遠くに
嵐が観える。
かなり
局地的な
ものだ。
あの彼方の
場所は今、
大変な状況
だろう。
竜巻のような
ものすら
観える。
あの嵐は
ここまでくるの
だろうか。
いやきっと
くるだろう。
その前に
避難せねば。
一刻も早く
対応せねば。
通常であれば
そのような
迅速な対応は
必須だ。
が、
ちょっと待て。
あの嵐は
なぜ、
あそこで
発生した?
あそこで
突然発生した
のならば、
ここでも
同じことが
次の瞬間にも
起こる可能性は
ある。
すでに
観えている
嵐への対応だけで
本当に
良いのか?
もっとすべき
ことがあるのじゃ
ないか?
そう考えて
わけがわからなく
なる時、
ついつい焦って
次の動きを
とりがちだが、
そこで大切
なのは、
観察
・・・だ。
観察とは、
腰を落ち着けて
じっと
あるがままを
見つめること。
見つめるだけで
なく、
感じること。
あの嵐は
間違いなく
こちらに
着実に近づいて
いる。
怖い。
だか、
どう動けば良いか、
確信が生まれるまでは、
観察、
だ。
観察、とは
対峙する
ことでもある。
嵐に
完全に
意識を向ける。
すると、
かなり近くまで
来たところで、
その嵐は
忽然と
消えてしまった。
実は
これもよく
あること。
結局は
何も動かずに
いたことが
最善の選択
だった。
いや、
違う。
対峙した
からだ。
意識を
真正面から
向け続けた
からだ。
その生き様と
エネルギー。
これが
嵐に
作用した。
今は、
・・・特に
この2ヶ月で、
実在と現象は
また
劇的なくらいに
近づいた。
人によっては
一致した
とも
言えるくらいだ。
その人の
実在(本質)が
現象(目の前の現実)に
ダイレクトに
影響を与える。
そんなことが
日常茶飯事と
なっている。
一年前には
考えられなかった
状態に
今の私達は
入っている。
それをまずは
私達自身が
自覚を
すべきだ。
つづく