の
相手には
できれば
話しかけたくは
ないのだけど。

問いかけた
直後に
答えが
返ってきた。

それは
言葉では
ない。

念の塊の
ような
もの。

実在の会話は
いつも
こんな感じだ。

まずは
念そのものを
ダイレクトに
受け取り、

その後、
私の中でそれを
セルフコーチング
によって
言語化する。

今回も
それをした。

「大地を
割らねばならない」


その念は
告げていた。

大地、
この世界の
最も基本であり
土台となるもの。

そこから
変わらなければ
この世界は
変わらない。

表面をいくら
変えても
もう手遅れだ。

土台から
根本から
一度、
壊さねば。

それが
この世界の
本当の意志であり、
真本音の願い
だ。

・・・と、
そんなような
内容だった。

なるほど、
真本音の願いに
この剣は
応えようと
しているのか。

そう考えると
むしろ私は
この剣に、
親近感を抱いた。

廊下から
気配が。

あ、もうすぐ
いらっしゃるな。

この世界(会社)
のトップが。

ある経営者
との
初対面。

この会社で
仕事をすることに
なるかどうかは、
会話してみなければ
わからない。

が、
そういうことなら、
わかったよ。

最初から
それなりの覚悟で
臨むことにするよ。

つづく

最後の一滴の必死

最後の
この一滴を

いつ
落とすか?

ここで
すべてが
決まる。

だが、

気を抜けば
今にも
勝手に
落ちそうだ。

スーッと
呼吸にさえ
気をつけて

静かに
静かに

その時を
待っている。

だが、

なかなか
こない。

焦る。

落ちて
しまう。

もういっその
こと、今、
落としてしまった方が
良いか。

いや、
まだダメだ、
妥協しては
ダメだ。

でもこのまま
だと
この一滴そのものが
消えてしまうかも。

いや、
妥協はいかん。

・・・
この
最後の一滴

ジレンマ。

このジレンマを
私達は
どれだけ
自覚できて
いるだろうか?

もし
自覚できて
いたならば、

最後の最後

気を抜ける
はずはない。

最後の
一滴こそが、

次の
ステージを
スタートから
決定するんだ。

つづく

委ねるとは

風が
吹いている
のだが、

あまりに
強過ぎて
立って
いられない。

踏ん張る。

やはり
立って
いられない。

飛ばされる。

簡単に
飛んでいく。

私の体は
こんなに
軽かったのか、
というくらいに。

で、
着地した。

良い場所だ。

こんなこと
なら、
踏ん張るんじゃ
なかった。

最初から
素直に
飛ばされて
おけば。

委ねる
生き方。

それが
できるようで
できない。

そりゃ
そうだ。

一番
いけないのは

中途半端に
委ねること
だ。

本当に
委ねるとは、
本当に
諦めるとこから
スタートだ。

諦めきれない
のなら、

必死に
踏ん張れ。

委ねたふり
だけは
すんな。

つづく

祝福したい人達

根を張ることに
努力を
し続けてきた人は

やはり
強い。

いざという
時に。

調子の良い時は
みんなもちろん
元気になれるが、

人の生き様は
調子の悪い時に
現れる。

ここぞ、
という時に
踏ん張れるのは、

ずっと
目に見えない
地道な努力を
続けてきた人達だ。

自分の人生を
問い、

自分の生き方を
問い、

自分の役割を
問い、

常に自分の
前にある
人としての課題に
粛々と
取り組んできた
人達。

苦しさや辛さから
は、
決して逃げず、

でも、
痛い!怖い!と
ちゃんと泣きながら、

自分の気持ちを
すべて
そのまま受け止め
ながら、

それでも
一つ一つ
前に進んできた。

もっと
手っ取り早く
進む方法は
あったろうに。

器用に結果
だけを出す
方法も
あったろうに。

しかし、
自分の納得を
第一に考え、

納得できないなら
安易に
一歩を出さない、

という
じれったくなる
ような
着実な進み方。

それを
したからこそ、
ここで
踏ん張り、

結局は
誰よりも早く
壁を突破し、

「自由」という
ステージに
辿り着いた。

今、本当に
輝いているよ。

心から
祝福したいのは
こんな人達だ。

つづく

続 問い一つ

昨日に
続いて、

今回も
問いを
一つ。

・・・

ここから
自分の人生の
川を

流れを

乗り換える
としたら、

これまでの
川の名前は?

そして、
ここからの
川の名前は?

・・・

大きく
転換する
時期だね、

そろそろ。

つづく

問い一つ

今回は
久しぶりに
問いを一つ。

・・・

ここまでの
人生で、

あなたがずっと
忘れていた

あなた自身の
人生の夢は
何だろう?

