雑踏の中に
私は
溶け込み、
私は
私の姿を
見失った。
その世界は
一つの塊
となり、
すべてが
混ざり合い、
そして
消えた。
まるで
当たり前の
ように、
私も
消えた。
すべて
消えた。
光は
色を失い、
無色透明
となった。
何もない、
空っぽ状態。
そこでは、
死も生も
同じこと
だった。
一点も
無限も
同じこと
だった。
何もない、
のではなく
すべてが
満ちている
わけだ。
「存在」
とは
焦点化だ。
焦点を絞る
ことで
ギュッと何かが
集約され、
塊となり、
「そこに在る」
ことになる。
焦点化さえ
しなければ、
すべては
無限に
そこにあり、
どうにでも
なる、
つまりは
自由自在。
前も後ろも
右も左も
ない。
すべて
ここ
であり
あそこ
でもある。
なんという
平安。
だが
しかし
それでは
何も
起こらない。
ずっと
そのまま
同じまま。
楽しい
も
つまらない
も
同じもの。
さて
どうしようか?
やはり、
こんなになっても
まだ
一つ
あるんだ。
この
祈りが。
こんなに
なっても。
“子が
育ちます
ように”
これがな、
なぜかな、
あるんだな。
なんだ
これ。
これが
すべての
始まりか。
やはり
ここから
始まるのか。
つづく