一体全体

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一度、

「世界」そのものと

なってみよう。

 

「世界全体」

自分なのだ。

 

私は「世界」だ。

 

断定してみよう。

 

すると

まるで地球が

自分の掌に

乗っかっているような

気分になる。

 

それでいい。

 

なら、

掌の地球を

眺めてみよう。

 

その中の

一点が

 

自分だ。

 

「世界」となっても

「自分」はいる。

そこに。

 

「世界」となり

世界の中の

一点である

「自分」を見つめる。

 

一体

全体。

 

実はこの

両方の視点を

持つということが

 

本来の

私達人間の

「自然」な姿だ。

 

「一体全体」を

常に感じながら、

「一体」として

ここで生きる。

 

これが

あらゆる私達の

在り方だ。

 

ところが

いつの日か

私達はそれを忘れ、

 

「一体」である

自分しか感じずに

生きるようになった。

 

それでは「ここ」で

自分が何をすれば

良いか?

わからなくなるのは

当然だ。

 

だから今こそ、

「全体」の視点を

取り戻さねば

ならない。

 

奇妙なことに、

インターネットの

ように

全体と繋がりやすい

ものが

当たり前のように

世の中に存在するように

なったら、

 

私達はさらに

「一体」の自分しか

見えなくなってしまった

ようだ。

 

全体と

繋がりやすい環境

だからこそ、

 

ちゃんと

「全体」を思い出さねば

逆に危険だ。

 

「全体」とは

今の私達が感じている

ようなものでは

ない。

 

「全体」とは

もっと

満たされたものだ。

 

その「感覚」を

思い出さねば、

私達はさらに

「全体」を失うことに

なるだろう。

 

「一体全体」

私は何をすれば

良いのか?

 

つづく

 

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