2025年 7月 の投稿一覧

傲慢な道だろうか

道が
いくつも
分岐しているように
観える。

まるで
稲妻のように
ジグザグに。

だが、
その道たちは
一瞬で消え、

次の瞬間には
別の分岐が
いくつも現れる。

そういう意味で
本当に
稲妻のようだ。

迷っても
迷っても、

道自体が
変わるので
答えの出しようが
ない。

茫然と
佇むしか
なくなる。

で、
一歩も
進めない。

当然、
私にもそんな
時代があった。

道を選ぶ
とは、
稲妻に打たれる
ようなもの。

死を覚悟
するくらいの
勇気が要ったし、

気持ちは
前に向いても
体が
動かなかった。

これが、
人間の恐怖。

自分の人生
を受け入れる
覚悟。

でも残念ながら、
多くの人は、
この覚悟の怖さ
すら知らずに、

惰性で
生きている。

私が
恵まれていた
のは、
この恐怖を
比較的早い段階で
知れたこと。

恐怖のあまり
足がすくむ自分を
知り、

あぁなんだ、
私はこんなにも
ヘナチョコで
何もできない
人間だったんだ、

否応もなく
知ることができた
こと。

あれがなければ
私はきっと、
今でも
傲慢に生きていたに
違いない。

私はできる
人間だ、

勘違いしながら。

そう。

勘違いしながら
ずっと
同じ場所を
動かなかっただろう。

そして
その結果として
私の人生は
早く終わる。

今は
わかるのだ。

あそこで
前に進まなかったら
きっと私は
何年何月頃に
死んでたな、
と。

ここまで
生き延びて
来れたのは、
私が自分の望む
道を
進んできたから。

そうでない
道を進んだ場合、

あくまで
私の場合だが、

私はそんな
私を許さない。

そういう
極端なところが
あるので、
私は自分が
本来ではない道を
進むことに
耐えられなかった
だろう。

道は、
いくつもの
分岐を描きながら
瞬時、瞬時に
姿を変える。

しかし本当は
そんなものは
まやかしだ。

本当は
中心に
太い道がずっと
まっすぐに
続いている。

あの稲妻は、
中心の道が
示しているもの。

中心の道を
進むための
都度都度の
指針であり
合図だ。

臨機応変に
現実を
開くための。

それがわかる
のは、

進もう!


