私は何者だろう?
という問いを
初めて持ったのは
19歳の時だった。
それから30数年
経つ。
もちろん、
今でもこの問いは
ここにある。
そして
いくつかの答えを
見つけてきた。
その時その時代
の私にとっての
ぴったりの答え達。
私はその答えに
できるだけ忠実に
生きた。
もちろん完璧には
いかなかったが、
常にそれを
目指した。
その時その時代
で答えは変わったが、
本質は
変わらない。
言葉にはならない
本質が
ずっとあった。
これは私なりの
生き方であったが、
この生き方の
おかげで
今の現実がある。
昔は
未熟だった。
そして
今も未熟だ。
それでいい。
未熟だからこそ
私は常に
本質を求める。
この部分だけは
確かに
妥協は一切
なかった。
未熟さは
無限にあったが。
私が新しい答えを
手に入れてから
約1ヶ月が過ぎた。
激変した。
自分自身が。
自分で自覚
できるくらいに。
そしてその
激変は
ここからさらに
加速していく。
仕事が変わる
わけではない。
個性が変わる
わけでもない。
対人関係が
変わるわけでも、
環境が変わる
わけでもない。
ただ、
私にとっての
人生の意味が
変わった。
時間の意味が
変わった。
今の私は
1ヶ月前の私とは
まったく異なる
時間との関わり方
をしている。
毎日が
とてつもなく
新鮮だ。
ようやくここにきて
また、
人生の醍醐味を
味わえている。
深く感謝。
つづく