・・・

そろそろ
思い出せるかな。

つづく

せっかく待ったんだ

雪解けが
始まる
その瞬間までは

我慢しよう。

ずっと
待ってきた
ではないか。

粛々と。

ここまで
待ったのなら、

最後まで
ちゃんと

じっと
していよう。

雪解けの
厄介なのは、

その気配が
わかりやすい

ということだ。

もうすぐ
雪解けだ!

わかると

その瞬間に
ついつい
動いてしまう。

それは
やめよう。
それだけは。

雪解けは
ちゃんと
始まる。

目に見えて、
雪解けと
わかる。

それまでは
何も
しない。

気配だけで
動かないこと。

せっかく
ここまで
待ったんだ。

最後まで
待つことを
果たそう。

つづく

この基本だけは

水面が揺れて、
それに
素直に従って

自分も
揺れる。

これ
健康。

水面が揺れて、
それに
抗い、

自分が
水面にいるのに
必死に
揺れないで
いる。

これ
不健康だ。

揺れれば
いいじゃないか。

人間
なんだから。

心が
あるのだから。

心は
揺れるように
できているの
だから。

揺れる自分を
素直に
観察できて、
感じ取ることも
できる人は、

その奥の
揺れない自分、

真本音の自分、

実在の自分、

も、
必然的に
感じ取れるように
なる。

揺れを
許すから、

揺れずに
じっと
自分自身と
現実を
見つめ続ける
自分を

取り戻せる。

これ
基本。

基本に
いつも
ちゃんと
戻ろう。

つづく

吹雪の向こうにしか

吹雪だな。

右も左も
どっちも
何も
見えない。

ホワイトアウト。

遭難かな。

ここまで
かな。

でも
諦めるわけには
いかない。

ここで
止まるわけ
には。

闇雲でも
いいから、
進む。

本当は
吹雪が止むまで
留まっていた方が
よいのだが、

それを
私は
許さない。

闇雲に動いて
自滅すれば
それはそれで
諦めがつく。

そう思い、
体力の限り
進む。

すると
微かな光が
見つかり、

結果的に
その方向へ。

そして
私は
助かった。

・・・

助かったが
そこで
止まるわけには
いかない。

私はすぐに
次の歩みに
入る。

そこがたとえ
またもや
吹雪だったと
しても。

それが
自分の決めた
道だ。

わざと
困難な道を
進む必要は
ない。

できれば
最も楽な道を
こそ
見つけるべきだ。

探すべきだ。

わかっているよ、
そんなことは。

わかっていて、
それでも
行くんだ。

最も
難しそうな
道を。

・・・

私が本当に
探し求めている
光は
あるのか?

前に一瞬だけ
見えた
あの光は。

あれは
幻影では
なかったか?

しかし
幻影だと
思い込ませるには
あの「実感」は
あまりに
強烈だった。

私はあの「実感」を
実在であると
信じることにした。

信じる、
とは
意志である。

信じる、
と決めたなら
最後まで

最期まで

信じ抜くよ。

・・・

何度も
迎えた
夜明け。

寒々と
した。

しかし
あまりに
美しい
夜明け。

美しさに
見惚れていたら、
凍えてしまう。

でも
あんなに
美しいものは
ない。

それが、
人間だ。

だから
私は
人間を
捨てない。

捨てて
なるものか。

つづく

その経営者は泣いた

あぁ、私は
こんなにも
皆のことを
考えているんだ。

・・・と、
その経営者は
私の目の前で
泣いた。

自分の
あまりの
想いの深さに
自分自身で
びっくりしながら。

案外、

わかって
いないのだ。

想いの深い人
ほど、
自分の想いの
本当の
深さに。

それをもし
ダイレクトに
感じることが
できれば、

自分の愛に
自分で
根底から
癒されること
だろう。

それは
自己満足では
決してない。

自己愛
では決して
ない。

愛とは
エネルギーだ。
独特の。

その
エネルギーを
皆に
向けることが
できる人は、

本当は
自分自身にも
向けることが
できる。

そしてその
エネルギーは
自分を
飛躍のために
癒し、溶かす。

そして
再生させる。

その経営者は
厳しい人で、
人にいつも
冷たく当たる。

だから、
社員さん達
からは
誤解を受けやすい。

でも
一番誤解を
していたのは、

自分自身
なんだよね。

つづく

最速で進みたい?

ゆっくりと
進むべき時は、

本当に
ゆっくり
進んだ方がいい。

スピードは
自分の意思で
しっかり
決めることだ。

速く進める
ようになった人ほど、

実はこの
ゆっくり
というのがとても
難しい。

ついつい
先急いでしまう。

行動を
し過ぎてしまう
のだ。

ところが
その行動が
ちょっと余分
だったりして、
結果的に
進みが遅くなる。

ゆっくり
と見えて、
実はそれが
最速のための
必要なペース。

真本音で生きる
とは
こういうことだ。

つまり、
最適なペースを
自分で
定めながら、
結果的に
最速となる、という。

ところで
「最速」について
だが、

「最速がベストな
生き方なのですか?」


問われることが
ある。

もちろん
そういうわけでは
ない。

人生を
どのようなペースで
進めるか?は
その人が
それこそ真本音で
決めている。

ただ、
この十年で、
最速で進みたい!

