2024年 11月 の投稿一覧

軸を見直そう

軸を
洗う。

自分の軸に
いろんな
余分なものが
くっついている。

いつの
間にか。

そういう
もんだ。

だから
常日頃から
チェックが
必要なのだが、

それとは
別に、

ある節目の
ような
タイミングで

軸を
ゼロから
原点から
発想し直してみる
といいよ。

それが
本当の軸で
あるならば、

ゼロ発想を
しても、
やはり同じところに
戻ってくる。

しかし
ゼロ発想する
ことで、
さらに深堀り
できたり、
幅が広がる
こともある。

そして何より、
ゼロ発想
することで、

ずっと大事に
してきたものなのに、

ここからは
もう
要らないな、

と自然に思うことも
出てくる。

そうなれば
もう
それは、余分なもの。

自分の軸
からは
剥がしてしまえば
いい。

軸は
進化する。

進化するのが
軸だ。

大本は
同じだが、
進化は
続ける。

それが
私達人間の
軸。

軸を
固定化
させないことだね。

つづく

自由に生きようとする人の言葉

自由に生きよう、
としている人が
いる。

しかしその人は、
自由の重みを
よく知っている。

そこにかかる
責任も。

不自由の方が
楽だ、
と考える人は
多い。

ある程度の
自由、

というのを
求める人も
多い。

だが、
この人は、

完全なる
自由


求めている。

人生は
長くなくても
いい。

名声も
要らない。

何も
残さなくていい。

自分の痕跡
など
なくていい。

人知れず
いたい。
注目すら
浴びたくない。

本当は
気配すら
漂わせたくない。

・・・変わった
人だ。

じゃあ、
完全なる自由
になれたら、

何をしたい?

問うと、

目をキラキラ
させながら
答えるのだ。

人を
守りたい。

人を
支えたい。

一歩を
踏み出せない人の
後押しをしたい。

・・・と。

私は
影にいたい。

日の目を
見たくない。

でも、
たくさんの人に
光が当たって
ほしい。

その人らしく
なってほしい。

そのために
私は
働き続けたい。

で、
ひっそりと
猫のように
誰にも知られずに
死んでいきたい。

・・・ある
企業の
幹部さんの話だ。

当然、いつも
目立つ場所には
いるのだけど、

本当は
こんなことを
願っているんだな。

実績も能力も
あり、
ビジネスの最前線に
いる人の
本当の願い。

でもきっと
この人は
願いを実現するのだろう。

しかも
この10年以内に。

彼には
完全な自由を
感じるから。

つづく

混濁した情報の受け取り方

次々と
入ってくる
情報。

私は、一旦、
その全てを
そのまま
受け止める。

自分に
インプットする。

その後、
セルフコーチング
により、

不必要な
情報や
違和感のある
情報を

自分の中から
削除する。

しかし
不必要な情報は
本当に多い。

それは
最初からわかって
いるが、

それでも
一旦はしっかり
インプットする。

インプットした
上での
削除、

というプロセスに
意味がある。

このプロセスが
あるからこそ、

生きている
情報の意味が
より深まる。

考察が
深まる。

情報の
混濁。

何がどのように、
そして、
なぜ、

そのように
混濁しているか?

理解できる。

そうすると、
次に自分が
どのように
情報を発信すれば
よいか、が
明確になる。

混濁している
からこそ、
必要な発信
の仕方がある。

一つ一つの
言葉に
気をつけ、

同じ意味でも
言い回しを
丁寧に
選択する。

情報が
あり過ぎる
というのは
生きづらい。

選択肢が
あり過ぎる
というのは
生きづらい。

しかし私達は
その中で
生きていかねば
ならない。

受け入れ
削除し
考察する。

面倒だが、
丁寧に
続けていこう。

つづく

お遊びは終わりだ

一本道に
見えていた
ものが、

まるで
無限を思わせる
数の

星に
なった。

分離
したのか?

いや、
すべては
一つだ。

でも、
星々に
なっちまった。

今はただ、
呆然と、

その夜空を
見上げる
のみ。

・・・・・・

背後から
忽然と
声をかけられる。

誰?

と、
振り向くと、

そこには
私、
がいた。

あ、
私、だ。

すぐに
納得がいった。

でも、
私が目の前に
いるということは、

この私は
誰だ?

この私は
本当は
実体のない
ただの幻か?

・・・と、
わかってしまった
瞬間に、

この私は
消えた。

・・・・・・

私は、
幻の中に
埋没していた
ようだ。

どれくらいの
期間?

