道が
いくつも
分岐しているように
観える。
まるで
稲妻のように
ジグザグに。
だが、
その道たちは
一瞬で消え、
次の瞬間には
別の分岐が
いくつも現れる。
そういう意味で
本当に
稲妻のようだ。
迷っても
迷っても、
道自体が
変わるので
答えの出しようが
ない。
茫然と
佇むしか
なくなる。
で、
一歩も
進めない。
当然、
私にもそんな
時代があった。
道を選ぶ
とは、
稲妻に打たれる
ようなもの。
死を覚悟
するくらいの
勇気が要ったし、
気持ちは
前に向いても
体が
動かなかった。
これが、
人間の恐怖。
自分の人生
を受け入れる
覚悟。
でも残念ながら、
多くの人は、
この覚悟の怖さ
すら知らずに、
惰性で
生きている。
私が
恵まれていた
のは、
この恐怖を
比較的早い段階で
知れたこと。
恐怖のあまり
足がすくむ自分を
知り、
あぁなんだ、
私はこんなにも
ヘナチョコで
何もできない
人間だったんだ、
と
否応もなく
知ることができた
こと。
あれがなければ
私はきっと、
今でも
傲慢に生きていたに
違いない。
私はできる
人間だ、
と
勘違いしながら。
そう。
勘違いしながら
ずっと
同じ場所を
動かなかっただろう。
そして
その結果として
私の人生は
早く終わる。
今は
わかるのだ。
あそこで
前に進まなかったら
きっと私は
何年何月頃に
死んでたな、
と。
ここまで
生き延びて
来れたのは、
私が自分の望む
道を
進んできたから。
そうでない
道を進んだ場合、
あくまで
私の場合だが、
私はそんな
私を許さない。
そういう
極端なところが
あるので、
私は自分が
本来ではない道を
進むことに
耐えられなかった
だろう。
道は、
いくつもの
分岐を描きながら
瞬時、瞬時に
姿を変える。
しかし本当は
そんなものは
まやかしだ。
本当は
中心に
太い道がずっと
まっすぐに
続いている。
あの稲妻は、
中心の道が
示しているもの。
中心の道を
進むための
都度都度の
指針であり
合図だ。
臨機応変に
現実を
開くための。
それがわかる
のは、
進もう!
と
決めた者
だけだ。
実際に
一歩を踏み出した
者だけだ。
そんな人が
増えてほしい。
いや、できれば
全員
そうなってほしい。
それこそ
傲慢な考え
かも知れないが、
そのために
生きるのが
私の道だから。
つづく