決めた者
だけだ。

実際に
一歩を踏み出した
者だけだ。

そんな人が
増えてほしい。

いや、できれば
全員
そうなってほしい。

それこそ
傲慢な考え
かも知れないが、

そのために
生きるのが
私の道だから。

つづく

荒れた中の問い

荒れた海の
中に
あっても、

心は
平静。

いや、
正確に言えば、
心は
揺れ動き続けるが、

その中心は
平静。

中心のその
安定ぶりを
自覚することで、
結果として、
心も
平静になる。

喜ぶ時は、
思いっきり
喜べばいい。

心を
揺らしたい
時は
揺らせばいい。

ただ、

今はこの
心の動きと
少し距離を
置きたい、

という場合は
それが
できるといい。

心の揺れは
そのままに、

でも
それを少し
離れたところから
観察できる
自分に。

そうすれば、
世の中の
荒れ具合には
左右されない。

何度も
書かせていただいた
ことだが、
世の中も
同様に、
表面が
荒れているが、
その中心は
至って平静だ。

むしろ
そのエネルギーは
高まり、
安定度も
格段に高まり
続けている。

自分自身の
平静さを
取り戻せば、
世の中の
平静さも
感知できる。

すると、
世の中の
中心と
自分自身の
中心が
共鳴を始める。

共振を
始める。

その中で、
自分自身の
次の一歩を
平静に
選択することが
できる。

その連続が、
この
荒れた現実の
道を開く。

もう、
これしか
ない。

私達が
進む方法は。

さて、

その中で
今また
一つの問いが
浮上して
きている。

『一つ、
これまでの自分の
何かを
強く否定し、
一つ、
これまでの自分の
何かを
強く肯定しよう。
その結果、
次の私は
何を変化させれば
良いだろうか?』

世の中の
中心と
共鳴するためにも、

今の私達は
この問いと
向き合おう。

つづく

早く思い出そう

波紋が
広がらない。

どれだけ
石を
投げても。

水面が
硬直化して
しまったようで。

波紋が
広がらない。

石を投げた
その場所が
少し
へこむだけ。

その後、
何事も
起こらない。

本来、
液体である
はずの
この場所が、

固形化
してしまって
いる。

であれば、
まずは
全体を揺らし
ながら、

少しでも
液状化できる
ところを
探していくしか
あるまい。

それは
実に
地道な
取り組みだが。

・・・というのが、
きっと
この50年余りの
状況だ。

固体を
液状化
させる。

それはもう
大変だった。

ようやく

これはもう
液体と言って
いいかな、


言えるくらい
までに
なったのが、

4年前。

まだ
ドロドロ
しているし、

ところに
よっては
固体のまま
だが。

ただ、
波紋は
広がりやすく
なってきた。

波紋が
広がれば、
液状化は
さらに進む。

波紋が

あぁこれは
普通の
波紋だな、


思えるように
なったのは、

昨年くらい
から、

いや、

下手をすれば
今年から
かも。

だが、
別の問題も
出てきた。

皆がまだ
液体に
慣れていない
のだ。

液体に
慣らすことが
これから
必要となって
くる。

固形化された
中で
生きる術を
私達は
身につけて
きた。

が、もう
逆に
固体は、ほぼ
ない。

普通の
健康的な
液体状態に
なろうとしている。

もちろん
その方が
私達本来の
生き方、進み方
はしやすい。

が、
私達はそれを
忘れてしまって
いる。

早く、
思い出さねば。

思い出して、
液体の中を
自由自在に
泳いでいく。

そして
必要なところに
必要な 
波紋を広げる。

これが
私達のこれから
やること。

そのためにも
まずは
思い出そう。

私達本来の
進み方を。

つづく

降り続けている

これまで
いた
深海よりも、

さらに
奥に
降りていく。

まさか、
さらに奥が
あるとは
思っていなかった。

が、
降り口を
私は
見つけてしまった。

見つけたら、
行かねば
ならない。

行くために
きっと
見つけたの
だから。

ようやく
深海の暗闇に
慣れてきた
ところだったのに。

さらにその
奥は、
漆黒の闇。

怖えなぁ。

だが、
そんな私の
心を
無視するかの
ように、
私は勝手に
降りていく。

当たり前の
ことだが、
水圧は
さらにキツい。

体験したことの
ない
圧力に、

我を失う。

それでも
お構いなしに
降りていく。

躊躇は
全くない。

と、

とりあえずの
底に
立った。

でもそれは
あくまでも
とりあえず、
だということは
わかった。

小休止
かな。

幸い、
呼吸は思ったほど
乱れていない。

少し間を
置いた後、

またすぐに
降りていく。

今度は
きっと
もう、

休みなく
降りるのだろう。

きっと
先ほどの
小休止で、

これは
行ける!


私はわかって
しまったのだろう。

もうきっと
目的の場所に
辿り着くまで、

休むことは
ないだろう。

どんどん
降りる。

どんどん
深くなる。

何も
見えない。

何も
感じない。
強烈な水圧
以外は。

人間としての
私を
私は
忘れそうだ。

降り続ける。
降り続ける。

きっとこれは
数日から
もしくは
数十日
続くかも。

現実の
私は
これによって
どう
変わるのだろう?

つづく

動こうにも動けない

私自身が
私に
強烈なメッセージ

送り続ける。

動くな、
動くな、
と。

動きたくなる
気持ちは
わかるが、

それが
人間という
ものだが、

しかし
今は、
待て!
待て!
と。

そういう理由

わかる。

今は私が
先頭に立っては
ならないのだ。

私が先頭に
立てば、
それにより
崩れるものや、

余分に発生する
もの達が

あまりに
多いだろうから。

すると結局
その対応に
時間を取られ、

回り道と
なる。

だからこそ
最短の道を
行くためには、

今は
動くな!

ということ
だろう。

理解は
できる。

でも、
私だって
人間だ。

わかっちゃ
いるけど、
動き始めようと
する
私がいる。

すると
私ときたら、
私自身に
これまた強烈な

脱力

与えるのだ。

エネルギーゲージ
が、完全に
ゼロになる
くらいの。

時には、
脱力するための
わかりやすい
現実を
私自身に与える。

いわゆる、
この出来事の
ために
やる気がゼロに
なった、
というやつだ。

その度に
思うのだ。

勘弁して
くれよ。

そこまでして
私は
一歩、一歩、を
間違えたく
ないのか?

そこまでして
最短の道に
こだわるのか?

そう。

その通り。

それまでして
私は
一歩も踏み間違えたく
ないし、
最短の道しか
行かないと
決めているんだ。

理由は
単純。

じゃないと
間に合わないから。

結局は
ここに戻る。

間に合わせる
ために
私はここに
いる。

心は納得
できないが、

体は完全に
納得してしまって
いる。

だから、
動こうにも
動かない。

じっと待つ
私が
ここにいる。

つづく

意識朦朧はチャンス

意識朦朧

なったときは
チャンスだ。

顕在意識から
自由に
なれている
から。

こういう時
こそ、
直観も出やすい。

普段なら
なかなか出ない
深い場所からの
直観が。

普段、私達は
顕在意識で
考え過ぎなので、

顕在意識が
上手く働かない
状態の時こそ、

一気に物事を
進めてしまおう。

時には
とんでもない
ことを
やらかす場合も
あるだろうが、

大概は、
思わぬ現実
思わぬ展開を
生み、
考えながら動く
場合よりも
何倍も調和する。

必要なのは、
自分自身に
身を委ねる
勇気だ。

普段から
セルフコーチングが
できている人は、

ここが
強い。

顕在意識が
ない時こそ、
ガガガッと
一気に動ける。

間違っても
頭をクリアに
しよう、
などとは
思ってはならない。

そのまま
行けばいい。
委ねればいい。

つづく

ひっくり返ってみよう

高波が
襲ってきて
ひっくり返る。

ひっくり返る
のが
わかっていて

あえて
その波に
向かって
行ったんだ。

本当は。

ひっくり返る
のは
もちろん怖い。

上手く
着地できなければ
どうなることか。

でも、

今は自分を
ひっくり返さねば!
という
時があるんだ。

「高波」
とは、
自分が避けたい
現実のことだ。

自分が今、
最も避けたい
こと。

そちらに
向かえば、
きっと自分は
全身が痺れる
ほどに、
動転するだろう。


わかっている
こと。

ある意味、
結果が
見えている。

が、
そっちに
行くんだ。

たま〜に
だけど、
私はあえて
それをする。

もう
ドキドキ
だけどね。

でも
それをやらねば
先に進めない

わかっている
から。

自分を
この辺りで
ひっくり返して
おかないと、

後で苦労する

わかっている
から。

そのかわり、
しっかり
ひっくり返って、

予想通り
辛い思いを
しても、

ちゃんと
それをやれば、
その後、
得るものは
多い。

特に
よくあるのは、
その直後の
自分自身の
脱皮だ。

明らかに
何かから
自由になれた
自分を
感じられる。

ひっくり返った
直後は
ひどい状態
だが、

その後に、
体験したことの
ない
晴れやかさ
がくる。

生まれ変わった
気分だ。

そしてその
新たな自分と
して、
次に進む。

進んで
すぐにわかる。

あぁ、ちゃんと
ひっくり返って
おいて
良かった!
と。

高波の
気配がしたら、

自分は今、
ひっくり返る
必要が
あるのではないか?

と、
問うてみよう。

YES と
自分自身が
言っていれば、

頑張って
立ち向かおう。

大丈夫、
死にゃあせん。

つづく

渾身の想いで伝えたこと

どうすれば、
その人本来の
花が開くか?

