今日も大きな
塊を
受け取った。
心の塊
だ。
重い。
それを
いつもの通り
そのまま
あるがままに
感じ取る。
悲しみ、だ。
悲しみの
塊だ。
深くて重い
悲しみ達。
人間というのは
ここまで深く
悲しむことが
できるのか、と
改めて
こちらも悲しくなる。
これだけの
深さだ。
きっと本人は
この自分の悲しみに
蓋をしているのだろう。
この心は
本当はその人の
ものだ。
私がこうして
受け取るべきもの
ではない。
もっと自分の心と
向き合えば
いいのに。
ちゃんと向き合い、
ちゃんと感じ、
悲しいなら
悲しい、と
感じ、
しっかりとその
事実通りに
感じ尽くせば、
もっと簡単に
進めるのに。
多くの人は、
前に進むために
前に進もうとしない
心達に
蓋をする。
それが
最善だと
思い込んでいる。
違う。
断じて違う。
すべての心は
その人のもの
であり、
すべての心は
ちゃんとここにある
「存在」だ。
「存在」は
存在しているのだから、
ちゃんと
見つめ、感じ取る
ことだ。
これができるから
こそ、
現実と向き合える。
現実と向き合わねば、
前に進むことなど
できるわけがない。
一つ一つの心と、
自分の心と、
丁寧に向き合えば、
楽に進めるのだ。
私達人間は、
そうなっているのだ。
自分の心から
逃げては
ならない。
逃げれば
余計に苦しくなる。
逃げれば
余計に
進めなくなる。
もう私達には
止まっている時間は
ないのだ。
つづく