私の中に
燃える球
のようなものが
観える。
本当に
ちょうど
野球のボールが
燃えているような。
それが
あっち行ったり
こっち来たり、
弾みながら
動き回っている。
側からみると
実に楽しそうだ。
笑って
いるのかな。
無邪気だ。
子どものように。
球は
私の周りを
飛び跳ねながら、
だんだん
動きが激しくなる。
激しくなれば
なるほど
より楽しいようだ。
そのうちに
私には
手に負えなく
なりそうだ。
子どもが
成長するように、
だんだん
この球も私から
自立していくのだろうか。
恐らく
この球は、
私の情熱
だ。
燃える魂
というような
ものだ。
私自身が
ずっと「あれ」そのもので
あったのだと思う。
でも「あれ」は
このように
私から離れた。
だから私から
情熱が離れてしまった
ということでは
ないらしい。
私の情熱が
私から
自由になったのだ。
自立し
自由になった
情熱は、
これから
どうするのだろうか?
一方で、
何日か前に
ここで書かせて
いただいた、
ビッグバンが6回くらい
連続して
起きたような衝撃
によって
生まれた「何物か」が、
ずっと
目の前にある。
それは
赤く光っているの
だが、
それに亀裂が
入り始めた。
その赤い何かが
割れようと
している。
中から
何かが出ようと
している。
情熱が
離れ、
何かが
生まれる。
何が起こるのか?
私はただ
成り行きをじっと
見つめている。
つづく