結局は
私は
それしか
考えていない
のかも。

その人本来の
花が開けば、
その人は自然に
周りと
調和する。

つまり
周りの人達への
幸せにも
直結する。

それが、
家族で起これば
家族が
幸せになるし、

企業で起これば
その企業は
活性化する。

「本来」同士
は、
必ず調和する

ように
なっているのが、
私達人間の
本質だ。

だから、

無理な調和

私は絶対に
しない。
させない。

でも、

無理な調和
を起こし、
それで一時的に
業績が上がり、

悪い言葉で
言えば、
それで
自己満足し、

あとで
困ったことに
なっている
企業は多い。

本来の自分

本来の調和

生む。

本来でない
無理な調和
は、
本来の自分

阻害する
どころか、

人々をただ、
疲弊させる。

その疲弊

当たり前に
なっているのが
今の社会だ。

仕事で
疲弊するのは
当たり前でしょ、

皆、信じている。

もちろん、
疲れはあるよ、
頑張って
仕事するなら。

でも、
それは決して
悪い疲弊では
ない。

良い疲れは
人をますます
活性化させるし、
人を鍛える。

悪い疲弊は
ただ、
疲弊・枯渇に
向かわせる
だけだ。

悪い疲弊が
当たり前で、
その中で
頑張ることが
生きる意味だ、

などと
思うなかれ。

そこから
脱することこそ
私達全体の
テーマであり、

それが
世の中の
進化だ。

そこに
敢然と
立ち向かい
取り組もう。

・・・なんて
ことを私は
ただひたすらに
やり続けている。

真面目な
社長さんほど、
自分を
変えたがる。

もっと自分を
成長
させねば、と。

だが、
その人本来の
花が咲く
ためには、

今は絶対、
自分を変えては
ならない!

時がある。

そのまま
進まねば
ならない!

時がある。

だから、

そのまま
行ってください!

と、
よくアドバイス
させていただく。

今日も、
渾身の想いで、
そう
伝えたよ。

つづく

真の思考の仕方とは

ぼんやり
して、
まだ、
形になる前の
思考
がある。

それが
目の前を
ふわふわと
漂っている。

多くの人は
その状態の
まま、
その思考に
入ってしまう。

しかし
それはまだ
「完成」
されていない
のだ。

完成される
前の
思考に入れば、
それは必然的に
中途半端な
ものになる。

だから
本当に納得の
答えに
行きつかない。

思考は、
待つこと。

それが
「完成」
するまで。

どうしても
すぐに思考
したければ、

今はまだ
絶対に
答えは出さないぞ、


決めた上で
思考しよう。

でも本当は、
「完成」前は
触ってほしくない。

思考たちは
皆、
そう思っている。

そっとしておいて
ほしいのだ。

思考が「完成」
したら、
それは
私達の内側の
中心から
自然に
湧き上がってくる。

それはもう
直観の一種
と言っても
良いだろう。

ただ、
思考の場合は
湧き上がってから
実際の
思考に入る。

ついつい
考え込んで
しまうのだ。

でもそれは
普段の考え込み
とは異なり、

凄い集中力
となる。

周りの何も
耳に
入らず、
目に
入らず、

ただその
考え込みのみ
の自分
となる。

時間が経つ
のを
忘れる。

そういった
もの。

それを経て
得られるもの
こそ、
直観であり、

かつ、

自分自身の
真の答えだ。

つづく

真実を見出すために

一滴目。

その
波紋をよく
観察しながら、

タイミングを
逃さず、

二滴目。

さらに
波紋を丁寧に
観察する。

一滴目の
波紋と
二滴目の
波紋の
干渉もよく
理解しながら、

ここぞ、
の瞬間に

三滴目。

そうやって
増えれば
増えるほど、

影響は
複雑になる。

観察すべき
ことも
より複雑に
なりそうな
ものだが、

実は
そういうわけでも
ない。

複雑に
見てしまえば、
それはもう

観察
とは言えない。

観察は
シンプルに。

シンプルが
故に
奥深く。

観察のコツ
は、

表面に現れる
もののみに
意識を
向けること。
難しく
考察をせずに。

表面に現れる
すべてを
あるがまま
そのままに
見つめようと
すること。

そのまま
受け取ること。

考察は
要らない。

考察しようと
するから
真実を
見誤る。

表面に現れる
ことは
もちろん
表面的なこと
ばかりだが、

しかし
表面に現れる
ことこそ、
ちゃんと
本質を反映
している。

何の解釈も
なく、
完了感が出る
まで、
表面を
観続ける。

完了感が
出たら、
あとはじっと
待つ。

じっと待てば
浮かんでくる
ものがある。

それは、
問い
だ。

「?」
だ。

問いが
浮かんだら、
その視点から
改めて
観察する。

観察しながら
問いの答えを
見出そうと
する。

すると、
ふと答えが
浮かぶのだが、
同時に次の問いも
浮かぶ。

あとはその
繰り返し。

そう。

これこそ
セルフコーチング
そのものだ。

より深い
考察に繋がる。

私達は、
中途半端に
浅い部分で
考察に入り、

中途半端な
答えを
出す。

そこを
脱け出す。

真実に
繋がる
考察をする
ために。

世の中で
起きていることは
皆、
複雑怪奇だ。

皆、その
一部分のみを
取り出し、

中途半端な
考察を
し過ぎている。

本質は、

真実は、

もっと
シンプルなところ
にある。

一滴、
二滴、
三滴、
・・・

物事は
どんどん
複雑になる。

が、
その複雑さに
惑わされては
ならない。

判断と決断を
見誤らない
ためにも。

私達の
目が
試されている。

つづく

仲間がほしい

急激に
雲が
晴れていく。

青空の
広がりと共に、

強い光。

やはり
太陽の光は
強い。

これは
生命の強さの
象徴だ。

光を浴びながら、
細胞の一つ一つ

目を覚ましていく
のを感じる。

ヒョロヒョロの
枯渇状態から
徐々に
元気が
漲ってくる。

何とか
今回も
生き延びることが
できたようだ。

一刻も早く
自分自身を
復活させねば。

わかっている。

復活させたと
しても、
私はすぐに
全エネルギーを
注ぎ込んで
しまう。

ゆとりを
持ちながら進む、
ということを
しない。

持てる力の
すべてを
出し切ってしまう。

自己マネジメント
の真逆を
行っているような
ものだ。

わかっているが、
その生き方を
私は
変えようとしない。

なぜ
変えようと
しないのか?

