真本音度合いが上がってから、
めっきり怒ることが少なくなった平井さん。
私は平井さんに訊いてみました。
「平井さん、今の平井さんは以前に比べて
かなり気が長くなったように見えますが、
ご自分では変化は感じていますか?」
「あっ、やはりそうですか。
自分では特に意識していないのですが、
腹が立たなくなってきたのは事実です。
こんなに腹を立てない自分でよいのだろうか、と
少し不安になるくらいです。
本当はもっと社員に厳しくしないといけないのではないかと。
でも、腹が立たないからしょうがないですね。」
「それによる社員さんの変化は?」
「そりゃもう、以前に比べれば随分と私に
意見を言うようになりましたよ。
まぁこれは、たけうちさんにコーチングスキルを
教えていただいたのが一番大きいと思いますが、
私が簡単には怒らなくなったのも大きいかな。」
「それは良いことだと思いますか?
社員さん達の仕事の質はいかがですか?」
「いや、もちろん良いことだと思っていますよ。
昔に比べると、社員の本音はとてもよくわかるように
なりました。
それに、信頼関係も昔とは大違いじゃないかな。
今から振り返ると、昔は信頼関係もどきでしたね。
社員の主体性とか仕事の質は間違いなく
上がってますよ。」
「では、怒らない方がいいと?」
「いやでもね、たけうちさん。
そうは言っても、私はね、もの凄く腹の立つ瞬間は
今でもあるのですよ。
その時はもう逆に、私は私を抑えられなくなります。
ついつい、思ったことをそのまま相手に
伝えてしまうんですよ。
これはいいのかなぁ?」
「伝えた結果、どうなりますか?」
「多分ね、その伝え方は以前よりもダイレクトだと
思うんですよ。
だから、以前よりもきついんじゃないかなって。
でも、そんなきつい言い方をしているのに、
社員はちゃんと受け止めてくれます。
それどころか、どれだけ私が怒っていても
意見を言い返してくる社員もいるんです。
これはどういうことでしょうね?
社員が強くなったのかな?」
「平井さん、
それを“真本音の怒り”と言うんですよ。」
“真本音の怒り”。
それは、まったく淀みのない怒り。
相手のためだけを純粋に想い、
自然発生する怒り。
真本音度合いが高まった人には共通して見られる
一つの現象です。
真本音の怒りには、
根底に「あたたかさ」があります。
それは意図をした「あたたかさ」ではありません。
「あたたかさ」の土台の上で、
きつい言葉達が相手にダイレクトに向かっていきます。
それを受けると、相手の人は
大きく混乱します。ショックを受けます。
頭は真っ白になるケースが多いです。
しかし、決してその言葉達を拒絶することはありません。
いえ、一時的には思わず拒絶するかもしれませんが、
その言葉の一つ一つは、その人の胸に
しっかりと宿ります。
そして、ジワーッとその人の胸に
沁み込んでいきます。
要するにそれは、
愛のある怒り、なのです。
ですから私は常に、
真本音度合いの高まった人に対しては、
「自分の怒りを抑えないでください」
とお願いしています。
真本音の怒りは、必然的に必要に応じて
発生します。
その怒りを抑えることは、
マイナスにしかなりません。
真本音の怒りは開放してこそ、
すべての物事が進展します。
逆に。
真本音度合いがまだあまり高くない状態での怒り
があります。
それは、反応本音の怒りです。
反応本音の怒りは、単なる反応です。
そして、自分の思惑とか、自分のストレス解消とか
様々な淀みが含まれています。
一般的に言われる怒りとは、この反応本音の怒り
のことを言います。
この怒りを相手にぶつければ、
当然のごとく、相手も反応します。
怒りと怒りのぶつかり合いになります。
もしくは、相手の立場の方が弱い場合は、
相手が我慢し、こちらに迎合します。
真本音の怒りと、反応本音の怒りは、
表面上では同じように見えても、
本質はまったく異なるのです。
真本音度合いが高まれば、
反応本音の怒りは激減します。
その代わり、真本音の怒りのみが
自然発生するようになります。
そしてその真本音の怒りこそが、
人の成長を促したり、組織の活性化につながります。
私達は人間。
豊かな感情があります。
それらの感情を単なる反応として使うのか、
それとも
自分の揺るがぬ願いの一つの表現として
発揮するのか。
それにより、
人生は大きく変わってきますね。
つづく
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