なんなんだ、これは

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あぁ、これで
OKなんだな!

思えた。

普通で
考えれば、
とてもとても
OKどころでは
ないのだが。

現実は
私の思惑通りには
進まない。

面白いことに
真本音度合いが
高まれば高まるほど、
思惑は
効かなくなった。

一見すると、
自分の望まぬ
現実ばかりが
起きているようにも
見える。

今回も
そうだ。

ある意味、
私が最も望まない
結果が出た。

普通であれば、
ガックリ
するところだが、

なんでこんなにも
私は
悦んでいるんだ?

内側の
奥の方から
沸々と
悦びの感覚が
湧き上がってきて
止まらない。

涙も
出そうになる。
もちろん、
悦びの涙だ。

表面的には
望んでいない
のに、
これはきっと
私が心底
望み続けていた
結果、成果
なのだろう。

だから、
表面的にも
素直に
喜ぶことにした。

未来が
明るく観える。
光しか
感じない。

足取りが
確信の
一歩一歩だ。

なんだよ、
この感覚。

この実感に
満ちた
全身の有り様は。

で、
実際に
その時以来、
事態は
好転し続けている。

ある意味、
ハァ、・・・と
ため息を
つく。

私という
存在は
何なのだろう?
と。
この、私という
自我は
何なのだろう?
と。
ここにある
この自我に
意味はあるのか?
と。

もちろん
あるよ、

答えが返ってくる。

私は、
私という自我を
存分に
楽しんでいる
ではないか、
と。

わかる。

わかるよ、
それは。

でも、
なんというか、
ちょっと
違うんだ。

今の私は
全てを自分の
意志で
決めているのは
確かだ。

それによって
事態は
好転もしている。

が、
何なんだ、
これは?

私が
動かしている、
というよりも、

やはり、
私が
動かされている
のではないか。

かといって
コントロール
されている感
もない。

むしろ、
私は存分に
コントロール
できている。

が、
なんなんだ?
これは。

私という
自我を超えた
わたし、
という存在。
これも
わかる。
むしろ、
それと一緒に
ずっと
生きている。

それ自体が
本来の私だ
とも
わかる。

が、
そんなことでは
ない。

もっと
膨大なもの。
遠大なもの。
無限を
思わすような。
永遠を
感じるような。

もう、
自我など
要らぬのでは
ないか?

とも
思ってしまうんだ。

その方が、
早い、速い
のではないか?

実は
その方が
幸せでは
ないか?

きっと
自我は
幻だ。

幻だが、
その幻が
確かにここに
存在している。

そんな
不思議な存在
との
関わり方、
向き合い方。

それを
改めてまた私は
探し始めて
いるのかな?

つづく

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