答えは
単純だ。

時間が
ない。

それだけの
ことだ。

ゆとりを持って
進むだけの
ゆとりは
ない。

一刻も早い
復活と、
同時に、
すぐさま
全力疾走。

今は
平時では
ない。

非常事態
なんだ。

これまで
ずっと。

そして
これからも、

きっと、

私が生きて
いる間は。

仲間が
ほしい。

仲間は
増えてきたが、

まだまだ
足りない。

仲間が
ほしい。

間に合わせる
ために。

つづく

一粒が決め手

光のしずく
が、落ちる。

キラキラ
と。

落ちたところに
波紋が広がり、

次の光が
生まれる。

一つ一つは
小さなもの
だが、

着実に
光は
増えていく。

結局は、
こういった
広がり方が
一番、
安定し、かつ
強力である。

最初から
大きく構え、

全体を
変えよう!

と、
し過ぎるから
頓挫してしまう。

たった一粒
でもいいので、

しっかりとした
光を。

エネルギーの
高い
一粒を、

最も的確な
タイミングで
投じることだ。

小さくとも
最高の
一粒を。

その
積み重ねで、

人生も
仕事も
組織も

変わっていく。

つづく

それが初体験だった

その時期は、

皮膜で
全身を
覆われている
感覚が
ずっとあったんだ。

鬱陶しいし、
気持ちも
悪かった。

でも、
その皮膜を
取り払ってしまう
ことは
とても怖かったんだ。

勇気が
要ったよ。

でも
決心した。

この皮膜を
取らない限り、
私は前には
進めない、

やはりどこかで
よくわかって
いたんだ。

皮膜を取る
ためには、
ある具体的な
決断と
行動が
必要だった。

期限も
わかっていた。

だから私は、
必死の想いで、

そうそう
まさしくそれは
必死、だった、

エイヤッ!と、
それを
したんだ。

そして
その直後に、

あぁ今、
ここで
皮膜が溶けるな、

わかった。

それは
すぐに
溶けた。

その時点でも
怖かったよ。

でも、
みるみる
溶けていったんだ。

時間にして
5分も
かからなかった。

全身から
皮膜が
綺麗さっぱり
なくなった。

なくなって
みると、

ただの
「普通」

待っていた。

あれ?
なんだこれ?

普通、じゃん。

・・・と、
実際に口に
出したと
記憶している。

皮膜を
取るまでは
あんなに
怖かったのに、

皮膜が
なくなると
普通、になった。

普通の自分
に。

なんだ、
こんなことか、


思うと同時に、

ついさっき
までの自分が
普通じゃなかった
ことに
気づいたんだ。

普通、
じゃなかった
んだ、
私はずっと。

これまでの
人生、
ずっと。

これまで
「私だ」と
思っていた
ものは、

私では
なかった。

なんだ、
こんなことなら
もっと早く
やっとくべき
だった。

少しだけ
後悔したが、
しかしとても
良い経験
だった。

それが私の
初めての
「脱皮」。

人間も、
脱皮をするんだ
というのを
知った瞬間。

そこから、

脱皮をサポート
することこそ、
私がすることだ、

わかった。

私の
クライアントさんは
必ず
どこかで
脱皮する。

なぜなら
そういう人を
選んで、
クライアントさんに
しているから。

皆、
「普通」に
戻っていく。

世の中全員が
そうなると
いいな、と
思う。

つづく

あんなに好きだったのに

昨日までの
吹雪が、
嘘のように
晴れた。

満点の
星だ。

星が降る
とは
このことか。

ただ茫然と
見上げながら、

自分の小ささ

感じる。

そのまま
感じる。

こういう時
こそ、
自分の鼓動も
感じることが
できる。

生きているな
私は、
と思う。

生きて
ここにいる。

吹雪の中を
歩いた記憶は
もうほとんど
飛んでいる。

前に足を
出し続けること、
自分の体の
バランスをとること、
にのみ
必死だった。

自分が
自分なのか、
自分じゃないのか、

わからない状態。

そこから
ここに
生還したような、

やっと
自分に戻れた
ような。

冬山の体験
が、
きっと私の
セルフコーチングの
基盤に
なっている。

自分を
失い、
自分に
戻る。

自分に
戻れば、
これまでとは
異なる自分が
そこに
いた。

それを
しっかり感じる
ことで、
また
自分を失う。

自分を失う、
とは
「個」である自分を
離れることでも
ある。

それは時には
「世界と一つになる」
という
実感をもたらすことも
あった。

あの感覚を
体験したことは、
セルフコーチングを
探究する上で、
本当に
宝となった。

山には
感謝しかない。

当時の
私にとって、
山に登ることは
最上の喜び
だったのだが、

この仕事を
始めてから、
もう30年くらい
山には
一度も行っていない。

山に登る喜びと
同じ喜びを、
日々、
感じることが
できているから。

山に行く
欲求そのものが、
なくなって
しまった。

あえて
表現すれば、

私は、
人生を登る
ように
なった。

それが
真本音で生きる
ということだ。

山に登って
いる時は、
その一歩一歩が
とても
愛おしかった。

今は、
人生を進む
一歩一歩、

一分一秒が
愛おしい。

山でのあの
充実感が、
まさか
日常生活で
日々、
手に入れられる
とは、

当時の私は
思いも
よらなかった。

ただ、
ふと
もし今の私が
あの山の世界に
もう一度
入ったら、

そこで
何をどのように
感じるだろうか?

と、
考えることは
ある。

今だったら
きっと
あの時よりも
もっと簡単に、

山と一つに
なれるだろう。

そうすると
私は
山々から
どのようなメッセージ

受け取るだろうか?

