結局、
誰も私のことなど、
わかってはくれない。
私のことを
唯一わかっているのは
私だけだ。
私の理解者など
一人もいない。
どうせ私は
孤独だ。
・・・本当に
そうでしょうか?
本当に人は
孤独でしょうか?
本当に自分を
理解してくれる人は
いないのでしょうか?
自分のことを
実は
一番わかっていないのは
自分自身である、
ということは
ないでしょうか?
自慢にも何も
なりませんが、
以前の私は
本当に孤独でした。
家族といても
孤独でした。
誰もわかってくれないなら、
もういいや。
わかってもらう
必要はない。
そのようにいつも
絶望し、
その絶望を
隠しながら
生きていた気がします。
ところが。
今はどうでしょうか。
今日ふと
思ったのです。
今、私の周りにいる
人達は、
私以上に
私のことをわかって
くれている人ばかりでは
ないか、と。
私の中から
孤独感は、
きれいさっぱりに
消えてしまっています。
いったい、
いつからこんな状態に
なったんだろう?
なんでこんなに
満たされいるのだろう?
と不思議に
思います。
毎日お会いする
人達の顔を
思い出すだけで、
胸がキュキューッと
幸せになります。
まるで
恋愛をしているかのような
感覚。
なんで
こんなに私は
幸せなのだろうか?
そう思ったのです。
でも
そう言いながらも、
理由は
私自身が一番よく
わかっています。
私自身が
真本音で生きている
からです。
真本音で生きる
とは、
このような現実を
創り出すものなのだ、
という驚嘆を
実は一番感じているのは
私自身なのかも
しれません。
・・・・・・
こんな風に書くと、
いいなぁ、たけうちさんは、
と
思うかもしれません。
でも
真本音で生きる、
なんてことは
誰でもできるんです。
人間であるならば。
というか、
人としての最も
自然な生き方であり、
最も楽な生き方が
真本音で生きる
ということなのです。
いまだに本当に
思うのです。
私ほど、
反応本音のひどかった人間は
いないなぁ、と。
お仕事上、
本当にありとあらゆる人達と
出会います。
面倒な人も
いっぱいいます。
でも、
どんな人と向き合っても
いつも思うのです。
あぁこの人は
以前の私よりは
よっぽどましだ、と。
だからこの人も、
必ず真本音で生きることが
できるはずだ、と。
その私の確信が、
クライアントさんに伝わる
からかもしれませんが、
私のクライアントさんは皆、
真本音度合いを
高めていきます。
ただし、
それは私が
高めているのは
ありません。
私が行なっているのは、
つまるところ、
その人に合った
セルフコーチングの手法を
お伝えしているだけのこと
のように
思えるのです。
極端に言うと。
・・・・・・
セルフコーチング。
結局、
自分を変えることが
できるのは、
自分だけです。
孤独でしかなかった私が
なぜ今、
こんなに満たされているのか?
と言えば、
私は私を本気で変えよう
としたからだと思います。
そのために
真本音で生きることに
躊躇はありませんでした。
まるで他人のように
自分と向き合い、
自分に問い、
答えを待ち、
答えが浮かび上がった時に、
時にはその答えに
衝撃を受けたりも
しました。
これが私の
答えか・・・、と。
その答えの通りに
動くことに
かなりの勇気を
要することも
ありました。
でも私は恐らく、
ほぼ100%、
自分の答えを
実践してきたと思います。
その結果が
今です。
そして今は、
どんな答えが出ても
へっちゃらで
その答えに素直に
行きます。
それがどれだけ
刺激的で面白いことかを
身をもって
実感しているからです。
今の私の生き方に
難しいことは
一つもありません。
自分の真本音に
素直に次の一歩を
決める。
・・・それだけのことです。
セルフコーチングとは
要するに、
それだけのことをする
ためだけのもの。
あまりに
シンプルなゴール。
でも
シンプルであるが故に
難しいのかも
しれませんね。
昨日までの記事の
続きを書こうと思って
いたのですが、
ちょっと脱線してしまいました。
明日は昨日の
続きを書こうかな、と
今は思っています。笑
つづく