2025年 3月 の投稿一覧

はかりしれない人

まるで
偉大な芸術家が
描いた
抽象画のようだ。

何が描いて
あるのか
わからないのだが、

何かがグッと
伝わってくる。

メッセージの
ようなもの。

様々な色が
うねりながら

混じり合い
ながらも

それぞれの
個性を
醸し出し続ける。

バラバラの
ような
一体のような。

ただ、
時間と共に
全体の
エネルギーは

凄い勢いで
高まりつつ
ある。

これはきっと
中心にあるものが
凄いのだろう。

中心に
何がある?

その前に、

中心は
どこだ?

私は
目を凝らす。

一見すると
どう見ても
中心じゃないだろう、
という場所、

そう、
端っこの際に

その中心は
あった。

こんな端に
中心があるとは、

何という
アンバランス

のような
絶妙の
バランスか。

なるほど
これは
大物だ。

変態的
であり、
無限の
器の大きさを
感じる。

どのような現実
を前にしても

どんな歪さにも
対応できてしまう、
その
大きさ。

雄大、
というよりも、

壮大、
か。

気がつけば
私は
その様々な
色彩たちに
取り込まれて
しまった。

呑まれる。

だが、
気持ちがいい。

なるほど、
これが
A社長の
本質か。

つづく

それは順流か逆流か

順流に
乗れば、

そんなに
楽なことは
ない。

しかし
この世は
そうも行かず、

わかっていても
逆流に
向かわねば
ならないことも
ある。

実は
その方が
ワクワクすることも
あるのだが、

しかしその
ワクワクは
ほとんどの場合、
自己満足だ。

特にここからの
私達が
本当にすべきは、

順流を
必死に
探すこと、
だ。

諦めずに。

徹底的に。

そこにこそ
時間と労力を
かけるべきだ。

逆流で
遊んでいる
時間は
もはや、ない。

・・・・・・

ところが
流れには、

表面的な
流れと

奥の流れ


2種類がある。

その区別を
つけることも
ここからは
大切だ。

表面は
逆流に見えても、

奥が
順流である
可能性は
高い。

流れは、
底辺から順に
変化していく。

表面に
現れるのは
最後だ。

だから
表面よりも
奥を観よ。

奥を観る
ために
表面を
つぶさに観よ。

・・・・・・

奥の順流に
乗れば、

表面の逆流は
まるで
嘘のように
私達を
避けていく。

逆流なのに
何の抵抗も
感じないのだ。

なるほど
これが
幻影か、

これこそが
現象か、


そこで実感
できるだろう。

・・・・・・

流れそのものは
とても大きく
なっている。

どこも
かしこも。

順流だろうと
逆流だろうと、
一度流れに
乗ってしまえば、

ぐんぐん
進む。

そういう意味で
リスクは
大きい。

が、それを
リスクと感じず、

面白さ、と
感じられれば
上等だ。

私達は
今こそ
流れを掴もう。

流れに
乗ろう。

そのためにも
順流を
必死に探せ。

つづく

わからないわからない

何のために
進んでいるのか?


問うても、
なかなかしっくりくる
答えが見つからない。

そういう人は
多いのでは?

答えは
無理に
見つけては
いけない、
絶対に。

何もわからない。

しっくりこない。

納得できない。

という
各々感じている
気持ち悪さ、
こそを
そのまま維持する
こと。

それが
最も大切なこと。

ここは我慢して
気持ち悪さ

共に生きよう。

気持ち悪さを
打ち消さず、
常に

できれば
24時間ずっと

一緒にいよう。

ここを丁寧に
続ければ、

ある瞬間に
ふと

答えが
わかったかの
ような
感覚が
降ってくる。

降ってくるが、
それは
一瞬だ。

場合によっては、
一瞬、
何かが観えた
ような気がする
かもしれない。

実際、
それは
観えているんだ
けどね。

だけど
一瞬後は
すぐにもとに
戻ってしまう。

また
気持ち悪さが
くる。

結局何も
わからない、

わかった
つもりだったけど、
何も
変わらない、

・・・と。

それで
いい。

それが
いい。

その連続で
行こう。

それこそ
最短の道。

人生が
「間に合う」
ための
唯一の
やり方。

つづく

なぜ現実が開かれるか

いろんなものが
入り組んで
一つの現実が
創り上げられて
いる。

もっと
単純明快なら
楽なんだけどね。

入り組んだものを
無視して
物事を進めようと
すると、

さらに
面倒なことに
なりかねない。

だから
入り組んだものを
しっかり
観察しながら、

一つ一つを
丁寧に
区別しながら

物事を
進めるのだが、

もう到底、
そんなことを
している時間がない、

というケースも
ある。

実は私の
仕事では
そういったサポート
ばかり。

いちいち
考えている
時間すらない
ことも多い。

じゃあ
どうするか?

