心は揺れ揺れかい?

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心が揺れ揺れに

なることは、

人として

当然だろう。

 

心が揺れる

ことを

恐れる必要は

ない。

 

人間とは

そのようにできている

存在だから。

 

調子が悪い

心を、

なんとか

調子良くしようと

みんな

思い過ぎだ。

 

「あるがまま」

いいではないか。

 

それが

人間だから。

 

そういった

おおらかな目で

いつも自分と

向き合えば、

それだけで、

 

揺れ揺れだけど

安定している

 

という状態に

入れる。

 

心の揺れとは別の場所に

確かに、

常に安定した

土台を

感じることができる。

 

その土台が

あるからこそ、

私達人間は

安心して

揺れることができるのだ、

わかる。

 

揺れは

ダメ。

 

調子悪いのを

何とかしなきゃ。

 

・・・という

自分に対する

厳しさが、

本当はいつも安定している

はずの

土台の存在を

忘れさせる。

 

しかし本当は

それは

「厳しさ」とは

言わない。

 

それはただの

「自己否定」

だ。

 

否定と厳しさ

別物だ。

 

本当の厳しさ

とは

やさしさであり、

 

本当のやさしさ

とは

厳しさである。

 

・・・・・・

 

そしてその

土台となるもの。

 

これこそが

私達の真本音。

 

魂の意志であり、

願いである。

 

それは

言葉として

明確でなくても

いい。

 

しかしそれは

誰もの心の

根底に、

土台として

確かに存在する。

 

その存在を

感じたり

思い出すことで、

 

私達はいつも

安心して

揺れていられる。

 

人生とは

揺れ

である。

 

揺れながら

進むことが

人生の意味であり

意義である。

 

揺れないのなら、

人生を生きていない

のと

同じだ。

極端に言えば。

 

だから、

どんどん

揺れることに

挑戦してほしい。

 

開拓

してほしい。

 

自分自身を、

そして

人生を。

 

そうすれば

するほど、

私達は確かに

土台と身近になる。

 

土台を

思い出す。

 

本来の自分を

思い出せるのだ。

 

つづく

 

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