まぁでも
これは、
あくまでも
興味本位の
問いだな。

山に行く
時間とエネルギーが
あるならば、

私はそれを
もっと別のことに
使いたい。

私も変わった
もんだな。

人は、
変わるのだ。

つづく

それは可能性の蕾だ

蕾(つぼみ)のうちに
枯れてしまうものは
あまりに
多い。

せめて
ほんの少しでも
花が咲き、

せめて
その片鱗くらいは
実感できれば
次に
繋がるのに。

蕾のうちは、
その価値に
気づかない。

最も
気づかない
のは、
そのご本人だ。

大抵の場合、
その蕾を
潰すのは
本人だ。

無意識に
潰すことも
あるし、

意識的意図的に
こんなものは
必要ない!

潰してしまう
ことも。

なぜなら
多くの場合、

蕾を自覚すると、
その本人は
それを

嫌いだ!


認識してしまう
から。

こんな個性
嫌いだ。

こんな力は
嫌いだ。

こんな特質は
嫌いだ。

・・・と、
自分にとって
拒絶したくなるもの
にこそ、

実はその人の
本当の花を
咲かせるもと
となるものが
ある。

だから
よくアドバイス
することになる。

自分の
嫌いなところに
こそ、
しっかり
目を向けよう、
と。

自分の
嫌いなところと
向き合おう、
と。

目を
逸らしていても、
嫌いなものは
嫌いだ。

反対に
よく観察すれば
印象が変わる
かもしれない。

みにくいアヒルの子
は、
美しい白鳥に
成長した。

同じことが
私達にも
言えるんだ。

つづく

こんな力が人にある

一つのことに
集中しながらも、

少しズレた
別のものを
観る。

実はその方が、
その
物事の本質を
掴めたりする。

視線を
ずらす。

視点を
ずらす。

ズレ、というのは
気づきのきっかけ
なのかも
しれない。

一つの重要な
刺激を
与えてくれる
のだろう。

私は
クライアントさんとの
セッションの最中に
これを
意図的に行なう
ことがある。

正面の
クライアントさんに
全意識は
向けている。

が、
ちょっと
ズレた場所を
見つめる。

ポイントは
それによって
クライアントさんへの
意識を
分散させない
ことだ。

クライアントさん

100%の意識を
向けたまま
別の方向にも
意識を向ける
のだ。

そんなことが
可能なのか?


思われるかも
しれないが、
これこそが
私達人間の持つ
偉大な力の
一つである、

私は実感
している。

これをもっと
拡大して
言えば、

私達は、
あらゆる物事
に対して
同時に、

100%の意識


向けることが
できる。

・・・と。

この件について、
あるクライアントさんが
以前に
次のように
表現されていた。

「すべてのものに
ピントを合わせる」

と。

まさしく
そんな感じだ。

もちろん
これができるように
なるには、
それ相応の
訓練が必要だ。

すべてに
ピントを合わせ
ながら
生きることが
できれば、

日常における
発想も
行動も、

あらゆることの
次元が
変わる。

生きやすく
なる。

そのための
訓練の場を
創ろうかな、

今、考えている。

つづく

率直に感じていること

人間は
本来はもっと
逞しいはずの
存在だ。

ひょっとすると
人間を
最も
活かしきれていない
のは
我々人間自身
ではないか。

何ものにも
縛られない
大自然の中に
ポンっと
放り出された時、

初めて私達は
自分自身に
内在された
力を
自覚するのでは
ないか。

人間社会は
本当に
“人間”を
育てたか?

私達の
これまでの歴史
は、
本当に
“人間”を
育てたか?

私達は、
“人間”としての
進化は、
ずっと
果たさずにきた
のではないか。

いや、

進化とか
退化とか、
そういった視点を
論じる以前の
状態、

ただ単に
私達は
雑になってきている
だけではないか?

自然の摂理

丁寧に自分を
合わせ、
その中で
自分らしく
生きていく。

・・・これは
古代の人達の
方が、
今の私達よりも
格段に
進んでいたのでは
ないか。

雑になり、
雑になり、

自然の摂理
から
外れても、

その気持ち
悪さに
鈍感になり、

鈍感になり、

自然を感じず
ただ
孤独感のみを
高め、

孤立した
存在として
脆弱に
生きる。

そんな
脆弱な存在が
ただ
肩を寄せ合って
依存し合って
生きるための
社会。

自律して
いない
社会。

それを
創り上げたのが
私達では
なかったか。

過去の人達

せいにしては
ならない。

皆、
同じだ。

過去も
今も、

そして
これから私達が
創り出す
未来も、

皆、
“自分”
だ。

“人間”
だ。

雑、
というのは、
何も考えない
ことだ。

無頓着。
鈍感。
無関心。

狭い視野。
狭い世界。
自分の
内側だけの。

今は
ほとんどの
人が、
「世界」を
見ていない。

自分の
内側に
浸っている
だけだ。

世界と
向き合うことを
恐れている。

恐ろしい世界

創り出して
しまったから。

それを
本能的に
知っている
私達は、

じっと
自分の内側
だけに
閉じこもる。

だけど、

本当は、

内側にも
安全な場所は
ない。

内と外は
同じ
だからだ。

内と外の
境目。
それが
人間。

だから
安心を得たければ、
世界にしっかり
目を向けるしか
ない。

進化の道を
今、ここからでも
歩み始めるしか
ない。

歴史は
繰り返す?

