世界の中に
いる自分と、
その世界を
外側から
眺めている
超巨大な自分。
この二つの
自分を
常に同時に
感じ続ける。
この15年間、
ずっと私が
やり続けている
ことだ。
これをすると
自己分離を
起こしてしまう
のではないか?
と
思われるかも
しれないが、
実は
逆である。
これを
すればするほど、
自己一致感
が高まる。
今よく使う
言葉で表現すれば
実在と現象が
一致する
ということだ。
本質的な
一貫性が高まる
とも
言える。
・・・・・・
私達には
もともと常に
超巨大な
視点
というものが
ある。
常に外側から
自分で自分を
見つめ続ける
視点。
自分を見つめる
ということは、
自分の立っている
環境も同時に
見つめ、
特に、
自分自身と
環境との
関わり方を
見つめる、
ということ
になる。
自分とは
「自分」という
一個の存在で
成り立っている
わけではなく、
「自分以外」
という存在が
あるからこそ
「自分」
という存在は
生じる。
ということは
「自己理解」
とは
「自己以外理解」
でもある。
あらゆる全ての
存在から
分離・独立して
できたのが
「自分」なのだから、
あらゆる全て
を見ずして
「自分」を見ることは
できない。
この当たり前の
ことを
常に思い出させて
くれるのも、
「自分」を外側から
見つめる
眼差しだ。
・・・・・・
今、一つの
決断を
しようとしている。
行動に
移そうと
している。
そんな自分を
外側の
超巨大な眼差しから
見つめる。
見つめ
続ける。
最初は、
何かに監視
されているかの
ような気持ちに
なるかもしれないが、
慣れれば
それも
消える。
そしてそこで
得られるのは、
言いようのない
「自由」な
感覚。
これが
「完全自由」の
基礎となる。
つづく