真本音で思っている
人が
私の周りに随分と
増えてきた。

このブログも、
最速で進む人
向けに
書かせていただいて
いるつもりだ。

だから
最速でないスピードで
進もうとする人に
とって、
私の言っていることは

よくわからない

という印象と
なるだろう。

それでいい。

以前のこのブログでは
都度都度、
いろんな人向けに
書かせて
いただいた。

が、
今は実は
かなり絞っている。

最速で進もうと
する人

のみに

向けて
書かせていただいて
いる。

それが
良いことかどうかは
わからないが、

そういう人を
こそ
私はサポートしよう、

数年前に
決めた。

最速で進もう
とする人は、

側から見ていて
ハラハラする
くらいに
これまでのご本人を
大きく逸脱した
スピードを出そうと
している。

本当に
危なっかしい。

が、
それくらいの
人をこそ、
私は
応援したいと
思っているんだ。

つづく

そして何も無くなった

狙いを定めて
進みたいのに、

どこに
狙いを
定めれば良いか?

見当も
つかない。

ということが
ある。

いや、
正確に言えば、

本当は
わかっている
のだ。
頭では。

わかっては
いても
なぜか

感覚的に
納得が
いかないのだ。

もっと
別の何かを
目掛けて
行かなければ
ならないのでは
ないか?

どうしても
そのような問いが
目の前に
立ち塞がる。

だから
その問いと
向き合うのだが、

答えが
わかる気が
しない。

わかって
いるのに
まったく
わからない。

この感覚は
なかなか
辛い。

・・・

高い視座に
上ってみる。

かなり
上の方から
全体を
俯瞰する。

しかし
これでは効果は
ないらしい。

そういうこと
ではないのだ。

では、

もっと深く
潜るか?

いや、
それも違う。

どうも
観点がすべて
本質的に
違うのだ。

・・・

ふと、
私はこのまま
ここにいて
いいのだろうか?

そんな
根本的な
気持ちなった。

ひょっとして
ここにいること
そのものに

意味が
なかったのか?
と。

ここで
YESと答えて
しまえば、

これまでの
私の人生は
何も意味はなかった
ことに
なってしまう。

恐ろしい
問いだ。

しかしもう
向き合わねば
ならない。

なんだ、
ここまできて
人生、
リセットかよ。

・・・

スーッと
落ちた。

堕ちた。

どこまでも。

闇の中を。

そして
私は
消えていった。

・・・

何も無くなった
その状態の
まま、

どれだけ
眠っただろう?

じっと
見つめる
目と
私は対峙
していた。

ただ
じっと
見つめるだけの
目。

私自身の
目だ。

他の誰
でもない。

大きな目
だった。

私の全身
よりも
何十倍も
大きい。

目に表情は
なく、

ただ
見つめるだけ
だったが、

対峙している
間に、

ふと、

これが私か、

思えた。

いや、
正確には
私、
ではない。

人、だ。

すべての人の
大きさ、だ。

・・・

そして
私は
もとに戻った。

異常な状態に
入っていた
ようだ。

生まれてから
ずっと。

我に返ったら
もう
何もなかったよ。

何もない
ところからの
スタートなんだな、

そこで初めて
人というものを
理解できた
気がした。

私には
何もない。

私には
何もできない。

それが
私。

それが
人。

それを
しっかり
理解したとき、

やっと
足が動き始めたよ。

その
向かう先に

私が
本当に
狙いたいものが
あった。

22年前の話。

つづく

唯一、確かなもの

答えは
たった一つ
だろうか?

本当は
いくつもの
自由に選べる
答えが
あるのでは
ないのか?

こうでなきゃ
いけない、

勝手に自分で
決めつけている
だけで、

本当は
どうでもいい
のでは
ないか?

この
気持ちは、

決断

ではなく
ただの

執着

では
ないのか?

・・・

いくつもの
波が
来る。

次から
次へと。

乗り越えても
乗り越えても

新たな
波がくる。

これが人生
であると
割り切れば
良いのか?

それとも
本当は
こんな波の多い
場所へ
入る必要は
なかったのか?