いいや、
もう
繰り返さない。

繰り返したら
もう
終わり、と
なるだろう。

もう、
そんな場所まで
来てしまったよ。

だからもう
歴史は
繰り返さない。

自然の摂理
には
いつからでも
戻れる。

進化の道には
今、
ここからでも。

そんな
社会になれる
よう、

今日の一日を
私は
生きる。

つづく

追い込まずして

雨の中に
いる。

ザーザーと
降りしきる。

冷たさと
共に、
気持ちよさも
ある。

すべてを
洗い流したい
ものだ。

この際
だから。

もし人生が
何度も
自由に
リセットできる
なら、

そこに
何のリスクも
ないのら、

そうそう
例えばまるで
ゲームの
ように、

そうしたら
もっと楽に
進めるだろうか。

でも
きっとそれでは
真剣さは
激減するだろうな。

自分の命をも
弄ぶ
かのような人が
増えるのだろうな。

私達人間は、
すぐに手に入る
ものに対しては、

すぐに
ぞんざいに
扱う。

雑になる。

この人生は
一度きり。

一度始めたら
そうそう簡単には
戻れない。

そういった
ヒリヒリハラハラ
する
緊張感があって
初めて、
真剣に
なれたりする。

良い意味で
追い込まれ
ないと、
真剣になれない
のが
人間なのかも。

ただ、

良い
追い込み方

しなければ
ならないと
思う。

進化し続けて
いる人は、
ここが
上手い。

自分に対して
良い追い込み方
をする、

ということ
こそ、
自己マネジメントの
本質なのかも
しれない。

コンフォートゾーン

ずっといては
ならない。

そのままでは
あらゆることが
どんどん
雑になる。

自分の意志
で、
そこから
飛び出ること。

勇気を持って
自分を
追い込んで
みよう。

つづく

手放す方法

脱ぎ捨てる。

要らぬものを
脱ぎ捨てる。

要らぬもの

ブラブラと
揺れている。

もう
俺は要らん
存在だ、

自己アピール
している。

だから、
意識すれば
すぐに
わかる。

今、
私にとって
要らぬものは
何だろう?

と、
常に
問いかける
だけで。

もし、
要らぬものを
特定できたら、

まずは
イメージの中
だけでも、
それを
脱ぎ捨てて
しまおう。

イメージの中で
しっかり
はっきり
手放す。

捨てる。

何度も
何度も
そのイメージを
すればいい。

そのうちに
自然に
そのような行動に
繋がる。

まずは
自分の中で
はっきり
決めることだ。

これは
要らないのだ。

今の私に
とっては。

これは
捨てるべき
ものだ。

今の私に
とっては。

・・・と。

ここを
曖昧にし続ける
からこそ
ずっと
延々と
モヤモヤが
続く。

そのような
時間は
もったいない。

人生の
貴重な時間
が。

脱ぎ捨てる。

毎日
一つずつ
新たな何かを
脱ぎ捨てても
いいくらいだ。

ここからの
時代はね。

つづく

沈黙の楽しみ方

無理に
喋らなくて
いい。

喋ることが
なければ。

じっと
していれば
いい。

ただ
黙って。

私達は、
無駄な会話を
し過ぎだ。

沈黙が
怖くて
ついつい
要らぬことを
喋ってしまう。

しかし、

それを
なくすだけで
人との関係は
調和を高める。

人間関係創り

とても
やりやすくなる。

だから、
沈黙には
強くなった方が
いい。

沈黙の時間

楽しめる
ように。

そのためには、
沈黙中の
意識を向ける
先を
決めておくと
いい。

お奨めは、
意識を
外に外に
出すこと。

見なくても
いい。

目を向けたり
体の向きを
変える必要は
ない。

ただ、
姿勢は
そのままに、

意識のみを
外に
向け続ける。

世界を
感じるといい。

世界
全体を。

その中に
目の前にいる
その人も
必然的に
入ってくる。

その人も
含めて
世界全体を
感じ続ける。

これに
慣れれば、
落ち着いて
くるよ。

そして
さらに慣れれば、

世界全体を
感じているという
状態そのままに、

目の前の
その人と
会話ができる
ようになる。

これがまた
実に
楽しい。

ぜひ
やってみて
ください。

つづく

まずは救わねば

私達人間は
常に、
自分の中を
エネルギー循環
させている。

循環が止まる、
イコール
死、である

考えてもいい。

死、という
ことに関しては
詳しく言及すると、
止め処がなくなって
しまうので、
ここではあえて
深入りしないが。

とにかく、
生きている
というのは
エネルギーが
循環し続けている、
という 
ことになる。

ところが、

エネルギーの
循環に
所々、
滞りができている
のもまた
私達全員の
特徴だ。

今のこの
世の中で生きる、
上では
滞りができない方が
おかしい。

通常の滞りで
あれば、
しだいに
解消されていくが、

それが
どんどん巨大化し、
全体の循環の
邪魔をするように
なるケースも
ある。

そういった
巨大化したものが
増えてしまうと、
循環そのものが
止まってしまう。

つまり、
死、を早める。

そういった
人達が
今、
急増している。

だから、
今の私のサポート
は、

その人の
命を救う、

という
レベルのものが
多い。

もちろん
ご本人に
伝えることは
しない。

私は医者では
ないので、
不用意に
医学的根拠のない
ことは
口にはしない。

ただ、
ピンチなのは
どうしても
わかってしまう
ので、

そこのサポート
は、
密かに
やり続けている。

と言っても
特殊な力を
使うよりも、

もっと
単純なことを
している。

つまりは、
その人の
真本音度合いを
高めること。

意識の次元を
高めること。

これまで
ずっと
やってきた私の
サポートそのものが、

エネルギー循環
を高めるし、
滞りを
解消する。

ただ、
優先順位が
少し変わって
くる。

あくまでも
エネルギーの
流れを良くするための
課題、テーマ
から
優先的に
取り組んでいく。

現実レベルでは
もっと他の課題が
あったとしても。

当然だが、
命が続かなければ、
意味がないから。

ご本人は
わからない
ことだが、

こうやって
側から観ていれば
わかることが
ある。

まずは
命を救い、

その上で
現実的な
課題に
取り組む。

こういった
サポートのできる
人もまた、
私は
育てたい。

最近よく
考えていること。

つづく

あるタイプが増えている

その時その時
の答えは、

一つしか
ない。

だが、
もちろんそれを
外すことは
多い。
私達人間は。

外しても
当然、
挽回はできる。

ただしその場合は
少し
遠回りになる。

人生の時間を
消費する。

そういった
紆余曲折も
含めて、
人生であり、

それがある
からこそ
成長もできる、


言える。

が、
それをしていては
もう、
間に合わない!

という人が今、
圧倒的に
増え始めている。

恐らく、
今の実感値で
言えば、

そういう人の
割合は、
ここ数年で
5割を超える
のではないか。

紆余曲折を
している場合
ではない。

最短の道で
自分の人生の
目的を
果たさねば!
という
気概と願いを
持つ人達。

若い世代を
中心に
広がり続ける。

それは
もともと多くは
先天的なものだが、

先天的で
あるが故に、
埋もれてしまって
いるケースは
多い。

つまりは
そういった自分
であることを
自覚できていない
のだ。

しかし
少しのきっかけ
により、
急に自覚する。

自覚すれば
最初に来るのは、
言いようのない
「焦り」だ。

その「焦り」が
何なのか?

