実在の振動

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昔、
山を登っていた
時に、
台風のような
大雨に見舞われた
ことが
何度もあったが、

それはもう、

上からも
下からも
横からも

破壊力のある
雨達が
容赦なく
私を叩いた。

風も
凄いから、

岩にへばりついて
踏ん張って
飛ばされないように
した。

でも確かに
その時、私は

生きている
実感

というものを
得ていた。

この状況から
一刻も早く
逃げ出したい、

という
気持ちと共に、

確かに、
ずっと
このままの状態で
いたい、
という私も
いた。

こんなに
生きている実感を
ダイレクトに
感じられることは

なかなか
ない。

1秒1秒の
必死さ、
濃密さ。

そうなった時に
初めて
喚起される

独特の心、
感覚、
そして
振動。

そう。

あの時の
私は
独特の「振動」を
していた。

普通ではない
波長を
出していた。

あれ以来
ずっと私は
あの「振動」を
求め続けたのかも
しれない。

・・・

今になって
わかる。

あの「振動」は
実在の振動
だった。

実在の自分と
直接に
結びついている
証のような
もの。

命そのものを
感じ取れたのは
そういう意味では
当たり前の
ことだった。

あの時、私は
本来の自分を
取り戻していた
のだ。

・・・

山の上や
嵐の中に
いなくても、

今は毎日、

いや、
この1秒1秒
一刻一刻、

私はその
振動で
生きている。

私は常に
実在を
感じ続け、

実在と
共にある。

そう考えると、
登山というのは
私に
最初の実在体験を
もたらしてくれた
貴重なものだった。

私達は、

いや、
この世のすべての
存在は

振動
し続けている。

独特の
波長を持ちながら。

本当の成長
とは、

自分の振動数を
変えて行くこと。

同じ振動数で
いるうちは、

その成長は
見せかけだ。

振動数を
変えるには、

やはり、

必死に
ならねば
ならない。

私は
登山でも
必死だったが、

普段の
仕事でも
必死だ。

その連続が
よかった。

24時間
必死になる
必要はない。

でも、
一日に一度は、

必死に
なろう。

つまり、
全意識を集中する
時間、

全身全霊で
取り組む時間を
持とう。

振動数を
変えるんだ。

自ら
意図的に。

つづく

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