・・・

遠くを
見渡せる
丘の上。

あまりに
遮るものが
ないので、

逆に
不安になる。

遠くに
目指すものが
見えた。

でも、
見えてしまった
が故に

その、遠さを
知ってしまった。

あんなに
遠くまで
行こうと
していたのか。

呆然となる。

・・・

絡み合った
糸。

赤色、
青色、
黄色、

無数に
絡み合う。

それを
解こうとして
力を込めれば、

糸は
毛玉のように
なって
凝り固まり、

もう二度と
ほぐれそうに
ない。

一本一本
もっと
丁寧に
見つめていれば、

実は簡単に
区別できたかも
しれないのに。

・・・

後ろからも
前からも
押され、

後ろにも
前にも
行けず、

右と左は
崖で。

もうどうしようも
なくて、
佇んでいる。

何をどうすれば
良いのか
わからない。

もう
何もかもを
捨ててもいい、
とも
思ってしまう。

・・・

人間。

本当は
簡単なことを
より
難しくしてしまう
存在。

人間。

わかったつもりに
なっても
迷い続け、

途中からは
迷っていること
すらも
わからなくなる。

私は
人間。

これを
愚か、と
言うのか?

人間そのもの

愚か、と
言うのか?

わからない
が、

少なくとも
私は

愚かだ。

・・・

私達は
このままで
いい。

人間
なのだから。

私達は
このままでは
いけない。

人間
なのだから。

どっちでも
いいか
どうか?も

どっちでも
いい。

ただ、
一つ。

そんな
自分を
じっと見つめる
自分がいる。

そいつは
何も
言わない。

何も
しない。

でも、

そいつ
だけは

確か
なんだ。

つづく

七色の手助け

虹の
ようだけど
虹じゃない。

七色に
輝いている
けど、

それは
一直線だ。

上から
下に

垂直に
降りてくる。

それを
頭のてっぺんで
受け止める。

するとその
七色は
私の身体を
貫くんだ。

貫かれた
私は
まるで崩壊する
ような
衝撃は感じる。

のだが、
それは実に
心地良く、

その時は
もう
自分をこのまま
失ってもいいや、
とさえ
思ってしまう。

自分自身が
その
七色そのものに
なったかの
ような。

それでいいよ、
という
感覚。

これがしばらく
続いた後で、

ふと
自分自身を
取り戻す。

七色は
いつの間にか
消えている。

ただ、
私の中は
綺麗に、

細胞の一つ一つ
まで

浄化されて
いる。

身体の内側と
心も魂も、
一回
シャワーで洗い流した
感じだ。

七色、
あれはもちろん
実在であるが、

あれは
私ではないな。

何かもっと
別の存在の
ものが、

集約されて
ここに
もたらされている
気がする。

完全に理解
することは
もちろん
不可能だが、

でも
今ここに
実在し、

綺麗さっぱり
するという
この感覚、

この現実は
大切にしよう。

いつか
七色と
対話ができると
いいな、と
思っている。

いや、本当は
今でも
できるはずだが、

そこに
エネルギーを使う
必要を
今はあえて
感じていない。

それよりも
私には
他にすることが
ある。

対話は
もう少し先まで
とっておこう。

つづく

実在の振動

昔、
山を登っていた
時に、
台風のような
大雨に見舞われた
ことが
何度もあったが、

それはもう、

上からも
下からも
横からも

破壊力のある
雨達が
容赦なく
私を叩いた。

風も
凄いから、

岩にへばりついて
踏ん張って
飛ばされないように
した。

でも確かに
その時、私は

生きている
実感

というものを
得ていた。

この状況から
一刻も早く
逃げ出したい、

という
気持ちと共に、

確かに、
ずっと
このままの状態で
いたい、
という私も
いた。

こんなに
生きている実感を
ダイレクトに
感じられることは

なかなか
ない。

1秒1秒の
必死さ、
濃密さ。

そうなった時に
初めて
喚起される

独特の心、
感覚、
そして
振動。

そう。

あの時の
私は
独特の「振動」を
していた。

普通ではない
波長を
出していた。

あれ以来
ずっと私は
あの「振動」を
求め続けたのかも
しれない。

・・・

今になって
わかる。

あの「振動」は
実在の振動
だった。

実在の自分と
直接に
結びついている
証のような
もの。

命そのものを
感じ取れたのは
そういう意味では
当たり前の
ことだった。

あの時、私は
本来の自分を
取り戻していた
のだ。

・・・

山の上や
嵐の中に
いなくても、

今は毎日、

いや、
この1秒1秒
一刻一刻、

私はその
振動で
生きている。

私は常に
実在を
感じ続け、

実在と
共にある。

そう考えると、
登山というのは
私に
最初の実在体験を
もたらしてくれた
貴重なものだった。

私達は、

いや、
この世のすべての
存在は

振動
し続けている。

独特の
波長を持ちながら。

本当の成長
とは、

自分の振動数を
変えて行くこと。

同じ振動数で
いるうちは、

その成長は
見せかけだ。

振動数を
変えるには、

やはり、

必死に
ならねば
ならない。

私は
登山でも
必死だったが、

普段の
仕事でも
必死だ。

その連続が
よかった。

24時間
必死になる
必要はない。

でも、
一日に一度は、

必死に
なろう。

つまり、
全意識を集中する
時間、

全身全霊で
取り組む時間を
持とう。

振動数を
変えるんだ。

自ら
意図的に。

つづく

行け!