どう対処すれば
いいのか?

全く
わからない。

わからないままに
戸惑い、
それ以前よりも
悪い状態となり、
人生がとても
生きづらくなる。

そういった
人達をこそ、
私は
サポートしたいと
願っている。

ただ、
これは、
到底、私一人では
成し得ない。

だから
そういった人を
サポートする力を
持つ人も
育てたい。

最近、
私がいつも
考えていること。

つづく

こんなバランスもある

重力とは
逆向きの
力を
よく感じる。

それは
力というより
エネルギーの
流れと
呼んだ方が
良いかもしれない。

この世の
現象の
代表的な存在が
重力。

そして
下から流れ来る
エネルギーは
実在だ。

これは
実在と現象が
反発している
ということでは
なく、

むしろ
調和をはかる
ための
もの。

上から下に
働く
重力と、

下から上に
働く
実在のエネルギー、

そのバランス

ちょうど良い
場所に

私はいる、
ことに
している。

特に
人と関わる
時こそ。

その
バランスが
とれている場所で
発する言葉は、

実にスムーズに
人に
伝わっていく。

基本、
説明が必要
ない。

一言で
スーッと
何かとても大切な
ところを
理解してもらった
感覚となる。

ありがたい
ことだ。

こちらの
バランスが
とれると、
相手のバランスも
しだいに
とれてくる。

その上での
コミュニケーション
だから、
きっと
楽なのだろう。

面白いのは、

同じ人との
同じ会話の
場面でも、

その
会話中に、
「場所」を移動する
感覚がくる
ことだ。

つまり、
重力と
実在エネルギーとの
バランスに
変容を起こしている
ということだと
思う。

明らかに
「移動しているな」
という感覚が
くる。

そして私は
その「移動中」には
何も
言葉を発さない
ことにしている。

きちんと
「移動」が
完了してから、
初めて
言葉を発する。

と、
これまた実に
スムーズに
会話が進む。

目の前の
この人としか
できない会話、

今この時
にしか
できない会話、

がある。

私はそういった
会話を
日々、
重ねているが、

そこで
重要なのが、
バランス。

重力と
実在エネルギー、

上からと
下からの
バランス。

これが
整った状態で
人と向き合う。

整っていない
場合は、
あえて
人とは
向き合わない。

と、
決めている。

つづく

植え付ける必要はない

最初、
小さな谷の
中にいた。

小さな小さな
流れだった。

しかし
その流れに
乗って進めば、

だんだんと
様々な流れが
合流し、

大きな川
となり、

さらには
海に出た。

その辺りで
飛べるように
なった。

空高く
飛んでみると、

これまで
自分が
流れてきた
川や谷の全て
が、
見渡せた。

最初は
あんな小さな
中に
いたのか。

愕然とした。

すると
さらに高度は
上がり、

そのうちに
地球全体が
見えるように
なった。

さらにさらに
高度は
上がり、
ついには
地球圏を超え、
宇宙に出て、

さらに
太陽系を
超え、

銀河系を
超え、

全宇宙を
見渡せるくらい
まで・・・。

そして
宇宙の
その先へ。

宇宙の
成り立ちと、

すべての
始まりの
もと、まで。

私達の
この
細胞の一つ一つ
には、
それらのすべての
記憶が
込められている。

込められて
いない細胞は
一つもなく、

すべてを
知っている
私達が、

すべてを
忘れて
ここにいる。

しかし本当は
すべてと
繋がっており、

すべてを
感じながらも
ここにいる。

感じている
ことを
どれだけ
顕在化すれば
いいか?

その調整
こそが
生きるコツであり、

ここが
絶妙になれば、

この混沌とした
世界でも
生きることが
比較的
楽になる。

そう。

すべてを
知っている。

・・・というのが、
前提だ。

この前提の
もとで、
私は人のサポートを
し続けている。

この前提に
本当の意味で
立ったのが、
13年前。

そこから
人のサポートは
劇的に
楽になった。

人に何かを
植え付ける必要
などない。

いかに
思い出して
もらうか?
こそが
ポイントだ。

宇宙全体が
わかったと
しても、

最初の小さな
谷を
バカにしては
ならない。

というか、
バカになど
できないはずだ。

あの谷にも
宇宙のすべてが
詰まっている。

谷の石ころ一つ

宇宙全体は
同じものだ。

ということが
実感できるように
なるから。

この感覚だけでも、
できるだけ多くの人が
思い出せるといいな、
と、
つくづく
思っている。

つづく

確かに夕陽だった

オレンジの
光を
確かにずっと
感じていたんだ。

眩しいな、
というくらいに。

でも
セッションが
終わってみると、

窓から
見えるのは
重い雲々。

今にも
雷雨になりそうな。

でも
眩しかったんだ。

あれは
物理的な光
だった。

確かに
そうだった。

が、
その気配も
なし。

幹部の
Aさんと
Bさん。

崩れ落ちそうな
酷い状態が、
1ヶ月以上も
続いた。

各々の
心の中も
そう。

関係も
そう。

でもここで
崩れれば、
間違いなく
会社全体も
崩れる。

その
ギリギリの
ところ。

繊細さと
大胆さが
必要とされる
日々。

でもやっと
突破口が
開いた。

久しぶりの
明るい
笑顔。

Aさんと
Bさんが
私の目の前で
向かい合って

笑い合って
いる。

安易に
奇跡とは
言いたくないん
だよ。

そうそう
都合よく
奇跡など
起こらない。

全て
必然的な
ステップの
成せる業。

それは
わかって
いるよ。

でも私も
人間だ。

言わせて
くれよ。

これは
奇跡だ。

で、
夕陽の光
まで
感じたし、

後ろに
目はついて
ないけど、

でも
普通に
見えたんだ。

お二人が
笑顔で
部屋を後に
して、

夕陽を
見ようと
振り返ったんだ。

でも、
曇天の空。

雨も
降っていた。

あれは
お二人の
光だったか?