自分に
委ねるしか
ない。

実在の
自分に。

・・・・・・

現象に
対して、

現象レベルの
対応を
していると、

時間が
無限に必要に
なってくる。

混乱の
収拾はある程度
ついても、

実は何も
物事が進展して
いなかった、
ということは
ざらにある。

どうせ、
入り組んでいる
ならば、

いっそのこと

すべてを
一つに
してやれ。

・・・乱暴に
表現すれば
そういうことだ。

すべてが
一つ。

それが
実在だ。

そこに
戻る。
もともとは
一つだった
のだから。

一つ

分離して、

その上で
入り組む。

分離した
まま
一つになろうとし、
しかし
一つになれていない、
のが
入り組んでいる
状態だ。

であれば、
一つに
戻してしまう。

すると、

今は、

本当は、

何のみが
必要で、

何が
不必要か?


一瞬で
わかる。

で、
必要なもの
のみに
焦点を当て、

そこに
アプローチ
する。

廃棄された
ものを
全て溶かして
一つにした
上で、
全く新しい形に
創り変える。

そんなような
感じ。

で、
どうせ創り変える
なら、
本当に必要な
形にする。

そんな感じ。

上手い言葉で
表現は
しきれないが、

あえて
言えば
そんな感じ。

それが
私がいつも
させていただいている
サポートだ。

現象を
現象のまま
取り扱わない。

現象を
まずは実在に
戻した上で、
新たな現象として
生み出す。

これを
「異化」

言うらしい。

私は常に
「異化」
のための
サポートを
しているんだな。

つづく

調和をもたらすもの

人には
誰もに
リミッターが
あり、

自分で決めた
リミッターの
範囲内で
皆、それぞれ
頑張っている。

そして
ある一定以上の
満足が
訪れたら、

もういいか!

ということで、
自らその
リミッターを
外す。

リミッターが
外れることで
その人は
ものの見方の
広さと深さが
一気に変わる。

新たな自分
として
生まれ変わった
かのように。

そしてその
自分として
生き続け、

成長を
続け、

ある一定以上の
満足が
訪れたら、

またさらに
次のリミッターを
外す。

このようにして
人生において
いくつもいくつも
リミッターを
外しながら
生きていく。

が、

残念ながら
全人生で
リミッターを
一度も外さない
という
人がいる。

実は、
結構多い。

リミッターの
枠内で
成長をするが、
決して
リミッターは
外さない。

私が
「進化」と呼ぶ
成長とは
まさに
リミッターを外す
ということなのだが、

ということは
つまり
リミッターを
外さない人は

一生を経ても
全く進化していない

ということに
なる。

それはそれで
一つの生き方
ではあるのだが、

しかし明確に
言えるのは、

進化のない
生き方は
面白くない

ということ
だ。

逆に言えば、
進化を経験
することで
初めて、

人にはこんな
幸せがあるのか!

ということを
経験できる。

一度、経験
した人は
その生き方を
続ける。

つまり、
リミッターを
外す、という人生を
続ける。

一つの
リミッターを
外してから、
すぐにまた
次のリミッターを
外す、
というように、

外す頻度と
スピードを
圧倒的に高める
人もいる。

実は私は
そういう人を
こそ
サポートすると
決めてずっと
やっている。

そういう人が
増えるといいな、

願っている。

なぜなら
そういう人は
周りにとても
良い影響を与える
から。

自分だけで
なく
周りの進化も
促すから。

進化スピードが
速くなれば
なるほど、

調和は
増す。

世の中に
調和をもたらすのは
進化スピード
だ。

リミッターを
次々に外す人が
増えれば
増えるほど、

世の中は
調和する。

世の中に
調和をもたらす
進化スピードの
速い人達。

彼らを私は
「要」(かなめ)

呼んでいる。

社会の要を
増やすのが、
私の
仕事だ。

つづく

知らない自分がいたら

これまで
見たことのない
自分

出会ったら、

とりあえずは
それを
全て
受け入れよう。

それをまた
吐き捨てるか
どうかは、
あとで決めれば
いい。

まずは
新たな自分を
そのまま受け入れ、

融合しよう。

融合したら、
あとは何も
意識しなくて
いい。

自分は勝手に
動いてくれる。

空を飛びたい
という
願いはあるかな?

