人の中心は
祈りだな。
この仕事を
ずっと続けながら、
20数年経っても
変わらない
私の印象、実感。
よく私は
「願い」という表現を
使うが、
実は
「祈り」の方が
よりしっくりくる。
祈りとは
進化とイコールだし、
本当の中心にある
祈りとは
言葉では
表現し得ないもの。
祈りが
カタチとして
現れたものが
人間
ではないかな、
と。
・・・
人がもし
自分の本来の
祈りを
感覚として
思い出し始めたら、
それがその人の
本来の人生の
始まりである。
その人生とは
不明瞭
から
始まる。
祈りとは、
不明瞭を
生み出すもの。
これまで
明瞭であると
思い込んできた
あらゆるものが、
実は
明瞭なものなど
一つもなく、
実は
すべてが不明瞭の
ままに
私は生きてきたんだ、
と
気づいて
しまう。
それを私達は
また
本能的な恐怖として
既に知っているので、
自分の祈りに
触れないように
触れないように
して
生きてきた。
不明瞭への
恐れが、
本来の自分と
向き合うことを
阻害し続けてきた。
しかし、
不明瞭とは
明瞭を
生み出すものだ。
不明瞭とは
問い
そのものだ。
不明瞭とは
「?」
だ
この「?」と
向き合い続ける
ことで、
それが本来の
人生の始まり
そのものであるが、
ある時ある瞬間に
私達は、
真の明瞭
に行き着く。
しかしながら、
真の明瞭は
次の不明瞭を
生み、
その「?」と
向き合うことで、
さらに次の
明瞭を得る。
この繰り返しが
私達に
人生における
真の充実を
与えてくれる。
私は
私の人生を
生きている!
という
内側から
湧き上がるような
悦びとは、
ここから
くるものだ。
祈りは
不明瞭を生み、
不明瞭は
明瞭を生む。
自分の祈りに
素直になれば
いい。
つづく