
実在のレベル
では、
私はよく
深海に潜る。
海の奥の
奥の方では
光は全く
届かない。
考えてみれば、
光が全く
届かない
という体験は
通常の生活
日常の中では
滅多にないこと
ではないか。
真っ暗闇。
そこに長く
じっとしていると、
まずは、
自分と
自分以外との
区別がつかなく
なる。
そして、
意識
というものの
意味が
わからなくなる。
何かを
考えている
ようで
何も考えて
おらず、
かといって
無心かというと
そうでもない。
日常における
意識とは
全く別の状態に
入る。
瞑想とも
違う。
全体と個の
区別が
つかなくなっている
し、
たとえ
意識のような
ものがあると
感じられても、
それが
自分のもの
なのか、
自分以外から
きているもの
なのか、
が
わからなくなる。
というか、
そんなことは
どうでも良くなる。
宇宙の中の
自分。
自分の中の
宇宙。
その両方と
一つになり
ながらも、
その両方が
完全に
一致する。
一点であり
無限である
もの。
そういった
存在そのもの
と
いつの間にか
なっている。
この状態で
初めて
私は
帰ってきたな、
という
感になる。
もとの自分に
戻れた
感覚であり、
本来のホームに
帰ってきた
感覚であり。
下手をすると
もう
そこから
離れたくなくなる
こともあるのだが、
しかし
こうなった時に
明らかに
なるのが、
自分自身との
約束だ。
私は
約束を果たすために
この世界に
生まれてきた
と
わかる。
だから
約束を守るために
日常に
戻っていく。
さぁそろそろ
戻ろうか、
と
自然に思える。
私はこの
「約束」
を、
すべての人に
思い出して
ほしいのだ。
そのために
私は活動
している
と言っても
過言ではないだろう。
真本音とは
「約束」に基づく
本音である、
とも言える。
そしてもし
「約束」を
思い出したなら、
もう、
すぐに
そっちに
向かうべきだ。
わかるだろう?
時間は
ないのだ。
つづく