命のやりとり
なんて言うと、
大袈裟だな
と
思うだろ?
でも人はね、
命のやりとりを
結構頻繁に
やってるんだよ。
例えば、
たった一つの会話を
をきっかけとして、
ある人は
自分の人生を
生きることを
突然、
諦めたりするんだ。
顕在意識レベルの
話ではない。
潜在意識、
無意識レベルでね。
自分の人生を
完全に諦めれば、
もう
その方向に
進んでいく。
ある人は
それが後に
病気として
現れたり、
無意識に
自分を
事故に巻き込ませたり。
起きている現象は
すべて
その人の
「決めたこと」の
反映に過ぎない。
無意識に
完全に
決める、
ということを
私達は結構
やっているんだ、
日常生活の中で。
だからこそ、
人との関わりは
命のやり取りと
なる。
だからこそ
私は
最善の
できれば
最高の
命のやりとりを
したいと
思っている。
今、
目の前にいる
Aさん。
このAさんとの
この時間。
唯一無二の
時間。
これを私は
本当に大切に
する。
惰性で
人とは
関わらない。
惰性でしか
関われそうも
ない人とは
関わらない。
そう
決めている。
・・・・・・
この世は
後悔が
溢れている。
顕在意識では
全く自覚
していなくても、
自分がさっき
あの人を
傷つけた。
あの人の
生きる意欲を
失わせた。
・・・という
認識は、
無意識でしっかり
得ている。
だから
無意識に
とてつもなく
深くて大きい
後悔を
抱えている人は
多い。
これは
キツい。
実に
キツい世の中
だ。
命を
打ち消し合う
のではなく、
命を
活かし合う
世の中に
なれないものか。
命はもっと
輝けるものだ。
つづく