嫌なものは
嫌だ、
と
感じ取れる
健康さ。
辛いことが
起これば
辛さを感じ、
悲しいことが
起これば
悲しさを
感じる。
腹立たしいことが
起これば
腹立たしさを
感じ、
絶望的な状況に
入れば
絶望を感じる。
それこそが
健康。
人としての
心が
きちんと
機能している
ということ。
・・・・・・
なのに、
辛いことを
感じていても
それを
感じていない
と
無理に
思い込もうと
する。
前向きに
なるために
自分の心を
揺らさないように
する。
そういった
生き方は
これまでは
ある程度
持続できたかも
しれないが、
ここからは
厳しいよ。
その不健康さ
は、
自分自身を
持続させない。
心は
あるがままに。
そのままに。
揺れる時は
揺れるままに。
それこそが
健康であり、
自分が自分で
いられる
最も基本的な
在り方。
・・・・・・
もちろん
行動レベルの
話ではない。
心の揺れを
そのまま
行動に移せば、
周りを
傷つけることも
ある。
迷惑をかける
こともある。
だから、
行動はしっかり
自分で
制御しなければ。
だが、
行動を制御
するために、
心までもを
制御する必要は
ない。
むしろ、
心の制御は
行動の制御を
効かなくする。
心を
抑え続ける
人は、
行動の抑えが
効かなくなる。
心が
あるがまま
の人ほど、
行動は
しっかりと
コントロール
できる。
人は、
そのように
できている。
・・・・・・
自己理解
とは、
まずは
あらゆる心の
動きを
理解するところ
から。
一つの事象に
対して
発生する心は
一つじゃない。
無数の
心たちが
発生し、
それぞれが
それぞれなりに
揺れ続ける。
そして
だんだんと
揺れは
収まっていく。
その有り様を
ただ、
観察し続ける
といい。
それが
自己理解の
第一歩目
だ。
・・・・・・
事象によって
揺れる心を
反応本音
と言う。
反応本音の
理解を
しよう。
そして
自分の中の
すべての
反応本音を
そのまま
存在承認する。
そんな心が
あるんだな。
それが
自分なんだな。
と。
それだけで
いい。
あとは
放っておく。
もちろん、
好きな反応本音
は
味わうといい。
嫌な反応本音
は
少し離れて
観察しておく。
すると、
全ての反応本音は
徐々に
消えていくことが
わかるだろう。
それは
まるで雲のような
存在たち。
時には
とても大きくなり、
ずっとそこに
在り続けるような
強固さを
醸し出すが、
しかし
あらゆる反応本音
は
徐々に
消えていくのだ。
・・・・・・
反応本音を
観察すれば
するほど、
その
向こう側にある
存在、
その
奥にある存在
が
徐々に
浮き彫りに
なってくるだろう。
それは、
反応本音とは
異なり、
ずっとそこに
在り続ける
存在だ。
どれだけ
たくさんの
雲たちが発生
しても、
揺るがずに
ずっとそこに
存在する
地球のようなもの。
地球があるから
雲が発生する。
地球があるから
雲は安心して
発生しては
消えてゆける。
地球、大地、海、
揺るがぬもの・・・。
それこそ
自分自身の
実在。
それが
真本音。
そう。
真本音を
理解したくば、
まずは
反応本音の
理解から。
自分の心を
しっかりと
見つめ
続けるんだよ。
つづく