心で楽しむ、
という
よりも
魂で悦ぶ、
という
時間の使い方を
私はしている。
魂で悦ぶ
ことのない時間は
1分1秒も創らない
と
決めている。
真本音で生きる
とは結局、
そういった「生活」
もしくは
「人生の進み行き」
を
本当に日常の
こととして
実現するために
あったのだな、
と
今になって
わかる。
時間とは
宝物だ。
時間とは
命そのもの。
一刻一刻の
この「今」
という
無限の中のたったの
一点が
本当に
愛おしい。
この感覚で
生きることが
できるようになったのは
単に
歳をとった
ということかな、とも
思っていたが、
どうやらそうでも
ないようだ。
私の講座に
参加されている
若い人達の中にも、
それを
素直な感覚として
自覚できている人が
すでに
出始めている。
以前の私にとって
人生とは
苦しみの塊だった。
苦しみを
いかに乗り越えて
楽しみに
変えていくか?
だった。
今はもはや
そこにはいない。
そのレイヤーには。
そのように
最近ははっきり
自覚を始めたのだが、
そんな私に
一文字
投げかけられた
テーマがある。
これである。
『 㒪 』
最初は何か
わからんかった。
これで
「すず」
と読むらしい。
鈴である。
と同時に
「たまもの」
とも読むらしい。
賜物である。
めぐみ、
である。
書けへん。
こんな字。
でも
ここからの
テーマだ。
つづく