いや、
本当に
普通に
夕陽だったん
だけどなぁ。

つづく

終わりと始まりにいる

羽化する
ために、
サナギになる。

その中で
いったん、
液状化する。

全てを
溶かし、
壊し、

全く新たな
自分を
創造する。

かと言って
自分は
自分だ。

これまでの
形が
跡形なく
なっても、

自分の
本質は
残り続ける。

変わらない
もの。

永続的な
もの。

私達は
誰もがみな、
それを
持っている。

羽化の最中、
私達は
祈る。

とてつもなく
不安定に
なりながら、

いや、
不安定
だからこそ、

最後には
祈りのみと
なる。

その祈りは
言葉に
ならない
ものだが、

人それぞれ
のものだ。

あなたには
あなたの
祈りがあり、

私には
私の
祈りがある。

それが
そのまま
成虫の形と
なるのが
理想だ。

そうなれれば、
その後の
人生が、

とてつもなく
幸せなものと
なる。

私達は
祈りであり、

祈りとは
進化である。

進化とは、
終わり

始まり
だ。

私達は
人生の中で
何度も
その瞬間を
迎える。

今、
自分は
終わろうと
している。

今、
自分は
始まろうと
している。

まずは
その
自覚を。

その
不安定さは
羽化の
ものだよ。

つづく

あと少し

月が
観える。

私の
中に。

満月
だ。

水面も
観える。

満月が
水面に
映える。

まるで
鏡のように。

月は
語る。

静か
なのは、
今の
うちさ。

この水面
も、
すぐに
怒涛の
激流と
なるよ。

準備は
いいかい?

・・・と。

準備は
とっくに
できてるよ。

それよりも
待ちくたびれた
よ。

早く
始まらない
かな。

期待は
いかんよ。

準備が
できた、
それだけで
いい。

それ以上
でも
それ以下
でもなく。

そうそう、
期待は
いかんな。

ただ
ここに
このまま
浮かんで
いよう。

これまで
じっと
待ってきた
んだ。

あと
少し。

このまま
で。

つづく

真剣さを目指す人へ

深刻に
捉え過ぎると、
物事の本質が、

課題の本質が、

観えなく
なる。

本当はそんなに
難しいこと
では
ないかもしれない。

難しく捉える
ことで、
動けなくなる。
一歩も。

もっと
浅く、発想してみる
のも
良いことだ。

浅く、発想して
浅く、行動してみる。

その方が、

ピンッと
閃くこともある。

本質的な
突破口が
急に
観えることも
ある。

真剣と深刻

違うもの。

むしろ、
真逆のもの

言ってもいい。

真剣に生きる
コツを得る
第一歩は、
軽くでもいいから
始めてみる
ことだ。

自分を
変えたい!


思うのなら
なおのこと。

深刻に
なればなるほど
何も
変わらない。

やれそうな
ことを
一つ、
軽く選んで

やって
みる。

軽く
やってみる。

真剣さを
目指す
あなたにだからこそ
お伝えしたいこと。

つづく

宇宙と人 人と宇宙

一つ
脱ぎ捨て
開放された
とき、

自分の肩に
とてつもなく
大きなものが
寄りかかっている
のが
よくわかった。

最初は
責任を
押し付けられている
ような
気持ちがした
ものだ。

だから
随分と
抵抗したのだと
思う。

自分が
思っている
以上に。

自分の人生を
引き受ける、
というのは
きっと

この
肩にかかっている
重みを

その
責任を

引き受ける
ということなのだと
思う。

最初は
とてもとても
できなかったが、
進むうちに
自然に
できるように
なってきた。

人間という
のは
そういうもの
なのかも。

むしろ今は、
その
肩の重みが
心地よく、

もしこれが
なかったならば、
私は私で
いられただろうか?

などとも
考えている。

私達のいる
この太陽系は、
とても小さな
存在で、

現在、
観測されている
一番大きな
ブラックホールの
大きさに
比べれば、

ホコリの一つ
にも
ならないらしい。

ブラックホールに
引き摺り込まれる
のも
いやなので、

少なくとも
銀河系全体の
視野でいようと
思う。

が、
その銀河系ですら、
小さな小さな
存在だ。

私達は
宇宙の中に
いて、

そして
宇宙は
私達の中に
ある。

内宇宙と
外宇宙は
本当は同じもの
で、

内宇宙と
外宇宙の
境目が、

人間
と呼ばれる
存在だ。

私達は皆、
その
果てしないものを
背負っている。

自分という
人間を、
小さな存在であると
謙虚に捉える
のは、
それはそれで
結構なことだ。

しかし
その一方で、
もう少し
自分自身の
果てしなさも
素直に
感じ取ってみては
どうだろう。

荷が重い
かい?

結構、
心地良くなる
もんだよ。

つづく

一ヶ月一生

私達には、
毎月毎月の
テーマがあり、

そのテーマを
クリアするごとに、

その先の
道のりも
クリアになっていく、

という傾向が
ここ数ヶ月で
劇的に
高まっている。

もし、
自分の行く道に
対して、
モヤモヤ感が
激しい場合は、

これまでの
私の歩みで、
私がしっかり
丁寧に
乗り越えていない
テーマは
何だろうか?

とか、

私が
やり残して
しまっている
課題は
何だろうか?

などの視点で、
じっくりと
自分の歩みを
振り返ってみると
いい。

もしそのような
やり残し
が見つかれば、

面倒でも
もう一度、そこを
やり直す、

その時点の
自分の目線に
戻り、
丁寧に
取り組み直す、

ということを
するといい。

一つ一つの
積み上げが
非常に重要。

中途半端な
進み方は、
その後の歩みを
かなり脆弱に
させる、

どころか、

本来、
観えるべきものが
全くわからずに
暗中模索に入る
可能性も高い。

もちろん、
基本の基本は
一日一日
を丁寧に過ごす
ことだが、

その上で、
次に意識すべき
視点が
「1ヶ月間」
というタームだ。

一日一生。
一ヶ月一生。
という感覚で
日々と
向かい合おう。

つづく