まっすぐに
進みたい。

今こそ、
まっすぐに!

という
気持ちが喚起
されたら、

それはもう
思し召しだ。

存分に
まっすぐな道を
選択すれば
いい。

もはや
我々に
回り道は
必要ない。

直登ルートを
堂々と
登ればいい。

どう見ても
まっすぐには
行けないような
現実が
目の前に
あったとしても、

まっすぐに
進みたい、

という
自分の自然な
気持ちをこそ、

最優先に。

今さら
もう、

妥協は
要らない。

手加減も
要らない。

躊躇なんて
もってのほか。

わがまま
だろうが、
何だろうが、

素直な自分を
出し切る
ことこそ、

今の私達が
すべきこと。

まっすぐ
以外の
選択肢はない、

くらいの
思い込みで
結構だ。

行け!

行っちゃえ!

つづく

エネルギー転調の時

ずっと
一定のリズムで
循環していた
ものが、

突然、
そのリズムを
狂わせることが
ある。

特に
自分自身の
エネルギー。

私達は
生きている以上、
常に
エネルギー循環を
自らの体内で
続けている。

それは
気の流れ
とも言えるものだが、

それが突然に
混乱するかの
ように
グチャグチャに
乱れることが
ある。

しかしもし
その様子が
自分なりに
きちんと把握
できているので
あれば、

それは
どれだけグチャグチャ
でも、
実は、混乱では
ない。

そのグチャグチャにも
ある一定の
リズムがある
はずだ。

エネルギー循環に
新たなリズムや
流れを与えるための
少々強引な

転調

のようなものだと
思えばいい。

ただ、
こうなっている
時の私達の
心は、

とても不安定に
なる。

それは
しょうがない。

大事なのは
その不安定さに
不安になって、

取り乱した
言動をとること
だ。

こういう時こそ
普段の
観察力が
試される。

普段から自分を
あるがままに
見つめ続けて
いれば、

こんな時は
強い。

不安定で
取り乱している
自分自身を

そのまま
見つめ続ける
ことができる。

そして
それさえできれば、
もうあとは
何もいらない。

むしろ
グチャグチャ
している
自分のエネルギーを

その
転調ぶりを

楽しめば
いい。

転調には
それほど時間は
かからない。

転調の後に
訪れる、
新たなリズム、

新たな旋律、

そして
新たな風。

それはとても
新鮮で
気持ちの良い
ものだ。

生まれ変わった
ような
気持ちにもなれる
ので、

新たな人生の
始まりの
面持ちで、

楽しく
進めばいい。

つづく

さらに上から見る自分

山々に
濃い霧が
立ちこめる。

徐々に
何も
見えなくなって
いく。

それを
ただ
茫然と
眺めている。

世界は
閉ざされる。

自分の行く
道も
閉ざされるのか。

また、
彷徨い歩く
ことに
なるのか。

・・・

気がつくと、
あれから
どこも
歩いていないのに、

頂上、
つまり
てっぺんに
立っていた。

ここは
霧の上。

眼下は
すべて、
霧の中。

眼下は
あんなに
暗いのに、

ここは
こんなに
明るい。

なぜ、私は
ここに
立てているのか?

・・・

ふと
気がつけば、

今度は
またもや
霧の中に
いた。

すでに
何も見えない。

暗い樹々、
湿った空気、

重い身体。

もう、
歩くことも
ままならない。

その場に
へたり込む。

もう、
ここまでか・・・。

・・・

と、
次の瞬間、

またもや
頂上にいる自分。

これは
どうしたことか。

途端に
身体が
軽やかになる。

これは
どうしたことか。

・・・

行ったり
来たり。

霧の中に
入ったり、

頂上に
出たり。

何度も何度も
入れ替わる。

遊んで
いるのか?

何かに
惑わされて
いるのか?

それとも
すべて
夢か?

・・・

本当は、
そのような自分を

さらに
遥か天空から
眺め降ろしている
自分が
いる。

行ったり
来たり

自分を。

それを
見ながら、

愚かだな、

などとは
思わない。

むしろ、
感心して
見ている。

ちゃんと
やるべきことを
やっている、
と。

このまま
見守ろう。

彼は、
自分は、

あのままで
いい。

あのまま
やり続ければ、
本来得るべきものを
得られるだろう。

・・・

そんな、
天空の自分を
一瞬で良いので
思い出す。

それだけで、

安心して
我々は
この世界に
埋没できるんだ。

つづく

二点集中?三点集中?