何年?

いや、
何十年?

いや、
何百年?

何千年?

何万年?

もっと、か・・・?

・・・・・・

あの星々は
すべて
経験したな、


わかった。

果てしのない
旅路だな、
と。

そして、
今、がある。

ここから
見上げる
私、がいる。

なるほど、

すべては
一つ。

星々に見える
彼らは、

ファミリー
でもある。

なるほど、

すべては
一つ。

私はさっきから
ずっと、

たった一つの
道のみを
見つめている。

・・・・・・

幻の私は、
それはもう、

愛おしいよ。

戻ろうと
思えば、

またすぐにでも
戻れるよ。

でも、
それを楽しむ
だけの
時間はなくなって
しまった。

もう、
お遊びは
終わりだな。

つづく

もう激流にいるんだ

時折、
川に滝が
あるように、

一気に
ステージを
変える
瞬間がある。

ずっと
緩やかだった
のに、

忽然と、
水が落ちる。
滝壺に。

そして
滝の後は、
激流だ。

あの
平穏な日々は
どこに行った?

もう
戻らないのか?

と、
滝の前の状態を
思い描くが、

無駄だ。

もう、
変わったんだ。

というよりも
もともと
川はそのように
できている。

最初から
最後まで
平穏のままでは

海には
辿り着けない。

そこに
滝がある。

それは
最初から
そこにある。

予定通り、
ということだ。

平穏な時は
平穏でいれば
いい。

でも、
激流になっても

平穏でいたい

とは
思うなかれ。

ますます
不安定になる。

だって、
ここは、
激流なのだから。

もう、
現実は
変わったんだ。

それを
受け入れなければ、
流れて
行けないよ。

幸い、

川の流れは
上流から下流へと
ちゃんと
流れるように
なった。

昔は
それすらも
おかしかったんだ。

昔に比べれば
健康的に
なったよ。

川の流れは
ちゃんと
海に向かっている。

だから私達は、
流れに
乗ればいい。

平穏な時は
平穏に、

激流に入れば
それ相応の
生き方をする。

予定通り。

最も辛いのは
流れから
降りてしまうこと。

これはもう
生きられなく
なる。

何があっても
流れには
乗っていよう。

激流の
流れ方は
自分自身が一番、
よくわかっている。

それを
思い出すんだ。

どのような
流れであっても

海に向かって
いるのなら、

それは
健康的だ。

私達は、

泣こうが
喚こうが

流れに
乗り続けていれば
いい。

自分の生き方
流れ方を
思い出すんだ。

つづく

ダラダラすると

乱れることが
嫌いで、
安定ばかりを
求める気持ちは
わかるよ。

よく
わかる。
私にだって当然、
その気持ちは
あるさ。

人間
だからね。

でも、
安定を求めれば
不安定になる、
という
法則もしっかり
実在するんだよ、
この世界では。

止まることが
安定だと
思ってるだろ?

止まるのは
イコール、崩壊なんだよ。

自転車と
同じで、

前に進み続ける
ことでしか、
安定できない。

それが
人、というものさ。

しかも
人、って
わがままなんだ。

自分の本当に
望むスピードに
乗らなければ、

真の安定感は
得られないんだ。

スピードが
速過ぎても
遅過ぎても

不安定を
感じてしまうんだ。

で、
大抵の人が、

遅過ぎるん
だよ。

遅過ぎるから
常に
不安になるんだよ。

もっと、
スピードを
あげてごらんよ。

迷う時間を
もっと
少なくして、

決めたら
すぐに
やってごらんよ。

間違ってるか
どうか?を
止まったまま
考えるのではなく、

動きながら、
検証すれば
いいんだ。

で、
間違っていたら
直す。

正しい、と
思えたら、
すぐに次に
向かう。

その連続。

その
スピード感が

「ちょうどいい!」

「これが私の
スピードだ!」


感覚的に
満足できれば、

そこで
真の安定感を
得られるんだ。

だから、

ダラダラ
するな。

ダラダラ
すればするほど、

不安に
なるよ。

休めないの
だよ。

つづく

我欲の作品にするの?

