
石と石は
ぶつかり合う
ことで
だんだんと
丸くなっていく。
人は
どうだろうか?
丸くなることが
良いことだと、
決めつけることは
良くない。
が、
不必要な
ところが
尖ったまま、
とか
より
尖り方が
激しくなっていく、
というのは
ケースとして
多い。
ぶつかれば
ぶつかるほど。
なぜなら、
反応本音とは、
反応すれば
するほど
激しくなっていくから。
・・・・・・
決して、
丸くなることが
良い
とは私は本当に
思わない。
特に
これからの
時代は。
自分にとっての
伸ばすべき
尖り、
というのが
あるのではないか。
ちょっと
短絡的な表現を
使えば、
これからの
世の中には
攻撃性が
必要だ。
ただしそれは、
真本音の
攻撃性
であるべき。
真の攻撃性
と
言えばよいか。
真の攻撃性
とは、
必要なものを
壊す力が
ある。
根本から
壊し、
浄化する力。
中途半端
ではない。
だからこそ、
その破壊の
後に、
新たな創造が
始まる。
・・・・・・
何も壊さずして
新たな何かを
創造しよう、
なんて、
虫が良すぎる
だろう。
壊せない
人は
創造も
できない。
決して。
壊す勇気の
ない人は
人生を開くことは
できない。
今後ますます
その傾向は
鋭角的に
高まっていく。
・・・・・・
最近の私は、
クライアントさん達に
尖れ!尖れ!
とばかり
お伝えしている
気がする。
攻めろ!攻めろ!
とも。
でなければ、
何も動かない。
待っていても
何も
変わらない。
今、
現象のレベル
では、
不安定なものが
次々に
浮上している。
不安定なもの
たちは、
壊す必要のない
ものを
壊していく。
そして本来、
壊すべきものは
固定されたまま。
その
固定度合いは
ますます
強まっていく。
待っている
だけではもう、
この傾向は
高まるばかり。
実在との
断絶が
大きくなるばかり。
だからこそ、
一気に
実在を現象化する
必要があり、
そのためには、
一気に
壊すべきものを
壊す必要が
ある。
真本音で
壊す。
そのために
真に攻める。
これが
これからの
私達共通の
テーマだ。
つづく