一点集中が
大事だ。

と、
このブログでも
随分と
書かせていただいた。

そうすると
どうしてもその
一点を
見つけようと
するだろう。

もちろん
私もそうだった。

が、
今は「一点」の
在り方が
急激に
変化してきたようだ。

実は、
最初は、
それは
「一点」ではなく、

「二点」だったり
「三点」だったり
する、

ようになって
きたのだ。

つまり
二つの点とか
三つの点を
同時に
攻める。

攻める、
という言い方は
良くないかも
知れないが、

同時に
そこに
最大のエネルギーを
かけるわけだ。

それを
することで、

「二点」とか
「三点」だと思っていた
それらが、

実は、「一点」
だったとわかる。

「一点」に
集約されてくる。

という
現象。

しかしこれは
難易度が
高い。

単純に
二点集中とか
三点集中というのは
エネルギーが
分散してしまう。

それに、
同時に同じくらいの
力をかける
というのは
人間である以上、
どうしても
やりづらい。

もしやれる
としたら、

完全に自分の
直観に委ねる、

という方法
しかない。

つまりだ。

これまで
日々、
徹底的に
自分の真本音に
素直に生き続けてきた
人は、

この二点集中とか
三点集中というのは
やりやすい。

そうでない
人は、
かなり難しい。

というのが
如実に表れる
ようになった、
ということだ。

だから、

やっぱり、

いつもの結論に
なってしまうが、

基本が
大切だ。

真本音で
生きる。

今この瞬間を。

これの
連続。

それ以外に、
ここからの時代を
渡っていく
決定的な術は
ない。

逆に言えば、
これができている
人は、

これまで以上に
堂々と、

力が分散しようが
何だろうが、

自分のやりたい
ことを

やればいい。

つづく

特訓の完了

まるで
バットで球を
打ち込んでいる
ように、

激しい衝撃と
打撃音と
火花が散る。

ノックを
しているのか?

何かの
特訓か?

打ち込むのと
同時に
電撃も走る。

全身が
痺れて
動けなくなる。

それでも
続け、

その中でも
自由に動けるように
何度も何度も
自分を追い込む。

激しい
特訓だ。

この2ヶ月。

ずっと
これを
やり続けた。
一日、24時間。

私は私の
開放度を
どうしても
高めねば
ならなかった。

だから
現実(現象)レベルの
私自身が
立てなくなるほど、

呼吸も
できなくなるほど、

特訓を
続けた。

ホントに
私は
私自身に対しては
容赦がない。

これくらい
人にも
厳しく当たれば
いいのに、

ため息をつく。

これで
死んでしまう
なら、
それまでの
ことよ。

と、
どこかで
開き直っている。

おいおい、
本当に
死んでしまうぞ、

自分にツッコミを
入れる。

しかしそれでも
そんな言葉を
私は無視して、

ただ
淡々と
冷徹に自分を
追い込み続ける。

長い2ヶ月。

いやぁ、
今回はかなり
辛かった。

正直、
もうダメかな
とも思った。

が、
ようやく
やり切った。

これで私は
これまでの
何十倍も

エネルギーを
開放できる。

これまで
できなかった
ことも
できるように
なる。

さぁ、やっと
ここからだ。

つづく

喜びの雨が降る

実在と現象が
あまりに明確に
結びつく、

という
現実が
現れることが
増えた。

世の中
整ってきた
ものだ。

10年前は
こうは
いかなかった。

そして、
私の予想を
超えて、

その結びつきが
見事なくらいに
現実化した時、

必ず
喜びの雨
が降る。

しかも
私が外に出て
歩いているときに

その瞬間を
狙ったかの
ように、

一時的に
激しく降る。

あぁこれは
喜びの雨だな、


わかると、

私はあえて
その雨に
身を晒す。

雨に打たれて
全身を
洗うように
味わう。

私の実在も
嬉し泣きを
しているのが
わかる。

何年かに
一回くらいしか
なかった
この現象が、

今年に入ってから
何回も
起きている。

みんなの顔が
浮かぶ。

みんなが
逞しく
実在を現象化
している
その歩みが。

この雨は
それらの
結晶だ。

つづく

勝手にまとめるな

小さく
まとまるな。

綺麗な円を
描きそうに
なったら、

意図的に
でも

その円を
壊せ。

まだまだ
まとまる
時期ではない。

中途半端で
脆弱な
円であれば、

最初から
ないほうが
ましだ。

そんな小さな
円を
創り出すために
生まれてきた
わけでは
ないだろう。

むしろ、
円を創り出す
ことなど、
忘れるくらいが
いい。

もっと
自由奔放に

無限に
広がっていけ。

自分の器は
自分で
決めるもんじゃ
ない。

未来に
必ずわかる
答えは、

今、
出さなくても
いいんだ。

つづく

一人で行くな

二つの光が、
その間の
中心点を

そのまま
中心とし、

超高速
回転している。

するとそれは
もう、
二つの光
ではなく、

まるで
一つの光の
ように見える。

二つで
一つ。

一つだけど
二つ。

この状態。

これこそが、
進化の
基本形。

宇宙原理
というものが
もしあるとすれば、

その原理の
基本となる
ものだ。

・・・

自分一人で
すべてを
成そう。


すること自体が
そもそも
原理から
外れている。

どんな物事に
対しても、

自分が今、
この件で、

対となる
べき人は
誰か?

