降り注ぐ雨に
身を晒すように、
降り注ぐ
エネルギーを
全身に浴びる。
このエネルギーの
高まりは、
間違いなくここから
半永続的に
続くだろう。
ただそれを
受け取れる
自分であるかどうか?
それはその人の
生き方で決まる。
自分だけが
エネルギーを
もらおう、という
生き方は
もちろんダメだし、
逆に、
自己犠牲をして
自らのエネルギーを
ひたすらに
分け与えよう、という
生き方も
ダメだ。
どちらもすぐに
エネルギーが
枯渇する。
大切なのは、
エネルギーの循環を
起こす生き方だ。
その生き方を
あえて文字で
表せば、
こうなる。
『峻悦』
これは
私の造語だ。
似た意味の言葉が
ないか調べたが、
残念ながら
見つからなかった。
「峻」とは
険しいとか、厳しい
という意味がある。
「悦」とは
本質的な喜び
のことだ。
つまり『峻悦』とは、
険しく厳しい方向に
こそ、
真の喜びがある、
という意味。
ただしこれは
現実的な意味では
ない。
内面的な
ことだ。
心の中の
今、最も険しくて
厳しい方向に
私達は無意識に
蓋をする。
見なくする。
しかしその
連続によって、
私達は本来の
自分を
失っていく。
心の中の
今、最も険しくて
厳しい方向に
自分の意志で
向き合っていく。
すると当然、
それは苦しみを
伴うのだが、
それでも
向き合い続けると、
それがある瞬間に
一気に晴れる
ときがくる。
するとそこから
自己開放が
起こり、
その向こう側に
悦びが待っている。
それは通常の
喜びとは
次元の異なる
喜びだ。
その悦びに
基づいて
現実レベルでの
行動を起こす。
するとそれは
エネルギーの循環を
生み出す。
自分発の
エネルギー循環だ。
その循環によって
エネルギーは
増幅し続ける。
良い意味で
人を巻き込み、
皆の進化にも
つながる。
『峻悦』。
結局、私はこれを
探求し続けて
きた。
この55年の人生を。
・・・と
気づいたんだ。
つづく