一つの祈りだ

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直滑降、
急降下。

どこまで
落ちるか?

どこまで
堕ちるか?

中途半端は
ダメだ。

とことん
堕ちるところ
まで。

必ず
底は、ある。

底まで
行けば、
あとは
浮上するだけ。

そこまでは
堕ちることに
手を抜くもんか。

・・・・・・

実は、
底まで堕ちても、

もっと
堕ちたい


願ってしまう。

でももう
底、なのだ。

堕ちようにも
堕ちる術は
ない。

もう、ここが
底なのだ。

すぐに堕ちる
人は、
堕ちること
自体を
望んでいる。
本当は。

堕ちている
ことで
安心するから。

浮上をしたり、
幸せを
感じ始めると
とても不安に
なる。

この浮上は、
この幸せは、
すぐに
失われるのでは
ないか、と
思うから。

そしてその
不安に
耐えられなくなり、
自ら
堕ちていく。

その連続。

昔の私の
人生は、
まさにその
連続だった。

堕ちようにも
堕ちない
という
あの、底での
状態が、

私にとっては
不安定の
根源だった。

・・・・・・

しかし
堕ちては浮上し、
堕ちては浮上し、

繰り返している
うちに、

人生の時間は
どんどん
過ぎていく。

気がつけば
同じ場所で
同じことを
ずっとしている。

そのループから
抜け出さなければ
自分の人生の
願いは
絶対に叶わない。

生まれてきた
意味そのものが
失われる。

そう気づいても
なかなかその
ループからは
脱け出せ
なかった。

・・・・・・

私をその
ループから
救い出して
くれたのは、
一つ。

それは
「祈り」
だった。

私は必死に
祈った。

自分のことを、
ではない。

自分以外の
誰かの
ことを。

世の中の
ことを。

世界の
ことを。

そして、
目の前の
その人の
ことを。

私は、
一つの
祈りだ。

これが当時の
私の
口癖だった。

口癖と
言っても、
口には
出さず、

心の中で
これをずっと
呟き続けた。

あらゆる人、
あらゆる存在と
祈りながら
向き合った。

いや、
祈り、として
向き合った。

一つ一つの
日常生活の
振る舞いを
すべて
祈り、として
行なった。

これを
何年も続けて
ようやく
脱け出せた。

私は
私を
救った。

というよりも、
祈りが
私を
救ってくれた。

・・・・・・

今の世の中に
祈り、は
あるか?

ある。

むしろ、
増えている。

本人が
自覚せぬまま、
無意識に
ずっと心の奥で
祈り続けている
人たち。

私は、
そういった人を
敏感に察知する。

初めて
お会いした
瞬間に
わかる。

祈りが
私を救って
くれたから、

祈りで
自分を救おうと
している人の
ことは、

敏感に
わかるんだ。

口に
出さなくとも
いい。

密かに
呟けばいい。

ただ、

自分を救う、
イコール
人を救う、

そういった祈りが
もっと
世の中の隅々まで
行き渡れば
いいな、と
思うよ。

つづく

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