水面に
青空と木々が
映っている。
まるで
鏡のように。
石を投げ入れ
波紋が広がって
初めて、
水面だと
わかる。
それくらいに
綺麗に
映っている。
どちらが
水面で、
どちらが
本物か、
が
わからなく
なる。
わからない
ままに
生きていく。
これまで
信じていた
ものが、
ほんの些細な
石のような
刺激で、
急に崩れる。
消えて
なくなる。
そのような
経験が
あるだろう。
これこそが
私である、
と
認識していた
ものが、
ただ
映っていた
だけのもの、
幻影
であったと。
そう。
幻影ほど
はっきり見える
ものだ。
幻影は
幻影であるが故に
自らその濃度を
高めることが
できる。
都合の良い
部分だけの
色を際立たせることも
できる。
お手軽なのだ。
私達は
お手軽なものを
まるで
本物であるかの
ように
取り扱う。
そして、結果、
どこかで躓く。
幻影に生きる
のも
人生だ、と
言い切ってしまえば
それでも
良いかもしれない。
しかしもう
今の私達は
うっすらと
知ってしまっている。
わかって
しまっているのだ。
幻影とは
別のところに
本体がある、と。
実在が
ある、と。
それは
確信めいた
一つの実感だ。
私達は
区別をつけねば
なるまい。
区別をつけて
生きなければ、
満足できない
私達に
既に
なっているんだ。
つづく