現象レベルの
不安は
しっかり
持っていた方が
いい。
この世の中
には、
様々な不安や
心配がある。
お金の不安、
人間関係の
不安、
事業の不安、
結果の不安、
安全安心に
関する不安、
・・・。
個人的な
ものから
社会的な
ものまで、
数限りない。
不安のない
人生はなく、
人生を
送るのであれば、
不安がなくなる
こともない。
不安の中に
埋没し続ける
ことは
お奨めできないが、
しかし、
自分の心に
浮かび上がってくる
不安の一つ一つに
しっかりと
目を向けることは
とても大切だ。
解決できない
ことを
悩み続ける必要は
ないが、
どんな不安が
今、自分の中に
発生しているか?
は、
きちんと
観察、把握した方が
いい。
でないと、
不安の「置き換え」
をしてしまうのが
私達だからだ。
例えば、
本当はAについての
不安があるのに、
そのAについて
向き合ったり
考えたりするのが
億劫なため、
全然関係のない
Bに意識を向け、
Aの不安への
感覚のみを
持って
Bに向かうことで、
私は今、
Bについて
とても悩んでいる、
と、
思い込んで
しまうのだ。
これも一種の
現実逃避だ。
これをしている
うちは、
何をしていても
心が本当の意味で
安らぐ瞬間は
来ない。
もちろんたとえ
Bを解決したと
しても、
心は
キツいままだ。
不安の「置き換え」
は
純粋な不安よりも
何倍も
キツい。
本当は私は
Bではなく
Aに悩んでいるんだよ!
と、
自分が自分に
合図を送っている
から、
自分で自分の心を
より苦しめるのだ。
こういったことに
エネルギーを
費やすよりも、
私は今、
これが不安だ、
と
純粋にスッキリ
把握し、
それらの不安を
ちゃんと
存在承認しよう。
それができれば
その「奥」が
わかるようになる。
つまり
自分の根っこの
部分が今、
どうなっているか?
が
感覚で掴めるように
なる。
結果として、
私は今、
表面上は
こんなにもたくさんの
不安があるのに、
なぜか
根本的には
こんなにも
悦びに満ちている、
というような
ことが
わかるようになる。
表面の自分と
しっかり向き合える
人は、
基本的には
根本の自分は
悦ぶのが
私達人間だから。
そして
その根本の悦びが
増す方向に
人生を進めていく。
それが
真本音の道だ。
不安を
なくそうとする、
その方向に
努力しては
ならない。
不安は
あるのが普通だし、
あるのが
健康だからだ。
それよりも
不安と共に進む
自分で
あり続けよう。
つづく