断絶すべき時がある

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一つだったものが

二つに

断絶する。

 

二つに割れた

その存在は

 

「これは私ではない」

 

お互いをお互いから

引き剥がす。

 

それは一見すると

大きな悲しみや

憤りが

あるかもしれない。

 

しかし、

その引き剥がしが

どうしても必要な

時が、

 

人生には

あるのだ。

 

断絶の裂け目は

ある時、突然に

訪れる。

 

それを確認すると

私はいつも、

 

人生というのは

移り変わって

いくのだな、

 

人は

変化を求める

生き物なのだな、

 

強く思う。

 

同じところに

ずっといたい。

 

同じ場所で

安定していたい。

 

とは

誰もが思うことだが、

いや実は、

それは私達の真本音が

求めてはいない。

 

同じ場所で

ずっといることは

衰退を意味する

からだ。

 

それを私達の

本能は

よくわかっている。

 

だから

「裂け目」を

創る。

 

ずっと同じままで

いようとは

しない。

 

だから

「裂け目」とは

決して悪いものでは

ない。

 

人生を次に進める

ための兆しだ。

 

その兆しに

敏感になることは、

自分の望むスピードで

人生を進めるための

大事な指針となる。

 

「裂け目」とは

チャンスなのだ。

 

そして

断絶が始まったら、

 

時には

 

強引にでもそれを

進める

勇気と覚悟が

私達には必要だ。

 

断絶すると

決めたら、

 

断固として

断絶するのだ。

 

一つが二つに

分かれることは

悪いことではない。

 

もちろんそれを

一時的な反応本音や

我欲によって行なえば、

 

それは単なる

崩壊に過ぎなくなるが、

 

真本音の意思により

進む断絶は、

 

それこそが

「愛」だ。

 

「断絶の愛」を

実行できる人こそ、

結果的には

「すべてと一つ」に

なれるのだと

私はつくづく実感している。

 

裂け目に目を向け、

断絶と向き合い、

愛を実行する。

 

その手前にいる

人は

今、多いのではないか。

 

つづく

 

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