2025年 8月 の投稿一覧

真実を受け取れる私達に

左の目から
見える世界と、

右の目から
見える世界が、

違って
見える。

まぁ、
そんなもん
だろう。

私達の
「目」
は、むしろ本当は
そのように
できている。

残念ながら、
私達は
「真実」を
そのまま受け取る
ことは
できないように
できている。

あくまでも
自分の「脳」を
使ってしか、
それらは
見えない。

喩えて言えば、
機械で感知した
ものが、
その機械によって
映像化され、
その映像化された
画面を
私達はいつも
眺めている。

そこに在る
ものを
そのまま
ダイレクトに
受け取っている
わけではない。

しかもその
機械には
特性があって、

真実の姿を
その機械の
特質に合わせて
変換してしまう。

そしてもちろん、
そこに在るもの
全てを
感知できている
わけでもない。

映像化した
ものを
私は「現象」と
呼んでいるし、

映像化される
前の
「そのもの」を
私は「実在」と
呼んでいる。

真本音で生きる
ようになると、
私達は
「脳」の働きを
超え、

もしくは
「脳」そのものを
アップデートさせ、
という
表現もできるが、

「実在」そのものを
徐々に
感知できるように
なる。

だからこそ、
「映像」しか見れない
ことによる
不安や不安定さを

乗り越える
ことが
できる。

もちろん、
「実在」をそのまま
知ることは
怖い、

思う人もいるだろう。

というか、
誰もが最初は
怖がる。

私も
そうだった。

が、
すぐに
慣れる。

目を瞑って
生きるのが
怖いのと同様に、

「実在」を
知らずして生きる
のは、
今は逆に
とても怖い。

「実在」を
感知する力は、
人間であれば
誰もが
持っている。
もともと。

恐らく、
大昔の人達は
今の私達よりも
その力を
開放できていた。

現代の私達は、
皆、
その力を
失っている。

そういう歴史を
人類は
創り出して
しまった。

でももう一度、
それを
取り戻す時だ。

ない力を
養おう、
ということでは
ない。

もともと
ある力を
もう一度、
思い出そう、
ということだ。

私達は
もっと
「自然」に
戻るべきだ。

できるだけ
早く。

できるだけ
正しく。

つづく

真の道を放棄してしまう人

真本音の道を
変えなければ
ならない
ことがある。

人生の願い
や目的

もちろん
変わらない。

が、
それを実現
するための
道筋が
大きく変わる
ことがある。

しかしこれは、
自力では
ほぼ
難しい。

そりゃ
そうだ。

真本音の
道だ。
自分自身の。

これを変える
というのは、

根底から

自己否定する
ような
ものだ。

私は
生まれてくる
べきでは
なかった。

・・・くらいの
気持ちにも
なるだろう。

だから
通常は
自分一人の力
では無理だ。

だから
私はそういう
人をこそ
サポートさせて
いただいている。

道を変えねば
ならない
事情は様々だ。

が、
これまで
私が拝見した中で
最も多かったのは、

真のパートナー
もしくは
真の仲間が、
自分の道を進む
ことを
放棄してしまった、

という
ケースだ。

大事な仲間や
パートナーが
いなくなってしまう
ことで、
自分が決めていた道を
進む力を失って
しまうのだ。

その場合は、
道を変えるしか
ない。

道を変えながら
それでも
目的実現を
目指す。

が、
それが
できない。

多くの人は、
道を放棄した
パートナーや
仲間と共に
進もうとする。

つまりは
自分も真の道を
放棄するという
選択をしようと
する。

もしくは、
パートナーや
仲間が
離れてしまった
ことで、
全てに絶望し
自暴自棄に
なる。

そういった例が
これまでいくつか
あった。

とても
悲しくなる。

私も
自分事のように
何度も
泣いた。

しかし、
自分の真の道を
放棄する、

完全に決めて
しまった人は、
他者からは
どうにもできない。

その人は
その人。

あなたは
あなた。

その人は
道を放棄したが、

あなたは
どうする?

という問いを
しっかりと投げ、

その問いと
向き合い続ける
サポートを
する。

本当に
心が痛む。

いや、

魂が痛む。

本当は
このような人は
一人も
出てほしくない
のだが、

今は混乱の
世の中だ。

きっと
これまで以上に
そんな人は
増えるだろう。

悲しいが、
でも
一人でも
真の道を進む人が
減らぬよう、

私は
私にできる
力を
尽くすつもりだ。

つづく