
川の流れが
激し過ぎて、
そこに
飛び込む
気になれない。
怖いのも
ある。
ただ、
この激しさは
ない。
人間に
耐えられるとは
思えない。
土台、
無理だろう!
と
文句も
言いたくなる。
が、一方で
私には
よくわかっている。
私に
選択肢はない、
と。
こういう時に
飛び込める
自分になるために
ここまで
やってきた
のだと。
だから、
心では泣いて、
本当に
泣きじゃくりながら、
魂で
飛び込んだ。
・・・・・・
思った通り、
飛び込んだ瞬間
から
溺れ始めた。
泳ぐなどは
もってのほか。
コントロールの
コの字も
効かない。
凄い勢いで
私は
息も絶え絶え
流され続けるしか
なかった。
・・・・・・
実はこの流れ
こそが、
静謐さの極み
であると
ようやくわかるのに、
6日ほど
かかった。
今、私は
静謐さ真っ只中に
いるのだ、
と
自覚してようやく、
溺れ
から解放された。
気がつけば
私は
鏡のように静かな
湖の
中心みたいなところに
浮かんでいた。
それが
わかった瞬間に
ここまでとは
別の涙が
出始めた。
さめざめと
泣きながら、
私は自然に
両掌を合わせ、
祈りのポーズを
とっていた。
言葉にならない
祈り。
私は何かを
ずっと
絶え間なく
祈り続けていた。
その感覚が
急浮上すると
同時に、
これこそが
自分である、
と
思えた。
・・・・・・
考えてみれば、
皆、
急流の中に
いる。
急流の在り方は
人それぞれ
だが、
皆、
溺れかけている。
実は、
流されていなかった
これまでの
自分こそが
急流の中にいて、
急流に
飛び込むこと
こそが、
それらから
脱け出すことで
あり、
静謐に戻る
ことである、
ということを
忘れてしまって
いる。
出口は、
そこにこそ
あったのだ。
そう。
脱け出したい
のなら、
急流を探せ。
そこが
出口だ。
つづく