ある意味、
笑顔とは
その人の
すべてが
現れる。
作り笑顔
ではなく、
本心からの
純粋な笑顔を
思わず見せる
ことがある、
誰もがね。
その瞬間の
空気感に
その人の
生き様がすべて
現れるんだ。
・・・・・・
私のクライアントさん
たちは、
そういった笑顔が
とても素敵な人が
多い。
逆に言えば、
自然な笑顔に
濁りがある人は、
どうも
私を無意識に
避けるようだ。
多分、私が
真正面から
向き合ってしまう
からだろう。
人間誰もが
邪(よこしま)な気持ちは
持っているが、
その生き方が
板について
しまっていたり、
そういった自分と
向き合えない
人は、
私と向き合うのが
怖くなってしまう
ようだ。
私自身で
言えば、
自分も
含めて、
人の邪な部分
は
いやというほど
観てきたので、
それが
人間だし、
そこがまた
人間の深さ
だし、
人間の
味だし、
という
捉え方こそ
すれ、
邪な心があるから
この人はどうこう、
という
評価的な目は
ゼロ、だ。
そう、
いつの間にか
ゼロ、になって
しまった。
その部分で
人を評価しても
何の意味もない
ということが
ある時期から
腑に落ちたから。
だから、
その人の心の
中を
覗き込もう
とか、
その人の心を
洗いざらい
浮かび上がらせて
やろうとか、
そういった
意図は、
皆無だ。
でもきっと
だからこそ
怖いのかも、
とも思う。
・・・・・・
ある時期から
私は、
私と真正面から
向き合って
くださる人のみを
クライアントに
することにした。
それで
私自身もとても
楽しく仕事を
させていただいて
きたが、
ここにきて
ちょっと
様相が変わって
きた。
私に対して
逃げ腰の人をも、
追いかける
ように
なってきた。
自然に
私自身が
そのように動いて
しまうのだ。
ある意味
多少強引に、
逃げ腰の人を
逃がさないように
向き合うように
なっている。
きっとこれには
深い意味が
あるのだろう。
まぁ何となく
わかっては
いるけどね。
ただ、
私の願いは
一つ。
すべての人が
本来の
素敵な笑顔で
笑い合え
ますように。
これだけ
だね。
つづく