を、
真剣に
見つけよう。

共に
一つになる
くらいに
ぐるぐると
回転し続ける、

その相手は
誰だろう?

と。

・・・

もちろん、
相手を
間違えると
大変なことに
なる。

が、しかし、

たった一人で
進むよりは
何倍もいい。

たとえ
上手くいかなく
ても、

それに見合った
気づきは
得られるはず。

正解かどうか

やってみなければ
わからない。

なら、
やろう。

一人で、
ではなく

誰かと
共に。

「誰か」
探しは、

ここからは
これまで以上に
重要だ。

つづく

真の自由を語る

水の落ちる
ツルッツルの
垂直の
岩。

本来は
登れるはずは
ないのに、

私の手足は
その岩に
ピッタリと
吸い付く。

まるで私は
ヤモリ
になったようだ。

昔、
インドを旅した
時に、

安宿では
壁にヤモリが
無数に
くっついていた。

ヤモリと共に
寝起きして
いた。

今の私は
その
ヤモリそのものに
なったようだ。

岩に張り付く
こと
自体が
目的であり
幸せであるかの
ように、

私は
ピッタリと
垂直の岩と
同化している。

・・・

落ちてくる
水は、

時々は
激しい。

私の
あらゆるものを
洗い流して
くれる。

浄化して
くれる。

次第に私は
意識そのものを
手放し、

無の状態
となる。

すると、
私なのか
岩なのか
水なのか
それとも
それ以外の
あらゆる存在
なのか、

よくわからなく
なる。

個である
私と
全体である
世界との

区別が
わからなく
なる。

重力という
存在も
私の中からは
完全に
消える。

・・・

するともう
岩も
必要と
なくなる。

私は自由に
飛び回る
ことができる。

完全なる
自由。

しかし
その状態の
時にはすでに

私は
私という
個ではない。

自由
とは、
個として存在
している場合に
感じるもの。

個ではない
私にとって
自由か否か
などは
どうでもいい
ことだ。

しかしその
どうでもいい
状態こそが、

真の自由。

・・・

気がつけば
私は
地面に
落ちていた。

大地に
仰向けに
寝そべり、

自我を
忘れていた。

個に
戻ると、
私は
言いようのない
窮屈さを
感じた。

しょうがない
な。

ここで
生きるためには
なくては
ならないものだ。

個となり
分離も
できる。

全体と
一つにも
なれる。

それこそ
また
真の自由。

ヤモリじゃ
ない、
私は人間だ!

などと
言っている
うちは、

自由は
手に入らんよ。

つづく

無になれる?

集中力を
高める
ためには、

ダラッとする
力を
高める。

何もせずに
ボーッとする
力を
高める。

これ案外
難しい。

「何もしない」
こと、

できますか?

