理由もなく
慌てふためく
自分が
可笑しかった。
私は
私なりに
やってきた。
全力は
尽くしただろう。
なのになぜ、
言い訳をする
子どものような
気持ちに
なるのだろう?
私は
私の中に
まだ認識できていない
心があることを、
この時初めて
知った。
それは
私自身が
認めたくない心達。
見たくない
心達。
しかしもう
遅かった。
蓋はもう
半分以上は
開けられてしまった。
全身が
強張りながら
震えるのを
私は
恐怖と共に感じた。
パンドラの箱
という
言葉が浮かんだ。
もう
後戻りできない
のだと
思った。
すごい
拒絶感。
でももう
本当に
遅かった。
・・・
自己開放。
それは
多くの場合、
恐怖と拒絶から
始まる。
目の前の
クライアントさんが
こうなっている時、
私は
20年前の私を
思い出す。
あの時、
最後まで
目を開け続ける
ことができたのは、
なぜ
だったろう?
開放するときに
浮上する、
とてつもなく
醜い自分。
数々の
醜い心達。
あれは
拷問だった。
私は
私自身を
辱めた。
それでも最後に
立てたのは、
やはり
人生の願いが
あったからか?
それが何か
は
当時は
わからなかったが、
でも
願いのような
何かを
その時確かに
感じたからか?
ギリギリ
だったな。
みんなも
やっぱり
ギリギリ
なんだろうか。
自己開放。
他者が決して
サポートできない
その瞬間。
人生の
分かれ道。
今、
その手前にいる
人達は多い。
私にできるのは
覚悟の持ち方
を
教えること。
それだけ。
覚悟をもって
それに
向き合うかどうかは、
本人しだい。
孤独。
祈るしか
ないな。
つづく