一艘の舟が
ある。
自分一人しか
乗れない
手漕ぎの小さな
ものだ。
自分は
大海原に
出て行きたい。
目の前の
小さな舟では
とてもとても
大海原で無事でいられるとは
思えない。
しかし今の自分には
目の前の一艘しか
ない。
そんな時、
どうする?
無理なのを承知で、
それでも
舟を漕ぎ出す?
それとも、
もっとちゃんとした
船や仲間達が
手に入るまで
準備を進める?
・・・・・・
実はこれに
答えはない。
答えは自分で
決めるしかない。
どちらが正しいか?
ではない。
「その人にとって」
どちらが正しいか?
しかない。
その人にとって
正しいかどうか、は
真本音で判断するか
どうか?
とイコールであると
私は思っている。
その人の真本音が、
「今はこんな舟でも
それでも大海原目指して
漕ぎ出そう」
と判断すれば、
そうした方が良い。
たとえ
もしその結果として、
すぐに
転覆してしまったと
しても。
なんだやっぱり
ダメだったじゃないか。
と、
後悔する必要は
ない。
真本音で進むうちは
一時的な後悔は
あったとしても、
それは必ず
「次」につながる。
なぜなら
自分自身の真本音の
意志だからだ。
自分の魂の意志
だからだ。
何がどう起きようと、
どれだけ
しまったなぁ、と
後悔しようと、
結局は
それが真本音の意志
である限りは、
自分自身が
どこか納得している。
人間、
大事な部分が
納得していれば
先に進もうとし続ける
ものだ。
先に進むために
モチベーションを
上げよう!
ではないのだ。
自分自身の
根底の納得感が
自分を先に
進めてくれる。
ちなみに
私は、
まったく力もないのに
舟を漕ぎ出して
しまった口だ。
おかげで
随分とひどい目に
遭った。
いや、
自業自得だが
全部。
もちろん
何度も転覆した。
大海原どころか
最初は
岸辺を離れること
すらできなかったな。
でもおかげで
随分と
自力がついた。
そして
自力だけでは
どうにもならない
という事実を
ちゃんと
受け入れられるように
なった。
傲慢だったからな、
私は。
自分の力のなさを
ちゃんと知り、
受け入れるためには
やはりあれだけの
転覆が必要だった。
そして
おかげさまで
今は素晴らしい人達と
出会えた。
毎日笑いながら
大海原を進んでいる。
舟は相変わらず
小さなままだが、
小さなままでも
大海原を
旅し続けられるように
なったのは
大きいな。
しかし
以上は私の人生だ。
私の真本音の
判断だ。
あなたには
あなたの人生と
真本音の判断
が
ある。
さぁ、どうする?
つづく