・・・

先日、
ある社員さんの
コーチングを
させていただいた。

その人は、
心を無にする
ことが
できる、という。

むしろ
それが最も
簡単なこと
だと。

それは
凄いことだ。

心を無に
するには、

まずは
心を
「そのまま」
にすることが
必要だ。

そして
自分のあらゆる
心達を
観察することが
必要だ。

ただ
観察し、
そのまま、
にしておく。

その先に

がある。

「無にしよう」

意図的に考えて
それが
できたとしても、

その多くは、
無になっている
つもり
の状態だ。

その社員さんは
どうやら
本当に
無にできる
らしかった。

自分と
向き合い続けた
結果だ。

そういう人には
湯水のように
直観が
現れる。

・・・

「何もしない」
でおこうと
思っても

ついつい
いろいろ
考えちゃうん
です。


よく言われる。

当たり前だ。

それが
普通。

しかし
それでも
「何もしない」
時間を

毎日
しっかりと
とる。

最初は
10分でも
いい。

毎日の
習慣とする。

現代人は
これができない
人が多い。

「何もしない」
ことは
価値がない、

とか

怠けている、

とか。

とにかく
抵抗感が
あるようだ。

「何もしない」
ことが
できるように
なれば、

「世界と一体化」
することも
できるように
なる。

すると、

「私」
という個を
超えた
発想・直観が
身近になる。

調和性が
格段に
増す。

これは
訓練のつもりで
やった方がいい。

「何もしない」
力を
高める。

スマホとかを
眺めて
いてはならない。

何の
インプットも
せず、

何の
アウトプットも
せず、

本当に
「何もしない」
ことが
できる自分へ。

言葉を
換えれば、

「電源を切る」
ことの
できる自分へ。

それこそが
自然体。

そんな自分を
早く
取り戻そう。

つづく

嵐を前にして

遠くに
嵐が観える。

かなり
局地的な
ものだ。

あの彼方の
場所は今、
大変な状況
だろう。

竜巻のような
ものすら
観える。

あの嵐は
ここまでくるの
だろうか。

いやきっと
くるだろう。

その前に
避難せねば。

一刻も早く
対応せねば。

通常であれば
そのような
迅速な対応は
必須だ。

が、
ちょっと待て。

あの嵐は
なぜ、
あそこで
発生した?

あそこで
突然発生した
のならば、

ここでも
同じことが
次の瞬間にも
起こる可能性は
ある。

すでに
観えている
嵐への対応だけで
本当に
良いのか?

もっとすべき
ことがあるのじゃ
ないか?

そう考えて
わけがわからなく
なる時、
ついつい焦って
次の動きを
とりがちだが、

そこで大切
なのは、

観察

・・・だ。

観察とは、
腰を落ち着けて
じっと
あるがままを
見つめること。

見つめるだけで
なく、
感じること。

あの嵐は
間違いなく
こちらに
着実に近づいて
いる。

怖い。

だか、
どう動けば良いか、
確信が生まれるまでは、

観察、
だ。

観察、とは
対峙する
ことでもある。

嵐に
完全に
意識を向ける。

すると、
かなり近くまで
来たところで、

その嵐は
忽然と
消えてしまった。

実は
これもよく
あること。

結局は
何も動かずに
いたことが
最善の選択
だった。

いや、
違う。

対峙した
からだ。

意識を
真正面から
向け続けた
からだ。

その生き様と
エネルギー。

これが
嵐に
作用した。

今は、

・・・特に
この2ヶ月で、

実在と現象は
また
劇的なくらいに
近づいた。

人によっては
一致した
とも
言えるくらいだ。

その人の
実在(本質)が

現象(目の前の現実)に
ダイレクトに
影響を与える。

そんなことが
日常茶飯事と
なっている。

一年前には
考えられなかった
状態に

今の私達は
入っている。

それをまずは
私達自身が

自覚を
すべきだ。

つづく

過去に苦しんだことが

過去に
捕らわれてきた
ことが

今になって
復活する、

という
経験もある
だろう。

最近、
その傾向の人が
増えている。

自分の成長
と共に、
過去に払拭した
はずのもの。

それらが
また
自分を苦しめる。

また私は
昔と同じことを
しているのか。

同じ過ちや
同じ苦しみを
引き起こして
いるのか。

そう思って
しまうのも
当然だろう。

だがしかし
そうではない。

これは
過去の繰り返し
でも
焼き直しでも
ない。

全く新しい
課題であり、

道を開くための
一点突破への
ヒントだ、


捉えるといい。

その証拠に
そのような
新鮮な気持ちで
それらと
向き合えば、

過去とは全く
異なる
景色や気づきが
得られるだろう。

私達は
進んでいる。

間違いなく。

似た景色も
本質を
しっかり見つめれば

過去とは
根本的に
異なるものだ。

今日ここで
生まれた
感覚で

今に
向かおう。

今の
最大の課題に。

つづく

自分を説得するなよ

本当に
自由に
できてる?


問うてみると、

途端に
空気が揺らいだ。

表情は
変わらず。

動揺を
隠そうとしている
のだが、

やっぱり
こういうのは
隠しきれない。

自分の中で
何度も何度も
自分を
説得し、

ようやくにして
納得
の状態まで
持って来れたのに。

でもそれは
本当は
納得なんかじゃ
ない。

妥協
というやつだ。

妥協の
危ういバランスの
上に
自分の心を
何とか
立たせているだけ。

だから
たった一つの
問い、

本当に
自由に
できている?

だけで
崩れ落ちそうに
なる。

そんなのは
強さでも
何でもない。

大人は
妥協するもの?

いや、
大人は

妥協と納得の
区別を
しっかり
つけられるもの
ではないか。

もう
いいじゃないか。

自分で自分を
説得
し続けるのは。

そのような
人生から
脱け出したら
どうだろう。

妥協せねば
進めない
現実は
もちろんある。

でも
その場合は、
堂々と
妥協することを
自分で
決定するんだ。

そうすれば
それは
妥協では
なくなる。

「最善」
となる。

私は、
妥協なんか
していない。
これは
最善なんだ。

・・・と
自分を
説得するのでは
なく、

残念だが、
ここは
妥協しよう。
堂々と
妥協しよう。

・・・と
完全に
決めること。

それが
できなければ

妥協は
するな。

つづく