左の目から
見える世界と、
右の目から
見える世界が、
違って
見える。
まぁ、
そんなもん
だろう。
私達の
「目」
は、むしろ本当は
そのように
できている。
残念ながら、
私達は
「真実」を
そのまま受け取る
ことは
できないように
できている。
あくまでも
自分の「脳」を
使ってしか、
それらは
見えない。
喩えて言えば、
機械で感知した
ものが、
その機械によって
映像化され、
その映像化された
画面を
私達はいつも
眺めている。
そこに在る
ものを
そのまま
ダイレクトに
受け取っている
わけではない。
しかもその
機械には
特性があって、
真実の姿を
その機械の
特質に合わせて
変換してしまう。
そしてもちろん、
そこに在るもの
全てを
感知できている
わけでもない。
映像化した
ものを
私は「現象」と
呼んでいるし、
映像化される
前の
「そのもの」を
私は「実在」と
呼んでいる。
真本音で生きる
ようになると、
私達は
「脳」の働きを
超え、
もしくは
「脳」そのものを
アップデートさせ、
という
表現もできるが、
「実在」そのものを
徐々に
感知できるように
なる。
だからこそ、
「映像」しか見れない
ことによる
不安や不安定さを
乗り越える
ことが
できる。
もちろん、
「実在」をそのまま
知ることは
怖い、
と
思う人もいるだろう。
というか、
誰もが最初は
怖がる。
私も
そうだった。
が、
すぐに
慣れる。
目を瞑って
生きるのが
怖いのと同様に、
「実在」を
知らずして生きる
のは、
今は逆に
とても怖い。
「実在」を
感知する力は、
人間であれば
誰もが
持っている。
もともと。
恐らく、
大昔の人達は
今の私達よりも
その力を
開放できていた。
現代の私達は、
皆、
その力を
失っている。
そういう歴史を
人類は
創り出して
しまった。
でももう一度、
それを
取り戻す時だ。
ない力を
養おう、
ということでは
ない。
もともと
ある力を
もう一度、
思い出そう、
ということだ。
私達は
もっと
「自然」に
戻るべきだ。
できるだけ
早く。
できるだけ
正しく。
つづく