闇雲に進む
ことが
大切な時も
ある。
そこで
いろんなものに
ぶつかり、
痛い目に遭いながら
身につく力が
ある。
今は
そうせねば
なるまい、
と
決めたら
闇雲に行けば
いい。
徹底的に。
ただ、実は
その進み方自体
を私は
「闇雲」
とは言わない。
自分の意思で
決めている
ならば、
それらはすべて
順当な道だ。
順風満帆な
道だ。
「闇雲」とは、
何も考えて
いないこと。
意思のない
状態のまま
進むこと。
惰性で
進むことだ。
しっかり
自分の意思で
進む限り、
それはもう
闇雲ではない。
・・・・・・
自分の意思で
あえて
徹底的に
闇雲に進むことを
「真闇雲」
と
表現することに
しよう。
今、この
真闇雲が必要な
人達が
増えている。
良い意味で
痛い目に
たくさん遭わねば
ならない人達が。
やはり、
痛い目の体験は
人生の糧に
なる。
その糧を
真本音レベルで
得よう!
と
決めている人達。
そんな人達との
関わりが
随分と増えた。
そうした場合
の
私のサポート
とは、
あえて
八方塞がりの
状態まで
追い詰めること、
・・・なんだ。
しかも
ただの八方塞がり
ではない。
その人が
真本音で望む
八方塞がりだ。
これは、
キツい。
絶望感も
甚だしい。
その状態に
入った時の感覚を
私は
「滅宇感」
と
呼んでいる。
「宇」とは
すべて、という
意味なので、
全てが滅する感覚
という意味だ。
通常の八方塞がり感
の1000倍も激しい
イメージだ。
しかし、
この
滅宇感と対峙
してこそ、
初めて
開かれる「出口」
がある。
その「出口」を
くぐり抜ける
ために
真闇雲に
進もうとする。
実は、
これは私の
これまでの人生
そのものだった。
私の人生は
滅宇感と
共にあり、
全ての滅宇感と
向き合い続けて
きた。
これは私だけの
人生パターンだと
これまでは
思っており、
だからこそ
滅宇感に関しても
語ってこなかった
のだが、
どうやら
そうではない、
と
気づいた。
滅宇感を
求め、
そこにこそ存在する
出口を求めている
人は、
想像以上に
多いことが
わかった。
だから
そのようなサポートが
ここからの私の
本流に
なりそうだ。
ということは、
今後の私は
相当、厳しい顔を
見せていくことに
なるだろう。
意図するわけ
では
ないけどね。
つづく





