過去と未来が
うねりながら

混ざり合って
いる。

過去なのか
未来なのか

よく
わからなく
なる。

あるのは
ただ、

思い出す
感覚

のみ。

私は、
思い出すことを
そのままに

その
事実のままに

「ここ」で
実践する。

思い出さない
ことは
実践しない。

未来を創る
という
印象も感覚も
そこには
ない。

ただ、
事実通りに

実在通りに

そのまま
素直に。

それだけ
だ。

それは
デジャヴに
近いものかも
しれないが、

デジャヴ
よりももっと
自然だ。

もっと
当たり前だ。

かといって
道は
見えない。

予測も
できない。

そんなことは
関係ない。

全く別の
ところでの
話だ。

ゆっくり
混ざり合い、

時折

凄いスピード

撹拌される。

まるで一つの
料理を
作っている
みたいに。

人生とは
そういうもの
かもしれない。

料理、
というよりも
作品、
かな。

どのような
作品を
作れば良いかは、
もう
よくわかっている。

それは
私だけではない。
皆、
同じだ。

よ〜く
わかっている。

だから
思い出せる。

今、は
全作品の中の
一点。

この一点を
どこにどう
置くか?

もともと
決めていた作品を
そのまま
素直に現せば
いい。

無理に
奇抜に
変えようと
するな。

それを
我欲と言うんだ。

我欲は
もちろん大事。

でも、
我欲だけでは
結局は
良い作品にならない。

自分が
後悔するだけ。

決めた作品を
「ここ」で
ちゃんと作る。

それができる
からこそ、

次の作品に
移れるんだ。

つづく

お節介野郎だ

本当は
この世界には
一つとして
「止まっている」
ものはない。

全ての存在が
「振動」
をしている。

そして各々が
独特の
波長を
醸し出している。

一つの存在が
失われる
ということは、

その「波長」が
なくなる、ということ。

「波長」は
影響が大きい。

目に見えないから
多くの人が
自覚していない
だけで。

一つの波が
消えるのは
影響が大きいんだ。

私からみれば、
これは決して
なくなってはならない
波(波長)だ!

思うものは
たくさんある。

しかしそれらが
平気で
抹消されて
しまう。

今の世の中は
そんな世の中
なんだ。

本当は
存在し続け
なければならない
ものが、

消去されて
しまう。

恐ろしい
世の中、
恐ろしい
時代だ。

会社や組織でも
そう。

この会社からは
決して
失われてはならない
波(波長)が
失われようと
している、

という現実が
どこの会社でも
あった。

私の役割は
その波(波長)を
なんとか、
その役割を終える
まで、
生かし続けること。

そのために
必死のサポートや、

最近では
ヘルプを

する。

ここは、
求められなくても
やる。

やってしまう。

だって、
そうしなきゃ
道が完全に
潰えるから。

そういった
逼迫した会社は
実際、多い。

まぁそれは
世の中全体が
逼迫している
反映でも
あるのだけど。

さらにこれは
一人の個人
についても
同じことが言える。

その人の
中から
決して消えてしまっては
ならない波長が
ある。

のに、
本人が
消そうとするんだ。

お節介だが、
そうしたことを
私は
渾身の力で
止めようとする。

お節介だね。

でも、
見ていられんのだよ。

消してはならない
ものを
簡単に消去し、

どうでもいいものに
執着し続ける。

まずは
一人ひとりが
ここから脱却せねば、

世の中は
変わらんのだろうな。

最近は、
お節介野郎でいいかな、

思ってるよ。

つづく

最後まで見届ける

とても
重要かつ
有効な
刺激を入れることが
できた後は、

私はじっと
観察
のみをする。

その刺激が
何に(誰に)
どのような影響を
及ぼし、
さらにその後、
どう展開するのか?