残念ながら
すぐには
無理だ。

でも願いは
ずっと
抱き続けよう。

願いを抱くから
こそ、
今ここで
現実的な一歩を
出せる。

しかもその一歩は
自分の知らない
一歩だ。

自分の知らない
タイミングで
自分の知らない
一歩を
踏み出してみよう。

今こそ。

つづく

私、であったもの

この大地には
何がいるのか
わからない。

豊穣な土。

生命力の
ある草原。

成長力漲る
樹々たち。

そこには
目には見えない
無限とも言える
存在が
きっと

溢れ出ん
ばかりに。

そして彼らは
今、
私に意識を
向けている。

あれは
何者なのか?
と。

私は
包み隠さず
自分を
晒す。

煮るなり
焼くなり
好きにしたら
いい。

ただ私は
あなたたちに
この身を
預けるだけさ。

・・・・・・

自分を守る
という意識は
きっと
とうに消えている
のだろう。

いつの間にか
そういう意味では
楽になった
もんだ。

とはいえ
もちろん
恐怖は出る。

それで
いい。

人間
らしい。

・・・・・・

後ろから
足音が
近づく。

敵か
味方か?

そんなことは
もう
どうでもいい。

どちらでも
いいんだ。

そういう
単純なことにも
いつの間にか
気づいていたよ。

・・・・・・

前からも
後ろからも

私に
覆い被さってくる
ものはある。

数知れず。

ある一定の
量は良いが、
それ以上は
ダメ、
というように

本能的に
調整することも
今はもう
なくなったよ。

・・・・・・

遥か彼方まで
延々と続く
大地。

このどこかに
私は眠る

ここでずっと
眠ってきた。

そろそろ
目覚めの
時だ。

それが
目覚めるため
には、

これまで
私である、と
思ってきた
あらゆるものを

手放さなければ
ならない。

私は
私のままで
良いのだが、

別に
私、でなくても
良い。

と、
そんな自分
として。

そう。

私は
誰でも
いいのだ。

私は
どこにでも
いるし、

どこにも
いない。

つづく

自分を信じよ

進む者が
馬鹿を見る
時代は、

それでも
まだ
続いているんだ。

今はまだ
移行期だ。

しばらく
まだ
移行期だ。

移行期こそ
最も
不安定だ。

足を
踏ん張ろうにも

地面そのものが
入れ替わり
つつあるので、

拠り所が
ない。

頼れるのは
自分
だけだ。

だから
今こそ
自分を信じる
ことだ。

ここまでの
道は
この時の
ためにある。

地面が
なくても
進める自分に
なる道だった。

こうして
ここに
辿り着いた
自分を

まずは
褒め、
そして
信じよう。

調和とは、

不調和を
恐れない
ことだ。

進化とは、

滅亡を
恐れない
ことだ。

自信は
必要ない。
むしろ
要らない。

それよりも、

自分を
信じること。

信じるとは
意志である。

意志とは
自分の中心
からしか
発しない。

中心以外が
出発点の
それは
全てまがいもの。

中心からの
意志に
素直に。

そう、

これまで
やってきた
通りに。

つづく

本領発揮宣言

もうあらゆる
答えは
なくなった
のらしい。

たくさんの
道が
あったが、

それぞれの
可能性は
潰えた。

そうなることは
最初から
わかっていた
わけだが、

そうならない
ように
努力も
してきた。

が、
やはり
宿命には
勝てないか?

たった
一つでも

もう一つ


あれば
精神的には
とてつもなく
楽だろう。

が、
それは
やっぱり
許されない
ようだ。

だからこそ
私達は
ここにいる
のだから。

答えは
たった一つ。

それ以外は
ない。

無限とも言える
選択肢の
中で

そのたった
一つを

常に
選び続けなければ
ならない。

以前はそれを
特異点

言ったが、

今はもう
それしか答えが
ないのだから、

特異点も
へったくれも
ない。

たった一つを
間違えずに。

一歩
間違えれば
それで終わる。

私達にしか
できない
ことだ。

ここから
本領発揮だ。

つづく