「核」
を逃すと
すべてが観えなく
なる。
「核」のない
ことは
私はやらない。
一切。
逆に、
「核」が漠然で
あったとしても、
その存在が
確かに
感じられる場合、
そして
その「核」を
探究し続けたい
場合、
他の誰もが
やらなくても、
私は
それをやる。
思えばずっと
そういった
人生だった。
仕事にしても、
随分と
難しい道を
たどって来たものだ
と
今になって
つくづく思う。
でも私は
この道に
「核」
を感じ続けてきた。
それを
見極めたい
と
ずっと思い続けて
きたし、
今もそうだ。
探究型の
人生。
それが
私の望む人生
だ。
人生の
望む姿というのは
人、それぞれだ。
でも、
私のように
何かを探究し続けたい
特に、その物事の「核」を
探究し続けたい人は
増えているのでは
ないか。
答えの「存在」は
わかるけど、
その答えそのものの
「中身」が
わからない。
そういった場合の
何とも言えない
ワクワクさ。
私はずっとそれを
求め続けてきたように
思う。
実は
ここ数日、
私が探究し続けて
きた
いくつかのことが、
バタバタバタ、っと
続け様に
「答え」が
わかったのだ。
もちろんその
「答え」が
真実かどうかは
わからない。
しかしそれは
私自身が
「納得」できる答え
だ。
そこに
たどり着いた時、
私は
開放感、と共に、
ちょっとした
寂しさ
と共に、
さらに
「今を楽しむ」
感覚が
高まった。
これまでずっと
「???」
だったことが
今はもうその
「???」
はないのだ。
すると
とても面白い。
「今」
がよりクリアに
体験できるように
なった。
そして恐らく
私は
また次の探究の対象を
見つけるのだろう。
この世は
わからないこと
だらけ。
特に
「人間」に関しては
そう。
まだまだ
無限のワクワクが
あるな。
つづく