そう簡単には
次の刺激は
入れない。

刺激による
波が
スーッと広がり尽くし、
消えてしまうまで、
じっと
ただ、観察のみを
する。

その方が
楽しいし、

その方が
調和しやすいから。

以前は、
ここを待てずに
すぐに次の
刺激を入れていた。

それが
余分だったな、

今となっては
わかる。

余分なことを
一度すれば、
その後もまた
新たに余分なことを
しなければ
ならなくなる。

余分に余分を
積み上げるような
進み方となる。

それで私は
疲れてしまって
いた。

今は、
そういうところから
自分を
解放してあげて
いる。

たった一つの
小石を、
池にポチャンと
投げ入れる。

投げ入れる
場所と
タイミングさえ
きちんとすれば、

たとえ小石
でも、
そこで生まれる
波は、
ずっとずっと
広がり続ける。

下手をすれば
その「世界」の
岸(端っこ)まで
行き着き、
さらに波が
反射されて戻って
くることもある。

反射した波は
まるで全くの
別物に思えることが
多いが、

いやいや
それも
もとは私が
発したもの。

・・・と、
よく観ていれば
わかる。

自分が発した
波は
最後まで
きちんと
見届ける。

そうした上で
本当に必要な
次の波を
起こす。

最上だと思える
タイミングで。

最上だと思える
強さで。

だから私は
じっとしている
ことが多い。

ほとんど
「待っている」
イメージだ。

でも私にとっては
それが最も
楽しいことなんだ。

つづく

それは偶然だよ

過去から
今ここ、へと

繋がり
続けている
線。

それは
振り返れば、
細い細い
糸のような線。

こんなに
細いところを
たどってきたのか、

びっくりする。

数えきれない
選択肢を
経て
ここに来ている
のだから、
当然と言えば
当然だが。

日常における
ほんの些細な
選択を
変えただけで、

もう、
今ここには
いないかも
しれないのだ。

これを
偶然、というのか、
それとも
必然、というのか。

もちろん
本質は、必然
なのだが、

しかし私達は、
偶然
というのも
楽しみたいよね。

全てが必然、

わかりながらも。

いや、
わかっている
からこそ、

偶然

を楽しめる
のかもしれない。

「偶然、偶然!」


心の中で
叫ぶ。

「ウヒョー、
こんな偶然が
あるのか!」


感嘆する。

最近は特に、
私は
そのような
楽しみ方を
している。

顕在意識の
レベルでは、
未来は
さっぱりわからない。

予想外、
想定外の
ことばかり起こる。

それを
楽しむ。

この後、
どうなるか?

実在が
わかれば
わかるほど、
自然に
見通してしまう
ところはある。

だからこそ
私は
そこのスイッチを
意図的に
オフにして、

何も気づいて
いないフリを

自分自身に
対して

行なう。

そして
偶然
を楽しむ。

この方が
私の場合、
人生が
より充実して
感じられるんだ。

つづく

目を離すな

ほんの小さな
状態
だったのに

ほんの
わずか

よそを
見ている隙に、

一気に
嘘みたいに
大きく
広がる。

景色が
まるっきり
変わってしまう。

ええっ?
これが、あれ?

いつの間に?

と。

だから
肝心なところで
目を離しては
ならない。

自分が今、
本当は
どこにこそ、

目を
向け続けるか?

意識を
向け続けるか?

それを
丁寧に決めて、

決めたら
決して
目を離しては
いけない。

いろんな
ところに
同時並行的に
目を配って

なんてことは
もう
できないんだよ。

時代は
高度に
なり過ぎた。

我々の
顕在意識はもう
それに
ついていけない。

だからこそ、

しっかりと
決める。

どこに
100%の意識を
向けるか?

いつまで
そこに
意識を向けるか?

そして
その次は
何にこそ
意識を向ける
べきか?

すべて
期限付き。

期限が
来たら、

つまりは
最善の
タイミングが来たら、

次の対象に
向かうんだ。

忙しいよ。

次々に
やらねば
ならないよ。

中途半端
では
何も
進まないよ。

一つ一つ
100%で
行くんだよ。

つづく

今日、壊すもの

亀裂が
増えたな。

またこの
1ヶ月
ほどで。

良いこと
だな。

これで
多くのものが
壊れていくよ。

良いこと
だな。

本来、
壊れるべきもの
たちが

なんだかんだ
ごまかし
ごまかし
で、

残り過ぎて
いるんだ。

残って
いるから、
次の重要な
芽が
生まれない。

地中で
待機したままだ。

早く
次々に
新たな芽を
生み出さねば、

間に合わないよ。

だから
本当は
どんどん
壊すべき。

意図的に
でも。

時代は
激しいよ。

壊すスピード
で、
今後は決まる。

生き延びる
ことができるか
どうか?に

直結するんだ。

時代は
激しいよ。

今日、
壊すべきことを
明日に
延ばすことは

もう
やめよう。

つづく

小さな光でも

光が小さい
からと言って、

侮っては
ならないよ。

今は
暗くとも、

思いのほか、
その光は

深い

かも
しれないのだ。

今、目に映る
その
表面的な印象
だけで、

優先順位を
決めては
ならないよ。

大事なのは
タイミングだ。

おー、
このタイミングで
これが
来るか!

このタイミングで
これが
起こるか!

と、
ある種の
絶妙なタイミングで
目の前に
現れるものは、

大概、

深い光を
湛えている。

だから、

小さなことだ、

と、
勝手に解釈して
流してしまったり、

無視すること
なかれ。

明るさよりも
もっと
重要なものが
ある。

明るさは
育てれば
いい。

深さは、
なかなか
育てられないんだ。

つづく