
まるで
前方から
雹(ひょう)が襲いかかって
くるような
抵抗感が
あった。
これ以上は
立ち入れないな、
と
私はそこで
自分を止めた。
ギリギリの
ライン。
その人の
真本音に
刺激を入れる
ための。
最近は
あえて、
そのラインを
ほんのわずかだけ
越えてみる
ということをする。
越えれば
揺れる。
過剰なまでに。
しかし
一瞬のその揺れこそが
必要なケースが
増えたのだ。
限界を超えた
揺れ。
しかしそれは
一瞬で
治まるもの。
が、
その一瞬を
逃さない。
揺れた瞬間に
その人に
届けるべき
言葉がある。
その言葉は
その揺れが
なければ
届かない。
通常であれば
絶対的に
拒絶される
一言。
それを
スーッと
伝える。
そしてそこが
ターニングポイント
となる。
その人は
内側から
真本音のエネルギーを
自ら
放ち始める。
・・・・・・
他者ができる
ことは
きっかけの提供
しかない。
誰がどう言おうとも
その人が変わるか
どうかは、
本人の意志による。
例えば、
洗脳というものが
あるが、
あれだって結局は
本人が
望んでいることだ。
洗脳される
ことを。
世の中には
洗脳とは
思えないような
洗脳が
溢れている。
しかしみんな
「それでいい」
と思って生きている。
だから
今のような
世の中になった。
別に自分の
意志で
生きなくたって
いいじゃないか。
疲れるだけじゃ
ないか。
という
言葉にならない
呟きが、
世の中には
溢れている。
・・・・・・
本当は
どうしたいのか?
本当の
自分の想いは
何なのか?
実にシンプルな
ことだ。
それを
自らちゃんと
理解して、
次の一歩を
自分で決める。
それだけの
ことで
人は健康に
なれる。
が、
それを放棄
する。
それすらも。
しかしそれは
健康の感覚を
忘れてしまって
いるだけだ。
誰だって
それを思い出せば、
あの不健康さには
戻りたくないと
思うだろう。
私にできる
ことは、
その健康の状態の
感覚を
ちょいと
投げること。
もっと正確に
言えば、
そのためのきっかけと
なる
言葉、
その人にしか
効かない言葉
を
見つけ出し、
その人が最も
受け取りやすい
状態の瞬間を狙って
投げること
だ。
あとは
そのきっかけに
よって
その人が自ら
健康の方向に
進もうとするか
どうか?
それはもちろん
その人の
意志による。
人を
尊重する、
とは
放置することでは
ない。
人を
尊重する、
とは
その人の健康な
意思を
尊重するということだ。
だから
健康な意思が
きちんと
浮上するように、
そのきっかけを
与え続ける
ことは、
コーチどうこう
ではなく、
人として
とても大切なこと
ではないか。
つづく